第十三章〜吐露〜
――――東歴2002年10月18日午後五時。
神連の休憩室内で、雄一は疲れた様子でドリンクを口に運ぶ。その傍らには光美の姿があり、心配そうな表情で彼を見つめていた。
「やっぱり、疲れてる?」
「流石にね。一日の間でこうも色々と立て続けに起こって、あっちこっちを行ったり来たりする羽目になると……」
「そう……だよね。繚奈も大丈夫かな? 疲れてるのに護衛なんか」
「まあ絶対大丈夫とは言えないけど、そんなに心配はしなくていいと思う。もうあそこに、そんなヤバイものはないだろうからな」
雄一は苦笑しながら、今日の午後からの出来事を振り返る。
――――好野の提案に従い、向かった先で見つけた研究所跡。そこから出現した“何か”。そこに残されていた二つの遺体。
大収穫といっても差し支えない結果となったわけであるが、とても喜ぶ気にはなれなかった。
現在例の場所では、好野を含めた神連の職員数名が調査を行っており、繚奈はその護衛にと残っている。一方の雄一は泣き叫び疲れて半ば放心状態の水音を連れて、神連に戻ってきていた。
そして彼女は戻ってくるなり深い眠りについている。相当ショックだったのだろう。研究所で見せた悲痛な様子の水音を思い出しながら、雄一は深い溜息をついた。
と、その時である。突然、彼の持っている端末から着信音が響き渡る。それが繚奈からのものだと確認すると、彼はハッとして回線を開いた。
「繚奈、なにかあったのか!?」
「ち、ちょっと何よ、藪から棒に? ただの連絡よ」
「あ……そ、そうか。悪い、ちょっと過敏になってた」
「もう、しっかりしなさいよ。大体、何かあったのなら緊急通信使うでしょうに」
「……その通りだな。まあ、その、あれだ。丁度今、光美ちゃんとそっちの話をしてたとこだったもんで」
雄一がそう言うと繚奈は納得したらしく、小さな呆れ笑いを漏らした後に続けた。
「安心して、こっちは全員無事よ。今、一通りの調査が終わったところ。これから戻るから、準備をお願いするわ」
「え? 準備って?」
「決まってるでしょ。調査結果を聞く準備よ。貴方は当然として双慈と雷華、後は水音さんにも聞いてほしい事が沢山あるから」
「あ〜……悪い。水音さんはちょっと難しいと思うぞ」
「っ……やっぱり、まだショックから抜け切れてない?」
悲し気な口調に変わった繚奈に、雄一は苦々しい表情で「ああ」と答える。
「今は泣き疲れて眠ってる。暫くはゆっくり休ませてあげた方が良いんじゃないかと思うけど」
「そうね。まあとりあえず、今から戻るから。そのつもりでいて」
「了解。気をつけてな」
「分かってるわ」
そう言って繚奈の通信が切れる。会話を終えた雄一は小さく嘆息すると、光美に事の説明をしながら繚奈達の帰りを待つことにした。
「あの施設は、やはり研究所……それも“神”に関係する研究所だったわ」
神連に戻ってくるなり、好野は溜息と共にそう呟く。そのままの足取りで通信室に向かう彼女を追いながら、雄一は訊ねた。
「そんな風に断言できる程の根拠があったんですか?」
「ええ。貴方達の発見が早かったのもあって、資料も色々と残っていたし、破壊されたコンピューターにもデータが残っていたの。細かい事はこれからだけど、今の段階でも多くの事が分かっているわ」
「一体どんな事が?」
雷華の手を引きながら歩く双慈が訊ねる。しかしそれに好野が答えるよりも早くに、繚奈が苦笑を返した。
「急かさないの、双慈。好野さんがデータも交えて、ちゃんと説明してくれるわ」
彼女がそう言い終えたところで、一同は通信室に辿り着く。いち早く部屋に入った好野は手際よくコンピューターを立ち上げると、忙しなくキーボードを叩きながら自身の端末を接続しはじめた。
「どうやらあそこでは、新士よりかは新獣の方に力を入れていたみたい」
