第五章〜更なる新しき存在〜
――――2002年10月13日午後四時。
「あ〜〜ったく!! こんな時にあんな任務入れんなよな!!」
刀廻町の上空を飛んでいた雄一は、周囲の反感を買わないのを良いことに、大声で愚痴る。
〔仕方ないだろう。結構ヤバそうな話だったんだからよ〕
「空振りに終わってなかったらな!」
相棒である“神龍”の呆れたような声に、雄一は苛立ちを露わにして言い返した。
今回彼が受けていた任務は、ある廃棄された神士関連の研究所の捜査だった。既に廃棄されてから十数年が経過している研究所に、最近頻繁に人の出入りがあるという情報が入ったのである。
これまで何度も経験したケース――“廃棄した研究所を再利用しての違法研究”といケースが嫌でも脳裏を過った雄一は、急ぎその研究所に向かった。
しかし結論から言ってしまえば、今回は全くのガセだったのである。
頻繁にあったという人の出入りは、単なる一般人の不良集団がたむろっていただけ。研究所自体は完全に廃棄されていて、一切の痕跡が残っていなかったのだ。
結局、絡んできた不良達と不本意な一戦を交えただけの、なんの実りもない捜査に終わってしまったのである。
ただでさえ不機嫌になる事態だというのに、それが双慈の帰国する直前に舞い込んできたのだ。誰だって苛立つのが自然だと、雄一は思った。
そんな彼に向けて“神龍”は気楽な口調で言う。
〔そう怒んなって。何事も無かったんだから良かったじゃんか。あんまり苛々してると、バランス崩して落っこちるぞ〕
「っ……『そんなヘマするか!』とは言えないか」
相棒の指摘に、雄一は荒れていた心を落ち着かせる。
もはや慣れ切ったと言ってもいい“神龍”の力を借りての飛行能力だが、それでも集中力を乱せば大惨事が待っているのは事実だ。
神士において精神状態というのは、力の源である“神力”に多大な影響を与えるもの。それを彼は、改めて思い出したのである。
〔そうそう。終わった事で苛立つなんてバカらしいってもんだ。……っと、そろそろだぞ、雄一〕
「あ、ああ」
町の中心に位置するドーム状の建物――神連を眼下に捉え、雄一は下降し始める。
――毎度の事だけど、この町だとこの移動が気楽で良いよな。
神士が公に認識されている刀廻町は、今なお世界でも稀な地だ。だからこそ周囲に影響及ばさなければ“神”の力も遠慮なしに使うことができる。
このような地が、少しずつでも増えていってほしいものだと、雄一は常々思っていた。尤も、現実はかなり厳しいのだが。
そんな事をボンヤリ考えている内に、彼は神連の前へと降り立っていた。そして一つ息をついた所で時刻を確認する。
双慈の帰国予定時間から、もう二時間が経過していた。雄一は逸る気持ちを抑えながら神連の入口へと駆け寄り、慣れた様子でセキュリティチェックを受ける。
当然ながら問題なくセキュリティが解除されて扉が開かれると、まるでそれが合図であったかのように怒声が彼の耳に飛び込んできた。
「遅い!!」
「一般人相手に手間取ってんじゃないわよ! 待たされる方の身にもなりなさいよ!」
「そんなに怒んなっての。こっちだって大変だったんだから」
神連の廊下を歩きながら、雄一と繚奈は言い争いをしていた。正確に言えば、繚奈が一方的に雄一を口撃しているのだが。
しかし繚奈の怒りの原因を理解している雄一は、尚も文句を言い続ける彼女にこれ以上言い返すことはしない。
本来なら既に、繚奈が連れ帰ったという“少女”の検査が終わり、その結果報告を受けている筈の時刻なのだ。
だというのに雄一に任務が入った為、結果報告はその後という事になってしまったのである。
なぜかというと、単純な結果報告だけならば雄一と繚奈が別々に受けても構わないのだが、今回はその後の対策も講じなければならないので、二人一緒である必要があったからだ。
完全に待ちぼうけが食らった繚奈が怒りを覚えるのは無理もない。雄一もそれが十分に理解できるからこそ、あまり反論しないでいるのだ。
「……で、念のために聞いとくけど、その娘の調査ってのは無事に終わったのか?」
多少繚奈の口撃が収まったタイミングで雄一が尋ねると、彼女は怒りの表情を引っ込めて答える。
「ええ、それは問題なし。……いえ、問題なしってのは、ちょっと違うかも」
「なんだ? 何かトラブルでもあったのか?」
「う〜ん、トラブルっていうか……まあ、見た方が早いわ」
繚奈がそう言い終えたタイミング、丁度目的の部屋へと辿り着く。
二人がセキュリティを解除してドアが開き、部屋の中が見えてきた瞬間、雄一は眼を丸くし、繚奈は呆れた様子で笑みを零した。
「あ……雄兄、お帰り」
「あ、ああ……えっと、双慈君……?」
「ごめん、聞かないで」
「クス、相変わらずね、その娘」
双慈の首筋にしっかりとしがみつき、微笑みながら眠っている金髪の少女を一瞥した後、繚奈は雄一に振り向いて説明する。
