〜エピソード3〜

 

 

 

 

「よしっと。準備OK」

身なりを整えたネスは鏡の前に立ち、自身の姿を確認して軽く頷いてみせる。

――――青と黄の横縞のシャツに、青の半ズボン。そして黄のリュックに、赤の野球帽。

これが、ネスの一番気に入っているスタイルだった。尤も、それはファッションやポリシーといったものではなく、単に着慣れているというだけなのだが。

「さあ、行こう。……て、トレーシー?」

「あ、お兄ちゃん。いよいよ出発ね?」

ネスが自室のドアを開けると、廊下にいたトレーシーと鉢合わせする。と、彼は妹が抱えている物を眼にして、不思議そうに首を傾げた。

「トレーシー、それ……」

「うん、前にお兄ちゃんが『置くと場所が無いから預かってくれ』って言ってた“ボロのバット”だよ。外は変な動物がいるんだし、護身用として持っていった方が良いよ。ハイ!」

「あ、ありがとう、トレーシー」

渡された“ボロのバット”を受け取りながら、ネスはお礼を言う。するとトレーシーは笑いながら「これだけじゃないよ」と言いつつ、服のポケットを漁り始めた。

「裏山まではそんなに遠くないけど、お兄ちゃんの事だからきっとお腹空いちゃうでしょ? だから、私のバターロールとクッキーあげるね」

その言葉と共に、トレーシーはバターロールと二つのクッキーを取り出し、ネスへと手渡す。そのリュックにしまいながら、ネスはふと疑問を感じて口を開いた。

「えっと、バターロールは僕のだよな?」

「うん」

「じゃあ、クッキーは?」

「お兄ちゃんとピッキーの分」

「……ポーキーのは?」

「あると思う?」

心底嫌そうに訊いてきた妹に、ネスは苦笑しながら首を横に振る。周知の事実ではあるが、トレーシーはポーキーの事を完全に嫌っているようだ。

勿論、ポーキーの普段の行いから考えれば、無理からぬ事ではある。

しかし、だからといって、こういう露骨な差別はどうかと思わなくもないネスだったが、まだ幼い妹にそこまでの分別を求めるのは酷だろう。

――まあ、僕が少し分けてやれば良いか。

そう心の中で呟きつつ、ネスは餞別をくれたトレーシーの頭を撫でた。

「色々助かるよ。なるべく早く帰るようにするから、ママとチビの事よろしくな」

「任せといて、お兄ちゃん!」

「よし。じゃあトレーシー。お兄ちゃんの帰りを、良い子で待ってるんだぞ」

「うん!……って、ち、ちょっとお兄ちゃん!? 人を小さい子扱いしないでよね!!」

「ハハハ! それじゃあ、行ってくるからな!」

顔を赤くして怒りだした妹から逃げるように、ネスは手を振りながら階段を駆け下りていった。

 

 

 

 

 

 

