第八章〜月面上の決戦〜
「……ん!……兄ちゃん!……ユリス兄ちゃん!」
(…………ん?)
何処か遠くから自分を呼ぶ声が聞こえ、ボクの意識は覚醒する。
けれども完全とまではいかず、まどろみの最中にいたボクの耳に、焦れた叫び声が響き渡った。
「ったくもう!ユリス兄ちゃんってば!!」
「うあっ!?」
これには流石に眠気も吹き飛び、驚いたボクは身体を飛び起こさせる。
その反動でベッドから転げ落ち、派手な音を立てて頭を打ったボクは、鈍痛に顔を歪ませつつ声の主を見やった。
「てて……お早う、ユイヤ。で、何?」
「な、何って……ユリス兄ちゃん、そんなんで大丈夫なの?」
「大丈夫?何……っ!」
呆れ顔のユイヤに反論しかけたボクだったが、刹那、今日が何の日であるのかを思い出し、慌てて立ち上がる。
「ジ、『ジクジャム』は!?モニカの魔力転送はどうなって……!?」
「今やってる最中。そんなに心配しなくったって、スムーズに終わるだろうってママが言ってたよ」
ユイヤの苦笑交じりな言葉を聞き、ボクは高まっていた焦燥感が和らぐのを覚えて軽く安堵の溜息をついた。
(良かった。……しかし、相当疲れてたんだな。一瞬だけど、昨日の事すら思い出せないくらい熟睡してたなんて……)
――――昨晩行われた、『ジクジャム』の調整。
作業が滞る事こそ無かったものの、膨大な量の調整全てを終わらせるのは困難を極め、気がつけば長い時間が経過していた。
そして丑三つ時に差し掛かろうという時、セイカさんがボクに「もう貴方は休みなさい」と言ったのだ。
後もう少しという所だったから拒否しようとも思ったけれど、その言葉に秘められたセイカさんの二つの思いを感じ取り、素直に従った。
――……貴方は戦いに行くのだから。
続けられなかったが、続けられていたであろう言葉。『労わり』であり、『忠告』でもある言葉。
セイカさんから託された願いを成就させる為にも、体力は万全にしておく必要があったのだ。
だからボクは用意されていた部屋のベッドに横たわり、泥の様に眠ったのだが……。
「で、ユイヤ。モニカの方は、時間が掛かるのかい?」
「ううん、すぐに終わるみたいだよ。だから僕はこうして、ユリス兄ちゃんを起こしにきた訳。モニカ様の方が終わったら、すぐ出発するんでしょ?」
恐らくセイカさんから事情を聞いたのだろう。神妙な顔つきで、ユイヤがそう尋ねてきた。
「……そうだね。そのつもりだよ」
レザルナとの最終決戦……いや、これを決戦と言うべきか疑問もあるが、とにかく今回の事件を終らせる時は一刻でも早い方が良いだろう。
そう考え頷いたボクに、ユイヤは元気付ける様な笑みと共に小さな包みを取り出してボクに手渡した。
「何だい、これ?」
「ママが作ってくれた朝ごはん。しっかり食べとかないと、いざって時に力が出ないでしょ?……さ、ママの所に行こう。
そろそろ終わる頃だと思うから」
「あ、うん」
言うなりスタスタと歩き出したユイヤの後に続きながら、ボクは手渡された包みを凝視する。
(朝ごはん、か……正直、緊張してるからか空腹でもないんだけどな)
とはいえ、やはり食べておくのが賢明というものだろう。
ボクは歩きつつゴソゴソと包みを解いていき……そして思わず小さな叫びを上げた。
「っ!?これって……!」
「ん?どうしたの、ユリス兄ちゃん?……ひょっとして、嫌いだった?」
――違う。その逆だ。
ユイヤの問いかけに、ボクは心の中で即答する。
包みの中から出てきたのは……ポテトパイ。幼い頃からのボクの好物だ。
しかし自分で言うのも変だが、こんな味の濃い料理を朝から食べる人なんか、そうそういるもんじゃない。
勿論ボクは朝から食べる事もあるけれど、その事をセイカさんに話した記憶は無い。
単なる偶然は考えにくく、ボクはさりげなくユイヤに尋ねてみた。
「あ、ううん、そうじゃないけど……セイカさんって、朝から割としっかりした物を食べるんだなって」
「ああ、そういう事?うん、まあ僕も時々不思議に思うんだけど……ほら、ママって研究者でしょ?だから生活が不規則で、ごはんも朝とか
晩とかの区別がつかなくなりがちなんだ」
「……成程ね」
筋の通っているユイヤの話に、ボクは納得して頷く。けれども、やはり何処か納得していない自分がいたのも事実だった。
(本当にこれは……ただの偶然なんだろうか?)
