〜噴煙の烽火〜

 

 

 

 

――――翌日。

突如としてけたたましい音が廊下から聞こえ、ユリスとモニカは弾かれた様にそちらを見やる。

すると近づいてきた足音がドアの前で止み、一拍置いてメイドのルネが、肩で荒く呼吸しながら姿を現した。

「はあっ……はあっ……坊ちゃ……あっ、モニカさんもここにいらしたんですか!」

「ルネ!?どうしたのよ、一体!?そんなに慌てて!」

「そ、それが大変なんです。ヘイム・ラダで……」

「っ!?ヘイム・ラダで何かあったのか!?」

ユリスが尋ねると、ルネはコクリと頷いた後、悲痛な声を上げた。

「ヘイム・ラダのガンドール火山が、突然大噴火したんです!!」

「「なっ!?」」

二人は、思わず声を荒げながらその場に立ち上がる。

「そんなバカな!?いくらなんでも突然すぎる!これまでにそんな事、一回も……」

「しかし事実なんです!ヘイム・ラダに住んでた人が、先程から大勢避難してきて……」

「……」

驚愕で声を失ったユリスに代わって、今度はモニカがルネに尋ねた。

「それで!?みんな大丈夫だったの!?」

「え、ええ、殆どの人は……ただ……」

そこまで言うと、ルネは気まずそうに顔を横に逸らす。

その仕種に、呆然としていたユリスはある事を悟り、呻く様に声を漏らした。

「っ、まさか……!?」

「はい。数人の人が逃げ遅れて……その中に、ジラード様が……」

「っ!そんな……」

「……くっ!」

口元を押さえ、動揺に身を震わせているモニカを横目に、ユリスは猛然と駆け出した。

「ユリス!?」

「ルネ!!ダック先生の所だな!?」

「は、はい!」

ルネが頷くのを見ると、ユリスは脇目も振らずに走り去り、後に残されたモニカは慌てて後を追う。

「ま、待ってよ、ユリス!!私も行くってば!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

――――ダック医院。

「それじゃ、命に別状は……」

「ああ、大丈夫だ。尤も、重症なのには変わりないがな」

その言葉に、ユリスはホッと胸を撫で下ろす。そんな彼に、モニカは笑顔で口を開いた。

「ユリス、よかったわね」

「……うん」

全身の至る所に包帯を巻かれ、静かに眠っているジラードを眺めながら、彼は小さく頷く。

その節々から僅かに見える火傷が、彼の容態を物語っていた。

しかし目を閉じた父親の表情は、とても穏かで、それが自分に「大丈夫だ」と言っている様に、ユリスは思った。

(……よかった、本当に)

全身から緊張が抜けていくのを感じつつ、ユリスはダックに振り返る。

「ダック先生、他の人達は?」

「他の者は、それほど重くなかったからな。手当てだけで帰っていったぞ。危なかったのは、お前の親父さんだけだ」

「そうですか。……ありがとうございました、ダック先生」

「礼はいらんよ」

そう言いながら苦笑したダックだったが、すぐに真顔になって独り言を呟いた。

「しかし、何でまたガンドール火山が噴火なんぞ……それも、これ程の被害が出る規模になるとは、正直考えられんのだが……」

「……」

「?……どうした、ユリス?難しい顔して?」

「いえ……」

曖昧に相槌を返しながら、ユリスは無言でモニカを見やる。

すると、彼女は彼の瞳を見て全てを理解し、ダックにペコリと頭を下げ、医院を出て行った。

「?……どうしたんだ、モニカは?」

「大した事じゃないですよ。それじゃ、ボクもそろそろ帰ります」

「あっ、お、おい、ユリス……」

そうして戸惑った様に口を開いたダックに、ユリスは沈痛な顔つきで言う。

「先生……父さんの事、よろしくお願いします」

「えっ?あ、ああ……分かった」

躊躇いながらも頷いた彼を暫し見返した後、ユリスは足早にその場を去った。

――――そして、その帰り道。

「モニカ……」

「分かってるわ」

不意に声を掛けたユリスの言葉を遮り、モニカは断固たる口調で言った。

「これは明らかに、何者かによる仕業よ」

その言葉に、彼は重々しく頷く。

「うん、確かに。だけど、分からないな……一体誰が、何の目的で、こんな事をしたのか」

「それはもう、直接行って調べてみるしかないでしょ?」

「……そうだね」

厳しい表情でこちらを見た彼女に、ユリスは拳を握り締めながら返事をした。

(ようやく……ボク達も動く事が出来るか)

