〜募りし想い、現実となりて〜
「今年も、もう少しで終わりね」
カレンダーの数字を眺めながら、ポーラはポツリと呟いた。
そのカレンダーの月は12月。今年もやって来た、一年の終わり。
昔は色々と感慨に浸れた時期であったのだが、今の彼女には虚無感しか感じられない。
「結局、今年も会えなかったな……ま、仕方ないか」
もう何年も繰り返し呟いてきた言葉。この言葉を呟く度に、如何ともし難い寂しさが募る。
――――自分は一体、何時までこんな気持ちを抱えなければならないのだろう?
否応無しに浮かんだ疑問に答えが返ってくる筈も無く、ポーラはやりきれない気分に襲われる。
そんな気分を振り払うべく、無造作にテレビのリモコンを手に取り電源を入れた。程なく真っ暗だったモニターに、ニュースキャスターが姿を見せる。
『続いて国際ニュースです。ここ数年に及び続発している獰猛化した野生動物の件ですが、昨日の夕方頃にスカラビ近海を航海中の漁船がワニの大群に
襲われる事件がありました。また、同区域にて絶滅したと思われていたクラーケンに襲われたという情報も入っており、関係者は……」
「っ……」
若干の苛立ちを感じつつ、ポーラは電源を切る。気分転換する筈が、余計に気が滅入る羽目になってしまった。
こうなると気を晴らす手段は限られてくる。彼女は徐に冷蔵庫を開けると、中からジュースとチョコを取り出した。
グラスにジュースを並々と注いで一気に喉へ流し込み、続いてチョコを三つ程、口の中に放り込む。
ジワジワと広がる心地よい甘さに、沈んでいた気持ちが幾分か安らいでいくのを実感しつつ、彼女は窓の外へと視線を移した。
冬の季節特有の殺風景な景色の先――スカラビの方角を見やりながら、ポーラはもう何年も会っていない少年の事を想う。
「ネス……貴方は今、そこなの?」
その声に反応したかの様に、外の枯れ木が風によってざわめいた。
ギーグとの戦いから、早数年。
かつては幼い女の子であったポーラも、今は既に18歳。直に学業を終え、徐々に大人と認識されていく年齢になっていた。
今年は学生として迎える最後の年末。年が明け、数ヶ月を過ぎれば保育士としての生活が始まるのである。
……尤も、勤め先が実家なのだから、そこまで劇的に日常が変化する訳ではないのだが。
そして、それは他の仲間達も同様だ。
ジェフは変わらずサターンバレーで父親と研究者として生活していくと聞いたし、プーにしてもランマの王子から王へとなる以外に変化は無い。
互いに忙しくなれはすれど、会う時間はきっとあるだろうし、これまで通り連絡の取り合いも出来るだろう。―――……そう、彼ら二人とは。
(だけど……ネスは……)
歳末で賑わう町を散歩しながら、ポーラは重苦しい溜息をついた。
彼と――ネスとはここ数年、全く顔を合わせていない。
あの冒険で芽生えた感情。それを伝え、そして伝えられたのが、旅路を終えてから二ヶ月後の事だった。
これまで生きてきた中で、最も幸せだと感じた瞬間。その時の気持ちを、ポーラは未だしっかりと覚えている。
『仲間』から『恋人』へと変化した、自分と彼の関係。ずっとずっと、近くにいられる筈だと、彼女は思っていた。
――――……そんな保証等、何処にも無かったというのに。
「元気にしてるかな……?」
ポツリと呟いたポーラの頬に、柔らかく冷たい物が触れる。ハッとして空を見上げてみると、ヒラヒラと雪が舞い落ちてきていた。
その光景さえも、何故か悲しく見えてしまう。彼女は強く唇を噛み締め、天に眼を伏せた。
宇宙最大の破壊主――ギーグ。
奴自身は既に滅び、同時に奴に従っていた宇宙人や宇宙生物も地球から姿を消した。
そしてギーグの邪悪な波動によって狂人化した人々も元に戻り、地球はかつての平和を取り戻していた。……少なくとも、数年前までは。
『突然変種した生物出現!民間人を襲う!!』
……そんなニュースが彼方此方で飛び交う様になり、珍しい事でも無くなって久しい。
ギーグの残した嬉しくも無い置き土産――残留していた邪悪な波動によって異常変化、異常進化した動物達が出現する様になったのだ。
元来、動物は人間よりも感覚が優れ、外的要因による反応も激しく大きい。
あの冒険の最中、無数の動物達に取り込まれたギーグの波動は、数年の潜伏期間を経て再び表へと現れたのだ。
流石にギーグ自身が存在しない為、かつての様な凶暴さや能力は無いものの、それでも一般人にとっては大きな災厄以外の何物でも無い。
現に世界の彼方此方で襲撃事件が続発しているし、更に不運な事に、一時は見なくなったクラーケン等の怪物も出現し始めていた。
取り戻した筈の平和……それが脆くも崩れ去ろうとしていた矢先、彼――ネスが言ったのである。
「僕……世界を巡ろうと思う。僕一人でどれだけ防げるか分からないし、根元の問題を解決出来るかも分からないけど……
それでも、例え少しであろうとも、出来る事はあると思うんだ」
冒険の時以来久々に見た、穏やかではあるが強い意志を込めた瞳。
その瞳で言われては、ポーラに言える事は何も無かった。ただ静かに、彼を見送る事しか出来なかった。
――――今思えば、果たしてそれは……正しい判断だったのだろうか?
