時の砂〜the future

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――ゼルマイト鉱山洞・鉱員達の休憩所。

「ふう、着いた着いた」

ユリスはトロッコから飛び降りると、額に滲んでいた汗を拭いながら渡された報告書を取り出す。そうしながら軽く溜息をつき、苦笑した。

「それにしても此処は問題が頻発するな。休憩所が聞いて呆れるよ」

ゼルマイト鉱山洞の開発指揮を執る様になって何年も経つが、問題の尽きない鉱山内部でも此処『鉱員達の休憩所』のトラブル発生率は群を抜いている。

モンスターが侵入して居住地にしてしまったり、有害なガスが発生して大騒ぎになったり等、とにかく数えて行ったらキリが無い。

それでも開発に重要な場所であるが故、閉鎖させる訳にもいかないのが現状なのだが、如何せんこうも問題ばかりでは流石に何とかしなければならないだろう。

ユリスが最近そんな事を考えていた矢先に、今回の騒ぎである。苦笑するなと言う方が無理だった。

「さてさて、今回の問題はっと……全くニード町長ってば、説明もせずに押し付けるんだもんな。いつもの事だけど」

愚痴を零しながらも、ユリスは報告書を読んでいく。しかし、最初は呆れた表情であった彼の顔は、次第に深刻な物へと変わっていった。

それもその筈で報告書に書かれていた事は、にわかに信じがたい話だったのである。

「……物が突然消えてしまう……?」

思わずユリスは呟き、首を傾げる。報告書の内容はこうだ。

何でも近頃、休憩所に置いてあった鉱員達の所有物が、突如として消えてしまう現象が多発しているのだと言う。

消えてしまう所有物に共通点は無く、食糧だったり工具だったり、果てはゴミ同然の物まで様々。また消えてしまうのも一瞬で、気づいた時には何処を探しても見当たらない。

モンスターの仕業か、あるいは別の何かか。とにかく気味が悪く鉱員達も不安がっているので、原因を突き止めて欲しい……との事だった。

(どういう事だ……?)

読み終えた報告書から顔を上げ、ユリスは何気なく周囲を見渡した。

しかし何処を見ても、特に妙な所は見当たらない。モンスターの気配も無いし、ましてやかつて見た『時空のひずみ』の様な物も無い。

――――こんな場所で、一体どうやって物が消える等といった怪奇現象が起こるのだろう?

「だけど流石に出鱈目って訳でも無いだろうしなあ」

ユリスは独り言を呟きながら、一応数回に渡って休憩所内を周り、丁寧に調べていく。

だが結果は同じだった。完全に肩透かしを食らった彼は、やや乱雑に頭を掻きつつ脳を回転させる。

(う〜ん……分からないな。とりあえず、異常無しって報告に戻るか? でも、それで町長が納得してくれるとは思えないし……)

考えが纏まらず、彼は少々苛立った様子で愛用の『スーパーノヴァ』のトリガーに指を入れ、クルクルと回し始める。

すると途端、懐かしい声が脳裏に響いた。

――ちょっとユリス! 危ないでしょ、そんな事したら!

「……っ……」

尚更苛立ちが募り、ユリスは偶然眼に入った岩石を『スーパーノヴァ』で撃ち抜く。

派手な音と共に岩石が砕け、パラパラと砂が舞い散るのを眺めながら、彼は大きく息を吐いた。

「はあっ、ボクも未練がましいな。もう別れて、何年も経つってのに……ん?」

ふと妙な事に気づき、ユリスは今し方破壊した岩石の場所へと駆け寄る。そして身を屈めて破片である砂を手に取ると、訝しそうに眼を細めた。

「この砂……何か変だな。普通の砂じゃない」

掌に薄く敷いたその砂を、ユリスはそっと指でなぞってみる。不思議な感触だった。とても柔らかいのに、鋭い硬さが有る様に感じる。

地質学は専門じゃない彼だが、それでもこの砂が異質な物である事ぐらいは分かった。

ユリスは何気なく、砂を掌からもう片方の掌へと流し落としてみる。サラサラと淀みなく流れ落ちるその様を、彼は美しく思った。

「へえ……砂時計に使える砂だな」

あの冒険以来、自然とユリスは『時』に関係する物に関心を示す様になっていた。

自分の足元の地面に散らばる砂を眺めながら、彼はこれを持ち帰ろうかと思案する。

「材料さえ有れば、作るのは難しくないよな。一つ有ったら便利だろうし……って、うわっ!?」

――――ユリスがそう呟きながら、立ち上がろうとした時だった。

軽く動かした足が地面の小さな窪みに取られ、彼はバランスを崩して仰向けに倒れ込む。

その際に持っていた砂を手放してしまい、無数の粒子は一瞬宙を舞った後、倒れている彼へと降り注いだ。

刹那、それらはまるで夜空に輝く星々の様に煌めきだす。しかし、その事についてユリスが疑問を抱くよりも早く、彼の意識は遠のいていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不意に背中の辺りでドンッという音がし、一拍置いて鈍い痛みが広がっていく。

