プロローグ〜振り切れない想い〜
「……よし……っと……」
疲労の色を少し表情に浮かべて、ボクは黙々とペンを走らせる。
かつて、望んでいた事とは懸け離れている事。けれども、思っていたよりも悪くないと感じていた。
「ふう〜、これでこの書類は良いな」
ようやく最後の書類にサインを終え、ボクを置きながらスチュアートに聞く。
「スチュアート、これで今日は終わり?」
「はい坊ちゃま、それで最後でございます。お疲れ様でした」
そう言いながら書類を片付けるスチュアートを、ボクは伸びをして眺めつつ椅子にだらしなく腰掛ける。
こうしていると、気の抜けた声が出てくるのは致し方ない事だった。
「あ〜疲れた……」
それを見て「坊ちゃま、お行儀が悪いですよ」とスチュアートが言ったけど、今はそれに答えるのも億劫なくらい疲れている。
軽く手を振って返答すると、ボクはゆっくりと瞳を閉じた。
――――アトラミリアの石をめぐるグリフォン大帝との戦い。そしてその後に待っていたゼルマイト鉱山銅での一騒動から三年。
世界はゆっくりではあるけれど、確実に復興への道を歩んでいた。
バース鉄道が世界中に敷かれるようになってから、町の人達も自分の好きな場所に移住していき、世界は活気づいていった気がする。
そんな中、ボクはメンテナンスショップを開く傍ら、父さんの仕事を引き継いでやっている。
父さんときたら、二年前にいきなり「もう私ではなくお前の時代だ」とか言ってボクに仕事を押し付け、ヘイム・ラダに移住してしまった。
おまけにスターブルも「お前はもう一人前じゃ」って店をボクに任せてバース壱号の整備員になってしまったし。
おかげでボクはとても忙しい日々をおくっている。
店の方はともかく、父さんの仕事――鉱山用の道具やトロッコの発注とかの書類整理は、慣れてない分すごく疲れる。
さらにニード町長が時々(と本人は言ってるけど、ほとんど毎日)鉱山にでるモンスター退治を依頼してくるから、本当に忙しいんだ。
だけど、この忙しい日々に感謝もしている。退屈だと余計なことを考えてしまうから…………。
「……ん」
暫くして、ボクは閉じていた瞳を開けた。先程までいたスチュアートの姿は何処にもない。
恐らく、読書でもしに部屋へ戻ったのだろう。ボクは軽く欠伸をした後、眼を擦りながら立ち上がった。
「ふわあ……さてと、銃の手入れでもしとこうかな。町長がいつ頼みにくるか分かんないし」
やや皮肉っぽくそう呟きながら、ボクは今までの町長の頼みによって起きた、自分の不幸を思い返えす。
(確か昨日は……深夜一時だったっけ?せっかく寝てたのにパジャマのまま鉱山に行かされたよな。それから一昨日は……ええと、ああ仕事中だった。
で、強引にモンスター退治に連れて行かれて、その日遅くまで仕事しなきゃならなくなったんだ。それで一昨昨日は……)
いざそんな風に思い返してみると、頼んでくる町長も町長だけど、毎度毎度引き受けるボクもボクだと思う。
勿論いつも快く引き受けているわけじゃなく、文句を言うことだって多々ある。
だけど、結局最後には了承しなきゃならないんだ。――……じゃないと帰ってくれないんだよね、ったく。
まあ、一回ぐらいビシッと断れば引き下がってくれるかもしれないが、そういう訳にもいかない。
なんせゼルマイト鉱山は全世界を繋ぐバース鉄道の燃料――ゼルマイト鉱石が採れる唯一の場所だ。
モンスターが巣食っていて鉱石が採れない、なんて事になったら世界規模の問題になってしまう。
その上マズイ事に、この町にはボク以外にモンスターと戦える人がいないときたもんだ。
だからモンスター退治はすでに、ボク専門の仕事に成り果ててしまっている。つまりは頼まれたら引き受けるしかない、という状況なんだ。
とまあ、そんなこんなでずっとモンスターと戦ってばかりいるもんだから、銃の故障率が半端ない。毎日手入れしとかないと、大変な事になる。
不十分な状態で鉱山に行ったら、モンスターに囲まれている中で壊れて、死にそうな目にあった事だってある。
なので、暇を見つけては銃の手入れ、あるいは改造するのが最近の日課になっているんだ。
(昨日は結構使ったから、いつもより念入りにしておこう……)
そう考えながら椅子から立ち上がり、自室に戻ろうとするとルネが入ってきた。
「坊ちゃま、クレアさんが来ていらっしゃいますが……」
