第四章〜天使か悪魔か〜

 

 

 

 

 

 

――――東暦2002年10月13日午後二時。

『皆様。当機は只今よりおよそ30分程で、刀廻国際空港に着陸する予定でございます』

「っ……あ……」

聞こえてきた機内アナウンスによって、双慈は眼を覚ます。いつの間にか深く眠っていたようだ。

双慈は眼を擦って眠気を払いながら、ふと隣の席へと視線を移す。そこには彼と同じくらいの金髪の少女が、安らかな寝息を立てていた。

(寝てたら静かなもんだな、本当)

呆れ混じりの笑みを浮かべながら、双慈は少女を改めて見やる。

――――服装は飾り気のない黄色のワンピース。金の髪に馴染む金色のリボンでツインテールの髪形を作り、首には黄色のチョーカー。更には履いている靴も黄色。

その寝顔は何処にでもいる普通の少女のものだ。そう見えるからこそ、余計に双慈は憂鬱な気分に襲われる。

少女から視線を外した彼は、頬杖をつきながら盛大な溜息をついた。

(厄介な事にならないと良いな。まあ騒がしいとはいえ、悪い子じゃないみたいだし……)

やがて行われるであろう長時間の検査や、その後における長期間の観察の事を思い、双慈は少女を不憫に思った。

「だけど、まあ……」

少女との出会いを回想しつつ、彼は再び嘆息する。

「何者なんだかな。この子は」

 

 

 

 

 

……。

…………。

――――東暦2002年10月10日午前12時30分。

「うわっ!?……こいつらが、トゼロさんが言っていた幻獣か!?」

瓦礫の山を崩壊させながら飛び出してきた数匹の怪鳥から、双慈は咄嗟に間合いを離した。

怪鳥の大きさは全長一メートル程だろうか。姿は鷹とよく似ているが全身が黄金色をしており、嘴が非常に長く鋭い形状になっている。

(一、  二……全部で六羽か。トゼロさんは“かなりの数”って言ってたけど……これがそれを示しているのか、あるいはまだ他に仲間がいるのか……)

しっかりと“グリフ”と”フェル“を握りしめながら、双慈は考えを巡らす。

幻獣の強さがどれくらいかは分からないが、あまり派手に動けないこの場所で戦うのは、あまり得策とは言えなかった。自分の戦闘スタイルを考慮すれば、尚更である。

それに、自分の後ろにある装置の事も気掛かりだった。まだ詳細に調べていない以上、戦闘の影響で破壊してしまう訳にもいかない。

加えて今回の目的は幻獣討伐ではないのだから、必ずしもこの幻獣達と戦う必要も無いと言える。しかし、そこまで考えた双慈は、小さく被りを振る。

(いや……やっぱりそうもいかないか。こいつらの登場の仕方……それに全然攻撃してこないところからして、この装置を守る存在みたいなもんだろうし)

こちらに敵意を向けてはいるが、一向に襲ってくる気配のない幻獣達を見て、双慈はそう判断する。

主である神や神士がそう命令しているのか、あるいは自我によるものなのかは分からない。けれども、なんにせよ今回の任務の妨げになり、放置できる存在ではないことは確かだった。

「さっさと終わらせよう!!」

戦う事を決めた双慈は、“グリフ”と“フェル”を構えて幻獣の群れに突撃する。そんな彼に反応して、幻獣達も鋭い鳴き声と共に襲い掛かってきた。

鷹の姿をしている見た目に違わず、幻獣達は俊敏だった。更には十分の知能も持ち合わせているらしく、双慈を取り囲むように陣形を組み、時間差をつけて次々と突進してくる。

双慈はそれらの攻撃を寸でのところで回避しつつ、奴らが手強い幻獣だと察する。長々と戦うのはマズイと判断した彼は、一刻も早く仕留めるべきだと反撃に転じた。

身を反らして幻獣の突進を躱すと同時に、そのまま遠心力をつけて“グリフ“を振るう。その斬撃は、的確に幻獣を捉えた。だがその瞬間、双慈は”グリフ“を握る手に痛みを伴う痺れを感じた。

「痛っ!……電気を纏っているのか!?」

厄介な特性に気付き、彼は顔を歪ませる。帯電状態の相手に迂闊に斬りかかれば、いくら神器と言えども感電は免れない。つまり、直接攻撃が出来ないのだ。

勿論それで完全に攻撃が不可能ではないのだが、この狭い空間、且つ防衛対象がある状況においては話が別。

繚奈や雄一ならば、幻獣達をピンポイントで狙う腕も技も持ちわせているから問題ないのだろうが、生憎と双慈はそういうわけにはいかなかった。

(“爆狼”の力はここじゃ不向きだし、幻獣相手に“鵺”の力がどれほど効くか分かんないしな……)

