〜エピソード27〜
「あら? ネス、何処に行ったのかしら?」
買い物を終えたポーラは、周囲を見渡しながら声を漏らす。つい先程まで隣のアクセサリーショップにいたはずのネスが、いつの間にかいなくなってしまっていた。
暫く歩き回ってみたが、何処にも彼の姿は無い。どうやら、違う場所へと移動したようだった。
――もう、ネスってば。離れるなら一言くらい声を掛け……る義理もないわね。別にずっと一緒に行動しようって約束してた訳でもないし。
ポーラが心の中でそう呟きながら、ネスが先程までいたアクセサリーショップをもう一度眺める。
家族へのお土産を買うと彼は言っていた。となると、既にお目当ての品は見つかったのだろう。そして用は済んだとばかりに、さっさと他の場所へと移動したというところだろうか。
「お土産、か」
ポツリと呟いたポーラは不意に胸の痛みを感じ、思わず片手で胸元を押さえる。
突然の痛みだが、原因が分かっていた彼女は自嘲の溜息をついた。
「私へのお土産……なんて、ないわよね。ただの仲間なんだし」
そう言い終えた瞬間、昨日のビーナスとネスの遣り取りがフラッシュバックし、ポーラは被りを振った。
――しっかりしなきゃ。ネスとも昨日からどことなく気まずいままだし、このままじゃいけないわ。
自分を叱咤しつつ、彼女は一先ず集合場所へ向かおうと歩き出した。が、次の瞬間、長い付き合いである感覚が全身を駆け抜ける。
「っ!? これは……」
ポーラが悲鳴交じりの声を上げた途端、いきなり周囲が闇に包まれた。それに対して驚くよりも先に、彼女は背後から何者かが迫ってくるのを感じる。
反射的に後ろへと振り返ったポーラは、闇の中から何かが自分へと伸びてくるのを感じた直後、意識を途絶えさせてしまった。
停電。突如として起こったそれは、デパート全体に渡るものだった。
ポーラへのプレゼントを購入し終え、とりあえず彼女の元へと戻ろうとしたネスも、突然の暗闇に驚き立ち止まる。
「え? え? て、停電!? な、なんで急に……」
周囲からは客や従業員のどよめきが聞こえ、嫌でも彼を不安な気持ちにさせる。
と、暫くして非常灯が照らされ、ある程度周りの様子が確認できるようになった。
困惑している客達が各々不安や苛立ちを口にし、それを従業員達が宥めている。少しの間、ぼんやりとその光景を眺めていたネスだったが、やがて仲間達の事を思い出すと我に返った。
とにかく二人と合流しようと駆け出した彼の耳に、この状況に不釣り合いな明るいチャイムが飛び込んでくる。それは店内アナウンスだった。
『お呼び出しを申し上げます。オネットからお越しのネス様。オネットからお越しのネス様……』
「!?」
明確に指名されているアナウンスに、ネスは驚愕で眼を見開く。
『お友達のポーラ様が、四階の事務所でお待ちです。至急、四階の事務所までお越しください。繰り返します、オネットからお越しのネス様、お友達のポーラ様がお待ちです。至急、四階の事務所までお越しください……クケッ』
抑揚の無い無機質な声。だが、最後に小さくだがハッキリと聞こえた嘲笑に、ネスの直感が危険を告げる。
――――これは単なる店内呼び出しではない。ポーラの身に何かが起こっている。
そう判断した瞬間、ネスの全身の血が沸騰する。そして次の瞬間、彼は本能の赴くまま、四階へと駆け出していった。
一方、他所でネスと同じくアナウンスを聞いていたジェフもまた、ポーラの身を案じて四階を目指していた。
「なんだよ、今の店内放送は!?……くそっ、ネスと合流するより、僕も事務所を目指した方が早いか……!?」
悪態をつきながらも、彼は非常灯のみの薄暗いデパート内を走る。