「クレア?何て?」
「何でも、坊ちゃまに頼みがあるそうです」
「頼み?……何だろう?」
仕方がないのでボクはクレアの待っている玄関に向かう。程なく玄関に着くと、彼女が申し訳なさそうに立っていた。
「あ、ユリス。今から大丈夫?」
「どうかしたのクレア?何か大変なことでも?」
「それが、掃除機が壊れちゃったの。明日友達がくるからお掃除しないといけないのに……すぐに直せない?」
「うーん……」
時計に眼をやると、午後8時。――……掃除機ぐらいなら割と簡単に直せるし、大丈夫だろう。
「わかった、じゃあ店の方に持ってきて。直ったら届けるから」
「ありがとうユリス!それじゃすぐに行くから!」
言うなりクレアは、自宅の方へ走っていった。
それを見届けた後、ボクは自室に戻って部屋着から作業着でもあるデニムのオーバーに着替える。
「ルネ、スチュアートに出かけるって伝えておいて」
「わかりました。坊ちゃま、お気をつけて」
ルネにそう頼むと、ボクは玄関をくぐる。
そして満天の星空の下、メンテナンスショップへと駆けていった。
「本当にユリスはすごいわね、三十分で直しちゃうんだもん!」
クレアは感心の言葉を言いながら、コーヒーをカップに注ぐ。ボクはお礼を言ってそれを受け取った。
彼女の掃除機の修理は思ったより簡単だったので、随分と早く終わった。そういう訳で、ボクはクレアの家でコーヒーをご馳走になっている。
「でもゴメンねユリス、仕事の後で疲れてたんじゃない?」
「あれくらい平気さ。むしろ、良いリラックスになったしね」
申し訳なさそうに尋ねてきたクレアに、ボクは笑って答える。
すると、クレアは「それならいいんだけど……」といいながらコーヒーを口に運んだ。
「でも、本当にごめんなさいね。最近忙しいって聞いてたから……」
「良いって良いって。機械の修理は趣味も兼ねてるしさ。それにボクの事を気遣うなら、町長の頼みの方をなんとかして欲しいんだけど?」
「クス、それは無理よ。だってパパが言ってたもの、『この町でユリスほど頼りになる奴はおらん』て」
――……たぶんそれは『頼りになる奴』じゃなくて『便利な奴』って事だと思うけど。
「いや、しかし……ああも毎日毎日モンスターが出てくるものなのかな?」
「ああ、その事なら……何でも、モンスターが巣食っている場所ほど、ゼルマイト鉱石がいっぱい採れるんだって」
――……つまりわざわざモンスターが出そうな所ばっかり掘ってるってことか。
「そういう訳でこれからもよろしくね、ユリス」
呆れて溜息すら出ないボクに、クレアはフワリと微笑む。
何の邪念も無い、純真そのものな笑顔――幼馴染であるボクから見ても、それはとても美しい物だった。
(町の男の人がこの顔みたら、きっと何でもしちゃうんだろうな……)
ボンヤリとそんな事を考えたボクは、苦笑を浮かべながら残っていたコーヒーを飲み干す。
それからひとしきり話をしていて、ふと時計を見るといつの間にか10時前を刺していた。
誰かとこんなにゆっくり話をしたのは久しぶりだったから、つい時間の事を忘れていたらしい。
「おっと。クレア、ボクそろそろ帰るよ。だいぶ遅くなっちゃったし」
「え?あ、もうこんな時間!ゴメンねユリス、長居させちゃって」
「気にしなくていいよ、ボクも楽しかったし」
玄関まで見送るというクレアを後ろに、ボクは靴を履いて外に出る。
するとそこには、来るときには見えなかった月が明るく輝いていた。
「……月か……」
無意識にそう呟く。最近は夜空を見上げた事もなかったから、月を見るのも随分久しぶりの気がする。
そのせいか、今日の月は心なしか妖しい光を放っている様に感じた。
(なんか、色々思い出しちゃうな……冒険の時の事……)
「ねえ……ユリス?」
柄にもなく感傷に浸っていると、不意に後ろから声をかけられる。
振り返ると、さっきまでとは一変して悲しそうな顔をしているクレアと目が合った。
「クレア?どうしたの?」
「ユリス、あのね……」
歯切れの悪いクレアを見て、ボクは不思議に思う。彼女がこうも躊躇うなんて事は、今までなかったから。
微かな疑問と不安を抱きボクが声を掛けようとした瞬間、意を決したという様子でクレアが言った。
「……ユリスって最近ずっと忙しいじゃない?辛いなって思わないの?」
「……え?」
――……今更、何を聞くんだろう?
