第五章〜不思議な声〜
―――――翌日の早朝。
「……と言う訳なんです」
「分かりました。しかし、そんな事が……」
崩壊したルナ研でレザルナと出会った日から一夜明け、ボクは謁見の間でモニカの母親である王妃様に事の経緯を説明していた。
本当なら、ボク達が戻ってすぐの頃――昨日の夕方には説明しておくべきだったのだが、無断で外出していたモニカが怪我をして戻ってきた事や、
ルナ研への救助の手配等でバタバタしていた為、簡単な説明のみで済まされ、本格的な事は翌日に繰り越されたのである。
「異常に巨大な『時空のひずみ』……そんなものを人工的に生み出す事自体、にわかに信じたい事ですが。一体そのレザルナとやらは、
何が目的でそんな物を生み出しているのでしょう?」
王妃様の誰に尋ねている訳でもない疑問の声に、ボクは徐に答えた。
「世界を正しき姿へと導く……レザルナは、そう言ってました」
「?……世界を正しき姿へと導く?」
「はい。それが一体何を意味するのかは分かりません。けれども、レザルナが何か危険な……そう、あのグリフォンと同じ様に『時間』を
悪用して大変な事をしでかそうとしているのは……確かだと思います」
「ええ、その通り。……恐らく、そのレザルナという者の目的は……『時間統一』ではないかと」
「っ!?」
突然後ろから聞き覚えのある、そしてとても懐かしい声が聞こえてきたボクは、驚いて振り返る。
すると、そこには声の主――母さんが神妙な顔つきで立っていた。
「か、母さん……何で、此処に?」
「……二日前、貴方がこの時代にやってきているっていう話を聞いてね。色々と立て込んでて、今やって来れたのよ。だけど、また大きな事件が
貴方に付いてきてるとは……報告で聞いてるとは言え、嘘だと思いたいわ」
酷く重苦しい溜息と共に、母さんは額に手を当てて眼を伏せる。
ボクは久しぶりの再会による喜びを感じるのも忘れ、どうしたのか聞こうとしたが、それよりも早く王妃様が声を出した。
「エイナ殿。一体どういう物なのですか?その『時間統一』というのは?」
「はい……以前ルナ研で、その様な文献を読んだ事があるだけなので詳しくは言えませんが……平たく言えば、『過去』や『未来』といった
概念を失くす事だと思ってくだされば結構です」
「『過去』や『現在』の概念を失くす……?」
余りにも現実味の無い話に、ボクは思わず顎に手を当てて考え込む。
『時間統一』――……今の母さんの言葉から考えるに、つまる所『時間の流れを止める』という事だろうか?
『過去』が無く『未来』も無い。それは必然的に、『現在』という概念も無くなるという事だ。
頭の中ではそんな風に考えられるが、実際にどういう物なのかは全く見当もつかない。
――そもそも、何故そんな事をする必要があるのだろうか?
疑問が更なる疑問を呼び、答えらしき物は一向に出てこない。仕方なくボクは考え事を止め、母さんと王妃様の会話に耳を傾けた。
「では、件の『時空のひずみ』は『時間統一』をする上で発生する現象と……?」
「そうと見て、まず間違いないでしょう。元々、『時空のひずみ』は時の流れが乱れる事によって生れる物。『時間統一』というのは、
ある意味時の流れを乱す事の究極形と言えます。……この子がこの時代にやってきたのも『時空のひずみ』が原因だとすると、
事態はかなり深刻でしょう。このまま放っておけば、あらゆる時代の存在が別の時代に飛ばされるという現象が頻発する事になります。
そして、最終的には…………全ての存在が、時間の止まった世界に滞留する事になるでしょう」
「全ての存在が、時間の止まった世界に滞留……?」
「……私も言葉でそういう事は出来ますが、実の所どういう物なのかは分かりません。ですが、どの様なものであれ、これは決して
許してはいけない大罪です。一刻も早くレザルナを見つけ、これを止めねばなりません」
母さんが凛とした表情でそう言うと、王妃様も小さく、だが力強く頷く。
「そうですね。すぐに国を挙げて、この問題に取り掛かりましょう。……ユリス君」
