第二話〜悲しみに沈む者達の涙〜

 

 

 

 

 

 

 

―――――『エスカルゴ運送』オネット支部。

大人の従業員が大多数を占める職場の中で、トレーシーは多忙極まる仕事をこなしていた。

「こんにちは、エスカルゴ運送です。どんなご用件でしょうか?……お預かりですね、係りの者がすぐそちらに参ります」

かつての時の様な間延びした喋り方ではなく、愛想と礼儀を兼ねそえた応答から、彼女の熟練振りが窺える。

手際よく一件のやり取りを追えたトレーシーは受話器を戻すが、間髪いれず次の電話が入る。

それに対して、彼女は嫌な顔一つせずに再び受話器を取った。

「こんにちは、エスカルゴ運送です。どんなご用件でしょうか?……お届けですね。………確認します。お届けするのは……ですね?

……かしこまりました。係りの者がすぐに伺います」

肩に受話器を置きながらコンピューターのキーボードを叩きつつ、やり取りを終える。

(今日は電話が多いなあ……)

そんな事を思う間も、キーボードを叩く手が休まる事は無い。瞬く間に大量の情報を入力し終えると、彼女は小さく溜息をついた。

「ふうっ……」

「トレーシーちゃん、お疲れ様。交代の時間よ」

「あ、はい。それじゃお願いします」

肩を叩きながら話しかけてきたパートの小母さんに、トレーシー軽く会釈しながら席を立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま……」

「お帰りなさい、トレーシー」

空が夕闇に包まれる時刻。トレーシーが自宅のドアを開けると、いつもの様にママが出迎えてくれた。

「疲れたでしょう?お風呂の準備できてるけど?」

「う〜〜〜ん……それよりお腹空いちゃった。先にご飯食べる」

「分かったわ。それじゃ支度するから、荷物置いてきなさい」

「は〜〜〜い」

仕事の時とは打って変わって間延びした返事をし、彼女は階段を上って自室へと足を進める。

規則正しいリズムを刻み、二階へと上がると、変わりない風景が目の前に広がった。

――――すぐ横にある、自分の部屋のドア。そして…………

「……もう、一年か」

廊下の向こうにある、もう一つのドアを見つめながら、トレーシーはボンヤリと思う。

――――――……お帰り、トレーシー。遅かったな、ゲームでもするか?

そうやって兄が顔を出さなくなってから、もうそんなに経つんだと、彼女は改めて実感した。

(……お兄ちゃん)

ふと、トレーシーは自室のドアを通り過ぎ、長い間開かれていなかった兄の部屋のドアノブに手をかける。

開けた先に広がったのは、きちんと片付けられた殺風景な空間。この部屋の主がいた時には、こんな空間ではなかったはずなのに……

――――――トレーシー。ノックして入って来いよ。

そんな声が聞こえた様な気がし、トレーシーは驚いた様に周囲を見渡す。が、すぐに肩を竦めて苦笑した。

「…………バカみたい。お兄ちゃんは……もういないのに……」

バカみたい、と繰り返そうとしたが、それは出来なかった。急激に湧き上がってきた悲しみが、涙となって彼女の頬を伝う。

……

…………

「もうっ!お兄ちゃん!そろそろゲーム代わってよ!!」

「後少し待てって……今、いい所なんだから……」

「あのね!その台詞さっきから六回目!聞き飽きたわ!」

「……数えてたのか?暇人だなあ、お前」

「っ……ど〜〜〜もありがとうございます!褒めてくれたお礼として、実力行使させて頂きます!!」

「うわっ!?ちょ、バカ、やめ……あ〜〜〜〜〜!?せっかくハイスコアだったのに!!」

「ふ〜〜〜〜んだ!いつまでも代わらないからですよ〜〜〜〜だ!!」

「……トレーシー、お前……あったま来た!勝負しろ!!お前がこのゲームやるなんて、十年早いって教えてやる!!」

「わ〜〜凄い自信。でも、そういう根拠の無い自信は言わない方が良いよ、お兄ちゃん。……恥かくだけだから」

「……言ったな。手加減なしで行くぞ」

「私だって。返り討ちにしちゃうもんね!」

……

…………

いつまでも続くと思っていた、そんな会話が繰り返され、生まれてゆく日常。

それが今は、酷く懐かしく……そして輝いて、トレーシーの頭の中に去来した。

「……っ……っく……お兄ちゃん……」

必死に嗚咽を堪えようとするが、そうすればするほど、どうしようもない悲しみに押しつぶされそうになっていく。

「なん……で……!?」

――――なんで死んじゃったの!?

