〜消えない恐怖〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――……どうして、彼女は迷わずに決断できたんだろう?

今でも不思議に思う。ある意味、死よりも辛い選択になるかも知れなかった事なのに、彼女は全く臆する事も無くその選択を受け入れた。

選択肢が無かった。確かにその通りだ。けれども、だからと言ってあんなにもアッサリと決断出来るものなのだろうか?

もしかしたら、彼女に一緒に来てほしいと無意識に願っていて、それが彼女に伝わっていたのかもしれない。無理強いをさせていたのもかもしれない。

そんな不安が、あの時から数年過ぎた今でも時折ネスの胸を去来していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ!!」

ふと懐かしい旅の思い出したくない場面の夢を見たネスは、反射的に飛び起きる。それは一種の防衛本能だった。

あのまま見続けていたら、また如何ともし難い苦しみと悲しみで押しつぶされそうになってしまう。自分が無意識にした判断に感謝しつつ、彼は額に浮かんでいた汗を拭うと、何の気なしに窓を開けた。

時刻はまだ真夜中。真夏を過ぎたとは言え、まだまだ秋には程遠い夜空には満天の星空が広がっている。

普段なら大して気にも留めないその光景が、今のネスにとっては大きな安らぎとなった。彼は暫し窓淵に組んだ両腕を乗せ、そこに身を預けながら星空を眺める。

「綺麗だな」

思わず、そんな声が漏れる。それと同時に、彼はふとある事を考えた。

――――くちばし岬から見たら、もっと綺麗なのではないだろうか?

ネスはベッドの傍に有った時計を手に取り、時刻を確認した。午前一時。夜明けには大分時間がある。

どうせ明日は何も予定が無いし、少しくらい夜更かししても構わないだろう。そう判断した彼の行動は早かった。

飛び降りる様にベッドから降りると、タンスから手頃な服を引っ張りだし、手早くパジャマを脱いでそれに着替える。

そして昔から愛用している赤い野球帽と被り、最近のお気に入りである緑のパーカーを羽織ると部屋を出る。

未だ夢の中であろう妹と母親、そして愛犬を起こさない様に廊下、階段、リビングを忍び足で通り過ぎると、静かに玄関のドアを開けた。

外には一時のうんざりする熱気は無く、心地よい涼しさを纏った風が吹いている。星の鑑賞には打ってつけのコンディションだろう。

そう思ったネスは玄関先で軽く伸びをした後、両手を後頭部に当てて空を眺めながら、慣れた道をのんびりと歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

深夜のオネットは、とても静かだった。

何の事件も起こってないらしく、名物の道路封鎖も無い。些細な事でも発生するのだから、今は本当に平和その物なのだろう。

ネスは表現し難い充実感と幸福感を胸に、静まり返っている町中を歩き、くちばし岬を目指す。

その途中でふと空を見上げてみると、一条の流れ星が瞬く間に夜空を駆け抜けていく光景が眼に入った。

―――今この瞬間、誰かが願ったり祈ったりしたのだろうか?

彼の頭に、そんな考えが過ぎる。だが同時に、先程見た夢の内容が思い出されてきたのに、反射的に顔を顰めた。

「っ……嫌になるな、全く」

ポツリとそう呟いた後、ネスは苛立たしく足元に落ちていた小石を蹴り飛ばす。

鮮やかな軌道で宙を舞い、地面に落ちて転がっていたそれを眺めながら、彼は少しだけ帽子を深く被ると誰ともなしに呟いた。

「一生……これは、消えないのかな?」

返事は期待していなかった。今この場には、誰もいない筈なのだから。けれど、呟いた自分の声に応える様に流れ星の音が聞こえ、ネスは驚いて顔を上げた。

当然、既に星は流れ去った後だったが、彼は何故か夜空から眼を逸らす事が出来ず、呆けた様に口を半開きにしつつ歩く。

そのまま暫く夜空に気を取られていた彼は、ふと我に返った時、自分がくちばし岬に辿り着いていた事に気づいた。

「あっ……」

間の抜けた声を発しながら、彼はかつて自分が購入した別荘……とはお世辞にも言えないボロ家に眼を向けた。

正直言って騙されて買ってしまったも同然の物だったが、それでもネスは時々この別荘を訪れている。粗末なソファーに腰掛け、何も考えずに壁一面の大パノラマを眺めれば、気持ちが晴れるからだ。

