〜世界の後に、救うは仲間(2)〜
翌朝、シャルロットは普段よりも少し遅めに起床すると、朝食を始めとした朝の日課を手早く済ませた後、ローラント宛の手紙をしたためた。
頼み事を快諾する旨を手短に纏め、丁寧に封をする。そして出来上がった手紙を持って、ヒースを探しに出かけた。
予想通り、彼はすぐに見つける事が出来た。お気に入りの場所であるバルコニーで一人寛いでいた彼に、シャルロットは話しかける。
「ヒース、おはようです」
「おはよう、シャルロット。私に会いに来たという事は、手紙の件かな?」
「さっすが、話が早いです。……って、当然ですね。昨日までヒースはパロにいたんですし、あの手紙はライザさんから直接貰ったんでしょ?」
「ああ。町を歩いていたら呼び止められてね。けど、最初は驚いたよ。初対面な筈のウエイトレスに、いきなり名前で呼ばれたんだから」
「ウエイトレス?……ああ、そう言えばパロで最初に会った時は、そんな事してましたね。ライザさん、今でも酒場で働いてるんですか?」
「時々だけど、そうみたいだよ。まあ密偵的な活動も兼ねてるみたいだったけど……とにかく、そんな彼女から懇願されたんだよ。『この手紙を、光の司祭様にご内密に』とね」
「そうですか」
ヒースの隣で、手すりの上で腕組みをした両腕に顎を載せながら、シャルロットは呟く。
遣り取りの経緯からして、やはり公にしたくない案件なのは間違いないだろう。
ヒースがパロを訪れたのは公務であり、ローラント側にも当然通知してあった。そのタイミングを狙って、ライザは彼に接触したのだろう。それもわざわざウエイトレスとしてだ。
彼女はローラントでもアマゾネス軍副隊長という地位に就く人物である。
なにもこんな回りくどい事をしなくても、承諾するか否かはともかく、ヒースに直接接触すれば掛け合ってくれることくらいは理解出来る筈である。
そこまで考えたシャルトットは、改めて手紙の内容を思い返す。
――――リース様の事で、内密に相談したい事がある。
「…………よく一人で抱え込みがちでしたからねえ」
「まあ、力になってあげなよ。大切な仲間なんだろ?」
「わかってるです。……?………っ!? ヒ、ヒース!? ま、まさか手紙を……!?」
彼に限ってそんな事はない、とは思いながらも、シャルロットは慌てた様子でヒースに振り返る。すると彼は、可笑しそうに首を横に振った。
「安心して、読んでなんかないよ。だけどわざわざウェンデルを通さず、シャルロット個人へ手紙を送ってくるという事は、リース王女に関するものとしか考えらないからね」
「ははあ、流石はヒース。冴えてるです」
「そんな事ないさ。……ところでシャルロット。都合が悪ければ答えなくても構わないけど、手紙には何と?」
「ああ、ごめんなさいです。詳しい事は何も書かれてなかったです。極秘だからローラントに一人で来てくれって……リースさん、どうしちゃったんでしょうかねえ」
あの旅以来、一度も会っていない仲間の片割れの顔を思い浮かべながら、シャルロットは中空を見上げた。
風の王国ローラントの王女――リース。
聖剣の勇者であるシャルロットを補佐する形で、先の動乱を戦い抜いた彼女は現在、どうにか復興の軌道に乗ったローラント再興に全力を注いでいる。
しかし、王女という身分でありながら外交等の公の場に出てくる事は殆どなくなり、代わりに彼女の弟であるエリオットが出席するケースが大半であった。
聞くところによると、将来ローラントの王位を継承するのはエリオットなのだから、早いうちに彼に経験を積ませたいと、自身は裏方に回っているらしい。
かなり無茶があるように思えるが、現にエリオットは着々と政務の経験を積み、大人相手でも怯むことなく議論出来るようになっているのだから、結果的には正しかったのだろう。
だが、それにしたってあまりにも姿を見せなさすぎではないか、という声も多々有るのが現実である。シャルロット自身動乱の後、手紙の遣り取りは幾許かあれど、一度も顔を合わせていなかった。
何度か会わないかと打診した事はあったのだが、いずれも断りの返事をもらい続けて現在に至る。そんな状況の中で、多種多様な噂話が生まれるのは無理からぬ事であろう。
大きな病を患っただの、顔に大きな傷を負って人前に出られなくなっただの、傷心状態で廃人同然になっているだの、挙句実は既に死亡していて今は影武者を用意しているといった突飛なものまで。
