第十四章〜忌まわしき過去から生まれる決意〜

 

 

 

 

 

 

――――東歴1998年6月17日午後二時。

「どうして、ここまで僕についてきてくれるのかな?」

男のそんな問いかけに、女は澄ました様子で髪を揺らしながら答える。

「大した理由はないわ。そうしたいって思っただけ」

「……分からないな。僕の何処に、そんな魅力があると言うんだい?」

「そういうこと、自分で言って悲しくならないの?」

可笑しそうに女が笑ったが、男は怪訝そうに首を捻るばかりだ。自虐、などではなく純粋に疑問なのだろう。

事実、男は男性としての魅力には乏しかった。容姿に優れているわけでもなく、抜きんでた力や技術を持っているわけでもない。生活力に至っては皆無に等しい。

一般論で言えば、生涯の伴侶に選ばれる事はまず無いだろう。それは女自身、確かに思える事ではあった。

だが女は相変わらず頭上に疑問符を浮かべている男に、ふと腕を絡ませる。そうすると胸の奥が熱くなっていくのを感じながら、女は言った。

「まあ、あれじゃない? 色々難しく考えなくていいって事。貴方と私の相性が良い……そんな単純の話よ」

「相性、か。まあ……そうかもしれないな」

そう呟く男の声が少しだけ上擦っている事に、女は堪えきれず噴き出してしまう。もう何度も経験している筈なのに、未だにこういう事には慣れないらしい。

だが、それが実に彼らしく、そして愛おしい。そう思った女は、心から幸せを感ながら言った。

「手続きも式も無し。そんな風にして夫婦になるのも悪くないわ。ね?」

女はこの時、無邪気にもこの幸せがずっと続くと信じていた。否、そうであるとしか考えていなかった。

よもや僅か数十日先に破滅と絶望の未来が待っている事など、彼女は夢にも思っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――東歴2002年10月18日午後五時。

「元夫って……どういう事ですか?」

水音の衝撃発言からややあって、雄一が戸惑いがちに口を開いた。

その隣では、繚奈が口を半開きにして硬直している。やはり知り合いである彼女のショックが、最も大きかったのだろう。

そんな繚奈を一瞥した後、水音が自嘲の笑みを漏らしながら言った。

「そのままの意味……って言っても分かんないわよね。ちょっと長くなるけど、良い?」

「ええ、お願いします」

「了解。さて、どこからどう話すか……まあ、やっぱり彼と出会った頃からかしらね」

過去の記憶を思い起こす為か、水音は眼を伏せながら天を見上げる。それからややあって、訥々と語り始めた。

「彼……フモルと出会ったのはね、私が神士になってすぐの頃。剣輪町を出て、暫く経ってからの頃ね」

「剣輪町を出たって……なんでまた?」

「っ、大した事じゃないわ。ちょっと親と折り合いが悪くなっちゃって……要するに家出ね」

「それは、いつ頃の話なんですか?」

「ごめん、あんまり正確には覚えてないの。あの頃の私、自分で言うのもなんだけど結構荒れてたから、記憶が曖昧なのよ。何もかもが嫌になって、『メヌナーデ』のバイトも逃げるように辞めて、この国を飛び出して世界中をフラフラしてて……」

「だったら、今から大体四年前ですね。水音さんを『メヌナーデ』で見なくなったのは、私や光美が高校三年になって間もなくでしたから」

やや落ち着きを取り戻したらしく、繚奈が口を挟んできた。そんな彼女を見てハッとした水音が、バツの悪そうな笑みを浮かべる。

「もうそんなに経つのか……ごめんね、繚奈ちゃん。せっかく仲良しだったのに、何も言わずにいなくなって」

「い、いえ、そんな……それより世界中をフラフラしてたっていうのは?」

「ああ、我ながら滅茶苦茶な思考よ。親の顔を見たくないって気持ちが突き抜けて、親がいるこの国にいるのが耐えられなくなっちゃったの。だからとにかくこの国の外にいたかった。ただ、それだけ」

「それはまた……随分と大胆な発想と行動ですね」

呆れと称賛の入り混じった感想を雄一が述べると、水音が苦笑した。

「自分でもそう思うわ。とにかく、あの頃の私は普通じゃなかった。……まあ、そのおかげで穿蝎と出会えて神士になった訳だけど」

「その時に、フモルさんと出会ったって事ですか?」

繚奈が訊ねると、水音は笑みを消して静かに頷く。

「まだ私がトゼロやフィーノに出会う前なんだけど、穿蝎の神器を手に入れるために向かった洞窟内で、彼と出会ったの」

「っ!……という事は、彼も神士……いや、違うか。この場合、水音さん以外の人間に穿蝎の神器は不要な物だしな。となると……」

「ええ、そうよ。彼は神や神士に関しての研究者。あの場所興味本位で探検している時に、偶然見つけたらしいの。尤も、それが分かったのは暫く後の事。出会ったその時は、私も今の貴方みたいに彼を神士だと思った。まっ、すぐに穿蝎に違う事を説明されて、納得したけどね」

