〜流れに身を任せて〜

 

 

 

 

 

 

カランカランと小気味良い音を立てて、一人の少年が『踊る孔雀亭』のドアを潜る。

馴染みの常連の来客に、女主人が退屈そうにカウンターに置いていた両腕を直しながら、彼に声を掛けた。

「あらユセム君じゃない。いらっしゃい」

「どうも、お邪魔します」

ユセムと呼ばれた少年は、あどけない顔に笑みを浮かべながら軽く手を挙げて挨拶する。

刈安色の髪に黄肌の痩躯、邪心の見えない水色の瞳は純真な少年そのものの容姿だ。しかし携えている身の丈と殆ど変らない巨大な剣が、彼が只者では無い事を証明している。

そう、彼は此処『タルシス』の街に無数に存在している冒険者。遥か遠くに聳え立つ『世界樹』を目指す『ソードマン』の一人であった。

「丁度、退屈してたところなのよ。何か話を聞かせてくれる?」

「良いですよ。でも、その前に……」

「はいはい。いつものね」

慣れた様子でカウンター席に座ったユセムに、女主人は棚から一本のボトルを取り出すと、透明のグラスに中身を注ぐ。彼のお気に入りのジュースだ。

なみなみと注がれる透明の液体を眺めるユセムの顔に、自然と笑みが浮かぶ。それを見た女主人もつられる様に微笑むと、彼の前のカウンターにグラスを置いた。

「どうぞ、お待たせしました」

「いただきます」

言うや否やユセムはグラスを手に取ると、中身を一気に喉元へと流し込む。仄かな甘味と爽やかな酸味が感じられ、疲れた身体が癒されていく。

瞬く間にジュースを飲み干した彼は、至福の表情で息を吐くと共に女主人に礼を言った。

「あー美味しい。こういうのを幸せって言うんですよね。いつもありがとうございます」

「あらあら、何だか疲れた中年男みたいよ。その台詞」

「え、そ、そうですか?」

途端、困った様な照れた様な表情になったユセムに、女主人は「冗談よ」と返す。

そしてカウンターの上に組んだ両腕を乗せ、そこに身体を預けながら彼に小首を傾げて見せた。

「それで、今日はどんな武勇伝を聞かせてくれるの?」

「武勇伝? 嫌だなあ、ハードル上げないでくださいよ」

「別に上げてないわよ。たった一人で『碧照の樹海』の探索が出来る冒険者なんて、このタルシスにそうそういるもんじゃないんだから。数多のギルドから、スカウトも絶えないんじゃなくて?」

「い、いやまあ……それは、そうですけど……」

女主人のからかいを含んだ賞賛に、ユセムは少しだけ表情を曇らせながら言葉を濁す。

確かに今現在、彼は凄腕の冒険者と街の人々から称されている。女主人の言う通り、樹海突破を目指す無数のギルドから加入の誘いも毎日の様に有る。

けれどもユセムは、それに対して喜びを感じた事は一度足りとて無い。むしろ変に有名になった事を億劫に思ってしまうくらいだった。

元々控えめな性格というのも理由の一つだが、それ以上の理由――数か月前に起こった出来事が、殊更に彼を人見知りするよう仕向けているのである。

(確かに、いつまでも一人でって訳にはいかないよな。でも……)

ユセムは軽く俯きながら、空になったグラスを無意識に握りしめる。と、そのグラスに女主人が無言で先程のジュースを注いだ。

グラスが満たされている音に、彼は少々驚いて顔を上げる。そんな彼に、女主人は「サービスよ」と微笑んだ後、こう続けた。

「人を選ぶのに慎重なのは良い事だわ。けど、時には思い切りも必要よ。大丈夫、今の貴方ならきっとどんなギルドでも重宝されるから。……あんな事、もう起きやしないわ」

「っ……やっぱり知ってましたか。流石の情報網ですね」

「当然でしょう。でなくちゃ、この酒場の主人は務まらないわ」

「成程」

そう言って笑ったユセムは、再びジュースを呷(あお)る。女主人の言葉と相まって、胸の中で燻っていた燻(くすぶ)りが溶けていく気がした。

「少し考えてみます。僕も一人の力じゃ、これ以上先に進むのは難しいなとは思ってましたし」

「うん、それが良いわ。楽しみにしてるわよ、貴方が樹海の先へ先へと進むのを。……で、そろそろ最初の話に戻りましょう。今日はどんな武勇伝を聞かせてくれるの?」

「あ、ああ……まっ、今日は取り立てて珍しい事は無かったんですが……」

 

 

 

 

 

 

 

一時間程経過した所で、ユセムは『踊る孔雀亭』を後にした。

入る時はまだ燦々と輝いていた太陽が、今はオレンジ色の光を放ちながら一日の務めを終えようとしている。

それを見て、何となく感傷的な気分になったユセムは、苦笑いを浮かべながら溜息をついた。

「っ……こんな気持ちになるのは、あの事を久々に思い出したからだろうな。やっぱり」

 

 

 

 

 