当の本人が顔を見せない時が長くなる程、そんなロクでもない噂話がドンドン広まっていき、今や軽い娯楽めいたものにまでなっている。
光の司祭となり多くの人々と関わるようになったシャルロットも、既に数えきれないくらいにこの話題を耳にし、複雑な思いを持て余していた。
周囲には弟子や僕と言ってはばからなかったが、実際のところシャルロットはリースを姉の様に感じ、慕っていた。
恥ずかしくて当の本人には絶対に言わないと決めているが、彼女の支えがなければ聖剣の勇者としての責務は、きっと全うできなかっただろう。
だから、もしもリースが困っているのなら力になりたい。悩み事があるのなら、話を聞いてあげたい。シャルロットは会えない寂しさも手伝って、常日頃からそう思っていた。
そんな時に舞い込んできた、今回の一件である。彼女にとっては、願ってもない事だった。
「……まっ、今あれこれ考えても仕方ないですね。それじゃヒース、その手紙、よろしくお願いするです」
「了解。早速ローラントに届けに行ってくるよ」
「へっ?」
突拍子もないヒースの言葉に、シャルロットは眼を丸くする。
「い、今すぐ行くんですか!? さ、流石にそこまで早くなくてもいい気が……ヒース、今日は休みなんですし」
「そうも言ってられないよ。こういう内密な事は、可能な限り迅速に進めないとね。きっと向こうも、それを期待してるよ」
「ふ〜ん、そういうもんなんですか?」
「ああ」
シャルロットの疑問に頷きを返すと、ヒースは踵を返して神殿内へと向かう。その最中、振り向きもせずに彼は言った。
「恐らく、ローラントからの返事もすぐに届くだろう。だからいつでも向こうに赴けるようにしておくんだよ。体調を崩したりしないようにね」
「わかってるです。それよりも、休みが取れるかが難関ですけどね」
「はは、それは私も可能な限り力添えするよ」
ヒースはそんな苦笑交じりの言葉と共に、神殿へと入っていった。後に一人残されたシャルロットは再び中空を見上げ、わざとらしく溜息をついた。
「やれやれ……みんな忙しないんですから、本当」
数日後にローラントから戻ってきた彼は、ライザからの新たなる手紙を携えていた。
そこには頼み事を引き受けていた旨に関しての感謝と、準備は出来ているので大至急ローラントに来て欲しいという旨が書かれていた。
シャルロットはヒースの読みの鋭さに感動しつつ、すぐに出発の準備を始めた。
ヒースに手伝ってもらいながら神官達をどうにか説得して休日を獲得。その後大急ぎで必要最低限の荷物を纏め、光の司祭だと気づかれぬよう身だしなみを整える。
それらを済ませると、一息つく間もなくウェンデルを発つ。道中、パロへの定期船まではヒースが同行する事になった。
「お〜〜見えてきたです! いやあ、久々ですね〜!」
水平線の先に小さく姿を現したパロに、シャルロットがはしゃいだ声を上げる。するとそんな彼女を、隣に立っていたヒースが窘めた。
「あんまり大きな声を出したらダメだよ。気づかれたら大事だ」
「大丈夫です。大抵の人は、仕事の時のあたししか知らないんですから」
軽く頬を膨らませながらそう答えたシャルロットは、深くフードを被ったパーカー姿で、そこから覗く金髪も普段と違ってツインテールにしている。
確かにこの格好なら光の司祭としての彼女しか知らない者が見ても、気づかれない可能性は高い。しかしヒースとしては、心配な事に変わりなかった。
今はまだ自分が傍にいるからどうにでもなるが、パロに着けばその先はシャルロット一人で行動しなければならない。
極秘事項故にシャルロット一人でローラントに赴いてほしいというのが、向こうの要望なのだ。無茶な頼みとはいえ、承諾した以上はそれに従わなければならない。
だが、シャルロット単独での他国領内の行動は危険極まりない、というのがヒースの思いだ。
先の動乱の主役であり戦闘経験も豊富とはいえ、まだ若い少女。何かのトラブルにでも巻きまれたらと考えるだけで胃が痛くなる。
一応、護身用にフレイルを隠し持ってきてはいるようだが、それで大暴れでもしようものなら、また別の意味で問題だ。
考えれば考える程にヒースの心配は募っていくが、そんな彼の心情など知る由もないシャルロットは、すっかり上機嫌な様子で鼻歌交じりに船がパロに到着するのを待ちわびている。
もう少し緊張感を持ってほしいと切に願うヒースだが、仮にそれを口にした所で聞き入れるシャルロットではないと重々理解していた。
