〜エピソード14〜

 

 

 

 

 

 

まだ日暮れには随分とあるというのに、窓から見える景色は随分と暗かった。

不思議に思い、空の方を見上げたネスは、思わず顔を顰める。その視線の先には、禍々しい色をした雲が一面を覆っていたのだ。

――――スリーク。

名前は知っていたが、来るのは初めての町。だが、そうであってもこの光景は異様だと分かる。

ネスは相変わらず続いているトンブラの演奏をBGMに、独り考えた。

――どう見ても、普通の雲じゃないな。あの幽霊達と関係があるのかな?

彼はトンネルの中に無数にいた、真っ白な身体を空中に漂わせ、真っ赤な眼に鋭い牙を見せていた幽霊の姿を思い返す。

トンブラの言っていた通り、幽霊達はバスに張り付いてきたものの、やがて例外なく怯えるよう遠ざかっていった。やはり幽霊にとって、賑やかなのは苦手なのだろう。

正確に言えば賑やかを通り越して騒がしいという事になるのだろうが、ともあれどうにか新たなる町へ着くことは出来た。

ポーラによれば、此処で仲間に会えるとの事だが、この様子ではその前に一悶着ありそうな気がしてならない。

――此処でも色々とありそうだな。まあ、何となく予想はしてたけど……おっと。

不意にバスがスピードを緩め、慣性でネスの身体がよろめく。どうやら、そろそろ停車するようだ。

「お二人さん、そろそろ降りる準備しとけよ!」

「は、はい」

「あ〜あ、もう着いちゃったのね。もっと聴いていたかったわ」

心底残念そうに溜息をついたポーラに、ネスは訝し気に訊ねる。

「ねえ、ポーラ。一つ訊いていい?」

「何?」

「その……なんともないの、君?」

「なんともないって、何が?」

「……いや、いい」

キョトンとした眼をしつつ首を傾げたポーラに、ネスは被りを振った。

トンブラのファンである彼女にとって、あの凄まじい爆音は心地良い音楽なのだろう。ネスには全く理解できないが、少しも耳や頭が痛そうな素振りを見せないところからして、そうであるに違いない。

「さあ、着いたぜ!」

そのラッキーの声に、ネスとポーラは揃って立ち上がると、トンブラの面々に見送られながらバスを降りる。

だが、いざ降りた瞬間、二人は強烈な寒気に襲われた。別段気温が低いというわけではない。この町全体を覆っている空気が、何かおぞましいものを帯びているように感じたのだ。

