〜エピソード15〜

 

 

 

 

 

――――ウィンターズ・スノーウッド寄宿舎。

「……眠れないな」

ベッドで横になり天井を見上げていたジェフは、そう呟いた後、上半身を起こす。そして隣のナイトテーブルに置いてあった眼鏡を掛けると、軽く嘆息した。

「全然、眠気がしないや。時々あるんだよな、こういう夜が。まあ、別に明日は早く起きなきゃいけない訳じゃないから、夜更かししても問題ないんだけど」

そんな独り言と共に、ふと横のベッドを見てみると、ルームメイトのトニーが幸せそうな笑顔で眠っている。

時折甘い声で「ジェフ〜」などと言っているのが気になるが、この状態なら別段害があるというわけではない。話し相手になってもらおうかと思ったが、このまま眠らせておいた方が良いだろう。

苦笑と共にそう判断したジェフは、暇つぶしにと枕の隣に置いてある一冊の本を手に取る。表紙に“超能力入門書”と書かれているその本は、少し前からの彼の愛読書だ。

読み始めてから結構経つが、本自体が分厚い上に内容も濃く、ようやっと全体の半分を読み終えたところだ。ジェフはナイトライトをつけた後、栞を挟んであるページを開き、そこに眼を落とす。

――次は“テレパシー”か。“サイコキネシス”や“バイロキネシス”に比べたら、メジャーな超能力だよな。僕でも聞いた事があるし。でも、実際どんな感じなんだろうな……?

心の中で自問しつつ、ジェフは書かれている文字を追い続ける。

――『頭の中で直接声が響き、その声には強く惹きつけられる力がある』……か。だけど、いきなりそんな声が聞こえたら、戸惑いと恐怖を覚えるのが正常な反応だと思うけど。

訝し気に眉を顰め、ページをめくろうとした時だった。

『……ジェフ……』

「えっ?」

何処からか聞こえた自分の名を呼ぶ声に、ジェフは弾かれたように本から顔を上げる。

最初、彼はまたルームメイトの寝言かと思い隣を見てみたが、トニーは穏やかな寝息を立てている。それに、一瞬だったために良く分からなかったが、トニーの声ではなかった気がした。

――――そう、さっきの声は恐らく…………。

「女子の声……だった気が……でも……いや、まさかな……」

脳裏に浮かんだ突拍子もない考えに、思わずジェフは苦笑した。

まさか、あれこそが“テレパシー”などと考えるのは、あまりにも都合が良すぎる。そう思ったからだ。

「これは疲れてるな、大分。眠気はしないけど、脳が睡眠を要求してるんだろう、きっと。……っ……仕方ない、寝るか」

彼は本を置き、眼鏡を外し、ライトを消すとベッドに横たわり、捲っていたシーツを掛け直して睡眠の体勢に入る。

けれども、いざ寝ようと眼を瞑った時にまたしても、そして今度はハッキリと先程の声が聞こえてきた。

『ジェフ……あなたの助けが欲しい……』

「っ!?」

最早、気のせいと片付ける事は出来なかった。そして、認めざるを得なかった。

――――この頭の中に直接響いてくる、鈴が鳴るような、透き通った可愛らしい声。これこそがまさに“テレパシー”なのだと。

無造作に起き上がり、眼鏡を掛け直したジェフに、姿無き声が続ける。

『私はポーラ、そしてもう一人、ネス……あなたに呼びかけています。この呼びかけが聞こえたら……南……そう、南に向かって出発してください。遠くにいる貴方だけが私達を救えるのよ、ジェフ……どうか、この声を信じて、起き上がって歩き出して。すぐに南に……そして私達の所に……お願い、ジェフ! まだ会った事のない……掛け替えのない……仲間……!』