――大丈夫なんだろうか?……しかし、私がついていく訳にもいかないし……はあ……。
ヒースが心の内で溜息をつくと、シャルロットは一際嬉しそうな顔で彼に振り返った。
「あっ、もうすぐパロに着くですよ! あ〜〜カモメさんが一杯いるです! やっぱり漁港ですね〜〜!」
「わ、分かった分かった。分かったから、あんまりはしゃがないでくれ」
名前を呼ぶわけにもいかず、ヒースは船上からカモメを指差して飛び跳ねているシャルロットを、冷や汗を流しながら宥める。
「おやおや、元気な女の子だねえ」
「初めて船にのったのかしら? とっても楽しそう」
不意にそんな声が遠くから聞こえてきた。ヒースが声の方向を見ると、壮年の女性二人がクスクス笑いながらこちらを眺めていた。
おそらく傍からは、元気な妹の面倒を見ている兄といった風に見えるのだろう。そう思われるのは構わないが、変に注目されて自分達の素性がバレやしないかと思うと、ヒースは気が気ではなかった。
それでもどうにかトラブルが発生することなく、船はパロへと辿り着いてくれた。安堵の溜息をつくヒースを尻目に、シャルロットは上機嫌で船を下りていく。
「それじゃ、行ってくるです」
「ああ、気をつけるんだよ。くれぐれも、羽目を外さないように」
「了解です!」
わざとらしい敬礼のポーズを取りながら返事をすると、シャルロットはスキップしながら港を離れていく。その後姿を見送りながら、ヒースは本日何度も心に浮かんだ言葉を口にした。
「……本当に大丈夫なんだろうか?」
「わあ……暫く来てなかったけど、あんまし変わってないですね〜。相変わらず、お魚が美味しそうです」
露店で売られている焼き魚を眺めながら、シャルロットはパロの町を歩く。出来るならば少し観光としゃれこみたいところだが、流石に今はそれどころじゃないと判断できる。
シャルロットは不満を感じつつも、ローラント城への通り道である『天駆ける道』に通じる門を目指した。
(山登りは疲れるんですよね……まあ、他に道はないからしかたないんですけど)
軽い嘆息と共に、彼女が門を開こうとした時だった。
「光の司祭様ですね?」
「っ!?」
やにわに聞こえた自分を呼ぶ声に、シャルロットは顔を強張らせて懐に隠し持っているフレイルに手を伸ばした。
しかし、それを取り出す事はしない。その行為は、自分が光の司祭だと声の主に確認させてしまうものだからだ。
(バレたですか!? それとも、ハッタリ?……っ……)
彼女はフレイルを握る手に力を込めながら、なるべく不自然にならないように周囲を見渡しつつ、向こうの出方を待つ。
すると暫くして、再び先程の声が聞こえてきた。
「警戒なさらないでください。私です、ライザですよ、光の司祭様」
「!……ライザさん?」
フレイルから手を離しつつ、シャルロットは声の方へと振り返る。するとその先――民家の陰から、一人の女性が徐に顔を見せた。
見覚えのある顔である。凛とした表情に、穏やかながらも鋭い光を放つ眼差し。誰が見ても美人であるといえるその女性は、間違いなくライザだった。
緊張の糸が切れたシャルロットはホッと息を吐くと、両手を腰に当てながらライザに抗議する。
「ああ、ビックリした……普通に出迎えて欲しいですよ、ライザさん」
「申し訳ありません。此度の事情故、堂々とお出迎えするわけには……それにしても話には聞いておりましたが、立派になられましたね。失礼かもしれませんが、前にお会いした時とはまるで別人のようです。本音を言えば今のような訊ね方をしたのには、少し自信がなかったところもあるのですよ」
「ふう……似たような事、よく言われるです。まっ、あたし自身も驚いてるくらいですから、仕方ないですね。原因もハッキリしてないですし」
「ハーフエルフ特有の成長、というわけではないのですか?」
「そういう可能性が高いとは聞いたです。でも、断言できるわけでは……って、今はあたしの事はいいでしょ、ライザさん」
「っ……そうですね、世間話に興じている場合ではありません。光の司祭様、ご来訪早々申し訳ありませんが、ローラント城までお越しいただけますか? 詳しい事情はそこにて」
「了解です」
シャルロットが頷くと、ライザは踵を返して先を歩いていく。その後ろを、シャルロットはピッタリとくっついていった。
久方ぶりに訪れたローラント城は、先の動乱の時とは打って変わって活気に溢れていた。
