第十五章〜巡りゆく縁〜
……。
…………。
――――東暦1996年8月25日午後3時。
「……『邪龍』……?」
自室でゲームに熱中していた雄一は、ふと『神龍』が口にした単語に、思わずコントローラーのポーズボタンを押した。
「名前からして悪そうな名前だな。そいつがお前にとって、最大の敵なのか?」
〔違う違う。まあ字が字だけに、そう思っても不思議じゃねえが……〕
不意に言葉を切った『神龍』は、深い溜息をついた。
その普段らしからぬ様子の相棒に、雄一は朧気ながら何かを感じ取る。
可もなく不可もなくなスコアだったゲームの電源を切り、部屋を静寂で満たした後、彼は短い声を発した。
「ふうん。……で?」
〔ん?〕
「敵じゃないにしても、何かあんだろ? そんな似合いもしない暗い声で言うからには。もったいぶらずに早く言えっての」
〔っ……鋭いな、お前は。もう少し鈍い方が可愛いし、苦労もしねえぞ?〕
「はぐらかすなよ。で、一体その『邪龍』ってのは何なんだ?」
少々の苛立ちを覚えた雄一は、焦れた口調で『神龍』に尋ねる。
すると『神龍』は暫く言い淀んだ後、徐に口を開いた。
〔遥か昔……それこそ、この世が始まった頃ぐらいから続いている、俺にとって因縁の『神』だ〕
「因縁? おいおい、それって結局は敵って事じゃ……」
〔まあ聞けって。俺がこの世界……自然界を統べる神だってのは、もう十分知ってるだろ?〕
「そりゃあな。出会ってから、もう十年にもなる訳だし」
言いつつ雄一は、ふとこれまでの日々を思い返す。
――――普通の少年でありながら、『神士』として戦いに身を投じる毎日。その中で知り、経験していった『神』に纏わる様々な事象。
当然、自分と『神化』した『神龍』についての知識も、無意識の内に高まっていた。
大自然を意のままに操る、『神』の中でも最上位の強さを持つ彼。
その気になれば島国一つを飲み込む大津波も、大国を一瞬で廃国に変える大地震も起こせる力。
――まあ何があっても、そんな事する気なんざ、さらさら無えけどな。
いつだったか、『神龍』は砕けた調子でそう言ったのを覚えている。その直後に、自分に向けられた言葉も合わせて。
――お前もそうだろ、雄一?
忠告等の意味合いを含まない、ただ純粋なる質問。それに対して、自分は確か「ああ」と相槌を打った。
その時の事を、雄一は時々思い出す様にしている。汚れた現実に疲れ果て、思考が闇に飲み込まれていくのを防ぐ為に。
――――そして、子供の頃の心……純真で無垢な心を忘れない為に。
〔……一。雄一、聞いてるか?〕
「へ?……あ、ああ、悪い」
いつの間にか、物思いに耽っていたらしい。
雄一が軽く詫びの言葉を口にすると、『神龍』は呆れを込めた溜息を漏らした。
〔はあっ……ったく、ちゃんと聞いてくれよ。大事な話なんだからよ〕
「悪い悪い。えっと何の話だったっけか?……ああ、お前の事だったよな、自然界を統べる『神』だって……」
〔そうだ。で、『邪龍』ってのは俺と対極の存在……この世界の裏側にある世界を統べる『神』だ〕
「裏側にある世界? なんだ、そりゃ?」
〔……魔界だ〕
『神龍』が短く言うと、雄一は「魔界!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「ま、魔界って言うと、アレか? 妖怪や幽霊や怪物とかがウヨウヨと……」
〔ゲームのやりすぎだ。そんなんじゃねえっての。言ったろうが、この世界の裏側にある世界だって〕
「……つまり、どういう事だ?」
〔この世界には、様々な『生』がある。……これだけ言えば、お前なら分かるだろ?〕
「はっ?……っ!」
刹那、雄一の頭にある考えが浮かぶ。
それが正しいか確認する為、彼は恐る恐る『神龍』に尋ねた。
