第十六章〜再び始まりの地へ〜
――――東歴2002年11月3日午前十一時。
“神龍”と合流して神連に到着した雄一は、急いで好野が待っている通信室に向かう。
彼が息を弾ませながら部屋に駆けこむと、好野だけでなく繚奈に水音、そして双慈や雷華の姿もそこにあった。
「やっときたわね、雄一。少し時間が掛かったんじゃない?」
「すいません。ちょっと“神龍”と別行動取ってたもんで、合流する手間が」
「あら珍しいわね。喧嘩でもしたの?」
「い、いや、そういう訳じゃ……」
正直に『光美とのデートの為』と説明するのに雄一が戸惑っていると、不意に繚奈がクスリと笑みを零す。
反射的に彼が視線を向けると、彼女は意味ありげな笑顔を返してきた。
(?……っ……そっか、今日の事、光美ちゃんが話してるよな。親友なんだし……)
すぐに合点がいった雄一は、あえて繚奈に何も言い返さない事を選び、本題に入る。
「それで好野さん。やっと動けるようになったって言ってましたけど、どういう事ですか?」
「ええ、説明するわ。……結論から言うと、イリシレに向かう必要があるの」
「え? またイリシレに?」
「そう」
頷きつつ好野は、いつものようにコンピュータを立ち上げ、モニターに画面を表示させる。そこには以前に見せてもらった“雷鳥”と“ペリュトン”のCGモデルが移されていた。
「色々と解析した結果、この“新獣”達は二体が揃う事を前提に造られていたみたいなの」
「二体が揃う事が前提……?」
「まあ簡単に言うならば、お互いが近くにいてこそ本当の力が発揮できるって事かしら」
「へえ、そんな神もいるんですね」
「いえ、この性質はあくまで新獣としてのもの。つまり造った人間が設定したものという事ね。そしてそれは、それぞれの“新士”達にも当てはまるの」
「ああ、成程。つまり、雷華ちゃんと……“ペリュトン”の新士は一緒にいてこそ、本当の力が発揮されるってことですね」
「その通り。だから私の予想では“ペリュトン”の新士は雷華ちゃんを探していると思うの。でも、もしその新士が雷華ちゃんを感じ取れる能力を持っているとしたら、時間が掛かり過ぎているわ」
「そうですね。あれからもう二週間ですし」
「でしょう? となれば、そういった能力は持っていないと考えるのが自然。では、どうやって雷華ちゃんを探しているのか……分かる?」
「?……いや、サッパリ……」
雄一が首を傾げると、好野は「まあ私もあまり自信は無いのだけれど」と前置きをした後に続ける。
「その新士を造る過程で、造った人間が雷華ちゃんの生まれる場所……つまり、あのイリシレの研究所跡のデータをあらかじめ仕込んでおいた、というのが一番可能性があると思うの」
「ははあ……まあ、ありえなくはない話ですね。とにかく、イリシレに行ってみるしかない訳か」
「そうね。他にアテも無いわけだし、それがベターね」
釈然としないものを感じつつも、雄一と繚奈は好野の提案に同意を示す。そして二人が水音に視線を移すと、彼女は大きく頷いてみせた。
「私も異存はないわ。今は何でもいいから手掛かりが欲しいもの。できればすぐにでも行きたいところだけど……」
「ちょっと難しいですね、それは。今から飛行機の手配したって、それなりに時間がかかるし」
「ええ。それに今回は六人だから、予約するのも苦労するでしょうしね」
「え、六人? ここにいる全員で行くんですか?」
雄一が意外そうに言うと、好野は小さく頷いた。
「そうよ。雄一、この前の雷華ちゃんの不調、覚えてる?」
「ああ、確か“雷鳥”の新獣を倒した影響による……」
「いえ、今はそれだけではないと私は考えているの」
「と、言いますと?」
「ちょっと良くない言い方なんだけど、雷華ちゃんは新士として不完全な状態で誕生してしまった経緯があるわ」
「不完全? ああ、そう言えば、そうでしたっけ」