「でもいつかは、ちゃんと修理したいけどね……」

ネスはそんな独り言を呟きながら、玄関のドアを開ける。周りが静寂に包まれている中、その時の音は大きく響いたが、取り立てて気にする事でも無い。

――――誰も、中に居る筈が無いのだから。

そう確信していた彼だったから、部屋の中の光景が眼に入った瞬間、ある人物がいた事に思わず驚愕の声を上げた。

「えっ!?」

「きゃっ!?」

その人物もまた、突然の来訪者に驚いたのだろう。

短い悲鳴と共に身構えつつこちらに振り向いた彼女を眼を丸くして見やりながら、ネスはポツリと呟いた。

「ポー……ラ?」

「ネス……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だって、こんな時間にこんな所に居るんだい?」

少しだけ強い口調でポーラに尋ねながら、ネスは室内のソファーに身を降ろす。

粗末であるが故、スプリングの軋む音が大きく響き、その音が止むと同時にポーラが答えた。

「あら? 此処は自由に使って良いって、ネス言ってくれなかった?」

「……言ったよ。だから別に、此処に入っちゃダメって言ってる訳じゃない。僕が聞きたいのは……」

「分かってるわ」

ネスの言葉を遮りつつ、ポーラはごく自然な調子で彼の隣に座る。そして、少しだけ緊張気味になった彼に微笑を向けた。

「こんな時間に女子が一人で外を出歩いちゃダメって、言いたいんでしょ?」

「そういう事。絶対、無断外出だろ? 君の小母さんはともかく、小父さんが許可する訳無いし」

「御明察。パパもママも、何も知らないでグッスリ眠ってるわ。二人を起こさない様に家を出るの、結構大変だったんだから」

「……何だって、また?」

彼女らしくもない大胆な行動に、ネスは疑問を感じて首を傾げてみせる。

――多分、一生分と言っても構わないくらい心配させちゃったんだもの。これからは、良い子にしなきゃね。

あの冒険以来、ポーラが口癖の様に繰り返している言葉だ。そして実際に彼女がそれを有言実行してきた事も、ネスは知っている。

しかし、今この時のポーラの行動は、明らかにそれに反する事だ。――――何でも無い様に見えていたが、心の中ではかなりストレスが溜まっていたのだろうか?

そんな事を考えた彼だったが、次にポーラが発した言葉で全てを理解する。

「感じたの。貴方の不安を」

「っ!」

「だから、此処に来たの。悩み事が有ったら良く此処に来るって、前に貴方が言ってたから……気のせいだった?」

「……ううん。当たってる。テレパシー使った?」

「ビンゴ……って言ったら、怒る?」

「その言葉で使ってないって分かったから、怒らない」

言い終えると、ネスはポーラから眼前の夜の海へと視線を移し、両手を後頭部へと持っていきながら苦笑した。

「凄いね。女の子の勘って」

「そんな……でも、確かにそう言うしか無いわね。本当に何となく、ネスが悩んでるんじゃないかって、眼を覚ましただけだから」

「……敵わないな、ポーラには」

心の内を全て見透かされている気がするが、不思議と不快感は無い。

むしろ優しさに包まれている様な感覚を覚え、気づくとネスは躊躇いも無く自身の心情を吐露していた。

「夢を見たんだ。あの冒険の夢を」

「夢を?」

「うん。あの冒険の最後……ロボットになって過去に行かなくちゃならないって知った時」

「っ……」

ポーラが息を呑み、表情を強張らせる。丁度あの時もこんな表情だったと思いつつ、ネスは忌まわしき記憶を呼び覚ました。

――――あの長い冒険の中で、唯一………恐らくは、どれだけ月日が流れても笑い話に出来ない事。

身体を捨てる。普通に生きているならば……ましてや、自分達の様な子供ならば、まず縁の無い話だっただろう。

しかし、自分達は普通では無かった。ギーグ――宇宙最大の破壊主を倒さなければならないと運命付けられた子供達だった。

だから決断しなければならなかった。慣れ親しんだ己の肉体を離れ、冷たい鋼鉄の中に心を移す事を。

そこに選択肢は無かった。どれだけ嫌がろうと、拒もうとしても叶わなかった。いや、そんな風に考える事すら許されなかった……少なくとも自分はそうだったのだと、ネスは思う。

既に自分は託されていたのだから。この地球の力とも言うべき、八つのパワースポットから与えられたギーグを倒す為の力を。

そんな決意とも諦念とも言える意志を持っていた為だろうか? ネスは取り立ててすんなりと、その過酷な運命を受け入れられた。

けれども勿論、恐怖は有った。ジェフとプーが共に行く事を決断してくれた時、とても嬉しく心強かったのは今でも覚えている。

――だけど彼女は……彼女だけは…………!

