第九章〜疑問の螺旋〜
……。
…………。
―――――東暦1999年2月9日午後7時。
「……」
窓の外の流れ行く景色を、雄一はボンヤリと見つめていた。
(……変わってないな、全然……)
眼に映るのは、記憶と何ら変わらない風景。まるで時が止まっているかの様な感覚を、彼を覚えた。
無論、現実にそんな事は断じて無い。この町――剣輪町を離れてから、確実に歳月は流れているのだ。
――――あの時は小学生だった自分が、大学生になっている程に……。
(今回は長かったな……まあ、俺がそう望んでたんだけど……)
この町を離れ、再び戻ってくるという行為は、今回が初めてではない。
『神龍』と出会い神士となって間もない頃に、一年間程やはりこの町から離れていた事があった。
その時は、こうして故郷に帰ってくるのがとても嬉しいものであったのだが……流石に今回は、そういう気分にはなれなかった。
(まだ……この町に居るんだろうか?)
――……ゆう……いっ……ちゃ……ん……?
忘れたくて忘れられない、そして忘れる訳にはいかない少女の声が、不意に彼の耳元に蘇る。
同時に、自分の犯した罪も。罪を犯す前の、幸福で満ち溢れていた彼女との思い出も。
「……っ……」
〔雄一、そう考え込むな。彼女の事は……時間を掛けて解決していけばいいんだ。というより、それしか方法がないんだからな〕
「……『神龍』……サンキュ」
『次は剣輪町……剣輪町。お降りの方は、お忘れ物の無い様にお願いします』
無機質なアナウンスと共に、電車はゆるやかに減速していく。その中で雄一は荷物を抱え、徐に席を立ち出口へと向かった。
電車から降りて深呼吸すると、懐かしく清清しい故郷の空気が身体を満たしていく。
――――確かにこの町で、自分は罪を犯した。大切な友達を傷つけた。……けれども……。
「やっぱ……良い所だよな、剣輪町は」
罪が消えた訳ではないし、罪悪感が拭えた訳でもない。
しかし雄一は、少しだけ心が安らいでいるのを感じた。これまで、各地を転々としていた時には全く感じなかった、安らぎを。
「さてと、まずは神連に行って手続きしないとな。終わる頃には好野さんから新しい住居の連絡があるだろ」
〔そうだな。しっかし何だってあの人、わざわざ俺達だけ先に帰したんだ? 特に用事がありそうって風には見えなかったが〕
「ああ……まっ、あの人も結構責任ある立場だからな。俺達の見えない所で、色々と忙しいんじゃねえの?」
『神龍』の疑問に軽く返事をした雄一であったが、内心では『神龍』と同様の疑問を抱いていた。
数日前、剣輪町に戻る事になったと伝えられてから、どうも好野の様子が妙であったのは確かである。
具体的に何が妙とは上手く言えないが、何かこう……とても大きな問題が突然出現したかの様な、深刻そうな表情を彼女はしていた。
(また会った時にまだ悩んでそうなら……それとなく尋ねてみようかな)
ふとそんな事を考えながら彼は改札口を抜け、町の中央にある神連へと足を向けた。
……。
…………。
――――東暦2000年7月3日午後1時30分。
「っ……結構掛かっちまったな!」
立ち並ぶ高層ビルに挟まれたドーム型の建物を眼下に確認した雄一は、急いで地上へと降り立った。
その様子を目撃した道行く人々が一瞬彼に注目するが、すぐに何事も無かった様に通り過ぎていく。
それもその筈、この町――刀廻町は、世界的にも稀な神士の存在が公にされている場所。
暮している人々の肝も据わっており、少しばかり奇想天外な現象や人間がいた所で動揺する事はないのだ。
中には雄一に向けて、「お勤めご苦労様」等と挨拶をする者もいる。
平常ならそんな人達と話をする事もあるのだが、今の彼は流石にそんな事をしている時間は無かった。
軽く手を振る事で礼と代え、雄一は高まる緊張感を懸命に抑えながら神連の入り口に駆け寄る。
しかしその直後、彼はふと妙な事に気がつき、思わず呟いた。
「?……どういう事だ?」
〔どうした? 雄一?〕
『神龍』の声に、彼は固く閉ざされた自動ドアに手を触れさせつつ答える。
「セキュリティが生きてる……」
〔何!?〕
雄一が言った不自然な事実に、『神龍』も驚きの声を上げた。
先程の神連からの通信から、この中でかなり深刻な事態が起こっているのはほぼ間違いない。
しかし、ならば何故、未だにセキュリティシステムが作動しているのか?何者かが侵入しているのならば、真っ先に停止させられる筈であるのに。
――となれば、考えられるのは……。
(誰も神連に侵入していない……? 元々、内部で何かが発生したのか?)
