第七章〜不穏な鳥〜

 

 

 

 

 

 

 

――――東歴2002年10月15日午後三時。

休日という事もあり、多くの人々でごった返してる刀廻町のショッピングモール。

その一角のフードコートで、繚奈と双慈はそれぞれ好みのドリンクを飲みながら休憩をとっていた。

繚奈の膝の上には輝宏、双慈の隣には件の少女の姿がある。二人もまた、アイスにプリンといったデザートを満面の笑みで食べながら寛いでいた。

「で、繚姉。後は何が必要なの?」

「洋服と下着」

繚奈が淡々と答えると、双慈は残っていたドリンクを一気に飲み干す。そして大きく息を吐くと、不機嫌を露わにした表情で口を開いた。

「絶っ対、僕は売り場に行かないからね!」

「ダメに決まってるでしょ。貴方が選ばなきゃ」

「繚姉が選んだらいいだろ! とにかく僕は、絶対あんな空間になんか行かないよ!」

「そう言わないの。何も真剣に選ばなくても、適当に選べばいいじゃない。貴方が選んだのなら、その娘は納得してくれるわ。……まあ別に、真剣に選んでもいいけど」

「り、繚姉……人をからかうのも程々に……!」

「ソウジ?」

「っ!?……な、なんでもない。なんでもないから」

怒りで顔を強張らせた双慈だったが、隣の少女の不安げな声と視線に勢いを削がれる。

ここで怒鳴り散らしたりしたら、また泣き出して手に負えなくなるかもしれない。そう判断した彼は、渋々怒りを引っ込めた。

「はあ……分かった。さっさと行ってさっさと終わらせようよ」

「うんうん。聞き分けがあってよろしい。けど、もう少し待ってね。輝宏がアイス食べ終わってから……その娘だって、まだ時間掛かりそうだし」

「……みたいだね」

意識をプリンに戻し、懸命にスプーンを動かしている少女を横目で見ながら、双慈は溜息をついた。

今日、彼らがこのショッピングモールを訪れたのは、この少女の買い物の為である。

彼女は当分調査且つ保護対象となる身。生活における物資が、どうしても必要になってくる。そこで繚奈は双慈を連れ、こうして買い物をしにきたのである。

本来ならは彼女一人で十分済ませられるのだが、なにせ少女は双慈と離れる事を病的なまでに嫌がり、一時も離れようとはしないのだ。故に仕方なく双慈も同行し、付き合っているという訳である。

モールの開店時間直後から、彼方此方の店を回りに回って早数時間。ようやく生活用品の殆どを買いそろえ、残ったのが先程繚奈の口にした洋服と下着であった。

「けど、やっぱり気になるな」

「?……双慈、何が気になるの?」

「いや、この娘、本当に黄色か金色の物ばっかり選ぶから……イリシレの神連で選んでた服もそうだったし……拘りっていうのも、なんか違う気がするし……」

「っ……そうね。単純に好みの色っていうのには、少し度が過ぎてる感じだわ」

今までに買った商品が入っている袋を眺めながら、繚奈は双慈の言葉に相槌を打つ。

実の所、今回買い物に来た理由がそれでもあった。

件の少女は、とにかく黄色ないしは金色を好み、身に着ける物や使う物がそれらの色でないと露骨に拒否反応を示すのである。

これでは神連に元々備えてある物資が使えず、こうして新たに調達に来たというわけだ。

(考えてみれば、プリンも黄色よね。……もしかして、この子が新士として造られた際の後遺症か何かかしら?)

〔そうかもしれませんね。あるいは……〕

繚奈の心の呟きに反応した“邪龍”が、珍しく悩んでいる様子で続ける。

〔なんらかの意図で、こうなるようにプログラムされたという事も考えられますか……しかしまあ、残念ながら私達には皆目見当のつかない事です。好野達に任せるしかないでしょう〕

(そうよね。とにかく私達は、この子の面倒を見ておけばいい……)