答えの出そうにない考えに沈む前に、ボクとユイヤはセイカさんの研究室へと到着していた。
「っ!?……モニカ!?」
部屋の扉を開けた瞬間にボクの眼に飛び込んできたのは、椅子に腰掛けてぐったりとしているモニカだった。
思わず声を上げて近寄ると、彼女は疲労の色を漂わせる笑顔で口を開く。
「だ、大丈夫よ、ユリス。ちょっとクラっと来ただけだから」
「……魔力転送をした為かい?」
「そうでしょうね。でも、問題ないわ。体力の方は、全然落ちてないから」
そう言うとモニカは『アトラミリアの剣』でお馴染みのパフォーマンスをしてみせる。
相変わらずの見事な動作に、ボクは知れず安堵の溜息をつく。――この分じゃ、確かに体力の方は大丈夫そうだ。
「まっ、君の真骨頂は剣技だからね。そこまで戦闘力が落ちる訳じゃないか……あれ?モニカ、それ……?」
「ああ、これ?……もう填めてても意味は無いんだけど……割と気に入ってたし、邪魔に成る物でもないしね」
モニカの左腕に有る『愛』……思えば、あの三年前の戦いの時から有った物だ。
多かれ少なかれ愛着が湧くのも自然な事だろう。例え最早武器にならないとしても……心を落ち着かせるという効果は十分有る筈だ。
そう思ったボクは、特に意見する事も無く頷いた。
「そっか……うん、そうだね」
「ええ。じゃあセイカさん……よろしくお願いします」
「分かりました。では二人共、こちらへ」
セイカさんに促され、ボク達は『ジクジャム』の台座の上に乗る。
すると、セイカさんがモニカに小さな機械を手渡した。
「?……セイカさん、これは?」
「発信機よ。全てが終わったら、それを使って。そうすれば、貴方達を此処に戻せるから」
「……ハイ。必ず、全てを片付けて戻ってきます」
モニカが力強く言うと、セイカさんは小さく頷く。そして、不意に僕の方へと視線を向けてきた。
そのまま何も言わなかったけれども、セイカさんが何を言いたいのかハッキリと分かったボクは、黙って頷いた。
「では、転送を開始します。……ユイヤ、貴方をも手伝って」
「うん!……じゃあ始めるよ、ユリス兄ちゃん!モニカ様!」
「「ハイ!!」」
ボクとモニカが揃って返事をすると、セイカさんとユイヤは慌しく『ジクジャム』を起動させ始めた。
「転送座標補正、完了。エネルギー変換、完了。出力設定、完了……」
「パラメータ更新、完了。全システム、異常なし……」
「「……『ジクジャム』起動!!」」
凛とした声と共に、二人が起動レバーを引く。するとボク達の周りに、光り輝く壁が出来上がった。
「うわっ!?こ、これは……!?」
「ち、ちょっと!?大丈夫なんでしょうね、これ!?」
ボクとモニカは恐怖と驚愕の入り混じった声を出すが、そうしている間にも光の壁は更に輝きを増していく。
――――そして、その輝きがボク達の身体を包みこむと……不意に意識が遠のいていった。
――――……どれくらいの時間が経過しただろうか?