それらで意識を取り戻したユリスは、小さく呻きながら身を起こした。

「てて……何が起こったん……!?」

背中を摩りつつ眼を開けた彼だったが、飛び込んできた光景に思わず絶句してしまう。

――――彼が今居る場所は、ゼルマイト鉱山洞ではなかった。

頭上には、真っ青な空と燦々と輝く太陽。地上には煉瓦の建物が立ち並んでいる。

明らかにパームブリンクスでは……更に言えば、自分が知るどの街でもない街の小路に、今ユリスは居た。

(ここは?……ボクは一体……?)

状況が理解できず、ユリスはとりあえず表に出てみる。

通りには何人もの人々が行き来していたが、誰一人として知り合いの姿は無い。暫し周囲を見渡すと案内板らしき物を見つけたが、見た事の無い文字で書かれていた為、読む事は出来なかった。

「やっぱり、知らない街みたいだな。だけど、こんな発展した街が出来てたなら、絶対報告は受けてる筈だし……いや、それ以前に、ゼルマイト鉱山洞に居た筈のボクが、どうして……」

そんな独り言を漏らしながら、ユリスが何気なく視線を動かしたが、次の瞬間またしても言葉を失う。

視線の先に、天へと聳え立つ巨大な城――彼のいる世界では、確実に存在しない建築物が有ったからだ。

(な、何だよ、あれ? あんなのが有るなんて、此処は一体……っ!?)

混乱したユリスだったが、城から連想した一人の人物、そして先程のゼルマイト鉱山洞での事を思い出し、頭の中で一つの仮説を立てる。

しかし、それは余りにも非現実的……かつ都合の良い解釈に思われ、彼は軽く頭を振った。

(まさかね。確かに一応の辻褄は合うけど……あれに使われていた砂が、あの鉱山洞で取れる物だったなんて……第一そうだったのなら、また物は同じ場所に戻ってる筈だし……)

「ねえねえ。あんた、あれについて、どう思う?」

「あれ?……ああ、モニカ様の結婚について? そんなの辛いに決まってるじゃないの」

(っ!?)

心臓が口から飛び出す感覚に襲われ、ユリスは咄嗟に両手で口を押さえた。そして声のした方に振り返ると、主婦らしき中年の女性が二人、深刻そうな表情で話し合っている。

その会話は決して大きい声でされている物ではなかったが、耳が利く彼はハッキリと聞き取る事が出来た。

「そうそう。やっぱりあれって、政略結婚って奴かねえ……話が急過ぎるもの」

「どうも、そうらしいよ。いやね、あたしの娘がお城に勤めてるんだけど……婚約なされてからモニカ様、日に日に塞ぎがちになられてるらしいの。食事の方も、あまり取られてないとかで……」