そして、それは決して気のせいではないのだと、ネスもポーラも思う。まだ昼間だというのに町中には人影が殆ど無く、車も全く走っていないのだ。

加えて生活音も皆無に近いくらいの静寂さ。ハッキリ言って薄気味悪いとしか思えない町だった。

「随分と暗いムードの町だな。だが、こんな時こそ明るい気持ちで頑張れよ」

この町の尋常ならざる様子を感じ取ったのか、ラッキーはそんな励ましの言葉をネスとポーラに送りながら、バスへと戻る。

程無くして大きなエンジン音が辺りに鳴り響き、車窓からトンブラの面々が顔を出した。

「また何処かで会えるとええのう」

「オレ達はこれからフォーサイドに行くんだ。多分、そこで暫く活動する筈さ」

「きっと何処かの劇場で歌ってるよ。もしフォーサイドに来たら、顔を見せてね」

「カッカッカッ! じゃあな!」

口々に大声で別れの言葉を述べながら、トンブラはバスを発進させる。

そして、もう聴かせる客は乗っていないというのに、再び派手な演奏を始めながら、道路を駆け抜けていった。

「はは……あの様子じゃ、きっとトンネルの中の幽霊にも気が付いていなかっただろうな」

「えっ? 本当に幽霊って、いたの?」

ポツリと呟いたネスの言葉に、ポーラが怯えたような表情を浮かべる。そんな彼女を見て、ネスは少しばかり呆れの感情を抱きながら口を開いた。

「いたのって……ポーラも気が付いていなかったの? 君の座ってた席の車窓に、何体か張り付いてたよ。すぐに逃げて行ったけど」

「う、嘘!? わ、私、トンブラの演奏に夢中で……ゆ、幽霊って、どんなだったの?」

今更ながら恐怖を覚えたのか、ポーラは両手で自身を抱きしめながらネスに訊ねる。

「ええっとね、まず全身が真っ白なんだ。それで細長くって、空中をフヨフヨ浮いて飛び回ってるんだ。それから……?……ポーラ?」

思い出しながら説明をしていたネスは、不意にポーラの顔が青ざめているのに気づき、眼を瞬かせる。

「どうしたの? 顔色悪いよ?」

「も、もしかして、その幽霊って……真っ赤な眼をしていて、口から牙が生えてたりする?」

「え? あ、うん、確かそんな感じの奴だったけど。なんでポーラ知ってるの? 気付いてなかったんでしょ?」

「う、後ろ……後ろ!!」

「えっ!?」

殆ど金切り声のポーラの言葉に、ネスは慌てて自身の背後に振り返る。すると眼と鼻の先に、先程トンネルの中で見た幽霊の姿があった。

「うわあああっっ!!」

「きゃああああっ!!」

反射的に弾けるように後退ったネスと、そんな彼の様子から眼前にいるのが本物の幽霊だと理解したポーラが、同時に悲鳴を上げた。

そして、それが合図であったかのように幽霊が二人に迫ってくる。幽霊であるが故か、一切の物音を立てずに高速で動くそれは、本能的な恐怖を覚えるのには十分だった。

考えるよりも先にネスの身体は動き、彼は素早くバットを手に取ると無我夢中で幽霊に振り下ろす。

――!?……なんだ!?

その一撃が命中した際、ネスは戸惑いの表情を浮かべる。バットを握る手に、何の衝撃も伝わってこなかったからだ。

しかし、打撃が当たった事は確かなようで幽霊は大きく吹っ飛ばされる。だが、奴は空中でフワリと身を翻すと、すぐに体勢を立て直し、相も変わらず半開きの口から牙を覗かせつつ迫ってくる。

やはり、幽霊という存在に物理的な攻撃は効果が薄いらしい。全く効かないというわけではない分マシなのかもしれないが、厄介な事には変わりなかった。

「こいつはPSIの方が良いのか……」

「ネス! どいて!!」

「ポーラ!?」

不意にポーラが叫び、ネスが振り返ると彼女は、右手の指先に炎を宿らせていた。それが何を意味するかを瞬時に判断し彼は、反射的に横に飛び退く。

「“PKファイヤーβ”!!」

ポーラの指先から放たれた炎が一直線に幽霊へと伸び、瞬く間に奴を包み込む。

そして次の瞬間、一際大きい火柱が生まれ、やがてそれが収まった時には幽霊は影も形も残っていなかった。

「はあ……はあ……はあ……」

「ポーラ!」

難を逃れたからか、ポーラは荒い息を吐きながらその場にへたり込む。ネスは慌てて彼女に駆け寄ると、その手を取って立ち上がらせた。

「凄い炎だったよ。あんなの使って、大丈夫?」

「え、ええ、なんとか……怖かったから、ちょっと過剰気味になっちゃった。でも、本当にいたのね、幽霊って。しかも、町中で襲ってくるなんて……」

「うん、僕も驚いたよ。それに……怖かった。この町、なんかヤバそう……っていうより、ヤバいよ絶対」

ネスは自分の気持ちを吐露しながら、改めて周囲を見渡す。

今、自分達がいるのは町の外れだが、それでも町の一部である事には変わりなく、辺りにはいくつか民家もある。

そんな場所にも拘らず堂々と幽霊が出没し、更に今しがた起こった戦闘に対して、何の反応も見られない。

普通なら、先程のネスとポーラの悲鳴や炎の燃え上がる音に、誰かが様子を見にきたりする筈だろう。けれども相変わらず周囲は、不気味なまでの静寂さに包まれていた

「まさかとは思うけど、文字通りのゴーストタウンなんじゃ……」

「や、やめてよ、ネス! と、とにかく町中に行ってみましょう。流石に町中なら人がいるでしょうし。それに……私、いつまでも此処にいたくない。また幽霊が出るかもしれないもの」

