〜侵食する戦慄〜

 

 

 

 

――――どんな時でも、朝は例外なくやって来る。

「うん?……もう、朝か」

ベッドの上で半身を起こし、ユリスは片目を擦りながら呟く。

そして傍らに置いてある時計に視線を移すと、時刻は6時を示していた。

(まだ、こんな時間か。いつもなら、まだ眠っておきたいけど……)

――流石に、今日はそんな気分じゃないか……。

苦笑交じりの溜息を吐きつつ、彼はベッドから降りて服を着替え始める。それと同時に、昨日の事を思い返してみた。

「……誰の仕業だったんだ、あれは?」

この時代ではなく、未来の住人である『青き血の民』と戦う羽目になった事にも驚いたが、ユリスにはそれ以上に気に掛かる事があった。

(『青き血の民』達を焼き尽くした、あの炎は……)

戦いが終わった後、彼らを灰すら残さぬ勢いで焼き尽くした炎。周りには一切燃え移らず、対象のみを完全に焼き尽くした炎。

それは、どう考えても自然に生まれる物ではなく、何者かが放った魔法であるとしか考えられなかった。

―――……だが、一体誰が?何の目的で?

「……判断材料が、少な過ぎるな」

ユリスは苦々しげに口を開きながら、小さく頭を振る。同時に歯がゆい思いが心に広がるが、現時点ではどうしようもない。

ただ一つだけ、確信をもって言える事。それは自分の周りで……いや、自分とモニカの周りで、また何か不吉な影が漂っているという事だけだ。

(また、世界を巻き込む事じゃないといいけど……)

不透明な危機感に戦慄を感じつつ、着替えを終えた彼は朝食を摂るため、一階に降りようとドアを開ける。

すると、いきなり見慣れた紅髪の少女と視線がぶつかった。

「きゃっ!?」

「あれ、モニカ?どうしたの?」

「び、びっくりさせないでよ、ユリス!」

鉢合わせしたのに驚いたのか、モニカは頬を紅潮させながら彼に非難の声を浴びせる。

「あ、ゴメン。でも珍しいね、君がこんな時間に起きてるなんて」

「それは……昨日、あんな事があったから……目が覚めちゃって……」

その言葉に、ユリスはハッとした仕種を見せる。

「っ……そっか、そうだよね……ゴメン」

明確に命を狙われ、そして『青き血の民』達と深い因縁がある彼女が抱えている葛藤と不安は、自分の比ではないだろう。

途端に申し訳なさそうに呟いた彼に、モニカは困った様な笑みを浮かべた。

「別に謝る事じゃないわよ。……それよりユリス、これからの事なんだけさ、どうする?」

「それは、ボクもずっと考えてたんだけど……どうしようにも、情報が全くと言っていいほど無いし」

「……そうよね。今の私達じゃ、未来に行く事も出来ないし。悔しいけど、今は何かが向こうからやってくるまで、待つしかないか」

「……うん」

そこまで会話を終えた所で、二人の間に重苦しい沈黙が流れる。

「「…………」」

ややあって、どちらともなく並んで廊下を歩き出した。

その途中、モニカが隣を歩くユリスに、聞こえるか聞こえないか程度のか細い声で囁いた。

「ねえ、ユリス……」

「何?」

「今更こんな事言うのも何だけど……私達の考え過ぎだといいわね」

――――それは極僅かな可能性……いや、儚い祈りの言葉。

(そんな事は……ありえないと思うけど……)

そう言ってしまうのは簡単だったが、ユリスは敢えて言わなかった。きっとそんな事は、彼女とて十分承知の上だと分かっていたから。

だから彼は、一瞬考えた末にこう答えた。

「……そうだね」

そう答える事が、今自分に出来る、彼女の心の荷を軽くさせられる唯一の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――ヘイム・ラダにあるガンドール火山の頂上付近で、少年と少女は話していた。

「どうでもいいが……なぜ、わざわざこの場所に?」

「聞きたいか?」

少女の方は、念入りに自らの得物の手入れをし、少年の方は火口に手を翳しながら瞑想をしている。

どちらにせよ、高熱地帯である場所で平然としていられるその様から、決して常人ではないという事が見て取れた。

「……別にさして興味無いが、そっちがどうしても話したいと言うのなら、聞いてやらんでもない」

その少女の言葉に、少年は瞑想を止めて、悟られない様に笑みを零す。

本人に自覚があるのかどうかは分からないが、興味を示しているのが口調で丸分かりである。

(無関心を装っている様で、存外に好奇心旺盛な奴だな)

