〜世界の後に、救うは仲間(4)〜
ライザの護衛を伴ったウェンデルへと戻ったシャルロットは、急ぎヒースの元へと向かった。
彼こそが、ローラントでリースに話した“デュランを探すアテ”である。
魔物退治で世界中を巡っているヒースなら、同じく世界中の戦場を放浪しているとされているデュランと一度くらいは遭遇しているだろうと、シャルロットは踏んでいたのである。
そして実際、その読みは当たっていた。デュランの事を尋ねると、彼はこれまで数回に渡りデュランと接触していたと話したのである。
「ほ、本当ですか、ヒース!?」
「ああ。どうやら彼は、修行がてら各地を回ってるらしくてね。何度か魔物退治を手伝ってくれた事もあるよ。最後に会ったのは、一か月くらい前かな。ディーンで見かけたよ」
「へえ、あのオアシスの村で? あの人あんな重装備でよくあんな暑い場所にいたですね」
「もう慣れたって言ってたよ。それで、その時少し彼と話したんだけど、次は火山島ブッカに行くと言ってたな」
「ブッカ!? はあ、いくら修行だからってあんなとこ行く必要ないでしょうに」
心底呆れた様子で、シャルロットは溜息をついた。
火山島ブッカ――現在唯一と言っていい活火山のある無人島である。
あの冒険の最中、図らずとも訪れる羽目になり、散々な思いをしたシャルロットとしては、二度と行きたくない場所である。
幸い、何の資源もなくただ危険な島であるが故に、訪れる必要などまず無いのであるが。
「私もそう思ったんだけどね、彼曰く『あそこなら他に誰も来る事もないだろうし、派手に暴れても問題ない』だそうだよ」
「成程。まあ確かにあそこは、ブースカブーさんかフラミーさんに頼まないと行けないですからね。デュランさん以外でいけるとしたら、ローラント城の人くらいですか」
苦笑交じりのヒースの言葉に、シャルロットは理解を示す。
――――フラミーを呼び出す『風の太鼓』に、ブースカブーを呼び出す『ぴーひゃら笛』
冒険の間、シャルロットが所持していたこの二つの道具は、旅が終わると同時にそれぞれリースとデュランの手に渡っていた。
ウェンデルから出る事はまれになるであろうシャルロットには不要の物であったし、フラミーはローラントと、ブースカブーはフォルセナと関りの深い存在である。
彼らに渡すのがベストだと、シャルロットは思ったのだ。
よって現在、船を使わずに世界を自由に移動できる人物は、リースとデュランの二人のみといってもよい。
そしてリース及びローラントがあのような状況である以上、火山島ブッカにデュラン以外の人間が訪れる可能性は限りなくゼロに近かった。
「でも、もしまだデュランさんがブッカにいるとしたら、ちょっと厄介ですね。それこそ、またローラントに行って風の太鼓を借りてくるしか……」
「いや、まだ彼がブッカにいる可能性は低いだろう」
「?……どうしてですか、ヒース?」
「前にパロを訪れた時に、船員が行ってたんだよ。『近いうちに、またブッカが噴火しそうだ』とね。流石の彼でも、火山の噴火に巻き込まれたらもたないだろう? だから既にブッカを離れていると思うよ。一度現地を訪れている彼なら、噴火の予兆に気づかないとも考えにくいしね」」
「それは、まあ……そうですね。にしても、ま〜た噴火したんですか、あの島は。本当に危険な島ですね。けど、それならデュランさんは今頃……」
此処までの情報を整理しながら、シャルロットは考えを巡らせる。
ヒースがパロでブッカの噴火が近いと聞いたとしたら、それは今から一週間ぐらい前の事になるだろう。となると、デュランがブッカを離れはじめるのも、それと同時期である可能性が高い。
そして、いくらデュランが常人よりも屈強とはいえ、無人島での修行を終えたのであれば多少なりとも休息をとろうとする筈だ。つまり、ブッカからすぐ近くの町を訪れるのが自然である。
そこまで考えたシャルロットの口から、自然と声が漏れた。
「……バイゼルですかね?」
「私もそう思うよ。尤も、今もまだ滞在しているからどうかは分からないけどね。しかし、なんらかの手掛かりは掴めるだろう」
言いながらヒースは身を翻し、その場を立ち去ろうとする。そんな彼を、シャルロットは慌てて呼び止めた。
「ヒ、ヒース? どこ行くんですか?」
「決まってるじゃないか。バイゼルだよ」