「っ……同感。とりあえず情報収集しないと始まらないしね。じゃあ、行こう」

意見の一致した二人は、足早にその場を離れ、スリークの町中へと駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ネス、まだかしら?

ポーラはドラッグストアの中をウロウロしながら、別行動中のネスを待っていた。

時計を確認すると彼が出かけてから、そろそろ二時間が経過している。流石にもう戻ってきてもいい頃なのだが、何度入り口のドアの方を見ても、彼の姿は現れない。

――偵察だけだから大丈夫って言ってたけど……ああ、やっぱり無理にでもついていけば良かったわ。

二時間前の遣り取りを思い出し、ポーラは嘆息する。

あれから一頻りの情報収集を終えた二人は、予想以上の厄介事に暫し呆然とせざるを得なかった。

なんでも今スリークは、ゾンビを初めとするバケモノ達の襲撃を受けていて、非常に危険な状況なのだそうだ。

特に町の北にある墓場の方は、完全にバケモノ達の住処になっているらしく、迂闊に近づいてしまって帰ってこなくなった者も後を絶たないらしい。

それらから逃れるべく、住人達は町の中心に纏まってどうにか生活しているらしいのだが、それもいつまで保てるかは分からない。

町の代表者達が『ゾンビ対策本部』を結成し、広場にあるサーカスのテント内で連日会議をしているのだが、一向に解決策は見つからないとの事だった。

当然、こんな状況でバスが運行している訳がなく、ツーソンに戻る事も次の町――フォーサイドに行く事も不可能。そこでネスとポーラは、とりあえずバケモノ退治をするべきだという結論に至った。

しかし、考えも無しにバケモノ達と戦っても勝ち目は無い。なので、ネスは一先ず偵察の為に墓場の方へと向かい、ポーラは町中でもう少し情報を集めるという事になった。

勿論ポーラは、ネスを止めた。危険だというのが分かっているのに、墓場に行くなんて無謀だと思ったからである。

しかし彼は頑として譲らなかった。止める事は出来ないと悟ったポーラはならば自分も一緒に行くと申し出たのだが、彼はそれも拒否した。

――だめだよ、ポーラ。君にもしもの事があったら、僕は小父さんに何て言ったら良いんだ?

心底悲しそうな表情でそう言われると、ポーラは弱い。なので彼女は仕方なく、ネスを見送るしかなかったのである。

――もう、ネスも心配性なんだから。ああいうところ、パパにそっくりだわ。超能力なら、私の方が上手なのに……。

思わずポーラが悪態をついた時だった。

ドラッグストアのドアが開く音が聞こえ、彼女がそちらに振り向くと、待ちわびていたネスの姿があった。

途端、表情を明るくしたポーラだったが、すぐに彼の異変に気付き、顔を曇らせる。そして彼女が、ネスに駆け寄りながら言った。

「ネス!? だ、大丈夫なの!?」

「あ、あはは……いやあ、参った参った。本当に危険だったよ、墓場は。危うくあいつらの仲間入りになるところだった」

ネス笑いながら頬を掻くが、その声には明らかに疲労の色が滲んでいて、顔には彼方此方に泥がついている。いや、顔だけではない。全身の至る所が泥だらけだ。

それによく見ると、既に塞がっているが沢山の傷跡がある。おそらくは“ライフアップ”で癒した傷だろう。その事と彼の言葉から、何があったのかは容易に想像がつく。

「ゾンビ達と戦ったの?」

「うん。それもゾンビだけじゃなかったよ。あの幽霊や、その他にも訳の分からないバケモノがウヨウヨ。これは危なすぎると思って引き返そうとした時に、うっかり見つかっちゃってさ。なんとか撃退して逃げてきたんだけど……あれは厄介だな。何かを守ってそうな感じもしたんだけど……そうそうポーラ、君の方は? 何か新しい事とか分かった?」

