〜絆を繋ぎし赤〜
メンテナンスショップから自宅へと戻ったユリスがリビングのドアを開けると、いつもの様にモニカの姿がそこにあった。
こちらに気づいた彼女が顔を上げて「おかえり」と微笑む。そんな彼女の手に握られている物が気になりながらも、ユリスは笑顔を作って返事をした。
「ただいま」
「今日も一日お疲れ様。紅茶でも飲む?」
「うん、貰おうかな」
ユリスがそう言うと、モニカは「了解」と言って自分の作業を中断して立ち上がった。
「御茶請けもいる? クッキーぐらいしか無いけど」
「それだけあれば十分さ。モニカも一緒に食べようよ」
「勿論、そのつもりよ。ええっと、お皿お皿っと…」
独り言を呟きつつお茶の準備をしているモニカの後姿を、ユリスは暫らく眺める。
しかし、やはり彼女がテーブルの上に置いた物が気になり、いつしか視線はそちらの方へと移っていた。
(今日も、ずっとしてたんだな)
そう考えた途端、ユリスの口から複雑な思いが込められた溜息が漏れた。
――――真っ赤な毛糸玉と二本の棒針。そして、それらから作られた肌触りの良さそうな赤い布。
形状からして、おそらくはマフラーであろう。ここ最近、モニカはずっとこれを持ち続け、編み物を続けている。
王女である故か家事全般が苦手な彼女だったが、裁縫やら服の仕立てやら、そういった事に関しては非常に得意としていた。
実際、現在モニカが着ている服も、彼女が一から仕立てたオリジナルの物だ。肩を露出させた形のフリル付きのワンピースは、彼女の紅い髪と相俟って良く映えていた。
そんな特技を持つモニカだから、編み物をしていても不思議ではない。しかし、やはり編み物とくれば、少しばかり気になってしまうのが常というものだろう。
――――誰の為の編み物なのか……という事を。
(ボクに隠してるってみたいじゃないし、やっぱり違うのかな? でも……)
モニカと恋仲になって、既にそれなりの月日が流れている。となれば、どうしたって期待してしまう気持ちは抑えられない。
けれど、直接それを訊ねるのも、なんだか恥ずかしい。そう思い、結局ユリスは無関心を装うしかなかったのだ。
「ユリス?」
「うわっ!?」
間近で聞こえたモニカの声に、ユリスは我に返る。
すると、キョンとした顔でヒラヒラと掌を振っている彼女と眼があった。
「どうしたの? なんかボンヤリして」
「べ、別に……そ、それより、準備出来たの?」
「そんなの見てれば分かるでしょ? なに? 君ってば立ったまま寝てたの?」
「は、はは……」
至極当然なモニカの言葉に、乾いた笑いを返すのが精一杯だったユリスは、己の失態に内心で苦笑するしかなかった。
それから数日が経った、ある日。
ユリスはメンテナンスショップを閉めると、急ぎ足でダック医院へと向かった。理由は、ダック特製の薬を貰うためである。
最近、妙に寒い日が続いたのが原因か、モニカを始めとする同居人の大半が風邪を拗らせてしまったのだ。
特にモニカはかなりの高熱を伴う風邪で、ここ暫くずっと苦しそうにしている。その事をダックに話したら、良い薬を作ってくれると言ってくれたのだ。
そして今日は、その薬が完成する予定の日、少しでも早くそれを頂戴してモニカに飲ませてあげたいと思うと、自然とユリスの足も速くなるのである。
(モニカって結構、風邪とかひくんだよな。ボクよりも体力ありそうなのに……割とデリケートなんだよね)
本人が聞いたら頬を膨らませそうな事を考えていると、ユリスはダック医院へと到着した。
彼は予定通り薬をダックから貰うと、大急ぎで自宅へと戻る。弾んだ息を整えながら玄関に入ると、マスクをして小さな咳を繰り返しているルネが出迎えた。
「あ、お帰りなさいませ、坊……ゴホ」
「ただいま、ルネ。どう、風邪の具合は?」
「ゴホ……ええ、もう熱も下がりましたし、喉も痛くありません。ただ、どうにも咳が……ゴホゴホ!」
「ああ、うん、分かったから、無理に喋らなくてもいいよ。ところで、モニカは?」
ユリスが訊ねると、ルネが一瞬表情を強張らせる。だが、それも束の間、静かに眼を伏せると小さく首を横に振った。
「あまり良くありません。相変わらず熱が高いままですし、少しも安静になさってくださらないんですから」
「安静にしてくれない? どういうこと?」