リビングへと降りたネスは、ママとチビに出発の挨拶を済ませると、玄関のドアを開ける。

すると、苛々と歩き回っていたポーキーがこちらに気づき、慌てて近寄ってきた。

「遅いぞ、ネス! 女じゃあるまいし、準備に時間掛けすぎだろ!?」

「はいはい、悪かったよ。それより早くピッキーを探しに行こう。裏山のどの辺りで見失ったの?」

「へっ? え、え〜〜っと……」

汗を流しつつ明後日の方向へと眼を逸らしたポーキーを見て、ネスは呆れたように嘆息する。

「怖くて一目散に逃げ出したから覚えてない……と?」

「う、うるさいな! と、とにかく裏山のどこかにいる筈だよ! ほら、お前が先頭先頭! 行くぞ、レッツゴー!!」

「はいはい……」

威勢の良い声とは裏腹に、しっかりと後ろにくっついたポーキーに気づかれないように、ネスは再度溜息をついた。

そしてポーキーに背中を押されながら、裏山への道を歩き出す。しかし、ものの数分と歩いていないところで、突然後ろから腹の虫が鳴る音が響いた。

「う……そういや俺、なんにも食べてないんだっけ。なあ、ネス? なんか食べ物とか持ってきてないのか?」

「ああ、バターロールならあるよ。半分あげ……」

「おお、サンキュー!」

ネスが取り出したバターロールを、ポーキーは普段からは想像のつかないスピードで奪い取り、無我夢中で頬張る。

そのあまりの図々しさに、ネスは文句を言うのも忘れて呆然とした。だが、何気なく中空を見上げた瞬間、ハッと我に返り叫ぶ。

「っ!? ポーキー危ない!」

「はあ? 何が危な……うわあっ!?」

空を飛んでいた一羽のカラスが、猛然とポーキー目掛けて突っ込んできていた。

ネスは咄嗟にポーキーを突き飛ばすと、殆ど無意識に“ボロのバット”をカラスに向けて振り被る。

まともにバットの痛打を受けたカラスは、悲鳴を上げながら地面に叩きつけられる。そのまま痙攣して動かないカラスに安堵したネスだったが、直後ポーキーの悲鳴が彼の耳を打った。

「ぎゃあああっっ! ネネ、ネス! たた、助けてくれーー!!」

「えっ!? うわっ、今度はヘビか!」

緑色のヘビに足を噛まれているポーキーに、ネスは急いで駆け寄る。そしてバットで何度かヘビを叩くと、驚いたヘビは近くへの茂みと逃げていった。

それを見届けた後、ネスはまだ動物が襲って来ないかと周囲を見渡す。暫くして、安全だと判断した彼は、いつの間にか滲んでいた額の汗を拭った。

「ふう……バット持ってきて正解だったな。トレーシーに感謝しなきゃ」

「ネス! 一人で安心してんなよ! 親友が大怪我してんだぞ! なんとかしてくれ!」

「大怪我って、ちょっと噛まれただけじゃん。あれは毒ヘビでもないし、心配ないって」

「そういうのを素人判断って言うんだよ! ああ、痛い痛い! 死ぬ死ぬ、死んじまう! こんな所で死にたくない〜〜!!」

「……ったく、もうっ!」

ネスは苛々しながらポーキーの傷を見るべく、しゃがみ込んだ。

多少出血はしているが、傷自体は大したものではない。これなら暫くすれば出血も止まり、瘡蓋が出来るだろう。

しかし、それを正直に伝えたところで、ポーキーが納得するとは、ネスにはどうしても思えなかった。

――本当、面倒なんだから……。

内心うんざりしたネスは、投げ遣りな仕草でポーキーの傷口に手を翳すと、ヒラヒラと振りながら口を開く。

「痛いの痛いの、とんでけ〜〜」

「ネ、ネス! お前、親友が怪我してるのにおちょく……へっ!?」

「……えっ?」

予想だにしていなかった出来事に、二人は揃って素っ頓狂な声を出す。

翳していたネスの手から仄かな光が発せられ、その光はポーキーの傷口をゆっくりと包んでいく。やがて暫くすると光は消え失せ、同時にポーキーの傷口は綺麗に塞がっていた。

全てが終わっても、二人は一言も喋らずに、互いの顔と傷口だった箇所を交互に見つめる。

そして、幾許かの時間が流れた時、ポーキーが僅かに震えた声で言った。

「魔法が使えたのか? お前……」

「まさ……か……」

光を発した己の手を凝視しながら、ネスはたどたどしくそう返事をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後も裏山へ向かう道中は、思った以上に過酷なものだった。

