第三章〜閑話休題〜

 

 

 

 

 

 

――――東暦2002年10月10日午後五時。

軽快な電子音が響く中、子供達の歓声やカップルの話し声が聞こえるゲームセンター。

その中の隅に位置するカウンターで、店内の様子をチェックしていた雄一はチラリと時計を見る。すると針は、勤務終了時刻の五分前を差していた。

「ふう、やっとか。何事も無くて良かったぜ」

安堵の溜息をついた彼は、胸元で揺れている青い龍のキーホルダーを指先で触る。これが彼の癖だった。

「それにしても最近、神士としてよりも、こっちで働いてることの方が多いよなあ。平和な証拠だから歓迎はするが……やっぱり接客業は苦手だわ、俺」

呟いた途端、今日一日の疲れがドッと吹き出してくる感じに襲われ、雄一はカウンターに腕を組んでその上に顔を伏せる。

すると、そんな雄一の耳に、呆れた様な口調の女性の声が聞こえた。

「ちょっと。仕事中に転寝なんてしてて良いの?」

「おっと……何だ、繚奈か。別に寝てたんじゃないっての」

顔馴染みの声に雄一が振り向くと、繚奈が自身の茶髪を弄りながら、こちらにやってきていた。

そんな彼女の両耳には、相変わらず赤い雫のイヤリングが揺れている。それを見た雄一は、ふと思った。

(トレードマークを肌身離さず付けてる所は、そっくりだな。流石、俺達って……っ……)

そこまで考えて雄一は一瞬苦笑する。そんな彼を見て何かを思った繚奈が、意味深な笑みと共に小首を傾げた。

「あら、光美じゃなくて残念だった?」

的外れなその発言に、雄一は大きく肩を竦める。

「……何を言ってんだか。それより、どうしたんだ? まだ約束の時間には、大分ある筈だろ?」

「分かってるわよ。別にそれで急かしにきた訳じゃないわ。案外早く任務が終わっただけ。だからたまには、此処で遊ぼうかなって」

「おいおい、輝宏君を放っておいてゲーセンかよ? 母親として良いのか、それ?」

「ご心配なく。輝宏なら光美に預けてるから。それに、そろそろ一緒に来るはず…………あ、ほら」

繚奈が入口の方を指差すと、丁度光美が輝宏の手を引きながら入ってきたところだった。

すると、程無くして向こうもこちらに気づいたらしい。輝宏はパッと表情を輝かせると、光美から手を離して繚奈の元へと走り出した。

「お母さん!」

「あっ、輝宏君! そんなに走ったら危ないわよ!」

慌てて光美が注意するが、輝宏は足を止めることなく母親への元へと急ぐ。そして、慣れた様子で両手を広げながら屈みこんだ繚奈の胸に、勢いよく飛びついた。

「お母さん! お帰りなさい!」

「はい、ただいま。良い子にしてた、輝宏?」

「うん!」

大きく頷いた輝宏を、繚奈は笑顔で抱き上げる。すると輝宏もつられて笑い、雄一に挨拶した。

「ゆうにい、こんにちわ」

「ああ。ちょっと見ない間に、また大きくなったな、輝宏君」

「えへへ。お母さんのごはん、いっぱい食べてるから」

輝宏が嬉しそうに笑うと、繚奈もそんな我が子を見て微笑む。

それは全く普通の親子だと、雄一は思った。同時にこの荒んだ世の中では希少なのでは、と。

(まっ、過保護っちゃ過保護な気もするが……それだって、全部が全部悪い訳でもないだろうしな)

「ゆういっちゃん、どうかしたの?」

「うわっ!? ひ、光美ちゃん、急に声かけないでくれよ」

物思いに耽っているところへ突然話しかけてきた恋人に、雄一は非難の声を上げる。

すると光美は、少しだけ頬を膨らませながら言った。

「むう、何よ。ゆういっちゃんが、ボンヤリしてるのが悪いんじゃない。大体、急にってわけでもないじゃない。私がいたの、知ってたでしょ?」

「そ、そりゃそうだけど……まあ、そうだよな」

反論の言葉を探した雄一だったが、結局見けることが出来ず、自分から非を認める。

そんな彼を見て、繚奈がクスクスと笑みを零した。

「あらあら。全然、光美に頭が上がらないのね、貴方って」

「っ……悪かったな」

バツが悪そうにそう呟きながら、雄一は明後日の方向を向いた。

 

 

 

 

 