「っ……私からは、何も申し上げれません。と言うよりも、私には分からないんです。モニカさんが、何故あんな……ゴホ」
「ゴ、ゴメン、ルネ。喋らなくていいって言っといて、色々訊いちゃって。詳しい事はモニカに直接会って確かめてくるよ」
「はい、それが良いと思い…ゴホッゴホッ!」
途端、ルネは身体を曲げて大きな咳をする。
かなり辛そうなのが見て取れたユリスは、数回彼女の背中を摩ってあげ、彼女の咳が止まるとモニカの部屋へと向かった。
「モニカ、入るよ。ダック先生から、薬を貰ってきた」
軽いノックと共にそう言うと、ユリスは返事を待たずして彼女の部屋のドアを開けた。
少々不躾だとは思ったが、相手は病人なのだし、返事を期待するのも変だろう。勿論、ルネの言葉を聞いて、モニカの様子が気になり、気持ちが逸っていたのも理由の一つだった。
「!? ちょ……モニカ!?」
部屋の中の光景を見た瞬間、ユリスは驚きのあまり眼を見開き、叫ぶ。
なぜなら、ベッドで横になっているとばかり思っていたモニカが、部屋の中央にある簡易テーブルの前で編み物をしていたからだ。
その表情には熱による赤みが浮かんでいる。息苦しいのか口は半開きで、僅かにだが肩を動かして呼吸している。
更に、先程ユリスが叫んだのにもかかわらず反応が無いところからして、どうやら意識もハッキリしていないようだ。よく見ると、眼も虚ろである。
誰がどう見ても、重症なのが一発で分かる様子である。慌てたユリスはモニカに近づくと、彼女の肩に手を掛けながら言った。
「モニカ! 何やってるんだよ!?」
「……ユリス?」
ようやく気付いたらしいモニカが、焦点の定まっていない眼を向ける。声も掠れ掠れで、風邪は少しも治っていないようだ。
そんな彼女に怒鳴っても仕方がないと思ったユリスは、なるべく平静な声になるよう努めながら口を開く。
「ダメじゃないか。君はまだ風邪をひいてるんだから。編み物なんかしてないで、安静にしておかないと」
「……ダメ」
「ダメ? ダメってどういうこと?」
「……間に合わないのよ」
「間に合わないって、何が?」
モニカの言っている事が分からず、ユリスが訊ねると、彼女は徐に持っていた編み物を持ち上げる。
「これ」
「これって……編み物? これが間に合わないって、何に?」
「言わなきゃダメ?」
急に悲しそうな表情になったモニカが、首を傾げながらそう言う。紅潮した顔と、トロンとした眼も相まって、そんな彼女は妙に色っぽく見えた。
それに対して思わず胸が高鳴ったユリスだったが、軽く首を振って気持ちを落ち着けると、頷きながら「うん」と言う。
「言ったら、納得してくれる?」
「っ……内容によるね」
正直どんな理由を聞いたとしても、モニカがこんな無理をしているのを見逃せる筈がないのだが、そうハッキリ言ってしまうと、彼女はきっと話してくれないだろう。
だからユリスは、慎重に言葉を選んで、モニカの質問に答えた。すると彼女は、何度か小さな嘆息と共に眼を瞬かせた後、口を開いた。
「ユリスはさ、分かってる? もうすぐ、“ある日”が来るってこと」
「ある日?」
「うん。具体的に言うと、三日後」
「三日後?……ゴメン、分からないや。別に祝日じゃないし、誰かの誕生日でもない筈だし……」
ユリスは記憶を辿って答えを探すが、一つも思い当たるものが無い。
首を捻る彼に、モニカは力無く笑いながら言った。
「そう……だよね。そんな記念日って程の事じゃないし……気にしてる私の方が、変なのかも……」
「そんな言い方されると、気になるな。ねえ、モニカ、教えてよ。三日後は何の日なんだい?」
モニカの笑顔がとても寂しそうに見えたユリスは、何だか胸が苦しくなるのを感じて、彼女に訊ねる。
すると、彼女は「些細な事よ」と小さく首を横に振った後、呟いた。
「私と君が……初めて会った日なの。三日後は」
「えっ?……あっ!」
言われた瞬間、ユリスは思い出す。
――――まだ、そう遠くない過去……それでいて、遥か昔のようにも感じる記憶。
あの長い長い冒険の始まりとも言える、モニカとの出会いが脳裏を駆け巡り、ユリスは無意識に嘆息した。
「つまり、それはボクらが出会った記念の日に対しての編み物ってわけだね?」