緊張感に加え不安を覚えつつ、雄一は素早くドアの横にあるセンサーに掌を乗せる。
すると程無く、機械的な女性の声が流れた。
『指紋照合……指紋照合……剣輪町神士連合所属、武真雄一と認識……武真雄一と認識……ロックを解除します』
アナウンスの終了と共に、彼の前の自動ドアが左右に開く。
改めてセキュリティが健在な事に雄一は一瞬考え込むが、すぐにそれを打ち消し、『神龍』に話しかけた。
「……『神龍』……何か感じるか?」
〔いや、今の所は何も……だが、どうにも嫌な予感がする。油断するなよ、雄一〕
「言われるまでも!」
少々皮肉交じりに呟くと同時に、彼は神連内部の様子を確かめるべく、素早くドアを潜り、奥へと駆けていった。
「……静かだな」
薄暗い神連の廊下を、雄一は黙々と走り続けていた。
とにかく何か起こっているであろう場所を探しているのだが、そうして奥へ進むにつれて益々疑問が膨れ上がってくる。
(やはり、どう考えても妙だ……一体、何があったんだ?)
セキュリティは生きているというのに、何故か照明は落とされ、非常灯の明るさしか廊下には無い。
そして、ハッキリと確認は出来ないが所々に付着している液体――血。
独特の匂いが漂っている所から、まだ新しい物だ。つまる所、ここで何か血を流す出来事が起こったのは確実と見ていいだろう。
だというのに、辺りには神士や職員が一人も見当たらない。大抵こういう場合、負傷した者が倒れている筈なのだが。
余りにも妙な点が多い事に、雄一は幾分弱々しい声で『神龍』に尋ねた。
「なあ、『神龍』……お前、この状況どう思う?」
〔……正直、不気味で仕方がないな。何が起こったのか、見当もつかねえ……っ!〕
「『神龍』? どうした!?」
〔……気をつけろ、雄一……この神連には幻獣がいる様だ〕
「何っ!?」
雄一は咄嗟に『龍蒼丸』に手を掛け、いつでも抜刀できる体勢に移行しながら、周囲に視線を飛ばす。
気配こそ感じないが、得体の知らない圧迫感の様な物が肌を刺す所から見るに、少なくとも幻獣が近くにいるのは確かな様だ。
――――問題は、幻獣が何処に何匹いるのかという事だが……。
「居る場所と数は特定出来るか?」
〔ああ、数はまだ何とも言えんが、場所は分かる。丁度、この真下だな〕
「真下?……拘束所か!?」
自分の右に有る階段へ眼を向けつつ、雄一はそう呟く。神連内でも、極めて人の出入りが少ない場所――それが拘束所だ。
犯罪者である神士を閉じ込めておくその場所に幻獣がいる。その事実を知った彼の脳裏に、すぐさま一つ推測が浮かぶ。
(……拘束している神士が放った幻獣か?)