「ええ。裏が取れないから確実な情報かは分からないけど、中々有意義な情報が聞けたわよ」

訊ねられたポーラは、店の奥の人気の無い場所へとネスを誘導し、新たに集めた情報を彼に話した。

「一番気になったのは、あのバケモノ達の親玉についてね。なんでも“ゲップー”っていうらしいわ」

「“ゲップー”? 変な名前だな。そいつが、この騒ぎの元凶って事?」

「だと思うわ。理由は分からないけど、そのゲップーがあのバケモノ達……特にゾンビをこの町に送り込んでるらしいの。墓場の奥からね」

「あっ、そうか。だから、あいつらは墓場に沢山いるのか。……でも、その話が本当なら、猶更墓場に行かなきゃいけないよね」

「そうね、そうなるわね。『墓場の奥には何処かに通じてる抜け道がある』って噂の存在も聞けたし……でも、貴方のその様子じゃ、骨が折れそうよね」

「うん。闇雲に突っ込んでも埒が明かないだろうな。でもまあ、これで目的地はハッキリしたかな。それで? 他には?」

「ええ、もう一つ気になる事があったわ。……出来れば信じたくないけど、ゾンビの味方をしている人がいるんですって」

ポーラが一際声を細めてそう言うと、ネスは顔を顰める。そして暫しの沈黙の後、心底不愉快そうな声で言った。

「それ、本当の話?」

「私も確かめたわけじゃないから断言は出来ないけど、何人も同じ話をしていたから嘘ではなさそうよ。『ゾンビと話をしている人間を見た』って具体的な事を話してくれた人も何人かいたし」

「うわ……で、どんな人なの? そのゾンビの味方をしている人って?」

「それが……教えてくれた人の話じゃ女性ってことは共通してるんだけど、それ以外の特徴がまちまちなの。『綺麗な人』っていう人もいれば、『顔色が悪くて不気味』っていう人もいたわ」

「それってつまり、そのゾンビの仲間をしている女の人が複数いるって事なんじゃ?」

「あ、その可能性もあるわね。でも、だとしたら益々厄介よね。それだけ敵が多いって事だから」

「うん、そうだね。となると、良く考えて動かないとダメだな。仕方ない、今日は一旦ホテルで休もうよ。僕も疲れてるし」

「ええ、そうね。そうしましょう」

 

 

 

 

 

 

 