そこで水音は再び笑ってみせる。しかし、その笑顔は何処か空虚なものの様に、雄一も繚奈も感じられた。

最初から薄々感じてはいたが、やはりあまり話したくはない内容なのだろう。直感的にそう判断できた二人だが、ここで中断するわけにもいかない。僅かな沈黙の後、雄一が水音に訊ねた。

「それで、そのまま二人で神器を手に入れたんですか?」

「ううん。穿蝎に言われて、私はフモルをその場から追い出したの。戦えない者を同行させるのは良くないって」

「彼はそれに従ったんですか?」

「ええ、割とあっさり引き下がってくれたわ。そして私は一人で洞窟の奥へ進み、神器を手に入れたのよ」

「……そういや、まだその神器の事、訊いてなかったですね。ちょっと脱線するかもしれないですけど、教えてくれますか?」

「それは、この神器の名前って事?」

「ええ、まあ……」

「だったら、ごめん。これ、名前は特にないのよ。これを見つけた時、穿蝎は教えてくれなかった。というより、自分の神器に別段興味がなかったみたい。『好きに名付けたら良い』って言われちゃった。

 でも私、そういうの名付けるの苦手で……だからずっと、“穿蝎の神器”って呼んできたの」

「へえ、そういう神や神士もいるんですね」

「本当。あまり多くのケースを知っているわけじゃないけど、初めて聞いたわ」

“神龍”及び“邪龍”から名前は勿論の事、由来まで延々と語られた過去を持つ雄一と繚奈にとっては新鮮な話である。

状況が状況ならもう少し詳しく聞いてみたい気もするが、流石に今はそんな場合ではないと、雄一は話を戻すことにした。

「じゃあ本題に戻りますけど、その神器を入手してからフモルさんと、どうなったんですか? やっぱりそのまま気が合って……とか?」

「いいえ、次に彼と出会ったのは暫く後になるの」

「暫く後?」

「ええ。穿蝎の勧めで私は神器の慣らし……穿蝎が感知した神士達と戦う日々を送っていた。……あ、誤解しないでね? 別に殺戮を続けてた訳じゃないわよ? あくまで神士としての経験を高めるのが目的だったから。大抵は戦闘不能にするだけに留めておいたわ。……まあ、フモルと出会った時はその大抵じゃない場合だったけど」

「何があったんですか?」

「彼はある神士に襲われてたの。いわゆる、“試し斬り”っていうのかしら。強い力を手に入れたが故、とにかくその力を使ってみたかったんでしょうね。でも、神士が一般人を襲うなんて許される事じゃない。まだ神連に所属する前の私でもそう思ったし、穿蝎も同意見だった。だからフモルを助ける為、その神士と戦った。だけど、そいつは強かった。まだ経験不足の私と違って、百戦錬磨を思わせる実力があった。神士になってから初めて、私は命の危険を感じたわ。満身創痍になり意識も薄れゆく中で、どうにか奴を仕留めた事は覚えてる。そして気づいたら……何処かの家で彼に手当を受けていたの」

男女の立場が逆ではないか、と思った雄一だが、それを口にすることなく水音の言葉を待った。

「そこからはまあ、良くある話というか……徐々に親密になっていったわ。多分、私は知らず知らず人の温もりに飢えてたんだと思う。男女の仲になるのも……抵抗はなかったわ」

そこまで言って水音はふと気づいたように「こういう話、苦手?」と雄一に訊ねる。それに対して雄一は、力ない笑みを浮かべながら首を横に振った。

「苦手と言えば苦手ですけど……どうぞ続けてください。大事な話なんでしょう?」

「ありがとう。じゃあ続けるわね。でまあ、フモルとそういう関係になって暫くして、私は彼に言ったの。『結婚しよう』って。彼は不思議そうにしながらもOKしてくれた。そして私達は夫婦になったわ。といっても籍は入れなかったし、式も挙げなかった。つまり形だけの夫婦ってわけね。それでも私は構わなかったし、彼も同じだった。ただ一緒にいられれば、それで幸せ。一緒にいて、愛し合えればそれだけで良かった。……少なくとも、その時はね」

