〜対峙する敵意〜

 

 

 

 

 

 

ユリスと別れ、赤い穴の中に入ったモニカは、キョロキョロと辺りを見渡しながら呟いた。

「薄気味悪い場所ね!……ちっ」

いつ何が出てきても大丈夫な様に『アトラミリアの剣』を握り締めながら、彼女は舌打ちする。

――――亜空間、と呼ぶべき場所なのだろうか?

上も下も、右も左も、濁った水面の様にグチャグチャとした模様に囲まれ、何の物音も聞こえない。

行けども行けども景色は変わらず、彼女は自分が今、本当に前に進んでいるのかも分からなくなってきた。

(こういうのって、一番苦手なのよね。これなら、魔物の集団と戦ってる方がマシだわ)

苛立つ神経を抑えながら、彼女は胸に手を当てて溜息を吐く。……と、その時だった。

「っ!……ようやくお出ましの様ね!!」

鋭い刃物の如き殺気を感じ、モニカは素早く『アトラミリアの剣』を構える。

「さあ、さっさと姿を見せなさいよ!『青き血の民』!!」

彼女はそう叫んだ直後、眼に見えぬ相手がハッと息を呑む気配を感じた。そう、モニカは瞬時に見抜いていたのである。

今、自分に向けられている殺気――それが先日、あの『青き血の民』達から向けられた物と同じであるという事を。

「ふ……どうやら隠れんぼは、無意味の様だな」

(えっ?)

虚空から聞こえてきた声に、一瞬モニカは驚愕に眼を見開いた。

(な、何よこの声?……お、女の子!?)

彼女がそう思った矢先、不意に目の前の空間が歪み、その中からゆっくりと一つの人影が姿を現していく。

――――青白い肌。獣の様な尾。頭部の角。

「……っ……」

眼前に立った『青き血の民』を見て、モニカは思わず言葉を失った。

無理もない。あの時に対峙した連中とは違い、相手は自分と然程離れていない年齢の少女だったのだから。

「どれ程待ちかねた事か、この瞬間を……」

「貴方……」

手にした大剣を握り締め、込み上げる喜びを噛締めるかの様に呟いた彼女に、モニカは思わず声を漏らす。

「一つ、聞いていい?」

「何だ?」

「貴方は……いや、貴方達は一体なんなの!?」

語尾を強くし、モニカは苦しげな叫び声を発した。

「なぜ、『青き血の民』がこの時代にいるの!?何故、私の命を狙うの!?教えなさいよ!!」

「……」

その問いに、少女は暫し口を閉ざして沈黙を保つ。だが、やがて嘲笑と共に揶揄した。

「まあ、何も知らずに冥府に旅立つのは余りに不憫か。……いいだろう、教えてやる」

スッと大剣の切っ先をモニカに突きつけながら、少女はゆっくりと言葉を紡いだ。

「まず、なぜ私達がこの時代にいるか、だが……お前も気づいている通り、私達は未来からやって来た」

「やっぱり。……でも、どうやって?」

「ある者の助力でだ」

「……ある者?」

不意に眉を見せたモニカだったが、彼女が「それは誰?」と尋ねる前に、少女は強い口調でそれを遮る。

「お前が知る必要は無い。さて、次の質問に答えようか?なぜ私達が、お前の命に狙うか……だったな?」

「……ええ」

「その質問に答える前に、聞いておく事がある。……王女モニカよ」

「っ……」

彼女もまた、あの時の彼らと同じく、自分を王女だと知っている事に、モニカは僅かなたじろぎを見せる。

だが、今はそんな事を気にしている場合ではない。彼女はそう自分に言い聞かせ、静かに口を開いた。

「何?」

「お前が倒した、ギルトーニという男の事……忘れてはあるまいな?」

「っ!?……どうして……?」

――アイツの……ギルトーニの事を知っているの?