意識が戻り、徐に眼を開けたボクの前には、見た事の無い風景が広がっていた。
気が付くとボク達は月に飛んでいた。
「う、ここが……月か」
「みたい……ね」
同じく我に返ったモニカが、ボクの言葉に相槌を打つ。
――――生物も植物も見当たらない。ただ岩と凸凹した地面だけが延々と続いている。
(思ってたよりも……ずっと寂しい場所だな)
余りにも殺風景なそれは、いつもボク達の上で神秘的に輝いているあの月からは、とても想像できない物だった。
「……何だか、イメージと違うわね」
どうやら、モニカもボクと同じ感想を持ったらしい。
僅かに落胆を含んだその声に、ボクは軽く頷いて見せた。
「うん、そうだね。だけど……」
「だけど?」
「……今、レザルナが居る場所としては……相応しいのかもしれない」
「えっ?」
ボクの言葉に、モニカは眼を瞬かせた。それを見て、ボクはまだ彼女がレザルナの正体を知っていない事に気づく。
セイカさんから聞いていたのかもしれないと思っていたのだが、どうもそうではない様だ。ボクは一瞬、彼女にレザルナの事を話すか迷う。
しかし、その答えは出なかった……いや、出せなかった。
刹那、ボクの全身を、心臓が凍り付く様な殺気が突き抜けたからだ。
「っ!?これは……!?」
「……お出ましみたいね!レザルナ!!」
モニカが『アトラミリアの剣』を構えながら叫ぶと、不意にボク達の眼前の空間が歪む。
そして大きな渦となり、次いで人の形となった。……そう、レザルナの形と。
「レザルナ!!」
「……ここまで来た、という事は……やはり私の邪魔をするのね……」
レザルナはそう言うと、ボクをジッと見つめてきた。
今までとは違い、ハッキリと耳から聞こえる声。その声からは、深い悲しみが感じ取れる。
二つの紅い瞳からは、静かだが鋭い力が感じられた。それに圧倒されそうになるのを懸命に耐えながら、ボクは口を開こうとした。
セイカさんからの頼み――ガレオさんの気持ちをレザルナに伝えなければならなかったらからだ。
けれども、それよりも早く激昂したモニカの怒声が響き渡った。
「当然よ!ルナ研の時といい、あの洞窟の時といい、アンタには散々お世話になったわね!!」
「っ、モニカ、待って!実は……!!」
「そう。……貴方達なら、私に理解を示してくれると思ったのは……勘違いだった様ね」
そうレザルナが言った瞬間、ボク達は思わず息を呑んだ。穏やかな声色とは裏腹に、レザルナの紅い瞳が爛々と輝いていたからだ。
「ならば……退けるまで!」
叫ぶや否や、レザルナは右手の人差し指をボク達へと突き出した。途端、その指先から電撃が放たれる。
「「っ!?」」
咄嗟にボクとモニカは左右へと飛び、それを回避する。
すると電撃は地面に激突し、その衝撃で大量の石礫と砂埃が視界を覆った。
「くっ!モニカ、大丈……うわっ!?」
「ユリス!?……っ!?きゃあっ!!」
片手で両眼を守りつつ、ボク達は互いの無事を確認しようとするが、その間にもレザルナは電撃を放ってくる。
徐々に悪くなっていく視界の中、聴覚と直感のみで回避を続けるボクは、遣る瀬無い気持ちと共に舌打ちをした。
とてもじゃないが、これでは話をする所ではない。気は進まないが、戦闘不能状態にするまで追い込む必要があるだろう。
そう判断したボクは、素早く『シグマガジェット』に手を伸ばした。
「ええいっ!!」
ボクは『シグマガジェッット』を真っ直ぐに構えると、躊躇いなくトリガーを引いた。
相変わらず視界は砂埃で不鮮明だったが、電撃の迫ってくる方向からレザルナのいる場所は大体ではあるが見当がつく。
そして、それはすぐに間違いでは無いと証明された。
「……ぐっ!」
大音量の爆音の中、微かではあったレザルナの呻く声が耳に届く。
それを聞いて命中した事に安堵すると同時に、些細な不安がボクの胸を過ぎった。
(致命傷にはなってない……よな?)
そう。今のボクの目的はレザルナを倒す事じゃない。あくまでも戦闘不能にする事だ。
一応、直撃は避けて爆風のみが当たる様に狙って撃ったつもりだが、声だけでは判断のしようがない。
(少なくとも、ダメージを与えた事は確かみたいだけど……)
「ゴホゴホッ!……ユ、ユリス!やったの!?」
「まかさ!こんなので倒せる様な……っ!?」
咳き込んだモニカに返事をしかけた時、不意に全身を突風が襲う。
両足に力を入れてどうにか踏ん張っていると、ルナ研や洞窟のときの様に、頭の中にレザルナの声が響いた。
〔どうやら、そう簡単には退いてくれないみたいね。私も相応の力を見せる必要がある、か……〕
「っ、何!?」
叫んだ瞬間に突風が止む。慌てて顔を上げた瞬間、風を斬る様な音が聞こえた。
ハッとして身構えようとしたボクだったが、それよりも早く左肩から真っ赤な血が飛び散る。
一瞬何が起こったか分からずに、ボクは感じる激痛を気にも留めず、呆然と傷口を見つめた。
「ユ、ユリス!!」
「だ、大丈……うっ……!」
甲高いモニカの悲鳴に声を返そうとしたが、ジワジワと流れる血と広がる痛み、そして増していく疲労感に、ボクは傷口を押さえて片膝をつく。
(これが……レザルナの本気か……)
不意に、ルナ研でモニカが一撃で倒された場面が脳裏を過ぎる。
あの時から既に尋常ではない力の持ち主であるとは分かったが、今こうして直接対峙してみると改めてそれを痛感させられた。
「急所は外してあげたわ……もう止めなさい」
「っ!……なっ!?」
いつの間にか周りを覆っていた砂埃は薄くなっていて、徐々に視界も晴れてきていた。
同時に呟く様に話しかけながら現れたレザルナの姿を見て、ボクは思わず絶句する。
(そんな……効いてない!?)
