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――――ランマ。

「はあっ!」

勇ましい気合と共に掌から凍てつく冷気を放ったのは、勇ましい雰囲気を帯びた、端正な顔立ちの辮髪の少年だった。

放たれた冷気は、少年の眼前にあった岩石を瞬く間に凍りつかせる。

それを確認した少年は、一呼吸した後に鋭い蹴りを放ち、岩石を粉々に砕いてみせた。

「ふむ、上々か」

「また腕を上げましたな、王子」

「イースーチーか」

突然背後から聞こえた声にも、少年は全く動じることなく返事をする。

そして額に浮かんでいた汗を軽く拭うと、声の主へと振り返った。

「修行中は一人にしてくれと、再三頼んだ筈だぞ?」

少年の言葉に、穏やかながらも些かの隙も無い出で立ちの老人が、眼を細めた。

「そう申されるな、王子。王子の成長を見届けるのが、このイースーチーの務めなのですから」

「ふう…そう言われると、返す言葉が無いな」

苦笑した少年は、腰元にぶらさげていた瓢箪を手に取り、中の水をゆっくりと口元へと運ぶ。

「だが、それなら一度くらい手合せしてくれても構わないのではないか? 俺があれだけ頼んでも、頑として拒否し続けてるだろう?」

「いやはや、御冗談を。この老いぼれでは、もう王子の相手は務まりません。……それとも手合せという名目で、積年の恨みを晴らしたいとお考えですか?」

「そっちこそ、慣れぬ冗談を。……まあ良い、お前のその言葉で、どうあっても俺の相手をしてくれないのは分かった」

水を飲み干した少年は、再度苦笑を浮かべる。しかし、不意に真剣な表情になると、老人の顔を見つめた。

「だが、こんな修行で間に合うのか? お前が言っていた、“歴史的な戦い”とやらへの準備は?」

「心配は無用です。もう少し時が経てば、自ずと分かります」

意味深な、それでいて大事な所はまるで欠けている老人の言葉に、少年は小さく頷く。

「そうか。ならば、俺はこのまま修行を続けよう。それで良いのだろう?」

「はい、その通りでございます。時が来るまでは、体術に氷術、雷術…そして治癒術の基本を完璧に会得してください」

「ああ」

再び頷いた少年は、やにわに右手を大きく空へと向け、次いで傍らにあった岩石へと力強く突き出す。すると突然、雷鳴と共に一条の稲妻が、岩石へと降り注いだ。

稲妻は岩石を粉砕し、周囲に石の破片を撒き散らさせる。それはかなりの速度であったが、少年にせよ老人にせよ、避けられないものではなかった。

しかし、軽く回避をした老人とは裏腹に、何故か少年は微動だにせず、石の雨の洗礼を受けた。

少年の身体に降り注ぐ石が、容赦なく肌を切裂き、赤い血を流させる。

やがて石の雨が止むと、彼は右手に暖かな光を出現させ、その光を右手に纏う。その手で身体をゆっくりと撫でていくと、瞬く間に傷が塞がっていった。

「流石ですな、王子。これならば、十分に間に合いそうです」

「間に合わせてみせるさ、必ずな」

不敵な笑みと共に少年が言うと、老人は感慨深げに呟いた。

「頼みますぞ、プー王子様」

 

 

 

 

 

 

 

 

