〜月に誘われ流れる歌〜

 

 

 

「まだ帰ってない?」

「はい。数時間前にお出掛けになられたまま……」

「……そう、か」

不安そうな表情のルネから視線を外し、ユリスは窓の外を見やる。遥か遠くが僅かに茜色ではあるものの、殆ど日が落ちているも同然の時刻だ。

普段の『彼女』なら、とうに帰宅している筈の時刻。ルネが心配するのは、無理も無い事である。

それはユリスもまた同様であったが、彼はそれを表に出さずそれとなくルネに尋ねた。

「公園にって出かけたんだろ?何か変わった事とか無かった?」

「いえ、何も……あっ、そう言えば少し妙でしたね。いつもの愛用の剣を持たずに出掛けられましたから」

「えっ?じゃあ、剣の修行に行ったって訳でもないのか。なら、何が目的で……?」

考えを巡らせてみるものの、思い当たる節は無い。

そもそも『彼女』が外出する目的と言ったら、剣の修行か買い食いかのほぼ二択しかないのだ。

しかし前者は先程のルネの言葉から当て嵌まらず、後者も既に店が閉まっている時刻である事から該当しない。

「見当がつかないな……まあいいや。ルネ、ボクちょっと行ってくるよ。だから悪いけど、ポークに夕食の準備しといてって伝言頼むよ」

「かしこまりました。メニューのご希望は?」

「任せる。それじゃね!」

口早にそう言ったユリスは、メンテナンスショップでの仕事道具をその場に置いて玄関を開け、瞬く間に薄暗い景色の中に消えていく。

その様子から彼の内心を悟ったルネは、僅かに口角を吊り上げるとポツリと呟いた。

「フフ……どんなに外見を取り繕っていても、あんな調子じゃ明らかなんですがね」

自分以上に『彼女』が心配で堪らない主を愛しく思いつつ、ルネはユリスが置いていった道具を拾い上げる。

「さて、と……お二人が帰ってくるまでに、色々としておかなければなりませんね」

そう独りごちた彼女は、とりあえず彼に言われた通りにポークの元へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

ユリスの邸宅から公園までは、然程の距離は無い。

ゆっくりと歩いても十分程度、急いで走ればそれこそ五分と掛からずに到着する距離だ。

しかし、それ程までに短い間にも、夜の闇は確実に空を侵食しつつある。

そんな景色を眼にすると、どうしても不安が胸を過ぎるのを彼は否定できなかった。

(こんな時間まで帰ってこないなんて、今まで無かったよな……)

その事実が尚の事、ユリスに焦燥感を抱かせる。気がつけば彼は、必要のないくらいに全速力で道を駆けていた。

教会の前を通り過ぎ、人家が無くなった並木道を進むと、大きな池が視界に映る。釣りスポットとして、ユリスもよく訪れる公園の池だ。

ようやく目的地に着いた彼は、僅かに荒くなった息を落ち着かせながら周囲を見渡す。

この辺りで唯一の建物であるダック医院の灯りと公園灯が、遂に漆黒となった世界で朧気な光を放っている。

人通りもなく風さえも吹かず、完全なる無音となっている空間の中で、ユリスはふと己がこの闇に溶け込んでしまいそうな感覚に襲われた。

「っと……静か過ぎるってのも、無気味な物だな」

妙な気持ちを抱いた自分に苦笑しつつ、彼はここにいる筈の『彼女』を捜し始める。

「とりあえず、池の周りを回ってみるかな。…………ん?」

足を動かそうとした瞬間、微かではあるが『何か』が聞こえ、ユリスは怪訝そうに眉を顰めた。

(……これは……?)

その正体を確かめるべく、彼の足は自然と『何か』が聞こえる方向へと歩を進める。

丁度ダック医院の池を挟んだ反対側の、小さな桟橋から聞こえてきている様だ。そこまで分かった時、ユリスは同時に『何か』の正体も掴んでいた。

「…………歌?」

――――そう、それは歌だった。

かなり小さな声で歌っているらしく、歌詞はまだ聞き取る事が出来ない。しかし、一体誰が歌っているのかは、もう彼には分かっていた。

――――聞き間違える事等ありえない、自分にとって最も愛しい存在である『彼女』。

それを認識した瞬間にユリスの全神経は、未だ完全には聞こえない『彼女』の歌を聴く為の耳と、『彼女』の元へと向かう為の足に集中していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……綺麗な歌だな)

桟橋の近づくにつれ、徐々にハッキリと聞こえてくる『彼女』の歌。その歌詞が完全に聞こえる様になる頃、ユリスは『彼女』の姿を捉えていた。

「……貴方が照らすのは……昨夜?……それとも今夜?」

どうやら顔を俯かせ、水面を見つめながら歌っている様だ。着実に近づいているこちらに、『彼女』はまるで気づく素振りを見せない。

表情までは見えなかったが、闇夜の中で一人佇み歌う『彼女』は、妙に大人びていて儚げな雰囲気を醸し出している。

……と、不意にそんな感想を抱いた自分に気づいたユリスは、急に恥ずかしさを覚えて僅かに顔を赤らめた。

(っ……何を考えてるんだ?ボクは……)