「え、えええっ!?」
驚いて絶叫したシャルロットに、ヒースは軽く噴き出しながら振り向いた。
「そんな驚くことはないだろう? 今の話の流れからして、当然じゃないか」
「い、いや、それは、まあ……で、でも、そんな急がなくても……」
「そうも言ってられないんじゃないのかい?」
笑みを消し、真顔になったヒースが、ジッとシャルロットを見つめながら言う。
「詮索はしないけど、ローラントから戻ってくるなり彼の事を訊いた……つまり、そういう事だろう?」
「え? え、えっと、その……」
ヒースの言う『そういう事』が何であるのか判断しかねるシャルロットであったが、少なくともリースの事でデュランが関係あるというのは悟っているらしかった。
どう返答したものかと困惑する彼女に、ヒースは再び苦笑する。
「繰り返すけど、詮索はしないよ。ともあれ、光の司祭である君がそう何度もウェンデルを離れるわけにはいかない。私がバイゼルにいって、彼の行方を探ってみるよ」
「あ、ありがとうです、ヒース!」
相変わらず聡明且つ優しさに溢れている最愛の人に、シャルロットはとびきりの笑顔で礼を言う。そんな彼女に微笑と共に手を振りながら、ヒースはその場を後にした。
そのようにヒースがデュランの捜索に出てから、はや数週間。
ヒースからの連絡は一度もなく、シャルロットは来る日も来る日もウェンデルで光の司祭としての業務に明け暮れていた。
最初の数日こそ、まだかまだかと落ち着かなかったシャルロットだが、毎日の激務に追われる日々の中で、いつしか忘却してしまい気にならなくなっていた。
そんなある日のシェイドの刻。業務を終えてベランダで彼女がリラックスしていると、不意にヒースが姿を現した。
「あ、ヒース。最近見なかったですね、どうしてたんですか?」
「シ、シャルロット? もしかして忘れてしまったのかい?」
「へ、忘れた? 忘れたって……っ!? あ、ああ、あれの事ですね! も、勿論覚えてたですよ! とと、当然じゃないですか!」
デュラン捜索の事を思い出したシャルロットは大慌てで弁明しながら、訝し気にこちらを見ているヒースに訊ねる。
「で、どうだったんですか? ヒースが戻ってきたって事は、デュランさん見つかったんですよね? もしかして、一緒にウェンデルに戻ってきたんですか?」
「いや、彼は見つけたのだけど、戻ってきたのは私一人さ。君の言う通り、一緒にウェンデルに来てもらいたかったんだけど、彼が嫌がってね。だけど、君と会う約束はとりつけてきたよ。明日のシェイドの刻、ジャドの海岸に行く準備をしていてくれ」
「ジャドの海岸?……ああ、あのジャドの門を出て左に行ったところの海岸ですか?」
「そうそう、そこだよ。近くまで私が同行するから、そのつもりでいてくれ」
「うん、わかったです」
シャルロットが頷くと、ヒースは微笑んだ後どこか疲れた様子で踵を返し神殿内へと入っていく。
その様子から、彼ウェンデルへに戻ってきたその足で報告に来てくれたのだと分かり、シャルロットは少し罪悪感を覚えた。
(考えてみたら無茶なお願いしちゃってたんですよね……今度お詫びとお礼をしないとです)
心の中でそう呟いた彼女は、明日の為に早めに眠ろうと自室へと歩いて行った。
翌日のシェイドの刻。シャルロットはヒースに連れられて、ジャドの海岸へとやってきた。
魔物であるラビも眠りにつく時刻である為、周囲はさざなみの音くらいしかなく心地よい静寂に包まれている。
ウェンデルの近場という事もあり、いつもの格好で久々に外出する事の出来たシャルロットは、良い気持ちになって両手を振り上げて大きく伸びをした。
「う〜〜ん、静かでリラックスできるですね」
「確かに。ウェンデルからそう遠くない場所なのに、今まで意識した事なかったな。落ち着ける良い場所だよ、此処は
「はいです。……ね、ねえヒース? その……今度また二人で……」
ロマンを感じる場所を前に乙女の感情を揺さぶられたシャルロットは、恥じらいながら想い人へデートの約束を持ち掛けようとする。
しかし、その声を遮るように、また周囲の静寂を切り裂くように、酷く間の抜けた生物の鳴き声が耳を打った。
「どうやら来たみたいだね」
「っ……みたいです」
――もうっ! 本当にタイミングの悪い人ですね!