「つまり、死者の世界って事か? 魔界ってのは?」
〔死者ではなく、『死の世界』という方が正しいな。けど誤解すんなよ? 別に暗黒の世界だとか、そういうもんじゃねえ。
どんな事にも、相反する存在ってのはあるもんだ。この自然界と相反する世界……それが魔界って事だけだ〕
「ふ、ふうん……」
相棒らしからぬ小難しい話に、雄一は曖昧に返事をする。
実の所、『神龍』が何を言いたいのか殆ど理解できなかった彼だが、一つだけ理解できた事があった。
そして、それこそが『神龍』が言いたい事だと判断した雄一は、徐に口を開く。
「つまり、だ。お前と『邪龍』ってのも相反する存在、って訳か。だけど敵ではない……そう言いたいのか?」
〔そうだ。少なくとも……俺はそう思っている〕
その引っかかる『神龍』の物言いに、雄一は一瞬眉を顰めた後、独り言の様に呟いた。
「……『先代の記憶』は、そうではない訳か」
〔……ああ〕
悲痛そうに、『神龍』はそう漏らす。
――――先代の記憶。
それについて雄一が『神龍』から聞かされたのは、もう数年前。
『神』にも『死』があり、死んだ後には『転生』に近い現象が起きるという事。
能力や記憶こそ受け継ぐものの性格は全く違う、『同じ神』でありながら『別の存在』となる。それが『神』という存在なのだ、と。
勿論、それは『神龍』とて例外ではない。
彼はとても『神』という威厳めいたものなど皆無な雰囲気を纏っているが、先代を含むこれまでの『神龍』は違ったと、雄一は聞いていた。
「で?……その『先代の記憶』はどんなものなんだ?」
〔…………自然界と魔界、この二つは決して相容れぬもの。故に『神龍』と『邪龍』は、その世界を統べる者として戦わねばならない運命、だとよ。
こんな考えが、ずっと昔から続いているらしい〕
苦々しく言った『神龍』には、不快の念が充満しているのが容易に察せられる。その理由は、雄一にも理解できた。
「成程。さっきのお前の言葉からして、その先代の言葉に反発を覚えるのも無理ねえな。尤も、俺も同感だが」
〔っ……お前も、そう思うのか?〕
驚いた様子で尋ねてきた『神龍』に、雄一は「当然だろ」と言って続ける。
「大体、相容れぬものだから戦わなきゃならないってのが疑問だ。お前が言った様に、全ての存在に相反するものがあるのは確かだろう。
けど、だからって何で一方を消さなきゃならない? そんな必要、別に無いだろう?」
〔……フッ……〕
「?」
〔アハハハッ!!……やっぱり、お前とは気が合うぜ。こうまで考えが一緒とはな……〕
心底愉快そうに笑った後、『神龍』は一人納得した様にしみじみと言った。
〔そうなんだよなあ。相容れないなら相容れないで良いじゃねえかよ。何で、わざわざ戦わなきゃなんねえんだろうな?〕
「ん、んな事は俺に聞かれても……でもお前、っていうかこれまでの『神龍』は、ずっと『邪龍』と戦ってきたんだろう?」
〔ああ。勝ったり負けたり……相打ちになったりしながらも、ずっとずっと戦ってきたらしい〕
「……そうか」
雄一は『神龍』の言葉を聞いて、何となくだが『神龍』と『邪龍』が戦い続けてきた理由を悟る。
――――それは恐らく、『神龍』自身も口にした言葉。『因縁』の二文字。
何か理由があって『因縁』が生まれ、その『因縁』に従って、長い長い時間を戦ってきた。
その『因縁』が、どんな理由で生まれたのかも、恐らくとうの昔に忘れ去られてしまったのだろう。
先程『神龍』が言った先代の言葉からも、それは感じられた。
――――『自然界と魔界、この二つは決して相容れぬもの。故に神龍と邪龍は、その世界を統べる者として戦わねばならない運命』
表面的には筋の通っている様に思える言葉。しかし雄一は……恐らくは『神龍』も、この言葉に疑問を感じたのだ。
――……何故?