――――本来の主の帰還を待たずして、双慈の来訪によって“天上の庭”から生まれた。
以前に聞かされたその仮説を思い出した雄一が呟くと、好野が続ける。
「そして元々雷華ちゃんと“ペリュトン”の新士は二人一緒である事が前提、と言えばいいのかしら。とにかく、そういう設定であるのならば……ずっと二人が離れている事が、雷華ちゃんに悪影響を及ぼしているんじゃないかと私は考えているの。だから雷華ちゃんは連れていった方が良いと思うわ。そして当然、双慈君も彼女の支えとして必要になるわね」
「そういう事か。けど好野さんの考えじゃ、俺達が止めなければならない“ペリュトン”の新獣も新士も、雷華ちゃんが近くにいると強くなるって事ですよね?」
「っ……そうなるわね。それに……」
そこで不意に口を噤んだ好野は、一瞬だけ雷華を見やった後、首を横に振りながら言った。
「いえ、とにかく、その可能性は高いわ。でも、雷華ちゃんの事を考えるならば、そうするのが最適だと私は思うの。貴方達は、負担を強いる事になってしまうのだけれど」
「別に構いませんよ。どうせ神士の仕事なんて、いつも負担だらけなんですから」
冗談半分、諦め半分の雄一の言葉に、一同は揃って苦笑を漏らす。
そんな中でただ一人、雷華だけはキョトンとした表情でキョロキョロと周りを見渡していた。
――――東歴2002年11月3日午後六時。
「ふう、こんなもんかな」
神連の一室―—職員や神士が臨時に宿泊する為の部屋―—で身支度を整えた双慈は、宙を見上げながら独り言を呟いた。
好野の手配の結果、イリシレに向かうのは明日の早朝となり、一同はそれぞれの準備をするべく解散して現在に至る。
雄一と繚奈は一旦自宅へと戻り、水音は「じっと待機しておくのって性に合わない」と何処かに出かけてしまった。
好野は「まだ解析できる事があるかもしれない」と自分の作業を始め、残った双慈は特にする事もなく部屋で休息をとっている。
別に繚奈の元へと戻っても良かったのだが、暫く離れ離れになる輝宏との時間を大切にしてもらおうと、彼は敢えて神連に残る事にしたのだ。
そして当然、そんな双慈の隣には雷華の姿があるのだった。
「ソウジ」
「うわっ! な、何、雷華?」
部屋の椅子に腰かけて足をブラブラさせながら、こちらの身支度を眺めていた雷華の突然の声に、双慈は驚いて彼女へ振り返る。
だが雷華はそれ以上何も言わず、ただジッと彼を見つめつつ足を動かすばかりである。
「どうしたの? お腹でも空いた?」
「…………」
双慈の問いかけにも、雷華は短く首を横にふるだけで、すぐに彼を見つめる事に戻る。
その真っ直ぐな視線を発する瞳。そしてそれが備わっている彼女の顔を見やった双慈は、気恥ずかしさを感じて反射的に眼を逸らした。
――――彼は、今更ながらに思う。彼女は美しい顔をしている、と。
ずっと近くに居る、もとい居られることで気づいたが、雷華は瞳の色も髪と同じく金のものをしていた。
その輝くような瞳で見つめられると、胸が締め付けられるような気持ちに襲われ、落ち着いていられなくなる。そしてそれは、視線を逸らした程度では消し去ることは出来なかった。
「も、もう眠った方が良いんじゃないかな? 明日は早いんだし……」
「私が本来の力を発揮するには、まだ時間が掛かるの」
「……っ!?」
今まで聞いた事の無い流暢な口調に、双慈は逸らした視線を再び彼女へと戻す。
「ら、雷華? ど、どうし……」
「それに対して、向こうはもう殆ど“完成”に近づいている筈。だけど、あの者自身はそれ程の脅威ではない。貴方達なら、きっと止める事が出来る」
「?……?……」
声は確かに雷華のもの。しかし口調は完全に別人のものだ。
何がなんだか分からず、双慈は声を発する事も出来ず、ただ眼を瞬かせる事しか出来ない。
そんな彼を相変わらず見つめたまま、雷華は流暢に喋り続ける。