「まあ、本当に? でもまあ、無理もないかね。……今回の縁談、向こうから持ちかけられたんだろ? それでモニカ様、相手の熱意に心を打たれたとかで了承したって……」

彼女達は会話に全神経を集中させていて、少し離れた場所で食い入る様に自分達を見ているユリスには全く気付いていない。

またユリスの方も、彼女達には関心を示さなかった。彼は唯々、彼女達の口から語られる、耳を塞ぎたくなる……されど聞かずにはいられないモニカの話を盗み聞きし続ける。

「ええ、そんな話だったわ。何でも復興資金を全面的に援助するとかで、この国の事を凄く大切に考えてくれたって」

「ふんふん。それで?」

「モニカ様の婚約は、今後お互いがより一層親密になっていく為の物だとか……表面上はそんな美談だけど、本当の所はどうだったのかねえ」

「やっぱり、目当てはモニカ様って事かい?」

「だと思うよ、私は。大体あの国ってこの国は勿論、他国に対して高圧的な態度ばっかりとってた国だよ? それが突然、あんな事を言ってくると思うかい?」

「ああ。確かにねえ」 

「それに相手の王子……好色家で有名じゃないか。ありゃ絶対、この国が復興途中で立場が弱いのを利用したんだと、私は見るね」

「そうだよねえ……ああ、おいたわしやモニカ様。先の動乱でお父上を失い、まだお若いのに重大な責任を負って、身も心も一杯一杯だってのに」

「本当だよ。だけど、私達じゃ何もしてあげられないものねえ……神様も酷いよ、全く。何だって、モニカ様が……」

そんな風に喋りつづけながら、二人の女性は徐々にその場から離れていく。ユリスはその様子を、ネジの切れた機械人形の様に微動だにせず見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……っ……っ……!)

ユリスは激しくなってきた動悸を懸命に抑えながら壁に身を預け、グラグラと揺れる頭を無理やり働かせて状況を整理する。

まず、此処が自分の時代の未来――モニカのいる時代だという事はほぼ間違いない。また彼女達の話からして、恐らく自分がモニカと冒険した時から数年が経っている事も理解できた。

となれば、先程立てた仮説の信憑性も、随分と増した事になる。ふとユリスは自分の髪に手を入れ、乱雑に掻き毟る。すると予想通り、ザラザラとした感触と共に砂が零れ落ちた。

(やっぱり、あれはあの……でも……って、今はそんな事はいい! モニカが……結婚……)

その事実を、彼はどうしても冷静に受け止められなかった。とうに諦めた……いや諦めたと暗示を掛け続けてきた想いが、瘡蓋の取れた傷から出る血の様に溢れ出してくる。

元より、叶う筈の無い想いだと分かっていた。例え、互いに想いあっていたとしても。だから、モニカが自分では無い他の誰かと結ばれるという事も理解していた。

だが、こんな形でそれに直面する事になるとは思ってもみなかった。しかも話の限りでは、モニカ自身も望んでいないものである可能性が高い。

彼女が王女である以上、それもまた仕方の無い事なのだと、頭では考える事も出来た。――だけど……だけど!

(こんなの……こんなの、あんまりじゃないか!!)

やり場の無い感情が爆発し、ユリスは苛立たしく拳を壁に叩きつける。しかし、その痛みすら小さく感じられる程、彼の胸を抉る傷は深かった。

――――確かめなくてはならない。話が本当なのか……そして、彼女の気持ちも。

遥か遠くに見える城を睨みつけながら、ユリスはそう決意する。そして暫くすると、彼は俊敏な動きで城へと駆け出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何やってるんだろう……ボクは……?」

細長い廊下に有った彫刻の後ろに身を潜めながら、ユリスは自身の後先考えない行動を疑問に思う。

あれからすぐに城へと辿り着いた彼は、厳重な警備の合間を掻い潜って、ここまでやってきた。途中、何人かの兵士に見つかってしまったが、『グレードゼロ』で気絶させて難を逃れてきた。

けれども、未だモニカが居る場所が何処なのか……そもそも、此処に居るのかさえ分からない。焦りが不注意を呼び、不注意が兵士の眼に留まり、その兵士を強行突破する……その繰り返しだった。

疑い様も無く、これは不法侵入以外の何物でもない。見つかれば牢屋行き……最悪の場合、処刑すら考えられる行為だった。

――何故そんな危険を冒してまで、ボクはこんな事をしているのか……? これ程までにボクを突き動かす、この気持ちは一体……?

(っ……この期に及んで、ボクはまだ何を……! そんなの、分かりきっている事じゃないか……っ!?)

激しく揺らぐ自分の心を持て余していたユリスだったが、不意に微かな足音が聞こえてくる。同時に何やら話し声も聞こえてきたのに、彼は反射的に身を強張らせると、より注意深く身を隠した。

やがて足音と話し声は徐々に近づき、ハッキリとユリスの耳に入ってくる。どうやら、二人の女性が歩きながら会話している様だ。

「そうですか……今日も、変わりないのですね」

「はい。最低限は召し上がって頂ける様になりましたが……それ以上は全く。その食事も、無理やり胃に流し込んでいるといった感じで……」

「……体調の方は?」

「検査では、特に異常は見つかっておりません。ですが……どう見ても、日に日にやつれていかれてるのが……」

「でしょうね。化粧で誤魔化してますが、隈も最近ずっと有りますし。……もう……あの娘は本当に……」

溜息と共に、少し疲れた感じの声が止まり、同時に足音も止まる。直後、もう一つの少し甲高い声が辛そうに呟いた。

「王妃様……」

(えっ?)