「要はこういう事よ。この娘、双慈にひっついて離れないの。検査の時も、そりゃあ大変だったんだから」
「大変って?」
「決まってるじゃない。検査には身体チェックも含まれてて、検査服への着替えがあるでしょ? でも、この娘ってば双慈と離れるのを嫌がって嫌がって……仕方ないから、双慈が同じ部屋で目をつぶってる横で着替えを……」
「繚姉!!」
顔を真っ赤にした双慈が怒鳴るが、繚奈は全く動じる事無く口元で人差し指を立ててみせた
それが何を意味するのか察した双慈は、焦った表情で少女を見る。しかし幸いにも、彼女は相変わらず安らかな寝息を立てて眠っていた。
「……はあ……」
「クスクス、すっかり形無しね、双慈」
「っ……やめてよ、繚姉」
しょげた様子で、双慈は項垂れる。そんな彼を、雄一は唖然とした表情で見ていた。
――マジで激変したよな、この子。あの事件の前後でも大分違ったけど、今はもっと違う。
かつて、およそ年齢にそぐわない機械的な言動で自分達と対峙した人物とは思えない眼前の少年に、彼は驚きとも呆れとも言えぬ感情を抱く。
時間の流れによるものか、或いは繚奈の教育の賜物か。いずれにせよ、人の成長というものを直に見た雄一であった。
と、その時、奥のドア――検査室に繋がるドアが開かれる音が聞こえる。その場にいた全員が反射的にそちらへと視線を移すと、一人の女性が姿を現した。
その見知った顔を認識した雄一は、少しだけ驚いた表情で口を開いた。
「あ……貴女だったんですか。今回の検査担当は」
「ええ。良いタイミング……と言うべきかは分からないけど、ちょうど戻ってきた時にこの件を聞いてね。それなら私が引き受けるのが筋でしょうから」
「まっ、それはそうでしょうね。でも戻ってきてたんなら、連絡いれてくれれば良かったのに」
「御免なさい。連絡入れようとは思ってたんだけど、ちょっとバタバタしてて」
「相変わらず忙しいんですね。無理しないでくださいよ、好野さん」
呼ばれた女性――好野は苦笑しつつ首を振ってみせた。そんな彼女を見て再び何かを言おうと雄一だったが、結局言葉が見つからずに曖昧な笑みを返す。
彼女と会うのは随分と久しぶりだった。二年前から世界中と飛び回っていて、その間に会ったのは片手で数える程。
それ故か、既に実の母と認識しているのにもかかわらず、雄一は養親と認識していた時と同じように接している。
好野は好野で以前までと接し方が変わる事もなく、お互いに照れもあるのか全く変化の無い関係性が続いていた。
「さてと、それじゃその娘の詳細について話しましょうか。雄一、繚奈ちゃん。こっちに来てくれる?」
「はい」
「ええ」
「あれ? 僕は?」
指名されなかった双慈が、怪訝そうな表情で眼を瞬かせる。そんな彼に、好野が微笑んだ。
「心配しないでいいわよ、双慈君。当然、貴方にもちゃんと説明するわ。でも今は、その娘の面倒を見てあげて」
「あ……うん、分かった」
少々の不満を顔に表しながらも、双慈は深く頷いて見せる。それを見届けた後、雄一と繚奈は好野に続いて検査室へと入っていった。
「結論から言うと……あの娘が“新士”であるのは殆ど確実ね」
手元の資料に眼を落しながら、好野は呟くようにそう言った。
「その手の薬品の痕跡がいくつか見られたし、“神力”も相当なもの。それに検出された神素から、あの娘と“神化”している神の正体も判別出来たわ。まあ具体的にどれほどの力があるのかは、まだ不明だけどね」
「もうそこまで分かったんですか?」
眼を丸くした繚奈に、好野が微笑む。
「伊達に世界を回って調査と研究に明け暮れてないわ。“新士の造り方”については、もうある程度は解析済みよ。ただ……あの娘は双慈君とは、ちょっと違うの」
「?……それは一体?」
資料から顔を上げた好野は、雄一と繚奈の顔を交互に見やりながら続ける。
「あの娘からは、一体の神からの“神素”しか検出されなかったの」
「え? でも確か新士って複数体の神から神素を抽出しなきゃならなかったんじゃ……?」
二年前に判明した事を思い出しながら、雄一は独り言のように呟いた。
“神素”――神そのものを構成する成分であり、人が持つ神力との相性で“神士”としての実力を決定づける、極めて重要なもの。
それを神から抽出する事によって、人工的に“神化”させたのが、現在“新士”と呼ばれる存在である。
そして、現状存在が確認できている唯一の新士である双慈は、“鵺”と“爆狼”という二体の神から抽出された神素が与えられていた。
これは一体の神から神素を大量に抽出することが出来ず、一体の神からでは強力な新士を生み出す事が不可能だからである。
雄一も繚奈も、新士についてはそう認識していた。だからこそ、好野の話は二人にとって予想外のものだったのだ。だが、続いての彼女の言葉に二人してハッとした。
「ええ。“あの人”が行っていた方法では、そうだったわ」