いつもの人懐っこい笑顔で出発の挨拶をし、上機嫌で出掛けていった兄。

――――トレーシー!期待してろよ?すごいお土産買ってきてやるからな!

……それが、最期の言葉になる等、どうして予想出来ただろうか?

「……お兄……ちゃん……帰って……きてよ……!!」

――――また一緒に遊びたい。一緒に他愛無いお喋りがしたい。一緒にママのご飯が食べたい……!

「……帰って……きてよ……お土産なんて……いらない……から……!!」

か細い声でそう呟きながら、トレーシーは久しぶりに声を出して泣いた。

 

 

 

 

 

 

(トレーシー……)

中々降りてこない娘を不思議に思い、二階へと上がってきたママは、行方知らずの息子の部屋から聞こえる娘の泣き声を、ドア越しに聞いていた。

「………トレーシー」

慰める様な優しい声で呼びかけるが、返事はない。

「…………」

「トレーシー……聞こえてるでしょ?」

返ってきた沈黙に、彼女はそう尋ねながら言葉を続けた。

「ご飯出来たから……落ち着いたら、食べに来なさい」

それだけ言うと、ママはゆっくりと踵を返し、一階へと降りていった。

「あの娘…最近ホントに笑わなくなったわね……」

――――昔はネスと同じくらい、よく笑う娘だったのに……

溜息をつきながらテーブルのイスに腰掛け、ママは湯気を立てているスパゲッティを一人食べ始めた。

しかし……

「……美味しくないわね」

思わず彼女は呟く。決して料理の味が悪い訳ではないが、この雰囲気ではそう思うのも仕方ないものであった。

(こんな食事……全然楽しくないわ……)

一人で、しかも何の雑音も聞こえない食事程、味気ない物はない。全く食欲が湧いてこず、ママは静かに持っていたフォークを置いた。

……

…………

「わ〜〜!このスパゲッティ美味しい!」

「あらトレーシー、本当?味付け変えてみたんだけど、そう言ってもらえると嬉しいわ。ネスはどう、美味しい?」

「うん!どう味が変わったかは全然分かんないけど、とっても美味しいよ!ママ、お代わり!!」

「くすくす……お兄ちゃんらしい感想」

「…何だよ、トレーシー。お前はどう味が変わったのか分かるのか?」

「もっちろん!でも……お兄ちゃんにも分かるように、説明は出来ないなあ」

「……おい」

「ふふふ……ほら、ネス。そんな怖い顔しないで。そんな詳しい味の事分かってくれなくても、美味しいって言ってくれたらママは満足よ。 

 はい、お代わり。大盛りにしておいたわ」

「わあ、本当だ!ありがとう、ママ!いただきま〜〜す!!」

「う〜〜〜お兄ちゃん見てたら私も食べたくなってきた。……ママ、私もお代わり!」

「ふふふ……はいはい」

……

…………

(あんな食事……早くまた、したいわね)

壁に掛かっている写真―――自分と娘と息子の三人が、笑顔で写っている写真に視線をやりながら、ママは再び大きな溜息をつく。

「本当に……どこで何をしているのやら……」

――――あの子の冒険好きにも、困ったものだわ……

事件から一年経った今でも、彼女は息子が死んだとは思っていなかった。

何もかも忘れて泣きじゃくる娘や、沈痛な顔つきで訪ねてきた息子の友人にも、決して涙を見せずにいた。

信じているから。……決して息子は死んで等いないと。理屈なんかはない。ただ……母親としての何かが、そう彼女に告げていた。

「ワウ〜〜〜ン」

「ん?……どうしたの、チビ?」

不意に悲しげな声で鳴いたペットに、ママは笑いかける。

「……ワン」

「……大丈夫よ。あの子はきっと……」

いつからか、彼女はチビの言おうとしている事がハッキリと分かる様になっていた。

「ネスは生きてるよね?」と不安げに尋ねてきたチビに、ママはゆっくりと頷く。

「……帰ってくるわ、必ず」

そう言いながら立ち上がり、彼女は静かに壁の写真へと近づき、その中の我が子に語りかけた。

「ネス……早く帰ってらっしゃい。あなたがいないから、最近ハンバーグも全然食べてないのよ? 

