第九章〜垣間見えし闇〜
――――東歴2002年10月15日正午。
「…………って感じだったんです。何か心当たりありますか?」
「いや、申し訳ない。そのような獣の話はまるで聞いた事がないよ」
「私もよ。かなり長い間この地域にいるけど、初耳だわ」
雄一の問いに対して、トゼロとフィーノは困惑を露わにしながら揃って首を横に振った。
「そうですか、困ったな……ところで貴女は?」
そう言って雄一が水音に視線を向けると、彼女も難しい表情で小首を傾げてみせた。
「生憎、私もサッパリよ。それにしても、人工生物か……急に信じられる話じゃないけど、私の“神”もまるで気づかなかったし、そいつが“神”じゃないのは間違いなさそうね。つまり専門外」
「でしょうね。好野さんもあの調子だし、予備知識のある人間はゼロか」
彼は好野がいる研究室の扉を見やりながら、そう呟く。
彼女は神連に戻るなり、雄一が見た獣の話もそこそこに、こちらにあった今回の一件のデータ確認、そして研究所跡で見つけた例の部品の解析作業に没頭していた。
どうも好野は、人工生物とおぼしき獣にはあまり興味が無いようだった。研究者にとって、専門外の事象は取るに足らないということだろうか。
そんな事をボンヤリ考えた雄一だったが、ふと先程の水音の言葉を思い出し、彼女に訊ねた。
「そういえば水音さん。貴女と神化している“神”って、どんな“神”なんですか?」
「ああ、そう言えばまだ紹介してなかったわね。……ほら、出てきて」
水音がそう言った途端、彼女の身体から淡い光が放たれる。その光景は、雄一にとって馴染みのあるものだった。
―――神士と神化している“神”が、意図的に自らの姿を見せる時の光景。
淡い光は水音から離れると、彼女のすぐ隣で形を作り出す。それは、人間よりも一回り程大きい蠍(さそり)の姿。
二つの鋏と象徴ともされる尾の針は銀色に輝き、巨大且つ鋭利さを見せつけるように存在感を放っていた。
「蠍の神か。初めて見るな」
「あら、そうなの? まあ、珍しいと言えば珍しいかもね。……って、ほら、ムスッとしてないで自己紹介」
『……穿蝎(せんかつ)……』
抑揚の無い、そして小さくもしっかりと響く一言を、“神”――穿蝎が発した。そして、用が済んだとばかりに再び光となり、水音へと入っていく。
無愛想極まりない自己紹介に、雄一は失礼とは思いながらも苦笑してしまった。
「中々、個性的な性格してますね」
「まあね。でも、別に悪い神ってわけじゃないから。サポートや情報提供はちゃんとしてくれるし。ところで、貴方の神、“神龍”だっけ? 良かったら会わせてくれない?」
「あ〜すいません。あいつは結構巨大なもんで、此処で見せるのは難しいんですよ。どうしてもってんなら……」
雄一がそこまで言いかけた時だった。
研究室の扉が開く音と共に、好野が顔を見せる。途端、その場にいた一同の関心は、一斉に彼女へと向けられた。
「好野さん、どうでした? 何か分かりましたか?」
「ええ。幸運な事に多くのデータが残ってたから、色々な判明したわ。その件で説明したから、こっちに来てもらえる? 勿論、皆様も一緒に」
「うむ。そうさせてもらおうか」
「私は遠慮しようかな。あんまりそういう難しい話は苦手だし」
「そういうわけにはいかないでしょ、ミズネ。私達の中で、一番この件と関りが深いのは貴女なんだから」
「………はいはい。聞くだけ聞きますよ」
フィーノにそう咎められ、渋々そう言った水音に、雄一は思わず苦笑した。
(何処となく繚奈に似てる気がするな、この人)
研究室へと皆を案内した好野は、全員が入室したのを確認すると室内にあったコンピューターを起動させた。
程なくして、そのモニターの中に成人女性らしき体型のシルエットが浮かび上がる。そして、そのシルエットの周囲に様々な数式や文字列が並んでいた。
勿論、そのどれもが雄一には到底理解できないものである。
チラリと横を見てみると水音も同じらしく、あからさまに不愉快そうな表情を浮かべている。
一方、トゼロとフィーノは多少理解しているのか、食い入るようにモニターを見つめていた。
「これは……一体……?」
雄一の呟きに、それを自分への問いかけだと受け取った好野が答える。
「あの娘のデータよ」
「あの娘って、あの双慈君が連れてきた娘ですか?……?……」
納得がいかず首を傾げた雄一を見て、好野は何かを察したらしく「ああ」と小さく呟いた後、苦笑してみせた。
「シルエットが違うって事ね。おそらく、最初の予定ではこんな風にしたかったんじゃないかしら」