その声に、ユリスは思わず身を乗り出して声の主達を窺った。

すると、気品のあるドレスを身に纏い、厳かな雰囲気を漂わせる壮年の女性と、自分と同じくらいの侍女らしき少女が眼に入る。

ユリスはそんな二人の内、王妃と呼ばれた壮年の女性の方に注意を向ける。端正な顔立ちのその女性には、彼が良く知る少女の面影が有った。

(あれが……モニカのお母さんか。成程、確かに良く似てるや)

いつの間にかユリスは、自分が身を潜めていた事も忘れて王妃――モニカの母親を凝視する。

一方彼女とその侍女は、深刻そうに話している為か、彼の事に気づかずに会話を続けた。

「確かにこの国の復興は、一日と早く成さねばならぬ課題。だけど、あの娘の人生を台無しにしてまで……しかも、本当に復興に繋がるかも不確実な契約を交わしてまでの事なのでしょうか?」

「っ、王妃様! それは……」

「……国を担う者の発言ではない?」

「あ、は、はい……で、ですが、私個人としては……王妃様と、同じ考えです」

「…………ありがとう」

微かに笑みを浮かべながらそう言うと、モニカの母親は悲しそうに眼を伏せる。その姿が余りにも痛々しく、ユリスは無意識に胸元のシャツを握りしめた。

(あの小母さん達の話は、本当だったんだ。やっぱりモニカは、国の為に望んでもいない相手と……っ!)

またしても感情が膨れ上がり、彼は反射的に全身に力を込める。するとそれが災いとなって、隠れていた彫刻がグラリと揺れる。

瞬間、ユリスはハッとして彫刻に手を伸ばすが既に遅し。彫刻は重力の法則に従って傾いていき、やがて派手な音と共に床へと倒れた。

「きゃあっ!!」

「っ、何者!?」

悲鳴を上げた少女を庇いながら、モニカの母親が険しい表情でユリスに振り向く。それに対して彼は、逃げる事も隠れる事も出来ず、その場に立ち尽くす事しかなかった。

「?……っ、貴方……?」

「う、あ……あの……ボ、ボクは……」

「王妃様! 大変です! 何者かが城に侵入した様で、兵士が何人か襲われ……む!」

こちらの顔を見て首を傾げた王妃にユリスが口籠りながら事情を説明しようとした時、一人の兵士が慌てた様子で王妃に駆け寄ってくる。

しかし、その兵士はユリスの姿に気づいた途端、鉄兜越しにでも分かる鋭い眼光を放ちながら彼に詰め寄った。

「貴様、何者だ!?……ん? 何だ、そのレンチは?」

「っ!……あ、こ、これは……その……」

「そうか、貴様だな侵入者は! そのレンチで兵士達を……! 不届き者め、牢屋に叩き込んでやる! さあ、来い!!」

「うわっ!?」

乱暴に腕を掴まれ、ユリスは思わず悲鳴を上げる。普段だったら躊躇いなく抵抗する所だが、実際に兵士の言う通りである為、どうしてもそんな気にはなれない。

頭も未だ混乱しているし、牢屋で冷静になるのも良いのではという考えも浮かび、彼は無言で兵士に連行されようとした。

だが、その直後、モニカの母親の鋭い声が辺りに響き渡る。

「お待ちなさい!」

(……?)