「新獣の方……という事はもしかして、私達が見た鳥の事ですか?」
心当たりを口にした繚奈に、好野は頷いてみせる。
「ええ。でも、それだけじゃないわ。雄一」
「はい」
「貴方がイリシレで戦った獣……例の人工生物の事を覚えてる?」
「あ、ええ。……って、あれは新獣じゃないって……」
「いえ、あの時はそういう認識だったけど、今は違うわ。これを見て」
好野はそう言いながら、モニターに画面を表示させる。それは以前に彼女が見せてくれたCGモデルに似ているものだった。
ただ、前のような鳥のモデルではなく鹿と鳥が合わせたようなモデルで、その中の一点が赤く点滅したかと思うと、瞬く間にCGモデル中に広がっていく。それを見た雄一が、小さく声を上げた。
「あ、これ、俺が戦った奴に似てますね」
「そうよ。ところで雄一、前に話した私の仮説、覚えてる?」
「仮説? ええっと確か、神素を意図的に増幅させて、少量の神素で造り出した新獣……ってヤツでしたっけ?」」
小首を傾げながら答えた雄一に、好野は満足そうな笑みを向けた。
「うん、正解。まあ結論から言うと、私のその仮説が的中していたって事なの。おさらいも兼ねて説明するけど、私達が今現在認識している”新士“と“新獣”という存在は、なんらかの方法で神から神素を抽出し、それを意図的に対象に与えて造り出したもの。人の場合は“新士”、動物の場合は“新獣”。そして、その際には一体の神からの神素では足りないから複数の神から抽出する必要がある。……ここまではいいわね?」
好野の説明に、キョトンとしている雷華を除いた全員が頷く。それを確認した後、好野は続けた。
「で、今回のケースで出現した二つの生物……刀廻町の神連を襲った鳥達と、イリシレで私達を襲った生物。これらはさっき繚奈ちゃんが言ったように、僅かな神素を人工的に増幅させて造り出したものなの。だから神でもその存在を感知するのが難しかったわけね。そういう新獣を造っていたのが、あの研究所というわけ」
「成程……でも、なんだってそんなものを?」
「それは今の段階では分からないわ。でも、特に理由はないとも考えられるわね。『ただ造れたから』……それも十分な理由でしょう?」
「っ……そうですね」
二年前を思い出した雄一は、苦い表情で俯き加減になりながら呟く。その隣で、繚奈が口を開いた。
「あの好野さん。それじゃ、その二つの“新獣”の神素は、何の神から抽出したものか分かったんですか?」
「ええ。まず鳥の方に関しては、既に貴方達に話してある“雷鳥”……雷華ちゃんと神化している神の神素ね」
その好野の言葉に、自然と一同の視線が雷華へと集中する。が、当の彼女はまるで理解していないようで、不安そうに周囲を見渡しながら、握っている双慈の手に力を込めた。
「ソウジ……」
「あ〜大丈夫。みんな、何もしないって。……そう言えば、好野さん。そうなると雷華の体調不良とあの鳥には、やっぱり関係がある気がするんだけど……?」
「私はそう見てるわ。多分だけど同じ神素を持つもの同士、相互作用をもたらす様に造ったんじゃないかしら。だからあの鳥達が死んだことで、雷華ちゃんにも影響が出たのね」
「そういう事か。で、俺が戦った奴の方は?」
「今から説明するわ。貴方が戦ったのは、“ペリュトン”という神の神素を持つ新獣よ。そしてこれが、あそこに残っていたその新獣のモデルというわけ」
言いつつ好野は、CGモデルを映しているモニターを指先で軽く叩いた。
「“ペリュトン”……初めて聞くな、どんな神なんですか?」
「ごめんなさい、私も名前と外見ぐらいしか知らないのよ。鳥の胴体と翼に鹿の頭部を持つ神らしいんだけど、詳細については残念ながら何とも言えないわ」