――――今から数か月前。ユセムはとあるギルドに所属していた。

この頃の彼はまだ右も左も分からない新米の冒険者で、世界樹やその前に立ち塞がる樹海はおろか、此処タルシスの事でさえ覚束なかった。

そんな自分にギルドに勧誘し、面倒を見てくれた冒険者達――今はもう来世へと旅立った人達を脳裏に描いた彼は、遣る瀬無いものを感じてもう一度溜息をつく。

ギルドに入って暫くし、いつもの様に『碧照の樹海』を歩いていた時、ユセムは皆から突然「ここで待機してくれ」と命じられた。

一体どういう訳なのか彼は皆目理解できなかったが、新参者という事も手伝って素直にそれに従った。

仲間であり先輩でもある皆が姿を消した後、彼は暫く携えていた剣で素振りをしていたが、程無くして近くの茂みから殺気を感じて身体を強張らせる。

直後、ユセムの前に現れたのは巨大な熊――『森の破壊者』と呼ばれる、幾多の新米冒険者を屠ってきた魔物であった。

話に聞いていた恐怖を目の当たりにし、今まで感じた事の無い戦慄を覚えたユセムは、無我夢中でその場から逃げ出そうとした。

しかし、極限状態だった彼の足は上手く動かず、数歩もいかない内に縺れて近くの水場へと転落した。

別段ユセムはカナヅチという訳では無かったが、迫り来る恐怖により完全に平常心を失っており、無闇に手足をバタつかせ、水を飲み、やがて溺れてしまった。

救いだったのは『森の破壊者』が彼を水場から引き上げようとはしなかった事、そしてすぐにその場から離れて行った事だった。

幸運な事に他のギルドの者達が直後にそこを通りかかり、ユセムは彼らに発見され、助けられたのである。

そしてタルシスへと運ばれ、『セフリムの宿』で意識を取り戻し事情を話したユセムは、彼らから衝撃の事実を告げられた。

――あそこは『森の破壊者』の通り道として有名な場所だぞ? そんな所で待機しておけだなんて、そいつらは一体何を考えてたんだ?」

言葉を失ったユセムだったが、そんな彼に追い打ちをかける様に他の者が口を開いた。

――あっ、そう言えば……あそこの『森の破壊者』って、何かお宝を守る様に巡回してるって話じゃなかったか? まさかと思うが……」

それが真実である事を知ったのは、それから間も無くの事。

助けられたギルドの皆に支えられながら件の場所の近くを捜索してみると、無残な爪痕を全身に刻まれた顔馴染み達が横たわっていたのである。

彼らの手には、珍しい道具や幾許かの金貨が握られていた。更に付近を調べてみると、茂みの中に開け放たれた木箱が置かれているのが眼に入った。

それらからユセムは悟った。いや、悟ってしまったと言った方が正しいか。

――――自分は彼らによって、財宝を得る為の捨て駒にされた事を。

 

 

 

 

 

 

 

「あれから、もう……結構経つんだな」

何気なく夕闇が広がりかけている空を見上げながら、ユセムは呟く。

最初の頃に抱いていた怒りや憎しみも今は無く、有るのは胸に穴が空いた様な虚無感だった。

裏切られたとはいえ、自分の面倒を見てくれた事は確かだったし、あの無残な最期を思い出すと、彼らを責める気にもなれない。

ただ、やはり尾を引いているのも確かで、どうしても新たなギルドに入るのを躊躇ってしまう自分がいた。

――――また裏切られるのではないか? 

その考えがずっと、ユセムの頭を支配しているのである。

「まあ、あの頃よりは随分と強くなったとは思うけど……そもそも、弱いから裏切られたかどうかも分かんないんだよなあ」

モヤモヤした気持ちを吐き出す様に、彼が独りごちた時だった。

不意に大きな足音が聞えたかと思うと、次の瞬間重い衝撃がユセムを襲った。

「うわっ!?」

「きゃっ!?」

彼が思わず声を上げるのと同時に、聞き慣れない悲鳴も聞こえる。

よろめいた身体を戻したユセムが声の方に顔を向けると、そこには一人の少女が地面に倒れていた。

「てて……き、君かい今の?」

「たた……あっ、ゴ、ゴメンなさい! 私、急いでて!! あ、あの、本当に……」

少女は慌てて立ち上がると、申し訳なさそうに何度もお辞儀を繰り返す。その度に、少しサイズの合っていない眼鏡がグラグラと揺れた。

恐らくはユセムと同じくらいの歳だろう。深緑の髪を携えたその少女は、大きなバッグを抱えている。

そこから小さな薬瓶が顔を覗かせている所から推測するに、医術に長けた『メディック』であるとユセムは考えた。

「いや、別に大した事は無かったから気にしなくていいよ。それより随分と慌ててたみたいだけど、どうかしたの?」

「は、はい! 私、駆け出しの『メディック』でして、先生のお手伝いでこれから樹海に……」

「樹海に? その先生の治療にでも行くの?」

「いえ、そうではなくて……ああ、いけない! 早く行かないと……で、では私、これで!!」

何やら相当急いでいるらしく、『メディック』の少女は最後にもう一度深々と頭を下げると、危なっかしい足取りで樹海時軸の方へと走っていった。

その後ろ姿を暫く眺めていたユセムだったが、ふと視線を落とした時、地面に少女が落としたとみられる物が落ちている事に気づいて身を屈める。

「これは……『アリアドネの糸』じゃないか!」

小さな布の包みだったそれを何の気なしに開いたユセムは、焦りを含んだ声でそう呟く。

乱雑に扱っている自分の品に比べ非常に丁寧な仕舞い方をされているが、間違いなくそれは『アリアドネの糸』だった。

樹海から一瞬にして此処タルシスへと戻る事が可能なこの品は、誇張でも何でもなく冒険者にとって命綱と言っていい。

これを欠いて樹海に入るのは、ある意味では食糧を欠いて入る事よりも危険な行為であった。

「あの娘、これから樹海に行くって言ってたよな? 他に予備が有るならいいけど…………ええい!!」

最悪の事態が一瞬脳裏を掠めた彼は慌てて頭を振って考えを中断し、急いで少女の後を追って樹海磁軸へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ったく! あの娘、どのあたりに向かったんだ!?」

陽が殆ど沈み、殆ど全体が闇に染まっている『碧照の樹海』の一階層内を小走りに移動しつつ、ユセムは姿を見せない『メディック』の少女に苛立たしく悪態をついた。

様子からして誰かと待ち合わせしている感じでも無かったし、一人で奥深くには行っていないだろうと高を括っていたのだが、既に一時間程も探しているのに全く見つからないのである。