向こうから『事』がやってきた以上、もう指を咥えて待っている必要は無い。

まだガンドール火山に何かあるのかは定かではないが、それでも何かしらの手掛かりは掴めるはずだ。

(それならば、出来るだけ早く行動した方がいい)

そう思ったユリスは、ごく自然な口調で、隣を歩くモニカに声を掛けた。

「モニカ……今からでも、心の準備はいい?」

「……えっ?」

一瞬、眼を丸くした彼女だったが、やがてその言葉の真意を悟り、不敵な笑みを浮かべつつ鼻を鳴らす。

「当ったり前よ!鬼が出るか蛇が出るか知らないけど、じっとしてるより何倍もマシだわ!」

「そう言うと思った。それじゃ、準備が出来たらすぐに行こう!」

「ええ!!」

頷くモニカの瞳に、湧き上がる激情の色が映る。そして、それはユリスも同じであった。

互いに顔を見合わせ、二人は大急ぎでユリス邸へと向う為、大地を蹴る。

――――それから一時間後、彼らは各々の得物を携え、バース壱号に乗り込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……ここまで酷い有様だったなんて」

「せっかく発展してたのに……これじゃ、全てオジャンだわ」

久しぶりに訪れたヘイム・ラダは、二人の記憶からは余りにも懸け離れた姿で、彼らの前に現れた。

ここ数年で立ち並んでいた住居は全て消え去り、未だ灼熱の温度を保つ溶岩が、赤々と流れている。

(……)

ユリスの脳裏に、初めて訪れた時の記憶が過ぎる。

あの時の景色―火の粉の雨が降り注ぎ、死に絶えた大地しか広がっていなかった景色が、目の前の物とダブり、彼は眩暈を覚えた。

(何で……また……こんな事に……?)

額に手を当て、苦しそうに顔を歪めたユリスだったが、次の瞬間背中に奔った衝撃に、思わず前によろめいた。

「って!?」

「何ボッとしてんのよ、ユリス!!これから何があるか分からないって時に、そんなんじゃダメじゃない!!」

「う、あ……ゴメン」

呆れと怒りの混じった視線で睨まれ、彼は反射的に萎縮して謝罪する。

確かにモニカの言う通り、今はしっかりした気構えを持っていなければならない時だ。

だが、そうは分かっていても、やはりズルズルと考えに沈んでいってしまうのが、ユリスの悪い癖であった。

(こういう時、モニカが羨ましいよな) 

無論、彼女とて何の迷いも抱いていない訳でもないだろうが、それでもそれを表面に出さず、毅然とした態度を崩さない。

そんな彼女を見習うべきだと、ユリスはボンヤリ思った。

「分かればいいわ。それじゃ、さっさとガンドール火山の火口に行きましょ!!」

「そうだね。火山で何かあるとすれば、火口って相場が決まってるし。……よし、行こう!!」

 

 

 

 

 

 

 

