〜エピソード28〜
ふと気が付くと、ネスは薄暗い空間に立っていた。
何故こんな所にいるのかと周囲を見渡すものの、何も見つけることが出来ない。
そして、どうしたことか身体が思うように動かない。痛みや苦しみは感じられず、なんとも不思議な状態であった。
(なんだ、これ?……それに此処は……何処?……あっ)
ふと視線を向けた先に、ポーラの後姿があった。思わず安堵したネスは彼女に声をかけようしたが、何故か声が出ない。
ならばとポーラに近づこうと思っても、中々足が前に進まない。
(くそ、なんで……ポーラ……ポーラ!!)
必死に叫ぶネスだったが、その叫びは声にならない。それでも何とかしてポーラに近づこうともがいていると、不意に背を向けていた彼女が振り返った。
薄暗い空間の筈なのに、ポーラの表情はハッキリを見える。彼女は、酷く悲しそうな顔をしていた。どうしてなのか分からず、ネスは一瞬動きを止める。
するとポーラは、小さく唇を動かした。声は聞こえない。だが、何故かネスは彼女が何と言っているのか理解することが出来た。
――――どうして、守ってくれなかったの?
(……!!)
言い終えた瞬間、ポーラの姿が徐々に闇に浸食されていく。焦りと恐怖に駆られたネスは無我夢中で彼女に近づこうとするが、相変わらず身体が動いてくれず、声も出ないままだった。
(ポーラ! 待って! ポーラ!……ポーラ!!)
声にならない叫びを空しく繰り返すネスの先で、ポーラの姿が消えていく。そして、とうとう完全に見えなくなった刹那、ようやく彼は叫ぶことが出来た。
「ポーラーーーー!!!!」
「っ!?……ったあ〜」
額を押さえながらネスが眼を開けると、間近に綺麗な床があった。どういう事かと身体を起こそうとした瞬間、全身の激しい疲労感と頭に鈍い痛みを覚える。
それらによってボンヤリとさせられた意識の中で、どうにか上半身を起こして周囲を見渡した彼は、ようやく自分が今何処にいるのかを知った。
「ホテル?……なんで僕、此処に?……さっきのは夢、だったのか?」
寝起きと身体の不調が相まって、ネスの記憶は混沌としたままだった。
深く考える気にもなれず、ただベッドから転げ落ちた状態で部屋の天井を見上げていると、ガチャリとドアが開かれる音が聞こえた。
「ネス!? どうしたんだよ、床でへたり込んで? 大丈夫か!?」
「……ジェフ……?」
呆然としたままで呟くネスに、ジェフは慌てた様子で近づくと、やにわに彼の額に手を当てる。
「ふう、どうやら平熱みたいだ。とりあえずは安心かな。身体の具合はどうだい?」
「身体の具合?……う〜ん、なんだか分からないけどすごく怠い。それに頭が……痛い」
「そっか。まあ熱が下がってるから、大事にはならないと思うけど……暫くは安静にしておいた方がいいかもな」
「うん……ねえ、ジェフ?」
「なんだい?」
「あのさ、どうして僕はホテルにいるの?」
やっと意識が覚醒し始めてきたネスは、予てよりの疑問を口にする。するとジェフは、数度眼を瞬かせた後、半分怯えたような声を出した。
「ネ、ネス……君、何も覚えてないのかい?」
「?……どういう事? 確か僕らってデパートに行ってたんじゃなかったっけ?」
「あ、ああ、そうさ。そのデパートで何が起こったのか、覚えてないのか?」
「え? デパートで何がって…………っ!!」
此処に来て、ようやくネスの脳裏に記憶が蘇ってくる。
――――急な停電。不気味なアナウンス。不気味なモンスター。そして姿を消したポーラ。
一気に眠気と怠さと痛みが吹っ飛んだ彼は、半ばパニックになりながらジェフに食って掛かった。
「ジ、ジェフ! ポーラは!? ポーラはどこ!? それにあいつは!? あいつはどうなったの!?」