「もう比較的安全とされている場所は回ったんだけどなあ。大体、何の用事で出掛けたんだ?」

ユセムがそんな独り言を呟いた時だった。突如として、耳を劈く様なけたたましい悲鳴が、辺り一面に響き渡る。

「きゃああああっっ!!!!」

「!? この悲鳴……あの娘か!!」

慌ててユセムは悲鳴の聞こえた方へと駆け出す。その途中、悲鳴に引き寄せたであろう魔物――森ネズミやシンリンチョウ等が襲ってきたが、所詮彼の敵では無い。

足を止める事も無くそれらを斬り捨てながら、ユセムはひたすらに走り続けた。そして、一階層の最深部近くにまで辿り着くと、ようやく遠くに目的の少女を見つけた。

「!!」

「嫌! 嫌!! こ、来ないで!! い、糸、糸!!……あ、あれ!? な、何で無いの!? 何で!?」

尻餅をついた状態でバッグを漁りつつ後退する少女の眼前には、獲物を前に涎を垂らしながらゆっくりと歩く『森の破壊者』の姿が有る。

どうやらユセムの危惧していた通り、彼女は命綱を落としたまま樹海に入ってしまっていたらしい。

更に運の悪い事に、この一階層で一番厄介なモンスターに見つかってしまったという訳だ。最悪、と評する他に無いだろう。

「たた、確かに一つ入れてた筈なのに!!……で、出てきて!! お願いだから出てきて!! お願い!!」

殆ど涙声で少女は叫び続けるが、どんなに叫んだ所でバッグの中から『アリアドネの糸』が出てくる筈が無い。

それ所か、その叫びが余計に『森の破壊者』の嗜虐心を煽る結果となってしまっている。それを悟ったユセムは、更に足を速めた。

(間に合ってくれ!!)

徐々に近づく光景の中に、鋭い爪を振り上げている『森の破壊者』と、最早声を出す事も出来ずに硬直している少女が映る。

そして、正に『森の破壊者』が少女に爪を引き裂かんとした刹那、ユセムは勢いよく跳躍すると彼女を飛び越し、ハッとした表情でこちらを見上げた奴に大剣を振り下ろした。

ユセムとしてはその一撃で終わらせたかったのだが、やはりそう簡単にいく相手では無い。

『森の破壊者』は素早く爪で彼の斬撃を受け止めると、躊躇い無くもう片方の手で攻撃をしかけてきた。

咄嗟にユセムは大剣から手を離し、地面に着地する事でそれを回避する。続いて『森の破壊者』の横っ腹に強烈な蹴りをお見舞いすると、再び大剣を手にして間合いを離す。

綺麗に食らった奴が苦痛の呻きを発しながら動きを止めているのを睨みながら、彼はいきなり出現した自分に驚きへたっている少女に『アリアドネの糸』を放り投げた。

「それで早くタルシスに!」

「え? あ……え……」

「急いで!!」

呆けた様子で『アリアドネの糸』とこちらを交互に見つめていた少女を急かすと、ようやく彼女は我に返ったらしい。短くユセムに礼を言った後、危なっかしい手つきで『アリアドネの糸』を使い始めた。

それを一瞥した彼は、持ち直し始めた『森の破壊者』に不敵な笑みを向ける。

(さてと、ちょっとした大仕事になるな)

ふと脳裏に、あの嫌な思い出の場面が蘇る。久しぶりにあの時を思い出した日にご対面。そんな偶然にユセムは、柄にも無く運命的なものを感じた。

こうして『森の破壊者』と対峙するのは既に数回繰り返していたが、今日は一段と気持ちが昂る。彼は、それが勇み足にならない様に注意しつつ、高らかに吼えた。

「悪いけど、手加減出来ないからね! 僕を相手にした事を、あの世で悔みな!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウオオオッッ!!」

咆哮と共に『森の破壊者』がその剛腕をユセム目掛けて振り下ろす。

しかしユセムは紙一重でそれを回避しつつ奴の懐へと潜り込むと、手にした大剣で速く鋭い二連斬を見舞った。今の彼が最も得意としている剣技『ダブルストライク』である。

悍(おぞ)ましい断末魔の叫びを上げながら、『森の破壊者』の巨躯が地に伏す。

そこから広がっていく血の海が奴の絶命を示していたが、それでもユセムは暫く荒い呼吸をしつつ剣を構えていた。

その身体の至る所に、生々しい爪痕や牙を食い込まされた痕が散らばっている。前に同種と戦った時よりも随分と強くなったと思っていたが、まだまだ無傷で倒せる相手では無かったようだ。