瞬間、モニカの脳裏に数年前の出来事が蘇る。

ギルトーニ――確かに、奴に止めを刺したのは自分だ。

――――ここヘイム・ラダでの、二度目の対峙……初めての敗北……それによって知った、宿敵の過去……。

感じた憐憫、消えていった憎悪……そして、完全なる操り人形に成れ果てた相手……止む無くその命を終わらせた、自分の剣。

だが、それら全ては、『あの時』『この時代』でのみ起こった事。今や自分とユリス以外、誰も知る事はない筈だ。

――それなのに……何故私が、ギルトーニを倒した事を……?

「何故、知ってるのか?という顔だな。……ついでだ、教えてやろう」

言葉を失ったモニカに、少女は一切の感情がこもっていない口調で、淡々と言う。

「私達に協力した、ある者が全てを教えてくれたのだ。時代を越えて巻き起こった、アトラミリアを巡る動乱……

その最中に、お前がこの時代、そしてこの場所で、あの男……ギルトーニを葬り去った事もな!」

「なっ!?」

驚愕に眼を見開くモニカに、少女は更に言葉を続けた。

「だが、勘違いしない様に一つ言っておく。何も私は、あの男の仇を討つ為に、お前の命を欲している訳ではない」

ゆっくりと大剣を構えながら、彼女は再び鋭利な殺気を発し始める。

それを敏感に受け止めたモニカは、静かに間合いを取りながら少女の次なる言葉を待った。

「……」

「私がお前の命を欲する理由は一つ。……誇り高き『青き血の民』が、愚かな人間等よりも格上だという事を証明する為だ!!」

少女が薙ぎ払った大剣から生じた風圧の中で、モニカは叫び返す。

「くっ!……どういう事よ!?『青き血の民』が人間よりも格上だと証明する!?それが一体、私の命を奪うのと、何の関係があるのよ!?」

「分からないか?あの男は……ギルトーニは半分とはいえ、私達と同じ種族の者。その者が人間に……それもお前の様な、

 まだ年端のいかない王女に敗れた等、私達『青き血の民』にとっては、屈辱でしかないのだ!!」

「なっ!?そ、そんな……そんな事で…・!!」

彼女のその叫びに、モニカは凄まじい圧迫感を覚え、言葉の纏まらないまま悲痛な声を上げた。

「ふん!勝者であるお前にとっては、つまらない理由かもな!……だが!私にとっては、何物にも変えられない程、重要な事なのだ!!」

強い意志をその瞳に宿し、少女はもう話は終わりとばかりに、無言でモニカに剣を構えるよう促す。

「っ……」

だが、モニカは苦渋に顔を歪ませたまま、『アトラミリアの剣』を構えない。それを見て、少女は皮肉げな笑みを浮かべながら言った。

「どうした?あの時は至極あっさりと戦う事に踏み切ったくせに、今更何を躊躇している?」

「……っ!?」

あの時……それは間違いなく、先日のパームブリンクスでの戦いの事だ。

そう、『青き血の民』の集団と戦った、あの戦い。――……まさかそこに、彼女がいた!?

(じゃあ……私は……)

「……何をしている!?さっさと構えないか!!」

「っ!」

その少女の声に、モニカは反射的に『アトラミリアの剣』を構える。だが、その心は葛藤に埋め尽くされていた。

(こんな……でも……でも……!!)

彼女は感じ取っていた。少女の言葉の裏に隠された真実―――少女が自分の命を欲する、本当の理由に。

それが彼女の全身に強く圧し掛かり、戦う事への躊躇いを生む。だが、状況は待ってくれなかった。

「そうだ……それでいい。無抵抗のお前を倒したとて、何の意味も無い」

「……」

「自己紹介をしていなかったな。私の名はシェード……最期に覚えておくがいい!!」

「っ!!」

殺気が爆発し、次の瞬間には少女―――シェードの剣閃が首元に迫る。

寸での所で受け止めた剣を通して、モニカの手に衝撃が奔る。それは先日の彼らの、何倍もの速さと重さがある斬撃だった。

(強い……!)