「何かが……あったんですね?」

嫌な予感がしたのか、両手で自分の身体を抱きしめるようにしながら、繚奈が呟くように言う。すると水音は、不愉快そうに眼を伏せながら頷いた。

「彼の研究がどんなものなのか、その詳細を知ったのよ。神に関する研究のね」

苦々しく吐き捨てつつ、彼女は続けた。

「それまでも何度か訊ねた事はあったし、フモルが持っていた小さな研究室を見せてもらったこともあった。それらから分かったのは、彼は神士に関して熱心に研究してたみたい。何をどうすれば、より強大な力を神士が持てるか、とかね」

瞬間、その場にいた水音と雷華以外の全員に戦慄が奔った。

――――『天上の庭』

恐らく生涯忘れないであろうその単語が、嫌でも頭に浮かんでくる。そんな雄一達の心内を知ってか知らずか、水音は話を進める。

「最初は私、特に何とも思わなかった。強い神士っていうのがよく分からなかったし、別になりたいとも思わなかったから。穿蝎の事とか神器の事とかも沢山訊かれたけど、私は自分の知ってる事実を淡々と話すだけ。それでもフモルは興味深そうに真剣に耳を傾けていた。……しばらくたってそれが狂気だったって、分かったのよ」

そこで水音は視線を動かし、繚奈の顔を見つめた。

「彼ね、赤ちゃんを熱望してたの。私も彼との子供が欲しかったわ。でもね、私と彼の間には大きな隔たりがあった。彼はね、研究の為に赤ちゃんが欲しかったのよ」

「それって……まさか……」

繚奈が悲鳴を呑み込んだかの様な声を出す。

「理解が早いわね。そう、フモルが欲しがってたのは、正確に言えば赤ちゃんじゃなくて胎児。その子に様々な処置や薬品を与える事で、人工的に神力を増強させて優れた神士を創ろうとしてたの」

「……ああ……」

何と言っていいか分からず、雄一は額に手を当てて嘆息した。遣る瀬無い気持ちで一杯になりながら、彼は思う。

―――—どうしてこうも悪魔めいた事を考える者が、何人もいるのだろう?

「しかも性質の悪い事に、フモルはその事について何の罪悪感も感じていなかった。むしろ喜ばしい事だと思っていたみたい。力は無いより有った方が良いに決まってる……彼はそう言ってた。私はそれを聞いて、ああ、もう無理だなって思った。あんなに愛していたのに……いえ、愛していたからこそ、彼があんな恐ろしい考えの持ち主だって事に耐えられなかった。だから別れた。彼の前から逃げるように去って……っ……本当に短い新婚、いえ夫婦生活だったわ。正確に数えていないけど、多分一か月あるかないかぐらいだったんじゃないかしら。今こうして振り返ってみると、我ながら無茶苦茶よね」

そこまで話し終えた水音は、声を上げて笑う。しかし、その笑い声は震えていて、それが彼女の本当の感情を表していた。

両眼の端で光る物も、決して喜びから生まれるものではないと容易に理解できた。

「……だけど、これだけは言える。フモルがこの事件に関わっていた原因は、私にもあるって事。私が……私が彼を止めて……ううん、しっかり見張っていれば、今回のような事は起こらなかったのかもしれない。これは私の予想だけど、多分その子が新士として誕生したのには、彼が大いに関係していると思うの」

水音は言いながら雷華へと視線を移す。つられて他の四人も彼女の顔を見つめた。

そうして一斉に注目を浴びた雷華だが、当の本人は何も分かっていない様子で、不思議そうに眼を瞬かせるばかり。そんな彼女に対して、水音は深い溜息をついた。

「この子を処理したいと強く思った理由が分かった気がする。無意識に内に察していたんでしょうね、彼が関わっているという事に。だから消してしまいたかった。嫌な過去の思い出を忘れる為にも」

「水音さん……」

「でも、もうそんな後ろ向きな考えではいられない。なんとしても彼の……フモルの遺した問題を解決しなければ。それはきっと私の役目。誰にも譲れない……いえ譲ってはいけない、ね」

話の間も変化を続けていた水音の表情が、最後に凛とした物に変わる。そこからは彼女の決意の強さが、ひしひしと感じられた。

「だから好野さん、詳しく教えて欲しいの。今現在分かっている事、そしてこれから私達がどう動くべきなのかを」

「……ええ、分かったわ」

断る理由もなく、好野は先程雄一達にした説明をもう一度繰り返し始める。

それに真剣な表情で耳を傾けている水音を、一同はただ黙って見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

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