「はい」
「恐らく、貴方の力も借りざるを得ない状況になるでしょう。力になってくれますね?」
「勿論です。それにレザルナを止めなければ、多分ボクは元の時代に戻れないでしょうし……精一杯、お手伝いさせて頂きます」
「ありがとう。国を代表して、御礼を言わせてもらいます。それでは一先ず、宛がわれた部屋で休んでいて下さい。もうじき、モニカも
眼を覚ますでしょうし……その時にまた、話を進めましょう」
『モニカ』という単語に、ボクは軽く息を呑んで反応を示す。
かなり重傷だったから大丈夫なのかと心配していたが、王妃様の話からして無事の様だ。
内心でホッと息を撫で下ろすが、やはり直に確認しないと気が済まない。そう思ったボクは、おずおずと王妃様に尋ねた。
「あの、モニカは……モニカは大丈夫なんですね?」
「ええ。貴方の応急手当のお陰です。かつての冒険の時といい、本当にありがとうございます。王妃として……あの子の母親として、感謝しますわ」
「い、いえ、そんな……あ、じ、じゃあボク、部屋に戻ります。失礼しました!」
国の長たる王妃様に手放しに賞賛され、気恥ずかしさを感じたボクは挨拶もそこそこに謁見の間を出る。
――――その際に母さんが、複雑な表情でボクを見ていた事に胸苦しさを感じながら。
慣れない状況に緊張していたのか、妙な疲れを覚えながら、ボクは部屋のドアを開ける。その途端、思いもよらぬ声が耳に響いた。
「あ、ユリス兄ちゃん!……もう酷いよ、勝手にどっか行くなんて!」
「ユ、ユイヤ!?何で此処に!?自分の家に帰ったんじゃ……?」
数時間前に部屋を出た時にはいなかった筈のユイヤに、ボクは眼を丸くしながら尋ねる。すると彼は、膨れっ面をしつつ不満気な声を出した。
「帰ってたさ。昨日、朝起きたらユリス兄ちゃんいないんだもん。お城の人に聞いても知らないって言うし……で、さっき家に兵士さんが来て、
ユリス兄ちゃんが帰ってきたって言うから、こうして来たって訳」
「あ、そ、そうだったのか」
「……で?」
ボクが曖昧な返事をすると、ユイヤが訝しそうな表情でボクを見る。それに対して、妙な緊張を覚えたボクは、やや上擦った声でユイヤに尋ねた。
「な、何だよ、ユイヤ?」
「ユリス兄ちゃん、何処に何しに行ってたの?話によると、モニカ様もいなくなってみたいだけど……な〜んか怪しいなあ?」
「っ……へ、へえ〜……そ、そうだったの?……し、知らなかったよ……」
「あ〜〜やっぱりか!分っかりやすいな、ユリス兄ちゃんは!そっか、そっか。所謂、駆け落ちって奴だね!!」
「なっ……!?ち、違う!!とんでもない事を、大きな声で言うんじゃない!!」
――何だって、この子はこうも妙に鋭いんだ?
図星を突かれて動揺しながら、ボクは心の中で疑問の声を発する。
前回といい今回といい、ユイヤは何ていうか……子供とは思えない程に推理力がある様だ。
いや、それよりは人を操作する誘導尋問が得意と言うべきか……ともかく、迂闊に変な事は避けた方が良いだろうと、ボクは強く思う。
(ったく……何が悲しくて自分よりも小さな子に、こうも遊ばれなきゃならないんだか……)
「と、冗談はこれくらいにして……何だか大変な事が起こってるみたいだね」
「?」
思わず眼を閉じて溜息をついてしまったボクだったが、次いで聞こえたユリスの真面目な声にハッとして彼を見る。
「ユイヤ……?」
「ゴメン、ユリス兄ちゃん。実はさ、兵士さんがママに色々と話してるのを聞いてたから、大体の事は分かってるんだ。
異常に巨大な『時空のひずみ』が、レザルナとかの仕業で彼方此方に発生してるんでしょ?」
「う、うん。そうだけど……何でその事をわざわざセイカさんに?」
「ああ、それは……事件が起こったルナ研って所に、昔ママがいたからだと思うよ。結構優秀だったみたいだから、今回の『時空のひずみ』の事で
協力して欲しいって、兵士さんが言ってた」
「……そっか。セイカさん、元ルナ研の研究者だったのか」
初めて知る事実であったが、妙な説得力が有った。