――――ガンドール火山・火口。

身を焦がす程の熱気に悩まされながらも、何とか辿り着いたユリスとモニカは、そこで不思議な物体を目にした。

「な、何なんだこれ!?」

「『時空のひずみ』!?……違う。一体これは?」

二人の眼前―――火口の中心に浮かんでいる、漆黒の球体。

かつて彼らが幾度と無く見てきた『時空のひずみ』を、何倍も禍々しくさせた様なそれは、赤一色で覆われたこの場に良く目立つ。

暫し呆然とそれを見つめていたユリスだったが、やがて独り言の様に呟いた。

「この火山が突然噴火したのって、……まさか、これが原因か?」

その彼の言葉に、モニカも同感の頷きを返す。

「多分ね。仮にそうでなかったとしても、こんな物を放っておく訳にはいかないわ」

言うなり彼女は携えていた『アトラミリアの剣』を構える。それを見て、ユリスは慌てた様に声を上げた。

「ち、ちょっとモニカ!!な、何する気さ!?」

「見れば分かるでしょ!?これをぶっ壊すのよ!!」

その余りにも単純明快な回答に面食らいながらも、彼は今にも斬りかからんとしているモニカを制する。

「い、いや、ぶっ壊すって……ダメだよ!もしこれが、下手に衝撃を加えたらいけない物だったら危険だろ!?」

「あ……それはそっか。でもそれじゃあ、これどうする?」

正論を言われたモニカは、決まり悪そうに振り上げていた剣を下ろす。

しかし実の所、彼女を止めたユリスも、目の前の球体をどうしていいか分からずにいた。

(確かにこんなの、どう考えても厄介な物だろうけど……どうすればいいんだ?)

多少考えた末、彼は黒球に触れてみようと恐る恐る手を伸ばす。……と、その時だった。

「うわっ!?」

「きゃっ!?」

突如として黒球が何かに反応した様に、ゆっくりと巨大化し始める。

とっさに身を退いてその場を離れたユリスとモニカは、グングンと肥大していく黒球を、唖然として見つめていた。

「い、一体何だって言うんだよ?」

「さ、さあ?でも、とりあえず見とくしかないんじゃない?」

言葉を交わしている間も、黒球は勢いを止めず、ついには天を仰がなくてはならない程に膨れ上がる。

そして、ようやく黒球が動きを止めた刹那、二人の頭の中に声が響き渡った。

〔……ようこそ、アトラミリアに選ばれし勇者、ユリスとモニカよ……〕

「っ!?……誰!?どこにいるのよ!?」

反射的に耳を押さえながら叫ぶモニカの横で、ユリスは同じく耳を押さえつつ、ある意味懐かしいとも言える感情を覚える。

(これは……!……同じだ、あの時と……)