ボクはクレアの言いたい事が分からなかった。
確かにここ最近……と言うより二年前から忙しく過ごしてるけど、そんな事はクレアだって知ってるはずだ。
だからボクは何も考えずに口を開く。
「別に辛いなんて思わないよ?もう慣れたし、それに……っ」
そこまで言った刹那、ボクはハッとして息を呑む。心の奥にしまっていた『ある想い』が、突然湧き上がってくるのを感じた。
――そう、ボクはこの忙しさに感謝してたんだ。退屈だと嫌でも考えてしまう『ある事』を考えなくて済むから……。
無意識に行っていた自己防衛。気づかないでいた……気づかない様に努力していた感情。
一斉に噴出したそれらに息苦しさを覚え、ボクは思わず胸元のシャツを握り締めた。
「ユリス……貴方、やっぱり忙しさで考えないようにしてたのね?」
「…………」
確信めいた様子でそう呟くクレアから、ボクは目を逸らした。
――――…………これ以上、彼女の言葉を聞いてはいけない。
ボクの中の何かがそう告げたけど、身体は鉛の様に重くなっていて微動だにしない。
重く苦しい心身を抱え、立っているのが精一杯のボクに、クレアが止めの一言を放った。
「あの子……モニカの事を……」
「!!」
全身に電気が走った様な衝撃を、ボクは受ける。心臓が信じられないほど、激しく脈打つ。
更に頭の中で蛇がのた打ち回る様な感覚がし、反射的に吐き気を覚えた。
――――二度と聞きたくなかった名前……もう思い出さないと決めていた名前……。
「でもねユリス、そんな事してても……」
「っ……!!」
それ以上、クレアの声は聞こえなかった。ボクは耳を塞ぎ、何かから逃げる様に家へと走り出していたから。
とにかく一刻も早く、この苦しみから解放されたい。その気持ちだけがボクを動かしていた。
「はあっ……はあっ……!」
自室のベッドにうつ伏せの姿勢で倒れこみ、ボクは荒い息をつく。
家に帰ってから何をしたかなんて覚えてなかった。
ルネやスチュアートに何か言われたけど、内容は全く覚えていない。……いや、本当に何か言われたのかどうかさえ、あやふやで不確かだ。
「っ……くそっ」
一向に晴れない気持ちに苛立ち、派手な音を立ててうつ伏せになる。そして、さっさと眠ろうと眼を閉じたけど、まるっきり眠気はしなかった。
当然と言えば当然だ。こんな……こんな心を抱えて安らかに眠れる程、ボクは強くない。
その証拠に、心の奥に封じ込めていた彼女の姿が、次々と現れては消えていった。
(……モニカ……)
――――三年前、一緒に冒険した未来から女の子。
とっても明るくて直情径行で、初めはとても年上だとは思えなかった。
でも戦いなんかで頼りないボクをいつも助けてくれ、落ち込んでいるときは元気づけてくれたりした。
そんなモニカを見る目が、だんだん『仲間』から『一人の女の子』に変わっていた事に気づいたのは随分と後。
冒険の終わりに待っていたモニカや母さんとの別れの時は、まだボクはその気持ちに気づいていなく、母さんとの別れの方が辛く感じた。
だけどそれから、平和な時間を過ごしているうちに……モニカが傍にいない事が、とても寂しいと思う様になっていた。
「……」
そこまで考えて、ボクは電気を消してシーツに潜り込む。ここから先は、いつだって同じ事を考えてしまう。
――モニカとの時間を……一緒に過ごした楽しい時間を考えてしまう。
考えたところでその日々が返ってくる訳でもない。ただ空しい気持ちを味わうだけだ。
しかし、そうは思っても、頭は考える事をやめない。ボクはただ、眼をきつく瞑って眠れるのを待つしかなかった。
(……ダメだ……思い出してしまう……)
冒険が終わってから数週間後、ボクは町長の頼みで訪れていたゼルマイト鉱山でモニカと再会した。
初めて会った時と同じくらい、いやそれ以上に唐突だったから驚いけど、彼女を見て胸の奥が熱く感じたのは今でも覚えている。
そしてその一件が終わっても、モニカは現代に留まっていた。一緒に仕事をしたり、公園に出かけたりして本当に楽しい日々を送った。
いつまでもこの時間が続くと思い込んでいた。だからボクは、母さんのあの言葉を忘れていたんだ。