「つまり、何らかのバグかエラーで、あんな小さな女の子になっちまったって事ですか?」
「まあ、そう考えるのが妥当ね。尤も、もしかしたらまた別の理由があるかもしれないけど」
「別の理由って……?」
「ごめんなさい、それは私にも分からないわ。色々分かったとはいえ、全部解析出来たわけじゃないから」
「そうなんですか。じゃあ、分かったってのは?」
「ええ。まずは……そうね、あの娘が双慈君に異常に執着している点から説明しましょうか」
「あっ、やっぱりあっちでもそうなんですか?」
不意に疑問を口にしたフィーノに、雄一は振り返る。
「『やっぱりあっちでも』って事は、こっちに双慈君がいた時もそうだったんですか?」
「はい。何故か名前を知らない筈のソウジ君の名前を呼びながら、ずっとくっついて……あの子、かなり困ってましたよ」
「うむ、そうだったな。まあ、年相応の男の子みたいで、少し安心したがね」
相槌を打ってきたトゼロの言葉を訊き、雄一は脳裏にその様子を思い浮かべながら苦笑した。
「成程。……で、その理由が分かったんですね、好野さん」
「そうよ。簡単に結論を言うと、“そういう風にプログラムされた”からなの」
「?……えっと……?」
頭の上に大量のクエスチョンマークを浮かべた様子で、水音は眼を瞬かせる。トゼロとフィーノも似たような心境らしく、声こそ出さないが困惑した表情を見せる。
そんな三人の隣で、雄一は「ああ」と声を漏らした。
「要するに製造者……って言えばいいのかな。とにかく、あの娘を『天上の庭』で育てた奴が、自分を慕うようにプログラムしてたって事ですね」
「流石に理解が早いわね、雄一。まさしくその通りよ。きっと、忠実な僕として使うつもりだったと思うわ。……色々な意味で」
「っ……造ったのは男の可能性、大か」
「おそらく、ね。それで本題になるけど……要するに、今のあの娘は、双慈君をご主人様だと思ってるって事なの。これを見て」
言いながら好野がキーボードを叩くと、コンピューターのモニター内が変化する。そこに現れたのは、此処にいる全員が知っている少年――双慈の姿だった。
「双慈君!? なんであの子のデータが?」
「順を追って説明するわ。まず確認なんだけど、フィーノ」
「はい」
「貴女が見つけ、破壊したという監視カメラの事、覚えてる?」
「ああ、私が偶然見つけたあの……!? もしかして、あのカメラが……?」
「ええ。その監視カメラを通じて、双慈君のデータが“天上の庭”に送られたのはほぼ間違いないわ。そして、それがあの“天上の庭”の起動スイッチだったんじゃないかしら」
「え? でも双慈君は、自分が装置の電源スイッチを入れたって……」
「本人も言ってたみたいだけど、それはトラップよ。実際、その電源スイッチを入れたから、幻獣が現れたらしいじゃない。で、ここからは私の推測になるんだけど……」
好野は一旦眼を伏せた後、中空を見上げながら言葉を続けた。
「あの“天上の庭”を造った人物、ないしはそれに関連する人物は、いつかまたあの場所に戻るつもりだったんだと思う。そして、その時に合わせるように監視カメラを兼ねた起動スイッチをセットしていた……“天上の庭”から生まれる“新士”に、自分がご主人様だと認識させるためにね」
「だけど、なんらかのエラーかトラブルで、双慈君がご主人様になっちまうように作動してしまったって事ですか?」
「私はそう考えてるわ。だから今の所、あの娘が危険な存在になる可能性は低いと思う。……今の所は、ね」
「ふむ……その言い方だと、まだまだ未知の部分があるという事だね?」
トゼロが訊ねると、好野は難しい顔で頷く。
「はい。あの部品にあったデータが全てというわけではありませんし、いくつか消去されている痕跡もありました。正直、私が解析できた部分が、全体のどれくらいなのかも判断できません」
「え、えっと、それで、これからどうするんですか?」
一人話についていけていない水音が、苛立たし気に頭を掻きながら言う。
すると、好野は困った様子で小首を傾げた。
「私も悩んでいるの。これ以上データ解析をしても新発見はなさそうだし、かといって他にやるべき事も見当たらない。歯がゆいけど、何かが起こるまで待つしかないのかもしれないわ」
「そのパターンか。まあ何かが起こるって言えば、パッと思いつく事はあるけど……」
「ああ、例の人工生物の事? けど、その生物は“神”じゃなかったんでしょう?」
明らかに興味が無い様子でそう訊ねた好野に、雄一は答える。
「ええ。でもなんて言いますか……今回の事と無関係ではないと思うんです。あの研究所跡から帰る俺達を襲った、あのタイミング……あまりにも出来過ぎてると思いません?」