内心悪態をつきながら海を見やると、月明かりに照らされながらこちらへと泳いでくるブースカブーが視界に入る。
そしてその甲羅の上には、胡坐をかき腕組みをして眼を閉じている人物――デュランの姿があった。
「それじゃあ、私は席を外そうか。一時間くらいしたら、また来るよ」
「うん、ありがとうですヒース」
お礼を言いながら彼を見送ると、今度は間近でブースカブーの鳴き声が聞こえた。
ハッとして海へと振り返ると、ブースカブーが懐かしむように首を上下に動かしており、彼女は思わず笑顔になりながら手を振った。
「ブースカブーさん! お久しぶりです! 元気でしたか?」
シャルロットの言葉に、ブースカブーは鳴き声で答える。すると、そんな珍獣の背に座っていた人物――デュランがやにわに立ち上がり、慣れた様子で砂浜へと飛び降りた。
身の丈程の剣を携え、軽鎧や小手を纏いながらも軽快な動きをする身体能力の高さは相変わらずだ。それでいて夜の闇の中でも彼方此方に確認できる傷跡が、彼の修行の過酷さを物語っている。
リースと違って雰囲気もあの冒険の時のままだと思いながら、シャルロットは幾分緊張しつつもかつての仲間に声を掛けた、
「お久しぶりですね、デュランさん。元気そう……って言っていいんですかね?」
「ああ、調子は良好だ。久しぶり、そして大きくなったなシャルロット。……いや、もう光の司祭と呼ぶべきか」
「っ……シャルロットでいいですよ。あんたさんはあたしの弟子であり僕なんですから」
「懐かしいこと言ってくれるぜ」
言いながらデュランは苦笑し、シャルロットもまた数週間前の遣り取りを思い出しながら笑みを零した。
―――やっぱり似てるんですね、色々と。
この場にいないリースの事を考えつつ、シャルロットはデュランを改めて見やった。
修行に明け暮れているにしては、彼の身なりは至って清潔だった。武具や服に目立つ汚れは無く、身体の方も傷跡を除けば同様だった。
旅をしていた時も意外にそういう所は気をつけていたし、その辺りは変わっていないようである。
「どうした?」
「ううん、別に。色々と噂は耳にしてたですけど、あんまり変わってないなって」
「まあ、な。しかし噂と言えば、お前の方こそだろ。五代目光の司祭の話、世界の彼方此方で耳に入ったぞ。頑張ってるみたいだな」
「当然です。なんてたってあたしは、世界を救った聖剣の勇者なんですからね。光の司祭としても、しっかりしないといけないんです」
シャルロットはそう言いながら、両手を腰に当ててふんぞり返ってみせた。そして、かねてから決めていた通り、デュランに対しての嫌味を並べた。
「来る日も来る日もそれはそれは大変な激務をこなして、時にはまだ何とか使える魔法で傷ついた人を癒して、ウェンデルの顔としても色々と……とにかくまあ毎日大変なんですから。国仕えを辞めて、気ままに世界を渡り歩いて、修行しているだけのあんたさんとは違うんです」
「ふう、相変わらず口は達者だな。まあ、お前よりも遥かに楽な身分なのは確かだが」
「そういう事です。……でも、なんでフォルセナを出ちゃったんですか? 英雄王様と喧嘩でもしたんですか?」
「国王陛下にそんな粗相出来るか。そんなんじゃねえよ。ただ……って、おい。まさかお前、それを訊くためにわざわざヒースさんまで使って俺を探し出したのか?」
「え? いや、違うですよ。あたしがあんたさんと会いたかったのは、リースさんの事でです」
「リースの?」
途端、デュランの顔つきが変わる。そんな彼からある事を察したシャルロットは、確認の為に訊ねた。
「あんたさんの耳にも入ってるんですね? リースさんの近況」
「ああ、彼方此方で噂は聞いた。エリオット王子に政務を任せて、全く表に出てきてないそうだな」
「そうです。ま、そりゃそうですよね。今リースさんが公の場に顔を出したら、世界中大騒ぎ間違いなしですから」
「……どういう……事だ?」
