〜幸福の裏側にある物〜
「…………だるい」
熱のせいか、覚醒しきっていない意識の中で、モニカは額に手を当ててポツリと呟いた。
(もう三日か……嫌になるわ、全く……)
体調を崩した時に感じる時間の経過は、やけにゆっくりと進んでいる様に感じる。
大人しくしているのが苦手な彼女にとって、一日中ベッドに縛り付けなのは、殆ど拷問に近いものだった。
「はあっ……せめて、もう少し熱が下がってくれればなあ……」
そう彼女が呟いたのとほぼ同時、コンコンとノックの音が聞こえ、モニカは上半身を起こした。
「……誰?」
「ルネです。よろしいですか?」
その問いに「どうぞ」と彼女が答えると、遠慮がちにドアが開き、薬を持ってきたルネが姿を現す。
「いかかがですか、お身体の方は?」
「……最悪」
本当に具合が悪そうに呟いたモニカの額に、ルネがそっと自分の手を当てる。
そして、まだ高い熱がある事を確認すると、心配そうな表情で口を開いた。
「中々下がりませんね、熱。やはり、この薬を飲んだ方がいいですよ、モニカさん」
「……そうする。ゴメンね、ルネ。色々とお世話してもらって」
「いえいえ、これぐらい何ともありません。ですから、どうか気になさらないでください」
気遣う様な笑みを浮かべて言ったルネに、「ありがとう」と答えると、モニカは受け取った薬を飲む。
が、その瞬間、口の中に広がった強烈な苦味に、彼女は思わず顔を顰めた。
「うっ……苦い」
「良薬口に苦し、と言いますでしょう?そういう薬の方が、よく効くんですよ」
「そ、そうね……」
ルネの言う事は尤もではあるが、それにしても限度がある、とモニカは思う。
吐き気がするし、胸はムカムカするし……これで効き目がなかったら、毒と同じではないだろうか?
「さっ、後は安静にしていて下さい。なるべく早いうちに治すには、休息が一番です」
「……うん」
薬の副作用か、次第に眠気がジワジワと押し寄せてくるのを感じ、モニカは生返事をする。
そして、再びベッドに身を沈めると、瞬く間に眠りに落ちていった。
―――――深夜。
「暑い……と言うより、熱い……」
目を覚ましたモニカは、額に浮かんでいた寝汗を拭い、うんざりした声を上げた。
外の気温も確かに暑いのだが、それ以上に体温が沸騰するのではないかと思うくらいに熱い。
(あの薬……効き目なかったんじゃないの……?)
ついそんな事を考えてしまうが、それすらも酷く疲れてしまう。自分の具合はかなり悪い物なんだと、彼女は今更ながらに思った。
「あ〜〜あ……早く治んないかしら?」
ボンヤリと天井を見上げ、そう呟く彼女からは、普段の明るさが微塵も感じられない。
それは勿論、病気の事もあるが、実はそれ以上の原因があったのだ。
「……はあっ」
大きな溜息をつき、モニカはゴロンと寝返りを打つ。
(柄じゃないんだけどな……センチな気分に浸るのは……)
心の呟きと共に頭に浮かんでくるのは、見慣れた一人の少年―――ユリスの顔である。
目下の所、彼女の憂鬱は彼とここ暫くの間、顔を合わせていない事にあった。
事の始まりは半月ほど前。彼の父親から、『重大な話があるから、至急こちらに来るように。』といった内容の手紙が来たのだ。
それを見たユリスは面倒そうな顔をしながらも、渋々支度をして、父親のいるヘイム・ラダに出かけて行ったのである。
そして、それから半月。―――彼は、未だに帰ってきていない。
(……寂しい……な……)