信じられない事に、彼女には目立ったダメージの痕跡は殆ど見られない。
いくら直撃ではなかったとしても、『シグマガジェット』の爆風を食らって無事で済む筈が無いのに、だ。
そんな事を考えているボクの動揺が表に出ていたのか、レザルナは哀れむ様な表情と共に口を開いた。
「その顔じゃ、何故私が傷を負っていないか理解できない様ね。でも、安心なさい。苦悩する時間なんか無いのだから」
レザルナはそう言うと、徐に右手を天へと翳す様な仕草を見せる。
それを見てまた新たな魔法を放つのだと判断したボクは、反射的に『シグマガジェット』のリミッターピンを引き抜いた。
「させない!!」
「っ!?」
ボクの叫びに、レザルナが僅かに眉を動かして一瞬動きが止まる。
その隙を逃さずに、ボクは実戦では二度目となる『フレア・グレネード』を放った。……勿論、直撃は避ける様に狙いを定めて、だ。
しかし、それは全くの無意味に終わる。レザルナには到底届かない距離――ボクの計算よりも遥かに遠い位置で、弾丸は突如爆発したのだ。
「……えっ?」
計算外の出来事に、ボクは思わず気の抜けた声を出す。だが計算外なのは、それだけではなかった。
(っ!……爆風が広がらない?それに……収束している……!?)
ゼルマイト鉱山で撃った時とは、比べ物にならない程に爆風は小さく、更にはそれが集まって球体の形を取っていく。
爆風という現象としては、明らかに不自然な現象。そんな事を思ったボクは、不意にハッとしてレザルナを見やった。
「!!……まさか……!?」
「……気づくのが少し遅かったわね」
淡々とレザルナは呟く。そして、天へと翳していた右手を、ゆっくりと前方――ボクの方向へと突き出す。
すると次の瞬間、球体となっていた爆風が凄まじい速さでボクへと襲い掛かってきた。
「うわあああああっ!!!!」
「ユリス!!」
避ける事なんか到底出来ず、ボクは爆風に全身を包まれつつ大きく吹っ飛ばされる。
そして派手に地面へと激突すると、無数に負った火傷の痛みが身体中を駆け巡り、ボクはとうとう起き上がる事が出来なかった。
「……もう止めなさい。これ以上やっても無駄よ」
「くっ、レザ……ルナ……!」
哀れみを含んだレザルナの言葉にボクは反論しようとするが、全身に至る激痛の為に喋る事もままならない。
地に倒れた身体も思う様に動かず、首を持ち上げてレザルナを見るのがやっとだった。
(こんなに強いなんて……でも、伝えないと……うっ……!)
どうにか起き上がろうと身を捩るが、身体はまるで言う事を聞いてくれない。と、そんなボクの耳に、怒気を含んだモニカの叫びが聞こえた。
「冗談じゃないわ!まだ勝負は決まってない……次は私が相手よ!!」
「モ……モニカ……!」
闘争心を剥き出しにしている彼女に、ボクは懸命に声を掛けた。この状態では、勢いのままレザルナを倒してしまうかもしれない。
元よりモニカはそのつもりなのだろうが、ボクとしてはそうさせる訳にいかなかった。
しかし、その事を伝えたくとも口が上手く動いてくれない。呻く様に彼女の名を呼ぶのが精一杯のボクに、モニカが僅かな笑みを向けた。
「心配しないで、ユリス!ルナ研の時みたいなドジは、もう踏まないわ!」
「ち……違……」
「あら、まるであの時は油断していただけの様な物言いね?」
ボクの言葉を遮って、レザルナが呆れた様に小首を傾げてみせる。
それが癇に障ったらしいモニカは、ボクから注意を逸らすと、レザルナに『アトラミリアの剣』の切っ先を突きつけながら吐き捨てる様に言った。
「様な、じゃなくてそういう事よ!あの時の御礼……何倍にもして返させてもらうわ!!」
「……その意気込みだけは認めてあげるわ」
(っ!)