そう。この言葉から理由――『神龍』と『邪龍』が戦わなければならない直接的な理由は見つからない。
相容れぬから戦う……つまりは相手を滅ぼす。
それは、気に入らないから殺す等といった、短絡的且つ独善的な考えと同じだとしか思えなかった。
(好きになれないな……そういう考えは)
突如として不快感が込みあがり、雄一は心の中で短く吐き捨てる。と、そんな彼の耳に、『神龍』の暗い声が入ってきた。
〔ずっとずっと、『神化』した『神士』……元々は只の人間だった者まで巻き込んで……滅ぼしあってきたんだ。
俺……いや、俺より前の『神龍』と『邪龍』は、な〕
「えっ?……っ!……そう……か」
ようやく雄一は、『神龍』が『邪龍』の事について話し出した理由を知る。
――――『神龍』と『邪龍』との戦い。それはつまり、それらの神と『神化』している『神士』同士の戦いでもあるのだ。
今更になってその事に気づいた雄一は、急激にある不安に駆られる。
瞬く間に速くなっていく心臓の鼓動に苦しさを覚え、胸元のシャツを乱暴に握り締めながら震える声を出した。
「って事は、俺とその『邪龍』と『神化』している『神士』も…………殺しあわなきゃならないって事……か?」
〔…………〕
途端、『神龍』は沈黙する。しかしその沈黙こそ、雄一の問いを肯定するものだった。
それを察した彼は、全身から嫌な汗が流れるのを感じながら続ける。
「っ……今、こんな話をしたって事は……その『神士』は、もう何処かで……」
〔多分、な。最近になって、『邪龍』の気配を感じる様になった。俺自身は奴を知らないが、代々受け継がられてきた『神龍』として直感なんだろう。
本来は魔界に居る筈の『邪龍』が、この自然界に居るという事は……俺と戦う為、『神化』するに相応しい人間を探しているか、或いは……〕
「……もう既に、『邪龍』の『神士』が誕生しているか……か?」
〔ああ。…………だけど雄一、そんなに心配しなくていい〕
「え?」
いきなり普段の口調に戻った『神龍』に、雄一は思わず間の抜けた声を上げた。
「し、心配しなくていいって……」
〔そんな事はさせねえって言ってんのさ。出来るなら、俺は……『邪龍』とも戦わないで済めば良いと思ってる。勿論、奴の『神士』ともだ。
だが、本当にどうしても因縁が避けられないのなら……俺は俺一人で戦う〕
「……『神龍』……お前……」
〔おっと、変な気遣いは無用だぜ。大体、お前は『邪龍』とはともかく、奴の『神士』とは戦えないだろ? そういう『誓約』なんだから〕
「あ……」
言われて雄一は、自身の『誓約』を思い出す。
「そっか……あっちも俺と同じ『誓約』を交わしているとは、限らないもんな」
〔そういう事だ。まあ、柄でもなく真面目にここまで話しといてなんだが……別に気にしなくていい。
ただ、一応話しておくべきかなって思っただけだからよ〕
「っ……ありがとう」
雄一はそう言いながら、心の中で思う。
(……『神龍』の話が本当なら、いつかそう遠くない内に顔を合わせるだろうな。絶対出来るとは言えないが、やるだけはやってみるか……説得を)
『神龍』が雄一を戦わせたくないと思っているのと同様に、雄一も『神龍』を戦わせたくはなかった。
その気があるならまだしも……いや、例えあったとしてもだろうが、『因縁』の二文字だけで『神龍』と『邪龍』が戦わなければならないとは、
彼にはどうしても思えない。
もし、これまでの『神龍』と『邪龍』がそうであったとしても、それもまた理由にはならない筈だ。
(なんだかんだで……相棒だからな、こいつは)
そう思った瞬間、自然と雄一の顔に笑みが浮かぶ。それを見た『神龍』が、怪訝そうな声を出した。
〔?……どうした、雄一?〕
「いや、何でもない」
〔そうか?……ああ、そうだ! 話は変わるけどよ、お前どうすんだ?好野さんから言われた例の話〕
「っ……本当にいきなり変わったな。あの件か……そうだなあ……」