警備や訓練をしているアマゾネス達の姿が多数見られ、パロの住人と思わしき人や行商人の姿もある。そんな大勢の人々の喧騒に包まれているローラント城が、シャルロットには酷く新鮮に見えた。
「ほえ〜〜随分と賑やかになったもんですね」
「はい、ようやくかつての姿に戻りつつあるところです。これもエリオット様が尽力なさった結果ですよ」
「へえ、頑張ってるんですね、リースさんの弟さん」
「ええ。今はリース様が、公の場に出る訳には行きませんから」
僅かに悲痛めいた声で、ライザはそう呟く。そこから嫌な物を感じたシャルロットは、自分でも分かるくらいに不安げな声で訊ねた。
「リースさん、やっぱり病気か何かなんですか?」
「いえ、病気というわけではないのですが……とても公に出られる状態ではないのです」
「?……どういう事ですか?」
「それは……っ……申し訳ありません。私の口からとても……今はどうか、ついてきてください」
そう言いながら、ライザが正門の扉を開けた。どうやらリースの部屋へと案内するつもりらしく、そのまま二階へと向かっていく。
シャルロットはその後を追いながら、もうすぐ会えるであろう友に対して、不安と不審を募らせていた。
(本当になんなんですかね? 病気じゃないのに人前に出られない……う〜ん、分かんないです)
首を傾げながら階段を上り終わり、玉座の間へと出る。するとそこには、額を合わせて話し込んでいる見知った二つの顔があった。
――――リースの弟であるエリオット王子に、リースの乳母であるアルマ。
何やら深刻な話題らしく、どちらもその表情は暗い。特にアルマに関しては、遠目からでもハッキリとわかるくらいに眼に隈が出来ていた。
と、向こうもシャルロットの存在に気づいたらしい。揃って彼女の方に振り返ったかと思うと、アルマが何やら慌てた様子で右の通路へと消えていく。
そして残ったエリオットが、ゆっくりとシャルロットの方へと歩み寄ってきた。
「光の司祭様。遠路遥々、ようこそおいで下さいました」
畏まった様子で深々と頭を下げるその振る舞いは堂々たるもので、王族の威厳がひしひしと感じられる。
風貌こそ以前に見た時と変わらず幼い少年だが、雰囲気は随分と変わっているとシャルロットは思った。それ故か少し気後れしてしまったが、慌てて我に返るとお辞儀をする。
「ご、ご丁寧な挨拶ありがとうございますです、エリオット王子」
「エリオットで構いませんよ、司祭様。この度は公務でお呼びしたわけではないのですから」
「そ、そうですか? それじゃあ、そっちも司祭様じゃなくてシャルロットでいいです。お互い様って事で」
「っ……分かりました。それではシャルロット様。どうか、お願いです。その……お姉様の力になってあげてください」
改めての頼みに、シャルロットはエリオットに訊ねる。
「勿論そのつもりですけど、その前に教えてくれないですかねえ。リースさん、一体どうしちゃったんですか?」
「そ、それは……その……」
心なしか頬を赤らめて、エリオットは言い淀む。そんな彼を不思議に思ったシャルロットが尋ねようとした矢先、忙しない足音と共にアルマの声が聞こえてきた。
「光の司祭様、光の司祭様」
「アルマさん? どうしたんですか?」
「急いでリースお嬢様のお部屋にいらしてください。ようやっと、リースお嬢様を説得いたしましたので」
「へ? 説得?」
予想外の言葉に間の抜けた声を出してしまったシャルロットに、エリオットが説明する。
「すみません、まだお伝えしていませんでしたね。実はお姉様には、まだシャルロット様がお越しになる事を伝えていなかったのですよ。今回の件は、我々が独断で進めた事なのです」
「ど、独断?」
「はい。実はお姉様は今、誰とも会いたがらないと言ってまして……でも、大切な友人であるシャルロット様が来たとなれば、無下に扱う事もしないだとうと思いまして、それで……」
「え、えっと……なんだかイマイチ分からないですけど、とにかくリースさんと話をすればいいって事ですね?」
「ええ、その通りです。どうか、お姉様をよろしくお願いします」
そう言うと、エリオットが再び頭を下げる。それに倣うようにアルマとライザもシャルロットに向けて頭を下げた。
未だ釈然としないシャルロットだが、こうも丁寧に懇願されては引き受けざるを得ない。
戸惑いがちに了承の返事をすると、彼女はぎこちない足取りでリースの部屋へと向かった。