〜秘密の乙女心〜
――――フォーサイドのホテルの一室。室内には不穏な空気が流れていた。
「……」
「えっと、あの……ポーラ?」
ネスがおずおずと声を掛けると、彼女は不機嫌を顔中に浮かべながら振り向く。
「何よ?」
「えっ?あ、いや、別に用はないんだけど……」
何でそんな不機嫌なの?と言いたげな彼を睨みつけ、ポーラは怒気を含む声を出した。
「用がないなら話しかけないでよっ!!」
「ゴ、ゴメン……」
ネスが謝ると、彼女はカッカしながら立ち上がり、ドアを壊す勢いで開けて出て行ってしまった。
「……こりゃ、酷いな」
「ああ」
部屋の奥で成り行きを見守っていたジェフが感想を漏らすと、プーが短く頷き同意する。
「原因は……考えるまでもないか」
「ああ。間違いなくアレだな」
うんうんと頷きあっている二人に、ネスは情けない声で助けを求める。
「ジェフ、プー。二人とも、知ってるんなら教えてよ。何でポーラはあんなに怒ってるんだよ?」
「教えても何の解決にもならないから、教えない」
「同感だな」
あっさりと断られ、ネスは力なく項垂れた。
「僕が何したっていうんだよ………」
―――事の発端は数時間前、フォーサイド恐竜博物館のライスボール氏の頼みで、ビーナスのサインを貰うためにトポロ劇場を訪れた時の事。
「あの、すいません」
ネスは周りの人の迷惑にならないよう、声を潜めて控え室前の係員に話しかけた。
「ああ君達か、トンズラブラザーズのお友達の。どうしたんだい?」
「実は……」
手短に事情を話すと、係員はしばらく腕を組んで考え込む。
「う〜〜ん、なるほどね。でも、君達だけ特別に控え室に入れる訳には……」
「そこを、何とか……」
ネスが念をおして頼み込むと、係員は溜息をついた。
「……わかったよ。さっ、他のファンに見つからないように急いで入ってくれ。くれぐれもビーナスお姉さんに失礼のないようにね」
「ありがとうございます」
話の分かる係員に礼を言い、ネス達は急いで控え室に入る。
すると、ステージ前で化粧直しをしているビーナスが、彼らを眼にして向き直った。
「あら?あなた達は……こんにちは」
「こ、こんにちは……」
にこやかな笑顔で迎えたビーナスに、ネスはどぎまぎしながら挨拶する。……まだ彼は、大人の女性に免疫がない様だ。
「どうしたのかしら?私になにか御用?」
「え、えっと……」
赤面して口篭るネスを、横で見ていたポーラは無言で睨みつける。
その様子を後ろで見ていたジェフは、プーにそっと耳打ちした。
(プー。悪いけど君から言ってくれない?ネスはすっかり上がっていて話せそうにないし、ポーラはあんな感じだし)
(構わんが……なぜ俺なんだ?お前でもいいじゃないか)
(い、いや、情けない話だけど、僕もあんまり……その……大人の女の人は……)
バツが悪そうに、ジェフは視線をそらす。結局彼もネス同様、大人の女性と話すのは苦手らしい。
「……そういう事か」
なら仕方ないな、と小さく呟いて、プーはネスの肩を叩いた。
「プー?」
「俺から話す」
短くそう言い、彼はビーナスの方に視線をやった。
「ビーナス殿。実は俺達は……」
簡潔に事情を話した後、彼は本題に入る。
「……と言う訳で、あなたの『さいん』が必要なのです。不躾な頼みですが、どうか」
言いながら深々と礼をすると、ビーナスは快く承諾してくれた。
「何だかよく分からないけど……私のサインが必要なのね?いいわよ、そのくらい」
「ありがとうございます」
「え〜〜とじゃあ、このバナナにサインして……はい、どうぞ」
「あ、は、はい」