スリークのホテルは、『ゾンビ対策本部』であるテントのすぐ北にあった。看板が近づき、ようやく休む事が出来ると実感した途端、ポーラは一気に疲れが出て来るのを感じた。

思わず溜息をつくと、前を歩いていたネスが心配そうに振り返る。

「ポーラ、大丈夫? 疲れた?」

「あ、ごめんなさい。……ちょっとだけ、かしらね。この町に来てから、気が休まる時がなかったから。ホテルが恋しいわ」

「ああ、そうだね。流石にホテルの中は安全だろうし、いざとなったら部屋を明るくしてれば、幽霊もゾンビも寄ってこないよ、きっと」

「ふふ、そうね」

相槌を打ち、ネスに微笑んだポーラだったが、ふとホテルの入り口に視線を向けた瞬間、怪訝そうに眼を瞬かせて立ち止まる。

「あら?」

「ん? どうしたの?」

「あの人……」

言いながらポーラは、ホテルの入り口に立っていた人物を指差す。

それは妙齢の女性だった。モデルのような体型に、鮮やかなブロンドの髪が妖艶な雰囲気を醸し出している。

サングラスを掛けて眼元を隠しているところからして、もしかしたら本当にモデルなのかもしれない。そう思える程に、綺麗な女性だった。

だが、ポーラが気になったのは女性の美しさにではない。上手く言えないが、女性から何か“良くないもの”を彼女は感じたのだ。

それ故、このままホテルに――女性へと近づくのに躊躇いを覚え、ポーラは立ち止まったのだ。

「あの人? あの女の人がどうかしたの?」

「いえ、どうってわけじゃないけど……その……」

ネスに訊ねられても、説明に適した言葉が見つからない。

口籠ったポーラに、不意にネスは合点がいったように表情を引き締めた。

「もしかして、あの人がゾンビの味方なの?」

「……かもしれない、としか言えないわ。私はただ、なんとなくあの人から嫌なものを感じるの。それが何を意味するのかは、私にも分からない……」

「そっか。でも、あの人……」

どちらともなくホテルの入り口から離れつつ、二人は顔を見合わせて小声で会話する。

「なんだか、ちょっと顔色が悪いようにも見えるよね。まあこの町の人は、みんな顔色良くなかったけどさ」

「ええ、私も同意見。でも、どうしようネス? まさか本人に直接訪ねるわけにもいかないし」

「う〜ん、そうだなあ」

腕組みをしたネスが、再び女性へと眼を向けた時だった。それまで俯き加減だった女性が突然顔を上げ、ポーラとネスの方を見る。

その瞬間、二人は何かが背筋を這い上がるような感じを覚えた。思わず絶句し、息を呑んだ二人に、女性は口角を上げてみせる。そして、優雅な足取りで踵を返すとホテルの中へと入っていった。

「ネ、ネス……今の人……やっぱり……」

ほぼ確信に近いものを感じて、ポーラは小刻みに震えながらネスに声を掛ける。すると、彼は強張った顔でゆっくりと頷いた。

「君も感じたんだね?」

「ええ」

「だとしたら、やっぱりあの人がゾンビの味方なんだな。という事はホテルの中は……よし!」

「ネ、ネス!?」

やにわに自分を置いて走り出したネスに、ポーラは叫ぶ。しかし、それで彼が足を止める事はなかった。

「ポーラはここにいて! ちょっと偵察してくる! すぐ戻るから!」

「ネス!」

一瞬だけ振り返り早口でそう告げたネスに、ポーラは再度呼び止めの叫びを発する。けれども、彼はもう振り返る事はなく、ホテルへと駆けこんでいってしまった。

「ネス……」

ポーラは両手を胸の前で握りしめつつ、不安に彩られた声で呟く。

それは置いていかれ、一人になってしまった事による不安ではない。もしかしたら敵陣の真っ只中かもしれない所に突っ込んでいった、ネスの安否を思っての不安だった。

――もう、無茶しないでほしいのに……でもお願い、無事で戻ってきて。

どうしようもなく胸がしめつけられ、ポーラは眼を瞑り祈り始める。

――――その為、彼女は自分のすぐ後ろにあった茂みが、不自然に揺れている事に気づけなかった。

 

 

 

 

 

 

 

――っ……おかしい。このホテル、絶対おかしい。

女性を追ってホテル内へと入ったネスは、明らかに異様な雰囲気の内部にたじろぎ、立ち止まってしまった。

営業中にもかかわらず従業員は勿論、客の姿が一人も見当たらないのだ。誰もいない空間の中、調子の外れた曲が流れている。変に照明が明るい分、かえって不気味だ。

――もしかして、このホテルはゾンビの基地か何かなのか?……っ!? いた!

