〜月明かりの夜に〜

 

 

 

 

 

一日も終わりに近づいた時刻、見事な満月の輝く空。パームブリンクスにある豪邸の一室から、少年と少女の声が聞こえてくる。

「ユリス……」

不意に名前を呼ばれ、少年は動かしていた手を止めた。

「何? モニカ?」

聞き返すと、少女はからかいの交じった口調で言う。

「意外と上手じゃない。女の子の髪梳かすの」

その言葉に、少年は大きく溜息をつき、止めていた手を再度動かし始めた。

「……そりゃどうも。ってか、何でボクがこんな事……」

等と、ぶつぶつ文句を言いながらも櫛を動かす少年――ユリス。そして気持ち良さそうに目を閉じ、その感触に身を委ねる少女――モニカ。

その様子から、二人の関係が恋人だと察するのは難しくはないだろう。

「だって、自分でやるの面倒なんだもん」

「……なら、やんなきゃいいじゃん」

ぶっきらぼうに言い放つが、彼女は暢気に言葉を返す。

「あ〜ユリス、わかってないわねえ。髪は女の命なのよ? 毎日のしっかりとした手入れが大事なの。特に、朝起きた時とお風呂上りはね」

「……そんなに大事なら、自分でやるべきじゃない?」

「それが面倒だって、さっき言ったじゃない。私の話、ちゃんと聞いてた?」

「…………」

最早、何を言っても無駄だと悟った彼は、諦めて作業を続けることにした。

(大体いくら恋人の部屋だからって、夜に風呂上りのパジャマ姿でくるかな、普通?……まあ、別に嫌じゃないんだけど……)

――ああ、なに変な事考えてるんだ、ボクは! 

モニカに気づかれないように頭を振って考えを振り払い、ユリスは彼女の髪に、櫛を丁寧に差し入れて梳いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、ユリス?」

「……何?」

暫くして、再度話しかけてきたモニカに、彼は作業を続けながら答える。

「何か……本当に上手ね、髪梳くの。私が自分でやるより、ずっと……」

「そう?……それって単に、君が大雑把にやってるだけじゃない?」

呆れたようなその言葉に、彼女は憤慨した様に声を荒げた。

「違うわよ! 何よ、人がせっかく褒めてあげてるのに!」

「褒めてあげてるって……まあ、いいや。ねえ、もういい? いい加減疲れたんだけど……」

ユリスはうんざりした声を上げ、半ば頼む様に問いかける。……が、モニカの返答はつれない物だった。

「う〜〜ん、もう少しだけ。後五分、お願い」

「え〜〜?」

思いっきり嫌そうな声を出した彼に、彼女は意地悪げな口調で言った。

「してくれないんなら、今日の夕食でニンジンやピーマンを私に擦り付けた事、家の人達に……」

「やらせて頂きます」

モニカが最後まで言い終わらないうちに、ユリスは慌てた様に返事をする。その様子を背中で感じ、彼女はくすりと笑みを漏らした。

「うん、お願いね。本当に後五分だけでいいから」

「……了解」

そう言いながら、彼は再び櫛をモニカの髪に通す。

(それにしても……)

手を動かしながら、ユリスはふと思う。なぜ彼女はいきなりこんな事を頼んできたのだろうか?……と。

(自分でやるのが面倒って言ってたけど、今までは自分でやってたんだし、どうして急に……? )

あれこれと暫く考えていた彼だったが、やがてある事を思いつく。

(もしかして……)

そう考えると合点がいく。ユリスは溜息をつきながら手を止めた。

「?……ユリス?」

急に動作を止めた彼に、モニカは不思議そうに呼びかける。すると、ユリスは少々呆れた口調で言った。

「モニカ。……また怖くなった?」

「……!」

その言葉に、彼女は微かに反応する仕種を見せる。それを見て彼は「やっぱりね」と、言葉を続けた。

「……なんで分かったの?」

暫しの沈黙の後、モニカはポツリと独り言の様に呟く。

――――また怖くなった?