そもそも、一昨日の夜に聞いたユイヤの話からして、とても一介の母親とは思えなかった。
聖衛隊の一軒でユイヤが使った『フィールドトレーダー』――いくら頭脳が優れている発明家と言えど、あれ程の代物を個人の知識のみで
製作できるとは考えにくい。だがそれも、セイカさんが元ルナ研の研究者だったと言われれば、全て説明がつくものであった。
「うん。それで今、そのレザルナとかいう奴の居場所を特定できる装置を作ってるんだ。多分、もうそろそろ出来てるんじゃないかな?」
「えっ!?そ、そんな装置が簡単に作れるのかい!?」
「ママが言うには『恐らくレザルナは、絶大な魔力を持ってひずみを発生させている。だから、一定以上の魔力を感知できる装置を作れば、
レザルナを特定出来る可能性は高い』……って」
「な、成程……しかし本当に凄いな、セイカさんは」
発明家として実力の差を痛感し、ボクは感嘆の言葉を漏らす。魔力を感知できる装置……言うまでもなく、ボクには全く作れそうも無い物だ。
(これは本当に、一度でいいからじっくりと話してみたいな)
そう思った時、ふと後方からドアをノックする音が聞こえた。
きっと眼を覚ましたモニカだろうと判断したボクは、ドアへと振り返りながら口を開く。
「モニカかい?……良いよ、入って」
しかし、返ってきた声は予想外の物だった。
「ユリス……」
「っ!?母さん……?」
「少し、良いかしら?」
「あ、う、うん。ゴメン、ユイヤ。悪いけど……」
「了解!それじゃ、後で僕の家に来てね!ママがお話したいって言ってたから!」
ボクが言わんとしている事を素早く察したユイヤは、ボクが言い終わらない内に頷いて了承の意を示す。
そして部屋の入り口に立っていた母さんに軽く頭を下げると、軽快な足音を残して姿を消していった。
後に残されたボクと母さんは、他に眼のやり場も見当たらず否応無しに互いに顔を見合わせる。
「「…………」」
その何とも言えない気まずい空気に耐え切れなくなったボクは、徐に声を出した。
「母さん……」
「何?」
「いや、何って……話があって来たんでしょ?何で黙ってるのさ?早く言ってよ」
努めて平静な口調になる様にしたのだが、口から出たボクの言葉はどうしても刺々しくなってしまう。
原因は分かっていた。ボクは無意識の内に、母さんが此処に来た理由――ボクに何を話そうとしているのかを理解していたんだ。
そう。謁見の間で、母さんの複雑そうな表情を眼にしたその時から。
「どうせ……モニカの事でしょ?」
――…………気がつけば、自然とその事を口にしていた。
「っ……ユリス……」
「分かってるさ。どんなに願ってたとしても、ボクとモニカは違う時代の人間。決して一緒に存在する事は許されない。だから……
『モニカに必要以上の感情を抱くな』……そう言いに来たんだろ?」
戸惑っている母さんに構わず、ボクは淡々と言葉を続けていく。……それは、ある種の防衛本能だった。
認めなければならない、だけど認めたくない事実を耳にしない様にする為の。
「だから……わざわざ言わなくたっていいよ。十分……痛い程、分かってるんだから」
「……ユリス……聞いて頂戴。私が貴方に話したいのは……」
「分かってるって、言ってるじゃないか!!」
苛立ちを募らせたボクは荒々しくそう叫ぶと、驚いて息を呑んでいる母さんの横をすり抜ける。
「っ!ユリス、待ちなさい!……待って!!」
少しばかり悲痛さを含んだ様な母さんの声が後ろから聞こえたが、ボクは振り返らなかった。
そのままボクは顔を伏せ気味にしたまま、長い廊下を走り抜ける。それぐらいしか、この気持ちを紛らわす術は分からなかった。
「きゃっ!?」
「っ!?……うわっ!」
突如として前方から聞こえた悲鳴に、ボクはハッとして顔を上げ正面を見る。
すると至近距離にモニカの顔があり、彼女とぶつかる寸前だった事に気づき慌ててブレーキを掛けた。
しかし、そんなに都合よく足が止まってくれる筈も無く、ボクとモニカは激突してしまう。
そのまま彼女と縺れ合って床に転んだボクは、身体中に奔った鈍い衝撃に顔を顰めつつモニカに謝った。
