第十章〜突然の叛徒〜

 

 

 

 

 

 

 

 

……。

…………。

――――東暦1997年6月13日午後1時。

「…………はあっ」

光美の家の玄関先に立ち、繚奈は盛大な溜息をつく。

ここにはもう数えきれないくらい訪れているが、これ程までに気が重いのは初めてだ。

〔繚奈、立ち尽くしていても仕方ありませんよ〕

「……分かってるわよ。でも、本当に……何て言えばいいのよ?」

『邪龍』の言葉に苦しげに答え、彼女はまた一つ溜息をついて項垂れた。

――――……光美の両親の葬儀から、早一日。

あの日の事後処理に終われ、結局葬儀はおろか通夜にも出席出来なかった繚奈は、悲劇に見舞われた光美とまだ会っていない。

ようやく処理が一段落着き、こうして彼女の様子を見にやってきたのであるが、やはりというか胸が苦しい。

――――自分が光美にしてあげられる事が、果たしてあるのだろうか? 彼女の両親を奪った原因の一つでもある自分に……?

〔……繚奈〕

「っ……ええ、分かったわ」

見かねた『邪龍』が声を掛けてき、繚奈は苦々しく頷く。

(確かに……ここで突っ立ってても、どうしようもないわね)

そう自分に言い聞かせ、彼女は大きく深呼吸した後にゆっくりとインターホンを鳴らした。

「…………はい」                                    

暫くして、聞き慣れた澄んだ声が繚奈の耳を打つ。

(っ……)

その声を聞いた途端、またしても彼女は居た堪れない気持ちに襲われる。

これ以上聞きたくない、今すぐにでも逃げ出したいという気持ちを必死で押し殺しながら、繚奈は口を開いた。

「あ、光美? 私、繚奈だけど……」

「っ……繚奈?」

「あの……その……陽太さんと蛍子さんの……」

繚奈が言い終わらぬ内に、突然玄関のドアが開く。

驚いた彼女がそちらに振り返ると、そこには笑顔の光美が立っていた。

「ありがとう、繚奈。わざわざ来てくれて、お父さんとお母さんも喜ぶわ」

「光美……ええ」

目の前にいるのは、数日前に会った時と何ら変わらない様子の光美。――――……そう振舞えていると、彼女自身は思っているのだろう。

しかし、その演技は余りにも拙く、それがより繚奈には痛ましい姿に映る。

(……バカ……赤い眼はともかくとして、隈ぐらい化粧で誤魔化しなさいよ)

恐らく訃報の日から泣き通しで、夜もロクに寝ていないに違いない。

思わず眼を逸らしてしまいそうになるのに耐えつつ、繚奈は軽く頭を下げた。

「本当にごめんなさいね。お通夜もお葬式にも出られなくて。私、陽太さんにも蛍子さんにも、沢山お世話になったのに」

「仕方ないわよ、風邪だったんだから。それに今日、こうして来てくれたじゃない。なにも謝る事はないわ」

光美は苦笑しながらそう言って、首を横に振る。その彼女の言葉に、繚奈は小さく嘆息した。

――――風邪……言うまでもなく、それは嘘だ。

自分は普通の高校生である『上永繚奈』としてではなく、神士である『幻妖剣士』として活動していただけ。

その結果、あの様な事故を招いてしまった。その事を何一つ、光美には話せない。それが繚奈には、余計辛かった。

「……繚奈?」

「え?……あ、ゴメン。それじゃ光美、上がってもいい?」

「どうぞ。今丁度お茶しようと思ってた所だから、準備しとくね。仏壇は和室にあるから」

「……ありがとう」

……。

…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――東暦2000年7月3日午後2時。

(ちっ!……光美の後を追えと言ったのに……!)