差し出されたサインを、ネスはぎこちなく受け取った。すると、今まで黙ったポーラが口を開く。
「さあ、早いとこ博物館に戻りましょう。ライスボールさんも待ちわびているだろうし」
「そうだね。ビーナスさん、お邪魔しました」
「失礼する」
「お、お邪魔しました」
「いえいえ。また遊びに着てね。あなた達ならいつでも歓迎するわ」
「は、はい!」
思わず返事をしたネスを、再びポーラは睨みつける。それを見ていたジェフは、ひそかに冷や汗をかいた。
(まずい……)
これ以上この場所にいたら、彼女の癇癪が爆発しかねない。
慌てて彼は、ボーッとしているネスの袖を引っ張った。
「ほらネス。早くいくぞ」
「わ、分かってるよ。そんなに引っ張らないでって……」
言い合いながら部屋を出ようとした時、ふとビーナスが呼び止めた。
「あっ、ちょっと待って。そこの僕」
「えっ?僕?」
いきなり指名され、戸惑うネスに、彼女はふわりと微笑む。
「わざわざ来てくれたお礼よ」
そう言いながら、ビーナスはごく自然に彼の頬に口付けた。
「〜〜!!??」
ボンッという効果音が聞こえてきそうな勢いで、ネスの顔は真っ赤に染まる。
「あ……あ……あ……」
「あっ、ゴメンなさい。ちょっと刺激が強すぎたかしら?」
「い……あ……うえ……」
彼はまともに喋れず、ただ恥ずかしそうに頬を押さえる。
……と、その時、何処からかブチンという音が聞こえた。
(切れたな……))
耳にというより頭の中に聞こえたその音に、ジェフとプーは同時に思った。
そして互いに目配せし、頷く。それからの彼らの行動は素早かった。
「じゃ、じゃあ!」
不気味なくらい無表情なポーラの腕を掴み、ジェフがそそくさと退室する。
次いでプーが短く礼をし、未だ呆然としているネスを引きずるようにして控え室を後にした。
―――――……と、こんな事があって今に至る。言うまでもないが、ポーラが怒っている原因は単なる嫉妬心である。
まあ、想いを寄せている男の子が、他の女に見とれていたりしてるのを見れば無理もないのだが、生憎それを分かってくれる程、ネスは敏感ではない。
そのくせ、ポーラが機嫌を損ねたりすると、それに比例して落ち込むのだから始末が悪い。
だから、これまで何度かこういう事を経験してきたジェフは、いつもの事と思って無視していたのが……
(……おいおい、ちょっとヤバくないか?)
彼は、相変わらず項垂れているネスに目をやる。
ポーラが出て行ってから、既に一時間ほど経過してるが、ずっとこんな調子なのだ。
最初は教えないと決めていた彼だったが、これ以上放っておくとドツボに嵌っていきそうな気がしてくる。
「……言ったほうがいいかな?」
不安げにプーに尋ねると、彼は静かに首を振った。
「言ったところでどうにもなるまい?これは本人が気づかなければ、どうしようもない」
「いや、それは、そうなんだけど……」
ジェフが不平を言うと、「はあっ……」と溜息が聞こえ、二人はそろってネスの方を振り向く。
どよ〜ん、というBGMが聞こえてきそうな程、彼の周りは暗くなっていた。
「確かに……このまま放っておくのはまずいかもしれないな」
流石に事態の深刻さを感じたのか、プーは小さく呟いた。
「そうだよ。こんなんじゃ戦闘だって出来ないよ。オマケにホームシックと違って日常生活にも支障が出るよ、これ」
「……言えてるな、あんなのではPSIもロクに使えまい。それにポーラの方も、放っておくと悪化しそうだしな」
考えれば考えるほど、嫌な事態が想像でき、二人はそろって溜息をついた。
((……何で僕(俺)達が、こんなに手を焼かなきゃならないんだ?))
