〜選んだ道、進むべき未来〜
――――ユリス邸。
ダイニングルームの縦長いテーブルの端に座り、モニカは一人紅茶を飲んでいた。
「あれから……もう二ヶ月か」
カチャリとコップを手元に置きながら、彼女はポツリと呟く。『あれから』とは言うまでもなく、例のガンドール火山での一件の事だ。
記憶の上では、まるで昨日の事の様に思い浮かべられる事。だが、時間は間違いなく、二ヶ月という時を刻んでいるのだ。
(……早く、元に戻ると良いわね)
壊滅状態に追い込まれたヘイム・ラダは、人々の力によって少しずつだが、確実に復興しつつある。
しかし、それでも完全に元通りになるには、やはりまだまだ時間が掛かるだろう。
――――そう……自分の生まれ育った国、レイブラントがそうである様に。
(そういえば……)
不意に視線を遠くへと向けながら、モニカは何気なく心に浮かんだ事を呟く。
「今頃、どうしてるかな?……母上ら……」
永遠の別れの直前、自分に向けられた母親の顔。
それを思い出し、知れず感傷に浸りかけた彼女だったが、すぐにハッとした仕種を見せ、軽く首を横に振った。
「やだ……私、また……」
油断すると、瞬く間に心に染み渡っていく後ろめたさが、今再びモニカの胸を締め付ける。
自分のした行為、それによって生まれた罪。それらは自分がこの世に生きている以上、決して消える事は無いだろう。
(でも……)
やがて、モニカは大きく息を吐き、また穏かな表情へと戻った。そして、自分自身へ誓いの様に、小さく、しかし力強く口を開く。
「私はもう……迷わない」
以前の自分なら、この問題を考える度に、逡巡し、そして葛藤していた事だろう。
だが、今は違う。なぜなら、『答え』を見つけたのだから。――――『生きる』という『答え』を。
例え自分がどんな罪人であっても……償いをしなくてはならなくても、『死』という決断だけは、絶対に下さない。
それが、モニカが生死の境で見出した『答え』なのだ。
その『答え』が本当の『答え』なのかは、今の彼女に分からない。しかし、それはこれから生きていく上で、探していけばいいと彼女は思う。
もしかしたら、『答え』等……本当の『答え』等、無いのかも知れない。『答えを探す』という行為自体が『答え』なのかも知れない。
それが分からないからこそ、如何なる理由があっても、人は生きなければならないのだとモニカは思った。
(……それにしても)
窓の外へと視線を移しつつ、モニカは頬杖をつきながら『彼女』の事を思い浮かべる。
「今頃……どこで何してるんだろう?……シェード」
そう呟いた後、モニカはボンヤリと数日前の記憶を呼び覚ました。
……。
…………。
「……具合の方はどう?」
治療を受け、ダック医院のベッドで横になっているシェードに声を掛けると、ぶっきらぼうな言葉が返ってきた。
「……もう既に治ってる。ただあの医者が、まだ安静にしろと言っているだけだ」
「そう……」
モニカは思わず安堵の溜息をつく。
口調は乱暴だが、これがシェードなりの「心配するな」という挨拶だという事を、彼女は漠然とだが感じ取っていた。
それに……カレナが消えていった事のショックから、多少なりとも立ち直っている様にも見え、それが更に安堵を募らせた。
「それより……」
「えっ、な、何?」
不意にシェードから話しかけられ、モニカは戸惑いの声を上げる。
「ただ見舞いで来た訳じゃないだろう?……何の用事だ?」
「え、えっと……それは……その……」
ものの見事に図星をつかれ、モニカは決まり悪そうにモジモジして視線を逸らした。
すると、シェードが呆れた様に溜息を吐きながら口を開く。
「分かりやすい奴だ……聞きたいんだろう?私と、ギルトーニの事を?」
「あ……うん」
モニカはコクリと小さく頷き、暫し間を置いた後、おずおずと切り出した。
「話して……くれる?」
「…………」
その言葉に、シェードはモニカから視線を外し、真っ直ぐに頭上の天井へと移す。そして、そのまま遠くを見る眼で、独り言の様に話し出した
「……ギルトーニは……私の父親の兄弟の息子……要するに……私の従兄弟なんだ……」
「っ……そうだったんだ」
「ああ……だが、だからといって繋がりがあった訳じゃない。私がその事を知ったのも……私の父と母が、病に伏してからだった。
……信じられないかもしれないが……私は元々泣き虫で、甘えん坊なんだ。父と母を失い、ほかに心の拠り所に出来る人がいなかった私は……
今まで一度も会った事のない、だけ唯一僅かではあるものの血のつながりのある者……ギルトーニに会いたいと思い、旅に出たんだ。