「こんな事を言うと、ポーラは怒るだろうけどさ」

胸の内で暴れ回る灼熱の感情を必死で押さえつつ、ネスはそっとポーラの髪に手を伸ばして掬う。

「やっぱり後悔してるんだなって、夢を見る度に思い知らされる。あの時、君だけは無理にでも……」

「ネス」

怒気を含んだ声で、彼女は短く言う。普段のネスならば、こんな彼女の声を聞くとたちどころに萎縮してしまうのだが、今回は違った。

彼女に首を横に振ってみせた後、徐に言葉を続ける。

「ジェフやプーを軽視してる訳じゃない。君がいなかったら、ギーグを倒せなかったって事も分かってる。だけど、だけどそれでも……!」

「それ以上言うと、本気で怒るわよ」

「だからって、君に嘘はつきたくない!」

荒げた声でそう叫ぶなり、ネスはポーラを強く抱きしめる。突然のそれは、普段の彼からは考えられない大胆な行動だった。

だからであろう。ポーラは驚いた表情をしたまま固まり、ネスの抱擁を黙って受け入れていた。

「怖かったんだ。嫌だったんだ。君がロボットになるなんて……今、思い出すだけで胸が潰れそうになる。夢で見る度に、凄く苦しくなる。

もし、またあんな選択をしなければならない時が来たら……どうしたって、そんな考えが現れては消え、現れては消えの繰り返しで……眠れなくなるんだ」

「ネス……」

先程までの険しい口調は消え、一転して優しい声でポーラが呟く。それを聞いた途端、ネスは堰を切った様に嗚咽を漏らし始めた。

「僕が勝手に考えてる事だってのは分かってる。だけど……だけど、考え出したら止まらないんだ。あの時、もし奇跡が起きなかったら……あのまま君がロボットのままだったらって……」

「優しいわね。貴方は本当に」

「……えっ?」

不意に感慨深げに呟いたポーラに驚き、ネスは抱擁を解くと虚を突かれた表情で彼女を見る。

するとポーラは徐に瞳を閉じ、同じくらいの速度で瞳を開けると、僅かに涙を滲ませながら微笑んだ。

「多分こういうシーンでは、貴方を叱った方が良いんだなって、頭では理解できるの。『そんなの独り善がりよ』とか、そんな言葉を言わなきゃならないって」

「ポーラ……」

「だけど……だけど、やっぱり嬉しくなっちゃうの。私の事、そこまで心配してくれるなんて……自分は愛されてるなって実感しちゃうの」

「へ!? あ、いや、その……んっ!?」

思わずしどろもどろになったネスの唇に、ポーラの唇が重なる。

先程までとは逆で彼女に抱き締められ、彼は零距離になったが故に感じる温もりや香りにクラクラした。

その為、暫く時間の感覚が無かった。一秒なのか十秒なのか、或いは一分ぐらいなのか分からないキスの時間が終わり、再び二人は見つめ合う。

ネスは何か言った方が良いとは思いつつも動揺で喋れず、ポーラも涙の雫を流しながらの笑顔のまま何も言わない。

決して不愉快で無いが、苦しさを覚える沈黙。ネスにはそう思えたその沈黙は、可愛らしく小首を傾げたポーラによって破られた。

「ねえ、ネス。私は今、ちゃんと人間としてここに存在してるでしょ?」

「……うん」

震える声と共に彼が頷くと、彼女は「だから……」と二回程繰り返した後にこう言った。

「信じましょうよ、もうこの先あんな事は起こらないって。私も貴方も、あんな選択をする事になんかならないって。

有るかどうかも分からない事に怖がったり不安がったりするより、その方がずっと良いと思わない?」

疑問というよりも、同意を求める声だった。それを察する事の出来たネスは、はにかんだ笑みを辛うじて作ると、先程よりも大きく頷いて見せる。

「うん。そうだね。きっと、そうだよね」

「ええ、そうよ。何事もまずは信じる事。それが一番大事だと、私は思うわ」

「うん。僕もそう思う」

ネスがそう言った瞬間、二人の間に張っていた緊張の糸が切れる。二人は声を上げて笑いあった。屈託の無い、ひたすらに純粋な笑い声を。

その時、ふと星の流れる音が聞こえた。二人はハッとして夜空へと視線を向ける。するとそこには、無数の流星が降り注いでいた。

「凄い……流星群だ」

「本当。ニュースじゃ発生するなんて言ってなかったのに。こういうのを突発流星群って言うのよね」

「へえ、そうなんだ。じゃあ僕達は、凄くラッキーって事かな?」

「そうね。きっと、そうよ」

そう言い終えると、ポーラは心を奪われた様に流星群を見つめる。そんな彼女の横顔を暫く眺めていたネスも、やがて彼女に倣って流星群へと視線を向けた。

 

 

 

 

 

 

――――そのまま二人は、夜空に浮かぶ芸術を無言で鑑賞し続けた。いつの間にか握っていた、互いの手を繋いだまま……ずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あとがき

 

今回は結構暗くてシリアスな話となりました。ある意味マザー2で一番の鬱イベント(?)である、ロボットの件。

作中でも書いてますが、流石にこれは『良い思い出』にはならないんだろうなあ、と。そんな事を考えながら書いた話です。では。

 

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