呆けた顔でこちらを見る雄一に、繚奈は内心で舌打ちする。

急いで自宅へと戻り、困惑して怯える輝宏をどうにか宥めて寝かしつけ、『紅龍刃』を手に神連へと着てみればこれだ。

先程の剣輪町で光美が見せた言動が、繚奈の脳裏で一つ一つ思い返される。

――――彼女が雄一に向けた瞳……様々な感情が入り混じった声……。

それらを見れば、嫌でも光美と雄一が過去に面識があったと理解できた。そして、光美が雄一にどの様な感情を持っているかも。

(っ……)

だからこそ繚奈は、自分の忠告を無視して此処にやって来た雄一に、強い怒りを覚える。

反射的に斬りかかろうとした彼女であったが、ふと彼の傍に倒れている女性が眼に入り、刀に伸ばし掛けていた手を止めて口を開いた。

「その人は……」

「俺に通信をくれた人だよ。……ここで、幻獣に襲われてた」

「幻獣?」

「そうだ。今さっき俺が倒したんだが……それより、あんた此処に来るまでに誰かと会ったか?」

雄一の問いに、繚奈は「いや……」と首を横に振って答える。

それを見て、深く考え込む仕草を見せた彼に、彼女は驚いた表情を浮かべて言った。

「おい、待て。此処に誰もいないのは、お前が避難させたからではないのか?」

「違う。最初から誰もいなかったんだ。……廊下の所々に血が付着していたから、少なくとも俺が来る前には誰かがいたのだろうが……」

その血ならば、繚奈も見ている。

まだ真新しい物であったから、ごく最近誰かが流した物であったのは間違いない筈だ。

彼女はてっきり雄一に言われて避難した人達の血だと思っていたのだが、彼の話を聞く限り、そうではないらしい。

――――……では一体……誰が? 何時?

不意に嫌な悪寒が全身を駆け巡り、繚奈は微かに身震いする。

しかし、それをすぐに打ち消すと、ふとある事を思い出して雄一に尋ねた。

「そう言えば、お前……義長氏には会ってないのか?」

「っ!……義長さん!?」

途端に雄一は、弾かれた様に立ち上がると面食らった表情でこちらに振り向く。

その様子を奇妙に思った繚奈は、軽く眉を顰めながら口を開いた。

「どうした? 何をそんなに驚いている?」

「いや……まさか、あんた……義長さんから通信もらったのか?」

「ああ。ノイズ混じりで良く聞こえなかったが、神連の拘束所にすぐ来てくれと言っていたぞ」

「っ、そうか。あんたは別に、幻獣の気配を感じて来た訳じゃないのか……にしても、妙だな」

首を傾げて顔を伏せた雄一に、繚奈は何の事かと問いかけようとしたが、それよりも早くに『邪龍』が声を掛けた。

〔っ!……繚奈! 彼の言う通りです〕

「……どういう事?」

その緊迫した口調から尋常ではない何かを悟って尋ねた彼女に、『邪龍』は手早く言う。

〔私とした事が失念していました。……繚奈、数週間前に彼が解決した、あの事件を覚えてますか?〕

「あの事件?……っ……そうか、確かに……!」

『邪龍』の言う『あの事件』を思い出した繚奈は、『邪龍』の言わんとしてる事、そして雄一が考え込んでいる事を理解する。

――――神士で形成された強盗団の追跡と捕獲。

雄一が解決したその事件の結末は、繚奈も耳にしていた。

『鵺』という神と神化していた奴らの親玉。そして、その『鵺』に纏わる不吉な言い伝え。

――――大いなる災厄を招く神。

確定ではないものの、その言い伝えから危険な存在であると認識した神連が、連中に拘束処分を下した。

そして、彼らの調査及び研究にあたる事になった人物が、義長だったのである。

これらの事を思い出した繚奈は、嫌な予感を切実に感じながら忙しく考えを巡らせた。

(ここに来るまで、私も奴も誰一人会わなかった……そしてセキュリティも何故か機能していた…………更に、此処にいる筈の連中もいない……

……仮に連中が神連を襲い、奴が見たという幻獣を放ったとしても……極めて不自然な点が出てくる)