……可笑しいだろ?どんな奴かも分からない人に、縋り付こうとしいたんだからな。そして、その旅の途中で……カレナに出会った」
「…………」
様々な感情を瞳に湛えつつ、モニカはシェードを見やる。それを横目で認識しながら、シェードは話を続けた。
「カレナは……私に何をしているのかと問い、私が人を捜していると答えると……その名は?と更に問いかけてきた。
私は、少々薄気味悪さを感じながらも、ギルトーニだと告げると……あいつは薄笑いを浮かべながら、そうかと小さく頷いた。
そして、突然、私に指先を向けると……夥しい量の映像が、凄まじい勢いで浮かんでは消えていった。
どんな映像かは……わざわざ言わなくても分かるだろう?」
「……うん」
「それからは、お前にも想像できるよな……同族が倒されたと……単純な大人達を煽って協力を促し、
私は何かに取り憑かれた様に修行に明け暮れた……お前を倒すという目的の為だけに……な」
「……そう、だったんだ」
自嘲気味に笑ったシェードに、モニカは小さくそう言った。
「……ねえ、シェード?」
暫くして、モニカがおずおずと声を掛けると、シェードは一瞬面食らった様な表情を浮かべてこちらを向く。
だが、それも束の間、すぐに真顔になってモニカを見返しながら口を開いた。
「何だ?」
「その、今でも……私を倒したいと、思ってる?」
「っ……それは……………」
その問いにシェードが黙り込むと、モニカは俯き加減で両拳を握り締めながら続ける。
「もし……もし、どうしても私と決着をつけたいなら……私は貴方の気の済むまで付き合うつもりでいる。
それだけの事をしなければならない理由が……私にはあるから……」
「…………」
「でも……でもね。今回の事の様に……他の人を巻き込むのだけはやめて。狙うなら私一人だけを……」
「もういい……よせ」
「……えっ?」
険しい表情で言葉を遮ったシェードに、モニカは思わずキョトンとして眼を向ける。すると、彼女は酷く穏かな口調で言った。
「私はもう……お前に恨みなんか抱いていない。……いや、最初から私は、お前の事を恨んでなんかいなかったんだ」
「で、でも……私は……貴方の……」
「……確かにな。だけど、いくら血の繋がりがあったとはいえ、結局、私とギルトーニは、言葉を交わす事もなかった他人同士。
そんな奴の仇討ちをする意味も義理も……本当は無かったんだ」
「シェード……」
「ただ、そう考えでもしなければ……私は、生きる意味を失ったままだった。だから、例え誤った方向への導でも……私はそれに縋りたかったんだ」
そこまで言い終えると、シェードは再びモニカから視線を逸らし、感慨深げに言葉を紡いだ。
「けれど、その考えも、もう終わりだ。これからの私は……何の為に生きるのかを、探そうと思う」
「……うん、それが良いと思う」
モニカは微笑みながらそう言った後、ふと思い付いた様に口を開く。
「それで……退院したら、どうするの?」
「……そうだな、とりあえず……」
シェードはゆっくりと窓の外へと眼を向け、軽く笑いながら言った。
「日当たりと見晴らしの良い場所に、奴の寝る場所を作ってやろうと思ってる。まあ意味は無いだろうが、気持ちだけでもな」
「そっか……頑張ってね。私にも出来る事があるなら、協力するから」
その言葉の真意を瞬間的に悟ったモニカは、痛ましい思いを抱きながら、シェードを見つめた。
すると彼女は、徐にこちらに振り返り、優しい笑顔を浮かべてみせる。
――――……シェードが突如として姿を消したのは、その翌日の事だった。
……。
…………。
「……シェード……」
回想を終えたモニカは、流れる雲をぼんやりと見つめつつ、小さく呟いた。
「一言ぐらい……声掛けてくれても、よかったのに……」
残念そうに溜息をつく彼女だが、その表情は意外にも明るい。
――――あの時、シェードが見せた笑顔と、口にした言葉。
それが見れただけで……聞けただけで十分だったと、モニカは考えていた。
この先、自分と彼女が再び会う日が来るかは分からない。
だが、もしそんな日が来たのなら……シェードを笑顔で語り合いたいと、モニカは思った。
(そして……出来るのならば……かけがえの無い友に………)
そんな願望を抱いた彼女の耳に、ふとドアをノックする音が聞こえてくる。
「っと……どうぞ、入って良いわよ」
モニカが返事をすると、ガチャリという音と共に、見慣れた顔が部屋に入ってきた。
「あっ、ユリス。……?……どうしたの?そんな難しい顔して?」