“神人革命”と呼ばれるようになったあの事件以降、雄一と繚奈、そして光美の関係は急激に変化していた。いや、正確には“本来あるべき”ものに戻ったと言うべきか。

三人の間にあった様々な蟠りの殆どが解け、かつて敵対したり避け続けていたりしていたのが信じられない程に、同じ時間を過ごす日々が多くなっていた。

雄一と繚奈は前にも増して神連の任務に共同で当たる事が多くなり、良きパートナーとして知られるようになっている。

元々、神士としての戦闘能力が高かった二人。その上で、息の合った連携も難なくこなせるようになった今、これまで以上に名が知れ渡るようになった。

その結果、それぞれの異名であった“覇王剣士”と“幻妖剣士”だけでなく、新たな通称も生まれている。

――――“蒼紅双龍”。

蒼紅の刀と龍の力を持つ事から呼ばれるようになった、二人の通称である。

そして二人の日常生活には、決まって傍に光美の姿があった。

雄一とも繚奈とも、かつての絆を取り戻せた彼女は、余程の事が無い限り二人のどちらかの傍にいた。

当然だが、傍にいる意味はそれぞれで違い、雄一には“恋人”として、繚奈には“親友”としてである。

そんな風に二人の精神的な支えとも言えるべき存在であるが故、光美は一般人でありながら特別に剣輪町と刀廻町の神連への出入りが許可されている。

最近は、ようやく“神人革命”時の傷跡が癒え始めた刀廻町の神連に、差し入れや軽い事務作業の手伝いの為に訪れることが多かった。

勿論、雄一の所属する剣輪町の神連――町唯一のゲームセンターを訪れることも多く、時には彼や彼の母親である好野に家へと送ってもらうこともあった。

光美はそんな毎日が楽しくて仕方がないらしく、常に朗らかで、浮かべる笑みにも幸福の色が滲んでいるのが容易に分かった。

相変わらず左頬の傷は健在だが、そもそも彼女が関わる人間は傷の事情を知る者ばかりなので、今ではそれ程目立つ物でもなくなっている。

――――この分では、光美自ら傷を消す日も遠くないだろう。

雄一や繚奈をはじめとして、周囲の人々は、皆そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「んで? そっちの神連の様子は?」

ステーキにフォークを突き刺しながら、雄一は繚奈に訊ねる。すると彼女は、胸に抱えた輝宏にコーンスープを飲ませながら答えた。

「ある程度、落ち着いてきたわね。元々、神連そのものへのダメージは小さかったから。刀廻町も援助してくれてるし、残る問題は人員ぐらいよ」

「その人員が、一番の問題だろう?」

「まあね。職員はともかくとして、神士はそう簡単に見つからないから……まだ当分は、私と双慈だけで頑張るしかないみたい」

「そっかあ。無理しないでね、繚奈。後、双慈君にも無理させないでね」

雄一の隣の席でパスタを食べていた光美がそう言うと、繚奈は笑って「ありがとう、分かってるわ」と返した。

今、四人は剣輪町にあるファミリーレストランで食事をしている。これもまた、“神人革命”以降、日常の一コマとなった光景だった。

普段なら、ここにもう一人――双慈もいる事が多いのだが、生憎と今回は欠席している。

一通りの雑談が終わり、各々の食事もあらかた平らげた頃、ふと雄一がその事を口にした。

「そういや、繚奈。双慈君から、連絡あったか?」

「え? ああ……向こうについてから一回だけあったわ。それが昨日の夜ぐらいだったから、今頃は丁度向こうの神連についてる頃じゃない? もしかしたら、もう任務中かも」

「向こうって、確かイリシレだっけ? 今、双慈君がお仕事に行ってるのって」

光美が独り言の様に呟くと、繚奈が頷く。

「ええ」

「しっかし、大丈夫か? まだ、あの子一人だけの活動は早い気がするけど……」

腕組みをして中空を見上げながら、雄一はそう漏らすと、繚奈が笑いながら手を横に振った。

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。手に負えそうにないと思ったら、すぐに連絡するようにって念を押しといたし」

