第八編〜両親の決意〜

 

 

 

――――朝。

「とーっ!!」

「ぐっ!?」

急に襲ってきた衝撃に、ユリスは夢の世界から強引に現実へと引き戻される。

一瞬顔を顰めた後に眼を開けると、そこには満面の笑顔があった。

「とーお!あーさー!」

「セ、セイカ……その起こし方はやめてって頼んだだろ?」

「あーさー!おーきーる!」

ユリスの言葉もお構いなしに、二歳になった娘――セイカはボンボンと彼の身体の上でバウンドし始める。

堪らなくなったユリスは慌ててセイカを持ち上げ、隣に下ろしながら口を開いた。

「わ、分かった。起きる、起きますよ。……全く、せっかくの休日なのに」

ボヤきつつも、ユリスは渋々上半身を起こす。

(やれやれ、いつの事ながら朝から元気だなあ……)

そんな事を思いながら大きく欠伸をすると、セイカが笑いながら首筋にしがみついてきた。

「とーお!おはよー!」

「……お早う、セイカ」

ユリスはそのままベッドから抜け出すと、セイカを抱えたまま部屋を出て一階の食堂へと足を運ぶ。

昔は起きたらすぐに着替えていたのだが、毎朝こうやって抱きついてくる娘がいる今はとても出来ない。

仕方なく彼は些か行儀悪いとは思いながらも、こうしてパジャマのままで朝食を取る様になっていた。

「ところでさ、セイカ?」

「なあにー?」

そう言って向けられたエメラルドの瞳に、ユリスは困った笑みを浮かべながら言った。

「何度も言うんだけど……もう少し優しく起こしてくれないか?ほら、ユイヤが母さんを起こすみたいに」

自分が娘に起こされるのと同様に、モニカは息子――ユイヤに起こされるのが、最近の日課となっていた。

どちらかというと朝に弱い自分達の子供としては不思議な事に、この双子は朝に強く寝覚めが抜群に良い。

その為、自分達にとって、いい目覚ましになっているのだ。

しかし、この双子。起こし方は全くと言っていいくらい違っている。

ユイヤの起こし方は至って普通で、寝ているモニカの身体を軽く揺らしたり叩いたりしながら、「はーは。あーさー」等と言う物である。

――本当、ユイヤの目覚ましは良いわ。すっごく気持ち良く起きれるもの。

以前、笑顔でそう言っていたモニカの顔が、一瞬ユリスの脳裏を掠める。

――――……そうだ。自分だって、そんな風に優しく起こされたい。そして気持ち良く目覚めたい。

切実にそう思うユリスであるが、実際彼がセイカにどうやって起こされているかは……冒頭の通りである。

まあ、確実に起きれる事は起きれるのだが、ハッキリ言ってダメージが大きい。

大ダメージと共に朝を迎えるという日常には、いい加減オサラバしたかった。

という訳で、彼はこうして娘に頼んでいるのだが、返事は酷くつれない物である。

「だーめ!」

「……何で?」

「とーお、それじゃおきないもん!」

「う……」

的確な娘の発言に、ユリスは情けないと思いつつも絶句する。

確かに自分は寝覚めが悪い。ユイヤの様な起こし方で果たして起きるのかと言われると、疑問符がつくのは否定できなかった。

「い、いや、だけどね、セイカ……」

「とーお。ついた」

「……あ」

どうやら話している間に食堂に着いてしまった様で、娘の関心は既に朝食へと向けられている。

「おなかすいたー」と言いつつ、最近覚えたドアの開け方を試そうと、セイカはノブに手を掛ける。

(……まあ、もう暫くは、あれで我慢するか)

ユリスは諦めた様に溜息をつきながら、娘の髪を撫でる。

色こそ自分と同じ金色だが、髪の質はモニカの物を受け継いだらしく、サラサラとしていて絹の様だ。

セイカもそんな自分の髪が気に入ってるらしく、少し前から伸ばし始めている。

今はまだ肩程度だが、いずれはモニカの様な長髪になるだろう。

(可愛いだろうな、きっと)

不意にそんな事を思ったユリスは、思わず苦笑した。

(……これが親バカって奴かな?)

