第八章〜“神”ならざる“獣”〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――東歴2002年10月15日午前九時三十分。

「成程……これは……やっぱり……」

装置を弄繰り回しながら、好野はブツブツと独り言を呟き続けている。そんな母親を眺めていた雄一だったが、暫くして頃合いかと声を掛けた。

「何か分かりましたか?」

「ええ。間違いなく、これは“天上の庭”ね。尤も、造った本人がそう呼んでたかどうかは定かではないけど」

「となると、あの娘はこの装置で?」

「十中八九、そうでしょうね。ん? これ……ああ、そう言えばカメラがどうとか………あ、良い物を見つけたわ」

返事もそこそこに独り言を続けていた好野は、少々弾んだ声を出しながら装置の中から小さな欠片を取り出す。

傍目にはどう見てもガラクタにしか思えないそれに、雄一と水音は揃って顔を近づけた。

「なんですか、これ?」

「電源とかでもなさそうだけど……なにか重要なものなのですか?」

「ええ。壊れてはいるけど、これがこの装置の中枢ね。これを調べれば、この装置の事が詳しく分かる筈よ」

「へえ、これがそんな重要な?」

驚いた雄一は、更に顔を近づけてガラクタを凝視する。

殆ど黒焦げに近い状態になっているので素人には判別出来ないが、見た感じそんな大事な部品にはとても見えなかった。

それは水音も同じだったのだろう。忙しくなく眼を瞬かせながら、彼女は首を傾げてみせる。

「全っ然分かんない……でも、それが本当なら大収穫ですよね?」

「勿論。まあ、流石にこれをこの場で解析するのは無理だから、一度神連に戻らないと」

「……ってことは、もう引き上げですか? 他にも部屋とか結構ありますよ。行けるかはともかくとして」

周囲を見渡しながら、雄一はそう呟く。

何処も彼処も瓦礫の山となっているが、それでもいくつかの通路と部屋らしきものがあった事は確認できる。

“天上の庭”の記録媒体が見つかっているのだから、引き上げても問題ないとは問題ない。とはいえ、まだ調べ始めてから然程時間は経ってないのだ。

念には念を入れてもう少し調査をした方が良いのでは、というのが彼の考えだった。

しかし、その考えは水音によってすぐに否定された。

「大丈夫よ、此処以外にはもう何も残ってないから」

「?……なんで分かるんですか、水音さん?」

「言ったじゃない。私は昔、此処の調査に携わってたって。……ま、その時にこの装置に気づいてたら良かったんだけどね」

自嘲めいた笑みを浮かべ、水音は鮮やかな金のポニーテールを軽く揺らす。

「ともかく、この場所以外は何回も調べてるから、何にも残ってないと思って構わないわ。装置とかは勿論、資料の類もゼロよ」

「そうですか。まあ、調べた本人がそう言うんでしたら、引き上げるとしますか」

そう言いながら雄一は、徐に視線を好野に移す。すると彼女はその意図を察し、小さく頷いてみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