当然と言うべきかエレベーターは稼働しておらず、仕方なく停止したままのエスカレーターを階段の様に駆けあがるしかなかった。運動があまり得意でないジェフには、かなり酷である。
だが、今はそんな事を気にしていられる状況ではない。息を切らしながら懸命に走り続ける彼の耳に、再び店内放送が聞こえてきた。
『ネス様、ネス様、御早く四階の事務所までお越しください。ポーラ様の所へとお急ぎください、クケケケケケ……』
先程とは異なり、嘲笑を隠そうともしない声の主。それがジェフに更なる焦りを生む。
「はあ、はあ……まだネスも辿り着いてないのか……はあ、はあ……」
とうとう限界を感じた彼は、三階へとやってきたところで少しだけ足を止めて休憩する。正直、自分でも情けなくなる体力の無さだが、今ここでボヤいてもしかたない。
荒くなった息を整えつつ、ジェフは何気なく周囲を見渡した。
どうやらこの辺りは音楽関係のショップらしく、多種多様の楽器や音響機器が陳列されている。今は停電であるため静寂に包まれているが、おそらく平常時は賑やかな空間なのだろう。
「リラックスできる曲でも聞きたかったんだけどな……って、そんなこと言ってる場合じゃないか」
皮肉を言いながら、彼が再び走り出そうとした時だった。
ふと彼の耳に、ゴソゴソという物音が聞こえる。それ程大きな音ではなかったが、この静けさの中では嫌でも注意を引くものであった。
だが、その音の出所が分からない。何か嫌のものを感じたジェフは、顔を顰めながら彼方此方に視線を飛ばす。
その間も、先程の物音が聞こえ続けている。明らかに不自然なその音に向けて、彼は苛立たしく毒づいた。
「ったく、なんなんだよ! 誰かいるのか!? なら、出てきたらどうだ!?」
瞬間、聞こえ続けていた物音がピタリと止む。それに虚を突かれたジェフが、訝し気に眉をひそめた時だった。
陳列されていたエレキギターが、突然意思を持ったかのように飛び跳ねる。その隣で、同じく並べられていたレコードの束がマジックのように宙を舞った。
あまりに奇怪な出来事に唖然とした彼の眼前で、更に驚くべき事が展開される。
エレキギターとレコード達は、まるでジェフの行く手を遮るかのように彼の前に立ち塞がる。そんな奴らには、どういう仕組みなのかハッキリ眼と分かるものがついてあった。
驚愕の連続に狼狽を否定できないジェフであったが、それでも冷静に“ある事実”を認識して呟く。
「敵……ってことだよな」
その言葉に、連中は明確に敵意を示す。少なくとも、ジェフはそう感じた。だからこそ彼は、徐に銃を構えた。
「だったら、全力で払いのける!!」
「ネス様、ネス様、どうかお急ぎください。クケックケッ」
デパート四階の事務所で、ある人物が店内放送用マイクに向けてしゃべっていた。
いや、“ある人物”と表現するのは間違っているかもしれない。明らかにそれは、人外の形をしたモンスターであった。
下半身に無数の触手を生やし、それらの内の二本を使ってマイクを握っている。ニタニタと笑う顔の中心に大きな一つ眼があり、頭から伸びた二つの触覚にもまた、小さな眼が存在していた。
「クケッ、クケッ、ネス様、ネス様、このままではポーラ様が……クケケケケッ」
「ふん、見た目通り訳の分かんねえ奴だぜ。そんな挑発する意味あんのかよ?」
不意に聞こえた声に、モンスターは放送を止めて後ろへと振り返る。
「クケッ、これはこれはポーキー様。お早いご到着で」
「挨拶なんか良い。で? 上手くいったんだろうな?」
「ケケケケッ、それはもう。ほら、ご覧ください」
笑いながらモンスターが、触手で室内の端にあるソファーを指し示す。そこにはぐったりとした様子で倒れている、ポーラの姿があった。
それを確認したポーキーは、ゆっくりと彼女に近づきながら呟く。
「へえ、首尾よくやったじゃないか。今頃さぞ慌ててるだろうな、ネスの奴は」