「……とーお。開いた!」

「えっ?あ、ああ、はい。よく出来ました。じゃ、入ろうか」

「うん。はーは!ゆーい!」

ドアを開けつつセイカがそう言うと、既に食事を始めていたモニカとユイヤがこちらに振り向く。

「あ、セイカ、ご苦労様。……今日も爽やかなお目覚めみたいね、ユリス?」

「………敢えて、何も言わない」

「とーお!おはよー!」

「……お早う、ユイヤ。さてと、じゃあボク達も食べようかな、セイカ」

「うん!」

 

 

 

 

 

 

――――昼。

天気の良い日は、家族揃って庭で過ごす。――――そんな不文律が出来たのは、果たして何時からだっただろうか?

澄み渡った秋の空を見上げながら、モニカはボンヤリとそう思う。

誰かが言い出した、という事でもない。気がつけば、こうしているのが当然という風になっていた……というのが正しいだろう。

そう考えたモニカがふと横を見ると、そこにはいつもの光景が広がっていた。

「とーお。えほんよんでー」

「はいはい。……で、今日はどれ?」

「これ!」

セイカが笑顔でユリスに差し出したのは、もう彼が何十回と読んであげた絵本だ。

それでもユリスは嫌がる様子も見せず、スッとその絵本を受け取る。

そして、セイカを抱き上げて自分の膝の上に乗せ、彼女の髪を撫でながら読み始めた。

(本当……セイカはユリスにベッタリなんだから)

心の中で苦笑したモニカは、不意に娘を昔の自分と重ね合わせる。

昔――それこそ二十年近くにもなる大昔。自分も父に、こんな風に絵本を呼んでもらっていた様な気がする。

記憶が霞んでいてハッキリとは思い出せないが、何故か懐かしさを覚える目の前の光景に、モニカはそっと溜息をついた。

(まっ、私も父上が大好きだったからね……血は争えないって奴?)

軽く笑みを零した後、モニカは中断していた毛編み物を再開した。

毎年この時期になると彼、女はこうして編み物をするのが日課となっている。

編む物は決まっていて、赤いセーターが一着に青いマフラーが一つだ。

――――具体的に言えば、セイカのセーターと……。

「……はっ!……やっ!……とうっ!」

耳に入ってきた小さな掛け声に、モニカは手元から視線を外して声のした方に向ける。すると、そこにもいつもの光景があった。

「……とうっ!やっ……たあっ!」

どこからか拾ってきた短い木の枝を、声と共に振り回している息子のユイヤ。

時折軽くジャンプしたり、両手で振るったりと色々しているその姿はとても元気一杯で、とても可愛らしい。

(またやってる。……不思議よね、見せたのは数える程なのに)

その様子を微笑ましく眺めながら、モニカはしみじみと思う。

――――男の子だったら、剣術を教えてあげたい。

かねてからそれは、自分が思っていた事。

そして実際に少し……ほんの僅かだけ、ユイヤの前で剣を振るってみせたのが数ヶ月前。

その時のユイヤの興味津々といった表情を、モニカは今でもしっかりと覚えていた。

(これは、数年後が楽しみね……)