「くっ……はあ、はあ……や、やったみたいだな」

やがて彼は『森の破壊者』がもう二度と起き上がらないと確信すると、額に浮かんでいた汗を拭って剣を仕舞う。

しかし途端、気を緩ませてしまった為か疲労が全身を襲い、思わず彼はその場に片膝をついた。

とりあえずポケットを漁り回復薬であるメディカを取り出して服用する。若干薄れた傷の痛みと疲労に安堵の息を漏らしたが、すぐに自分の失態に気づいて顔を歪ませた。

「参ったな……焦ってて僕の分の糸、持ってきてないや」

あの少女の事ばかり考えていて、樹海に入る準備は完全に疎かにしていた。先程のメディカも、たまたま昼間の冒険の際に残っていた物に過ぎず、今やそれも無い。

つまり、この疲労しきった状態で、樹海磁軸へと戻らなければいけないという事だ。己の失態とはいえ、気が重くなる話である。

「やれやれ……明日は一日安静だな、これは」

自身への呆れを含んだ笑みをユセムは零したが、その顔には然程悲観の色は無い。強敵を討ったという高揚感から来る楽観の気持ちが、心を占めていたからである。

――――それが大きな油断だとユセムが悟ったのは、不意に近くの茂みから物音が聞こえた時であった。

「っ!?」

咄嗟に彼は剣へと手を伸ばすが、それよりも早く茂みの中から一つの影が飛び出す。

そしてその影が、この第一階層で『森の破壊者』の次に厄介とされている『荒くれ狒々(ひひ)』だと気づいた時、既に奴はユセムの直前まで迫っていた。

「しまっ……!」

「グルアアアッッ!!」

『荒くれ狒々』は両手を大きく振り上げながら、ユセムを押し潰さんと襲いかかる。完全に反応が遅れたユセムは、微動だに出来ず口を半開きにしながらその獣を凝視した。

しかし次の瞬間、鋭い声が彼の耳を打った。

「結びしは雷印。怒りは鎚となり仇なす者へと落ちよ!」

涼しい中にも激しさを含んだその声に答える様に、上空で光が生まれたかと思うと、直後『荒くれ狒々』の頭上に一条の雷が降り注ぐ。その光景に、ユセムは思わず息を呑んだ。

(これは……まさか『稲妻の印術』!?)

実際に見るのは初めてだが、知識としては知っている。

大気中の元素を操る事を得意とする『ルーンマスター』が発動させる『印術』という術。その中で、雷系中等印術と呼ばれるものだ。

目標と定めた相手にのみ、激しい稲妻を落とす術。その性質上、標的は一体に絞られるものの、威力は同じ雷系の初等印術である『雷撃の印術』と比較にならない程に高い。

それが疑うべきでない真実だという事は、物の見事に黒焦げになっている『荒くれ狒々』の死体がハッキリと物語っていた。

(一撃でこれか……おそらく、かなりの経験を積んだ『ルーンマスター』の仕業……でも、誰が一体?)

「だ、大丈夫ですか!?」

呆然としつつも考えを巡らしていたユセムの耳に、先刻の『メディック』の少女の声が入る。

ハッとして彼が声の方向に振り向くと、件の少女と一人の青年がこちらに駆け寄ってきていた。

(!……そうか、今のはあの人か)

青年の身なりを見て、ユセムは先程の助太刀が彼による物だったと察する。

物語に登場する魔法使いを思わせるローブを身に纏い、一本の杖を携えた彼は『ルーンマスター』と判断して間違いないだろう。

長い金髪に中世的な顔立ちをしており、先程の声を聞いていなければ性別は判別しにくかったとユセムは思った。

「はあっ……はあっ……ゴ、ゴメンなさい、私のせいで!」

「ロレッカ。謝罪よりも早く手当てして差し上げなさい」

「は、はい! い、今すぐ治しますから!」

青年に促され、『メディック』の少女――ロレッカと呼ばれた少女は、荒い呼吸をしつつユセムの傍に駆け寄ると薬品を取り出す。

そして空いている手から暖かな光、口から何やら呪文の様な文句を呟きながら、ユセムの患部に薬品を塗り付けていった。

すると瞬く間に痛みが消え、傷が塞がっていく。単にメディカを服用するよりも遥かに高度な治療法を目の当たりにし、ユセムは思わず素直な感想を漏らした。

「流石『メディック』だね。ありがとう」

「い、いえ、そんなお礼だなんて! 元はと言えば私の責任ですし……でも凄いですね。一人で倒しちゃったんですか?」

横たわっている『森の破壊者』の死体を一瞥しながら、少女が驚愕と興奮が混じった調子でユセムに尋ねる。

「ああ、まあね。ご覧のとおり、満身創痍になっちゃったけど」

「それでも凄いですよ。ねえ、先生?」

青年の方に振り向きながらロレッカがそう言うと、先生と呼ばれた彼は穏やかな笑みを浮かべながら頷いた。

「ええ、全く。貴方はかなり手練れの『ソードマン』なのですね」

「そう言う貴方こそ、さっきの印術は凄かったですよ。おかげで助かりました」

「何、私の助手を助けて下さったお礼です。危ない所をどうもありがとうございました。……と、いけない」

ふと何かを思い出したらしい青年は、軽く咳払いをした後、気品のある仕草で頭を下げつつ口を開いた。

「申し遅れましたが私、ルマスと申します。このロレッカと共に、樹海に生息している植物の採取等を行っている、『ルーンマスター』のはしくれです」

「植物の採取……ですか?」

「はい。尤も、私は趣味の領域ですけどね。しかし『メディック』であるロレッカにとっては、大変重要な事なのです」

そう言ってルマスは、慣れた手付きでロレッカの頭を撫でる。すると彼女は両眼を細め、擽ったそうに笑いながら軽く頬を掻いた。

「えへへ、そうなんです。こういった所にある植物は、薬品の材料になりますから」

「ああ、成程。……あれ? でも君、確か先生のお手伝いとか言ってなかった?」

タルシスで衝突した時の会話を思い出しながら、ユセムは首を傾げる。既に断片的な記憶になっているが、確かにロレッカはそう言っていた筈だ。

しかし今のルマスの言葉とは、些か事実が食い違っている。植物の採取が趣味だと言うならば、一体ルマスはロレッカにとって何の先生なのだろうか?

と、そんな考えが表情に出ていたのであろう。ルマスが苦笑を漏らしつつ、軽く手を横に振ってみせた。

「ああ、先生って呼び名に深い意味は無いんです。この子が勝手に私の事を、そう呼んでるだけですから」

「だ、だってお世話になっている人なんですから、そう呼ぶのが普通じゃないですか!」

「誰も咎めてはいませんよ、ロレッカ。まあ、そういう訳ですから、どうぞお気になさらず、ええと……失礼ですが貴方のお名前は?」

「ああ、はい。僕はユセム。見ての通り、一介の『ソードマン』です」

「ユセム?……はて、何処かで聞いた事が……」

不意に眉を顰めたルマスは、下顎に指を当てて考え込む仕草を見せる。

その横でロレッカも同じ様に考え込んでいたが、やがて「あっ!」と短く叫びながら両手を叩いた。

「もしかして、貴方があの!? よく『踊る孔雀亭』の女主人さんが話しているユセムさんですか!?」

「え? あ、まあ……」

何やら英雄でも見る様な視線を送ってくるロレッカに、ユセムは少し気後れしつつも頷く。

(あの人、変に話を膨らまして話してないよな……?)