双慈が持つ二体の神の力の片方――“爆狼”の力は、空間に自由自在に爆発を起こす力。故に広い場所や、純粋に破壊目的の場合ならば非常に有効な力である。

しかし今はそれとは正反対の状況。力を込める事は出来ても抜くことはままならない彼の技量では、おいそれと此処で使う訳にはいかなかった。

そしてもう一体の神――“鵺”の力は、“鳴き声”とも称される不快な音で、聞いた者を苦しめる力。故に人間や動物といった生物相手には効果的だが、偽りの存在ともいえる幻獣には効果が薄い。

これまでの経験からして、僅かに動きを鈍らせる程度が精々だろう。つまるところ、神の力をもってしても、今の状況を好転させる事は難しそうだった。

「……それなら!」

ある事を思いついた双慈は、素早く出口への方へと駆けだした。その際に幻獣達を見やると、一羽も残らず敵意を剥き出しにして追いかけてくる。

どうやら一度敵とみなした対象には、どこまでも攻撃を続けるようだ。期待通りの反応を見せた幻獣達に、双慈は不意に笑みを浮かべた。

「悪いけど、追いつかれたりなんかしないからね! ついてこれるなら、ついてきなよ!」

研究所跡は残骸だらけで走りにくいが、スピードは幻獣達より双慈の方が上だった。彼は器用に障害物を掻い潜りながら、出口へとひた走る。

やがて階段が視界に入ると、彼は更に足を速める。そして瞬く間に階段を駆け上がって外へ出ると、待機していたフィーノに向けて叫んだ。

「離れてください!!」

「えっ?」

「急いで!!」

続け様に叫んだ双慈の様子から、フィーノは事態を察したらしく、森林の方へと駆けていく。流石に神連の職員なだけあって、理解が早い。

彼女の行動の適切さに感心した双慈だったが、すぐに気持ちを切り替えると、“フェル”に神力を注ぎ込み始めた。

その直後、彼が駆け上げってきた階段から、幻獣達が一斉に飛び出してくる。彼はその瞬間――狭い階段から出て来るために、幻獣達が密集している瞬間を狙い、“フェル”で十字を切った。