不自然な点。眼の前で考え込んでいる雄一も、その事を考えていると見て間違いないだろう。

その証拠にふと二人の眼が合うと、どちらともなく同じ事を口に出した。

「これは……やはり……」

「ああ……だとすれば、まだ……」

その時だった。ふと二人の前方――拘束所の最深部へと続く扉が開かれる。

繚奈と雄一がハッとしてそちらに視線を移すと、一人の人物がヨロヨロと姿を現した。

 

 

 

 

 

 

 

「お、おお、繚奈君……それに雄一君もいるのか……よく来てくれたな」

まるで恐ろしい物から命辛々逃げてきた様な疲れきった顔で、現れた人物――義長は嬉しそうに繚奈と雄一に話しかけた。

「「…………」」

しかし、二人は彼に対して険しい表情を向けるのみで、口を開かない。

その様子を妙に思ったのか、義長は首を傾げながら尋ねた。

「……どうしたね、二人共? 何故、そんな怖い顔をしているのだ?」

「……義長さん……どうして、此処にいるんですか?」

「?……何を言うかと思えば……繚奈君、彼に何も話していないのかね?」

話を振られた繚奈は、一瞬雄一の顔を見た後、ゆっくりと首を振る。

「いいえ……ほんの少し前に話しました。私が、貴方から知らせを受けて此処にやってきた、と」

「何だ、知っているのではないか……雄一君、一体どうしたのだね? そんな事をわざわざ聞くとは」

「……いえ……それより義長さん。此処で何が会ったのか、話してもらえませんか?」

「……ああ……本当に突然の出来事でな……」

重苦しい溜息を吐いた義長は、訥々と事の顛末を話し始めた。

「雄一君、先日に君が捕らえた神士の事は覚えているな?……繚奈君も、報告を聞いているだろう?」

「はい」

「……ええ」

雄一が軽く頷き、繚奈もやや遅れてそれに続く。

――――どうやら、この騒動の『直接的な原因』は、自分達の予想通り且つ『この状況から容易に考えられる事』と見て間違いない様だ。

「全く、してやられたよ。……連中は、この神連を内部から攻撃する為にワザと捕まったのだよ」

「っ……ワザと?」

「どういう事ですか? 義長殿?」

「うむ……思えば、我々も軽率であったのだが……雄一君の報告書や簡単な検査で、彼らはそれほど強い神士ではないと判断していたのだ。

 故に結界役の神士も、危険も少ないと考えた上でそこそこの者にしていてな。……それが、まずかった。奴らは一時間程前にいきなり結界を破り、

神士二人を殺害。そして仲間を解放し、総攻撃をしかけたのだ。間の悪い事にベテランの神士達は出払っていて、残っていたのは新米神士や

私の様な戦う力の無い職員ばかり…………情けない話だが、どうにか出来る問題ではなかった」

そこまで話すと、義長は悲痛な表情で額に手を当てて顔を隠す。繚奈はそんな彼に、努めて抑揚の無い声で尋ねた。

「貴方は……よく無事でしたね」

「……繚奈君、言いたい事は良く分かる。本来なら戦う力の無い私は、真っ先に殺されている筈だからな。……しかし私は事態が起こると、

 無意識に此処、拘束所の最深部に身を隠していた。連中も自分達が脱走した所に誰かが隠れる等とは思わない、と考えたのだろう。

……その読みは当たり、私はどうにか助かった……他の者達の命と引き換えにな…………」

「「…………」」

「臆病者と嘲笑してもらって構わない……同僚達を見捨てたと罵って構わない……暗い部屋の中で震えている私に出来たのは……

 持っていた通信端末で、誰かに助けを求めるだけだった…………」

「それで私に助けを求めた……と?」

「ああ…………そう言えば雄一君。君は何故、此処に? 繚奈君に頼まれたのか?」

「いや、俺は……彼女から連絡を受けて」

言いつつ雄一は、傍で気を失っている職員の女性に眼を落とす。