「てて……ゴメン、モニカ。大丈夫?」
「痛っ、う、うん、何とか。……それより、ユリス?」
「何?」
「その……出来れば、早く退いて欲しいんだけど……」
何処と無く赤い顔をしながらそういう彼女に、ふとボクは自分の状態を確認してみた。
――――ボクは丁度、腕立て伏せをする姿勢。その下で、モニカが仰向けに寝転んでいる。
さっきの状況からすれば、こんな状態になってしまうのも不思議ではない。だけどハッキリ言って、かなり誤解を招きかねない姿勢だ。
まるで、ボクがモニカを襲おうとしている様な……そんな風に誤解されてしまいそうな状態。それを理解したボクは、慌てて後方に飛びのいた。
「っ!ゴゴ、ゴメン!!きき、気がつかなくて!!」
「……別に、そこまで動揺しなくてもいいんだけど……ところでユリス、どうしてこんな所にいるの?母上の話じゃ、さっき君の部屋にエイナさんが
行ったって言ってたけど、出会ってない?」
苦笑しながら立ち上がったモニカは、次いで不思議そうに首を傾げながらボクに尋ねる。
それに対してボクは彼女から視線を逸らしつつ、ぶっきらぼうに答えた。
「ああ……出会ったよ。それで、もう話は済んだから…………えっと……」
「ユリス……エイナ様と何かあったの?」
上手く言葉を続けられず言い淀んだボクの様子を見て、彼女はふと真顔になって心配そうな声を出した。
こういう時、普段のあっけらかんとした様子とは打って変わって、モニカは鋭い。
適当に他の話題を振って誤魔化した所で、疑念はきっと残るだろう。そう思ったボクは、正直に事を話した。
「別に何って程でも無いけど、少し言い争い……でもないな。ボクが一方的に怒っただけだから」
「君が一方的に怒った?ちょっと、それどういう事?何で、怒ったのよ?久しぶりに会えたのに……」
「…………人の心の傷を抉る様な事を言ったから……つい……」
厳密にはそれは嘘だ。母さんは何も言ってなかった。けれどもボクには、そうとしか思えなかった。
だから怒った……否、拒絶した。それだけの事。母さんが悪い訳ではない。されど、ボク自身にも非があるとも言えないだろう。
何処にもやり場のない、遣り切れなさ。ボクが怒った原因は、それだった。
「ふうん。まっ、親子喧嘩をするなとは言わないけどさ、後でちゃんと仲直りしときなさいよ?この機会を逃したら……
次、またいつ会えるのか分からないんだからね」
「……うん。モニカの言うとおりだよな。分かった。また後で、ちゃんと謝っとくよ。……で、モニカ。王妃様から、話は聞いてる?」
「あ、勿論!それで、君の部屋に行こうとしてたんだから。それでね、さっきセイカさんって人から届け物があって……」
「セイカさんから?」
ボクが聞き返すと、モニカは怪訝そうに眼を瞬かせる。
「あれ?ユリス、知ってるの?」
「知ってるも何も……この時代に飛ばされてから、色々お世話になった人なんだ。それにほら、モニカも一度会ってるだろ?赤髪の男の子と。
ユイヤって言うんだけど、その子の母親なんだ。昔、ルナ研の研究者だったって聞いたけど……」
「へえ、あの子のね……ま、そこまで知ってるなら話は早いわ。そのセイカさんから届いた物で、レザルナの居場所が特定できるみたいだから、
私と君とですぐに出発する様にって、母上からのお達しよ」
「え?ボク達だけでかい?」
「ええ。国から兵士を出すには、まだ不確定要素が多くて難しいんですって。だけど、だからと言って手を拱いて待っている訳にもいかない
でしょう?『時間統一』……詳しい事は分からないけど、とにかくヤバイ事だってのは確かだから」
どうやらモニカも、レザルナの目的である『時間統一』についての話は聞いた様だ。
成程彼女の言う通り、今動けるのがボク達だけだと言うのなら動くまでの事。それに対して、何の不満も不服もない。
ボクはモニカに軽く頷き、同意の意を示した。
「そうだね。それでモニカ……セイカさんから届いたっていうレザルナの居場所を特定できる物って、どんなのなんだい?