「い、いや……別に……その……」
「?」
両手を後ろに回し、どうも挙動不審なユリスに、モニカは怪訝そうに首を傾げて見せた。
――…………頃合だ。
ユリスは今回の一件で、直感的にそう感じていた。
カレナ……自分と最も近しく、ある意味兄弟とも言える存在との対峙、激闘、そして別離。
その間に自分へと投げかけられた数々の言葉、そして自分が彼に投げかけた数々の言葉。
それらの遣り取りから自分なりに考えて導き出した、自分なりの答え。そして……カレナが自分へと向けた、最後の頼み。
この一連の出来事で、ユリスは何かが吹っ切れた様な気がしていた。
――――二つの時代の血が混じる自分。そして、現在という時代を生きている自分と、未来を生きてきた彼女の愛。
傍から見れば、それは過ちなのかもしれない。否、ユリス自身、これまでずっとそう考えてきていた。
だが、今となって彼は思う。それは違うのだ、という事を。
(結局……何が正しくて、何が過ちだなんて……後にならなければ分からないんだよな)
物事の是非は、自分が決める事でも、ましてや他人によって決まる物ではない。全ては、時間が決める事なのだ。
例え、その時は正しい行いだったとしても、後にそれが間違った行いになる時もある。そして当然、その逆もまた然り。
――――二つの時代の血が混じる自分。別々の時代を生きる者同士の愛。
それらについての是非も、今の自分には分からない。
分かるのはきっと……未来の自分か、或いは自分達の後の時代を生きる全ての存在達なのだ。
今の自分に分からないのなら、自分はもう何も迷わない。何をどうしたとしても、後ろめたく思わない。ユリスは、そう心に決めていた。
だから、慣れない物で悪戦苦闘していた製作中の『作品』を、怒涛の勢いで取り掛かった末、一ヶ月程前に完成させた。
しかし、肝心のモニカに渡すタイミングが中々掴めずにいたのだ。
「まだ早いとか」「今じゃない」等と自分で自分に言い逃れをしていたが、それもそろそろ終わりにしたい。
どの道、遅かれ早かれ自分は彼女に渡さなければならないのだ。
そう決意して『作品』を手にやってきたのだが、いざその時になると、自分でも情けなるくらいにどうしていいか分からなくなる。
『作品』を仕上げてから、幾通りも考えた様々な言葉は綺麗に消え去り、心臓は壊れるんじゃないかと思う程に激しく脈打つ。
(えっと、ああっと……どうしよう……これまでのどんな場面より緊張してる……)
「……ユリス?」
「へっ?あ、いや……その……」
様子が妙なのが伝わったのか、自分に向けられる少し心配そうなモニカの視線が辛い。
気を緩めれば、瞬く間に赤く染まってしまうであろう頬を引き締めながら、ユリスは懸命に言葉を探した。
「あ、あのさ……モニカ……」
「なあに?」
「その……突然なんだけど……えっと……」
そんな曖昧な言葉で時間稼ぎをしていた彼だが、やがて意を決した表情で口を開いた。
「ボク、今回の事で……分かった事が、あるんだ」
「えっ?……分かったって、何が?」
キョトンとした瞳で尋ねるモニカに、ユリスは震えそうになる声を必死に抑えながら言う。
「『生命』の意味について、って言えばいいのかな?ともかく、ボクが分かったのは………『生命』に上も下も、正しいも間違いも無い。
『生きる』って事に、善悪なんか無いって事さ」
「っ……ユリス……」
その言葉から彼女なりに何かを感じ取ったのか、モニカは真っ直ぐにユリスを見つめる。それに促される様に、彼は言葉を続けた。
「この数年間で、ボクは色んな出来事に巻き込まれて、或いは自分から飛び込んでいって……様々な人と出会い、様々な事を考えた。
特に今回の一件と、一年前のレザルナさんの一件は……ボクの中で、次々と悩みを生んでいったんだ。だけど……」
一旦言葉を切り、ユリスは言葉を探す様に顔を俯かせる。だが、それも束の間、再びしっかりとした口調で口を開いた。
「……今なら、こう思える。どんなに悩んだって……どんなにこれまでの自分の行いについて考えても、明確なんか『答え』なんか無いんだって。
だから……だからボクは、何も迷わない……絶対に」
「……ユリス?あの、話が見えないんだけど……?」
「モニカ」
核心が掴めず、困惑めいた表情で尋ねてきたモニカの言葉を遮り、ユリスは彼女の名前を呼ぶ。
知れず強い口調になってしまい、モニカがビクリと肩を竦ませたのがハッキリと見えた。
「モニカ……その……えっと……」
――……あ〜〜!!ここまで来て何やってんだボクは!!今更言い淀んでる場合か!!