廃墟を出た一行は、来た時と同じように森を歩き、乗ってきた車へと戻った。そしてアドレーへと向けて出発した所で、雄一の端末が振動する。

振動のリズムから、それが光美からのメッセージが届いたものだと分かった彼は、今が単なる移動中だという事もあってすぐに確認した。

すると、そこには予想だにしていなかった彼女の言葉があった。

『ゆういっちゃん、変な事きくけど……そのルキミズネさんって、水音さん?』

「え?」

思わず声に出してしまった雄一に、運転していた水音が尋ねる。

「どうしたの?」

「い、いえ……その……ち、ちょっと待ってください」

少々慌てながら、彼は急いで光美に肯定の返事を送り、知り合いなのかと問う。加えて早く返信して欲しいという頼みも添えた。

彼女からのメッセージが来た直後だから、聞き入れてくれる可能性も高いだろう。そう判断しての事だったのが、それは正しかったようだ。

『うん、結構昔から知ってるよ。その水音さんかは分からないけどね』

「……っ……」

「とんでもなく難しい顔ね……彼女に振られでもした?」

バックミラー越しにこちらの表情を確認してきた水音が、苦笑交じりにからかいの言葉をかけてくる。そんな彼女に、雄一は口を開いた。

「いえ、そうじゃなくて……あの、水音さん?」

「ん?」

「その……唐突なんですけど、清沢……」

彼がそこまで言い終えた刹那、不意に車内が暗くなる。いや、車内だけではない。窓の外も暗く見えている。

突然の異変に驚いた三人は、戸惑いながら周囲を見渡しつつ口々に呟いた。

「な、なんだ? なんで急に暗くなったんだ?」

「空は晴れてるし、妙ね。水音さん、この地域特有の現象とかなの?」

「いいえ、こんなの初めてよ。……にしても変な感じね。まるで車ごと何かの物陰に隠れた感じ……」

次の瞬間、車内全体に強い衝撃が奔る。その衝撃が、上から強い力が掛けられたものだと気づくのに時間は掛からなかった。

短い悲鳴を上げた好野と水音を余所に、雄一は何事かと窓から顔を出した。そして車上へと視線を向けると、驚愕に眼を見開く。

そこにいたのは、異形の化け物だった。馬の様な体格に鳥の様な翼を持つそれは、雄一の存在に気づくと徐に睨みつけている。

瞬間、全身に寒気を感じた彼は、急いで顔を引っ込めると水音に向かって叫んだ。

「水音さん! ちょっとヤバイ事になってます! スピード全開で突っ走ってください!!」

「え? え? な、なんなの!?」

「説明してられません! とにかく、お願いします! 後、好野さんの事も!」

早口でそう捲し立てながら雄一はシートベルトを外し、次いでドアを開けて外へと飛び出す。そして相変わらず車上にいた怪物に向けて“龍蒼丸”を振るった。

その鋭い斬撃は確実に標的を捉え、肉を切り裂く感触が伝わると共に、生温かい鮮血が飛び散る。だが致命傷には至らなかったらしく、怪物は低く轟く鳴き声と共に空へと飛びあがった。

追いかけるように飛翔した雄一の下で、水音の運転する車が急激にスピードを上げ、瞬く間に走り去っていく。おそらく、先程の怪物の鳴き声で事情を察したのだろう。

一先ず安堵した彼は、改めて意識を眼前の怪物へと向け直す。

逃げるのを諦めたのか、或いは最初から逃げる気などなかったのか。奴は翼をはためかせながらこちらを睨みつけ、明確な敵意を向けてきていた。

このような正体不明の存在を相手にした場合の定石は、速攻に限る。雄一は一瞬の思案の後、“龍蒼丸”に神力を注ぎながら怪物に迫った。

「はあああっっ!!」

叫びと共に振るわれた“龍蒼丸”の刀身は、燃え盛る炎に包まれる。その刃が怪物の胸へと刻まれようとした刹那、奴は先程までは見せなかった俊敏さを見せ、紙一重の所で回避してみせた。

しかし、それだけであった。斬撃こそ避けたものの、それに纏われていた炎が瞬く間に怪物へと広がり、一瞬の内に火達磨と化す。

『神牙一閃流・炎龍紅蓮斬』と名付けられた秘技である。

怪物は断末魔の叫びを上げる事もなく、炎に包まれたまま重力に従って地上へと落下していく。そして地面に叩きつけられると、無残な黒焦げの塊となって朽ち果てた。

“龍蒼丸”を納刀しつつ大地へと降り立った雄一は、大きな深呼吸の後に額に浮かんでいた嫌な汗を拭った。

「見た目の割には大したことなくて助かった。しっかし、こいつ……なあ、“神龍”?」

〔分かってる〕

問いかけた彼の言葉を先取り、珍しく固い口調の“神龍”が続ける。

〔こいつは、“神”でも“幻獣”でも“新獣”でもない。信じがたいが、単なる生物って事になる。そうでも考えなきゃ、俺が気づかなった事の説明がつかない〕

「だろうな」

相棒の言葉に、雄一は相槌を打つ。

“神”であれ“幻獣”であれ“新獣”であれ、これまで“神龍”がその存在を感知できなかった事は一度たりとてない。

この怪物が車の上に降り立つまで、“神龍”が何の反応も示さなかった事。それが、この怪物が“神”と関わりのないものであるという証明になっているのだ。

「所謂、人工生物ってやつか? マンガとかゲームで見た事あるけど……」

〔かもな。だが、だとすると、ちょっと厄介だぞ。俺達にとっては、完全に専門外って事になるし〕

「襲ってきた理由も、まるで分かんないしな。一応、トゼロさんに報告はしとくけど、今はあまり気にしなくてもいいだろう」

〔そう……だな。うん、そうだ。よし、じゃあ早いとこ合流しようぜ。多分もう、結構遠くまで行っちまってるぞ〕

「っ……スピード出して、空を飛ぶのは疲れるんだよなあ。ま、仕方ないか」

大仰な溜息を一つついた後、雄一はその場から駆けだし、すぐさま強く跳躍する。そしてそのまま空へと飛翔すると、水音と好野の乗った車を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う〜〜ん、返事来ないなあ……」