と、その時、繚奈の持っている端末から電子音が鳴り響く。途端、彼女は表情を強張らせ、そんな彼女を見て双慈もまた固い表情になった。

「繚姉、その音って……」

「分かってるわ」

双慈の言葉を遮りながら、繚奈は急いで端末を手にして回線を開く。

『すみません、繚奈さん! すぐに神連に戻ってきてください!』

予想に違わぬ神連職員の緊張した声が、端末越しに繚奈の耳を打った。

今までの経験からして緊急事態というわけではなさそうだが、さりとて拒否していいものではないと彼女は判断する。

「私一人で構わないの?」

『は、はい! 双慈君までは必要ないかと……』

「了解。急いで戻るわ」

そう答えた繚奈は回線を閉じる。と、そんな彼女を見上げていた輝宏が、キョトンとした表情で呟いた。

「お母さん、お仕事?」

「え、ええ、そうなの。ゴメンね、輝宏。悪いんだけど……」

「うん、分かった」

繚奈が言い終わらない内に、輝宏は彼女の膝から降りてトコトコと双慈の方へと歩み寄る。

そして彼の膝の上に腰を下ろすと、繚奈に向けて朗らかな笑顔を見せた。

「いつもみたいに双慈お兄ちゃんと待ってる。お仕事頑張ってね」

「っ……分かったわ。それじゃお母さん、なるべく早く帰ってくるから。双慈、輝宏をお願いね。後……」

「大丈夫。この娘の服も、どうにかやっとくよ。こっちの心配はしないで、任務に専念して」

「……ありがとう」

どちらもまだ幼いのにキチンと事態を把握し、こちらに負担を掛けまいとしてくれる少年達。

そんな彼らの心遣いに胸が熱くなるのを感じながら、繚奈は足早にその場を立ち去った。ただ一人状況が分からず、ポカンとしている少女の視線を背に受けながら。

 

 

 

 

 

 

 

「……此処です。ここら一帯から、反応が出ています」

職員がそう説明しながら、スクリーンに目的地を表示させる。

神連において神獣、すなわち神の存在を探知できるセンサーが開発されたのは、ほんの一年前。好野の手によって造られたそれの恩恵は、凄まじいものであった。

これまでのセンサーでは、神士や幻獣――神からの副産物めいたものしか把握しきれなかった。

しかし好野が先の“新人革命”時において得た知識と技術によって、神を構成する成分である“神素”を探知できるプログラムを開発したのである。

これにより、今までは完全に後手に回るしかなかった神への対処に、先手を取れるようになったのだ。

まだプロトタイプであるため、活用しているのは刀廻町と剣輪町のみだが、ゆくゆくは全国各地の神連で活用出来るような完成品にするのが、好野の目標の一つでもあった。

「此処は確か、剣輪町付近の山中……よね?」

スクリーンを確認した繚奈は暫し思案した後、徐に口を開いく。

「はい、結構大きな湖があるらしいです。人里離れた所ですし、今現在被害の報告は入ってきていないのですが……」

「何?」

「反応が、少しずつですが増え続けているんです。最初に捉えた数十分前は僅かだったのですが、今は結構な数に……つまり……」

「……ああ、成程」

言い淀んだ職員を見て、繚奈は察する。

「“神獣”じゃなくて、“新獣”の可能性があるってわけね」

「はい、その通りです」

頷いた職員を見て、繚奈は少し考え込む。

好野の開発したセンサーは、あくまで“神素”を探知する物。神の種類や強さまで探知できるわけではない。それらに関しては、直接見て確認するしかなかった。

そして、今回の様に短時間で反応が増加するというケースは、自然に存在する“神獣”ではなく造られた存在――“新獣”である可能性が考えられる。

“神獣”か“新獣”か。その確認の為に自分は呼ばれたのだと、彼女はここにきて理解した。

「まあ、なんにせよ現場に行ってみるしかないわね。とにかく行ってみるわ」

「ええ、お願いします」

「で、確認するけど……目標の処理は?」

「繚奈さんにお任せします」

「だと思ったわ。了解」

予想通りの回答に頷くと、繚奈は愛刀の“紅龍刃”を手にその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――東歴2002年10月15日午後五時。

