〜エピソード30〜

 

 

 

 

 

全体が白一色で統一されている小さな部屋で、ポーラはここ数日間で幾度となく繰り返してきたコンセントレーションを試みていた。

本来なら決して難しくないことだ。しかし予想していた通り、どれだけ頑張っても思うように精神力が高まらない。

やがて諦めた彼女は眼を開け、天井を見上げながら小さく息を吐いた。

「やっぱりダメね。今までこんな事なかったし……この部屋、何かあるわね」

今自分が腰掛けているベッド以外にあるのは、小さな丸テーブルと食事が運ばれてくる配膳用のエレベーター。

他にはレストルームとシャワルームがあるが、窓は一つもなくドアには外からカギが掛けられている。要するに、監禁用の部屋というわけだ。

そして何か特殊な仕掛けがあるのだろう。超能力が上手く使えず、PSIで脱出することが出来ない。

予知能力に関しては問題ないようだったが、それを伝えるためのテレパシーがどうにも上手く行えないのでは八方塞がりだった。

「“タコ消しマシン”……確かネスが知り合いに作ってもらったって言ってた物の気がするけど……」

此処に閉じ込められている間に感じた予知の内容―—“タコ消しマシン”なるものが必要になる――の意味が分からず、ポーラはベッドの上で仰向けになる。

どうにかしてネスに伝えようと何度もテレパシーを試みたものの、果たして彼に伝わったかどうか。それを確かめる事は、今のポーラには不可能だった。

「それにしても、私はいつまでこのままなのかしら?」

答えが返ってくる事のない問いを、ポーラは真っ白な天井に向かって投げ掛ける。

デパートで何者かに襲撃されて以来、彼女はずっとこの部屋で何をされるわけでもなく、ただ生かされているだけの状態が続いている。

――――あれからどれくらいの日数が経過したのか。誰が、何の目的で自分を拉致したのか。ネス達は無事なのか。

知りたい事は山の様にある。しかし、此処から出れない事にはどうしようもなかった。

「ネス……心配してるわよね。一応私、仲間だし」

そう声に出すと、胸に小さな痛みが疼く。だが次の瞬間、部屋の外か慌ただしい物音が聞こえ、ポーラは反射的に身を起こした。

「お、お、終わりだ! もう終わりだ! わ、わ、私は……ああああっっ!!」

バタバタと走り回る音と共に聞こえてきたのは、歳のいった男性の声だった。相当パニックになっているらしく、それ以降は言葉になっていない声しか聞こえてこない。

と、そこでポーラはある事に気づく。これまで、外からの音が聞こえてくる事は無かった筈だ。なのにどうして今は、こうもハッキリと聞こえるのだろうか。

(ひょっとしたら、それも何かに仕掛けで……?)

ジッとドアを見つめつつ、彼女は考えを巡らせる。すると暫くして、別の声が聞こえてきた。

「バ、バカ! ちゃんとセッティングしろ!……あっぶねえ、力の方は辛うじて作動してたか。でも……あ〜あ、こっちも色々ズレてんじゃねえか!」

今度の声は随分と若く、おそらくは少年と思わしきものだった。どうも何処かで聞いた気がしないでもない声だったが、それよりも言葉の方が気になった。

(力の方? 作動? 色々とズレてる?) 

どういう意味なのかと首を捻るポーラの数メートル先―—ドアの向こう側―—から、何らかの機械を弄る音が響いてくる。

同時に相変わらず困惑している男性の声と、苛立っている少年の声が聞こえてきた。

「ああ、こんな結果になるとは……何もかも、何もかも……」

「だああっ! 鬱陶しい!! ったく、こんなんがこの街の支配……」

途端、外の喧騒が一瞬にして静かになる。まるでテレビの消音ボタンを押したかのように、音も声も聞こえなくなってしまった。

驚いたポーラは思わず立ち上がると、忍び足でドアに近づき、そっと耳を当てて外の様子を伺う。

だが音は勿論のこと、何の気配も感じることが出来ない。さっきまでいた筈の二人が、今はいるのかどうかさえ分からないのだ。

「これは……やっぱり、この部屋に何か仕掛けを……」

ゆっくりとドアから離れ、それを見つめながらポーラは呟く。

どうやら何らかのトラブルで、この部屋を外部から遮断する仕掛けが上手く作動していなかったのだろう。そしてそれを、先程の少年らしき声の主が直したとみるのが自然である。