彼とこんなにも長い間、顔を合わせずにいるのは久しぶりだった。
グリフォンを倒した後、それからゼルマイト鉱石を探し当てた後……それ以来である。
時間的に言えば、今回はそれらの時よりも遥かに短い。何せ前者は約一ヶ月、後者に至っては三年という、長い時間だったのだから。
しかし、あの時と今では決定的に違う事が一つある。――――ユリスが自分にとって、どんな存在であるかだ。
「もうっ……恋人との時間よりも、父親との時間の方が大事なのかしら!」
思わず悪態をついてしまうが、それは言わば寂しさの裏返し。
そして更に付け加えるのならば、風邪を引いたのは、その延長線上の事だ。
―――――自分は弱くなった。
モニカは最近、よくそんな事を思う様になっていた。
以前の自分なら、寂しいからといって、身体を壊す事など全くなかった。
どんなに辛くても……どんなに苦しくても……絶対に弱ったり等しない自分だったのに。
「……っ……」
そこまで考えて、不意に彼女は反射的に身体を縮こませた。
(……寒い……)
全身は燃える様に熱いのに、左胸の奥―――心だけは、氷の様に冷たく感じる。
ユリスがいない。……たった、それだけの事で、こんなにも弱くなってしまう自分が、堪らなく惨めに思う。
この事だけが、モニカが彼と暮らす様になってからの、唯一の悩みの種だった。
彼と一緒にいるときは幸せだ。……それだけは間違いない。
しかし、一度彼が目の前からいなくなれば、自分は見る影もなく弱り果ててしまう。
それが彼女には、とても不愉快で……酷く怖かった。
(もう……戻れないのかな?……昔の私には……)
昔の自分―――どんな時でも、周りが呆れ返る程の明るさを持っていた自分。そんな自分が、ふと無性に羨ましく思う時がある。
まだ幸せには出会ってはいなかったが、気丈で強かった、あの頃の自分が……
(今だけ……今だけ……戻り……たいよ……)
苦痛とも取れる疲労と、如何ともし難い寂しさから、いつしかモニカの瞳からは涙が溢れ、シーツに染みを作っていく。
(…………だって……こんなの……私らしくない……)
今の自分が嫌かと聞かれれば、『NO』と即答する事は出来る。それでも彼女は、この弱さを受け入れる事だけはどうしてもしたくなかった。
激しいジレンマに苛まされながら、モニカは一人、静かな夜を過す。―――幸福と共に手にした『弱さ』を持て余しながら……
不意に眩しい光を感じ、モニカはゆっくりと瞳を開けた。まだ気だるさは残っているが、薬の効果か熱は大分下がったらしい。
少し頭を動かして窓の方を見ると、暖かな朝の日差しが優しげに降り注いでいる。
どうやら、いつの間にか眠ってしまっていた様だ。
(……悩んでても寝れるもんなのね、意外と……)
ボンヤリとそんな事を考えていた彼女だったが、ふと違和感を覚え、目を瞬かせる。
「……あれ?……冷たい?」
心地よい冷気を額に感じ、モニカはそって額に手を当てる。すると、何故かそこには濡れタオルが置かれていた。
まだ十分に冷たいとはいえ、絞ったばかりにしては温い。つまり、少々前に絞った物の様だ。
「……どうして……?」
覚束ない記憶を反芻してみるが、自分でこんな物を用意した覚えはない。
すると、誰かがこれを自分の額に置いてくれた事になるが、一体誰だろうか?
(……確か深夜に私起きたのよね……その時はこんなの無かったし……その後に誰かが……?)
――――でも、そんな時刻に起きている人なんているかしら?