『ある人物』を思い浮かべた彼の頭に、先刻の声が再び響く。

〔ここに来たという事は、『招待状』の意味をしっかりと理解してくれた様だな〕

「『招待状』?……っ!!まさか!?」

ハッとしたユリスは、姿を見せない声だけの主に怒鳴った。

「このガンドール火山を噴火させたのは、お前なんだな!?」

〔その通り。ああすれば、必ずここに来ると思ったんでな〕

「何ですって!?私達をここに来させる為だけに、あんな事をしたって言うの!?」

思わず激昂したモニカに対し、姿無き声は小馬鹿にした口調で嘲笑する。

〔ふっ……だったら、何だと言うんだ?〕

「!!」

その一言で、完全に怒りに火が付いたモニカは、震える拳を握り締めながら歯を食いしばる。そして、それはユリスも同じだった。

全身に包帯を巻かれ力無く横たわる父親の顔を思い返しつつ、彼は右手を薙ぎ払い、叫ぶ。

「ふざけるなっ!!何故こんな事をするんだ!?何故ボク達をここに来させたんだ!?お前は一体誰なんだ!?」

〔………知りたいか?〕

ユリスの叫び声に、声の主は低くそう呟く。そして、さらに言葉を続けた。

〔理解したいか?確かめたいか?……なら、こちらに来るがいい〕

すると、静寂を保っていた黒球が胎動を始め、徐々に小さな穴が二つ開いていく。

そしてその二つの穴は、赤と青の色を浮かべ、二人の前に広がった。

「これは……?」

〔その穴のどちらかが、俺のいる所に通じている。どちらに入るかは、お前達の自由だ。では、会えるのを楽しみにしているぞ〕

「っ!……待て!!」

不意に小さくなっていた声にユリスは叫ぶが、返事は返ってこない。軽く舌打ちをした彼は、素早くモニカに口を開いた。

「モニカ!とにかく言われた通り入ってみよう!あいつに……さっきの声の奴に会わないと!」

「待って、ユリス!!」

言うなり駆け出そうとしたユリスを、彼女は慌てて呼び止める。

「モニカ?どうしたんだ?」

「もしかしたら、これは……」

不服そうに眉を顰める彼の横を通り過ぎ、モニカはゆっくりと青い穴の目の前に立った。

「モニカ?」

「…………」

そして、彼女はそっと指先を穴の表面に近づける。すると……・

「痛っ!!……思った通りね」

僅かに出血した指を舐めながら、モニカは苦々しそうに呟く。そんな彼女を見て、何かを悟ったユリスは、驚いた様に呟いた。

「っ!!まさか、結界!?」

「みたいよ。……全く、何がどちらに入るかは自由よ!これじゃ私達に選択肢なんか無いじゃない!」

結界――数年前の冒険で、何度も経験した罠だ。

赤と青、それぞれの結界がなされる場所では、対応する色のアトラミリアに選ばれし者は、一切の進入を許されない。

どうやらそれは、既にアトラミリアを手にしていない今でも変わらない様だった。

「って事は……二手に別れるしかないのか?」

「その様ね。まっ、大丈夫なんじゃない?私も君も、一人でだって十分強いし」

「っ……モニカ!」

緊迫した状況だというのに、あまりにも楽天的なモニカの言葉に、ユリスは思わず声を荒げて彼女を見やる。

「そんなに単純な問題じゃないだろ!?もし、これが罠だったら……」

「あら、ユリス。あの時とはまるで逆の事言ってない?」

「えっ?」

呆れた笑みと共に見つめ返され、彼は思わずポカンと口を開けた。

「忘れたの?あの時の事」

「?……っ!あ、あれは……」

言われた瞬間、頭の中に過去の記憶がフラッシュバックし、ユリスは気まずそうに言葉を濁す。

――――じゃあ、どうするの?……もしかして、二手に別れるの?

――――それが、一番良いだろうな。

「えっと、その……いや、だけど!」

確かに、かつて今と間逆のやりとりをし、二手に分かれて行動する事を決定した自分に、彼女を咎める権利はない。

だが、ユリスが彼女に言いたいのは、そういう事ではないのだ。

「あの時と今とは違うよ!……違うんだ!」

言葉が纏まらないまま、ユリスは珍しく感情的に叫び続ける。

離さないと誓った……ずっと一緒にいると誓った筈の彼女と、少しの間でも別れる事は、彼に想像以上の動揺を与えていた。

すると、向こうにそれが伝わったのだろう。モニカは一つ息をついた後、真っ直ぐにユリスの瞳を見て口を開く。

「私だって、嫌よ。……君と別れて行動するのは」

静かに語る彼女の瞳には、僅かに不安の色が浮かんでいた。

「っ……モニカ」

「だけど、他に方法が無いんじゃ仕方ないわ。今の私達に、この結果を解く事は出来ないし」

「……」

彼女の言う通りだ。彼にもそれは分かるが、だからといって不安が募るのを否定する事はできない。

――……別れて進むしかない。

それが正しい判断だとしても、他に方法が無いと分かっていても、ユリスの本能は抵抗を覚えていた。

しかし、それでも……やはり、彼女の言う通りにするしかない。

「……わかった」

やがて彼は、観念してそう言った。すると、モニカは満足した様に頷く。

「そうそう。流石に聞き分けがいいわね、ユリスは」

「君と違ってね」

さり気無くユリスが皮肉を返すと、彼女は途端にムキになって声を荒げた。

「な、何ですって!?どういう意味よ!?」

「いいだろ、そんな事。……それより……」

軽くいなしながら、彼は腕を伸ばしてモニカの身体を引き寄せる。

「えっ?ち、ちょっ……」

戸惑う彼女を強く抱きしめ、ユリスはその瞳に自分の瞳を映しながら口を開いた。

「モニカ……気をつけてね」

「ユリス……うん」

そう言った直後、モニカの瞳にジワリと涙が滲む。それを見て衝動に駆られたユリスは、もう随分と慣れた様に彼女の唇を塞いだ。

「……っ……」

僅かに硬直した後、モニカの身体はゆっくりとユリスの胸に寄りかかる。そんな彼女の手が彼の裾を掴み、無意識に力を込めた。

――……ユリスこそ、気をつけて。

そんな心の声が聞こえた様な気がし、ユリスはこれ以上ない愛しさを感じながら囁いた。

「……必ず戻ってくるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

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