「……あの子の性格上、逆効果なんじゃないか?」

「ま、まあ……大丈夫でしょう」

苦笑と共にそう言った繚奈に対して、雄一と光美は呆れ交じりの笑みを浮かべた。

“神人革命”以降、双慈は暫定的に刀廻町の神連に所属している。

現在の保護者である繚奈がそこの所属という事が一番の理由だが、未だ危険人物という評価も消えない彼に対して、他の神連が良い顔をしなかったというのも理由の一つである。

そんな事情もあってか、双慈は信頼を得る為、そして様々な経験を積む為、所属している刀廻町の神連のみならず、他の神連からの要請にも最優先で応じる身であった。

まだ子供であるとは思えない程に多忙な日々を送っているが、そこは繚奈という保護者がいる為、そこまで大きな問題は起こっていない。

二年前は乏しかった感情も豊かになり、表情も態度も年齢相応の少年らしいものになりつつあった。

ちなみに繚奈によると社会に馴染ませる為にと、学校に通わせる事も考えてはいたらしい。

しかし“新人革命”以前の経歴が分からず、本人の記憶も覚束ない双慈の身元は一切不明で、手続きは厄介且つ面倒だった為、断念する結果になったそうだ。

よって、繚奈自身による教育と通信教材の二つで、彼女は双慈を育てている。

まだ小さな輝宏もいる身分で、もう一人子供を育てるのは大変だと雄一や光美は思ったのだが、当の本人は至って気楽なものだった。

――結構助かってるわ。私がいない時に輝宏の面倒を見てくれるし、輝宏もお兄ちゃんが出来て喜んでるみたいだし。

時折会う度にそう話す繚奈の顔は、紛れも無い“母親”の顔――ほんの二年前までは、雄一が殆どみる事の無かった穏やかな顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだ、繚奈。双慈君って、勉強の方はどうなの?」