近い将来、自分が息子に手解きをする日が来る事だろう。

一向に飽きる様子を見せずに枝を振るう息子を見て、彼女は無性に嬉しくなった。

と、どうやらユイヤが見られている事に気づいたらしく、はしゃぎながらモニカに声を掛ける。

「はーは!みてー!……やあっ!……とうっ!」

「クスクス……はいはい、お上手お上手。後でちゃんと手を洗うのよ?」

「うん!……はっ!……たっ!」

返事もそこそこに、再びユイヤは枝を振り回し始めた。

それを見て、モニカは編みかけのセーターをテーブルに置く。もう今日は、編み物をする気になれなかったからだ。

(我が子の鍛錬の様子を、じっくり眺めるとしますか。なんてね」

おどけた様に肩を竦め、モニカは笑った。するとユイヤが、不思議そうにこちらに振り返る。

「?……はーは。なあに?」

「何でもないわよ。それよりほら、まだ続けるんでしょ?もうすぐしたらお茶にするから、それまで頑張りなさい」

「あ……うん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

――――夜。

「「……おや……すみ……」」

仲良く並んでシーツに包まり、何とかそう言い終えると、セイカとユイヤはゆっくりと眼を閉じ、すぐさま寝息を立て始める。

その寝つきの良さと天使の様な寝顔に、ユリスとモニカは思わず笑みを漏らした。

「眼に入れても痛くないって……」

「……こういう事を言うんでしょうね」

何処の誰が言ったか知らないが、正にそれは真実だと二人は思う。

こんなにも一日中見ていて飽きない存在は、他にそうそう無いだろう。

まだまだ知らない物が沢山ある世界に触れ、眼を輝かせ、笑顔を振りまき……そして毎日成長していく双子達。

そんな彼らの様子は、『可愛い』という一言でしか、表す事が出来なかった。

「よく寝てるな、二人共」

言いながらユリスがそっとセイカの髪を撫でると、彼女はくすぐったそうに身じろぎし、また規則正しく寝息を立てる。

次いで寝言で「……とーお……」と呟いたのを見て、モニカが可笑しそうに口を開いた。

「本っ当、セイカはユリスが好きよね。今日だって、殆ど君にくっついてなかった?」

「あ〜〜……確かに。っていうか、もう慣れちゃったから、今更そんな事言われてもなあ」

困った様な照れた様な表情で頬を掻きつつ話すユリスに、モニカは「そうね」と相槌を打つ。

そんな彼女に、今度は彼が尋ねた。

「あ、そう言えばさ。今日ユイヤが何だか知らないけど、木の枝振り回してよね?……何なんだい、あれ?」

「ああ、あれ?あれはね……剣の修行」

「いっ!?」

少々驚いた顔になったユリスだったが、そんな彼に構わず、モニカは淡々と告げる。

「ほら、私、この子達が生まれる前に言ってたでしょ?男の子が生まれたら、剣術を教えてあげたいって。

 それでね、この前ユイヤに剣舞を見せてあげたんだけど、これがもう、すっごく興味津々な眼で見るのよ!

 あ〜やっぱり男の子だなあって、感動したわ、私。今日のはきっと、その影響ね」

「……モニカ。君、子供の前で剣を振り回した訳?」

「な、何よ、そのジト目は?大体、振り回したって言い方ないでしょ?ちゃんと剣舞だって言ったじゃない!」

「いや、そういう意味じゃ……」

ないんだけど、と言いかけたユリスだったが、モニカの視線を鋭くなったのに気づき、慌てて「何でもない」と誤魔化す。

その言葉に納得したのか、剣の修行について一人で話し始めた彼女を眺めながら、彼はふと思った。

(……しっかし、ユイヤが剣に興味をねえ)

男の子だから自分に似るんだろうと根拠も無しに彼は考えていたのだが、現実はどうも違う様だ。

(まあ別に、銃の扱い方を仕込みたかった訳じゃない……気もするけど……)

肯定か否定なのか自分でも良く分からない気持ちを心で呟き、ユリスはそっと夢の中へと旅立っているユイヤに視線を移す。

(今頃、気がついたけど……ユイヤって、あの時のモニカに似てるよな)

――――あのサーカスの日……自分からチケットを盗み取った小さな男の子。

あの変装……というより変身したモニカと、目の前の自分の息子はやはり似ていると思う。

髪を言うまでもなく紅だし、髪型がボサボサな所もそうだ。まあ少々記憶が薄らいでいるので、絶対とは言えなかったが。

(顔は……あの時のモニカは隠してたからなあ。案外、こんな顔だったのかもな)

そう思いながら、ユリスがユイヤの髪を撫でた時だった。

「う……ん……」

ユイヤがゴロリと寝返りを打ち、ユリスは僅かに息を呑む。

(しまった!……起こしたか?)