またしても右手を動かし、魔法を放つ仕草を見せたレザルナに、ボクは反射的にモニカに叫ぼうとした。
だが、それよりも早く彼女は無造作に『アトラミリアの剣』を振るう。すると、何かが弾かれた様な音と共に、近くの地面に大きな穴が出来上がった。
(え?な、何が……?)
「っ……成程、同じ手は通じないという事かしら?」
「当たり前でしょ?あんまり私を見くびるんじゃないわよ!」
全く状況が呑み込めないボクを他所に、モニカとレザルナは互いに挑発的な言葉を交わす。
その会話から察するに、どうやらレザルナが放ったのはルナ研で使った魔法の様だ。
(あれを弾き飛ばしたのか、モニカは?……って事は、あの魔法がどんな物か読めたのか?)
「レザルナ!悪いけど、一気に決めさせてもらうわよ!!」
驚くボクの耳を、強気なモニカの叫びが打つ。
彼女は素早く間合いを詰めると、レザルナの身体目掛けて横一文字の剣閃を描いた。
けれど、それは惜しくもレザルナには届かず空を斬る。微かにモニカの舌打ちが聞こえたかと思うと、少々動揺した様子でレザルナが呟いた。
「っ、思ったより速い……確かに貴方の言う通り、一気に決めた方が良いようね」
レザルナはそう言うと、右手の人差し指をクルクルと回し始める。
すると、新たな魔法だと思い身構えたモニカの周りに、無数の氷柱が出現した。
「っ!?これは……!!」
「涼しいもてなしは、お気に召さない?」
皮肉めいたレザルナの言葉を合図に、氷柱が一斉にモニカへと襲い掛かる。それを見て、ボクは耐え難い恐怖を覚えて絶叫した。
「っ……モニカ!!」
「くっ、円裂……」
あわやモニカが串刺しになろうとした直前、彼女は『アトラミリアの剣』で地面に円を描く。
そして、すぐさまその中心に剣を突き立てて声高に叫んだ。
「……斬衝波!!」
瞬間、モニカの描いた円から衝撃波が発生し、迫っていた氷柱を粉々に粉砕する。
思いもよらぬ彼女の鮮やかな捌きに、レザルナは今まで見せた事の無い、明らかに驚いた表情で小さく声を上げた。
「なっ……!?」
(……凄い)
驚いたのはボクも同じだ。
モニカが剣を地面に突き立て、衝撃波を発する技を得意としているのは昔から知っていたが、今彼女が見せた技はボクの知るそれとは格が違う。
改めてボクがモニカの剣の技量に感心していると、彼女は隙を見せているレザルナに再び斬りかかった。
「はあああっ!!」
「……くっ!」
焦ったレザルナが右手を大きく広げると、その表面にガラスの様なシールドが出現する。
それで斬撃を受け止めたレザルナだったが、間髪入れる事無くモニカが剣を振るい連撃を繰り出す。
「やっ!はあっ!!……たああっ!!」
「う!……っ!」
既にレザルナの顔から泰然自若さは消えうせ、焦りの表情を浮かべつつジリジリと後退していく。
そんなレザルナに反比例するかの如く、モニカの剣閃は鋭さを増していった。
「やああっ……!!」
(!!)