不安を色濃く滲ませた声と表情で、デュランが問う。その顔を見て、シャルロットは改めて確信した。
単なる仲間の事というだけで、此処まで不安に駆られる事はないだろう。つまり、デュランがリースに対して向けている感情は、それ以上だという事である。
――これで一応、最悪のケースは避けられたみたいです。
彼女は密かに安堵すると、一つ大きく深呼吸をした後、デュランに告げた。
「リースさん、もうすぐ赤ちゃんを産むんですよ」
――――時が止まるとは、こういう場面を指すのかもしれない。
眼を見開き、ピクリとも動かなくなったデュランを見て、シャルロットはそう思う。
時間にすれば既に一、二分は経過している筈だが、彼は微動だにせず、まるで彫刻のように固まったままだった。
「デュランさん?」
声を掛けても、まるで反応がない。
「デュランさ〜〜ん?」
眼前で手をヒラヒラと振っても、瞬き一つしない。
「もうっ! デュランさん!!」
痺れを切らしたシャルロットは、彼の前で思い切り両手を叩いて鳴らす。すると、ようやく彼は反応を示し、「だあっ!?」という情けない声と共に尻餅をついた。
そのまま立ち上がる事もせず、いや出来ないのか、彼は困惑の表情を浮かべたまま小刻みに震え続けている。
そんなデュランの様子に、シャルロットは呆れを通り越して微笑ましさすら感じた。ここまで分かりやすい反応を示したのなら、特別探りを入れる必要もない。
「身に覚えがあるみたいですね」
「い、いや……その……あの……だ、だから……」
先程までの剣士としての厳かな雰囲気はどこへやら、狼狽えてばかりのデュランを、シャルロットは溜息と共に促す。
「とりあえず、立ったらどうです?」
「あ、ああ…………で、でだ! その……あの……」
「なんです?」
「だ、だから! つまり、その……た、たった一回だぞ!?」
「…………あんたさん、今此処にライザさんがいたら殺されてるですよ」
思わずジト目になってしまったシャルロットは、あまりにも低レベルなデュランの弁明に辛辣な意見を述べる。
同時に、彼を探し出す役目を買って出て良かったと心底思った。こんな調子では、ローラントの人間が怒り狂ってどうなる事か考えるだけで恐ろしい。
特に、ライザあたりは本当に殺しにかかってくる気がしてならない。前に彼女が発していた殺意を思い出して寒気を感じながら、シャルロットはデュランに言った。
「とにかく、今リースさんが妊娠してて、もうすぐママになるのは間違いないです。この眼でちゃあんと見てきたんですから」
「お、お前、リースと会ったのか?」
「はいです。それはそれは大きなお腹を抱えてたですよ。そして、あんたさんとの事も聞いたです。それにしてもよくもまあ、神獣退治に東奔西走してる時に仲睦まじく……」
「だあああっっ!! 言うな! 言わないでくれ!!」
両耳を塞ぎ、激しく頭を振りながらデュランは絶叫した。月明かりの中で分かるくらいに顔が赤くなっているところからして、彼の頭の中身に浮かんでいるものは容易に推測できる。
――こういうところの反応も、リースさんと似てるですね。まあ、あっちは青くなったりもしてましたが……。
シャルロットは呆れの感情を抱き続けたまま、苦悶し続けているデュランを暫し眺める。
やがて、ようやく幾分か落ち着いた様子になったデュランが、ぎこちなく訊ねてきた。
「シ、シャルロット」
「はい?」
「そ、その……リースは他に何か言ってたか?」
「他にですか。そうですね……怖いって言ってたです」
「怖い?」
「そうです。デュランさんが受け入れてくれるかどうかって。“何か”は言わなくても分かるですよね?」
「あ、ああ……それで、他には?」
「あんたさんに会いたいって」
「…………そう、か」
そう呟いたきり、デュランは黙り込んでしまった。酷く難しい顔で俯き、忙しなく両手の指を動かし、何度も頭を振る。
そのまま暫く時間が流れ、ようやっと彼は絞り出すような声で言った。
「……根無し草の身も、終わらせる時か」