 トレーシーも元気がないし、チビも寂しがってるわ。だから……」

―――――……帰ってきて。

彼女が最後にそう呟いた時、その頬に一筋の涙が流れたのを、丁度降りてきたトレーシーはしっかりと目にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――同日深夜。ポーラスター幼稚園。

ポーラはクマのぬいぐるみを抱きながら、静かな夜を過していた。

「…………」

不意にむくりと起き上がり、傍のカーテンを開けると、冷たい夜風が彼女の身体を吹き抜けていく。

夜空の星々に視線を移しながら、ポーラは小さく溜息を漏らした。

(……夜明けはまだまだね……)

頭がボンヤリとする事から酷く疲れているのが分かる。だが、そんな身体とは裏腹に、彼女は眠気を感じずにいた。

「……一年、か……」

ボツリと呟きながら、急にジワリと滲んできた目元の涙を拭う。

「……不思議……まだ、たった一年なのね……もう、何十年も経ったみたいな気がする……」

――――――――ネスが……いなくなってから……

……

…………

「その辺に座って、ネス。ゴメンね、少し散らかってるけど……」

「い、いや別に構わないよ……お、お邪魔します」

「くすっ……何でそんな他人行儀なのよ?」

「え、あ、いや……女の子の部屋って、トレーシー以外で入った事ないから……その……」

「くすくす……緊張してるんだ?」

「う、まあ……平たく言えば……それに……」

「ん?」

「……小父さんが、ずっとドア越しに見てるみたいだし……」

「!?……ちょっ、パパ!何してるのよ、そんな所で!!」

「ち、違うぞポーラ!パ、パパは別にネス君を監視なんかして……」

「違うも何も明白じゃない!ネスが嫌がってるでしょ!さっさと二階へと降りて!!」

「ポ、ポーラ。そこまで言わなくてもいいんじゃ……」

「そ、そうだぞポーラ!パ、パパは悲しい……」

「もうっ!いっつもそうやって涙ぐんだってダメ!!」

「……は、はい」

「お、小父さん。心配しなくても、ポーラに変な事なんかしませんから安心してください」

「変な事?……具体的にそれは何だね!?ネス君!!」

「へっ?え、えっと………」

「パパ!!!」

……

…………

――――そんな些細な思い出が、どうしてこうも尊い物に感じるのだろう?

(……ネス……)

瞳から熱い雫が溢れてくるが、ポーラはそれを拭おうともしなかった。

――――ポーラ。

忘れない様に、繰り返し思い出してきた彼の声。そして、もう聞くことの出来ない彼の声が、彼女の頭の中に谺(こだま)する。

――――ポーラ。

「……ネ…ス……!」

うめく様なポーラの叫びは、漆黒の闇に広がり、そして消えていった……

 

 

 

 

 

一年前のあの日―――『アースマリン号』の事件のニュースを目にした日から、ポーラは暫く入院する事になった。

「極度の精神的ショックを受けています。……落ち着くまで、病院で安静にしていた方がいいでしょう」

医師のその言葉に、彼女の両親は黙って顔を見合わせ、やがてゆっくりと頷いた。

……入院し始めた頃のポーラは、まるで人形の様に感情を表さなかった。

誰かから声を掛けられても、曖昧に頷くだけ。食事や睡眠等の生きていくのに必要最低限な事以外、何もしようとしない。

生気の抜けた抜け殻―――彼女は正にそれだった。

だがそれも、三ヶ月程の時間が経つと少しずつ元に戻っていき、それから一ヵ月後に、ようやくポーラは退院した。

何事もなかったかの様に学校にも通い出し、幼稚園の仕事も何ら変わりなくする様になった。

それが、どこか無理をしてるかの様に思え、不安になった彼女の両親は尋ねたが、ポーラは苦笑しながら一言。

「パパ、ママ。心配しないで。もう大丈夫……とは言えないけど、いつまでも悲しんでいられないもの。だって、どんなに悲しんだって……」

――――ネスはもう……帰ってこないんだから……

「……」

その時の事を思い出しながら、彼女は必死に自分に言い聞かせる。

(そうよ……悲しんだって、ネスは帰ってこない……だから……泣いてちゃ、駄目よ……泣い……ちゃ……)

