〜世界の後に、救うは仲間(1)〜
(注)本編終了後、七章が始まっていないという設定です。
本筋にはあまり関係ありませんが、シャルロット→セージ、リース→ドラゴンマスター、デュラン→ソードマスターという認識でお願いします。
「司祭様、本当にありがとうございました」
時間からして本日最後になるであろう訪問者が、深々と頭を下げて帰っていく。
光の司祭はその姿が見えなくなるまで笑顔で見送った後、気の抜けたように眼前の教壇に突っ伏した。
「あ〜〜今日もやっと終わったです……」
疲労の色が濃く滲む独り言が、司祭の負担の大きさを鮮明に表している。
毎日毎日ひっきりなしに訪れる悩める者達。彼ら一人一人に導きの光を照らしていくのは、想像以上に大変な仕事だった。
肉体的に精神的にも、かつての冒険の方が遥かに楽だったのではないかと、司祭は常々思っていた。
(こんな大変な事を、ずっと続けてたんですね……)
ようやく教壇から顔を上げた司祭は、改めて先代の偉大さを噛みしめる。と、その時、聖堂の左側の扉が開き、見慣れた顔が姿を現した。
「今日もお疲れさまでした、っ……司祭様」
妙な所で言葉を詰まらせた少年は、司祭にぎこちない笑みを向ける。
そんな彼を一瞬ジト目で睨んだ司祭だったが、特に追及することはせずに嘆息と共に返事をした。
「やっとこさ覚えてきたですね、ミック」
「そ、それはまあ、あれだけ言われれば、流石に……」
「……の割にはさっき、前みたいに言いかけなかったですか?」
「ギクッ!……きき、気のせいじゃないですか?」
分かりやすく動揺した少年――ミックは、冷や汗を流しながら明後日の方向へと視線を向ける。
が、すぐに司祭へと向き直ると此処にやってきた要件を口にした。
「そ、それより司祭様。厨房の人がホットケーキを用意してくれるそうです。もうじき出来上あがると思いますから、食堂に行ってください」
「えっ、本当です!? やったあ!!」
満面の笑みで飛び跳ねながら、司祭は聖堂を飛び出していく。その後姿を見送るミックは、昔を思い出してつい独り言を漏らしてしまった。
「ああいうところは全然変わんないですね。とてもじゃないけど光の司祭には見えませんよ」
と、彼がそう言い終えた途端、周囲の空気が凍り付く。そして先程閉じたばかりの扉が開き、恐ろしく無表情な司祭の顔が出現した。
「なにか言いました、ミック?」
「い、い、いいえ! 何も言ってません! マナの女神様に誓って言ってません!!」
「…………」
必死に弁明するミックを司祭は暫し無言で睨みつける。
「ミック」
「な、なんでしょう?」
「ホットケーキ、あんたさんの分もあるんですよね?」
「もも、勿論司祭様に差し上げます! どうぞどうぞ!」
「そうですか? じゃあ遠慮なく貰うです。あ、後、今日の分の残ってる雑用、よろしくです」
「えっ!? い、いや、それはシャルロットさんの仕事……」
「ミック」
「……あ……」
いきなり厄介事を押し付けられた事に、ついミックは禁止されていた昔の呼び方をしてしまった。
慌てて口を覆うが、時既に遅し。無言の圧力をかけてくる光の司祭――シャルロットに、彼はただ怯える他ない。
「お願いしていいですね?」
「っ…………分かりました」
「よろしい」
シャルロットはそう言って頷くと、スタスタと聖堂を出ていった。一人残されたミックはげんなりとした表情で聖堂を見まわした後、盛大に溜息をつく。
「はあ……また余計な事言っちゃったな……」
何度目か分からない失態に、彼は思わず項垂れた。
マナの剣を巡る動乱から、幾許かの月日が流れた。
波乱万丈の末、マナの剣は仮面の道士によって失われてしまい、マナの樹が枯れ、世界からマナが消失する結果となってしまったが、辛うじて滅亡の危機は回避する事は出来た。
動乱の傷跡は何処もまだ生々しく、各国間の確執も絶えないままではあるが、それでも世界全体としては平和への道を歩んでいる事は確かであった。
そんな中、聖剣の勇者として動乱を収めたシャルロットは、かつてと大きく様変わりした日々を送っている。