心の中で皮肉を言いつつ、それを一片も表に出さずに、少年は口を開いた。

「調べた所、ギルトーニはここであの王女に敗れたらしい」

「っ!」

僅かに少女の表情を強張ったのを横目で見やりながら、少年は続ける。

「どうせなら、因縁のある場所の方が、都合が良いだろう?お前にせよ、相手にせよ……な」

「ふん、くだらん考えだな!」

少年を一瞥し、少女は憤慨した様に鼻を鳴らす。しかし、次いで珍しく物静かな口調で言った。

「だが……一応、お膳立てしてくれた事には感謝しておく」

「光栄だ」

頷きながらそう答えた後、少年は再び瞑想を始める。そして更に、何やら呪文の様な言葉を並べ始めた。

「虚空の扉、虚無の時を刻め……漆黒の闇、偽りの地を造れ……絶望の叫び、その産声となれ」

少年が詠唱を終えると、火口の中空の空間が突如として歪み、どす黒い色をした球体が生まれる。

同時に、周りの物質を吸い込んでいるかの様に渦巻きだしたそれを見て、少女は少年に問いかけた。

「それが、お前の言っていた物か?」

「ああ……少し時間が経てば、完成するだろう。これで、準備は整った」

翳していた手を下ろし、少年は少女に視線を向け、最終確認の言葉を告げる。

「早ければ明日にでも、奴らに事を伝えるつもりだ。そのつもりでいるんだな」

「わかった」

「……くどいようだが、最後にもう一度言っておく。俺はお前の戦いに手出しは出来ないし、するつもりもない。何があっても、責任は持てないぞ?」

「それはこちらも同じ事だ。精々返り討ちにならない様、気をつけるんだな」

吐き捨てた口調でそう言うと、少女は無造作に寝転がった。それを見て、少年は些か驚いて声を掛ける。

「なんだ、お前?こんな所で寝るつもりか?」

「……話はすんだんだ。どうしようが、私の勝手だろうが」

早くも睡魔に襲われているのか、何処か覇気の無い声で、少女は鬱陶しそうに返事をした。

「まあ、俺は構わんが……平気なのか?」

「人間と違って、私は適応性が強いんだ。……それより、お前は休息をとらないのか?」

「……」

少女のその問いに、少年は暫し間をおき、やがてこう答えた。

「別に必要ない。お前とは、身体の出来そのものが違うんだ」

「……ふん」

気分を害したのか、少女はそれっきり黙り込み、すぐに小さな寝息を立て始める。

それを事も無げに眺めつつ、少年はボンヤリと先程の自分の言葉を繰り返す。

「身体の出来そのものが違う……か」

――――そう。自分は『青き血の民』とも、人間とも…それどころか、この世に存在する全ての生物と違う存在。

神に憎まれ、そして愛された……忌まわしき存在。だからこそ、今こうして『存在』する事が出来る。

「いよいよだ。いよいよ、全てを正す事が出来る……!」

柄にも無く熱くなっていく自分に戸惑いながらも、少年は沸きあがる歓喜を堪える事が出来なかった。

傍らで眠る少女を起こさぬ様に、小さく笑い声を漏らしながら、彼は倒すべき相手に向け、呟く。

「精々、残された僅かな時間を過ごすがいい……ユリス」

悪しき時間の流れが生んだ堕とし子――唯一自分に近しい、神に逆らい続けてきた愚かな少年。

その少年を、彼は消し去らなければならなかった。それこそが、彼の使命……いや、運命であるのだから。

――――……そう。その為に、自分は存在しているのだから。

改めてそう思った刹那、不意に少年の脳裏に、疎ましさしか感じられない記憶が蘇ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

……。

…………。

―――――何の変哲も無い、有り触れた小さな家。

「ただいま〜〜〜!!」

明るい銀髪の少年の声が響き渡り、玄関のドアが開かれる。それを聞いて、家の奥から少年と同じ銀髪の女性が顔を出した。

「お帰りなさい。おやつ、そこに置いてあるわよ」

「は〜〜い!それじゃ、さっそく……」

「ダメよ。ちゃんと手を洗ってから」

「……は〜〜い」

どこにでもいそうな母子の、どこにでもありそうな会話。微笑ましい筈のそれさえも、今の彼には白々しい物に感じられた。

記憶の場面が変わり、向かい合って食卓に座っている母子の会話が聞こえる。

「ねえ、お母さん」

「何?」

「お父さんさ、何時になったら帰ってくるの?僕、早く会ってみたいな」

「……もう少ししたら、よ」

「え〜〜?もうそれ、何十回と聞いたんだけど?」

「そうね。でも、もう少し……もう少しだから」

――……何が、もう少しだったのだろう?

誰も、その問いに答えてはくれない。その答えはもう……何処にもありはしない。

(…………)

またしても記憶の場面が変わり、病を患ったのか、力なく横たわりながら口を開く少年の姿が見える。その少年の手を掴み、励ます母の姿も。

「……お母……さん……」

「……ナ!しっかりして!!」

「会いたい……よ……父さんに…………母……さん……」

「……ナ!……ナ!……いやああああああっ!!」

……。

…………。

 

 

 

 

 

 

 

「……っ!!」

瞬間、少年の意識は現実へと還る。

どうやら、知らぬ間に追憶の世界へと旅立っていたらしい。

「うっ……」

急激に込み上げてきた吐き気を押し殺しながら、彼は額に浮かんだ嫌な汗を拭った。

「二度と思い出さないと決めたのに……全く……」

ようやく吐き気が静まり、深く息をついた少年は、何気なく上空へと視線を向ける。

噎せ返るような熱気が漂うこの様な場所でも、空に輝く星はやはり美しかった。

「もうすぐ還れる……あそこに……・」

――――何もない安息の地。

もうすぐ自分は、その場所へと還る事が出来る。

(その為にも、この使命を終えなければならない……何があっても、必ず)

そう心の中で呟きつつ、彼はふと眠りについている少女の顔を見やった。

「……すー……すー……」

「……」

起きている時とはまるで雰囲気が違い、呆れる程に無防備なその姿は妙にあどけなく感じられる。

(……こうしていれば、普通の少女なのだな。尤も、『青き血の民』の、な……)

と、そんな事を考えた自分に驚きながら、少年は無意識に顔を手で覆った。

「……どうも、こいつの事になると……変になるな、俺は……」

彼は自嘲気味に呟き、やがてゆっくりとその場に座り込む。久しぶりに色々な事を考えたので、どうも疲れたらしい。

(それにしても……不思議な物だ。『こんな身体』でも、吐き気や疲労を感じるとは……)

そう思っている内に、少年の意識は夢の中へと沈んでいった。……恐らく、最後になるであろう夢の中へ。

「…………」

彼がこうやって眠るのもこれが最後。事が終われば、彼はこうして眠る必要はなくなる。

――――夢を見る為に……再び起きる為に、眠りにつく必要は……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

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