そんな疑問が頭に浮かび、彼女は何気なく視線を横に向けてみた。すると……
「…………えっ?」
部屋に備えられていた椅子に窮屈げに腰掛けながらも、安らかな寝息を立てている少年が目に入り、モニカは思わず驚きの声を漏らす。
「ユリ……ス……?」
ここ暫く自分の前から消えていた恋人が、いつも被っている帽子を脱ぎ、鮮やかな金髪を僅かに靡かせながら眠っていた。
彼の足元には水の入った洗面器が置かれている。どうやら、彼が濡れタオルを用意してくれたとみて間違いない様だ。
(帰って……来てたんだ……)
偶然とはいえ、余りのタイミングの良さに、彼女はふっと笑みを漏らす。
彼はいつだって、こうなのだ。自分が本当に寂しくなった時、不安になった時は必ず傍にいてくれる。
直接には言わなくても、何故かそれを感じ取って…・自分を癒してくれる。
(……本当……全部……見透かしたみたいに……)
まだ幼さが強く残るユリスの寝顔を眺めながら、モニカは胸の奥がジンと温かくなっていくのを感じた。
真夜中に心の中を巣くっていた『寂しさ』は、もう何処にも無い。
あるのは、そう……例え様のない幸福感だけだった。
―――――この幸福を、絶対に失いたくない。何があっても……
モニカがそう思った時、不意に彼の眉がピクリと動き、眠たそうな瞳がゆっくりと開かれる。
「う……ん?あっ、モニカ……気分はどう?少しは楽になった?」
「うん。でもユリス……君、何時帰って来てたの?」
「え?ああ、深夜さ。それで、君の部屋の前を通りかかったら、何か辛そうな息遣いが聞こえてきたから、何かと思って……」
どうやら彼は、自分が再度眠りに落ちた直後に帰ってきたらしい。…本当に、感心するほどタイミングが良い物だ。
「それで、濡れタオルを?」
彼女が聞き返すと、ユリスは静かに頷いた。
「かなり熱が高かったから、暫くの間、交換してたんだけど……いつの間にか、寝ちゃったみたいだな」
「……そうだったんだ。ありがとう、ユリス。君のおかげで大分楽になったわ」
「どういたしまして。でも、まだ安静にしてないと駄目だよ?君みたいなタイプは、こういう治りかけの時に油断して、ぶり返すんだから」
「ち、ちょっと!何よ、その馬鹿にした様な物言いは!?」
思わずムキになって、起き上がりながら怒鳴ったモニカだったが、不意に眩暈を感じ、額に手を当ててよろめく。
「……あ……れ……?」
「ほら、言った通りだろ?とにかく、もう暫く寝てた方が良いよ」
「う〜〜〜……分かったわ、そうする。」
渋々ベッドに横になった彼女だが、ややあって、何かを思いついた様な表情をし、ユリスに振り返った。
「……ねえ、ユリス?」
「うん?」
「あのさ、風邪を一番手っ取り早く治す方法って、知ってる?」
「……一番手っ取り早く治す方法?」
言われてふと考えてみた彼だったが、どうにも分からずに彼女に聞き返す。
「分かんない。……何なのさ?」
「あれ、知らないんだ?じゃあ、教えてあげる」
そう言って手招きをするモニカに従い、ユリスは椅子から立ち上がり、彼女の元へと歩み寄った。
「何なの?その方法って?」
「くすくす。それはね……」
言うや否や、モニカはいきなり彼の襟元を掴み、自分の方へと引き寄せる。
そして、慌てた表情の彼の唇に、そっと自分のそれを重ねた。
「……っ!?」
声こそ出さなかったが、彼の……そして、自分の心臓が大きく脈打ったのがハッキリと分かる。
やがて刹那の出来事が終わり、そっと顔を離したモニカに、ユリスは不満とも驚きとも言えぬ声で言った。
「……人に感染(うつ)せば直る、って事?」
「ご名答」
恥ずかしさを誤魔化す為に、悪戯っぽく笑って見せたが、あまり効果は無かっただろう。
鳴り止まぬ胸の鼓動を必死に抑えながら、彼女は呟く様に言った。
「ユリス……」
「……何?」
やはり恥ずかしさを誤魔化す為か、ぶっきらぼうに返事をした彼に、モニカは自分の正直な気持ちを告げた。
「……寂しかったんだよ?」
「…………」
その言葉にユリスは何も言わず、今度は自分から顔を近づけ、唇を重ねる。
「……ただいま」
儀式の最中に囁かれ、モニカは夢見心地になりながら返事をした。
「……お帰り」
―――人は幸福を手にした時、それを失う事を恐れると言う『弱さ』を同時に手にする。それはどう足掻いても、永久に消え去る事は無い。
しかし、その『弱さ』を抱えるからこそ、幸福は幸福として存在するのである。
あとがき
思えば、相当長い間ダーククロニクルの話を書いていなかった様に思います(お題話は除く)。
そんな訳で、今回の話はリハビリ(?)みたいな感じです。だから、内容もありきたり(汗)。
これから暫くはMOTHER2よりダーククロニクルを中心に更新していこうと思っています。
という事で、今後もどうかよろしくお願いします。では。