「!? お、王妃様?」

呼び止められ、兵士は驚いた様子でモニカの母親に尋ねる。そんな彼に、彼女は威厳めいた口調で言った。

「襲われた兵士達の容態は?」

「え? あ、はい! 気絶してはいますが、全員命に別状は……」

「そうですか…………では、手当の為に彼女を連れていってあげて下さい。この者の処罰は、私が行いますから」

「なっ!? お、王妃様! 一体、何を……!!」

兵士が慌てた感じで声を荒げ、抗議の意を示す。しかしモニカの母親は、それを頑として拒否する様な鋭い眼をしながら口を開いた。

「私の命が聞けないと?」

「め、滅相もありません! り、了解しました! お、おい、こっちだ!」

「は、はい!」

恐れをなした兵士が少女を連れ、足早に去っていく。その後ろ姿を呆然と見送ったユリスだったが、やがて我に返るとモニカの母親に振り返った。

「あ、あの……ごめんなさい! ボ、ボク……」

「顔を上げなさい」

「え?……あ、は、はい!」

とにかくまずは謝罪をすべきと頭を下げたユリスだったが、モニカの母親に促されて彼女を見やる。

するとモニカの母親は酷く悲しそうな表情をしつつ、そっと片手を伸ばしてきた。その手はユリスの髪へと辿り着き、軽く動かすとパラパラと砂が零れ落ちる。

その砂が、微かに輝きを放っているのを確認した彼女は、徐に口を開いた。

「やはり、時の砂ですか……百年前からこの世に存在していたとのデータが有りましたら、よもやとは思いましたが……」

「時の砂? やっぱりそれって、『星の砂時計』に使う……?」

「ええ。そのままの使用では過去だけじゃなく未来にも移動できるのです。尤も、極めて不安定で短時間な移動で、元の時代に戻れない事も多々起こるが故、実用化はされていません」

「へえ……」

思わず気の抜けた声を漏らしたユリスだったが、そんな彼にモニカの母親は微笑を向ける。

「貴方がこの時代に来れた事は、全くの偶然……いえ、やはり運命と呼ぶべきですかね。ユリス君」

「!! ボクを知って……?」

名前を呼ばれたユリスは、驚愕の表情を浮かべながら尋ねる。するとモニカの母親は、彼の髪に絡めた手を動かし続けながら小さく頷いた。

「モニカから良く聞いてますよ。それよりもユリス君……良く聞いてください」

「はい?」

「この通路を真っ直ぐ行き、突き当りを左に進んだ四つ目の部屋……そこが貴方の探している部屋です」

「えっ?……そ、それって……」

「何も尋ねないで。貴方に残っている『時の砂』が輝き出している事から考えて、貴方はちゃんと元の時代に戻れるでしょう」

そこで一旦言葉を切ったモニカの母親は、何かに耐える様に俯き、すぐにまたユリスの顔を見る。

「この時代に留まっていられる時間は、恐らくは残り数分程度。そして『時の砂』の効力は、それを浴びた人間と繋がっている人間にも及ぶ……私が言えるのは、これだけです」

言い終えると、モニカの母親はユリスの両肩に手を置き、そのまま彼を反転させて先程説明した方向へと身体を向けさせた。

「うわっ! あ、あの……?」

「もう時間は無いですよ。そしてもう二度と、こんな機会は巡ってこないでしょう。……これが最後のチャンスですよ、ユリス君」

「…………」

モニカの母親が暗に示している事を察し、ユリスは背中越しに彼女へと振り返る。そして、動揺の為か上手く呂律の回らない口で、モニカの母親に尋ねた。

「で、でも、そんな……そんな……だって、モニカは王女様で……痛っ!?」

ドンッと強く背中を押され、ユリスは数歩前へと進めながら、つんのめる。

そんな彼にモニカの母親は、「もう振り向かないでください」と前置きをしつつ言った。

「あの娘を癒せるのは世界中で……いえ、全ての時代の中で貴方だけなんです。だから……だから、どうかお願いします」

「っ!……王妃……様」

最後は殆ど涙声になっていたモニカの母親の声に、ユリスは息を呑んだ。

もう一度振り返り、心から感謝と謝罪を伝えたい衝動に駆られたが、彼は懸命にそれを堪えつつ、絞り出すような声で言う。

「本当に……ごめんなさい。それと……本当に、ありがとうございます」

いつの間にか滲み出していた涙を拭い、ユリスはそう言い残すと全速力で廊下を駆けて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(っ!?……これは……?)

突き当りに辿り着き、左へと進路を変えた直後、ユリスは不意に光の粒子が落ちてくるのを眼にする。

いや、それは正確な表現ではない。彼の髪から零れ落ちる砂――先程モニカの母親から『時の砂』と教えられた物だった。

直後、ユリスはゼルマイト鉱山洞での事を思い出す。

――――思わぬアクシデントで、この砂を全身に浴びてしまった時……その時と同じ、星々の様な輝き。

(タイムリミットが近いのか!?……くそっ!)

焦りを感じたユリスは、さらに加速して四つ目の部屋を目指す。しかし一つ目、二つ目と部屋を走り過ぎていく間にも、輝きはドンドンと強くなっていく。

――これが最後のチャンスですよ、ユリス君。

モニカの母親の言葉が、脳裏に蘇る。偶然の出来事、そして彼女の気遣いから生まれた、もう二度と無い機会。――決して無駄には出来ない……いや、したくない!