デザートのパフェを食べながら、光美が繚奈に訊ねる。そんな彼女の問いに、雄一も口を開いた。

「ああ、俺もちょっと気になってた。学校に行かないで、ちゃんと知識が身につくもんなのか?」

二人の問いに繚奈は、満腹になり眠ってしまった輝宏の頭を撫でながら答える。

「平気よ。そもそも学校に行かなきゃ知識が身につかないって認識も、私はどうかと思うし。国語や算数なんて科目の勉強は、通信教材で十分よ」

「そんなもんかね?」

「そんなものよ。まあ通信教材だと、どうしても固い考えしか出来なくなるから、所々は私が教えてあげてるけど」

「へえ、繚奈、教えられるんだ?」

心底驚いた様子で呟いた光美に、繚奈は少し不機嫌そうに顔を顰めた。

「あのね、光美? そりゃ私は勉強得意じゃないけど、いくらなんでも小学校レベルの勉強くらい分かるわよ。まっ、ゆくゆくは輝宏に教える前の練習ってとこね」

「あ、そっか。そうだよね。でも、双慈君や輝宏君が大きくなって、中学生や高校生になった時は、どうするの?」

「う……それは……」

途端に渋い表情になり、冷や汗を流し出した繚奈を見て、雄一はある事を察する。

すると思わず吹き出してしまい、当然そんな雄一を見た繚奈が彼に食って掛かった。

「な、何よ雄一?」

「いや、あんまり勉強は得意じゃなかったんだなあって」

「っ……そういう貴方はどうなのよ?」

「俺? 俺もまあ、良くはなかったよ。小さい頃から神士やってて、そっちばっか優先してたからなあ……繚奈は高校生になってからだっけ? 神士になったのは」

「ええ。もう六年も前ね。……考えてみれば早いなあ。ついこの前に“邪龍”と出会ったばっかりの気がするのに」

「月日なんて、そんなもんさ。俺なんて“神龍”と神化してから十六年だぜ? 全然、そんな実感ないってのにさ」

「そうね、本当に光陰矢の如しとはよく言ったものだわ。……って、こんな会話、“邪龍”や“神龍”が聞いたら、なんていうかしらね?」

「はは、確かに。あれこれ言われそうだな」

今頃、どこかで暇を潰しているであろう互いのパートナーを思い浮かべながら、雄一と繚奈は笑い合う。

と、不意に隣から奇妙な視線を感じた雄一が、光美の方に振り向いた。

「光美ちゃん? どうしたんだ?」

「……別に」

抑揚のない声でそう答えた光美は、雄一から視線を外して黙々とパフェを食べ続ける。

そんな光美の態度を不思議に思った雄一は、首を傾げながら繚奈に訊ねた。

「なあ、繚奈。俺、なんか光美ちゃんにマズイこと言ったか?」

「え? いや、私に訊かれても……光美、雄一の何が気にいらなかったの?」

今度は繚奈が訊ねると、光美はパフェの最後の一口を食べ終え、軽く髪を靡かせて澄ました顔で口を開く。

「随分、仲良しになったなあって」

「はい? 仲良し? 誰と誰が?」

「……ああ」

意味が分からず困惑する雄一とは対照的に、繚奈は納得した様子で手を打つ。そんな彼女に、雄一は訊ねた。

「『ああ』って繚奈、意味の光美ちゃんの言葉の意味、分かったのか?」

「多分、それでしょ」

「はあ?」

「だから」

そこで一旦言葉を切り、繚奈は我関せずといった様子で水を飲んでいる光美を見る。そして、軽く笑いながら口を開いた。

「私のことは呼び捨てなのに、光美には“ちゃん”付けなのが気にいらなかったんでしょ?」

「……え?」

「そうでしょ、光美?」

「知らない」

顔を赤くして、光美はそっぽを向く。

その様子から、流石に彼女の気持ちを察した雄一は、バツが悪そうに頬を掻いた。

「そういうこと、ね。あの、光美ちゃん? 呼び捨てにしてるからって、俺と繚奈は別に仲良しって訳じゃないぞ?」

「あら、残念。私は結構、貴方と仲良しになれたなって、思ってたんだけど?」

「っ……まぜっかえすなよ」

雄一が眉を顰めて繚奈を睨むと、彼女は可笑しそうに口元を抑えて笑う。

「フフフ。でも、流石にそろそろ光美のことも呼び捨てで呼んであげてもいいんじゃない? 二年前と違って、今はもう彼女なんだし」

「いや、それは、まあ……な」

尤もな意見を言われ、雄一は言葉を濁す。

確かに今や恋人である光美を、幼少期の時と同じように呼ぶのは彼自身、少し変わっているとは思っていた。

けれども、直接呼んでいた期間は短いとはいえ、完全に己に染み込んでしまっている呼び方を変えるのは、想像以上に難しいのである。

それに加えて、雄一も光美からは幼い頃の呼び方である『ゆういっちゃん』と呼ばれているのも、理由の一つだった。

端的に言ってしまうと、自分だけ呼び方を変えるのが、何となく気が進まないのである。

しかし、だからといって光美に呼び捨てで呼ぶように頼むのも変な感じがするし、何よりそう呼ばれたいとも思っていない。

結局の所『変化を億劫に思っている』ということに落ち着くのだった。

「まっ、呼び方なんて、そんなに深く考えることでも……あら?」

不意に着信音を鳴らし出した通信端末に、繚奈の表情が変わる。

それを見て、“ある事”を察した雄一が、即座に口を開いた。

「双慈君からか?」

「ええ。珍しいわね、直接通信入れて来るなんて」

「それだけ、大変な事なんじゃない?」

「……そういう事ね。ゴメン、光美。輝宏よろしく」

「はいはい」

光美は笑顔で頷くと、繚奈からテーブル越しに輝宏を預かる。

そして預け終わった繚奈は端末を操作して通信を開き、僅かに緊張を含んだ声を出した。

「もしもし、双慈? どうしたの、緊急事態?…………ええっ!?」

いきなり大声を出し、その場に立ち上がった繚奈に、雄一と光美は驚いて身を退く。

幸いにも輝宏は眼を覚まさなかったが、周囲の客や店員の視線が一斉に向けられ、慌てて光美が繚奈を注意した。

「り、繚奈。もう少し声を抑えて」

「あ、ゴメンなさい。つい……」

「なんかヤバイ事でもあったのか?」

嫌な予感がした雄一がそう訊ねると、繚奈は複雑な表情で首を横に振る。

「い、いえ、その……ヤバいか否かって言われたら、まあヤバくはないんだけど……ああ、ゴメン双慈。ちょっと今、ファミレスにいたから……うん……うん……」

歯切れの悪い返事をした彼女は、再び双慈との会話に戻る。

それを邪魔してまで質問するのも気が引けた雄一は、静かに繚奈と双慈の会話が終わるのを待った。

「……分かったわ。とにかく、詳しくは実際に会ってから訊くから。それじゃ、待ってるわね」

「何だって?」

繚奈が通信を切ると同時に雄一が訊ねると、彼女は顔を顰めつつ言った。

「どうやら向こうで仕事中に、女の子と出会ったらしいの。それで、予定を早めてすぐ帰国するそうよ」

「女の子と出会ったから、すぐに帰国?……っ! まさか、その子って……」

「ええ、神連で調べてみる必要があるって言ってたわ。あっちの神連、そういう設備は不十分らしいから」

「それって、つまり……?」

話が呑み込めた光美が呟くと、繚奈は頷いてみせた。

「普通の女の子じゃないわね、その子は。恐らくは双慈と同じ……」

――――“新士”。

その単語が、三人の頭に同時に浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

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