そう思わずにはいられなかったが、このままでは解決するどころか悪化するのは目に見えている。仕方なく二人は、小声で相談を始めた。
(しっかし、何で気づかないんだろうね、ネスは。まさか、ポーラが好きって自覚がないわけじゃないよね?)
(……いや、その可能性は高い)
(!?……まさか!だってネスの奴、いっつもポーラ見てるし、常に彼女の事気にかけてるんだぜ?)
(……そういう事を無意識でやり、恋心と自覚しない者もいるのだ。現に自覚しているなら、あんな悩んだりはしまい)
(それは、まあ……でも、どうするのさ?自覚してないんじゃ、何言っても無駄じゃないか)
(……それだな)
その後、二人は腕を組んで熟考していたが、やがてプーが口を開いた。
(……ともかく、二人だけで話をさせるしかあるまい)
(……考えた割には、随分ベタな提案だね)
(……仕方がないだろう。それとも、他に何かいい案があるのか?)
(……ない)
(なら、決まりだな)
そう言うとプーは、殆ど生気を失っているネスに声を掛けた。
「おい、ネス」
「……何?」
返ってくる声も弱々しい。それに一瞬躊躇したプーだが、気を持ち直して続ける。
「そんな事していても何にもならないだろう。さっさとポーラを探して謝って来い」
「で、でも……原因も分からないで謝ったりしたら、余計にポーラ怒りそうだし……」
ああ多分そうだろうな、と内心思ったジェフだが、後押しする様にネスを激励する。
「だ、大丈夫だって!しっかり謝れば、きっと許してくれるって!」
「……本当?」
「あ、当たり前さ!僕が保証するよ!!」
「……分かった」
そう言うと、ネスは重い腰を上げ、よろよろと部屋を出て行った。
彼が出て行った後、ジェフは同意を求めるようにプーに声を掛ける。
「大丈夫……だよね?」
「そう信じるしかあるまい。……いや、祈ると言ったほうがいいかもな」
「プー……それ、見込みが殆どないって事じゃない?」
ジト目で見ると、彼は気まずそうに目を逸らした。
「それを言うな。……俺だって、不安なんだ」
「……あっそ」
そして二人は、再び大きな溜息をついた。
――――その頃、部屋を出たポーラは、誰もいない広場のベンチに腰掛けていた。
「何よ、ネスったら!デレデレしちゃって……!」
荒んだ心から生まれるのは、悪態の言葉ばかり。そして、言えば言うほど、さらに気持ちは沈んでいく。
「そりゃあビーナスさんは美人だし、大人だし、スタイルもいいし、……だけど……」
そこまで言って彼女は俯いた。
……わかっている。自分が怒っているのは、単なる我侭だという事は。別に自分とネスは恋人同士なわけではない。
彼から見れば、自分は仲間の一人でしかないのだ。…たとえ、自分がそれ以上の感情を抱いていたとしても。
だから、ネスが自分以外の女性に好意を寄せたとしても、自分には怒る権利などないのだ。
それは分かる。……だが、だからといって素直に納得できれば苦労はしない。
「少しは乙女心ってのを分かってよね……」
溜息混じりにそう呟くと、頭上から聞き慣れた声がした。
「……ポーラ?」
「!?」
ハッとして顔を上げると、自分と同じくらいに暗い顔をしたネスが立っていた。
「ネス……何よ?何か用?」
彼女はつい言葉が尖ってしまう自分を恨むが、口が勝手に動くのだから仕方がない。
「えっと、その……ゴメン」
心底申し訳なさそうに呟く彼に、ポーラは何か神経を逆撫でされた気がして聞き返した。
「ゴメンって、何よ?何に謝っているのよ?」
「えっと、それは……分かんないんだけど……ゴメン」
「何か分かんないのに謝らないでよっ!!」
激高して怒鳴りながら立ち上がると、ネスはビクッと体を竦ませた。
「ゴメンゴメンって!謝るぐらいだったら誰にでも出来るわよ!!」