瞬間、ボクはモニカの動きに眼がついていかなくなるのを感じる。それ程までに、彼女の動きは素早かった。
ただ耳に届いてくる絶え間ない斬撃音から、凄まじい連撃を繰り出しているという事は分かった。
「花咲……閃刃斬!!」
「っ!?……あうっ……!!」
モニカの連撃に耐え切れなかったのか、レザルナのシールドが砕け散る。
そして、その直後のモニカに一閃を胴部に受けたレザルナは、苦渋に満ちた声を出しながら後方によろめいた。
「はあっ……はあっ……勝った!?……えっ?」
「な……!?」
荒い息と共に言ったモニカの顔に、驚愕の色が浮かぶ。そして、それはボクも同じだった。
「ど、どういう事?」
「き……消えた?」
――――それは比喩でもなんでもなく、言葉通りの現象。
地面に倒れる正にその直前、レザルナは一瞬の内に消えてしまったのだ。
更に不思議な事に、モニカの斬撃を受けていたのに、血が一滴も流れていない。
「一体、これは……」
ボクが戸惑い、首を振りながら口を開いた時だった。
バシン、という大きな音がし、その音の方へと顔を向けたボクの眼に、宙を舞うモニカの姿が飛び込んできた。
「あうっ……!」
「モ、モニカ!!」
か細い呻き声を発したモニカは、地面へと叩きつけられる。
全身の激痛を忘れ、急いで駆け寄ったボクは、彼女の顔を覗き込む。その瞬間、心臓が凍りつく心地を覚えた。
「っ……モニカ!しっかりするんだ!!」
額から血を流し、微かに眉を動かすだけの彼女に、ボクは必死で呼びかける。
しかし、モニカはそれに何の反応も返さず、ただ苦しそうにしているだけだった。
「モニカ!……今のは……っ!?」
途端、背中に戦慄が奔り、ボクは無意識に身を屈める。すると、そのボクの頭上を何かが掠め通った。
「……随分と反射神経が良いわね。確実に命中すると思ったのに」
「!……レザルナ……!!」
唸りながらボクが振り向くと、そこには消えていた筈のレザルナが立っていた。
一瞬、愕然としたボクだったが、すぐに思い当たる節を見つけ、重々しく口を開く。
「まさか……さっきのは幻?」
「ふふ、残念ながら、その通りよ。尤も……『さっきのも』幻、というのが正確でしょうけれどね」
「?……どういう……」
「魔法を知らない貴方には一生分からない事よ。さあ……もう、終わりにしましょう」
「!!」
言い終わると同時にレザルナは眼を瞑り、右手を高々と掲げる。
すると、何やらそこに波動な様な物が集まりだし、小さな渦が出来上がった。
そしてその渦は次第に大きくなると、既に見慣れた物である『時空のひずみ』となる。
あの洞窟で見た物とまではいかないが、それでも凄まじく大きな『時空のひずみ』だ。
「!……ボク達を何処に飛ばす気だ!?」
恐怖を押し殺してボクが尋ねると、レザルナは静かに首を振る。
「何処?……安心なさい、何処には飛ばしはしないわ。このひずみの中で……その娘と静かに生きなさい」
「っ……冗談じゃない。そんな事……させる訳にはいかない!!」
「……どうして?」
刹那、レザルナの声色が変わる。それは酷く弱々しい、悲しみに満ちた声。
その声を聞いて動揺してしまった自分に苛立ちながら、ボクは努めて冷静にレザルナの問いに答えた。
「決まってるだろ?ボクは貴方を止めなきゃいけない。そう……ガレオさんの為にも、貴方がこれ以上過ちを犯すのを止めなきゃならないんだ」
「っ!?……貴方、あの人の事を……?」
ボクの言葉を聞いて、レザルナは眼を見開いた。そして見せた表情に、ボクは驚く。
――――今まで感じていた冷たさが微塵も感じられない、ありふれた女性の表情。
それを見て、今の彼女なら話が出来ると思ったボクは、慎重に言葉を選びつつ言った。
「……ある人から聞きました。勿論、貴方の事も。レザルナ……いえ、レザルナさん。本当は貴方も分かっている筈だ。
自分がしようとしている事が、どんなに重い罪であるかを。そして……ガレオさんは、決して貴方を捨てた訳じゃないって事も!!」
「…………」
「だから!……だから、もう止めてください!!今なら……今なら、まだ引き返せる筈です!!取り返しがつかなくなる前に!!」
「……もう……遅いのよ……」
懸命に呼びかけるボクに、レザルナさんは唇を噛む。そして再び眼を閉じると、自分に言い聞かせる様に言葉を紡いだ。
「何もかも……もう遅いのよ……引き返せない……絶対に…………突き進むしかないのよ!!」
「レザルナさん!!」
今までとは明らかに違う、泣きを含んだ叫び声を上げたレザルナさんは、右手を握り締めてボクの方へと向ける。
それは確実に、ボクへと魔法を放つ。『時空のひずみ』をぶつけようとする合図だ。
けれどもボクは、そんな緊迫した状況だというのに……いや、そんな緊迫した状況だからなのか、ある考えに囚われていた。
(待てよ……あの洞窟での言葉……そして、さっきのレザルナさんの言葉……まさか!?)