「?……なんの事です?」
「俺の事だ。一国の王女の相手が、流浪の剣士なんて示しがつかないだろ。それなりの身分ってものが、どうしたって必要だ」
「!……デュランさん、それって……」
驚きのあまり眼を見開いて呟いたシャルロットに、デュランは乱雑に頭を掻きむしる。旅の最中で何度も見た、彼が照れている時の仕草である。
「っ……受け入れるに決まってんだろ、全く……」
「それはリースさんに直接言ってあげるべき言葉です」
「分かってるよ!」
「なら良いです。で? 『それなりの身分』って、具体的にはどんなものなんです? やっぱりフォルセナの騎士団に入るんですか?」
「いや、違う。騎士団じゃなくて、陛下直々の命により単独で動く、遊撃剣士って奴になる」
「?……何ですか、それ?」
「まあ分かりやすく言えば便利屋だな。国の守備に偉人警護、あるいは外敵への奇襲に他国への派遣……とにかく状況に応じて、どうとでも動く立場ってわけさ」
「う〜んイマイチ良く分かんないですけど、英雄王様直属の部下って事ですか?」
「間違ってはないな。かなり前から、お声を掛けて頂いてたんだよ。あまり気乗りしないから、お断りさせて頂いてたんだが」
「ふうん……でも、なんでですか? フォルセナの事はあまり分からないですけど、王様から直々にお願いされるなんて、すっごく名誉だと思うんですけど」
「そうだ、この上無い名誉だ。俺だって、すごく嬉しいよ。……俺が騎士だったらな」
「っ………成程、そういう事だったんですか」
シャルロットはようやくデュランがフォルセナを離れていた理由を察し、納得した様子で呟いた。
剣については完全に素人であるシャルロットだが、それでもデュランの剣術が冒険の中で変わっていったのには気づいていた。
出会ってた当初から暫くは、本人も言っていたようなフォルセナ流の剣術――ただ斬撃を繰り出すだけでなく、相手の攻撃を捌き払う事も重視したものだった。
それが彼念願のクラスチェンジを経て、まるで異なるもの――防御などお構いなしに、ひたすら攻める事だけに特化した剣術に変わっていったのである。
その変化は、デュランの旅の目的を考えれば自然ではあった。宿敵である紅蓮の魔導士を倒す。ただその為だけに、彼は力を得る事を望んだのだから。
しかし、結局その目的は果たされることは無く、デュランは自ら得た力の使いどころを見失ってしまったのである。
動乱の最中こそ、残された巨悪である仮面の道士達を倒すという目的があった。だが、平和になった今、彼の力が求められる場面は多くない。
――――騎士として、何かを守る力ではない。ただ一介の剣士として、敵を討つための力。
そんな力を騎士の国である祖国で振るうわけにはいかない。デュランはそう思ったのだ。だからこそ、彼はフォルセナを離れたのである。英雄王からの誘いを断っていたのも、同じ理由だろう。
「でも、英雄王様から誘われたって事は、向こうさんは別に気にしてないんじゃないですか?」
「そう……かもしれない。でも、俺が納得いかなかったんだ。祖国の為に、ましてや陛下の身を直々に守るのであれば、父さんのような騎士であってこそだと思うから。けど……」
一旦言葉を切り、デュランは眼を伏せる。そして再び眼を開けた彼の顔は、固い決意を秘めた凛々しいものであった。
「もう、そういった拘りに囚われてはいられない。俺の力が求められているのなら、俺は全力でそれに応える。そして、背負うものは全力で背負う。身分でも……夫や親としての責でも」
「……立派立派。本当に立派ですよ、デュランさん」
控え目だが心のこもった拍手をしつつ、シャルロットは笑みを浮かべる。
「いやあ、正直安心したですよ。これであんたさんが、責任回避や現実逃避しようものなら、あたしはどうやってリースさん達に報告すればいいのやらって思ってたです」
「……ちょっと待て。お前、俺をそんな男だと思ってたのか?」