具体的に言えば、異例の早さで五代目の“光の司祭”の称号を受け継ぎ、最高責任者として永世中立都市ウェンデルを担う立場となっていた。
勿論、まだ十代半ばの彼女が、これ程までのスピード出世を遂げたのには、相応の理由がある。
先の動乱で呪いによる病に倒れた先代で――シャルロットの祖父の容態は、回復したとはいえ万全とは言えないままであり、元々の高齢もあって以前までの様に業務をこなす事は難しかった。
その上、本人の非ではないにせよ、一度ビーストキングダムの獣人達によって征服寸前まで追い詰められた責任を問う事も少なからずあり、人望や求心力に陰りが見えつつあった。
更にはその影響で世界中の人々の信仰心も低下の一途を辿っており、宗教都市であるウェンデルは早急に手立てを打つ必要があったのである。
そこで考え出されたのが、新たなる光の司祭。その白羽の矢が立ったのが、シャルロットというわけである。
先代の孫娘であり、世界の危機を救った勇者。人々の関心を惹きつけるのに十分すぎる程の肩書と功績を、彼女は持っていたのだ。
本来なら光の司祭の座に就くには、相応の修行と試練をこなさなければならないのだが、そこは先の動乱での経験を考慮した上で特別に免除されて現在に至る。
尤も、流石に何の準備もなく就任したというわけではなく、事が決まってから暫しの間、彼女に待っていたのは勉学の嵐だった。
司祭しての作法から始まり、一般教養から各国の歴史、更には文学や雑学と、光の司祭に必要なのか否か分からない程の大量の知識を詰め込まれる日々。
それに伴って自然と文字の読み書きも覚え、その上で更に難しい知識を吸収していく。そんな日々を送る中で、気が付けばシャルロットは誰もが認める博識な少女となっていた。
更には、彼女の身体にも大きな変化があった。
エルフの血を引いている彼女は、齢十五にはとても見えない程に幼い容姿をしていたのだが、ここ数か月の内に急激に成長し、現在は年相応とまではいかずとも、それに近い少女の姿となっている。
あまりにも突然の変化に、本人も周囲も戸惑いの色を隠せなかったが、あれこれ調べる内に推測になるものの、原因らしきものは判明している。
多くの種族の中もエルフは極めて長寿なのだが、それはマナの影響を受けてのものであった。
つまり、マナが失われてしまった今、エルフはこれまでの様な長寿は望めず、いずれ他の種族と寿命が近くなっていくと予測されている。
そんな中で、半分エルフの血が流れるシャルロットは、かの影響を強く受けた為、成長が早まったのではないか、との事だった。
あるいは単に一般的な人間よりも遅れている成長期がやってきただけ、という見方もあったが、なんにせよ今のシャルロットはかつてのような幼子ではない。
舌足らずだった言葉遣いも鳴りを潜め、従来の可愛らしさと最近身に着けた博識ぶりも手伝って、“美少女”や“才女”と褒めはやされるようになっていた。
就任発表の当初こそ絶えなかった不安や非難の声もあっという間になくなり、今では逆に惜しみない称賛と尊敬の嵐である。
ウェンデルとしてもこれを放っておく手はなく、頻繁にシャルロットが主役の催しを開き、光の司祭の威厳ないしウェンデルの名誉回復に勤しんでいた。
その甲斐あってか、一時期危ういと思われていたウェンデルの地位も回復し、永世中立都市として存在し続けられるだけの力を保っている。
この様にシャルロットの出世は、言うなればプロパガンダ的な意味合いもあり、本人もそれとなく理解はしていたのだが、特に不満を言ったり不愉快に思ったりする事はなかった。
――――どんな形であれ、故郷が賑わい、世界の人々が救われ、祖父の負担が減るのなら、それで良い。そう思っていたからである。
「全くミックってばいつまで経っても……本当に失礼な奴です」
ガランとした食堂でシャルロットは一人、プリプリと怒りながらホットケーキを頬張っていた。
その姿は外見年齢相応のもので、とてもウェンデルの長には見えない。こんな姿を“光の司祭”としての彼女しか知らない人が見れば眼を丸くする事だろう。