カラスやヘビ、それにイヌがひっきりなしに現れては、二人の進路を阻む。

それに対してポーキーは全く戦おうとはせず、ひたすらネスの後ろに隠れて、震えながら罵声を飛ばすばかり。

結果、ネス一人が動物達に立ち向かう事になり、必然的に身体中に傷を負う羽目になってしまった。

けれども、先程の不思議な癒しの力のおかげで特に問題となる事はなく、遂に二人は裏山の頂上へと辿りついた。

「結局、頂上まで来ちゃったな」

「全く、ピッキーの奴、どこに行っちまったんだ? 世話の焼ける弟だぜ」

「多分、向こうも同じ事を考えてると思うよ。……あ、あれが隕石か」

ポーキーに皮肉を言いつつ、ネスは頂上の真ん中にある大きな丸い塊を凝視する。

もう落ちてから結構な時間が経っている筈なのに、隕石は未だ赤い炎を纏い、周囲を照らしていた。

「こんなのが落ちたら、あんな大騒ぎにもなるか、流石に」

「ネス! 今は隕石よりピッキーだろ!? 早く探してくれ!」

そう言いつつ、ポーキーがネスの身体を揺さぶった時だった。突然、奥の木の後ろか人影が飛び出してきて、二人は反射的に悲鳴を上げる。

「うわっ!?」

「ぎゃあああっ!? お、お化け〜!!」

「誰がお化けだよ、誰が」

呆れたように呟いた人影が、ゆっくりとこちらに近づいてくる。そして隕石の炎によって姿が照らし出されると、その人影はピッキーだった。

「ピッキー! 大丈夫だった?」

「うん、僕は平気。来てくれてありがとう、ネス。どうせポーキーに無理やり連れてこられたんでしょ?」

「お、おいピッキー! 人聞きの悪い……」

「はは、そういう事。まあ、ピッキーと同じってとこかな」

騒ぐポーキーにネスが苦笑すると、ピッキーは申し訳なさそうに頭を下げる。

「本当に迷惑かけてごめんね。本当、ポーキーときたら、いきなり出て来た犬に驚いて、どこかに逃げ出しちゃってさ。こっちはずっと探してたのに、麓に下りてるなんて」

「成程ね。まあ、予想通りだな。あ、そうそう、ピッキーお腹空いてる? クッキーあるんだけど」

「あっ、ありがとう。いやあ、ポーキーを探してて、もうペコペコだったんだ」

ピッキーは表情を輝かせて、ネスからクッキーを受け取る。と、その時ネスはピッキーが腕を怪我しているのを眼にした。

「ピッキー、その腕……」

「え?……ああ、これ? どうってことないよ。ちょっと木に擦れて切っただけ……」

「見せて」

ピッキーの言葉を遮って、ネスは例の不思議な光を作り出す。そしてピッキーの腕にその光を翳すと、瞬く間に彼の傷は癒えていった。

当然ながら、この現象に驚いたピッキーは、普段は滅多に開かない眼を丸くして、ネスに訊ねる。

「ネ、ネス? 今の……何?」

「ううん、僕にもよく分からないんだ。けどまあ、便利だから良いんじゃないかなって……」

「ひっ!? お、おいネス!!」

突然悲鳴を上げたポーキーが、ガタガタと震えながらネスにしがみつく。そのまま乱暴にシャツを引っ張られ、敵わなくなったネスは苛立った声を上げた。

「な、なんだよポーキー!?」

「いい、今なんか変な音が聞こえたぞ!! 聞こえたろ!? 聞こえたと言ってくれ!!」

「変な音って、どんな音だよ!?」

「ななな、なんていうかブ〜ンブ〜ンってカブトムシが飛ぶような音だよ!! 今の時期にカブトムシなんていないだろ!? な!?」

「ブ〜ンブ〜ンって……それはカブトムシというよりハエだろ? そもそも、そんな音なんか聞こえない……」

「ネス」

「えっ?」

不意に喋ったピッキーにネスが振り向くと、彼は右手の人差し指を唇に当てていた。

それを見たネスは、怪訝に思いながらも耳を澄ませてみる。すると、微かにではあるが、確かに羽音らしきものが聞こえてきた。

「本当だ、聞こえる。でも、こんな時間に虫が起きているものかなあ?」

周囲をネスがそう呟いた時だった。

突然、隕石が眩く輝きだし、三人は反射的に隕石の方へと振り向く。

そして、次の瞬間に三人の眼に映ったのは、隕石から迸る一条の光と、その中から飛び出してきた一匹のカブトムシだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

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