「うん……前々から、その日に何か記念になる物をって思ってたの。それでまあ、私……編み物なら、そこそこ出来るから…」
「マフラーだよね、それ?」
「そうよ。これが一番、相応しいかなって。物にしても、色にしても」
「どういう意味?」
ユリスが訊ねると、モニカは「私の独断なんだけどね……」と力無く笑った後、続ける。
「マフラーってさ、ちょっと縄みたいにも見えるじゃない? だから、私達の絆を繋ぐって意味で、赤いマフラーが一番だって思ったのよ」
「ああ成程、赤縄って奴だね? ボクも聞いた事があるよ。未来にも、その話はあるんだな」
「ええ。でも……そっか、ユリスも知ってたんだ。ふふ、良かった。説明する暇が省けて」
「まあ、ね。そうか、それで……」
胸に込み上げてくるものを感じて、ユリスは緊張で上擦った声を出す。
赤縄――それによって繋がれた男女は、どんな間柄になっても離れない仲になる、という故事だ。
ユリスも昔、何かの書物で読んだ記憶がある。だが、その内容を思い出した彼は、複雑な表情でモニカを見る。
(だけどモニカ、知ってるのかな? 赤縄で繋がれる絆の事……)
どんな間柄になっても離れない仲となる男女の絆。それが意味するものとは即ち、夫婦の絆。
――――果たして彼女は、この事を知っているのだろうか?
それを確かめたくて仕方がないユリスだったが、風邪をひいている今のモニカに訊いても、熱に浮かされた妄言が返ってくる可能性が高い。
だから彼は、期待してしまう自分を必死に抑えつつ、優しくモニカの手から網かけのマフラーを取った。
「あっ……ダメ、ユリス。返して……」
「ありがとう、モニカ。君の気持ちは嬉しいよ。だけど、やっぱり風邪をひいてるときは、しっかり休まないと。君が休んでいる間は……」
咄嗟に頭の中に浮かんだ台詞を言おうとして、ユリスは少しだけ躊躇し、口を閉ざす。理由は簡単で、恥ずかしいからだ。
しかし、今のモニカになら、言っても記憶に留めず、熱が引くのと同時に忘れてくれるだろうと思い直し、彼は口を開いた。
「ボクがこのマフラーを編んでおくよ。これは、ボクと君の絆の証なんだから。ボクが編んだって、変じゃないだろ?」
「ユリス……」
予想だにしてなかった言葉だったらしく、モニカはトロンとした表情で何度も眼を瞬かせる。
「でも、君……編み物した事あるの?」
「いや、ないけど……出来なくはないと思うよ。こういう細かい作業、嫌いじゃないしさ。少なくとも、風邪をこじらせてる今のモニカよりは、上手にやれる自信がある」
「そう……かもね」
笑ったようにも泣いたようにも見える表情で、モニカがそう呟いた。
その後、小さく「分かった、お願い」と言うと、ズボンのポケットから一枚の紙切れを取り出し、ユリスに差し出した。
「これは?」
「マフラーのサイズ……これの通りに編んでね」
「ああ、成程。分かったよ」
紙切れを受け取ったユリスは、それを胸元のポケットにしまうと、元気づけるような笑みを共に口を開く。
「さあモニカ、これでもう良いだろ? 君はゆっくり休んで、早く風邪を治しなよ」
「うん、そうね……」
そう頷いたモニカが、ふと両眼を閉じる。そして次の瞬間、彼女の身体が徐に傾いた。
「っとと!? モ、モニカ?」
慌てたユリスは咄嗟に手を伸ばし、モニカの身体を支える。
そして、嫌な予感と共に彼女の名を呼ぶが、返事は無かった。代わりに聞こえたのは、先程よりは和らいでいると思われる苦しげな吐息の音。
それが寝息だと理解するのに、あまり時間は掛からなかった。
「寝ちゃった……の?」
ユリスは焦り、戸惑う。
確かに休んでと言ったが、なにも今すぐ寝てと言った訳ではない。寝るならちゃんと、ベッドに入って寝てほしかった。
さりとて、このまま放置しておくなんて出来る訳がない。仕方なく彼はモニカをベッドへと運ぶべく、恐る恐る彼女を抱き上げた。
グッタリとしているモニカの身体は、物語でよく表現される“羽のように軽い”と呼べる程ではなかったが、それでも全然苦にならない重さだった。
むしろ、抱えている腕から感じる彼女の柔らかさ、そして風邪による少し高めの体温が、とても心地良い。無意識にそんな事を考えたユリスは、知れず首を横に振った。
「な、何を考えてるんだ、ボクは……?」