ほんの一瞬も、気を抜ける相手ではない。それは嫌でも分かった。

(でも……私は……)

振り払う事の出来ない悩みに苛まされながら、モニカはシェードと刃を交える。

――――今までに感じた事の無い、激しい罪悪感を胸に秘めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ!何なんだ此処は!?」

『スーパーノヴァ』と『シグマガジェット』を両手に携えながら、ユリスは毒づいた。

青い穴の中に入ってから、もうかなりの時間が経っているはずなのだが、いくら進んでも全く同じ景色しか見えてこない。

次第に彼は時間の感覚、そして方向の感覚さえも麻痺していくのを感じていた。

(まさか、こっちはハズレだったのか?……いや、それにしたって、このまま何も無いってのは考えにくいし……)

神経を研ぎ澄ませながらも、ユリスは顎に手を当てて考え込む。……と、その時だった。

「!?……この感じ!」

その場の空気が凍りつく様な心地を覚え、彼はハッとして即座に身構える。すると、先刻の声が頭の中に聞こえた。

〔来たか……逃げなかった事は褒めてやろう……〕

「……っ……」

姿無き声が皮肉げに呟くが、ユリスは今、それに怒りを覚える事はなかった。それとは別の物が、彼の心を埋め尽くしていたからだ。

ガンドール火山の火口でも感じた事。それが今、更に大きな存在となって彼に疑念を抱かせる。

(さっきの感じといい……この頭に直接響く声といい……これは、単なる偶然なのか……?)

未だ鮮明に記憶の中に存在する、かつての敵。この姿無き声の主は、その敵とあまりにも似過ぎている気がしてならない。

激しく脈打つ心臓を押さえつけ、ユリスは考えを振り払う様に叫んだ。

「隠れて喋ってないで、さっさと姿を現したらどうなんだ!?」

〔……そう焦るな〕

その言葉と共に目の前の空間が歪み、音もなく一つの人影が姿を現していく。

「待っていた……この時が訪れるのを」

「……っ!?」

瞬間、ユリスは驚愕に眼を見開いた。

自分と同じか、或いは些か年下であろう、端正な顔立ちの少年。しかし、ユリスが驚いたのは、その事ではなかった。

――――流れる様に靡く銀髪。狂気に満ちた様な紅の瞳。

それを見届けた刹那、彼は自分の目の前にいる少年の輪郭が霞み、壮年の女性の物へ変わっていく様な感覚を覚える。

(似過ぎてる……だけど、これは一体……?)

「……どうした?俺の顔に見覚えでもあるのか?」

絶句したユリスの耳を、少年の声が打った。ハッとして彼が少年を見返すと、凄まじい憎悪が宿っている瞳が視線に入る。

だが、ユリスはその瞳の裏に、憎しみや怒り等とは違う負の感情があるのを直感的に感じていた。

底知れぬ闇の中にある、秘めた悲しみ。そして、邪魔する者への哀れみ。それらも全て、かつての敵と対峙した時に感じた物である。

「お、お前は……!?」

「……うん?」

強烈な既視感に押しつぶされそうになりながら、彼は呻く様に声を漏らす。

「お前は一体、何者だ!?」

ユリスは堪りかねた様に叫ぶと、少年は皮肉げに口を開いた。

「ふん……まるで分かってはいるが、認めたくないといった感じの物言いだな」

「っ……!」

こちらの思いを全て見透かしたかの様な口調に、ユリスは声を詰まらせる。

「まあいい。戦えば、嫌でも分かるだろう。……いくぞ!!」

「!?……くっ!」

叫びと共に、少年が右手を振りかざす。途端に風を切る様な音がし、反射的にユリスは横に身体を逸らした。

すると、一拍置いて右の袖に鋭い切れ込みが刻まれる。

それを見たまたしても既視感に押し迫り、ユリスは苦しそうに顔を歪めた。

(これは!?……違う!単なる偶然だ!!)