背筋と額に嫌な汗が流れ、雄一は僅かに身震いする。それは有ってはならない事態ではあるが、有りえる事態であった。
神連に所属している神士二人によって特殊な結界を張り、その部屋に閉じ込める……それが神士を拘束すると言う事なのであるが、
それは余り信頼できる物とは言えなかった。
なぜなら、神連の神士二人の力より拘束されている神士一人の力の方が強ければ、何の意味もなさないからである。
実際これまで雄一は、その様な事態に見舞われた神連をいくつか見てきた。
理想を言えばもっと確実な拘束手段を取るべきなのだが、現実問題としてその様な手段が見つかっていない為、如何ともし難いのであった。
「……とにかく、下に降りてみるしかなさそうだな」
〔ああ。気をつけろよ〕
「分かってるって」
徐に『龍蒼丸』を鞘から取り出し、抜き身の蒼い刀身を軽く肩に担ぎながら、雄一は拘束所へと続く階段を下りていった。
「えっと……ここをこうして……こっちを……と」
神連内でも特に厳重な拘束室のセキュリティを解除し、雄一は拘束室へと足を踏み入れる。
不思議な事に、この部屋のセキュリティも当然の如く生きていた。『神龍』が言うには、幻獣がいる事が確かな筈なのにだ。
「なあ……本当に此処にいるんだよな、幻獣?」
〔……信じられないのは俺も同じだ。だが、今は数までハッキリと分かる。ざっと十匹ってところだな。奥の方に、群がってるぞ〕
「そうか。……しかし、ますます妙だな」
辺りを見回しながら、雄一は呟く。
此処も上の階と同様に、所々付着している血以外に特別目に付く物はなかった。
――――それはこの拘束所に関して言えば……極めて異常な事態であるといえる。
見張り役の神士が見あたらないのもそうであるが、何よりも妙なのは拘束処分となっている神士が全くいない事である。
此処の神連に現在何人の神士が拘束されてるのかは知らないが、少なくとも一人は必ずいる筈であった。
――――そう。先月に自分が捕まえた、『鵺』と神化している神士が……。
(どうなってんだよ、一体……?)
全くもってスッキリしないが、残念ながら今はじっくり考えていられる状況ではない。
『神龍』に言われずとも、自分で幻獣の気配を感じた雄一は、『龍蒼丸』を強く握り締めた。
「……とりあえず、こいつらの駆除が先決か」
〔ああ、推理はそれからだ〕
軽口を叩いた『神龍』に小さく苦笑しつつ、彼は素早く床を蹴る。敵の場所が分かっている以上、下手に気配を殺して近づく必要も無い。
細く長い通路を駆け抜け、簡素な扉が近づいてきた時、『神龍』が鋭く叫んだ。
〔雄一! その奥だ!!〕
「了解!……はあああっ!!」
雄一は『龍蒼丸』で扉を強引にぶち破る。派手な音と共に扉の向こう側に飛び出した彼の眼には、ある切羽詰った光景が広がっていた。
「っ!!」
――――『神龍』の言った通り、十匹の狼の姿をした幻獣。そして……その群れの中で血を流して倒れている女性。
その女性に、雄一は見覚えがあった。彼女こそ、自分に通信で助けを求めてきた女性だ。
「……おい、お前ら!! その人から離れろ!!」
『龍蒼丸』の切っ先を突きつけて雄一が叫ぶと、幻獣が女性から視線を外して一斉に彼を睨み付ける。
「「「グルルルル……!!!」」」
低い唸り声をあげた刹那、幻獣は牙を剥き出しにして雄一に飛び掛ってきた。
「「「グルアアアァァァッ……!!」」」
「ちっ! こいつら……!」
〔雄一!!〕
「分かってる!」
『神龍』の叫びに鋭く答え、彼は眼前に『龍蒼丸』で横一文字を刻む。
その剣閃に触れる寸前だった幻獣達は、一瞬怯んだ表情を見せつつ危なげにそれを回避し、後方へと飛び退いた。
しかし咄嗟だったその行動は自然と隙を生み、着地際に僅かな硬直となって示される。
無論、それを見逃す『覇王剣士』ではない。雄一は素早く間合いを詰め、幻獣達の合間を擦り抜け様に『龍蒼丸』を振るった。
斬撃音と共に、十匹の幻獣の上半身と下半身が見事に分断される。
生物ならば同時に大量の血が噴出す所であるが、幻に過ぎない彼らはそうなる事も無い。
ただ泡沫の様に音も無く、元より存在してなかったかの如く消える……筈だった。
「……ん?」
事が終わったと『龍蒼丸』を納刀しようとしていた雄一だったが、一向に幻獣達が消える様子を見せない事に、ふと眉を顰める。