先日、好野から持ち掛けられた『ある事』を思い出し、雄一はガリガリと頭を掻く。
「う〜ん……ちょっと抵抗はあるんだけど、引き受けようかなと思う。報酬も美味しいし」
〔おいおい、そんな理由でかよ?〕
「そ、それだけじゃないっての! 好野さんの言ってた事……俺も共感できたから。だから、『提供』しても良いかなって」
〔成程。まっ、そういう話、俺にはよく分かんないからな。お前の好きにすれば良いと思うぜ〕
「……だったら、わざわざ聞くなよな。ったく……」
些か気分を害した雄一は、気ばらしの為に再びゲームの電源を入れた。
……。
…………。
――――東暦2000年7月4日午前10時。
剣輪町の神連内――通信室において、雄一は緊迫した表情で職員と会話していた。
「じゃあ……まだ消息は全く?」
「はい、全然応答が……ただ通信自体は出来てますから、通信妨害されているとかでは無いみたいなんですが……」
「……えっ?」
その職員の言葉に、雄一は怪訝な顔と共に呟く。
「どういう事ですか? 通信が出来てるんなら、場所の特定は……」
「それが、どういう訳か無理なんです。ほら、見てください」
言いつつ職員は眼前のコンピューターのキーを叩き、次いで視線を上げて前方の巨大スクリーンを指差す。
程なくして周辺地域の地図が表示され、その一点――この神連のあるポイントが、赤く点滅し始めた。
そこで職員は再びキーを叩く。すると不愉快な電子音が鳴り響き、スクリーンに大きくエラーの文字が浮かび上がった。
「こんな風に、受信元……つまり好野さんがいるであろう場所が、何故か特定出来ないんです」
「妙だな、通信は出来るのに場所が特定出来ないなんて。こんなの、今まで無かったぞ……『OCWF』は?」
「いえ、作動してません」
「っ……どうなってんだ?」
困惑した様子で、雄一はガリガリと頭を掻く。
戦闘が主な活動となる神士、並びに重要機密を保持している神連上層部の人間は、
常に神連と迅速かつ正確に連絡が取れる様に、原則として特殊な通信チップを各自渡される。
それを携帯電話、または同じく渡される専用の端末に組み込む事で、一般の電波を用いた通信よりも遥かに高精度な通信を可能とし、
同時に必要とあれば、いつでもその人物が何処にいるか特定できる様になっているのだ。
また別機能として『OCWF』と呼ばれる物も備わっている。
これは『所有者危機警告機能(Owner Critical Warning Function)』の略称で、
その名の通り所有者が危機的な状況に陥ったとチップが判断した時、それを神連に警告する機能である。
具体的には通信チップと所有者が一定距離以上の距離を隔てた場合、またチップ自体が破損した時だ。
逆を言えばそれ以外で『OCWF』が作動する事は無い訳だから、現在好野はどちらの状況にも当て嵌まらないという事になる。
なのに通信には応答せず、その上場所の特定も不可能ときた。――――……明らかに異常事態である。
(通信を除く全ての機能を妨害する電波か何か、か……? だが、そんな複雑な物があるのか……?)
雄一は考え込むが、生憎とこういった方面の知識には乏しく、答えらしい答えは見つからない。
仕方なく彼は軽く嘆息した後、真剣な表情でコンピューターの画面を睨んでいる職員に声を掛けた。
「悪いんですけど、もう暫く色々と試してみてください。その内、繋がる可能性もありますし……」
「は、はい。了解です」
職員がそう答えたのと殆ど同時、雄一の背後からドアの開く音が聞こえる。
ハッとした表情と共に彼が振り返ると、予想通りの人物がこちらに歩いてきていた。
「よっ、お早うさん」
「……暢気に挨拶している場合か」
不機嫌さを隠そうともせず、繚奈はそう返す。
そんな彼女に抱かれている子供――輝宏が、今にも泣きだそうにしているのを見て、雄一はふと首を傾げた。
「あれ? なんで、その子をここまで連れてきてんだ? 休憩室かどっかに頼んでた人がいた筈なんだが……」