つられて彼女に視線をやった義長は、驚いた様に眼を丸くした。

「なんと……! 無事であった者がいたのか!……せめてもの救いだな。しかし、幻獣に襲われてよく無事で……」

感慨深げに独り言を零しながら、義長は女性に歩み寄ろうとする。

しかし、それと同時に、何かを確信した繚奈が言った。

「待ってください、義長殿」

「?……何だね、繚奈君?」

怪訝そうな声を出す義長の前に立ち塞がり、繚奈は徐に『紅龍刃』を鞘から引き抜く。

そして刀の切っ先を義長に突きつけると、彼は慌てた様子で口を開いた。

「お、おいおい? 何の真似だね?」

「……もし私の勘違いであったのなら、後に如何様にも謝罪させて頂きます。しかし貴方が先程仰った事が、私にはどうしても腑に落ちないのです」

「………それは俺も同じです」

雄一も倒れている女性を庇う様に立ち、『龍蒼丸』を抜刀する。

明らかに敵意を示す二人に、義長は引き攣った表情を浮かべながら数歩後ろに下がった。

「どうしたんだね、二人共?……そんな物を向けて……一体、私の言った事の何が腑に落ちないのかね?」

「……貴方の話が事実だとすれば、余りにも不可解な事が多過ぎるんですよ。拘束所から大勢の神士が脱走したというのに、何故セキュリティが

 作動していないのです? 神士達が神連内を攻撃した割に、然程荒事が起こった痕跡が見られないのは何故です? それに、貴方とこの女性以外の

 人が全く見当たらない所か、死体も転がっていないのは何故です?」

「い、いや……それは……」

繚奈の質問攻めに、義長は言葉を濁らせる。そんな彼を畳み掛ける様に、雄一が低い声で尋ねた。

「そして、義長さん…………どうして、この人が『幻獣に襲われた』事を知っているんですか?」

「……っ……!」

「……俺達は、一言もその事を言った覚えはありません。ずっと奥で身を潜めていた貴方がどうして…………」

「…………少々、口が過ぎた様だな」

「「っ!!」」

途端、義長は先程までとは打って変わり、冷徹な策略家の如き顔になる。

それを見た繚奈と雄一は、共に苦々しい顔で口を開いた。

「義長殿……やはり貴方が……!」

「どうして……こんな事を……!」

「さてな。……まあ、ここで話してもいいのだが……」

小さく呟きつつ、義長は懐から小さなダガーらしき物を取り出す。

(あれは?……ただの刃物ではない様だが……?)

眉を顰める繚奈の後ろで、雄一が驚いた調子で叫んだ。

「なっ!? それは『鵺』の……!!」

「!?……『神器』……!?」

「その通り。とりあえず、おさらばとさせて頂こうか!!」

義長はそう叫ぶと、いきなり壮年とは思えない俊敏さで二人の横をすり抜けた。

「っ!」

「……逃がすか!!」

ハッとした雄一と繚奈がそれぞれの刀を振るおうとした瞬間、耳に不気味な獣の鳴き声が響き渡る。

その余りにも耳障りな『鳴き声』に、二人は思わず両耳を塞いでガクリと膝を折った。

「くっ!……何だ……一体……!?」

「これは……痛っ!……くそ、あの神士の時よりも、数段強い……!!」

苦痛に顔を歪ませる繚奈と雄一の眼には、凄まじい速さで遠ざかっていく義長の姿を映る。

しかし、二人が彼の後を追う事は叶わなかった。

(ううっ……頭が……割れそう……だ…………)

〔繚奈!……しっかり…………い…………〕

次第に激しさを増す頭痛に邪魔され、『邪龍』の声すらも遠のいていく。

何とか意識を保とうとした繚奈であったが、ついにバタリとその場にうつ伏せてしまった。

「『邪龍』……ごめん……な……さ……」

〔繚奈!!〕

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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