キョロキョロと周囲を見渡していたネスは、客室フロアへと歩いていく女性を見つける。彼女はそのまま、一番奥の客室の中へ入っていった。

慌ててネスはその客室へと走り、ドアの前で上がった息を整える。そしてバットを握りしめつつ、一見すると何の変哲もないドアを見つめた。

特に何かを感じるというわけではない。けれども何故か額や背中に冷たい汗が浮かんできて、彼は小さく被りを振った。

――罠……なのかな? でも、そうだとしても、ここまで引き下がれない。

意を決したネスは、大きく深呼吸した後に、勢いよくドアノブに手を掛け、そのまま乱暴にドアを開けた。

すると次の瞬間、崩れ落ちた身体からあばら骨を覗かせた、おぞましい犬の大群が襲い掛かってきた。

「うわああっっ!?」

悲鳴を上げたネスは反射的にバットを振るう。しかし、そんな我武者羅な攻撃で対処できる筈もなく、数匹は吹っ飛ばしたものの残った犬達に全身を噛まれた。

鋭い痛みと腐臭に、ネスは呻き声と共に顔を顰め、必死で身体を動かしてゾンビドッグ達を振り払おうとする。と、そんな彼の耳に、おぞましい声が飛び込んできた。

「ウヴォオオ……」

「アヴァアア……」

「っ!?」

ハッとして眼を開けたネスは、両手を突き出しながらゆっくりとこちらに近づいてくるゾンビ達の姿に戦慄する。更にそのゾンビ達の奥には、あの女が笑みを浮かべて立っていた。

「や、やっぱり、お前は……!」

「ええ、その通り。私はゾンビ達のお仲間よ。むざむざ殺されるくらいなら、人間を裏切ってでも生きるのが正解でしょう?……それにしても、バカな子ね。大人しくしていればもう少し長生きできたでしょうに。自分からこいつらの餌になりにくるなんて」

「く……誰が餌なんかに……!」

「あらあら勇ましいこと。でも、そんな事を言うのはその犬達を追い払ってからにしたら?」

「う……ぐ……!」

完全にバカにしている女に、ネスは歯噛みする。だが、そうしている間にもゾンビドッグ達はジワジワと彼の身体に牙を食い込ませていく。

更には先程吹っ飛ばした奴らも起き上がり始め、ゾンビ達と共にジリジリ迫りつつあった。正直、かなり絶望的な状況である。

しかし、だからといって諦めるような真似をするネスではない。彼は一か八かの大博打に打って出た。

「……うああああっっ!!」

一瞬の精神集中の後、ネスは雄叫びと共に渾身の力で両手を振り上げる。それでも尚、数匹のゾンビドッグ達が腕に噛みついていたが、彼は構わずに両手を前に突き出した。

その途端、鮮やかな七色の光がネスの両手を包む。彼の必殺技“ドラグーン”の輝きだ。

けれども、今回の光はこれまでよりも遥かに大きく鮮やかなものだった。その光を見て、今まで不敵な笑みを浮かべていた女の表情が強張る。

「な、なに!?」

「“PKドラグーン……β”!!」

ネスが叫んだ刹那、彼の両手から七色の光が弾け飛び、部屋一面を飛び回る。そして、次々とゾンビドッグやゾンビ達へと降り注ぎ、最後に空間の中心へと結集すると爆発する。

これまで彼が使っていた“PKドラグーンα”とは、桁違いのPSIだった。その爆発はゾンビ達は勿論、女やネス自身をも巻き込む程に巨大で、破壊力があった。

吹っ飛ばされる直前、咄嗟にネスは両腕で顔を覆ったが、それも気休め程度にしかならず、激痛と共に壁へと叩きつけられる。

頭を強く打ち、酷い眩暈を起こしながらもネスは立ち上がり周囲を見渡すと、床一面にゾンビ達の残骸が散乱していた。そしてその中で、あの女が傷ついた状態で倒れていた。

「う……うう……」

呻き声を発するところからして、どうやら死んではいないらしい。それを察して、ネスは内心安堵した。いくら敵とはいえ人間を、それも女の人を殺すのは忍びない。

それに、色々と訊きたい事も沢山あるのだ。とりあえず安全な所へと運び、最低限の治療をした後、尋問するのが得策だろう。そう思いながら、ネスがヨロヨロと女に近づこうとした時だった。