すると幻獣の群れの中心に十字が刻まれ、次いでその軌跡に沿って爆発が起こる。“斬爆・十文字”という名の、双慈が得意としている技の一つであった。

爆発は勢いよく幻獣達を一羽残らず包み込み、数秒後に爆炎が収まった時には、幻獣の姿は何処にも見当たらなかった。

「ふう」

安堵の溜息をついた双慈は、念の為にと階段へと近づき、中の様子を探る。

まだ他の幻獣が残っているのではと思ったのだが、どうやらその心配はなさそうだった。

「終わったみたいね。大丈夫? 怪我は無い?」

「ええ、平気です」

いつの間にか傍にやってきていたフィーノの言葉に、双慈は頷く。

「そこまで強い幻獣じゃなかったし、これくらいならどうってことないです」

「……流石ね。正直、君の実力を疑ってたけど……認識を改める必要があるわね」

「ありがとうございます。それよりフィーノさん、一つ話しておきたい事があるんですが」

「っ……なにかしら?」

表情を引き締めた彼女に、双慈は地下の奥で発見した装置の事を手短に話した。

「……というわけで、きっと貴重な情報源になると思うんです。僕は今から、もう一度行って調べてきます」

「あら、それには及ばないわ。ここからは私の仕事。もう幻獣も出なさそうだし、君は此処で休んでて」

「えっ? でも……」

不用心な発言をしたフィーノに、双慈は抗議の視線を向ける。

確かに今のところ幻獣の気配は感じないが、それでも可能性がゼロという訳ではない。神連の職員でしかない彼女が出向くには、この研究所跡は余りに危険だ。

そう思った彼だったが、フィーノは笑みを浮かべながら首を横に振り、口を開く。

「心配しないで。前にも言ったでしょう? 身を守る術の一つや二つ、心得てるって。それに、君の言った装置を含めて、この眼でしっかりと調べてみないと気が済まないわ」

「だったら、僕も一緒に……」

「いいえ、ダメよ」

笑みを消し、真顔になったフィーノは双慈に顔を近づける。

「君、自分で自分の限界を知る事が出来ないんでしょう? データで調べさせてもらったわ。だから戦いの後はきちんと休息をとらないと」

「それは……そうですけど……」

痛いところを突かれて、双慈は口籠る。そんな彼に、フィーノが畳み掛けるように言った。

「分かってるなら、私の言う通りにして」

「…………はい」

渋々ながらも双慈が頷くと、フィーノは満足そうに頷いた後、階段を下りて研究所跡へと向かっていった。

その姿を複雑な思いで見送った双慈は、やりきれない思いで空を見上げつつ大きく息を吐く。

「大丈夫だとは思うんだけど……あの人が言う通り、僕がそう思ってても意味ないんだよなあ」

改めて自身の特徴――意図的に“調整”された特徴を考えながら、彼は再び嘆息した。

「これは鍛えるとか、そういう問題じゃないって、繚姉も雄兄も言ってたし……はあ……っ!?」

三度目の溜息をついた直後、双慈は階段を上がる足音を耳にし、反射的に階段の方へと振り返る。

まだフィーノが下りて行ってから、精々一、二分くらいしか経過していない。調査が終わったにしては、余りに早すぎる。

かといって非常事態があったとも考えにくい。もしそうだったなら、もっと足音は忙しないものだろう。今聞こえてくる足音は至ってゆっくりで、とても危機に陥った者のそれとは思えない。

(フィーノさんじゃない……?)

そんな考えが浮かんだ双慈の両手が、自然と“グリフ”と“フェル”へと伸びる。けれども、直後に聞こえてきたフィーノの声に、その手は引っ込められた。

「双慈君!」

「っ!?……フィーノさん? もう調査終わったんですか?」

「それどころじゃないわ! 大至急、神連に戻るわよ!」

「え? 一体何があっ……うあっ!?」

階段を覗きこんだ双慈は、思わず間の抜けた声を出してしまった。何故なら、フィーノが小さな女の子を背負って階段を上がってきていたからである。

長い金の髪に顔を埋めるようにして、その少女は眠っていた。無造作に掛けられたフィーノの上着から、白く細い足が剥き出しになっていて、太腿まで見えている。

それが何を意味するのかを理解した双慈は、慌てて少女から眼を反らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンピューターの作動する音が、忙しなくドア越しに聞こえてくる。嫌でも不安が募るそれを背中に、双慈はフィーノと話し合っていた。

「……じゃあ僕は、あそこに入ってから、ずっと監視されてたって事ですか?」

「断定は出来ないけど、その可能性は高いわね。……それはそうと、どうしてあんな女の子があんな場所にいたのかしら? それも裸で」

「っ……多分、あの装置と関係があるんだと思います」

途端、心臓を掴まれたような気持ちになった双慈は、無意識に顔を背持たれていた壁の傍にあるドア――現在、少女が治療及び調査を受けている部屋のドアへと向ける。

「あの装置? 奥の方で君が見つけたっていう、装置の事?」

「はい。あれはかなりの大きさでしたし、何かの保存装置みたいでした。多分、あの中に入っていたんじゃないですか? それが何かの拍子……僕の戦いの可能性が高いですけど、それで……」

先程聞いたフィーノの話を思い出しながら、双慈は言った。

彼女の話によれば、階段を下りてからものの数歩といかない内に、奥で倒れている裸の少女を見つけたらしい。

慌てて駆け寄ったフィーノは、少女の身体を揺らしながら何度か声を掛けたが、彼女は眼を閉じたまま無反応だったそうだ。

ただ脈と呼吸から生きている事は確認できたので、とりあえず神連に連れていこうと考えたらしい。

どうして裸なのかを疑問に思いながら自分の上着を少女に被せたフィーノは、何気なく天井を見上げた。すると、そこにいくつかの小型の監視カメラがあるのが眼に入ったそうだ。

そのカメラが稼働していると分かったフィーノは、咄嗟に持っていた護身用のハンドガンでそれらを破壊し、来た道を引き返したという事だ。

勿論、双慈が研究所跡に入った時、そして幻獣達を誘き寄せる為に引き返してきた時に、そんな少女の姿はなかった筈である。

見落としていた可能性が無いとはいえないが、そこまで広くなかったあの場所で、人間一人に気付かなかったとは考えにくい。ずっと注意深く、周囲を見渡していたのだから。

――――そう。周囲ばかり見ていて、頭上を見ていなかったのだ。

ふと気持ちが重くなっていくのを感じながら、双慈は自身の失態を恥じた。

「はあ……まだまだダメだな、僕は。監視カメラがあったなんて、全然気づかなかった」

「そんなに自分を卑下する必要ないわ。あれは相当小型で、私も偶然見つけたみたいなものだし。……それにしても、気になるわ。あの監視カメラ」

「?……どういう事です?」

「だって監視カメラなんだったら、君の姿を捉えた時に何らかのシステムが作動してる筈だもの。何処かにあるモニターに映像を送るとか、あるいは何かのスイッチになっているとか……」