「ちょ、お、落ち着いてくれって! どっちかっていったら、僕の方が色々君に訊きたいんだからな!」
襟元を掴んで詰め寄ってきたネスを押しやりつつ、ジェフはボヤく。
「え? 色々って?」
「色々は色々だよ。あのデパートの事務所で、一体何があったんだ? 僕が駆けつけてきた時には、得体のしれない化け物と思わしき奴の残骸と、異常に身体が熱い君がいただけだったぞ」
「化け物?……っ、そうか、あいつか。じ、じゃあ……じゃあ、ポーラは……?」
「お〜い、ネス。一人でブツブツ言ってないで、教えてくれって。あそこで何があったんだよ?」
「あ……うん、そうだね。といっても、上手く説明できるかどうか……」
戸惑いながらもネスは、訳の分からないガラクタを倒しながら事務所へと向かった事、そこで不気味なモンスターと出会い、そいつがアナウンスをしていた奴だった事を話した。
それらを静かに聞いていたジェフだったが、話がひと段落した所で首を傾げてみせる。
「じゃあ、やっぱりあいつを倒したのは君だったのか。一人でよく倒せたな。大した奴じゃなかったのか?」
「……分からない」
「……はい?」
力なく首を横に振ったネスに、ジェフは怪訝そうな顔を向けた。
「分からないって、どういう事だよ?」
「……分からないんだ。あいつと会った事は覚えてるんだけど、その時に何だか身体が熱くなって……そこからは何も覚えてない」
「身体が熱く?……確かにな、火傷するくらい熱かったぞ」
「そう……なの?」
「ああ、そうさ。まあ、あれだ。君の話と僕の見た事から推測するに、君はあの化物を無我夢中で倒したんだろうな」
「そうなの、かな……っ! それよりポーラは!? ポーラは何処!?」
改めてポーラの存在を思い出したネスは、再び取り乱し始める。そんな彼に、ジェフは苦い表情で首を横に振った。
「此処にはいない。あの化け物が死の間際、モノトリーがどうのこうのって言ってたから、多分彼がポーラと関わってるんだろうとは思うけど……」
「! やっぱりモノトリーって人が……すぐに会いに行かないと……うっ」
やにわに立ち上がったネスは、急激な立ち眩みに襲われてその場にへたり込む。
「無理するなって、ネス。まだ本調子じゃないんだよ、君は」
「で、でもポーラが……ポーラが……」
「気持ちは分かるけどさ、今は休んでおけって。その間に僕が情報収集しておくからさ」
やや強引にネスをベッドに寝かせつつ、ジェフは彼を元気づけるような笑みを向ける。それは穏やかではあるが、同時に逆らう事を許さない強さを秘めた笑みに見えた。
そう感じたネスは、渋々シーツを被りながら返事をする。
「……分かった。じゃあ、何か分かったら知らせてね。僕は少し、眠らせてもらうよ」
「そうそう、そうしておけって。君にはなるべく早く、身体の調子を戻してもらわないとな、リーダー」
納得してくれたのか、ジェフは満足そうに頷いた後に、部屋を出ていった。
そして一人残された部屋の中、ネスはボンヤリと天井を見上げる。話し相手のいなくなった今、湧き上がってくるのは後悔の念ばかりだった。
(どうして……どうして……僕はまた……ポーラ……)
スリークでの失態から、まだそれ程経っていないのに今回の醜態。情けなさと遣る瀬無さで、とてもではないが休み気などにはなれない。
もう二度と同じ過ちは繰り返せないと決意した筈だったのに。あの時、自分だけがポーラを守る事が出来た筈だったのに。
不意に先程の夢が蘇ってくる。いや、あれは本当に夢だったのだろうか。もしかしたら、ポーラのテレパシーだったのかもしれない。
――どうして、守ってくれなかったの?