ベッドに仰向けに転がった状態で携帯を眺めながら、光美は不満気に声を漏らした。最後にこちらが返信してから、既に一時間が経とうとしている。

あまり連絡をくれない(これは頻繁に直接会っている事も理由だが)雄一からメールが届いたのにも驚いたが、その内容には更に驚かされた。

「それにしても……」

待ちくたびれた光美は、諦めた様子で携帯を横に置いて上半身を起こす。

「水音さん、か。もし本当にあの水音さんなら……会ってみたいな」

中学時代と高校時代に繚奈と通っていた一軒の喫茶店が自然と思い出される。

そこの店員だった、水音。光美の頬の傷について詮索したりせず、ごく自然に接してくれた数少ない人物であった。

記憶が曖昧だが、遠い親戚にあたるのだと昔両親から聞いた気がする。幼い頃から何度か会った事はあったが、本格的な交流が始まったのは中学に上がってからだ。

そう、水音が喫茶店の店員になってから。出会ったのは単なる偶然だったが、それから数年は喫茶店で頻繁に顔を合わせていた。

プライべートに踏み入る事こそ無かったものの、光美は水音を殆ど姉のようなものだと思っていた。

にもかかわらず、高校三年生になって暫くして、水音は何も言わずに突然光美の前から姿を消した。当時はかなりショックを受けたものだし、実は嫌われていたのではと悲観にくれたものだ。

「まさか、海外にいたなんて……」

呟きながら光美は、一度置いた携帯を再び手に取り、先程雄一と遣り取りした数通のメールを再確認する。

――――彼が向こうでルキミズネという人と出会い、その人は自分達の国パージル出身で、こちらの表記にすると水音となる。

判明した事実を一つ一つ噛みしめつつ、彼女は思いを馳せる。

親しくしていたとはいえ、彼女の事はずっと“水音さん”と呼んでいて、名字など気にしたことはなかった。

だからまだ、雄一が会った“水音”が、自分の知る“水音さん”だとは断定できない。その筈なのに、光美はどうしても彼女が自分の知る“水音さん”だと思えてならなかった。

理由は全くない。単なる勘といって差し支えない。だからこそハッキリさせたくて、雄一からのメールをこうして待っているのだ。

しかし、相変わらず彼からの返信は来ない。今までに経験からして彼は素早く返信してくれる方だし、遣り取りを終える時はキチンと断りを入れる。こんなに長い間待たされた事は一度もなかった。

だから恐らく、現在メールをしていられない状況に陥っているのだろう。となると、こちらから催促のメールをしても無意味だし、なにより申し訳ない。

今の光美に出来ることといえば、ただ色々と想像する事だけだった。

(ゆういっちゃんがわざわざ会ったって言ってきたって事は……やっぱり神士、なのかな? そうでもないと、ゆういっちゃんが話題に出すとも思えないし。でも、だとしたら……)

そこまで考えた所で、彼女の顔に自然と笑みが浮かぶ。それは呆れとも喜びともとれる、複雑な笑みだった。

(私の知り合いって、神士になった人ばっかりね。良いんだか悪いんだか分からないけど……とにかく不思議なのは確かだわ)

ごく普通の一般人としては、随分と奇抜な交流関係だとは思う。けれど、決して不快ではないと光美は感じていた。

(水音さんともまた、一緒にお茶とかしたいな。繚奈がお母さんになってるって知ったら、どんな顔するだろう? 輝宏君を見たらどう思うだろう? 結婚とかしてるのかな? 後、ちゃんとゆういっちゃんの事も伝えたいな。私のブレスレットの事、水音さんは知ってたし……えへへ)

“水音”が“水音さん”だという仮定の上での想像は止まる事を知らず、光美の脳裏に幸せな光景が次々と浮かんでいく。

そんな状態のままベッドに寝転ぶと、いつしか眠気が襲ってきた。それに抗う理由は、今の光美にない。強くなっていく眠気に誘われるまま彼女は瞳を閉じ、やがて安らかに寝息を立て始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

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