――――ウインターズ。

「だからさ、この理論はここが間違っていて……」

「あ〜もうっ! そうじゃないって言ったろ!? このコードには……」

「やっぱりそうか! ここの数式が間違っていたんだな!」

日付が変わろうとしている時刻にも拘らず、あちこちから熱い議論や怒鳴り声、感嘆の叫びが聞こえてくる。

そんな喧騒の中を、一人の少年が本を歩き読みながら通り過ぎようとしていた。

やや乱れている金の髪。分厚い眼鏡が掛けられた両眼からは、知的な輝きが放たれている。

誰が見ても一目で勉強家と分かるその少年を、彼の存在に気付いた茶髪の少年が、表情を明るくさせて呼び止めた。

「あっ、いたいた! お〜い!」

「…………」

「もう、無視しないでよ!」

読んでいる本から全く眼を離さず、そのまま素通りしようとした金髪の少年の名を呼びながら、茶髪の少年は彼に歩み寄る。

そして肩を掴んだところで、ようやく金髪の少年は茶髪の少年へと振り向いた。

「ああ、トニー。どうした?」

「どうしたって……呼んでるんだから、返事くらいしてよね」

「え?……ああ、ゴメン。本に夢中で気が付かなかった」

「もう、いっつもそれなんだから」

つれない返事にも、トニーと呼ばれた少年は笑みを浮かべる。しかし、ふと金髪の少年が持っている本に眼をやると、不思議そうに首を傾げた。

「あれ? また、その本?」

「ん? ああ、まあね」

「随分と熱心に読んでるね、最近。君、そういうの興味無いんじゃなかったけ?」

言いながら彼は、本のタイトルを指差す。そこには、大きな文字で”超能力入門書”と書かれていた。

「ああ、これか。確かに僕は、超能力なんかに興味は無いよ。だけど最近……ちょっとね」

「ちょっと? ちょっと、どうしたの?」

「いや、まあ……」

訊ねられて、金髪の少年は言い淀む。なぜなら彼自身、具体的な説明は出来ないからだ。

数日前、本棚で眼にした一冊の本。その本――”超能力入門書”を見たその瞬間、彼は今までに経験した事のない感覚を覚えた。

理由は分からないのに、何故か”読まなければならない”という気持ちに襲われているのである。その気持ちに流されるまま、彼はここ最近、ずっとこの本を読み続けているのだ。

根拠の無いことは好まない自分にしては、随分とらしくない行動だった。だからこそ、説明が難しい。なので仕方なく、彼は曖昧な返事をした。

「ちょっとした、知的探究心って奴だよ。それだけ」

「ふ〜ん、そっか。じゃあ、読み終わったら僕にも貸してよ。君がそれだけ夢中になる本、僕も読んでみたいんだ」

「あ、ああ……それは構わないよ」

必要以上に熱い眼差しを向けられながら言われた彼は、やや引き攣った笑みと共に頷く。

「本当? ありがとう!……っと、そろそろ部屋に戻ろう。流石にもう寝ないと、明日が辛いよ」

「え?……あ、もうこんな時間か」

言われて腕時計を見た彼は、初めて自分が相当夜更かしをしていた事に気づく。

「全く。君は本当に夢中になると、他の事がなおざりになるんだから」

「はは、ゴメン」

バツが悪そうな顔をした彼に、茶髪の少年は呆れた様子で微笑んだ。

「別に謝らなくて良いってば。僕らは親友じゃんか。ね、ジェフ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――ツーソン。