「はあっ……はあっ……っ! 此処か!」

やっとの思いで四つ目の部屋へと到着したユリスは、弾む息もそのままに躊躇い無くドアを開ける。無遠慮ではあるが仕方が無い。今の彼に、礼儀を弁えている時間は無いのだ。

「っ!? だ、誰!?……えっ!?」

窓の外を眺めていたモニカが弾かれた様でドアの方へと振り返り、ユリスの顔を見て仰天した表情を浮かべる。

上品なドレスを身に纏い、薄化粧を施している彼女は、正に王女と呼ぶべき美しさと気品を醸し出していた。

だがそれも、泣きはらした眼の赤さと隈、そして痩躯の身体が台無しにしてしまっている。そしてそれは、彼女の心の状態を察するに十分過ぎる材料だった。

「ユ、ユリス!? 嘘……な、何で君が……それに何、その光……?」

「はあっ……はあっ……『時の砂』だよ」

ユリスがそう言うと、モニカは口元に手を当てて息を呑んだ仕草を見せる。どうやら彼女も、『時の砂』の事は知っているらしい。それが分かった彼は、モニカにそっと右手を差し伸べた。

「良かった、ボクがどうして此処にいるのかは理解できるみたいだね。だったら、もう説明する事は無い……行こうモニカ。ボクの時代に」

「なっ!?……バ、バカ言わないでよ! そんな勝手……して良い訳が……」

激しく首を横に振るモニカに、ユリスは差し伸べた手はそのままに尋ねる。

「嫌なんだろ? 結婚は?」

「っ……それは……そうだけど……でも、仕方ないのよ。私は……王女……」

「モニカが好きなんだ、ボクは! あの時からずっと、君の事を想っていたんだ! そんな君が政略結婚だなんて、ボクには我慢できない!」

躊躇うモニカの言葉を遮り、ユリスは叫んだ。すると彼女はビクリと身体を振るわせ、一拍置いて叫び返す。

「な、何よ……好き勝手言わないで! 私だってユリスの事が好きよ、大好きよ! 君以外の人と結婚なんかしたくないわよ! でも……でも仕方ないでしょう!? 私と君は別の……」

「知ってるさ! だから、ボクも諦めようとした! けど、またこんな風に君と巡り会う事が出来た。これが偶然でも運命でも……神様の悪戯でも何でも構わない!」

――――そう、構わない。大切な……それを蔑にしない事なのだ。

「これが最後のチャンスなんだ! もう二度とこんな機会は無いんだ!!」

数年……しかし永遠とも感じられる月日の中で溜めこんできた想いの全てを、ユリスは吐き出す。そして、更に輝きを増した『時の砂』に眼を細めそうになりながらも、彼は言った。

「モニカ、行こう。この『時の砂』の効力は知ってるんだろ? だったら……ほら、ボクの手を取って」

「……っ!……っ!……」

両の瞳から涙を流し始めたモニカは、何度も視線を泳がせながらユリスの顔と手を交互に見やる。

だが、やがて彼女は耐えかねた様に眼を瞑って首を激しく横に振り、涙の雫を振りまきつつ口を開いた。

「出来ないよ……って言ったら?」

「そんなの決まってる」

ユリスはモニカの問いに即答する。その間にも、『時の砂』の煌めきは一層強くなっていた。

もう本当に時間が無いと悟った彼は、彼女を安心させる様な笑顔を作り、一切の迷い無く言い放つ。

「ボクが……君の手を取るまでさ」

「……っ!!」

感極まったモニカが、嗚咽を漏らしながら震える手を伸ばす。その指先がユリスの手に触れると、彼は待ちきれなかったとばかりに彼女の柔らかい手を握りしめた。

――――刹那、二人の身体は眩い光に包まれる。数秒後、その光が収まった時、そこには二人の姿は無く、床にモニカの涙で出来たシミが広がっているだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

こうして、時を越えて巡り会った二人は、同じ時を歩む事を選び、共に一つの時代に生き続ける事となった。

果たしてこれは善か悪か……それは誰にも分からない。しかし、この先の未来……数十年後、数百年後に至るまで、この物語は語られ、伝わっていく事になる。

そして、数多くの人々の琴線に触れたという。―――先のアトラミリアを巡る動乱と共に。

 

 

 

 

 

 

 


あとがき

 

L5アンソロ提出作品その1です。多分、今まで一番情熱的なユリスなんじゃないでしょうか? では。

 

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