一気に捲し立てた後、ポーラは彼から視線を外し、そっぽを向いた。……だが直ぐに、心に後悔の念が押し寄せてくる。
(……何やってるんだろう、私……)
こんな事を言ってもただの八つ当たりでしかないと分かっている自分。そう分かっていても止められない自分。
自己嫌悪に陥りながら俯くと、不意に目から一筋の涙が零れた。
「あっ……」
彼女は慌ててそれを拭おうと手を動かす。……が、それより早く、横から手が伸びてきて涙を拭った。
「っ……ネス」
「ポーラ……」
じっと見つめられ、体が金縛りになったように動かなくなる。そんなポーラに向かって、ネスは静かに口を開いた。
「本当にゴメン。その……何が原因で君を怒らせたのか……本当に分からないんだ。考えても考えても……だから、えっと……」
必死に言葉を探す彼に、彼女は小さく頭を振りながら言う。
「……ネス。もういいわよ」
すると、彼はキョトンとした表情をした。
「えっ?いいって……どういう事?」
「……もう怒ってないって事」
戸惑うネスに、ポーラはそう告げた。
ここまで心配かけていると言うのに、これ以上くだらない嫉妬心なんかで意地を張っていても仕方がない。
彼は自分を気にかけて、ココまで来てくれた。……それで十分じゃないかと、彼女は思ったのだ。
「じゃ、じゃあ、許してくれるの?」
「ええ」
短くそう答えると、ネスは脱力したように項垂れる。
「あ〜〜……よかった。本当に気が気じゃなかったよ。ポーラが怒ってたり落ち込んでたりすると、嫌だからさ、僕」
「……えっ?」
――――今……ネス、何て?
「ネ、ネス、それ、どういう意味?」
上擦った声でポーラが尋ねると、彼は恥ずかしげに頬を掻きながら続ける。
「えっ、あっ、え〜、うまく言えないんだけど……君にはさ、いつも笑っていて欲しいんだ。ずっと僕の……」
傍で、と言おうとしてネスはハッとして口を塞いだ。
「い、いや、その……とと、とにかく!ポーラには笑顔が一番だって事!」
「……」
明らかにとってつけた様な彼の物言いに、ポーラは誰にも分からないくらいの小さな笑みを浮かべた。
(……期待して……いいのかな?)
――――……彼も自分を想ってくれている、と。
いつの間にか、さっきまで彼女の中にあった嫉妬心は、綺麗に消えていた。
すっかり上機嫌になったポーラは、しどろもどろになっているネスの手をとる。
「うえあっ!?ポ、ポーラ!?」
真っ赤になる彼に、朗らかな笑みを浮かべつつ彼女は言った。
「ありがとう、ネス。さっ、早く戻りましょう!」
「えっ?ありがとうって……わわっ!ちょ、ちょっと待って!」
一人先を歩くポーラに引っ張られ、つんのめりそうになりながらもネスは後を追う。
そんな彼を見て、彼女は思った。
(……いつか必ず、想いを伝えよう。それまで待っててね、ネス)
(……どうやら上手くいったようだな)
部屋に帰ってから仲良く話している二人を見ながら、プーは呟いた。
(うん。だけど、ネスは気づいたのかな?自分の気持ちに)
ジェフが疑問を口にすると、プーは苦笑する。
(ふっ、さあな。……だが、そればっかりは俺達が手伝えるもんじゃない。自分でなんとかしてもらわないとな)
(……そうだね。いつになるか分かんないけど……早く乙女心ってやつに分かってやれよ、ネス)
―――二人の願いが通じ、ネスが自分の想いを自覚するのは……もう少し先の話である。
あとがき
ポーラ→ネス気味の話でしたが、いかがだったでしょうか?
今回プーが初登場でしたが、書いてみると、なんか随分と大人っぽくなってしまいました(汗)
確か彼、15でしたよね?……なんでこんな風になったんでしょう?不思議です(オイ)
後いい加減、ここでのコメントも上手くなりたいです。……では。