「鳥の胴体と翼に、鹿の頭部……あれ? でも俺が見たのは、馬の様な体格だった気が……鳥の翼は有ったと思いますけど」
「そう言ってたわね。これは私の憶測になるんだけど、恐らくそれは未完成品、ないしは失敗作だったんじゃないかしら? 実際、強さはそれ程でもなかったんでしょう?」
好野のその言葉に、雄一は「ああ」と納得する。実際、あの怪物は恐ろしい外見に反して見掛け倒しの実力だった。
「という事は、何処かに本当の“ペリュトン”の新獣がいる可能性が……」
「っ!? まさか、私達があの研究所に着く直前に見た“あれ”が!?」
繚奈は驚いた声を上げ、雄一もハッとして彼女を見やる。確かにあそこが研究所であったのなら、そう判断するのが自然だった。
好野も同じ考えだったのだろう。徐に頷くと、説明を続けた。
「高確率で、そうでしょうね。そして斃れていた二人の研究員らしき人物、破壊されていた装置の類……これらから判断するに、彼らは“ペリュトン”の新獣の制御に失敗したんだと思うの。その結果が、貴方達の見たものということ」
「制御に失敗……それって、マズいんじゃ……?」
珍しく不安を露わにして、繚奈が独り言のように呟く。それに対して相槌を打つことはなかったが、雄一も同じ気持ちだった。
自分達は勿論の事、神ですら存在を感知するのが難しい奴なのだ。そんな奴を野放しにしておいて、安心できる筈がない。
ましてや好野の言う通り、『制御に失敗』しているのなら猶更だ。どんな惨事を引き起こすか、分かったものではない。
と、そんな二人の思いを察したのか、好野は沈痛な表情で首を横に振った。
「ええ、非常にマズいわ。だけど今の段階では、こちらから動きようがないのよ。闇雲に捜したところで、見つかるかどうかも分からないしね。それに、懸念点はもう一つあるの」
「懸念点?」
「そうよ。調べたところ、“雷鳥”と“ペリュトン”の新獣は同じ方法で造りだしていたみたいなの。つまり……」
ゆっくりと雷華に視線を移した後、好野は続けた。
「雷華ちゃんと似たような存在、要するに“ペリュトン”の神素を持つ新士がいる可能性が高いということなの。その人物の存在も、杳として知れないわ」
「ああ、そっか。って事は“ペリュトン”の新士と新獣、どちらも探さないといけないって訳ですね。しかし、手掛かりが何にもないんじゃなあ……」
雄一は遣る瀬無い表情を浮かべながら、天を仰ぐ。
普段ならそんな彼に対して繚奈が苦言を呈するところだが、今回は彼女も似たような心境だったのだろう。同じく遣る瀬無い表情と共に額に手を当て、盛大な溜息をついた。
「意見が合うのは珍しいわね。しかもこんな後ろ向きな意見で。……好野さん、何か案は無いんですか?」
半ば縋るように訊ねた繚奈に、好野は苦笑してみせた。
「全く無い、というわけではないわ。これから此処でデータ解析を行うから、全てはそれ次第ね。上手くいけば、“ペリュトン”の新士か新獣の追跡手段が見つかるかもしれないから」
「つまり、また待機というわけですか」
「まっ、仕方ないな。ゆっくり構えていようぜ。どうせ時がきたら、嫌程働かないといけないんだしな」
諦め半分で雄一がそう言った時だった。不意に通信室に扉が開く音が聞こえ、一同は一斉にそちらへと振り返る。
するとそこには、泣き腫らした赤い目を携えた水音が立っていた。
「水音さん! 大丈夫ですか?」
繚奈が訊ねると、水音は静かに頷く。
「うん、何とか落ち着いた。目が覚めたら隣に光美ちゃんにいて、訊ねたらみんな此処にいるって言ったから来たの。話さなきゃいけないことがあるから」
「っ……あの人の事、ですね?」
「そうよ」
そう言って水音は眼を伏せる。暫しの沈黙の後、彼女は眼を閉じたまま絞り出すような声を出した。
「あの人の名前はフモル……私の元夫なの」