昔――あの冒険の最中に、怪我をしたモニカをこんな風に抱き上げた事は何度もあった。けれども、あの時はこんな事を考えたりはしなかった。
その違いは言うまでもなく、自分と彼女の関係の違い。ハッキリと分かってはいるものの……いや、分かっているからこそ、持て余さざるを得なかった。
「本当、厄介なものだよ」
苦笑と共にそう言ったユリスは、丁寧にモニカをベッドに寝かせると、マフラーと紙切れを手に彼女の部屋を後にした。
――――当初の目的であった薬の事をユリスが思い出すのは、この数分後である。
「ねえ、モニカ?」
「ん? 何?」
「これ……絶対、長すぎだろ?」
三日後。すっかり風邪が治り、普段の元気さを取り戻したモニカの前で、ユリスは完成させたマフラーを見せていた。
――――思っていたよりも遥かに難しかった編み物に悪戦苦闘し、徹夜までしてどうにか記念の日に間に合わせられた、赤いマフラー。
その出来栄えは、モニカが編んだ所とユリスが編んだ所が一目で分かってしまう雑さはあるものの、マフラーとしての体裁は保っている。
だが、実用的かと言われれば“NO”と言わざるを得ないだろう。なにしろ、異常なまでに長いのだ。
モニカから手渡された紙切れに書かれていた通りのサイズに編んだのだが、普通に巻いては両端が足元に垂れ下がってしまう。どう考えても、長過ぎだ。
ユリスがその事に対して訊ねると、モニカはあっけらかんと言い放った。
「そりゃあね、そんな風に巻いたら長いわよ。私、元々特別なマフラーを編みたかったんだし」
「特別なマフラー? それって、ボク達の記念の日に編むマフラーって事だけじゃないの?」
「ええ。ちょっと、解いてくれる?」
「う、うん」
モニカに促され、ユリスは首に巻いたマフラーを解く。すると、更に長くなったマフラーの右端をモニカが手に取り、自らの首に巻き始めた。
「モ、モニカ?」
「出来た。はい、次は君のね」
「わっ!?」
手際よくマフラーを巻き終えた彼女が、キョトンとしているユリスの首に、余っている分のマフラーを巻き始める。
程なくして、彼の首にも巻かれたマフラーを見て、モニカが微笑んだ。
「ね? こうすれば、ピッタリでしょ?」
「あ、ああ……そうだね」
至近距離にいるモニカにドギマギしつつ、ユリスは頷く。
確かに、二人を繋ぐように巻かれたマフラーは、丁度良い感じになっている。つまり、こうやって巻くのを前提に彼女は編んでいたのだろう。
しかし、当然と言うべきか何と言うか、非常に恥ずかしい。自然と密着する形になってしまうので、どうしたって落ち着かない。
すると、そんな様子が表に出ていたのだろう。モニカが楽しそうに、声を上げて笑ってみせた。
「もう、ユリスってば。そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃない」
「だ、だって、これは流石に……いくらボクらが、その……恋人同士だからって……」
慣れない言葉を口にしたユリスは、益々恥ずかしくなって口籠る。と、突然モニカの顔から笑みが消えた。
「……恋人同士だから、でしょ?」
「えっ?」
思わず声を発した次の瞬間、モニカがマフラーを引っ張った。それは決して強くはなかったが、急な事に対処できなかったユリスはバランスを崩して彼女の方へと身体を傾ける。
それを待っていたかのように、彼女は近づいてきた彼の唇に口付けた。
完全に不意打ちの出来事に、ユリスは反射的に身を引こうとしたが、繋がれているマフラーによって、それは阻まれる。
するとモニカは、静かに彼の背中に両手を回すと、右手の人差し指で文字を書き始めた。
――もう離れたくないから。この先、何があろうと絶対に。
背中にそう書かれたと理解すると、ユリスもまた彼女の背中に両手を回し、右手の人差し指で返事の言葉を書く。
――ボクも同じ。ずっとずっと、こんな風に繋がれていたい。
――――こうして暫くの間、二人は赤いマフラーで繋がれ、赤く染まった頬と共に、互いの赤い唇を重ね合わせていた。この絆が、この先決して切れる事のないようにと、願いながら。
あとがき
宮月さんから頂いたイラストを見て、思いついた話です。
赤いマフラー=赤縄っていうくだりが、少々強引な気もしますが、楽しんで頂ければ幸いです。では。