悲しいポーラの声と顔が、ネスの心を抉る。だから彼は心の中で、何度も何度も彼女に謝った。
(ゴメン、ポーラ……本当に……ゴメン……)
「……っく……う……」
自然と涙が零れてきたネスは、腕で目元を隠しながら咽び泣く。
怒りや悲しみ、虚しさに絶望。様々な負の感情が一気に溢れてきて、もう自分ではどうしようもなかった。
ただ一人の空間であるのをいいことに、彼はただ泣き続けた。そうする事で何の解決にもならないと分かっていても、そうせずにはいられなかったから。
どれくらいの時間が流れたのか。
いつしか泣き疲れて眠ってしまっていたネスは、控え目なノックの音に眼を覚ます。
泣き疲れによる不愉快さに顔を顰めながら身を起こした彼は、気怠さを隠そうともしない声を出した。
「誰?……ジェフ?」
「すみません、ホテルの者です。ネス様、でございますね?」
「え、あ、はい、そうですけど」
「お寛ぎのところ申し訳ありませんが、お電話が掛かっております。恐れ入りますが、フロントまでお越しいただけますか?」
「電話?……は、はい……」
訳が分からないまま、とりあえず返事をしたネスは、ベッドから飛び起きる。窓の外を見ると、かなり日が傾いているようだった。
――――まだジェフは情報収集をしているのだろうか。何か手掛かりをつかめていてくれれば良いのだが。
そんな事を思いながら、ネスは覚束ない足取りで部屋を出てフロントへと向かう。その途中、すれ違う人達が妙な眼つきでこちらを見てきたが、それを気にする余裕は彼にはなかった。
暫くしてフロントへと辿り着いたネスが受付の人に話しかけると、すぐに電話へと案内してくれた。
「こちらです。そのボタンを押せば、繋がりますので」
「わかりました」
「どうぞごゆっくり。私は席を外しますので、終わりましたらお声がけください」
「ありがとうございます」
礼を言いながら、ネスは教えられたボタンを押す。すると、聞きなれた声が飛び込んできた。
「あ、お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
「!……トレーシー? お前、何で……?」
思いがけない相手からの電話に、ネスは驚きの声を上げる。
――――どうして実家からフォーサイドのホテルに電話が掛かってくるのか。
困惑する彼とは対照的に、電話越しの妹の声は弾んでいた。
「すっご〜い! 本当にフォーサイドにいたんだ! あの夢のとおりだったな〜」
「あの夢?」
「うん。今日さ……あ、昨日か。私、不思議な夢を見たの。女の人が、私に話しかけてくる夢。その女の人が、お兄ちゃんがフォーサイドのホテルにいるって言ってたの」
「女の……人?」
「そうだよ。顔は……あれ? どんなだったっけ? ちょっと忘れちゃった。ともかくその人からお願いされたの。お兄ちゃんを助けてあげてって」
話している内に段々と興奮していってるらしく、トレーシーは捲し立てる。
「あのね、ちょっと前にお兄ちゃん、エスカルゴ運送で色々な荷物預けてくれたでしょ? その中にあった“タコ消しマシン”ってやつ、それがお兄ちゃんに必要になるんだって。だから、その時になったら届けてあげるから、エスカルゴ運送に電話してね。前の“ゾンビホイホイ”の時みたいに、“しっかり特急便”を手配するから」
「“タコ消しマシン”?……ああ、そういえば前に道具整理した時に預けたっけ。でも、僕に必要にってどういう事?」
「そんなの私に言われても困るよ。私だって、最初ただの夢だって思ってたんだから。この電話だって、しようかどうか結構迷ったんだからね。フォーサイドのホテルの電話番号、調べるの大変だったんだから」
「……そっか。分かった、トレーシー。必要になったら電話するよ。ありがとな」
まるで要領を得ないネスだったが、とりあえず了承の返事をした。すると、不意に妹の声のトーンが変わる。
「……ねえ、お兄ちゃん?」
「ん?」
「えっとさ、その……何かあったの?」
「え……?」
いきなりの質問に、ネスは戸惑う。そんな彼に、トレーシーは続けた。
「さっきから声が元気ないよ。疲れてるんじゃない?」
「っ……別にそんなことないさ」
「そう? ならいいけど……あんまり無理しないでね。ママも心配してたよ。忙しいんだろうけど、たまには電話して欲しいって」
「…………分かった」
何故だか全てを見透かされているような気分になり、ネスはただそう呟いた。
昔からそういう所があったが、妹は妙に勘の鋭い所がある。いや、妹だけではない、母親も同様だ。二人の前では、隠し事が上手くいった試しがない。
自分が分かりやすい、というのもあるのだろうが、それ以上に自分の家族は鋭いのだ。だからこそ、時折怖くなる事がある。自分の愚かさや弱さを、見透かされているような気がして。
「じゃ、トレーシー。そろそろ切るぞ。またな」
「あ、うん。じゃあ、“タコ消しマシン”の事、伝えたからね」
「ああ」
頷いた後、ネスは受話器を置いて通話を切る。そしてホテルの人に終わったことを告げながら、先程までとは違う種類の疲れを覚えていた。
(ママに電話か……暫くは、したくないかな……弱気になっちゃいそうだし)
とにもかくにも、今はポーラの行方を探し出す事が最優先だ。母親への連絡は、その後にするべきだろう。
そう強く思いながら部屋に戻ったネスは、両の拳を握りしめつつジェフの帰りを待った。