そう言った彼の言葉は、心の中を覗かれたのではないかと思うほど真理を突いた物だ。

「……なんとなくね」

ややあってユリスがそう言った。そして彼は止めていた手を動かし始め、また彼女の髪を梳かし始める。

「また、あの事を考えたんだろ?」

「……うん」

モニカは小さく頷く。それを見て、彼はフッと軽く笑った。

「気にしすぎだよ、モニカは」

「……だって……」

ユリスが気遣ってくれればくれる程、不安と恐怖が広がっていくのを感じながら、モニカはか細い声を出す。

「もし、別れが来たらって考えると……」

「……」

――――別れが来たら……。

そう。それは自分達にとって、ある意味避けられない宿命なのかもしれない。

互いに違う時代に生まれ、違う時代を生きてきた自分達。それがこうして同じ時間を生きている……当然、本来これは許される事ではない。

そういった事実があるが故に、ふと気づけば考えてしまう不吉な考え。

――――もしも、また未来に帰らなくなったら……? 

その考えは決してモニカの頭から消えることは無く、今も彼女を苦しめ、そして怖がらせている。

だが、彼と……ユリスと一緒にいる時はいい。そんな事を忘れさせてくれる程、彼から優しさや愛情を貰えるから。

しかしその反面、一人でいる時……特に夜には耐え難い程に胸が苦しくなる。

どうしようもない不安と恐怖の中、眠ることもままならずに過す夜。日に日に彼女は、そんな夜が増えていった。

だから、こうして彼の部屋を訪れたのだ。髪を梳いてくれ、なんて言うのは単なる口実。ただ、彼と少しでも一緒にいたいがための…

「ねえ、モニカ」

「あ……何?」

考えに沈んでいたモニカは、微かに慌てた感じで返事をし、ユリスに振り返る。

すると、彼はしっかりと彼女を見つめ、口を開いた。

「もう何回、この台詞言ったか分からないけど……君を手放す気なんて全く無いから」

「……ユリス」

その言葉が、心の中の嫌な思いを洗い流していく。

――――何時からだろう? 何時からユリスは、こんな風に大人びて見えるようになったんだろう?

言葉を失い、黙ったまま微動だにしないモニカに、彼は言葉を続ける。

「だから……そんな心配しなくていいよ」

そう言って自分を見つめる顔が、やけに格好よく見える。彼女は顔が赤くなるのを感じ、慌てて背を向けた。

「あ、ありがとうユリス……」

「くすっ……どういたしまして」

ユリスは微かに笑い、もう少し髪を梳いてあげようかと思って櫛を手にする。

そして、彼女の髪に櫛を通そうとしたその時だった。

突然プツンという音が聞こえ、部屋の中が瞬く間に暗くなる。

「……えっ? な、何? 停電!?」

モニカは驚いて声を上げ、キョロキョロと周囲を見渡した。

窓から差し込む月光のおかげで全く物が見えない事はないが、それでも急に暗くなった事に動揺を隠せない。

(な、何でいきなり停電するのよ?……そ、それより早く電気つけないと!)

そう思って掛けていて椅子から立ちあがろうとした彼女だったが……そのまま動けなくなってしまった。

(……えっ?)

一瞬なにが起こったかわからず、モニカは目をパチクリさせる。

そして数秒後。ユリスに後ろから抱きしめられていると分かると、彼女は暗闇でもわかるのではないかと思う程に顔を赤くした。

「ユ、ユリス!? い、いきなり何す……」

上擦った声を出しながら振りほどこうとするが、両腕もしっかりと抱きしめられているため、それは不可能だった。

「んっ! ちょ、ユリス! 放し……」

「……モニカ」

優しく、それでいてどこか弱々しいユリスの声が聞こえる。

「……!!」

すぐ耳元で聞こえたその声に、心臓がドクンと跳ね上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

理性はすぐに彼女を放せと言う。しかし、それは今の彼には到底無理な話だった。

何かの弾みで動いてしまった本能は、そう簡単に押さえきれるものではない。

(……マズイ)