「だとしたら、やっぱり脱出は難しいわね」

嘆息しつつベッドに戻った彼女は、再びそこに腰を下ろした。

「でも、一つだけ分かった事があるわ。私を此処に閉じ込めたのは……」

声が聞こえなくなる瞬間に聞こえた、少年の言葉。それを頭の中で呼び起こしつつ、ポーラは知れず両の拳を握りしめながら言った。

「モノモッチ・モノトリーさん、でしょうね」

 

 

 

 

 

 

 

 

設置した“タコ消しマシン”が通路を塞いでいた鉄のタコを消去する。

道が開かれた事を確認したネスは、二度目の世話となったアップルキッドの発明品を眺めながら呟いた。

「まさか、こんな場所で必要になるなんてな。思ってもみなかったよ」

「ああ。……それにしても、すごいなそのマシン。縮小して持ち運びも楽々ってわけか」

ネスがリュックの中に“タコ消しマシン”をしまうのを見やりつつ、ジェフが感嘆の声を上げた。

それに対してネスは「まあね」と気の無い返事をすると共に小さな溜息をついた。その顔には、疲労の色が濃く滲んでいる。

(トレーシーが見た夢っていうのは本当だったのか。だとしたらやっぱり……ポーラの力なのかな)

未だ離れ離れになっている彼女の事を思うと、胸に鋭い痛みが奔る。それをジェフに気取らぬように注意しつつ、ネスはこれまでの経緯を思い返した。

『ボルヘス』の倉庫で“マニマニの悪魔”を破壊した後、外に出るなり様々な出来事が怒涛の勢いで彼らを襲った。

まずはアップルキッドから電話が掛かり、“グルメとうふマシン”なるものが出来たので『エスカルゴ運送しっかり特急便』で届けるという知らせを受ける。

次いで一匹のサルがどこからともなく現れ、タライ・ジャブなる人物が会いたがっているのでドコドコ砂漠の西にある洞窟に来て欲しいと伝えたかと思うと、瞬く間に姿を消す。

息つく暇もなく一人の男が大仰な素振りでやってくると、自身を『エスカルゴ運送うっかり特急便』だと名乗った。

話を聞けば、どうやらアップルキッドが間違って手配したらしく、“グルメとうふマシン”の配達を任されたものの、ドコドコ砂漠の洞窟に寄り道をしている途中で失くしてしまったらしい。

その事に関して苦情を言おうとしたネス達よりも先に、自分の責任ではないと大声且つ早口で捲し立てたかと思うと脱兎の如く逃げ去ってしまった。

最後にやってきたのはモノモッチ・モノトリーに仕えているエツコいうメイドで、“グルメとうふマシン”を探しているので見つけたら譲ってほしいとの事である。

先程の配達人との会話を聞いていたらしく、これまた一方的に用件を告げるとあっという間にモノトリービルの方へと走って行ってしまった。

これら全ての出来事の開始から終了まで、おそらく五分となかっただろう。

当然、ネス一人の処理能力だけでは対処しきれず、ジェフの力も借りてどうにか整理する事が出来た。

――――“グルメとうふマシン”を手に入れれば、モノトリーに近づけるかもしれない。

メイドのエツコがモノトリーとどれだけ近い関係かは分からないが、それでも手掛かりになる可能性は十分ある。

それに何の役に立つか分からないとはいえ、アップルキッドの発明品を放置するのは忍びない。

そういう結論に至ったネスとジェフは急遽ドコドコ砂漠へと戻り、サルの言った洞窟へ向かう事にした。

砂漠での洞窟探しだから苦労するだろうと思っていたが、意外にも道路から然程離れていない場所にあったのは簡単に見つかった。

しかし、その洞窟を進んで最深部であろう所まで来たところで、予想外の出来事が二人を待っていた。

ネスには見覚えのあるタコの形をした鋼鉄の置物。それが通路を塞ぐように設置されていたのである。

呆気に取られたネスだったが、すぐに先日のトレーシーとの電話を思い出し、大急ぎでエスカルゴ運送に連絡を取り、“タコ消しマシン”を届けてもらったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと、いよいよタライ・ジャブって人とご対面か。どんな人なんだかな」

