〜消えゆく憎悪、還りゆく命〜
耳元で響く様な、それでいて遥か遠くから響く様な轟音を、カレナは虚ろな心で聞いていた。
(亜空間が消えていく……当然……か……)
この空間は自分が魔力で創り出した物。その自分が力尽きれば、消えていくのは当然だろう。
――――自分は負けた。
必ずこの世から消し去ると誓った、自分と同じ『存在』の少年。その彼に、自分は負けたのだ……完全に。
本来なら無念と憤りを感じる筈が、胸に去来するのはどうしようもない虚しさのみだった。
不意にカレナの心に、奴の――ユリスの言葉が蘇る。
――……君は、本当は両親を憎んでなんかいなかった!!ただ……ただ、悲しかっただけだろう!?
(…………)
――思い出せ、カレナ!!君に確かにあった幸福の時間を!!そこに確かにあった父さんの姿を!!そして……母さんの優しさ!温もりを!!
(……俺は……)
心を塞いでいた何かが外れた様な感じを覚え、彼は自嘲気味な笑みを浮かべた。
今まで抱いていた確信、そして使命感が音を立てて崩れ去り、心の眼を覆っていた靄が薄れ、『真実』が見えてくる。
結局、自分は踊らされていただけだったのだ……『悲哀』と『憎悪』という名の闇に。
失われた幸福の時間。それから来る悲しさという衝撃に耐え切れず、誰かを憎む事で自分を守り、死して尚もそれを正当化する。
そしてその憎しみを、自分と同じ運命を背負いながら、その運命を自らの手で切り開いた少年に向けていた。
今にして考えれば、それは逆恨み以外の何物でもなかったのだ。
――――どうして、今まで気づかなかったのだろう………?
自分も、そして彼も、他の皆と同じ『命』、同じ『生』。その答えを、自分は見つける事が出来なかった。
いや、本当はただ……見つけようとしなかっただけなのかもしれない。
少し手を伸ばせば、確かにあった筈の答え。それから眼を逸らし、自分を神に選ばれた者と思い込み、裁きを下す等と謳い……。
(……バカだ……俺は………)
自分は何も分かっていなかった。自分に仮初の『生』を与えたのは、神ではなく悪魔だったのだ。
悪魔に心の闇を見透かされ、それを利用されて格好の玩具として現世に呼び戻され、それに気づかずに幻想の使命に溺れた自分。
(……俺は……俺は……)
如何ともし難い後悔の念が、カレナに強く圧し掛かる。その上、自分の愚かさはそれだけでは無かった。
――――『青き血の民』の少女。
強気な瞳を携えた、あの少女の面影が脳裏に映る。
(……シェード……)
不意にカレナは思い出した。自分と彼女が初めてあった時の事を。
……。
…………。
深い森の中を、一人で彷徨っていた彼女。その細身には余りにも不釣合いな大剣を手に、途方に暮れていた彼女と、自分は出会った。
――……何をしている?
そう問いかけると、彼女は疲れ果てた身体とは裏腹な、強い意志を秘めた瞳をこちらに向けて言った。
――人を……家族を捜している……。
答えた彼女に、自分は更に問いかける。
――……その探し人の名は?