そんな嫌な予感が彼の頭を掠めたが、皮肉な事に直後のルマスの言葉にその予感が当たったと気づかされた。

「ああ、君があのユセム君だったんですか。確か一日で千の魔物を仕留めたとか、とある強豪ギルド五人に対して一人で勝利を収めたとか……」

「い、いや、ルマスさん! それ違います! かなり誇張されてます、その話!!」

慌ててユセムは訂正に入る。

「そりゃあ、いつだったか大量発生したモンスターの討伐依頼を受けた事も有りましたし、やっかみを受けたギルドとイザコザを起こした事も有りますけど……そんな大それた事はしてないです、はい」

「成程。しかし何にせよ、貴方が優秀な『ソードマン』である事に変わりは無い訳です。……っ……」

「どうかしましたか?」

またしても考え込んだルマスに、ユセムは怪訝そうな表情で尋ねる。

するとルマスはハッと我に返った様な素振りを見せた後、軽く首を横に振りながら笑みを漏らした。

「あ、いえ、何でも。それよりユセムさん。もう日も暮れてしまいましたし、そろそろタルシスへと戻りましょう。ロレッカを助けて頂いたお礼に、宿代は私の方で出しますよ」

「……良いんですか?」

「構いません。ただ……」

「ただ?」

「出来れば明日、私達との時間を作って頂けませんか? 少し、話したい事がありまして」

「っ! 先生!! それって……」

思い当たる節が有ったのか、ロレッカが驚いた様子で何かを言いかけるが、ルマスは人差し指を唇に当ててそんな彼女を制する。

「今は言ってはいけませんよ、ロレッカ。ユセムさんも、お疲れでしょうから。……さて、それでは戻りましょうか」

そう言うとルマスは懐から『アリアドネの糸』を取り出し、手早く帰還の準備を始める。

ユセムはルマスとロレッカの会話から何となく引っ掛かるものを感じたが、疲れ故か深く考える事はせず、ただ彼ら二人に従ってタルシスへと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私達と、ギルドを組んで頂けませんか?」

翌日。セフリムの宿でルマスとロレッカと並び朝食を摂っていたユセムは、そのルマスの言葉に思わず手にしていたフォークを止める。

何となく予想はしていた。漠然とだが、昨日からそう感じていた。彼らが自分を見る視線から、戦力を欲しがっている感じは。

「……」

ユセムは静かにフォークを皿の上に置き食事を中断すると、自分と向かい合って座っているルマス、そしてロレッカの顔を交互に見やる。

既に朝食を片づけた彼らは、どちらも真摯な表情で無言のままユセムの返答を待っていた。

やがて幾許かの時間が経過した頃、沈黙に耐えきれなくなったのかロレッカが軽く頭を下げる。

それが何を意味しているのか分からない程、ユセムは鈍感では無い。仕方なく彼は、最良だと思う返事を口にした。

「少し、考えさせてください」

ユセムがそう言うと、二人は揃って軽く息を吐く。そして、沈痛そうに瞳を閉じたルマスが、重苦しく口を開いた。

「やはり、昨日会ったばかりの人間は信用できませんか……」

「っ……そういう訳では無いんですけど……」

それは半分真実で、半分嘘の言葉だった。

確かに自分と彼らは昨日会ったばかりで、お互いの素性を全くと言って構わない程に知らない。しかし、かつての自分ならともかくとして、今の自分は多少なりとも人を見る眼は備わっている。

少なくとも、彼らがかつてのギルド仲間――自分を捨て駒にした連中とは違うくらいの区別はつく。

けれども、やはり躊躇いが有るのもまた事実だ。あの日からずっと心に巣食っている感情――誰かを信じる事に対する激しい拒絶。それは容易に振り払えるものでは無かった。

「……貴方の昔の事は、女主人から聞いています」

不意に耳に入ったルマスの言葉に、ユセムはハッとして彼の顔を見返す。

そこから何を汲み取ったのか、ルマスは「あ、いえ」と軽く咳払いをした後、軽く首を横に振った。

「少し語弊が有りましたね。正確に言えば、聞いてしまったと言うんでしょうか。いつだったか、貴方の話になった時、彼女がポツリと漏らしたんですよ。

 言ってしまった直後に『しまった』という表情をしたので、恐らくは口が滑ったんでしょうけれど」

「そんな事が……」

「はい。ですから、まあ……無理強いをする気はありません。しかし、願わくば信じて欲しい。それが私達の、率直な気持ちです」

「……っ……」

ユセムは悩む。信じても良い人達だと思う。それが正直な感想だ。そうだからこそ、逆に心苦しいものが有る。

万が一の事、そして逆に彼らが自分を信じてくれるかという事。深く考えれば考える程、暗いものが心に中に広がっていく。

「僕は……」

彼らに対して返事をする為では無く、ただ気持ちを紛らわす為に、ユセムは声を発した。

「僕は……」

そこから先に言葉を、ユセムは見つける事が出来ない。そんな彼を、ルマスとロレッカは無言で見つめていた。

「僕は……」

三度ユセムがそう繰り返した時だった。

突如、窓の外から激しい怒声らしき声が飛び込んでき、三人は一様に首を竦めた後、反射的に窓の方を見やる。

どうやら街の広場の辺りから聞こえてくるその声は、やや遠いこの場所からは良く聞き取れない。

ただ分かるのは、声の主が相当な怒りを見せている男性の物だという事。そして、どうも誰かと言い争いをしているという事だった。

「な、何でしょう?」

ロレッカが怯えた様子でそう呟きながら、ルマスを見る。

そんな彼女の不安を取り除く様に、彼は彼女の頭に手を乗せながら言った。

「冒険者が行き交うこのタルシスで、諍いは珍しい訳では有りませんが……これは少々、派手過ぎな気がしますね」

「ええ、僕もそう思います」

ルマスに相槌を打ったユセムは、一瞬の思案の後、急いで席を立つ。

「気になるんで、ちょっと見てきます」

「あ、私も行きます。怪我人が出ているかもしれませんし」

「そうですね、私も行きましょう。最悪……手荒にでも止めなければならないかもしれませんから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広場へと近づくと、野次馬の波に混じれて諍いの場面が三人の眼に飛び込んできた。