「うん。まあ、敵ではないと思うけど……」

そんな会話をしつつ、ネスとジェフは通路を進む。此処に至るまで何度も通過してきた、砂漠の中とは思えない程に涼しい地下道。

それを一分ほど歩き続けた所で出口が見え、二人がそこを抜けると一際広い空洞へと出た。

天井は今までの場所よりも遥かに高く、何処となくだが肌で感じる空気も違う。凡その構造こそ今までの場所と変わらないものの、明らかに何かが違うその場にタライ・ジャブと思わしき人物はいた。

どういう原理が宙に浮いた状態で座禅を組み瞑想をしているその様は、正しく仙人と評するにふさわしいものである。

そんな神秘的な人物を前にどう接すればいいか分からず、その場に立ち尽くしてしまった二人の耳に、威厳と慈愛に満ちた声が聞こえてきた。

「宇宙の真理は、粒の様に波の様に宇宙を駆け巡り、人という宇宙に語りかけているものじゃ。私の名はタライ・ジャブ。あなた方を導くという命を持つ者。あなた方がここに来ること、私がここで待つこと……全て定められた真理」

そこまで言うとタライ・ジャブはゆっくりと眼を開け、ネスとジェフを真正面から見据える。

すると、それが合図であったかのように二人は我に返り、どちらともなく徐にタライ・ジャブの近くまで歩み寄った。

「ネス、ポーラ、ジェフ、そしてプー。4つの力が出会う時ねじれようとしている宇宙は……安らかな呼吸を取り戻す」

「っ……それって……」

不意にネスの中で、今は亡きブンブーンの言葉が蘇る。

――言い伝えにはネス、あんたを含めた三人の少年と一人の少女がギーグを倒すとある。

となると、その“プー”というのがまだ見ぬ四人目の仲間ということだろうか。それを尋ねようとしたネスだったが、それよりも早くに少しだけ顔を綻ばせたタライ・ジャブが続けた。

「分かるのかね?……まあ、分からなくとも構わぬ。あなた方の好きなように歩んでゆけばそれで良い。どの道、目指すべき所には必ず辿りつく」

「タライ・ジャブ様……」

「様などいらぬよ。さてネスよ。わざわざ此処までお呼びしたのは他でもない。あなたに力を授ける為じゃ」

「え? 力、ですか?」

「そう。ここから先の旅も、並大抵のものではなかろう。故に空間を自在に移動できる力が必要かと思ってな。今のあなたなら、きっと使いこなせるじゃろう」

「空間を移動する……?」

「詳しい事は、そこのサルが教えてくれる。さあ、案内してあげなさい」

「ウキッ!」

「うわっ!? サ、サルなんかいたんだ……て、わわっ!?」

「お、おいネス!」

タライ・ジャブの言葉で初めて存在を知ったサルが、やにわにネスの手を掴んで出口の方へと引っ張っていく。

つんのめりながら連れていかれたネスの後を慌てて追いかけようとしたジェフだったが、そんな彼にタライ・ジャブが思い出したかのように声を掛けた。

「そうそう、これを渡すのを忘れておった。あなた方に届けるとか言っていたうっかり者が、穴に落としていったようなのだが……」

言いつつタライ・ジャブが右手を掲げると、そこに眩い光が生まれ、次いで奇妙な物体が姿を見せる。

初めて見る物に一瞬怪訝な表情をしたジェフだが、すぐにそれが“グルメとうふマシン”だと推理するとタライ・ジャブから受け取った。

「ははあ、これが“グルメとうふマシン”か。これでモノトリーの元に、一歩近づいたってところだな。ありがとうございます、タライ・ジャブ様」

「だから、様などいらぬて。さあ、行きなさい。……必ずポーラを助けるのじゃよ。そしてネスの事も、しっかり支えてあげなさい」

「っ!……は、はい」

どうやらタライ・ジャブは色々とお見通しのようだ。時間が許すのであればもっと話をしたいところだが、生憎と今はそうも言ってられない。

名残惜しさを感じながらも、ジェフは深々とタライ・ジャブに頭を下げた後、急いでネスの元へ向かうべく洞窟の出口へと駆けて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(全速力で駆けながら精神力を高め、その精神力を身体に纏う様をイメージする……)

サルに教えられた空間を自在に移動する力―—テレポートに、ネスは初めて挑戦していた。

ドコドコ砂漠の道路をひたすらに走りつつ、PSIを使う時のように精神力を高める。今までにした事のない方法なので上手く出来るか不安だったが、どうやらそれは杞憂だったらしい。

暫く駆けたところで、全身が何かに包まれる感覚に襲われる。それがテレポートが可能になった時の印なのだと本能的に悟った彼は、次なるステップへと進む。

(そして、自らが望む行先を頭の中で描く……!)