「ああああああっっ……!!!!」
思考を遮って、レザルナさんの叫びが激しく鼓膜を打った。最早、今浮かび上がった仮説が正しいかどうか思案している時間は無い。
ボクは苦々しく奥歯を噛み締めつつ『スーパーノヴァ』を手に取ると、『シグマガジェット』とは違い複雑に付けたリミッターを解除する。
そのままヨロヨロと立ち上がると、徐にその銃身を上げた。
(狙うは……あそこだ)
自分の立てた仮説を信じ、ボクは一点――レザルナさんの右手に照準を合わせる。
「……いっけええっっ!!」
そして、レザルナさんが右手を開くその瞬間を狙って、力いっぱいトリガーを引いく。
刹那、『スーパーノヴァ』の銃口が眩いたかと思うと、短い音と共にレザルナさんの右手に大きな穴が空いた。
――――『シャイニング・レーザー』……その名の通り、一瞬ではあるが眩い輝きを放つレーザー。
改造に改造を重ねた『スーパーノヴァ』が発射できる様になった最大出力の射撃に、ボクが付けた名前だ。
「痛っ!?……う……あ……!」
何が起こったのか分からないといった表情を浮かべつつ、レザルナさんは右手を押さえてその場に蹲る。
そんな彼女に反応したかの様に、巨大な『時空のひずみ』は瞬く間に消えうせてしまった。
『フレア・グレネード』同様、実戦で使うのは初めてだったが、どうやら上手くいったらしい。
そう思って安堵したボクだったが、ふとレザルナさんの右手から何かが零れ落ちるのを見て、ハッと息を呑んだ。
「っ!」
――――それは、中心に無残な穴の開いたコンパクト。
ボクの『シャイニング・レーザー』が撃ち抜いた物であるのと気づくのに、そんなに時間は掛からなかった。
「くっ……!」
右手を押さえたまま、レザルナさんは苦しげな呻き声を繰り返す。
そんな彼女の姿が次第に薄れていくのに、ボクは自身の仮説が間違っていなかったのを知った。
「レザルナさん。貴方は……」
「っ……ふふ、気がついている様ね……」
苦笑したレザルナさんは、足元に転がっているコンパクトを取り上げる。
そして、暫しそれを懐かしそうに眺めた後、軽く眼を瞑りながら言った。
「そう、私は……レザルナという人間は、とうの昔に死んでるわ。今、此処にいるのは……哀れな女の魔力が、これに集まって出来た存在よ」
「やはり、そうでしたか。それはそうと、そのコンパクトは、ひょっとして……?」
ボクが質問すると、レザルナさんは静かに首を縦に振る。
「ええ。これは、あの人が……ガレオが私にくれた、最初で最後のプレゼント。だから、これには私の……レザルナの強い想いが詰まっていた。
その想いに魔力が宿り、私は生まれたの。……それにしても、随分と頭が切れる子なのね。不用意に、余計な事を言わなければ良かったわ」
レザルナさんの言葉に、ボクはゆっくりと頷く。
「そうかも知れませんね。ですけど、今になって不意に貴方があの洞窟で言った事を思い出したのも、貴方の正体に気づいた要因でもあります。
あの時に貴方が言った言葉、そして先程の貴方の言葉……それらを繋ぎ合わせて導き出したのですから」
「洞窟?……っ、そういえば、『最初から居やしない』なんて言ったわね。ふふ……本当、油断ならない子供だわ。
だけど、どうして私の急所が……私の本体のある場所が分かったの?」
「別に、分かっていた訳ではありません。ただ貴方は、常に右手から魔法を放っていました。だから、もしやと思って……」
「……成程」
小さく呟くと、レザルナさんは再び苦笑する。そうしている間にも、彼女の姿は徐々に霞んでいっていた。
――――コンパクトに宿っていた魔力によって、生まれた幻。
それならば、そのコンパクトが壊された以上、もう存在し続けられないのは明らかな事。
だが、その前にどうしても伝えなければならない事が、ボクにはある。軽く深呼吸した後、ボクは徐に口を開いた。
「レザルナさん」
「……何?」
「その、さっきも言いましたけど……ガレオさんは、決して貴方を……」
「やめて。……分かってるわ、そんな事くらい」
ボクの言葉を遮り、レザルナさんは悲しそうに首を小刻みに左右へ振る。
「そう、分かっていたわ。あの人が、私は本当に愛してくれていたのは。でなければ、あの人と私の間に、子供なんか出来ないでしょうから」
「……え?」
予想だにしない言葉に、ボクは思わず声を漏らす。