モニカも反射的に口を手で塞ぎ、そっと我が子の顔を覗き込んだ。

「……はーは……」

しかし、当の本人はそう呟くと、それっきりスースーとまた寝息を立て始める。

そんなユイヤを見て、ユリスは思わず吹き出した。

「くくっ……本当にユイヤは、お母さんっ子だよな」

あまり認めたくないが、その点は自分に物凄く似ていると彼は考える。

ユイヤは朝起きてから夜寝るまで、殆ど全てと言っていいくらいの間、モニカの傍にいるのだ。

丁度、セイカが自分に四六時中くっついているのと同じ様に。

それは、幼い頃の自分――大好きな母がまだ隣にいた頃の自分と、とても良く似ていた。

と、その時、不意に横からモニカのからかいの言葉が、ユリスに耳に聞こえた。

「そりゃあ、そうよ。だって、君の息子だもん。お母さんにベ〜〜ッタリで当然でしょ?」

「……っ……」

例え否定できない事実とであれど、他人に言われて面白いものでは無い。

だからユリスは、苦し紛れにこうモニカに言い返した。

「成程ね。じゃあセイカがボクに、いっつもくっついてるのは……君の娘だから?」

「……う……」

言葉を詰まらせた彼女を見て、反撃が効いたと察したユリスは内心ほくそ笑む。

(さ〜〜て、どう返してくるかな?)

実際の所、答えは予想出来ていたが、彼はからかいの表情を浮かべてモニカを見つめる。

すると、彼女はやはりユリスの期待通りの反応を返した。

「……そ、それよりユリス!私、前からずっと思ってたんだけど……」

(……やっぱり、流したな)

思わず声を上げて笑いそうになったユリスだったが、続くモニカの言葉にハッと表情を変えた。

「やっぱり子供にとって……親は、掛け替えのない大切な存在なのよね」

「?……っ、モニカ」

その言葉の裏に隠された事を悟り、ユリスは無意識に彼女の名を呼ぶ。モニカはそんな彼にチラリと眼をやった後、独り言の様に言葉を続けた。

「この子達には……二つの時代の血が流れている。今と未来、本来なら決して交わらない二つの血が」

「…………」

――――『誰も二つの時代に存在する事なんて許されない』

いつしか呪縛の様にユリスの中に根付いた、エイナの言葉が彼の脳に蘇る。

すると、そんな心情が顔に出ていたらしく、モニカがユリスを見て軽く頭を振った。

「けど安心して、ユリス。私は……私は絶対に、この子達の前から……そして君の前から、いなくなったりなんかしない。

 エイナ様みたいには……絶対に、何があっても。……だから!」

いつしか彼女の声は震えだしていて、儚さを見せるその顔に、いつもの明るさは無い。

「だから……!ユリスも絶対に……いなくなったりしないで。この子達の前から……私の前から」

「……モニカ」

自分と彼女が、共に経験した痛み。――――親との、余りにも早い別離。

それは何があっても、セイカとユイヤには負わせてはいけない物だ。

――――……そう。あんな辛さを味わうのは……自分達だけにしなければならない。

ユリスは徐にモニカに手を伸ばし、そっと自分の方に抱き寄せた。そして唯一言、こう呟く。

「……分かっている」

自分の決意を彼女に伝えるには、その一言で十分だと彼は思う。そして、それはすぐに証明された。

「……ユリス……」

モニカの指が小さく……しかし強くユリスのシャツを握り締める。

そして、ジワリと胸の辺りが濡れていくのを感じながら、彼は口を開いた。

――――ずっと、一緒だよ……ボク達、家族は……。

 

 

 

 

 

 

 


  

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