尤も、実際には今のシャルロットこそが、素であると言えるのだが。
「やっぱりもうちょっとしっかり仕込まな……もとい教育しないといけないですね。なんてったって、あたしの子分なんですから」
ホットケーキを食べる手を止め、フォークをクルクルと回しつつ、シャルロットは何やら不穏な笑みを浮かべる。
「手始めにあれをああして……次にあれを……ふっふっふ……」
聖職者という己の立場を完全に忘れてしまったかのような、邪悪な笑顔。そんな笑顔で良からぬ想像をしていた彼女だったが、不意に聞こえてきたドア越しの声に我に返る。
「シャルロット、今大丈夫かい?」
「っ!?……え、ええ勿論! 大丈夫です!」
最愛の人物の声に、シャルロットは慌てて姿勢を正す。そして手櫛で軽く髪を梳かし、精一杯可愛く見えるように微笑んで声の主を出迎える準備をする。
そんな彼女の準備が終わった直後にドアが開かれ、銀髪の青年が姿を現した。
「おかりなさい、ヒース! 今帰って来たんですか?」
「ああ。今日も一日ご苦労だったみたいだね、シャルロット。……おっと、光の司祭様にこんな言い方はマズかったかな?」
「とんでもないです! ヒースは今まで通りに接してくれたら良いんですよ!」
シャルロットが大袈裟に首を振って答えると、青年――ヒースは少し困った様に微笑みながら、彼女の隣の席に腰かけた。
「そっか。それならお言葉に甘えてそうするよ」
「はいです。そうしてください。……ところで、どうしたんですかヒース? 何か用事ですか?」
「ああ、実は……」
ヒースが用件を言いかけた時だった。バタバタと慌ただしい足音が近づいてき、豪快に食堂のドアが開かれる。
そして、血相を変えて荒い呼吸をしているミックが飛び込んできた。
「シャルロットさん! シャルロットさん! 大変です! 大変です!!」
「もう何ですかミック! せっかくヒースとお話ししてたのに! それにもう何度も何度も言いましたが、あたしの事は……」
「それどころじゃないんですってば! さっき滝の洞窟で落盤事故が起こって、数人が大怪我を……!!」
「っ!?」
瞬間、シャルロットは怒りの表情を引っ込めて、緊張で顔を強張らせる。が、それも束の間、急いで席を立つとミックへと詰め寄った。
「怪我した人は、今何処に!?」
「や、宿屋です! 宿屋で応急処置を……だからシャルロットさん、急いで……」
「分かってるです!」
ミックが言い終わらない内にそう答えると、シャルロットは大慌てで食堂を飛び出していった。
その後姿を見送った後、ミックはようやく落ち着いてきた息を整えつつ、額の汗を拭う。
そんな彼に歩み寄ったヒースが、同じくシャルロットが走り去っていった廊下を眺めながら、難しい表情で呟いた。
「……つくづく歯がゆいな。こういう時、あの娘に任せるしか出来ないというのは」
「ヒースさんはまだ良いじゃないですか。僕なんて、こうして知らせる事しかできないんですよ。おまけに、後で絶対色々愚痴聞かされるし」
「ああ、それは……心苦しいだろうけど、我慢して欲しい。シャルロットの負担は、とても大きいのだから」
「分かってますよ。それよりヒースさん。シャルロットさんが戻ってきたら、労りの言葉をかけてあげてくださいね。でないとま〜た機嫌悪くなって、こっちにとばっちりが来るんですから」
げんなりした顔でそう言ったミックに、ヒースはただ苦笑を返すしかなかった。
マナの消失。それはまた、魔法の消失を意味するものでもあった。
魔法王国アルテナ程ではないにせよ、聖都ウェンデルにとっても、この事は決して小さな問題ではない。
聖職者である司祭や僧侶は例外なく癒しの魔法の使い手で、それをもって人々の傷を癒すのが仕事の一つであったのだ。
しかし今や聖職者としての力は、豊富な知識と培ってきた慈愛の心のみ。勿論それらも決して欠かせない物なのだが、やはり魔法の消失は相当な痛手であるのは間違いなかった。
だが、そんな中で例外となる人物が二人だけ存在した。シャルロットとヒースである。