「クケケ、お悦び頂けたようでなによりです。それで、その娘はどうするつもりです? あ、お楽しみですか?」
「バーカ、くだらねえこと言ってんじゃねえ。こいつは、ネスを苦しめるための道具だ。暫くは有効活用させてもらうさ」
「クケ? 有効活用?」
「そうだ。まあとりあえず、モノトリーのじいさんの所にでも運ぶか。俺の傍に置いておくと、感づかれる危険もあるからな。手筈通り、ネスの相手は任せるぞ」
「クケッ、クケッ、勿論です。……そうそう確認します。倒してしまっても構わないんでしたね?」
「ああ、出来るんならな。精々頑張れよ」
侮蔑を含んだ笑みと共にポーキーはそう言うと、ポーラを抱き上げる。するとその直後、まるで魔法のようにその場から消えてしまった。
一人になったモンスターは、先程までとは打って変わって不愉快そうに顔を顰めながら独りごちる。
「チ、全く気に入らない子供だ。なんだってあんな奴をギ―……」
その時だった。乱暴にドアが開かれる音が響き渡る。しかし、モンスターは少しも慌てることなく、ドアの方へと振り返った。
すると予想通り、そこには赤い帽子を被りバットを握った少年――ネスの姿があった。
軽く乱れた呼吸を繰り返している彼の身体には、至る所に生々しい傷跡がある。どうやら此処に来るまでに、こちらが用意していた“玩具”にたっぷりと可愛がられたようだ。
そう判断したモンスターは、自然と零れる笑みを隠そうともせず、また店内放送のように本性を偽ることもせず、ネスに言う。
「クケックケックック……よくここまで辿りついたな。道中の俺の考えたアトラクションはどうだった?」
「……あのわけのわからないガラクタのこと?」
無表情のまま、ネスが低い声でそう訊ねる。そんな彼の態度に、モンスターは少しだけ違和感を覚えた。
ポーキーから受けた報告に鑑みて、もっと怒りを露わにしてやってくると思っていたのだが、妙に冷静な印象を受ける。
しかし、すぐに取るに足りないことだと判断したモンスターは、相変わらずニヤニヤ笑いながらネスの問いに答えた。
「ああ。その様子だと、随分と苦戦したようだな? そのままくたばっていた方が幸せだったかもしれないぞ? 苦しまずに済んだんだからな」
「そんなことより、ポーラは何処?」
こちらの挑発を聞こうともせず、ネスは短くそう訊ねる。勿論、それに対して答えてやる義理はない。
「クケックケッ、お前が知ったところで意味はない。このデパートがお前の墓場になるんだからな。クケッ、死んで地獄へ……いや、天国へ行け!!」
叫びながら、モンスターは触手の先から炎を放つ。放射された炎は真っ直ぐにネスへと飛び、一瞬の内にその身体を包み込んだ。
その様を眺めながら、モンスターは拍子抜けした気分になる。流石にこんなバカ正直な攻撃は回避するだろうと踏んでいたのだが、どうやら過大評価だったらしい。
最早勝利を確信したモンスターは、下品に顔を歪めつつ盛大に笑い出した。
「クケケケケッ! なんだ、全然大した事ないじゃないか。もう少し楽しませ……ん?」
ネスを包み込んでいた炎が消えていくのに気づいたモンスターは、不意に笑みを消す。そして、その中からネスが生きたまま姿を現した事に、動揺を露わにした。
「クケッ!?」
衣服の所々が焦げ付き、いくつかの火傷こそ負っているものの、しっかりと立ってこちらを睨みつけている彼は、とても致命傷を負っているとは思えない。
勿論、手加減などした覚えはない。奴が”PSI”を使えるという事は知っているが、それを使った様子も見られなかった筈だ。
「……ポーラは何処?」
先程と同じセリフ。だが、先程よりも明らかに声が低い。それは奴の、隠しきれない怒りを表していた。
「ク、クケッ、少しはやるな……だが、これでどうだ!」