すると彼女は、暫し驚いた様な表情を浮かべたが、やがて呟く様に口を開いた。
――……ギルトーニ……。
その名を聞いた瞬間、彼は僅かな驚愕の念に駆られ、同時にある事を思いついた。
自分がこの世から消し去りたいと思っている少年と、片時も離れずにいる少女。
彼は、その少女をいかに少年から切り離そうかと、思い悩んでいる最中であったのだ。
無論、自分がこの手で始末してしまっても一向に構わないのだが、あまり余計な事にまで力を使いたくはない。
そう考えていた彼だったが、彼女と出会い、その問題を解消する案が浮かんだ。
(こいつに、あの少女……モニカの事を任せる事にするか)
――そうすれば……俺もやりやすくなる。
そこで彼は、魔法で少女に全てを教えた。
彼女が捜し求めていた家族が、もうこの世にはいない事を。その原因である少女が、過去の時代にいる事を。
それを教えた瞬間、少女はその瞳に凄まじい憎悪の炎を燃え広がせ、そんな彼女に自分は甘く囁いた。
――………手伝ってやろうか?……敵討ちの。
……。
…………。
それから後は、至極簡単な事だった。
少女は何の躊躇いもなくこちらの計画に乗り、しかもありがたい事に多くの手駒までよこしてくれた。
――……愚かな奴。
あの時の自分は……確かに少女の事を、そう思っていたのだった。
しかし、今になってカレナは思う。愚かだったのは彼女ではなく、自分自身だったのだと。
――――自分が飲み込まれていた闇に、何の関係もない他人を引き擦り込み、徹底的に利用した。
(その結果が……これか……)
朦朧とした意識の中でも、シェードの気が酷く弱まっているのが分かる。恐らく、モニカに敗れたのだろう。
(……すまなかった……)
彼は思わず、彼女に対して謝罪の言葉を呟く。今だからこそ分かる『ある事』が、カレナに自責の念を抱かせた。
(あの時……もし俺が……自分の行いが過ちだと……悟っていれば……)
それならば、シェードに教える事が出来た筈だ。憎悪に身を委ねてはいけない、悲哀に心を壊されてはいけないと。
だが自分はそれに気づかず、自らが進もうとしていた奈落に、彼女を道連れにしてしまった。
――――もし自分が『答え』を見つけられていたのなら、彼女を救ってやる事が出来たかもしれないのに。
そんな考えに至った刹那、カレナは不意に、自分の本心に気づいた。
(……シェード………)
彼女の表情、彼女の声、そして彼女の瞳が、いつしか心に深く根付いていた。
それは、彼女の身の上に興味を持ったからだと、ずっと思っていた。――けれど……。
(……違ったんだな……きっと……)
もしかしたら、最初に出会った時に手伝おうと言ったのも、自分の計画の為では無く、彼女の力になりたいと思ったからなのかもしれない。
そう考えれば、彼女と行動を共にして僅かな間、頻繁に感じていた妙な感情の正体も分かる気がした。
自分にそんな感情は無いと思っていた。……しかし今となっては、そうとしか考えられない。
(……俺は……俺は……)
――彼女が……シェードの事が……。
「……っ……」
瞬間、消えかけていた意識が急速に蘇り、カレナはヨロヨロと身体を動かした。
手も足も、身体の全てが鉛の様に重く、もう自分に残された時間は少ないのだと、彼は無意識に悟る。
だが、まだ自分は『還る』訳にはいかなかった。
(最後に……話さなければ……ユリスに……そして……シェードに……)
その感情に突き動かされる様に、カレナはゆっくりと瞳を開いた。
「……モニカ!?」
「ユリス!……よかった、無事だったのね」
笑顔でそう言うモニカだが、その顔にはいつもの元気が無く、全身の至る所に付けられた傷が、彼女の様態を物語っている。
ユリスは慌てて彼女に駆け寄り、労わる様に声を掛けた。
「うん。ボクは大丈夫だけど。モニカ、君の方が……」
「……私は、大丈夫よ。それより……」
そこで彼女は、自分の膝の上に横たわっている『青き血の民』の少女に視線を落とす。
「彼女の……シェードの方が心配。ユリス、悪いけど君の持ってる医療具、貸してくれる?」
「あ、うん………けど、君だって浅い傷じゃないだろ。ちゃんと手当てしないと……」
「ユリス」
彼の言葉を遮り、モニカは毅然とした表情で彼を見つめる。
その瞳が語る思いを悟り、ユリスは一つ溜息をついた後、「……わかった」と医療具を彼女に手渡した。
「……そうか……」
「……?」
モニカが慣れない手当てをする中、不意に『青き血の民』の少女――シェードがこちらを見ているのに気づき、ユリスは目を瞬かせる。
「……お前が……」
「えっ?」