ユイヤから少し聞いたんだけど、何でも魔力を感知する装置だとか…………」
「うん、そうだよ。これがその装置、『マジックトレーサー』って言うんだって」
言いつつモニカは小型の装置を懐から取り出し、掌に乗せてボクに見せ付ける。
それに搭載されている何だかよく分からない画面の中で、小さな点が電子音と共に点滅し続けている。これが、異常な魔力の発生源なのだろう。
となれば、ここにレザルナがいる可能性は極めて高い筈だ。ボクは画面から顔を上げ、モニカの顔を見ながら口を開く。
「で、モニカ?この画面が何処を映しているのか、分かるのかい?」
「当然でしょ。ちゃあんとセイカさんが書いた説明書を読んだんだから。……えっと、大体ジュラクモールの辺りね」
ゴソゴソと取り出した小さな紙切れと睨みっこしながら、彼女はそう告げる。
ジュラクモール――ボクの時代で言うと、シャーロットに位置する場所だ。
都合の良い事に、パームブリンクスに位置する此処レイブラント城からは、そう遠い場所でもない。
「へえ、ラッキーだな。よし!そうと分かったら早速出発しよう!」
「ええ、そうね!グリフォンの時の様な大事にはさせないわ!いくわよ、ユリス!」
そう言うとモニカは、勢いよくボクの手を握り走り出す。
予想だにしてなかった彼女の行動に、ボクは顔を熱くさせながら抗議の声を上げた。
「ち、ちょっとモニカ!!」
「え?……っ!あ、ゴメン。つい興奮しちゃって……昔の癖が……」
恥ずかしそうにボクの手を離しながら、モニカはそう言う。
「昔の癖って…………まあ、確かにそうだったけど……」
指先で頬を掻きつつ、ボクは言葉を濁す。
昔――三年前の冒険の時、ボクは先程みたくモニカに手を引かれて歩いたり走ったりする事が多々あった。
特に冒険を始めて間もない頃は、行動派で向こう見ずな所もある彼女に半ば引き摺られる様な状況ばかりだった気がする。
その時は別に、モニカに手を握られる事にさして感じる事も無かったが今は違う。握られた手の感触や温もりを、嫌でも意識してしまうからだ。
――――ソレラヲジブンダケノモノニシテミタイ……ソウオモッタコトハ……?
(っ!?)
いきなり頭の中に響いた妙な声に、ボクは驚いて思わず息を呑む。
丁度レザルナの声の様な感覚だが、女性の声ではない。いや、男性とも言い切れない何とも無機質な声だ。
(……空耳か?)
「?……どうしたの?」
「……ううん、何でもない。それより、急ごう!」
疑問を感じて尋ねてきたモニカに、ボクはそう告げて彼女を促す。
「……分かったわ!ユリス!!」
――――そしてボク達は、『マジックトレーサー』が示す場所―――ジュラクモールに向けて駆けていった。
「ここ……みたいね」
「……これは……どう見ても人工的に造ったって感じだな」
かなり奥深そうな洞窟を前にしたボク達は、それぞれ誰ともなしに呟く。
正直、もっと人目につかない様にしていると思っていたのだが、どうもそうではないらしい。
――――誰も自分の邪魔をしないと思っていたのか……或いは自分の邪魔を出来る者などいないと思っていたのか……。
相変わらず全くと言っていい程に分からないレザルナの考えは気になるが、今はその事は後回しにするべきだ。
そう思ったボクが徐に洞窟内に足を踏み入れると、やや後れてモニカも続く。
こういう場合モンスターがいると大体相場が決まっているから、各々武器を構えていつでも戦闘に移れる姿勢を取りながら慎重に進むが、
一向にモンスターどころか鼠一匹現れる気配が無く、拍子抜けしたボクは足を止めてモニカに振り返った。
「ねえ、モニカ。本当に此処なのかい?何か……想像してたより、いや想像とは正反対に何の気配も感じないんだけど……」
「おっかしいわねえ……でも、確かに『マジックトレーサー』は此処を示してるわよ。もっと細かい所を特定できたらいいんだけど、
急拵えだからそこまで精密には無理だってセイカさんの説明書に書いてあったし……とりあえず油断しないで、もう少し進んでみましょう。