「だけど、真の脅威は別にあるの。あの者が危機に陥った時、あの者の獣が貴方達に牙を向く。その時、きっと私の力が必要となる。でも、それまでに私が完成するかどうかは分からない。悲しくて悔しいけど、私は不完全だから」
嘆きの言葉を口にするものの、その語りには抑揚がなく達観したものを感じられる。
まるで全てを見通しているかのような、それこそ“神”のような口調で、雷華は喋り続けた。
「だけど安心して、双慈。何があっても、どうなろうとも……貴方だけは私が守ってみせる。貴方は私にとって、唯一の…………ソウジ?」
「……え?」
不意に小首を傾げた雷華に、双慈は驚いて彼女を凝視した。
「ら、雷華。い、今の言葉は一体……?」
「…………?」
双慈の問いに、雷華はまるで要領を得ないと言わんばかり怪訝な表情を浮かべている。退屈そうに足を動かしているのと合わせて、彼の良く知るいつもの彼女だった。
狐につままれた気分になった双慈だが、直後に雷華から聞こえてきた空腹を告げる音に我に返る。
「あ……お、お腹空いたの?」
「……うん」
「そ、そっか。じゃあ、ご飯の用意してもらおう。……おいで」
「うん」
双慈が手を差し伸べると、雷華は何の躊躇いもなくその手を握り返す。そのまま部屋を出た二人は、神連の食堂室へと歩き出した。
(何だったんだ、さっきのは?……そう言えば、好野さんも雷華を『不完全』って言ってたな。まさか雷華、その自覚が……? でも、だとしたら普段の態度の意味は……?)
少し遅れて歩く雷華の手を引きつつ、双慈はあれこれと考えを巡らせる。しかし、どれもこれもが曖昧なものばかりで、納得のいく答えが出る気配は一向になかった。
やがて彼は雷華に気づかれぬように首を横に振り、一旦保留するという結論に至る。
どの道、明日イリシレに向かえば色々と分かる事なのだ。ここで答えを探しださなければならない必要もないだろう。
(雄兄や繚姉にも……言わなくていいかな。変に伝えて混乱させたらマズいし、僕が注意してれば大丈夫……だよね)
「ソウジ」
「え?」
「て……いたい」
「あ……ご、ごめん!」
いつの間にか雷華と繋いでいる手に力が籠っていたらしい。
慌てて力を緩めて雷華に謝りながら、双慈は些か不機嫌になってしまった彼女のご機嫌取りに奔走することになった。
――――東歴2002年11月3日午後十時。
明日の準備を済ませた雄一が、そろそろ眠ろうかと思っていた時、いきなり滅多に使われていない自宅の固定電話が鳴った。
「な、なんだ!? 何の電話だ!?」
不意打ちの出来事に、彼は大袈裟に驚きながら電話を取る。
時間的にセールスや勧誘とは思えないものの、もしそうならさっさと切ろうと考えていた彼だったが、受話器から聞こえてきたのは馴染みのある声だった。
『あ、雄一。流石にまだ起きてたわね』
「っ……繚奈か。驚かすなよな、全く」
全身から力が抜けていくのを感じた雄一は、ヘナヘナとその場に座り込む。
『別に驚かしてないでしょ。ただの電話じゃない』
「わざわざ電話なんか使わなくたって、俺らには端末があるだろうに」
『それはそうだけどさ、たまにはこういうのも良いんじゃないかって。内容もそんな深刻なものじゃないし』
「ん? 一体、何の話……ってちょっと待った。俺、あんたに自宅の電話番号教えた事あったか?」
『いいえ、無いわよ。光美に教えてもらったの。……少し前まで、一緒にいたしね』
「…………え?」
最後の辺りに笑いが込められていたのを感じ取り、雄一の背中に嫌な汗が流れる。
彼が神連から自宅へと戻り、残してきた光美と再び一緒に過ごしたのが夕方頃まで。
明日の事を考えると夕食まで一緒に取る気にはなれず、光美を自宅のアパートまで送っていったのだが、どうやらその後で彼女は繚奈の家に行ったらしい。
それ自体は別に何でもない事であるが、如何せんタイミングが問題である。自分の思い違いであるのを願いつつ、雄一は恐る恐る繚奈に訊ねた。