――――『誰も二つの時代に存在することなんて許されない』
その言葉を思い知らされたのはそれから一ヵ月後だった。
モニカは、突然未来に帰った。冒険の時も、一緒に過ごしている時も、一度として見せなかった悲しい表情で。
ここまで考えてボクはようやく眠くなってきた。だけど、ここまで考えてしまってから寝るのは、たまらなく嫌だった。
――――必ず夢を見てしまうから……頭に焼きついて離れないあの時の夢を……。
そう思う気持ちを嘲笑うかの様に、ボクは夢の世界に沈んでいってしまった。
……。
…………。
「あのね、ユリス……」
二人で公園に出かけた帰り道。モニカが急に真剣な表情で、ボクに話しかけてきた。
「モニカ?……どうしたの?」
「ユリス……その、えっとね……」
何かを言い出そうとしていて、躊躇ってるモニカ。こんな彼女を見るのは初めてかもしれない。
思わずもう一度訪ねようとしたとき、モニカが嫌に明るく大きな声で言った。
「ユリス……今日は楽しかったね!」
「え?……あ、うん」
当たり前過ぎる事を聞かれ、ボクは一瞬たじろぎながら答える。同時にボクの中で、モニカの様子が妙だと言う確信が生まれた。
「ねえ、モニカ?どうし……」
「本当に楽しかった!……忘れられないくらい……」
遠慮がち尋ねたボクの声をかき消す様に口を開き、次いで彼女は悲しそうな表情で俯き加減になる。
モニカが感情の起伏の激しい性格とは知っているけれど、この様子は尋常ではない。
そう思ったボクは、微かに不安を表に出しながら彼女に声を掛けた。
「モニカ……?」
「……ユリス、聞いて……」
俯いていた顔を上げ、モニカはボクをしっかりと見つめてきた。その瞳には、今まで見た事もない悲しみの色が浮かんでいる。
それを見て、ボクは直感的に、彼女の言おうとしている事が分かった。
――――決して動かせない事実。必ず訪れる事であったにも関わらず、考えるのを避けていた事。
いきなり眼の前に突きつけられたそれに動揺し、ボクは小さく足を震わせた。
「私……もう帰らなくちゃいけない……」
そう言ってモニカはまた俯く。そんな彼女に、ボクはこう言う事しか出来なかった。
「そっか……帰るんだね」
どこへ?なんて聞かなかった。――分かりきっている事だから。それはもう、会えない事を意味するから……。
「うん……いつまでもこの時代にいる訳にはいかないから……」
笑顔でモニカはそう言ったけど、その笑顔はさっきまでとは似ても似つかない物。
無理に作った偽りの笑顔……それは見ているだけで心が痛むくらい酷く、そして悲しかった。
「ユリス……私が未来に帰っても……絶対に忘れないでね……」
「……うん、約束するよ」
ボクも笑顔で頷いた。――……彼女と同じ、偽りの笑顔だったけど。
それを聞くとモニカは、ゆっくりと足を進ませてボクのすぐ横を通り過ぎる。
瞳を閉じてそれを見送りながら、ボクは懸命に感情を押し殺しながら彼女に言った。
「母さんに……よろしくね」
こんな時なのに、もっと気の利いた事を言えないのかと自分でも思ったけど、他に言葉が見つからない。
――別れの言葉なんて……言いたくなかったから……。
「うん……ユリス、今までありがとう。……さようなら」
「……また、いつか会おう」
モニカが震える声で放った別れの言葉に、ボクはそう返す。
―……言いたくもないし、聞きたくもないんだ。別れの言葉は……。
「っ……そうだね。また、いつか……いつか…………」
次の瞬間、乱暴に駆ける足音が耳を打つ。次いで何かが消える様な音がし、それが終わるとボクの周りには静寂だけが残された。
「……モニカ……」
ボクは一度だけそう呟くと徐に歩き出し、自宅へと向かう。
――――不思議と涙は出なかった。悲しくなかった訳じゃないけど、仕方のない事だと分かっていたから。
……。
…………。
――――そう、分かっていたはずなんだ。……だけど、この悲しみは今でも続いている。
何時になれば忘れられるのだろうか?そもそも、忘れる事ができるのだろうか?
誰にでもなく自分に問いかける。意味の無いことだと分かっていながら……ボクは、振り切れない想いを抱き続けている。