最初は冷静だった声が感極まった様に叫んだところで、“テレパシー”は終わる。

聴き終えたジェフは暫らく呆然としていたが、やがて意を決したように腰を上げた。

「これは行くしかないよな、やっぱり」

「……ジェフ?」

先程までの寝言とは違い、明確にこちらに訊ねている調子のトニーの声に、ジェフは振り向く。すると起きたばかりらしく、眼を擦っているトニーの姿があった。

「あ、悪いトニー。起こしたか?」

「ううん、別に良いよ。……それよりジェフ、行くしかないって、何の事?」

「え? あ、別に……いや、君になら話していいか。分かってくれそうだし」

「僕になら? 何? 何なの一体!?」

変な解釈をしたのか、トニーは飛び起きると同時に眼を輝かせてジェフへと近づいてくる。そんな彼から後退り一定の距離を保ちながら、ジェフは冷や汗を流しつつ口を開いた。

「ほ、ほら、僕が前からこれを読んでるのは知ってるだろ?」

「ああ、“超能力入門書”? うん、随分熱心に読んでたよね? で、それが?」

「っ……自分でも信じられないんだけど、聞こえたのさ。“テレパシー”が」

「ええっ!?」

トニーが素っ頓狂な声を上げ、直後慌てて口を塞ぐ。とっくに消灯時間を過ぎている今、騒いでいるのが見つかったら面倒だからだ。

ジェフも不安な様子で部屋のドアを暫く眺めていたが、誰もやってくる様子は無い。どうやら気付かれずにすんだらしい。

「ふう、良かった。トニー、頼むから夜中に大声出さないでくれよ。見つかったら、大事だ」

「ゴ、ゴメン。でも僕、びっくりして……“テレパシー”が聞こえたのって、本当なの? 気のせいじゃないの?」

「そうと片付けるには、あまりにもハッキリと聞こえるんだ。これはもう、無視できるものじゃない」

「そう……なんだ。で、その“テレパシー”は、何を君に伝えてるの?」

「助けて欲しいって言ってた。だから、南に向かってくれって」

「南?……あっ! ここから南って言えば、確かアンドーナツ博士の……君のパパの研究所があるよね? もしかして、そこに行けって事なの?」

「っ!……そうか、そう考えるのが筋かもな」

ジェフは息を呑んだ後、腕組みをして考え込む。トニーが口にした仮説の信憑性が高かったからだ。

――――アンドーナツ博士。アインシュタインやハイゼンベルグ以上の科学者と評される、ジェフの父親。

彼はこのスノーウッド寄宿舎から遥か南、タス湖と呼ばれる湖を超えた先の土地に研究所を構えている。“テレパシー”が示していた目的地として、十分可能性のある場所だ。

というよりも、此処よりも南で人が住んでいる所といったら、そこぐらいしかない。ジェフはほぼ確信めいた気持ちで、朧げな父親の顔を思い浮かべた。

――パ……いや、博士と前に会ったのは……十年ぐらい前か。……ふっ、僕のこと覚えてるかな、あの人?

科学者としての性か、アンドーナツ博士は研究及び開発以外の事には殆ど興味が無く、当然ながら家族団欒の思い出などジェフにはない。

彼自身、博士の事は父親というよりも偉大な科学者として見ているし、これまで数える程しかなかった顔を合わせた時も、そういう風に思って接していた。

そして、それは恐らく向こうも同じだろう。ましてや、最後に会った時、こちらはまだ眼鏡を掛けていなかった。説明しても、息子だと分かるかどうか疑わしい。

「………まっ、どっちでもいいか」

「何の事?」

「気にしないでくれ、何でもない。……さて、これで一応の目的地はハッキリしたな。僕、とにかくアンドーナツ博士の所に行ってみるよ」

「ええっ!? ジェフ、本気!? だって、アンドーナツ博士の研究所まで、ここから凄く遠いんだよ? タス湖を渡らなきゃいけないし、それに最近動物が凶暴になってて危険だって……」

「分かってる。でも……行かなきゃいけない。そんな気がするんだ」

トニーの言葉を遮り、ジェフは自身の意思を伝える。あの“テレパシー”の切実な声。あれが嘘や出鱈目だなどとは、彼にはどうしても思えなかった。

それに、これ程までに不確定要素の多い事象を放っておくのは、科学者の端くれとして気が済まない。

謎めいた事は全て解き明かしたいという知的探求心。科学者なら誰もが持っているその心は、無論ジェフにもあるのだ。

「よし、そうと決まればすぐに出発だ。規則破りは気が引けるけど、説明したところで通るわけもないしな。明るくなってからじゃ、出発するのも一苦労だ。トニー、悪いけど上手く誤魔化しといてくれ」

「ま、待ってよ、ジェフ。行くのは良いけど、その前に準備はしとかなきゃ。まさか手ぶらで行くつもりじゃないよね?」

「え? ああ、そりゃあ……でも、特に持っていかなきゃいけない物なんてないだろ?……あ、食糧はいるか」

「でしょ? 他にも使えそうな物は持って行った方が良いと思うし、僕も手伝うから一緒に準備しようよ。……そうそう、ガウス先輩にも相談してみたら?」

「ガウス先輩?……そうだな。あの人なら、話を聞いてくれそうだ」

先輩の中で、一際優秀且つ懐の深いガウスの顔を思い浮かべながら、ジェフはトニーに相槌を打つ。

するとトニーは笑顔で頷くと、ベッドから飛び降りた。

「よっと! じゃあ、ジェフ。僕、先にガウス先輩に事情を話して、それから色々と準備してるから」

「え? あ、おい、トニー」

「君も早く着替えてきてね!