言葉にするのは簡単だが、実行するのは中々に難しい。走りながら考えるというのは結構な苦労であるし、高めている精神力を緩ませてもいけない。

どうにも上手くいかずに時間だけが過ぎ、次第に疲れを感じ始める。このままでは失敗になってしまうと思ったネスは、半ばヤケ気味に心の中で叫んだ。

(ああもうっ、とにかくどこでもいい! テレポートしたい! テレポートするんだ!)

すると途端、身体を纏っていた何かが離れていく感覚がしたかと思うと、眼前に黒い大穴が出現する。

「えっ!? な、なんだこれ!? わ、わわっ!!」

驚いたネスは反射的に止まろうとしたが遅すぎた。瞬く間に彼の身体は穴の中に突っ込み、一瞬だが意識が遠のく。

そして慌てて我に返ったネスの眼に飛び込んできたのは、余りにも馴染んだ光景だった。

「こ、此処って……オ、オネット?」

見間違える筈もない。生まれ育った故郷である田舎町の片隅に、ネスは立っていた。

暫く離れていたとはいえ流石は地元と言うべきか、彼は自分が今オネットのどの辺りにいるのかがすぐにわかる。

近くに見えるのはオネット図書館。そしてその隣にある舗装されていない道の真ん中に立っている自分。そう、通い慣れた道、自宅への帰り道だった。

「……っ……そっか……帰りたいと思ってた……そういうことか……」

無意識にホームシックになっていたと理解したネスは、自嘲気味にそう呟く。たまらなく自分が情けなく思えた。

――こんな心持ちでは、とてもポーラを助ける事なんか出来ない。

そう思い、ネスは乱雑に首を横に振って気持ちを切り替える。そして急いでドコドコ砂漠へと戻ろうとした。

幸い、テレポートの感覚は掴めていた。手探り状態だった一回目とは違い、確かな自信がある。

(まっ、結果としてテレポートが習得できたんだし……よしってことにしておこう)

心の中でそうボヤいた後、二度目のテレポートを試みようとしたネスの耳に、懐かしい声が飛び込んできた。

「っ、ネス!?」

「うあっ……マ、ママ?」

思わず気の抜けた声を出してしまった彼は、声の方へと振り返る。

するとそこには買い物袋を抱えた母親が、珍しく呆然とした様子でこちらを見ていた。

――――思わぬ再会……いや、心の奥底で望んでいた再会なのだろうか? 何と言うべきなのか? あるいは何も言わずにこの場を立ち去るべきなのか?

次から次へと悩みが生まれ、ネスは身動きすることが出来ない。

どれくらいの時間が経っただろう。それとも、ほんの僅かな時間だったのか。不意に母は無表情になると、徐にネスの傍へと歩み寄り、静かにその頬へ手を伸ばした。

「マ、ママ? 急にどうし……」

「やっぱり少し痩せ……ううん、やつれてる。何があったの、ネス?」

どうして此処にいるのか、という真っ先に思うであろう疑問よりも先に母の口から出たのは、息子の身を案ずる言葉だった。

その言葉に、咄嗟にネスは「何でもない」と返そうとする。しかし、出来なかった。

全てを見透かしたかの様な母の言葉を聞いた瞬間、彼の中で塞いでいた感情が一気に溢れだし、涙となって頬を伝う。

「っ……ママ……僕……僕……」

声に出すと、もう止まらなかった。まるで幼い頃に戻ったかのように、ネスは嗚咽を漏らしながら言葉を紡ぐ。

「失敗……しちゃった……っく……しかも二回も……おんなじ……絶対……しちゃいけなかったのに……っく……僕……僕……」

「…………」

母は何も言わずに買い物袋をその場に下ろし、両手でネスを抱きしめる。

懐かしい感覚と温もり、そして香りに包まれながら、彼はひたすら泣きじゃくった。

「せ、世界を……救わないといけないのに……僕……僕……たった一人…………子も………うああああっっ!!」

本当に久しぶりに、ネスは無我夢中で泣いた。そしてそんな息子を、母はただひたすら抱きしめ受け止めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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