心の中で自分に叱咤し、『作品』を握り締めた手をゆっくりと前に出しながら、ユリスはありったけの勇気を掻き集めて言った。
「……モニカ、これを受け……」
彼がそこまで言った時だった。突然バタバタというけたたましい足音と、それに隠れる様な小走りの音が部屋の外から鳴り響く。
「な、何?」
「っ!?」
驚いたモニカが声を上げ、ユリスが反射的に『作品』をズボンのポケットへと捩じ込んだ瞬間、遠慮無しにドアが開かれた。
すると、見知った少女の顔が現れる。
「やっほ〜〜モニカ!!ねえねえ、今から……あれ?」
自他共に認めるラッキーガール――コリンは、部屋の漂う妙な雰囲気を瞬時に察し、間の抜けた声を出す。
それから少し遅れて、これまた見知った女性の顔が現れた。
「えっと……何だかすごく、タイミングの悪い時に来ちゃった……かしら?」
町長の愛娘――クレアが、申し訳なさそうに言いながら、曖昧な笑みを浮かべる。それに対して、ユリスは大袈裟に手を振りながら返事をした。
「まままま、まさか!!べべ、別に何もなかったよ!!ね、ねえモニカ!」
「あ、う、うん。……でもユリス、今何か私に渡そうとして………」
「い、いや、それは……えっと……」
「あっ、そうだったの。ゴメンなさいね、ユリス。せっかくのムード壊しちゃって。……でも今日って、何かプレゼント渡す様な日だったかしら?」
「ク、クレア!ボ、ボクは別にプレゼントを渡そうとしてたんじゃなくて!……あっ、いや、その……」
「……ユリス?」
「だ、だから!う……あ……」
「あれ〜〜ユリス?何か、すっごく動揺してない?……あっ!ひょっとして、プロポむぐうっ!!」
「わーーわーー!!!」
とんでもない事を口走り掛けたコリンの口元を、ユリスは大声を張り上げながら強引に手で塞ぐ。
「もごもご……さ、さては図星……むがむぐ!!!」
「そ、それで!今日は何しに来たの?」
かなり苦しそうにもがいているコリンを更に押さえつけつつ、ユリスはクレアに尋ねた。
「あ、えっと……モニカを買い物に誘いに来たんだけど……」
「そ、そうなんだ!いいじゃないか、モニカ。行ってきなよ」
「えっ?で、でもユリス……さっき……」
「あ〜〜いいって、いいって!そんな大した事じゃなかったからさ!たまには女の子だけで、楽しくしてきたらいいよ」
「そ、そう?じゃあ、行こうかな。……ところでユリス。いい加減離してあげたら?」
「へっ?……あっ!ゴ、ゴメンなコリン!大丈夫!?」
いつの間にか顔色が悪くなっていたコリンに気づき、彼は慌てて手を離す。
「げほげご……じ、自分でやっといてよく言えるわね……?」
「ほ、本当ゴメン!」
申し訳なさそうに両手を合わせ、ユリスは頭を下げる。そんな彼を暫し睨んだ後、コリンはニヤリと怪しい笑みを浮かべた。
「……まあ、いっか。すっごく面白い事、掴んじゃったみたいだし。本当、ラッキーな時に来ちゃったわ!!」
「コ、コリン!!」
「……面白い事?」
「……ラッキーな時?」
全く訳が分からないモニカとクレアは、そろって小首を傾げてみせる。そんな二人に、コリンは面白そうに指を振りながら言った。
「それは、ひ・み・つ♪……さっ!早くショッピングに行きましょう!急がないと良い物がなくなっちゃう!!」
「あ、それもそうね。行きましょうか、モニカ」
「う、うん。それじゃユリス。行って来るわ」
「あ、ああ……気をつけてね」
曖昧な笑みを浮かべて、ユリスは三人を見送る。
そして三人が部屋を出て行き、先程までとは打って変わって静寂に包まれた空間の中で、彼は一人呟いた。
「ったく、コリンの奴。相変わらずタイミングが良いと言うか、美味しい時に来たと言うか……」
言いながら、ユリスは先刻ポケットに捩じ込んだ『作品』――正確には、『作品』の入った小さな箱を取り出す。
「結局、今回も渡せなかったな……はあっ……」
溜息と共に、彼はそっと箱の蓋を開け、中に収まっている『作品』を眺める。
――――神秘的な輝きを放つ、美しい濃紺のサファイアの指輪。
かつて青色のアトラミリアに選ばれたモニカには良く似合うだろうと、ユリスはボンヤリと思っていた。
「まっ、焦る事もないかな?……時間なら、いくらでもあるんだし」
軽く笑いながら、彼はそう呟く。
――――そう。自分と彼女とを遮る物等、最早一つとして無い。仮にあったとしても、きっと大丈夫だ。
根拠のない自信ではあるが、それは確かな自信。これから先、決して無くならないであろう自信だ。
「さてと、もう少しだけ加工しておくか。……この辺りが、まだちょっと納得いかないんだよなあ」
指輪を片手に独り言を呟きつつ、ユリスは自室へと向かった。やがて来るであろう時に備える為に。
――――そして、その時が来るのは……そう遠くない未来。