いかにもゴロツキといった風貌の巨漢と、鎧や盾、鎚といった重装備をした金髪の少女が激しく言い争っている。

そしてその少女に隠れる様にして、華美な薄着を纏った桃髪の少女が、不安そうに事の成り行きを見守っていた。

「あ〜もう! しつっこいわね! お断りだって言ってんでしょうが!!」

「うるせえ!! お前に話してるんじゃ、ねえんだよ!!」

「うるさいのはアンタよ! とにかく、この娘にちょっかい出さないでよね!! じゃないと、力づくで追っ払うわよ!」

「んだとお!! 生意気言いやがって!!」

「あ……あ……」

険悪さが増していく場の空気に、桃髪の少女はオロオロと視線を彷徨わせる。

と、ようやく現場へと辿り着いた三人は、息を切らせたまま近くの野次馬に声を掛けた。

「はあ、はあ……あ、あの、何が有ったんですか?」

ロレッカが尋ねると、男は「ああ」と返事をし、桃髪の少女を指差す。

「あの『ダンサー』の女の子が、さっきまでこの辺りで踊ってたんだ。それがまた綺麗で見物でなあ。みんな、御捻りを弾んだんだ。そしてら、急にアイツが……」

「ふむ……成程」

話の展開を読んだルマスが、額の汗を拭いながら頷く。

「あの少女に不埒な要求をした、と」

「そういう事。そしたら、あっちの連れの『フォートレス』の娘が食って掛かってなあ。今に至るって訳だ」

「へえ、随分と気が強い人……」

「こいつ!! もう勘弁ならねえ!!」

突如、周囲に響き渡った怒号に、三人は反射的にゴロツキの男へと視線を向ける。

すると、業を煮やした男が持っていた短剣を振り上げると、間髪入れず『フォートレス』の少女へと振り下ろす光景が映った。

「あ、危ない!」

「ルマスさん!!」

「ええ!」

ロレッカが悲鳴を上げ、ユセムとルマスは焦った様子で割って入ろうと身を乗り出す。

しかし、それよりも早くに鋭い金属音が聞こえ、次いで野次馬のどよめきが彼方此方で生まれ始めたのに、二人は思わず足を止めて『フォートレス』の少女を凝視した。

それもその筈で、巨漢が振り下ろした短剣を『フォートレス』の少女が手にしていた盾で見事に防いでいたからである。

二人の体格差は明らかで、腕力にも大きな差がある様に見えるのが普通だ。恐らく、この場にいた人間の殆どはそう思っていただろう。

だが少女は、華奢な体つきからは想像も出来ない力で苦も無く短剣を防いでいた。そして、驚愕で顔を引き攣らせている男に不敵な笑みを向けた後、やにわに盾を横にずらす。

自然と短剣が横に逸れ、その反動で男もバランスを崩してよろめく。その隙を逃す事無く、少女は男の太腿目掛けて、見るからに重量がありそうな鎚を振るった。

次の瞬間、聞いている方が痛みを覚えそうな鈍い音がし、男の口から苦渋の喘ぎ声と泡が飛び散る。そのまま男は白目を剥くと、派手な音を立てて地面にうつ伏せの姿勢で倒れ込んだ。

「た、たった一撃で……倒しちゃいましたね」

「いやはや……大したお嬢さんですよ」

「っ……ちょっと、やり過ぎな気もしますけど」

三人には思わずそんな感想の呟きを漏らす。それが合図であったかの様に、野次馬達が一斉に歓声を上げた。

「うおおおっ!! こりゃあ、さっきの『ダンサー』の娘のステージに勝るとも劣らぬ見物だぜ!!」

「強ええ! 強ええよ! とんだ『フォートレス』のお出ましだ!!」

「お嬢ちゃーーん!! 格好良かったぞーー!!」

そんな歓声と共に盛大な拍手、そして大量の御捻りが『フォートレス』の少女へと降り注ぐ。

彼女はそれらに照れ笑いを浮かべながら手を振ると、呆然と立ちつくしていた『ダンサー』の少女へと近づき、その手を取った。

そして耳元に口を寄せ、何事かを囁く。すると『ダンサー』の少女は慌てた様子で前に出ると、周囲を見渡した後にペコリと頭を下げた。

「あ、あの! 何だかお騒がせしてしまってごめんなさい! わ、私達、今日タルシスについたばっかりで……え、えっと……そ、その! と、当分この街にいますので、また踊りを見に来てください!」