「っ……」
「……成程。義長とは違う方法ってことですか」
繚奈が苦々しい表情で呟いた。そんな彼女に、好野は神妙な面持ちで頷く。
義長――神人革命の重要人物であり、雄一にも繚奈にも、好野にとっても深い関わりのあった人間。
既に故人ではあるが彼の残した負の遺産は、神士の世界に多大な影響を与えているのは間違いない。好野が世界中を飛び回っている理由には、その影響の調査も含まれている。
そんな義長の負の遺産の代表格こそ、双慈のような“新士の造り方”なのだ。
「そういうこと。あまり言いたくないけど、あの人や昔の私のように、間違った方向に情熱を燃やす研究者なんてごまんといるだろうし。その中の誰かが“あの人のやり方以外の方法”で新士を誕生させようとしていたって、なんら不思議ではないわ。とにかく、直接現場を見てみないと」
「え?……ってことは好野さん、これからイリシレに行くんですか? 向こうが調べてる筈ですし、そのデータが送られてくるのを待った方が良いんじゃ……?」
雄一がそう言うと、好野は眼を伏せて首を横に振る。
「双慈君が見たという装置が気になるし、向こうが調べたデータだけでは納得できないの。実際に見てみないと、落ち着かないわ。だから少し面倒なんだけど雄一、一緒に来てくれないかしら? 神連に行くだけなら私一人でも問題無いんだけど、今回はそうじゃないから」
申し訳なそうに頼んできた好野に、雄一は二つ返事で応じた。
「構わないですよ。出発は?」
「そうね、緊急事態という訳じゃないけど、ゆっくりもしてられないから……悪いけど、明日でお願いできる?」
「了解です。……という事だ、繚奈。暫くこっちの事は任せるぞ」
「ええ、分かったわ。だけど雄一、光美にはちゃんと説明しなさいよ? 後、向こうに行っても定期的に連絡入れること」
「っ……了解」
苦笑交じりに答えた雄一は、ふと視線を感じて好野へと振り返る。するとそこには、恋人のいる息子を微笑ましく見つめる母親の顔があった。
それに気恥しさを感じ、彼はわざとらしく咳払いをする。と、そんな彼を不憫に思ったのか、繚奈がふと思い出した様に好野に尋ねた。
「そう言えば好野さん、あの娘と神化している神って、一体なんなのですか?」
「あ、それを言い忘れてたわね。世界では“サンダーバード”……私達の言葉じゃ“雷鳥”ね。名前通り、雷を司る鳥の神よ」
「へえ、“雷鳥”ねえ……」
雄一がポツリとそう呟いた時だった。突如として室外から盛大な泣き声が響き渡り、三人は驚いた。
しかし、すぐに事態を察した繚奈が呆れたような表情でドアを開け、雄一と好野もそれに続く。そして外へと出てみると、そこには繚奈が予想した通りの光景が広がっていた。
「うわああああああんっっ!!」
「そ、そんなに泣くこと……ああ繚姉、雄兄、好野さん、助けて」
両眼を覆いながら大泣きする少女にオロオロしていた双慈が、懇願の視線を三人に向ける。そんな彼に真っ先に対応したのは、繚奈だった。
「何をしたの、双慈? 女の子を泣かせるなんて、何処かの誰かと一緒で感心できないわよ?」
「っ……そこで俺を出すなよ」
「あら? 私、貴方の名前なんて出してないけど?」
「言い方で分かるっての!……で、どうしたんだ、その娘?」
「そ、その……眼を覚ましても僕に引っ付いたままで苦しかったから『ちょっと離れて』って言ったら……これで……」
「うわああああああんっっ!!」
再び盛大に泣き出した少女に、双慈は完全に困り果てた様子で頭を抱えた。
それを見た繚奈は、呆れた様な笑みを浮かべながら少女に近寄り、彼女を優しく抱きしめながら頭を撫でてあげる。
暫く繚奈がそうしてあげていると、やがて少女は大泣きを止めた。未だしゃくり上げてはいるものの、幾分か気持ちが落ち着いたらしい。
流石は一児の母だけあって、子供の扱いに長けている。母性の成せる業かと思いながら、雄一はふと気になる事が頭に浮かび、好野に尋ねた。
「あの、好野さん。ちょっと気になったんですけど……」
「ん? 何かしら?」
「いや、この女の子、なんだってこうも双慈君を気に入ってるんですか? あんまりこういう事には詳しくないけど、ちょっと異常な気が……俺が来る前から、ずっとくっついてたんでしょ?」
「ああ、その事ね。それなら、私も疑問を感じてたの。断定は出来ないけど、もしかしたら……」
好野はそこまで言うと、軽く眼を伏せる。そして小さな嘆息と共に首を左右に振った。
「ともかく、イリシレに言って装置とやらを見てみる必要があるわ。多分、それで多くの事が分かると思うから」
「そうですか、分かりました。……しかし、暫く大変そうだな、双慈君」
「クス……そうね。当分、あの娘と一緒に過ごす事になるでしょうから」
随分と泣き止んだ少女を、繚奈に教えられながらあやしている双慈を眺めつつ、雄一と好野はどちらともなく微笑んだ。