だが、どんなに言い聞かせようとも、涙は止まる事を知らずに溢れ続ける。

……無理もない事ではあった。たとえ頭の中ではネスの死を認識しようとも、心は未だにその事を認めようとしない。

いっそ諦めて楽になりたいと、何度思ったか。しかし、それでも彼女は、恋人の死を受け入れる事が出来なかった。

それは理屈を超えた何か……本能に近い何かによる物。そして、恐らくそれは一生涯、消える事はないだろう。

「……神様」

悲しみに耐えられなくなったポーラは、涙で潤んだ瞳を閉じ、静かに両手を合わせる。

「お願いします……どうか……どうか……」

――――――もう一度、ネスに会わせてください……どうか……

夜が明けるその時まで、そうして彼女は祈り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――その頃。

一機のUFOが、人里離れた渓谷の底に、ゆっくりと降下していく。

それは無事着陸すると静かにドアを開き、中から次々に宇宙人―――スターマンが地に降り立っていった。

「……ダイ276ブタイ、オウトウセヨ」

その中の一人―――目立つ虹色のスターマンが呟く様に言うと、どこからともなく新たなスターマンが姿を現す。

「オマチシテイマシタ。ソウトウサマ」

「……ジュンビハトトノッテイルカ?」

「ハイ。ゼンブタイ、スデニバンゼンヲキシテイマス。ゴメイレイガアレバ、イツデモコウドウデキマス」

「ヨクヤッタ。ホメテツカワソウ」

総統と呼ばれた虹色のスターマンは、笑みを含んだ声を出しながら頷いた。

「デハ、チカイウチニケイカクヲジッコウニウツス。ソレマデノアイダ、モウスコシミヲヒソメテイロ。……クレグレモ、ニンゲンタチニミツカルナ」

「リョウカイシマシタ」

そう答えると、会話をしていたスターマンは現れた時と同じく、一瞬で姿を消す。

それを見届けた後、総統は不意に感慨深げに中空を見上げた。

「……ギーグサマガ、タッタヨニンノコドモニヤブレテカラ、ハヤスウネン……ナガカッタ……

ソレカラワレワレハ、ドンナニミジメナセイカツヲシテキタカ………」

「エエ。……デスガソウトウサマ、キハジュクシマシタ。ケイカクノダイイチダンカイ……PSIノウリョクガアルニンゲンタチヲケシサル

 ケイカクハ、コノイチネンカンデ、ホトンドカンペキニジッコウサレマシタ」

「……アア。アトノコッテイルノハ、ギーグサマヲタオシタイマワシキヨニンノコドモノウチフタリ……ポーラ、プーノミ」

「ソウデス。イカニヤツラガテゴワイトハイエ、ショセンフタリデス。……マアモウヒトリ、ジェフトカイウオマケモイマスガ、

オソレルコトハアリマセン。モウワレワレガコノホシヲテニシタモドウゼン……」

「オロカモノ。ソウオモウノハマダハヤイ」

既に勝利を確信している部下の言葉を、総統は遮った。

「ヤツラノ……ポーラ、プーノPSIノウリョクハ、ナミタイテイノモノデハナイ。ソレニ、ジェフトヤラノヘイキニヨッテ、

カズオオクノドウホウタチガヤブレテイッタコトモ、ワスレタワケデハアルマイ?ナメテカカレバ、ワレワレノショウリハナイゾ」

「ハッ、モウシワケアリマセンデシタ」

「……ワカレバヨイ」

生真面目に敬礼を返した部下にそう言いながら、総統は周りにいる部下全員に声をかける。

「モウスグケイカクハジッコウサレル。ソレガセイコウスルカイナカハ、ショクンラニカカッテイル。ソレヲオボエテオクコトダ」

「「「「ハッ!」」」

――――――スベテハ……ギーグサマノイシヲツグタメニ……!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

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