シャルロットはマナの樹の種であるフェアリーに長期間憑依されていた為か、未だ幾許かのマナを有していた。
そのお陰で、かの動乱の時程までとはいかずとも、辛うじて癒しの魔法――“ヒールライト”と“ティンクルレイン”を使う事が出来るままでいる。
これもまた、彼女の光の司祭としての評判を上げている理由の一つであった。
対するヒースは、マナの女神からフェアリーだった時の命を授かった影響で、シャルロットと同じくマナを有る事が出来ている。
尤も、彼が使う事が出来るのは“ホーリーボール”や“セイントビーム”といった攻撃魔法で、シャルロットのように人々を癒す事は不可能だった。
それでも今や唯一人となった攻撃魔法の使い手として、危険地域の調査や各国の要人の護衛、更には未だ徘徊する魔物達の駆除等と多忙な日々を送っていたのであった。
シャルロットが落盤事故による怪我人を治療し終えたのは、既に曜日が変わろうとしているシェイドの刻であった。
疲労の蓄積により覚束ない足つきで神殿へと戻り、面倒とは思いつつも年頃の女として欠かす事の出来ない風呂に入る。
それが終わると光の司祭になってから宛がわれた個室に向かい、中に入ると勢いよくベッドに突っ伏した。
「あ〜〜〜〜……」
気怠さ全開の声を発すると、今までに感じていた疲労と眠気が一段と強くなっていく気がした。
普段ならこの後に髪を梳かしたりするのだが、今日はもう何もしたくないと、シャルロットは強く思う。
「丁度明日は休みですし……このまま寝ちゃって……」
呟いている間にも、眠気は増していく一方だった。
それに対して抗う気力も理由もなかったシャルロットは、全身の力を抜いて静かに瞳を閉じる。
しかし、まさに彼女が眠りに落ちようとした刹那、控え目なノックがそれを妨げた。
「シャルロット? まだ起きてるかい?」
「?……ヒース? どうしたんですか?」
普段なら聞くだけで心浮き立つ彼の声も、今は鬱陶しく思ってしまう。
不機嫌な声と共に上半身を起こしたシャルロットに、ヒースは申し訳なさそうな声でドア越しに話しかけた。
「すまない。夕刻に話そうとしていた件なんだ。実は結構重要な件でね。これを読んで欲しい」
彼がそう言い終えると、ドアの下の隙間から一枚の手紙が差し込まれる。
「……手紙?」
「ああ。それじゃ頼んだよ、シャルロット。おやすみ」
「おやすみです……」
形式的に挨拶を返しながら、シャルロットはヨロヨロとベッドから降りて手紙を拾う。
ヒースにああ言われたものの、面倒だから明日になってから読もうと考えていた彼女だったが、手紙に封印に記されていた紋章を見た途端に眠気が覚めた。
「これは……ローラントの? もしかして……」
シャルロットは脳裏にかつての仲間の一人を思い浮かべながら、暫し手紙を見つめる。
やがて我に返った彼女は再びベッドに飛び乗ると、すぐ隣のナイトテーブルの引き出しからレターナイフを取り出して手紙を開封した。
そして文面の冒頭に書かれていた差出人の名前を眼にして、思わず声が漏れる。
「ライザさんから? 一体なんですかね……」
かつての仲間の一人が、最も信頼している女戦士からの手紙。
興味半分緊張半分な気持ちになったシャルロットは、無意識にベッドの上で正座しながら手紙を読み進める。
かいつまんでの内容はこうだった。
――――リース様の事で、内密に相談したい事がある。光の司祭殿に無礼極まりない事は承知の上だが、極秘事項なので一人でローラントまで足を運んでもらえないだろうか?
「…………中々どうして、とんでもない頼み事ですね」
読み終えたシャルロットは、苦笑しながら天井を眺める。
常識的に判断するならば、即刻断らなければならない事だ。かつてのシャルロットならいざ知らず、今の彼女はおいそれと単独行動がとれるような立場ではないのだから。
しかしシャルロットは、既にこの頼みを引き受ける事を決めていた。
「あたしの僕であり弟子が困っているとくれば、放っておけないですからね。はあ……やれやれです」
うんざりしたような言葉とは裏腹に、シャルロットの口調と表情は実に明るかった。