そんな彼の様子を知る由も無い『彼女』は、相変わらず歌を口ずさんでいる。その歌に導かれるかの様に、ユリスは『彼女』へと近づいていった。

そして桟橋に足を踏み入れ、『彼女』の真後ろに辿り着いた時、偶然にも『彼女』の歌は終わりを迎えた。

「黒から青に変わる空の中……輝きを隠し……静かに佇む貴方は……満月……」

「……それ、何て歌?」

「っ!?」

彼が背中越しに声を掛けると、予想通り『彼女』はビクリと身体を強張らせてこちらに振り返った。

「ユ、ユリス!?どど、どうして此処……きゃあっ!!」

「危ない!」

動揺でバランスを崩し、あわや桟橋から池に転落しかけた『彼女』の手を、ユリスは慌てて掴む。

そのまま強く自らの方向に引き寄せた彼は、呆れた様な笑みと共に溜息を漏らした。

「ふう……何から何までお約束な反応だね、モニカ」

「うっ、わ、悪かったわね!!っていうか、何でユリスがここにいるのよ!?」

「何でって、君が遅くなってるのに帰って来ないから捜しに来たんだよ。まさか歌ってて、日が落ちているのに気づかなかったとは思わなかったけど」

「っ……!」

ユリスがそう言いながらモニカをその場に立たせると、彼女は恥ずかしそうに彼から顔を逸らす。

「…………聞いてた?」

公園灯の明るさしかない中でもハッキリと分かるくらいに紅潮した顔で、モニカは消え入る様な声を出す。

そんな彼女を少々不謹慎ではあるが可愛いと感じつつ、ユリスは笑顔で頷いた。

「うん。モニカ、歌上手だったんだね。知らなかったよ」

「……お世辞はやめてよ」

「お世辞なんて言わないさ。正直な感想だよ……綺麗な歌だった」

「……ありがとう」

照れ隠しなのかぶっきらぼうに礼を言うと、彼女は再び彼に背を向け、水面に浮かんだ月を見つめる。

「この歌ね……昔、母上によく歌ってもらったの。もう一番の歌詞しか覚えてないし、歌う事も無かったんだけど……」

そこまで言うと、モニカは夜空を見上げる。水に映る虚像の月ではなく、本物の満月がそこにあった。

「何でかな?……急に思い出しちゃって……」

「……そっか」

徐に彼女の横に立ち、同じ様に月を眺めながら、ユリスは呟く。今はそれが、最良の選択だと思えたからだ。

人はどれだけ強くなろうとも、どれだけ時間が経過しようとも、失った物への未練は捨てられない。ましてや、それが血の繋がった存在ならば尚更だ。

自分にも痛い程分かる、心の痛み。モニカが何も言わなくともそれを感じ取った彼は、ふと彼女に声を掛けた。

「あのさ、モニカ?」

「ん?……何?」

「その歌って、曲名は何て言うの?」

「曲名?ああ、確か……『昼夜の月』だった様な……ゴメン、うろ覚えだわ」

「へえ、そうなんだ……あのさ、せっかくだし最初から歌ってくれない?是非聞いてみたいんだけど?」

「はあっ!?な、なんでよ!?だ、第一早く帰らないと……」

「一回歌うぐらい、別にどうって事ないさ。……それに……」

不意に言葉を切ったユリスは、一瞬夜空を見上げた後、モニカに穏やかな笑みを向けて口を開いた。

「きっと、王妃様にも届くと思うよ?……モニカの歌声が」

「っ……バカ!……途中で笑ったら、池に突き落とすわよ!!」

苦々しい表情でそう叫んだ彼女であったが、すぐに眼を閉じると大きく深呼吸する。

そして無音の世界に澄渡るような、美しく涼やかな声で歌い始めた。

――――――木々に光る雫は、貴方の涙。晴れた朝の冷気は、貴方の悲しみ。

      だけど涙は、真昼に消える。同じく悲しみは、真昼に暖められる。

黒から青に変わる空の中、輝きを隠し静かに佇む貴方の為に。

闇に包まれ独り輝く貴方が照らすのは、昨夜?それとも今夜?

昨夜ならば、眠りゆく者へ柔らかな癒しを。今夜ならば、目覚める者へ強き活力を。

      青から黒に変わる世界に、儚き光を纏いて浮かぶ貴方は満月。

「……届いたかしら?」

歌い終えたモニカが、誰ともなしにそう呟く。それに対して、ユリスは真摯な表情で言った。

「ああ…………きっと届いたよ」

 

 

 

――――刹那、二人の遥か上空にある月が僅かに輝きを増したのは……幻か?それとも…………。

 

 

 

 

 

 


あとがき

 

という事で四周年記念にフリー配布していたSSでした。

単にモニカに歌を歌わせてみたかっという事で思いついた話です。

フリー配布の時にはタイトルがなかったんですが、せっかくなので今回つけてみました。

捻りも何もないタイトルですけどね(苦笑)、では。

 

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