その時、不意に幻獣の残骸がゴトゴトと動いたかと思うと、上半身と下半身が何事も無かった様にくっつき、元の狼の姿となって再生した。
「なっ!?……再生!?」
〔バカな!? 再生する幻獣なんて初めて見るぞ……!〕
「くっ……『神龍』どうすりゃいい!? これじゃ、斬っても斬っても終わんねえぞ!!」
〔どうするって……何か秘密がある筈だ!それを探すしかない!〕
「秘密って……」
「「「グルアアアァァァッ……!!」」」
「っ!……ったく!!」
攻め方を思案している暇も無い。
襲い掛かってきた二匹を斬り捨てた雄一に、間髪いれず別の二匹が喉笛を喰いちぎろうと迫る。
迎撃は無理だと判断した彼は、間合いを離して幻獣の牙をやり過ごすが、次の瞬間背中越しに殺気を感じ、反射的にそちらに振り向いた。
「何っ!?」
すると瞳に映ったのは、先程斬ったばかりである二匹の幻獣。それらの鋭い牙が、雄一に接近する。
〔雄一! 避けろ!!〕
「ちいっ……!」
不意を突かれていた為、まともな回避行動を取れなかった雄一は、咄嗟に片腕を盾にする。
ジワジワと食い込んでくる幻獣の牙が生じさせる激痛に、顔を顰めながら彼は呻いた。
「うっ!……くっそ!!」
乱暴に腕を払い、幻獣を振り落とした雄一だったが、再び背後から別の幻獣が仕掛けてくる。
それを早めに察した彼は、腰に下げていた『龍蒼丸』の鞘の鯉口を全力で押しやった。
「グギャッ!?」
反動で突き出された鏢が幻獣の顔面を直撃し、激しく吹っ飛ばす。同時に、雄一の首筋に何か冷たい液体が掛かり、彼は思わず声を発した。
「!?……これは……水!?」
〔!……そうか! 雄一、こいつら水なんだ!!〕
「なっ!? 水で出来た幻獣!? そんなのいるのかよ!?」
〔現にいるんだから、そうなんだろ! とにかく、雄一!!〕
「……ああ!!」
未だ解せない事だらけだが、『神龍』の言う通り活路は見出せた。
雄一は徐に『龍蒼丸』を縦一文字に構え、神力を集中させてその刀身に注ぐ。
(水か……道理でいくら斬っても終んない訳だ。……だったら!!)
カッと眼を見開き、続け様に雄一は無造作に『龍蒼丸』を振り翳した。
「「「グラアァッ!?」」」
「お前らには、これが良い!!」
空間を斬った『龍蒼丸』から衝撃波が生まれ、衝撃波は炎となって瞬く間に周囲に広がる。
――――『神牙一閃流・炎龍紅蓮斬』
本来は『水龍蒼氷斬』と同様に直接対象に斬りつけて真の威力を発揮する技。
しかし今回の様に応用を利かせれば、威力は弱まるが大勢を纏めて攻撃出来る技でもあった。
弱まると言っても、この幻獣達を始末するには十分過ぎる程の威力はある。
それを証明するかの様に、紅蓮の炎は幻獣達を残らず包み込み、激しく狂い踊る。
やがてその炎が収まった時、辺りには床に小さな水溜りだけが残されていた。
「ふうっ……流石に、こうなったら再生も出来ない様だな」
今度こそ終わったと判断した雄一は、『龍蒼丸』を納刀して近くにあった水溜りを指で突付く。
そんな彼に、『神龍』が珍しく神妙な口調で声を掛けた。
〔しかし、こいつら……幻獣には違いないんだろうが……一体……?〕
「おいおい。さっき俺が聞いた時には割り切った様な言い方してたじゃねえかよ」
〔あ、あん時は考えてる場合じゃかっだけだ!〕
ムキになって突っかかってくる『神龍』に、雄一は思わず笑みを漏らす。
だが、すぐに神連職員の女性の事を思い出して、視線をそちらに向けて歩み寄った。
「っと、いけねえ。大丈夫だと良いんだが……」
うつ伏せで倒れていた女性を仰向けにし、彼は彼女の容態を窺う
(…………良かった。命に別状は無いな)
額から血を流してはいるが、それ程深い傷ではない。身体の彼方此方に出来ている傷も、同様に浅い傷の様だ。
とはいえ、かなり大きなショックを受けた事は間違いない。
苦しそうな表情で微かな呻き声を上げてる所から見るに、気を取り戻すまで当分かかるだろう。
〔どうやら、命は無事みたいだな〕
「ああ……とりあえず応急処置をしとくか。……事情を聞けりゃあ良かったんだがな」
そう言いつつ、雄一が彼女の傷の手当てをしようとした時だった。
「お前……! 何故、ここにいる!?」
「っ!?」
聞き慣れた怒声に、雄一は振り返る。
すると、そこには案の定……『紅龍刃』を携えた繚奈が立っていた。