「あ、あの、繚奈? へ、変なこと訊くけど光美ちゃんから何か聞いてたりとか……」
『本当、初々しいったらないわね。学生でも、もう少しスマートにするんじゃない?』
瞬間、雄一は自らの頭上に大きな岩が落下してきたような衝撃を受ける。
嫌な予感は見事的中したらしい。繚奈は曖昧に話しているが、何の事について話しているのかは容易に想像できた。
正直、電話を切ってしまいたいと切実に思いつつも、彼は力無く返事をする。
「仕方ないだろ。俺はそういうの、経験値ゼロなんだから」
『でしょうね。とてもじゃないけど、回数を重ねるだけの器量があるとは思えないもの』
「……悪うございましたね。ってか、その事でわざわざからかう為の電話かよ?」
『まっ、半分はね。じゃ、今からもう半分のこと話すわ』
「何だ?」
恥ずかしさを誤魔化す為、段々と刺々しい口調になっていくのを止められない雄一が訊ねると、繚奈は一転して真面目な口調で告げた。
『明日からのこと、絶対に無茶はしないように。……良いわね?』
「な、何だよ、急に?」
『もう、鈍いわね。光美に貴方の事をお願いされたからに決まってるでしょ』
「え? 光美ちゃんに?」
『そう。貴方が心配でたまらないのよ、光美は。だから私にお願いしたってこと。まっ、流石にもう自覚はあると思うけど……待っている人がいる者の責任、決して忘れるんじゃないわよ』
母親である繚奈のその言葉には、とてつもない重みがあった。
先程までとはまた違った汗を感じつつ、雄一はぎこちなくも返事をした。
「わ、分かってるっての。大体、そういうのはそっちだって同じだろ?」
「ご心配なく。私は絶対に無事に戻ってくるわ。まだ小さい輝宏を残して、むざむざ死んでたまるもんですか」
「…………」
繚奈の即答に、雄一は二の句が継げなくなる。彼女が言った『待っている人がいる者の責任』とやらを、彼女はしっかりと自覚しているのだ。
実際は繚奈も分かっている筈だ。神士としての活動には常に危険が伴う。どれだけ強くなろうと、どれだけ経験を重ねようとも命の危険とは隣り合わせである。
『必ず戻ってくる』などとは口が裂けても言えない言葉。だが、それでも繚奈は力強くハッキリとその言葉を口に出来る。それが彼女の心構えなのだろう。
(この辺は、俺も見習わないとな)
心の中でそう呟きながら、雄一は繚奈に告げた。
「俺だって同じさ。光美ちゃんを置いて、もう遠くへ行く気なんか更々無い」
『うん、よろしい。じゃ、そろそろ切るわね。明日に備えて、そろそろ寝たいし』
「ああ、俺もそう思ってたところだ。んじゃ、お休み」
『お休みなさい……とと、忘れるところだったわ。雄一』
「ん?」
『安心していいわよ。今までに何度か話す機会があったんだけど、光美も経験無いって言ってたから。良かったわね、ファースト同士で』
「はいっ!?」
『それじゃ、お休みなさい。明日、寝坊するんじゃないわよ』
「え、あ、ちょ……り、繚奈!?」
慌てて呼び止める雄一だったが、無情にも電話は切れ電子音のみが彼の耳を木霊する。
疲れが急激に全身から吹き出てくるのを感じながら、雄一は力なく受話器を戻すと盛大に溜息をついた。
「はあ……なんだかなあ……本当、もう少し丁寧にしとくべき……だったのかな?……いや、今はこの事で悩んでる場合じゃないか。とにかく、明日に備えて寝るとしよう」
自分にそう言い聞かせつつ、雄一は照明を消してベッドに入る。そのまま眼を閉じると、疲れから自然と眠気が生まれてきた。
(……年跨ぎの仕事にはならなそうだしな。しっかり終わらせて、気持ちよく年末を迎えられるよう頑張るとしますか)
本当は口に出そうと思った決意表明の言葉は、心の中で呟くに留まる。
既に眠気は臨界点に達しているのを感じた雄一は、それに身を委ねる。そして彼は間もなく、安らかな寝息を立て始めた。