「え〜〜? だってそういう男の人、結構見てきたですからね。ついこの前も懺悔しにきたんですよ? あんたさんと似たような境遇の男の人が」
「ひ、光の司祭って、そういう奴の相手もするのかよ……」
「当然です。光の司祭は全ての人に慈悲深くなければいけないんですから。なんならデュランさんも、ウェンデルの神殿で懺悔しておくですか? 色欲に負けて王女様に手を出した罪を」
「バッ……!? ひ、人聞きの悪いこと言うな! だ、第一誘ってきたのはあっちで、俺はダメだって何度も言ったのに大丈夫だって繰り返すから……!」
「ス、ストップストップ! あんたさん、いきなりなんてこと言い出すんです!? 」
とんでもない発言をしたデュランに、からかっていたシャルロットは慌てて彼を制する。
一応その方面の知識も身に着けたとはいえ、直に聞かされて素面でいられる程慣れている訳ではないのだ。大きく波打つ心臓を押さえつつ、シャルロットは顔を顰めた。
――これはもうちょっと面倒見てあげないとですねえ。とてもじゃないけど、安心できないです。
実の所、これ以上は出しゃばらない方が良いだろうと考えていたのだが、彼がこんな調子ではそうも言ってられない。
そう思ったシャルロットは芝居がかった溜息をつき、世話のやける眼前の男を見やった。
「デュランさん、一ついいです?」
「な、なんだ?」
「さっき言ってた遊撃剣士、でしたか? あんたさんが正式にそれになったら、ウェンデルに連絡よこすです」
「?……どうしてだ?」
「ちょっと強引ですけど、どうにか理由作ってあんたさんを借りれるようにするです」
「は? 俺を借りる?」
意味が分からないらしく間の抜けた声を出したデュランに、シャルロットは焦れた様子で言い放つ。
「もう、にぶいですね! 一緒にローラント城に行けるように、手筈を整えてあげるって言ってるんです!」
「な、なんで俺がお前と一緒に行くんだよ?」
「簡単な事です。『光の司祭がローラントに赴く。ひいてはその警護をお願いしたい』……とか、こういう大義名分があった方が、あんたさんも堂々とローラントに行けるでしょ?」
「た、確かにそうだけど……でもお前、それちょっと無理があるだろ。お前の警護っていったらヒースさんがいるんだし……」」
「だから! そこはどうにかするって言ってるんです! 大体あんたさん、そもそもどういう風にローラントに行くつもりだったんですか? 英雄王様に包み隠さず全部話して、プロポーズしてくるって宣言してから行くとでも?」
「っ!? でで、出来るかそんな事!! そ、その……えっと……だから……」
「……なんにも考えてなかったんですね、やっぱり」
「う……」
「あんたさんらしいです。まあとにかく、まずは表向き別の理由で行って、内密に話し合った方が良いですよ。その為に、あたしが人肌脱いであげようって言ってるんです」
「っ……ありがたいけどよ、シャルロット。やっぱ、これは俺達……いや、俺の問題だから。これ以上、お前の世話になるわけには……」
「その心意気は買うですけどね、デュランさん。あんたさん一人でローラント城に行ったとして、きちんと向こうの方々とお話しできるんですか? 分かってるとは思うですけど、あんたさんローラント城じゃ完っ全にアウェイなんですからね」
そのシャルロットの言葉にデュランは絶句し、ややあっておずおずと彼女に訊ねた。
「や、やっぱりみんな怒ってるのか?」
「当たり前です。辛うじて味方してくれそうなのはエリオットさんくらいじゃないですか? まっ、それもあんたさんの態度次第でしょうけど」
「あ……う……そうだよな。向こうからしたら俺は……」
「自国の王女に手を出して妊娠させた挙句、ほったらかしにして世界中をフラフラしているダメ男ですからね」
バッサリとシャルロットが切り捨てると、デュランは再び絶句する。そのまま暫く俯きながら頭を掻きむしっていたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「シ、シャルロット」