柔らかいモニカの感触、そして仄かに漂う甘い香りに、彼は眩暈がしそうになる。

じたばたと彼女は身じろぎし、何かを叫んでいるが、そんな事を気に掛けている余裕など、自分には無い。

―――モニカが悪いんだ。

彼は、そう思わずにはいられなかった。……今までよく耐えていたものだと、ユリスは自分を褒める。

第一夜に男の子の部屋に、それも風呂上りのパジャマ姿で来るなんて、彼女はあまりにも無防備すぎる。

何とか気づかれないようにしていたが、彼女髪を梳かしている間、自分の心臓はずっとうるさく鳴り響いていたのだ。

そしてぶっきらぼうな物言いをしたり、少しばかり格好をつけたりする事で、どうにか理性を保っていた。

……が、突然の停電。これのせいで、ユリスの理性は大きく揺らいでしまった。

停電した時、彼の視界に入っていたのは、月光に照らされたモニカの後姿。

絹の様な彼女の紅く長い髪が、月光によって照らされているその姿は、この世の物とは思えないほど美しい物だった。

それと同時に、今にも消えてしまいそうに儚げに見え、彼は無意識に彼女を抱きしめていた。

(モニカの事言えないな、ボクも……)

彼は微かに自嘲じみた笑みを浮かべる。

――心配しなくていいよ。

そうモニカに言ったものの、彼とて不安に思う事はある。

自分の母がそうであった様に、彼女も自分の前から突然いなくなってしまうのではないか?……そんな考えに囚われる事が。

だが、彼はそういった気持ちを極力表に出さないように努力していた。

――――モニカの気持ちを少しでも楽にしてあげたい。

そう思ったが故に、自身の不安を隠し、不安に囚われている彼女を勇気づける自分を演じてきた。……が、今の自分の行動はどうだ? 

モニカが消えてしまいそうだと勝手に思っただけで、無意識に彼女を抱きしめてしまっている。それも弱々しく彼女の名を呼びながら……。

これでは今まで何のために不安を隠し続け、強い自分を演じてきたのかわかりはしない。

しかし、もう止める事はできない。本当の自分を……彼女を求めて止まない自分を……。

「モニカ……」

もう一度そう呼ぶと、彼女はビクッと身体を強張らせる。

後ろから抱きしめているため表情は見えないが、きっと顔を真っ赤にさせていることだろう。

そんな想像をしながら、彼はモニカの白い首筋に軽く唇を落とす。

「!……やっ!」

――――可愛い悲鳴。

その瞬間に彼女が発したその声を、ユリスはそんな風に思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――恥ずかしさで蕩けてしまいそう。

モニカは半ば本気でそう思った。

腕を封じられ、振りほどく事も出来ない状態で、首筋に落とされた柔らかい唇の感触。

それによって心臓はいっそう激しく脈打ち、頭の中は高熱を発した様にボウッとする。

(……ユリス)

最早抵抗する気も起こらない。彼女はただ、次なる彼の口付けを待つ。

すると、程なく二度目の唇が降り、彼女は再び反射的に声を上げた。

「あっ!……」

今まで感じた事がなかった甘美な感触。そして、これからずっと感じることになる甘美な感触。

次々と、そして段々と間隔を狭めながら、ユリスの唇が自分の首筋に落ちてくる。

「やっ!……あっ!……ん!」

次第に真っ白になっていく目の前、それと頭の中。……その直後、彼女は全身の力を抜き、彼に身を任せていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あとがき

 

お待たせしました、3000のキリ番小説です。

リク内容は『ユリス×モニカで甘め』だったので、こんな風になりましたが…どうなんでしょう、これ?(聞くな)

いや、頑張ったんですが……ご期待に副えてることを願います(切実。)

この後、二人が(自主規制)たのかは各自の想像にお任せします。個人的にはこの後すぐに停電が直るっていう

ベタな展開が好きですが()では。

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