仮にレザルナが此処にいなかったとしても、異常な魔力が発生してるのは確かなんだから、それを何とかしないといけないしね」
「……そうだね。よし、それじゃあ気を取り直して……っ!」
「?ユリス、どうし……っ!」
息を呑んだボクにつられる様に、モニカはハッとした表情を見せる。次いで、苦々しい口調で言葉を漏らした。
「……急に分かれ道なんて、いかにも怪しいわね」
「確かに……これは、レザルナのいる可能性が増したな」
今までは完全なる一本道だった道は、此処に来て唐突に左右へと枝分かれしていた。
自然と出来た洞窟であるならば特に気に留める事でもないが、此処は人工的に造られた物。何も無いと思う方がおかしい。
「一体、どっちの道が正解なのかしら?」
隣で首を傾げたモニカに、ボクはゆっくりと振り返りながら口を開いた。
「モニカ、どっちかが正解とは限らないよ」
「えっ?」
「もしかしたら、どっちも不正解……つまり何らかの罠かも知れない。或いは、どちらも正解って可能性も十分有り得る。
要は、あまり深く考えても仕方ないって事さ」
「……成程ね。じゃあ、どうするの?……もしかして、二手に別れるの?」
「…………それが、一番良いだろうな」
モニカの提案に、ボクは相槌を打つ。
この先がどうなっているか分からない以上バラバラで動くのはリスクの高いものではあるが、かと言って固まって動くのもベストとは言えない。
下手をしたら、二人揃って罠に嵌る可能性だって有るのだ。となれば、やはり万が一の事を踏まえ、別れて行動すべきだろう。
「そう……だよね」
ふと不安そうな声をだしたモニカに、ボクは徐に視線を向ける。
記憶にある勝気で元気な物とは程遠い態度の彼女は、憂いを帯びた瞳を伏せて自身の足元を見ていた。
「モニカ……?」
「あっ……ごめん、ユリス。何でもない」
ボクの視線に気づいたモニカは、慌てて片手を振って取り繕った笑みを浮かべた。
どう見ても何でもなくはないだろうけれども、取り立てて追求する理由もない。そう思ったボクは、ゆっくりと右の方を見ながら口を開いた。
「なら、いいけど……それじゃボクは、こっちの道を行くよ。モニカはそっちに行って。……大丈夫とは思うけど、気をつけてね」
モニカがルナ研でレザルナにやられた事を思い出し、ボクは彼女を気遣う様にそう言う。
するとモニカは一瞬苦い表情を見せ、次いで微笑を作るとツカツカとボクの方に歩み寄ってきた。
「……分かってるわ。もう、あんな失態は犯さない。だから心配しないで……それに……」
「?どうし……っ!?」
余りにも予想外な彼女の行動に、ボクは心臓が跳ね上がる心地を覚える。
――――ほんの僅かな時間だが、確かに頬に感じた柔らかい唇の感触。
ボクは今までに経験の無いその感触に、反射的に身を退いてしまった。
「モ、モニカ……!?」
恥ずかしさで上擦ってしまったボクの言葉に、モニカは淡々とした口調で言う。
「……ユリスも、気をつけてね」
「え、あ……うん」
「…………それじゃ」
そう言い残すと、彼女は素早く身を翻し、瞬く間に洞窟へと消えていった。
後に残されたボクは暫くの間呆然としていたが、やがて我に返ると自分に言い聞かせる様に声を出す。
「……ったく。モニカ、いつの間にこんな景気付けの仕方覚えたんだよ?……ボクだからいいものの、他の人だったら変な意味に捉えられても
仕方ないぞ……本当、誤解を招く行為はしないで欲しいよな」
―――――ケレド…………モシ、ゴカイデハナカッタトシタラ……?
(っ!?)
レイブラント城で耳にした声が再び聞こえ、ボクは咄嗟に周囲へと視線を飛ばす。
「……やっぱり、誰もいないか。空耳……と片付けるにはハッキリと聞こえたんだけど……まあ、いい。とにかく奥を目指そう!」
―――――そしてモニカに遅れる事、数分。ボクも彼女と同じ様に、彼女と反対の道を駆けていった。