徐々に日が暮れかけている時刻になった頃、繚奈はようやく目的地へと近づいていた。

紅葉の山中を、息を弾ませながら走っていた彼女は、不意に歩を緩めると相棒の“邪龍”に訊ねる。

「どう、邪龍? 何か感じる?」

〔はい。微弱ではありますが、複数の気配を感じます。これは新獣の可能性が高いですね〕

「そう。……ふう……にしても、思ったよりしんどい道のりだったわね。此処までで結構体力使っちゃったわ」

額の汗を拭いながらボヤいた繚奈に、“邪龍”が苦言を呈する。

〔繚奈、そんなのでどうするんですか。これから戦闘を行うというのに、命を落としかねませんよ〕

「分かってるわよ。だからこうして、息を整えてるんじゃない。…………はあ、こういう時、雄一が羨ましいわ。空飛べて」

〔……それは私に対する皮肉ですか?〕

「そんなわけないでしょ。それとも何? 貴方、“神龍”の力が羨ましいの?」

〔っ……くだらない言い争いをしている場合ではありません。そろそろ到着しますよ、警戒しなさい〕

「……了解」

“邪龍”の言葉、そして肌で感じた緊張に、繚奈は表情を引き締めた。そして、“紅龍刃”を握りしめなおすと、一歩一歩慎重に歩きだす。

此処周辺は静寂で、風が木々を揺らす音すらも良く響く。迂闊に動けば、敵にこちらの動きを察知してしまわれかねないのだ。

向こうの正体が不明な以上、発見されるのは可能な限りギリギリまで控えたい。

――それに今回は、必ずしも討伐ってわけでもないしね……。

心の中でそう呟きながら、繚奈は細心の注意を払いつつ、歩を進める。やがて傾斜が終わり、彼女は目的地の湖畔に辿り着いた。

澄み切った空を映し出したような青い水面。そこに浮かぶ、紅葉の島々。その美しい自然に、繚奈は思わず感嘆の吐息を漏らす。

「は〜……良い所じゃない。輝宏がもう少し大きくなったら、連れてきたいわ」

小声でそんな感想を述べた彼女に、“邪龍”が呆れた声を出した。

〔何を呑気な事を……っ! 繚奈、あの手前の島です!!〕

「えっ?……!!」

言われた場所へと繚奈が視線を飛ばすと、全身淡い黄色の見た事の無い鳥が数羽佇んでいる姿が見える。

反射的に“紅龍刃”を構えた彼女だったが、鳥達は襲ってくる気配はない。暫く様子を注視していたが、みんな思い思いに寛いでいる風にしか見えなかった。

何羽かが繚奈の方へと振り向いたりしたが、特別際立った反応を示すこともなく、すぐに視線を外してしまう。

彼女はその反応から、彼らはこちらに興味が無いのだと判断する。此処まで見る限りは、人畜無害な存在としか思えなかった。

ただ、一向に水を飲む様子が見られないところからして、やはり生物ではなく神であるのは間違いなさそうである。

「う〜ん、どうしようかしら? 正直、放っておいても大丈夫だと思うんだけど……」

〔まあ、確かに……私もそうだとは思うんですが……念の為です。少し威嚇してみなさい、繚奈。それで襲ってこなければ、問題ないでしょう〕

「ああ、了解。それじゃ……」

繚奈は“紅龍刃”に神力を込めると、鳥達がいる島のすぐ横に向けて“瘴魔波刃撃”を放った。

高速の黒い波動が、激しい音と水飛沫を上げて湖を走る。すると、それまで反応を示さなかった鳥達が一斉にこちらへと振り向いた。

その刹那、彼女の全身に緊張が奔った。明確な敵意を感じたからである。

〔繚奈!〕

「ええ!」

“邪龍”も同様だったのだろう。鋭い声を飛ばしてきた彼女に頷くと、繚奈は臨戦態勢に入る。

すると次の瞬間、全ての鳥達がけたたましい鳴き声を上げた後、こちらに向かって飛びかかってきた。

――っ……面倒ね。一網打尽が一番か……。

繚奈は素早く対処方法を決断すると、すぐさま行動に移す。

魔界への門を開き、多勢を纏めてこの世から消し去る技――“邪空吸命門”を放とうと、彼女は“紅龍刃”に神力を込める。

しかし、直後の鳥達の行動を見て、思わず動きを止めてしまった。

鳥達の羽ばたく翼に、遠くからでも確認できる程の帯電が生じたのである。それを見た繚奈は“ある事”を思い出し、咄嗟に“邪龍”へ訊ねた。

「“邪龍”!! もしかして、こいつら“雷鳥”と関係があるの!?」

〔可能性としては高いです。しかし、今は処理を優先してください!〕

「了解!……えっ!?」

〔!?……これは……!〕

鳥達の不審な動きに、繚奈と“邪龍”は揃って戸惑いの声を上げた。

先程まで敵意を剥き出しにして襲い掛かってきていた彼らが、まるで何かの合図があったかのように、ピタリと空中で制止する。

そして翼の帯電が無くなったかと思うと、クルリと方向転換をして空の彼方へと飛び去っていってしまった。

こうなっては繚奈としては、もうどうする事も出来ない。今更攻撃を放った所で届きはしないし、空を飛ぶ事が出来ない彼女では追いかける事も出来ないのだ。

呆気に取られた様子で、既に黒点となった鳥達を見送っていた繚奈だったが、やがて我に返るとぎこちなく“邪龍”へと話しかける。

「じ、“邪龍”……なんだったの、あれ?」

〔っ……申し訳ありません。私にもまるで見当がつかなくて……ただ、彼らが雷を使っていたという事は、神連に報告しておくべきでしょうね〕

「そ、そうね。まだ“雷鳥”とどういう関わりがあるかは分からないけど、それが賢明よね。……だけど本当に不可解だわ。今まであんな行動する奴、見た事ないもの」

〔彼らが幻獣だと仮定したとしても、あれ程までに急激な行動変更は確かに妙ですね。この辺りに、神や神士はいないみたいですし……ともあれ、まずは報告に戻りましょう〕

「ええ」

“紅龍刃”を鞘に納め、繚奈は踵を返して湖を後にする。

その心の中では、不可解な鳥達への戸惑いと、いつかこの湖に輝宏を連れてこようという期待が、複雑に絡み合っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

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