「あ、言われてみれば……でも妙だな。モニターなんて何処にもなかったし、そもそも他に生きていた機械類と言えばあの装置ぐらいしか……」

双慈がそこまで言いかけた時に、不意にドアの向こう側が静かになる。

それが少女の検査が終わった合図だと察した二人は、どちらともなくドアへと視線を向けた。

「終わったみたいね」

「ええ、何事も無かったら良いんですけど」

「それは多分無いわ。せめて、大事じゃないと願うばかりよ」

フィーノが溜息混じりにそう言い終えた直後、ドアが開かれ、中からトゼロが姿を現す。

そして、双慈とフィーノを順に見やると、軽く眼を伏せた。

「……随分と厄介な事になったよ」

「どういう事です?」

「それが分からないんだ」

「ええ? なんですか、それ?」

思わず顔を顰めた双慈に、トゼロは重い息を吐きながら答えた。

「この神連の設備では、どれだけ検査しても、あの少女の事が分からないのだよ。辛うじて基準値以上の神力を持っている事は確認できたが……神士なのか否か、それすらも不明だ」

「そんな……じゃあ、あの子はどうするんです?」

「それだよ、双慈君」

「え?」

双慈が眼を瞬かせると、トゼロは彼の両肩に手を置きながら言う。

「君の所属する神連は、かなり大きなものだと情報にあったが?」

「は、はい。まあ……都市の中央に位置してますし、市と連携してるって繚ね……いえ、知り合いの神士も言っています」

「それは良かった。ならば、そこで念入りに調べてみるべきだろう。あの研究所跡、特に君が見つけた装置の調査は、我々が行う。来たばかりですまないが、あの娘を連れて一度帰国してもらえないか?」

「えっ? ああ、まあ……それが指示ならそうしますけど、なんで僕が連れていくんですか? 場所なら教えますし、誰か職員の方……大人の人が同行した方が良いんじゃないんですか?」

「うむ、その通りだ。……その通りなのだが……」

「ソウジーー!!」

いきなり聞こえた場違いな可愛らしい声に、三人はそろって声の方向――部屋の中へと視線を向ける。

すると、病人用の簡素な服を身に纏った金髪の少女が、凄まじい勢いで双慈へと飛びかかってきた。

「うわあっ!?」

あまりにも突然の出来事に対処できなかった双慈は、されるがまま少女に抱きつかれて、そのまま尻餅をつく。

慌てて引き剥がそうとした彼だったが、少女はしっかり首にしがみついていて、まるで手が動かせない。

「ソウジ! ソウジ!!」

「ち、ちょっと!……な、なんなんだよ、一体!?」

気恥ずかしさでオタオタしている双慈の言葉に、トゼロが深い溜息を共に答えた。

「つまり、こういう事なんだよ。その娘は双慈君、君の事が大層お気に入りのようなんだ。検査の時も、ずっと君の名前を呼んでいたんだよ。その時はどうにか宥めすかしていたんだが……姿を見てしまった以上、もう抑制が効かなくなったようだな。この様子では、君と離れ離れにしようとすると激しく拒絶するだろう。だから、君にこの娘を連れて行ってほしいんだよ。」

「お、お気に入り!? どういう事ですか!? 僕とこの子は、まだまともに喋ってないし、僕は名乗ってもいないですよ!? なんだって一体……」

「我々にもサッパリだよ。しかし、どういう訳か、その娘は君の事を好いているし、君の名も知っている。まあ、この件も含めて、君の所属する神連で調べてもらった方がいいだろう」

「っ……分かりました。そうするのが、一番でしょうね」

「ソウジ! ソウジ!」

暗い表情で口を開いた双慈に対して、件の少女は尚も嬉しそうに彼の名を呼び続けていた。

……。

…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『間もなく当機は、刀廻国際空港に着陸いたします。皆様、お座席のベルトがしっかり締まっているか、ご確認ください』

「……おっと……」

着陸のアナウンスが聞こえたところで、双慈は追想から現実へと戻る。その時に漏れた声によって、隣で眠る少女も眼を覚ました。

「……ソウジ?」

「あ、起きた? もうすぐ着くからね」

「うん……」

まだ完全に目覚めていないのか、トロンとした眼をしながら少女は頷く。そんな彼女から視線を外し、窓の外に見える見慣れた街並み――刀廻町を眺めながら、双慈は心の中で呟いた。

(僕の言葉が分かるのも、不思議なんだよな……とにかく、繚姉と雄兄に全部報告して、今後の事を話し合わなきゃ。厄介な事にならないと良いけど……)

心の中でそう呟きつつも、双慈は薄々感づいていた。酷く厄介な“何か”が、音もなく歯車を回し始めたことに。

――――そんな彼の想像通りの現実が訪れるのは、これから暫く経っての事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

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