「そう言われれば、そうね。でも神じゃない以上、私が調べる事は出来ないし……ここは一度、帰国してみようかしら。やっぱり、あの娘の事も気になるし」
「唯一の手掛かりでもありますしね。それしかないですか」
「あっ、じゃあ私も一緒に行っていい?」
不意に同行を求めてきた水音に、雄一は怪訝な表情で振り返る。
「どうしてですか?」
「いや、ほら、ね? 随分長い間パージルに戻ってないし、せっかくの機会だから久しぶりに行ってみたいなって。里帰りって訳でもないけど」
「ああ、そっか。パージル出身って行ってましたね。まあ、こちらとしては構いませんけど、こっちの神連の方は大丈夫なんですか?」
そう言いながら雄一がトゼロとフィーノを見やると、二人は揃って苦笑してみせた。
「こちらの心配はいらないよ。そもそもミズネは、此処にいない事の方が多いのだしね」
「そういう事ね。たまには祖国の土を踏んできたらいいわ」
「うん、そうさせてもらおっかな。じゃあそういう事で、私ちょっと準備してくるから」
言い終わらぬうちに、水音はサッサと研究室を出ていく。どうやら理解出来ない話を長く聞かされていた為、この場所そのものに拒否反応が出ていたらしい。
彼女の様子からそれを感じ取った四人は、誰からともなく顔を見合わせ、それぞれ軽く笑みを零した。
「……“ペリュトン”の方、反応ロストです」
「ふむ、所詮は未完成品ですか」
薄暗い部屋の中で、一つのコンピューターを前に二人の男が会話をしている。
一人はサイズの合っていない眼鏡を何度も直しながら、忙しなくキーボードを叩いている。その後ろに立つもう一人は、落ち着いた様子でコーヒーを飲んでいた。
年の頃は前者が三十台半ば、後者が五十代前半だろうか。それぞれ白衣を纏い、白い手袋をはめている様から、何らかの研究者であることがみてとれた。
「結局“本体”が稼働していないと、大した力は発揮しないということですね、薄々分かっていた事ではありますが。おまけにプログラムを無視して勝手に暴れだしたようですし」
「ええ。やはり博士の残したデータ通り、“本体”と連動させないと上手くいかないみたいです」
「……“サンダーバード”の方は?」
「今の所、特に問題は起こっていません。こちらのプログラム通りに動いていますよ。……むしろこちらの場合、問題は“本体”です」
キーボードを叩く手を止めた男が、回転イスを回して後ろに立つ男へ振り返る。
「不完全な状態で外に出てしまったようですし、データ解析だと“刷り込み”も発生しているみたいです。これでは仮に見つけだしたとしても、我々の言う事を聞くかどうか……」
「成程。では、力が暴走する危険性は?」
「“刷り込み”の対象が危機に陥らない限りは、まず無いでしょう。それ以前に、力の使い方が分かっているかどうかも危ういところですし」
「それはまた厄介ですね。ズラグ博士も大変な置き土産を残したものです。益々、我々の研究は慎重に進めなければなりませんね」
「はい。完成を急いでは、同じ結果になりかねません。ただ、そうなると一つ問題が……」
「分かっています。“サンダーバード”の“本体”ですね」
コーヒーを飲み終えた男が、カップを近くのテーブルに置きながら大仰な溜息をつく。
「放っておくわけにはいきませんが、かといって取り返すとなると難儀ですからね。私達に荒事は向いていませんし、そもそも場所が分からないとなると……」
「そうですね。おそらく、というよりほぼ間違いなく相手は神士でしょうから。となると、手立てとして考えられるのは……」
「“サンダーバード”ですか」
渋い顔で呟いた男は、軽く首を左右に振った後、額に手を当てて項垂れた。
「出来る事なら、まだあれを本格的に運用するのは控えたいのですがね……っ……そうも言ってられませんか。プログラムの変更、お願いします」
「分かりました。“本体”を感知して、確保するようにします」
頼まれた男は、再びコンピューターに向き直るとキーボードを叩き始める。その後姿に、もう一人の男が声を掛けた。
「どれくらい掛かりますか?」
「ほぼ全てのプログラムの書き直しですからね、数日は掛かってしまうでしょう。その間、私はこちらに専念しなければなりませんので、すみませんが……」
「分かってますよ。“あれ”は私一人でやっておきます。ですから、そちらは任せましたよ、フモル君」
「はい、オクベ博士」
そう返事をした男――フモルに、呼ばれた男――オクベはもう何も言葉を掛けることなく、静かに背を向けて部屋を出ていった。