突然、彼は頭上で花火が炸裂するような感覚に陥る。一体何事かと彼が思うよりも先に、ゆっくりとその身体は倒れ、やがて意識が遠のいていく。

――……う。仲間の娘の方を……間一髪……。

――それにし……危険……。でも、上手くやれ……私達の……。

――とりあ……墓場の……地下……。

その間際、そんな女の声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

「……う……」

どれくらいの時間が流れたのか、ネスは不意に意識を取り戻す。

徐に眼を開き、両手に力を込めて起き上がろうとした瞬間、彼は自身の異変に気付いた。

頭がグラグラと揺れ、その度に鈍い痛みと眩暈が襲い掛かる。その上、どうやら熱もあるようで、思わずネスは再び地面へと倒れる。

しかし、暫くしてやっとの思いで身体を起こすと、自分が今何処にいるのかと周囲を見た。

――――無骨に突き出た岩壁。砂利の混じった地面。そして、狭い空間の中に一つだけ取り付けられている扉。

「地下室?……閉じ込められた?」

慌ててネスは立ち上がり扉へと近づこうとしたが、その途端にまた眩暈がして地面に両手をつく。

「な、なんでこんな眩暈が……それこの熱……まさか、風邪……?」

そう思ったネスは、すぐに“ヒーリング”を試みるが、肝心の精神集中が一向に出来ない。

バッドコンディションという事もあるだろうが、恐らくは先の“PKドラグーンβ”で精神力を使い果たしてしまったのだろう。

最早、治療が出来ないと悟ったネスは小さく舌打ちする。と、その時になって、ようやく彼は近くで倒れているポーラの存在に気付いた。

「っ!? ポーラ!? ポーラ! しっかり!」

「う……ん……」

何度か身体を揺すると、ポーラは小さな声を漏らしながら眼を開ける。

「あ……ネス……?」

「ポーラ、大丈夫?」

「え、ええ、なんとか……でも私……っ…そうだわ、貴方がホテルに入っていてすぐに、ゾンビ達に襲われて……それで……」

上半身を起こし、額に手を当てながら話すポーラの言葉を聞いて、ネスは朧気に覚えていた女の言葉を思い出す。

――そうか、あの時に僕を襲ったのは、ポーラを襲った奴ら……くそっ、完全に罠に嵌ってしまったのか!……あっ……。

自身の不甲斐なさに苛立ちを覚えたネスだが、その際に三度目の眩暈を感じた。今度はかなり強い眩暈で、彼は成す術もなくポーラの方へと倒れこむ。

「きゃっ!? ネ、ネス!? どうしたの、すごい熱よ!?」

「ち、ちょっと……風邪をひいたみたいだ……“ヒーリング”できれば良いんだけど……もう力が……」

「ネス! と、とにかく此処から出ないと!!……あの扉!!」

静かにネスを横たわらせたポーラが、慌てて扉へと向かう。だが、どうやら鍵が掛かっている様で、ネスの耳にはガチャガチャと不愉快な音が聞こえてくるだけだった。

「そんな、これじゃ出られない……私のPSIじゃ、この扉は壊せないし……」

「くう……“ドラグ―ン”が使えたら……うう……」

起き上がろうとした瞬間、強烈な不快感と熱が込み上げてきて、思わずネスは呻く。すると、すぐさまポーラが駆け寄ってきた。

「ネス! 大丈夫!?」

「へ、平気さ、これくらい……それより、早くここから出ないと……今はその方法を……」

「それは……でも……っ」

「?……ポーラ?」

不意に息を呑んだポーラにネスが訊ねると、彼女は中空を見上げつつ独り言のように呟く。

「感じた……」

「え?」

「三人目の仲間……もしかしたら……ううん、今はそれしかない……」

小さく被りを振った後、ポーラはその場に座り込むと、両手を胸の前で合わせる。

そして、静かに眼を閉じると、まるで神へと祈るような口振りで言葉を並べた。

「まだ会ったことのない仲間に呼びかけます。そう、私達の仲間…………ジェフ、貴方に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

inserted by FC2 system