そう言い残すと、トニーはさっさと部屋を出て行ってしまった。その後ろ姿を見送った後、ジェフは思わず苦笑する。

「ったく。何であんなに張り切ってんだか。出かけるのは僕なのにさ」

――ああいうところは、嫌いじゃないんだけどな。

心の中でそう付け加えた後、彼はベッドから降りて着替え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

着替えを済ませたジェフが部屋の外に出ると、廊下の隅に設けられている談話スペースにいた生徒達が、彼に気付いて近づいてきた。

「おお、ジェフ。さっきトニーが言ってたけど、野暮用でアンドーナツ博士に会いに行くって本当か?」

「え?……ああ、まあね。ちょっと色々と訊きたい事があってさ」

“テレパシー”の事を上手く誤魔化して話してくれたらしいトニーに内心感謝しつつ、ジェフはそう返す。

「ふうん。まあ、お前の事だから、また一際難しい理論とか発明とかの事なんだろうな」

「けど、なんだってこんな時間に出かけるんだ? 朝になってから行けば……」

「バカ。ここのルール上、そんなの無理に決まってるだろ。いわばお忍びの外出って奴だよ。だよな、ジェフ?」

「そうなるかな。……ところでトニーは? なんか準備を手伝ってくれるとか言ってたんだけど」

「あいつなら、さっきから彼方此方行き来してるぜ。多分、その準備をしてるんだろうよ。……おっと、そのトニーから伝言があったんだ。『ガウス先輩に話しといたから、会うと良いよ』だとさ」

「そっか。うん、了解。じゃあ、みんな……えっと、もしかしたら、暫く帰れなくなるしれないけど、元気でね」

「おっ、何だよ? ひょっとして博士と一緒にとんでもない物を開発しようってか?……まあ、いいや。分かった。そのつもりでいるよ」

「凄いのが出来たら、僕達にも見せてよね」

「そうそう。研究の成果はみんなに披露するのがお約束だろ?」

「あはは……分かってるって。それじゃ」

仲間達との離別を終え、ジェフは寄宿舎の一階へと降りる。 

そして、階段近くの部屋――ガウスの研究室のドアを開けた。ノックや声掛けは必要ない。

この寄宿舎に住む人間は研究や発明に没頭する事が多く、そうなるとノックしようが声を掛けようが来訪者に気付かないのが常だからだ。

「おお、ジェフ。トニーから聞いたぞ。なんでも“テレパシー”ってのを受信したそうじゃないか。詳しく聞かせてくれよ」

案の定、ガウスは無作法なジェフの来訪に機嫌を損ねる事もなく迎え入れた。

差し出されたコーヒーを飲みながらジェフが事のあらましを言うと、ガウスは興味深そうに何度も頷きつつ唸る。

「う〜ん、それは確かに正真正銘の“テレパシー”みたいだな」

「あれ? ガウス先輩って、超能力を信じる口だったんですか?」

「俺は見た事も無いものを信じるような柄じゃないさ。だが、逆に見た事も無いものを最初から否定する気もない。それにお前が嘘や冗談で、こんな話をするとは思えないしな」

「っ……ありがとうございます」

「おいおい。礼を言うもんじゃないだろ? まあ、お前らしいと言えばらしいが……っと、そうだった。お前に渡したい物があるんだ」

「渡したい物?」

「ああ、俺からの餞別だ。受け取れ」

言いつつガウスはテーブルの引き出しから小型の機械を取り出し、ジェフに手渡した。

テレビのリモコンの様な形状をし、その先端から細いコードが伸びている。見るからに奇妙なその機械をしげしげと眺めながら、ジェフは口を開いた。

「なんですか、これ?」

「いや、なに、トニーから話を聞いた時、相当な遠出になると思ってな。そうなったら必要になるんじゃないかと作ってみたんだ。これを使えば、簡単な鍵なら開ける事が出来る筈だ。名前は……そうだな、“ちょっとカギマシン”ってのはどうだ?」

「……相変わらず、発明のセンスとネーミングセンスに天地の差がありますね、先輩」

苦笑交じりにジェフがそう言うと、ガウスは「余計なお世話だ」と彼を軽く小突く。そして、「それともう一つ」と言いながら立ち上がり、部屋の隅にあったロッカーを開けた。

その中から小型の銃を取り出したガウスは、それをジェフへと放り投げる。慌てて受け止めたジェフは、怪訝そうに言った、

「この銃は?」

「試作型の護身用銃“バンバンガン”だ。最近、動物達が凶暴になってるって話は知ってるだろ? 手ぶらじゃ危険だから、とりあえず持っていけ。確かお前、射撃には自信あっただろ?」