「……ふっ……」
弱々しくも穏かな微笑を浮かべた彼女は、ユリスから眼を逸らし、モニカの方を見やった。
「……シェード……」
「死にたくない……か……成程、分かった様な気がする」
「?」
「……うん」
シェードの言葉に、再びユリスは怪訝な顔をするが、対してモニカは僅かに頬を染めながら、コクリと頷く。……その時だった。
「う……くっ……」
「「「……!?」」」
突如として呻き声が聞こえ、三人は弾かれた様に声の聞こえた方向に視線を飛ばした。
「……はあっ……はあっ……!」
「……カレナ」
苦しげに呼吸をし、フラフラとよろめきながらも立ち上がろうとしている先刻までの相手を見て、ユリスはポツリと相手の名を呟く。
そして反射的に『スーパーノヴァ』をカレナに向けたが、すぐさま無言で銃口を下ろした。
先程まで自分に発せられていた敵意が、今は全く感じられなかったからである。
「……お前も……敗れたのか……」
「「……?」」
不意にシェードが呆れた様な、それでいて、まるでそうなる事を予見していたかの様な口調で言う。
ユリスとモニカが呆然とする中、カレナは荒い息をしつつ、小さな笑みを浮かべながら返事をした。
「ああ……だが……これで良かったん……うっ……」
「!?……カレナ!!」
突然、グラリと傾いたカレナを見て、ユリスは咄嗟に彼の元に駆け寄る。
だが、カレナを支えようと伸ばした筈の手は、まるで幻に触れたかの様に、彼の身体をすり抜けた。
「っ!?」
「ユリス……もう忘れた……のか?……俺が……どんな『存在』かを」
何とか踏みとどまったカレナの小さな囁きに、ユリスはハッとした表情を浮かべ、至近距離で彼の顔を見上げる。
「カレナ……君は……」
「どうやら……もう……時間が無い……様だな……そろそろ……終わろうと……」
言いながら何を思ったのか、ゆっくりと後退りをし始めたカレナを、ユリスはただ無言で見つめる。
そんな彼の後ろで、モニカとシェードも、静かに成り行きを見守っていた。
「ユリス……すまなかったな……」
「……えっ?」
急に謝罪の言葉を浴びせられ、ユリスは戸惑いの声を発する。
「お前の言う通り……俺は……ただ、悲しかっただけ……だった……それなのに…そんな自分から……眼を逸らしていた。
そして両親を……お前を……更には……自分自身を憎んで……俺は……」
「……もういい。分かってくれれば、もういいんだ」
首を振って話を止めようとしたユリスだったが、カレナはそれに構わずに話しを続けた。
「俺も……お前の様に……なれていたなら……こんな事には……っ!」
「っ!?」
刹那、カレナの身体が急激に薄れていき、彼を通して後ろの背景が透けて見え始める。
「っ!お前!?……うっ!」
「シェード!?ダメよ、まだ動いちゃ……!」
いきなり立ち上がり、よろめいたシェードを、モニカは慌てて抱きかかえる。その様子を見て、カレナは思い出した様に呟いた。
「そう言えば……お前には言ってなかった……な……俺が……とうに『死』を……迎えていると言う事を……」
「なっ!?」
「ど、どういう事!?ユリス!」
彼の言葉に、シェードは絶句し、モニカは上擦った声でユリスに尋ねる。
しかし、そんな彼女達に何処からどう説明したらいいのか分からず、ユリスは悲しげに黙りこんだ。
「……っ……」
「いいんだ……ユリス……時が経ったら……説明してやって……くれ……」
そこまで話した時、いつしかカレナは火口の崖際に辿り着いていた。既にその身体は朧になり、途切れ途切れの声も次第に小さくなっている。
「……カレナ……」
「ユリス……身勝手極まりないが……最期に一つだけ……俺の頼みを……聞いてくれないか?」
「頼み?……それは一体?」
ユリスが聞き返すと、カレナは小さく頷き、そして言った。
「……俺は……お前の言った……あの言葉を信じたい……過ちの『存在』等……この世には無いと言った……お前の言葉を……だから……」
「だから?」
「だから……生きてくれ……この先……どんな事があっても……俺や……お前の様な『生』が……
そして『命』が……間違った『存在』等ではないという証明の為に……俺の……分まで……必ず……」
「分かってるよ」
切実な願いが込められたカレナの言葉に、ユリスは力強く頷く。
「ボクは……ボクはもう、何も迷う事は無い。これから先、どんな事があっても……絶対に生きていく」
「……ありがとう」
今までの口調とは違う、年相応の少年の様な声を、カレナは発した。
次いでカレナは、不意にユリスから視線を外し、複雑な表情でこちらを見つめているシェードに声を掛けた。