少女がそう言い終わるや否や、またしても野次馬達から歓声が沸き起こる。

「こりゃ良いや! とびっきりの『ダンサー』にとびっきりの『フォートレス』の凱旋ってか!!」

「しかも、どっちも可愛い子ときたもんだ! この街も華やかになるぜ!」

そんな風に野次馬達は一頻(ひとしき)り騒いでいたが、やがて口々に雑談しつつ広場から一人また一人と離れていく。

ユセム達三人は何となくそんな連中を見送ると、不意に顔を見合わせた。

「何だか、凄い人達がやってきましたね」

ロレッカが感慨深く呟くと、ルマスも大きく頷いて見せる。

「ええ。まあ、そんな方達がやって来てこそのタルシスですからね。あの方達、当分は方々のギルドから勧誘攻めですよ、きっと」

「……ですね」

ルマスの言葉に相槌を打ちながら、ユセムは何となく貰った御捻りを拾っている二人に視線を向けると。

すると不意に『ダンサー』の少女が、彼の方へと振り向いた。あどけない瞳が数回瞬きするのを眼にし、ユセムは何故か鼓動が激しくなるのを感じる。

その直後、いきなり彼の中の記憶が蘇った。それを頭で認識するよりも早く、彼は少女に声を掛けようと身を乗り出す。

しかし、それよりも早くに『ダンサー』の少女が「あっ!」と小さく叫び、その叫びにつられて『フォートレス』の少女がユセムを見る。直後、盛大且つ素っ頓狂な叫び声が響き渡った。

「あーーー!! ユセム!? ユセムでしょ!? あんたも此処に来てたんだ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体の至る所に付けられた飾り物を鳴らせながら、桃髪の少女の華奢が煌びやかに舞い踊る。

本来は血でその刃を濡らすのが役目の短剣も、彼女が手にする事によって美しい装飾品となっていた。

時に緩やかに、時に激しく身体を舞わせ、少女は憂いを帯びた表情で踊り続ける。やがて最後の仕上げとばかりに軽やかな身のこなしで宙返りをすると、少女は両腕を交差させて跪いた。

一拍置いて、数こそ少ない物の盛大な拍手が巻き起こる。少女はそれらに照れ笑いを浮かべながら、『踊る孔雀亭』のステージ台から降りた。

「いやあ、お見事です! 素晴らしい舞でしたよ!」

「本当! とっても、素敵でした!」

「あ、ありがとうございます」

店の隅にある団体用席からのルマスとロレッカの賞賛の言葉に、少女ははにかみながら彼らと同じ席に腰掛ける。

その際にチラリと隣に座っていたユセムを見ると、視線を受けた彼は戸惑いがちに口を開いた。

「えっと……あっと……うん、良かったよ、ヴィアーネ」

「っ、ありがとう、ユセム」

ヴィアーネと呼ばれた少女は、仄かに頬を染めつつ笑顔で小首を傾げる。

その仕草に心臓を掴まれた様な感覚を覚えたユセムが徐に彼女から視線を外すと、金髪の少女が盛大にその背中を叩いた。

「もう、ユセムってば! もうちょい、気の利いた感想は言えないの?」

「てて……いきなり叩かないでよ、マディン。本当に君は……」

言いかけて地雷を踏みかけたのに気付き、ユセムは反射的に言葉を途切らす。

しかし、彼が何を言いかけたのかを鋭く気づいた『フォートレス』少女――マディンは、眉を顰めた顔をグッとユセムに近づけた。

「君は? 何?」

「い、いや、強くなったなあって。昔はもっと力無かっただろ? 鎧を着て歩くので精一杯でさ。それがいつの間にか、こんなに力がついたんだなあって、思って……」

「……何か、褒められてるのかどうか微妙だけど、まあ良いって事にしてあげる。それはそうと、いつの話よそれ? あんたが村に居た時だから、もう相当前の事でしょうに」

「相当って、どれくらいですか?」

ロレッカが尋ねると、マディンはグラスを口に運びながら右手を開いて彼女に見せる。

それが何を意味しているのかを察したロレッカは、「へえ」と呟きながらユセムへと振り向いた。

「じゃあお二人はユセムさんと同じ村の出身で、五年ぶりの再会って事ですか」

「そういう事。まあ、それは良いとして……」

「な、何だよ?」

突然、意地悪そうな笑みと共に見つめてきたマディンに、ユセムは嫌な予感をさせつつ尋ねる。

すると、何とも悲しい事に予感していた通りの言葉が返ってきた。

「ちょっと、気づくのが遅すぎだったんじゃない? 私にしろ、ヴィアーナにしろさあ」

「う、ま、まあ、それは……僕もそう思う」

「別にそんなに変わってもないのにねえ。本当、酷いと思わない、ヴィアーナ?」

「……うん。ちょっと、寂しかった」

「っ! だ、だって、それは……」

たじろぎながらユセムは、『ダンサー』の少女――ヴィアーナを見た。

華奢な身体に幼さの残る顔。これは自分の記憶の中にいる彼女と良く似ている。しかし、惜しげも無く肌を曝け出した衣装が、どうにも記憶の中の彼女と結びつかなかった。

(元から『フォートレス』として修業していたマディンはともかく……何でヴィアーナは『ダンサー』になんか……)

ユセムが知っているヴィアーナは、とても控えめで内気な性格の持ち主だった。

どう考えても、人目を惹きつけるのが生業となる『ダンサー』等には向いていない女の子の筈だった。

だが、現に今の彼女は惜しげも無く肌を晒した衣装を身に纏っている。そして先程の舞からも分かる通りに、かなりに修練を積んでいると見ていいだろう。

それ故なのか、ヴィアーナから発せられるオーラとでも呼ぶべきものが、自分の記憶と余りにも違っているように最初は感じられたのだ

だからこそ、彼女が自分の知っている少女だと気づくのに時間が掛かったのである。

(でも……凄く綺麗になったな、ヴィアーナ)

と、そんな事を考えていたユセムは、いつの間にかジロジロとヴィアーナを眺めてしまっていたらしい。仄かに頬を染めた彼女が、恥ずかしそうに両手で自身を抱きしめながら呟いた。