(やっぱり……ついて行きたいって言えば良かったのかしら?)
不意にそんな後悔の念が浮かんだが、彼女はすぐにそんな事は有り得ないと眼を伏せる。
仮にあの時自分が……いや、例えジェフやプーが同行を申し出たとしても、きっとネスは承諾してくれなかっただろう。
その理由は、ポーラにもなんとなく分かる気がした。
自分は実家が幼稚園だから、そうそう家を空ける訳にはいかない。ジェフは研究者として、日夜忙しくして研究に没頭していた。
そしてプーは、王族として国務をこなさなければならない立場。それぞれ何かに束縛されている三人は、かつての様に世界を巡る事はままならないのだ。
しかし、ネスは違う。彼の家に家業は無いし、極々普通の学生であったから特に縛られる物があった訳でもない。
だからこそ、『世界を巡る』等と言えたのであろう。
(小母さんもトレーシーちゃんも、快く承諾してくれたって言ってたわね……)
ネスが出発する前夜、電話で聞いた内容を思い出し、彼女は嘆息する。その内容の真実味と、その裏に隠され、彼が気づいていない真実を察して。
少しばかり、ネスの鈍感さに苛立ちを覚える。本当に彼は、自分の家族が『快く』承諾してくれたと思ったのだろうか?
そんな事は決して無いと、彼女は確信を持って言える。一体何処に、家族が危険な場所へ一人赴くのに心配しない人がいるだろうか。
きっと二人共、内心では大きな焦燥を抱えていたに違いない。未だ家へと戻る事の出来ない、もう一人の家族を重ね合わせて。
(あの人にそっくりって、小母さん言ってたわね……)
この前、久しぶりに訪れたネスの家で会った、彼の母親の顔が脳裏に浮かぶ。表面的な嬉しさに寂しさを秘めた顔が。
血は争えないとは、良く言ったものである。その事実がポーラには……そしてきっと、彼の母親と妹にとっても歯痒い物だった。
再びネスが旅立って以降、メディアを通じて度々彼の活躍と思わしきニュースを眼にする機会があった。
そして、それを見る度に彼からの連絡があった。
疲れの中にも達成感を帯びる声で話すネスに相槌を打ち、無理はしないようにと言って電話を切る。
そんなやりとりが、最初の内は続いていた。………そう、最初の内は。
次第にネスの電話は月に一度、四季に一度、半年に一度と段々頻度が減っていき、反比例するかの様に事件のニュースは増えていった。
――――きっと連絡する暇も無い程に時間が無く、また疲れが溜まっているのだろう。
そう結論付け、ポーラは徐々に間隔を空けていく彼からの電話の中でも、その事を責めはしなかった。
一年、二年と時が流れ、電話越しのネスの声は少しだけ低くなり、同時に疲れを帯びていくのを彼女は感じる。
減少するどころか、日々増加の一方を辿る事件。それに誰の助けも借りず一人で取り組んでいる彼に、ポーラは何を言えば良いのか分からなかった。
電話越しの会話も徐々にぎこちなくなっていき、互いに無理をしているのが相手に伝わる様な感覚に囚われていく。
そして遂に……一年に一度となっていた電話は、三年経ったのを境に完全に無くなってしまった。
勿論ポーラは寂しい気持ちに襲われたが、それを上回る感情を覚え、特に泣く事も無かった。
それは、諦念――自ら過酷な環境に飛び込んでいった彼と、忙しくはあれど平穏な日々を送る自分とでは、擦れ違うのは仕方ない事。
けど、それを悲観する事は無い。いつか……きっといつか、ネスは戻ってきてくれる。自分は、その時に笑顔で迎え入れてあげればいいのだ。
だから自分も頑張らなければならない。そう思い、ポーラは学業と保育士の勉強に力を入れて時を過ごした。
時折、胸の奥からこみ上げてくる寂しさを押し殺しつつ、ただひたすらに…………。
「ねえねえ!次はあそこ行こう!」
「わわっ……ハイハイ分かったよ。だから、そんな手を引っ張んなって!」
不意に聞こえた男女の声に、ポーラはハッとして視線をそちらに向ける。
――――丁度、あの冒険時のネスと自分くらいの少年少女。
嬉しさで頬を染め、少年の手を笑顔で引っ張る少女。そして、仄かに顔を紅潮させて、彼女に従う彼。
傍から見ても、とても微笑ましく幸せな光景。ポーラも自然と笑みを浮かべて、それを見送った。――しかし……。
「?……あ、あれ……?」
突然、自身の頬を伝った冷たい雫の存在に、ポーラは驚く。慌てて拭おうと手を動かすが、その行為を嘲うかの如く雫は……涙は彼女の頬を伝う。
「やだ……ちょっと、どうし……」
無意識に呟いた声は、完全に嗚咽交じり。それを認識した途端、ポーラは両手で顔を隠しつつ、その場を駆け出した。