「色々と……すまなかったな……シェード……」
「っ…」
瞬間、彼女の瞳に戸惑いとも驚きとも捉えかねない色が浮かぶ。それを見た途端、カレナはどうしようも無い罪悪感を覚えた。
――――血の気は多いが、根はあくまでも真っ直ぐで、純真なシェード。
そんな彼女を間違った道へと導いてしまった。……そして、これからの彼女の人生も、大きく変えてしまった。
だがその事に対して、今の自分がどんなに償いたいと思っても、もうどうする事も出来ない。
――――だから、せめて……この時代で……また新しい……幸せを……。
カレナは苦しそうに笑いつつ、既に自由が利かなくなりつつある右手を軽く振りかざす。
するとユリスにシェード、それにモニカの周りに、薄黒い膜が張り巡らされた。
「!?これは………」
「ち、ちょっと、何よこれ!?」
「っ!!……お前!!」
困惑する二人を他所に、シェードは甲高い声で叫ぶ。しかし、カレナは構わずに口を開いた。
「街まで送ってやりたい所だが……今の俺には到底無理だ……この火山の麓までで……勘弁してくれ」
「っ、カレナ……君は…………うん」
その言葉から、彼なりに何かを感じ取ったのか、ユリスは呟く様に声を漏らした後、短く答えた。
そんなユリスを満足気に見た後、カレナは再びにシェードへと視線を向ける。
「……シェード……」
「っ、お前!!……これは一体、何の真似だ!?」
事情が呑み込めないのか、或いは事情を呑み込みたくないのか。ハッキリとは分からない表情と口調で、彼女は自分に怒鳴る。
カレナはそんなシェードをしみじみと見つめながら、穏かに告げた。
「……出来れば……俺が……俺が生きている時に……会いたかった……」
「!?……このバカ!!何を言って……」
彼女が何かを叫ぼうとした刹那、三人を包み込んでいた膜が激しく動き出し、彼らを空中へと運んでいく。
その光景をボンヤリと見つめつつ、カレナはポツリと呟いた。
「……さようなら……」
無駄なのにも関わらず、こちらに懸命に叫びつつけているシェードの姿が、次第に霞んでいく。
「さようなら……シェード……そして……ユリス……」
尽きていく命を感じながら、彼はゆっくりと身体を傾け、火口の中にその身を投げた。
――………カレナーーーーーーーーーー……!!!
最期の瞬間、彼の耳元に残ったのは、悲痛に自分の名を叫ぶ少女の声だった……。
――――常世。
再び魂へと還ったカレナを抱きしめながら、女性はフワリと柔らかい笑みを浮かべた。
「……我が子ながら……本当に、仕方の無い子ね………」
するとカレナは驚いた様に顔を上げ、次いで声になるか否かという程小さな声で呟く。
「!?……お母……さん?」
「……ええ、そうよ」
女性が答えると、カレナの瞳にジワリと涙が滲む。そんな彼を労わる様に、女性は更に我が子を強く抱きしめた。
「本当にごめんなさいね……カレナ。でも、もういいのよ……もう、何もしなくても……」
「……くっ……うっ……!」
生まれたばかりの赤子の様に、泣きじゃくり始めた我が子の髪を、女性は優しく撫でる。
まるでそれが、今の彼女に出来る、精一杯の償いであるかの様に。
(本当にごめんなさい……カレナ……本当に……ごめんなさい)
――――どうして、自分達はこうなってしまったんだろう?……何時から自分達は、間違った方向に進んでいたのだろう?
自分が夫であるガレオで出会った時からだろうか?或いは、自分がこの子を産んだ時?それとも………?
次々と思い当たる時期を考えていた彼女だったが、やがて呆れた様に溜息をつき、思考を中断した。
(もういいわよね……そんな事は……もう……)
確かに自分達は進むべき道を間違えた。だがそれも、もう終わり……全ては終わったのだ。
「……ゆっくりお休みなさい……カレナ……」
愛おしげにカレナの頭を包み込みながら、ふと女性は二人の人物の顔を思い浮かべる。
――――自分を……そして我が子を倒した少年。その彼の傍にいる少女。
(ユリス……モニカ……)
あの二人が、これからどんな人生を歩むのかは分からない。だからこそ、女性は切実な願いを込めて思った。
(どうか……どうか幸せに……今度こそ………今度こそ何物にも阻まれる事無く……)
――――例えどんな事があろうとも、決して自分と夫の様にはならず……そして、生まれてくる子供に、決してカレナの様な思いをさせずに。
「………幸せに………」
祈りを捧げながら、女性――レザルナは、ゆっくりと瞳を閉じる。
――――こうして、悲劇に翻弄され続けた母子は、再び一つの家族となり………消えた。