「やだ、ユセム……あんまりジロジロ見ないでよ」

「へっ? あ!……ゴ、ゴメン!」

慌ててユセムはヴィアーナから眼を逸らし、視線を明後日の方向へと向ける。

その様子を見たロレッカが、きょとんとした表情で口を開いた。

「ひょっとして、ユセムさんとヴィアーナさんって恋人同士なんですか?」

「「っ!?」」

揃って顔を茹蛸の如く真っ赤にさせ、ユセムとヴィアーナは身体を硬直させる。

そんな頭から湯気が出る音が聞こえそうな二人を余所に、マディンがケラケラと笑いつつロレッカの質問に答えた。

「違う違う。単に仲の良い親戚同士ってだけよ。ユセムのお母さんと、ヴィアーナのお母さんが姉妹なの」

彼女が説明すると、それまでずっと沈黙を保っていたルマスが笑みを零しつつ口を挟んだ。

「今のところは、ですか?」

「っ!? ル、ルマスさん!?」

「御明察! まあ、そう遠くない将来、親戚からもっと近づいた関係になるのは、まず間違いな……」

「マ、マディン!!」

顔を紅潮させたままオロオロと抗議の声を発したユセムとヴィアーナを、マディンを始めとする三人は愉快そうに眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、ユセム? あんた、この人達とギルド組んでんの?」

一頻り笑い声が続いた後、ふとマディンが真顔になってユセムに尋ねた。

「え? あ、いや、まだ、そういう訳じゃないんだ」

「まだ?」

「お二人の騒動が始まる前、私達が彼に頼んでいたのですよ。ギルドを組んでくれ、と」

ルマスがそう答え、ロレッカと共にユセムの顔を見つつ、マディンとヴィアーナに事情を説明する。

それが終わると、複雑そうな表情を浮かべたユセムが小さく頷いて、肯定の意を示した。

「へえ、そうだったんだ。ほんで、どうする気だったの?」

「ど、どうする気って……」

「もし組むんだったら、私達も入れてよ」

言い淀むユセムの言葉を待たずにマディンがそう言うと、ルマスとロレッカが揃って驚愕に眼を見開く。

勿論、ユセムも同様だった。彼は両眼を大きく見開き、同郷の少女二人の顔を交互に眺める。するとマディンもヴィアーナも、真剣な表情を浮かべていた。

「実を言うと、あんたを見つけた時は凄くラッキーだと思ったの。やっぱり、こういうのって気心の知れた相手が居た方が色々と楽じゃん?」

「うん、私もそう思うの。やっぱり、その……ユセムがいた方が良いし。それに、さっきの出来事で、変な人から声かけられたりするのも、ちょっと……」

「ああ、それは言えてますね。お二人を変な見ている男の人とか結構いましたし」

「でしょう、ロレッカ! ほら、ユセム。お願いだから入れて頂戴よ。人数的にも役割的にも丁度良いじゃない。

きっかり五人。前衛が私とあんた、それにヴィアーナの三人で、後衛がロレッカとルマスさんの二人とバランス取れてるし」

「おや? ヴィアーナさんは私達と同じく、後衛の方がよろしいのでは?」

「い、いえルマスさん。私は一応『剣の舞』が十八番でして……弓は不得手ですから、前衛の方が良いんです」

「でも大丈夫なんですか? 『ダンサー』って文字通り踊らなければいけないから、鎧とか着ちゃダメなんでしょう?」

「その為の私、『フォートレス』がいるんじゃない! ヴィアーナはしっかり守ってみせるわ。……あ、ついでにあんたもね、ユセム」

「つ、ついでって何だよ、ついでって! それにヴィアーナを守るのは、僕の役目……っ!?」

「ユ、ユセム!!」

弾みで恥ずかしい事を口走ってしまったユセムは、またしても茹蛸状態になり、ヴィアーナもまた同じ様になって俯く。

そんな二人を見てマディンがからかわない訳が無く、彼女が大袈裟に手で顔を仰ぎながら口を開いた。

「あ〜あ〜暑い暑い。今日は妙に鎧が堪えるわ〜〜」

「っ……マ、マディン……!」

「でもまあ、良いんじゃない? そうしてくれた方が私も楽だし。よし! じゃあ役割分担も決まった所で、早速ギルド登録に……」

「ま、待ってよマディン! まだギルド名も決めてないのに、そんな先走ったら…………!」

ふと彼は、いつの間にかこの五人でギルドを組むのが決定の流れになっており、自分もその流れに乗ってしまっている事に気づいた。

――――確か自分は、ギルドを組む事に抵抗が有ったのではなかったか?

その事を思い出し、自分でも分からない内に気持ちの変化が訪れていたのに、ユセムは戸惑う。しかし、それも束の間。すぐに彼は誰にも聞こえないくらい小さな声で「まあ、良いか」と呟いた。

結局の所、この流れにのってしまっている事こそが、自分の本当の気持ちなのだろう。

このメンバーなら大丈夫、きっと上手くやっていける。そう感じているからこそ、躊躇いが消えたのだ。

ならば深く考えず、この流れに身を任せよう。そう思ったユセムは、不意に言葉を切った事に怪訝な表情を浮かべているマディンにこう言った。

「っ、先走ったらダメだよ。まずはちゃんと、挨拶と意思表明からしないと」

「! ユセム君、では……」

息を呑んだルマスに、ユセムは大きく頷いて見せた。

「ルマスさん。朝食の時の言葉、撤回します。そして、僕からもお願いします。一緒にギルドを組みましょう。此処に居る、皆で」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――翌日。

冒険者ギルドによって、タルシスにまた一つのギルドが誕生した。

そのギルドは後に、数々の樹海を制覇し、遥か遠くに聳え立つ世界樹の謎を解き明かす事になるのだが……それはまた別の物語である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あとがき

 

前々から、書きたい書きたいと思っていた『世界樹の迷宮4』のマイギルドの出会いとギルド結成のお話です。

もっとコンパクトに纏める予定だったのに、各キャラの特徴とかを書いていたら随分と長くなってしまいました。

また機会が有れば、このギルドの後のお話も書こうと思っています。では。

 

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