「はい?」
「頼りに……していいか?」
彼らしくない弱々しい懇願の言葉に、シャルロットは思わず苦笑する。
プライドが高く、頼るよりも頼られる事の多いデュランがこんな態度をとるのは珍しい。それだけ苦悶していているという事だろう。なので彼女は、彼の望む返答を口にする。
「勿論です。この五代目光の司祭、シャルロット様にお任せするです」
「……ありがとう。本当に助かる」
安堵した様子で、デュランは頭を下げる。そんな彼を見て、シャルロットは少しだけ本音を口にする気分になった。
「お礼なんかいいですよ。あんたさんには……あんたさん達二人には、沢山沢山お世話になったんですから」
「っ……シャルロット……」
「だから、お二人さんには幸せになってほしいんですよ。だってお二人さんはあたしの弟子であり僕……ううん」
シャルロットは首を横に振って自らの言葉を否定し、続ける。
「あたしの大切な仲間であり、お兄ちゃんやお姉ちゃんみたいなものなんですから」
「っ……ありがとよ」
先程とは違い、彼らしい礼を述べながらデュランは微笑む。そして踵を返すと、降りた時と同じように軽やかな動きでブースカブーに飛び乗った。
「もうフォルセナに行くんですか?」
「ああ。のんびりしてなんかいられないだろ? 色々とな」
「ま、そうですね」
ここ最近、幾度となく繰り返されたと感じる遣り取りをしながら、シャルロットはデュランを見送ろうとする。
が、ふと大切な事を訊くのを忘れていたのを思い出し、彼に声を掛けた。
「あ、デュランさん、ちょっと待つです。大事な事を訊いてなかったです」
「ん? なんだ?」
「あんたさんは、どっちが良いんですか?」
「……は?」
質問の意図が分からず、眼を瞬かせた彼に、シャルロットは笑いながら言う。
「だから、男の子か女の子の、どっちが良いかって訊いているんです」
「っ!?」
途端、デュランは態勢を崩して危うくブースカブーから落ちそうになった。
「き、急に変なこと訊くなよな!!」
「別に変なことじゃないです。大切なことじゃないですか。……で、どっちなんです? やっぱりあんたさんの事ですから、男の子で剣術教えたいとか思ってるんですか?」
「そ、そりゃまあ……どっちかと言えば……俺は父さんに教えてもらえなかったし……出来る事なら……」
「だと思ったです。そんなあんたさんに、一つ面白いジンクスを教えてあげるです」
「ジンクス?」
訝し気に呟いたデュランに、シャルロットは心底楽しい気分で告げた。
「そっ。そんなこと言ってる男の人の所にはですね、眼に入れても痛くないくらい可愛い女の子が来るもんなんですよ」
「!?……な、なんだよ、そのジンクスはよ!? 何処の誰から仕入れたんだ、お前!?」
「仕入れたんじゃなくて、あたしの経験からです。さっきも言ったですけど、こういう手合いの相談は結構受けてるんです。名付け親だって引き受けた事もあるんですよ。その経験から言って、あんたさんみたいな男の人は、大抵デレデレの親バカになるんです」
「っ……お、俺はそんなのにはなんねえぞ!!」
「どうですかねえ〜? 絶対なると思うですけど〜〜?」
「……っ!!」
否定できないのか、デュランは乱暴に髪の毛を掻きむしる。そしてブースカブーの甲羅を軽く叩き、身を翻させて沖へと促した。
敵前逃亡といっても過言ではない彼の行動に、まだまだからかってやりたいシャルロットだったが、その気持ちを堪えて小さくなっていくデュランの背中に向けて叫ぶ。
「気をつけてフォルセナに帰るんですよーー! もうすぐパパになるんですからねーー!!」
そんな彼女の叫びに、彼は背を向けたまま片手を派手に振ってみせた。
――――ファ・ザード大陸最強の剣士であるデュランが、正式に英雄王リチャードに仕えるようになった。
そんな報が世界中を駆け巡ったのは、それから一週間後の事であった。