敵の危険性を察したモンスターは、今度は触手から強烈な冷気を放つ。先程の炎と同じく、それはネスの身体を包み込む筈だった。
だが、そうはならなかった。ネスは右手に蒼い光を纏わせると、その拳で冷気を乱暴に振り払ってみせる。
「クケケっ!? お、お前……」
「だから……」
手の内が全て効かず狼狽するモンスターの前で、ネスは両手に虹色の光を纏わせた。
「ポーラは何処って訊いてるんだ!!」
叫びながら突き出された彼の両手から、虹色の光が光線となって迸る。それらはモンスターを囲むように次々と重なり合ったかと思うと、幾つもの塊となり、連鎖するように爆発していった。
回避する事も防御する事も出来なかったモンスターは、身体を崩壊させつつ惨たらしい悲鳴を上げる。だが、その悲鳴すらもかき消す轟音が、暫くの間鳴り続けていた。
ギターやレコードのモンスター達のどうにか退け、やっとの思いで四階へと辿り着いたジェフは、凄まじい轟音を耳にして思わず竦みあがる。
それこそ爆弾が爆発したのかと思う程の大音響。ジェフは本能的な恐怖を感じながら、音の発生源を探した。
他の階と変わらず此処も非常灯のみで薄暗かったが、ざっと見たところ特に変わったところはない。
そう判断しかけた彼の眼に、一つのドアが飛び込んできた。そのドアの上部に『事務所』と書かれている札が辛うじて見える。
瞬間的にジェフは、先程の轟音は此処から聞こえてきたと判断した。銃を構えながら慎重にドアへ近くと、彼はそっと耳をドアに近づけて中の様子を探る。
しかし、暫く耳を澄ませていても何の音も聞こえてこない。そこでジェフは意を決してドアノブに手を掛け、勢いよくドアを開けて中へと飛び込むと同時に銃口を向けた。
だが、その次の瞬間、中の様子を認識した彼は唖然として銃を下げる。
「!?……こ、これは……?」
無意識に漏れてしまった呟きの声は、僅かに震えていた。
――――ゲップーには遠く及ぼないが十分に不快な悪臭が広がり、不気味にうごめいてるバラバラの肉塊。
それらの前で、こちらの背を向けたネスが静かに仁王立ちしていた。
「ネ、ネス……? 何があったんだ?」
恐る恐るジェフが声を掛けたものの、当のネスは聞こえていないのか微動だにしない。と、その時、例のアナウンスの声が聞こえてきた。
「お……俺を……倒しても……」
ハッとして声の出所を探ったジェフは、転がっている肉塊の一つ――大きな口がついている物に注意を向ける。
すると、その口から息も絶え絶えな、しかし何処か余裕のある声が発せられた。
「ギ、ギーグ様の……け…………い、今頃、ポーラは……モノトリーの……ククッ……」
「っ! そ、そうだ、ポーラは!? ポーラはどうしたんだ!? おい、ネス!?」
慌てて大事な事を思い出し、相変わらず背を向けたままのネスの方に手を掛けたジェフだが、次の瞬間に悲鳴を上げながら手を引っ込めた。
触れた彼の肩が、火傷する程の熱を持っていたからだ。
「ネ、ネス!? 君、一体……!?」
「クケッ……クケッ……クケケケケッ……!!」
断末魔、というには歓喜を感じる声を上げ、肉塊が爆発する。唖然としつつジェフがその様を見届けると、不意に照明がつき周囲が明るくなった。
と、まるでそれが合図であったかのようにネスの身体が傾き、派手に前方へと倒れこんだ。
「ネ、ネス! しっかりしてくれ! ネス!!」
呼びかけながら再び触れた彼の身体は、先程よりはマシなものの依然通常の体温ではない。
何が何だかわからず、ジェフはただネスの身体をさする事しか出来なかった。
「ネス! ネス! どうしたんだよ!? ネス!!」
――――程なく駆け付けた警備員に保護されるまで、そんなジェフの悲痛な叫びは事務室に木霊し続けていた。