――――……気づいていた。分かっていた。自分がずっと、出来もしない強がりをしていた事を。
本当はもっと、ネスからの連絡が欲しかった。自分から、彼に連絡をしたかった。
けれども何かが……上手く表現できない何かが、それらを表に出す事を許さずにいた。
いつか、きっといつか。そう自分に言い聞かせ、どうにか保ってきた……保ててきたと思っていた感情。
それが今、自分が考えていた何十倍もの大きさを持って溢れ出てきてしまった。一組の幼いカップルに、かつての自分と彼の面影を垣間見て。
「うっ……!……っく……!」
声を上げて泣き叫びたくなるのを懸命に堪えつつ、ポーラは足の赴くまま走り続けた。
「何だ……帰ってきてたのね」
恐らく赤く腫れ上がっているであろう瞳を擦りながら、ポーラは呟く。
その視線の先には、見慣れた屋根の看板がある。気がつけば彼女は、ポーラスター幼稚園へと戻ってきていたのだ。
少しばかり落ち着いた気持ちになり、帰宅しようと足を動かしたポーラだったが、ふと微かな違和感を覚えて眉を顰める。
「あら?……皆の声?」
通っている園児達の声が、敷地内から聞こえてくる。もう幼稚園は冬休みに入っていて、皆それぞれの家で過ごしている筈なのに。
怪訝に思いつつ歩を進めると、今度は笛の音が耳に入ってくる。……遠い昔、聞いた事がある曲を奏でる笛の音が。
それを耳にした瞬間、ポーラは走り出していた。横に連なる柵が暫く続き、それが途切れた所で彼女は進路を左へと変える。
見慣れた我が家の庭。その庭の真ん中にあった光景に、ポーラは思わず息を呑んだ。
――――大勢の子供に囲まれてフルートを奏でる、少しばかり背が伸びた他は何ら自分の記憶と変らない、黒髪の少年。
彼が奏でている曲は、彼しか知らない彼だけの曲。そして、自分が名付けた曲――『エイトメロディーズ』
夢か、はたまた幻か……眼前の現実を容易に受け入れる事が出来ず、ポーラは立ち尽くしていた。
やがて彼――ネスは演奏を終え、穏やかに眼下の子供達を見やる。そんな彼に、子供達は口々に話しかけた。
「え〜〜!?お兄ちゃん、もう終わり?」
「もっと聞きたいよ!ねえねえ、アンコール……だっけ?それやって、やって!!」
「はは……だけど、もう何回も聞いただろ?飽きない?」
「全然!だってお兄ちゃんの笛、凄く綺麗だし…………あ、ポーラお姉ちゃん!!」
園児の一人がポーラに気づき、笑顔で彼女に呼びかける。その声につられて、ネスもハッとした仕草を見せて彼女に視線を向けた。
「……あ……」
「っ…………」
自然に、彼と自分の視線がぶつかる。喉がカラカラに渇いて、上手く声が出てこない。
言いたい事は沢山あった筈なのに……いきなりの事に頭が真っ白になって、ポーラはどうしたら良いのか分からなかった。
「?……お兄ちゃん?」
「ポーラお姉ちゃん?……どうしたの?」
園児達が不思議そうに首を傾げる中、ネスがぎこちない笑みを浮かべてポーラに声を掛ける。
「あ、え、えっと……ポーラ、その……久し……ぶりだね……」
「……」
「そ、その……最近ちょっとだけ落ち着いてさ。せっかくだから会いに行こうかなって。で、えっと……連絡してもよかったんだけど、どうせなら
内緒で行って驚かせた方が趣があっていいかな〜〜なんて思って……で、ここで待ってたら、この子達がいてさ。暇だから演奏でも聴いてて
もらってて…………だ、だから、その……あっと……」
しどろもどろで話すネスは、あの頃の彼と何ら変わらない。
その事実がどうしようもなく嬉しくて、ポーラの二つの瞳から静かに涙が零れた。
「いっポ、ポーラ!?ご、ごめん!!やっぱり連絡してから来るべきだったよね!!只でさえ長い間してなかったんだし!!えっと……」
「ううん……良いの」
――――……そう、もうそんな事は構わない。彼はこうして自分に会いに来てくれた。それだけで十分ではないか。
「ネス……」
「な、何!?」
やはり後ろめたさがあるのか、ネスは身体を強張らせて僅かに身を退く。
そんな彼に、ポーラはとびきりの笑顔と嬉し涙で言った。
「久しぶり……元気そうで嬉しいわ」
――――彼女がそう言った時、既に雪は止み、真冬の太陽が顔を出しつつあった。
あとがき
ちょっと切な目の未来パラレル話、いかがでしたでしょうか?
個人的見解ですが、ここまで悲劇的とはいかずともネスは真っ当な職業には就けない(就かない)んじゃないかと思います。
そんな事を考えて出来上がった話でした。……あ、今更ですが『このメロディーは永遠に』の設定が入っているので、
そちらか読んだ方が良い気はします。話自体は殆ど繋がってませんけどね(苦笑)、では。