だが、そう自分に言い聞かせる彼に構わず、少年は納得した顔で頷く。

「ほう、避けたか……さては、以前に眼にした事があったか?」

「っ……何を!!」

動揺する心を隠す様に、ユリスはがむしゃらに『シグマガジェット』に手を伸ばし、乱暴にリミッターピンを外す。

そして、その銃口を真っ直ぐに少年へと向け、『フレア・グレネード』を放った。

「っ!……何!?」

「いけええっ!!!」

轟音と共に、少年は巨大な爆発に包まれる。ユリスはその光景を見やりながら、激しく疲労した様に手を膝に置いた。

「はあっ……はあっ……はあっ……」

胸を押さえて忙しなく呼吸しつつ、彼は俯いて知らぬ間に額に浮かんでいた汗を拭う。

「気のせいだ……きっと……いや、絶対に……!」

「……何が、気のせいなんだ?」

「なっ!?」

その声に、ユリスはハッとして顔を上げる。その彼の前には先刻までと変わらず、少年が佇んでいた。

「む、無傷!?……っ!」

動揺している暇も無い。少年は次々と右手から魔法を放ち、ユリスを攻撃してくる。

完全に冷静さを失ったユリスは、焦りながらそれらを回避しつつ、貯まりかねた様に叫んだ。

「答えてくれ!!……誰なんだ、お前は!?」

――――面影、技、感情……脳裏に浮かぶ、全てが似過ぎている死者を振り払う為に発した叫び。

その叫びに、ようやく少年は返事をよこした。

「聞かなかったか!?……レザルナから、俺の名を!!」

「えっ!?」

ユリスの全身に、これまで以上の衝撃が駆け巡る。

レザルナ――それは紛れもなく、先ほどから彼が何度も思い浮かべていた死者の名だ。

(どうして、こいつがレザルナさんの事を……ボクとレザルナさんが戦った事を!?)

困惑の表情を浮かべたユリスに、少年は冷徹な笑みを浮かべながら告げた。

「もう、分かるだろう!?……俺の名は、カレナだ!!」

「っ!?」

瞬間、ユリスは心臓が凍りつく様な心地を覚える。

「カレナ……だって!?」

思わず彼は攻撃の手を止め、上擦った声を発した。それ程までに、少年の言葉は驚愕に値する言葉だったのだ。

(まさか……まさか!!)

――――信じられない事実に、ユリスはただ愕然とするしかなかった。

 

 

 

 

 

(ユリス……!!)

殆ど死角の存在しない自分の攻撃を、目の前の怨敵は凄まじい反射神経で避け、こちらに反撃を返す。

そんな奴の瞳には、動揺と困惑の色が強く滲み出ていた。……恐らく『あの女』の事を思い浮かべているのだろう。

(俺は……『あの女』の様にはいかない!!)

心の中で叫ぶと同時に、少年は尚も激しく魔法を放つ。

しかし、ユリスは顔を歪ませながらもそれらを回避し、手にした銃でこちらに正確な射撃を見舞ってきた。

(くっ!流石は、と言うべきか……?)

世界を、そして時代を救った少年。アトラミリアに選ばれた、真性の勇者。

それと同時に、忌まわしき業を背負いし命。自分と唯一近しい、この世には不要な存在。

――……そう!だからこそ!

ユリスの射撃を魔法で防ぎながら、彼は怒りの炎を燃え滾らせる。

(……ここで終わらせる!お前の命!!そして……『俺』そのものも!!)

例え奴がどれだけ強かろうと、自分は何も恐れはしない。

自分に『死』はない。ただ奴に……ユリスに『死』を与えた瞬間に、自分はその役目を終え、還る事が出来るのだ。

「……死ねえええっ!!ユリス!!!!」

絶叫と共に、彼は再び魔法を放った。まるでそうする事で、何かから解き放たれるかの様に……。

 

 

 

 

 

 

 


  

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