「え、ええ、少しなら。でも、良いんですか?」

「構わないさ。俺が持ってても役に立たないしな。『道具は使うべき者が持ってこそ』……そうだろ?」

「っ……そうですね。分かりました、この“ちょっとカギマシン”と“バンバンガン”、ありがたく頂きま……」

「ジェフ〜! そっちの準備は終わったかい!」

頭を下げかけたジェフの言葉を遮り、トニーが勢いよくドアを開けながら部屋に入ってきた。その手には、結構な大きさの包みを抱えている。おそらく、彼が準備した物が入っているのだろう。

「ト、トニー……えっと、僕の方は終わったけど……そっちも終わったのかい?」

「うん! ちょっと時間がかかったけどね。じゃあ、ジェフ! 見送りするから門で待ってるよ。すぐに来てね!」

今ここで渡せば良いものを、トニーはそれだけ言うとさっさと部屋を出て行ってしまった。

相も変わらず突飛な行動をするルームメイトに、ジェフの口から自然と溜息が漏れる。と、そんな彼の肩を、ガウスが軽く叩いた。

「お前も色々と苦労してるな。まあ、あいつも悪い奴じゃないから、少しは大目に見てやれ。……まさかとは思うが、直接迫られたりはしてないんだろ?」

「タチの悪い冗談はやめてください。縁起でもない」

なるべく考えないようにしている事を指摘されたジェフは、鳥肌を立ちながらそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

寄宿舎の外に出ると、中とは打って変わって冷たい空気が漂っていた。最近、殆ど外出していなかったジェフは、思わず身震いしてしまう。

それでも風が吹いていない分、この時期にしてはマシな寒さだ。程無く身体が寒さに慣れてくるのを感じながら、彼は入り口の門へと進む。

当然、そこには先に出ていたトニーが立っている。彼はジェフの姿を見つけると、いそいそと近づいてきた。

「ジェフ! いよいよ出発だね! 大丈夫? 忘れ物は無い? ちゃんとトイレ行った?」

「おいおい、君は僕の保護者か? そんなに心配しなくても平気さ。ガウス先輩から色々と餞別も貰ったしな」

「あ、そうなんだ。おっと、忘れる所だった。僕からもこれ……受け取って」

そう言いつつ、トニーは持っていた包みをジェフに手渡す。かなりの重量があるそれを受け取ったジェフは、軽くよろめきながらトニーに訊ねた。

「け、結構重いな。一体、何が入ってるんだ?」

「食べ物だよ。あんまり沢山は入ってないけど、アンドーナツ博士の所までなら、十分な量だと思う。後、何かに使えそうなガラクタとかパーツとかも入れてある。君ならきっと、武器とかに作り上げる事が出来ると思うよ」

「成程、どっちも役に立ちそうだな。サンキュー、トニー。さて、残る問題はこの門だけど……あっ、そうか。早速これの出番って訳か」

ジェフは先程ガウスから貰った“ちょっとカギマシン”を取り出すと、門の南京錠にその先端のコードを差し込む。

そして程無くモニターに表示された指示通りにボタンを押すと、ガチャリという音と共に南京錠が外れた。

「うわ、凄い。それって、ガウス先輩から貰ったものでしょ?」

「ああ。全く大した代物だぜ……流石はガウス先輩だな」

改めてガウスの優秀さを実感しつつ、ジェフは“ちょっとカギマシン”をしまう。そして静かに門を開けて外に出ると、また静かに門を閉めつつトニーに言った。

「じゃあ、トニー。この鍵の事も含めて、後は上手く誤魔化してくれよ」

「うん、分かってる。全部僕に任せて、君は君のしたい事をして。……でも……」

そこで一旦言葉を切り、トニーは眼を伏せる。ややあって再び開かれた両眼には、僅かに涙が滲んでいた。

「絶対……絶対……帰ってきてよね。僕、ずっと待ってるから」

「あ、ああ……分かってるって」

またいつもの妙なモードに入ったトニーに、ジェフは若干引き攣った笑みと共に頷く。

するとトニーは、乱暴に腕で涙を拭い、泣き笑いのような表情で言った。

「じゃあ、とりあえず……さよなら。どんなに離れていても、僕らずっと親友だぜ!」

「……ああ!」

少し変わった、けれども確かな気遣いが込められたトニーの言葉に、ジェフは力強く頷き返した。

そして彼に背を向けると、柄にも無く走り出してスノーウッド寄宿舎を後にする。そんなジェフの胸には、奇妙な高揚感があった。

――謎の声に導かれて旅立つ……か。本当、事実は小説より奇なりだな。

そう思い、本日何度目になるか分からない苦笑を漏らすが、何故だかそれすらも心地よい。生まれて初めて感じる不思議な感情に突き動かされるように、ジェフは只管雪原を駆けて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

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