そんなボクに寂しげな笑みを返しながら、レザルナさんは言葉を続けた。
「流石にそこまでは知らなかったみたいね。いたのよ、カレナっていう元気な男の子がね。
あの人がいなくなってからは、あの子だけが私の生きる希望だった。……だけど……生まれてまだ数年と経たない内に……」
「っ……!」
不意に言葉を切ったレザルナさんから、ボクはそのカレナという子に何があったかを察する。
胸に小さな痛みが奔るのを感じつつ、主要な言葉を省いてボクは尋ねた。
「……病気か、何かですか?」
「ええ。生まれた時から父親がいないという現実。それから来る寂しさが発端だと、医者が言っていたわ。
その時の私がどんなだったか……貴方に想像できるかしらね? 愛する者を二人も続けて失った者の姿が」
「……っ……」
「それから私は、たまたま書庫で見つけた『時間統一』という物を実現させる為に、研究に明け暮れた。
『時間統一』を行えば、あの人もあの子も帰ってくると信じて……寝食もロクに取らず、来る日も来る日も研究を続けた。
その間に自分が死を迎え、幻になっていた事にも気づかずに、ね……」
「……レザルナさん。でも……それでも、やはり貴方のしようとした事は……」
「間違い、か。そう……そうだったんでしょうね」
ボクの言葉に、レザルナさんは嘆息する。それには自嘲や諦念といった感情が込められている様に思えた。
「だけど、それでも私は止まらなかった……いえ、止められなかった。だって、そうでしょう?
今の私に残っているのは、『時間統一』を実現させるという思いだけ。その思いが消えてしまえば、私自身も消えてしまうのだから。
……尤も、それも今や、どうでもいい事になって……しまったけど……」
レザルナさんがそこまで言った時、不意にピシッという何かにヒビが入る音が聞こえる。
その音がコンパクトから発せられているものだと気づくのに、そう時間が掛からなかった。
コンパクトは尚も音を立てて、次々とヒビ割れていく。それに比例するかの様に、レザルナさんは次第に朧な存在になっていった。
「っ!……レザルナさん!!」
堪らず叫んだボクに、レザルナさんは笑みを返す。まるで、親が子を宥める様な笑みを。
「ふふ……貴方が気を病む事は無いわ。言ったでしょう?私はもう、既に亡くなっている身。
なのに未だこの世界にいた事が、そもそもの間違いだったよ。それに……これでようやく、ガレオとカレナに会えるのだから……」
「レザルナさん……」
「ユリス……最期に、これだけは言っておくわ」
途端、レザルナさんは真摯な眼差しをボクに向け、一つ一つの言葉をしっかり言い聞かせる様に言った。
「その子には……絶対に私の様な思いはさせないで。人は……特に女性は、貴方が考えてるよりも、ずっと脆くてか弱いものなのよ?」
「っ!……それは……」
「それから、お礼を言っておくわ。完全に取り返しのつかなくなる前に、私を止めてくれて……あり……が…………」
「レザルナさん!!」
瞬間、コンパクトが派手な音を立てて粉々に砕け散る。それと同時に、レザルナさんは音も無く消えてしまった。
――――最後まで聞こえなかった、ボクへの感謝の言葉を残して。
(……っ……)
――……その子には……絶対に私の様な思いはさせないで。
「それは言っても……」
ボクは、無意識に唇を噛み締る。……と、その時だった。
「うっ……!……ユリス!?」
「あ、モニカ!……気がついた?」
意識を取り戻したらしいモニカが、額を押さえながら立ち上がる。
そんなモニカにボクが駆け寄ると、彼女はキョロキョロと辺りを見回した後、怪訝そうに言った。
「あ、あれ?……レザルナは何処?君が倒したの?」
「……っ……いや、違う。帰ったんだよ、あの人は。愛する人達の元に」
「え?……ど、どういう事?」
「……詳しい事は、後で話すよ。それよりモニカ、もうボク達が此処のいる必要は無いんだ。早く、帰ろう。……ゆっくり休みたい」
「あ、そ、そうね。何かスッキリしないけど……ちょっと待って」
慌ててセイカさんから渡された発信機を操作しだしたモニカの横顔を、ボクはジッと見つめる。
(決断……しなければならないんだな)
心の中でそう呟くと、ボクは徐に胸元のシャツを握り締めた。
――――これから自分がするべき事への、様々な感情や考えを抱えつつ……。