少女は夢を見ていた。

ここ最近、毎日の様に見る夢。夢だとハッキリ分かる、それでいてどこか現実味のある夢だった。

夢の中で、彼女は牢屋に中にいた。なぜそこにいるのかも、どうやったらここから出られるのかも分からない。

しかし、不思議と不安も恐怖も無かった。彼女はただ、鉄格子越しに見える小さなドアを見つめていた。

そして暫くすると、ゆっくりとそのドアが開き、誰かが姿を見せる。

どういうわけか、顔がハッキリとは見えない。けれども恰好からして、自分と同じくらいの男の子だという事が、彼女には分かった。

被っている赤い野球帽が、妙に印象に残る。その男の子が彼女にそっと手を伸ばして、何かを呟く。それに対して、彼女は無意識に言葉を呟いた。

その呟きと共に、少女は夢から覚める。これもまた、毎回の事だった。

彼女はベッドから半身を起こし、何気なく窓のカーテンを開ける。すると窓の外には、美しい満天の星空が広がっていた。

その星空の輝きが、少女の見事なブロンドの髪を照らす。神秘的な可憐さを纏った彼女は、誰が見ても美少女といえる顔立ちをしていた。

「綺麗ね……」

そう呟いた少女だが、その表情はどこか暗い。それもその筈で、今しがた呟いた言葉は、彼女の本心では無いからだ。

確かに綺麗な星空なのに、少女はそれを見ていて気持ちが晴れない。それどころか、この星空を見ていると、言いようのない不安に襲われるのを感じていた。

何か良くない事が起こりそうな、あるいはもう起きているかもしれない不安。

普通の人ならば、単なる気のせいで片づけても構わない事。だが、自身の不思議な力をしっかりと理解している少女にとっては、決して小さくない恐怖だった。

特に何も考えず、満ち足りた毎日を送っている今。それが、足元から崩れ落ちていくような気がしてならない。

少女は両手で己を抱きしめ、不意に夢の中と同じ様に“ある言葉”を呟いた。

「ネス」

恐らくそれは、あの赤い野球帽の男の子の名前。その名を呟くと、何故か安心出来るのを彼女は感じていた。

それはまるで、広げられた両手に包まれているような安堵感。それを感じつつ、少女は確信する。近い未来、自分はその男の子と出会うのだと。

出会う理由は、きっとこの星空を見て思う不安に関係した事。そして、いずれもっと具体的に分かるだろう。

普段はあまり快く思わない自分の能力を、今はとても嬉しく少女は思った。

「良い事と悪い事が、一緒に来る……でも、それでもきっと……これは良い事なんだわ。きっと……きっと」

呪文の様に唱えてみると、本当にそう思えてくる。

少女は随分と気持ちが前向きになったのを感じ、同時に眠気が襲ってくるのを感じた。

それに抗う事はせず、彼女は再びベッドに横になる。そして静かに眼を閉じると、再び見るかもしれない夢の中にいる男の子に向けて、話しかけた。

「ネス……ネス。貴方は……ネスなのでしょう?」

疑問ではなく、確認の言葉。そんな言葉を投げかけつつ、少女は徐に手を伸ばした。

「私は……私の名前は、ポーラです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――オネット。

夕暮れの町中を、数人の少年達が騒ぎながら歩いていた。

その渦中に、赤い野球帽を被った少年がいた。彼は周りにいる少年達から派手に背中を叩かれ、顔に苦笑を浮かべている。

だが、決して暴力を振るわれているのではない。今日一日の彼の活躍を称えた、友人達の少々荒っぽい歓迎だった。

「本当、凄かったよなあ! あのピッチャーの変化球を、物の見事にホームランなんだからよ!」

「うんうん! 向こうのチームも呆然としてたよね! 間違いなく、あの一打で勝負が決まったんだ!」

「同感同感! いやあ、まさにホームランバッターだな! これからも頼むぜ、全く!!」

「は、はは……あ、ありがとう」

次から次へと浴びせられる賞賛の言葉の雨に、件の赤い野球帽の少年は、少々引き攣りながら返事をする。

ここまで手放しに褒めちぎられると、嬉しいと言うよりも居た堪れなくなるというのが、正直な気持ちだ。

しかし、そんな事を友人達に言える筈も無く、彼はひたすら受け身に回る事で、この場をやりすごうとした。そんな彼の心情を知る由も無く、友人達の賞賛は続く。

「なんだよ、おい! もっと喜べよ! 今日のエースなんだからさ!」

「そうそう! あのホームランも凄かったけど、トータルで見ても全安打だったんだよ! 本当に最近、急に上手くなったじゃん!」

「だな! あれだけ打てれば、十分野球部に入れるだろうよ。なのに、なんで入んないんだ?」

「え? それは……僕、投球とか守備は下手だし、足は速くないし……」

「そんなの、練習でどうにでもなるだろ? 仮にそれらが下手だとしても、こんな強打者を欲しがらないわけないさ。お前は絶対、野球のセンスあるって!」

「……野球のセンス……なのかな?」

「へ?」

「あ……ああ、なんでもない」

思わず漏れた呟きを慌てて否定しながら、彼は頭の中で今日の出来事を振り返る。

確かに今日の野球試合、自分はバッターとして大活躍をした。こう言うと自惚れに聞こえるかも知れないが、実際に結果がそうだったのだから、そう言うしかない。

しかし、それが果たして“野球のセンス”が自分にあったからだったのかと考えると、疑問符が付くのを否めなかった。

それは今日だけでなく、最近の試合で度々感じていた事だった。

バッターボックスに立ってピッチャーと睨み合っていると、不意にピッチャーが狙っているコースが見えてくるのだ。

いた、見えてくると言うのは、語弊がある。もっと抽象的な感覚だ。とにかく、そういう感覚に襲われる事が、多くなっていた。

そして、その感覚によって知ったコース通りに、ピッチャーはボールを投げてくる。いくら速かったり変化球だったりしても、予めコースが分かっていれば、打つのはそう難しい事じゃない。

更にバットを振る瞬間、バットを握る両手が熱くなる様な気もした。その熱さが、まるで自分の力を増しているかの様に、バットに当たったボールは高く遠くに飛んでいった。

最近、頻繁に起きるこの現象、少年はまだ誰にも話していない。そもそも、この事を上手く話せる程、彼は口が達者ではない。

ただハッキリと分かる事は、決して自分がバッターとして活躍しているのは、“野球のセンス”によるものではないという事だけだった。

「まさか超能力?……なんてね」

「は? 超能力?」

「あっ……は、ははは! ううん、気にしないで!」

またしても呟いてしまった自嘲気味の言葉を誤魔化したところで、丁度少年と友人達の帰路の分岐点に辿り着いた。

彼はこれ幸いにと「あ、じゃあ僕はこっちだから!」と叫び、同時に駆け出す。そして暫く走ったところで友人達に振り返ると、大きく右手を振った。

「また明日ね! それから、今度の試合も誘ってよ!」

「おお! こっちからも、お願いするぜ!」

「また気持ち良く、かっ飛ばしてくれよな!」

友人達も大きく手を振りながら返事をする。そして、彼らの帰路を歩き出しつつ、最後に少年の名を叫んだ。

「じゃあな、ネス!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――運命を自覚する者、そうでない者。思いはそれぞれであったが……彼らの歯車は静かに回り出していた。やがて四つ全てが組み合うように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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