「安心しろ、確かにちゃんといた。ただ……」
「ふえ……」
「っ!……はいはい、泣かない泣かない」
繚奈はふと視線を落とし、抱いている輝宏を数回揺さぶる。
それに比例して徐々に彼の表情が緩んでいくのを見届けた後、彼女は口を開いた。
「この子が、どうにもその人に懐かなくて……泣きじゃくってる状態で押し付けてくるのも申し訳ないし、それで……」
「成程。まあ、ちっちゃい子が人見知りするのは別に不思議でも何でもないが……」
言いつつ雄一は何の気なしに、姿勢を低くして輝宏に顔を近づける。その途端、「おい……」と凄まじくドスの効いた声が耳に入った。
その余りの迫力に一瞬たじろいだ彼は、冷や汗を流しつつ繚奈と視線を合わせる。
「な、何だよ?」
「用もなしに輝宏に近づくな。泣かせたら斬るぞ」
「っ……何つう無茶苦茶な。その理論でいくと、俺が頼んだ人も斬ってなきゃ変だろうが」
「親身に接してくれた人に、そんな真似が出来るか」
「こっ……! じゃあ、俺だけ……ん?」
思わず食って掛かろうとした雄一だったが、ふと袖の辺りを小さく引っ張られているのを感じ、反射的に視線を落とす。
すると、何かを訴える様な表情でこちらを見ている輝宏と眼が合った。
「?……輝宏?」
「ん? どうしたんだ?」
再び身を屈めた雄一が尋ねると、輝宏はクイクイと袖を引っ張ったまま口を開く。
「だーっこ。だーっこ」
「……え?」
無邪気な輝宏の言葉に、雄一は思わず眼を瞬かせる。その直後、驚いた様子で繚奈が口を開いた。
「き、輝宏? どうしたのよ、いきなり?」
「だーっこ。だーっこ」
「……懐かれたのか、俺?」
「なっ、そんな事……」
「だーっこ。だーっこ」
雄一の言葉を否定しようとする繚奈の腕の中で、輝宏は同じ言葉を繰り返す。
そんな輝宏を酷く困惑した表情で眺める彼女に、雄一は遠慮がちに両手を差し伸べながら声を掛けた。
「えっと……抱っこしてやろうか?」
「やろうって……何だ、その上から目線……」
「うん!」
繚奈の言葉を遮って、輝宏が満面の笑顔で頷く。
それに対して物凄く複雑な顔をした繚奈だったが、やがて差し伸べられた雄一の両手に渋々輝宏を移動させた。
「落としたら、殺すぞ」
「……へいへい。つっても俺、ちっちゃい子抱っこした事なんて……おっと!」
両手に感じた予想外の輝宏の重さに、雄一は小さくよろめく。
これが原因で輝宏が泣き出したりしないかと肝を冷やした彼だったが、幸いな事に輝宏は笑ったままだった。
そんな輝宏を見て安堵した雄一は、覚束無い動作で彼を抱きかかえると、繚奈がしていた様に数回揺さぶる。
「よしよし……と、こんな感じか?」
「えへへ……」
雄一の独り言に答えを返すかの様に、輝宏は両手を動かして喜びを表現する。
と、その様子を見た繚奈が、戸惑いと疑問が混ざった口調で呟いた。
「変だな。何で輝宏はお前なんか……私以外じゃ、光美ぐらいにしか懐かなかったのに」
「え? 光……っ!」
反射的に幼馴染の名を口走りかけ、咄嗟に言葉を飲み込むと同時に、雄一は彼女の事を思い出す。
――――すれ違い、わだかまりを抱えたまま別れた昨日。
その直後から起こった重大な出来事の連続で、彼は光美の事はすっかり忘れていた。
途端、何ともいえない罪悪感を覚え、雄一は顔を歪ませる。そんな彼に、繚奈が声を掛けてきた。
「そう言えば、お前……」
「ん?」
「昨日、光美の……っ……いや、今は詳しく聞くのはよそう。この件が終わった後で、じっくり聞かせてもらう。だから、一つだけ聞く」
爆発しそうな感情を懸命に押し殺しているといった感じで喋る繚奈に、雄一も努めて冷静に言葉を返した。
「丁度良かった。実を言うと、俺もあんたに聞きたい事が沢山あるんだ。……だけど、あんたも言ったが今はじっくり話していられる状況じゃない。
だから、あんたも俺も問いに一つ答えてくれ」
雄一の言葉に、繚奈は小さく頷く。
「……良いだろう。だが、まずは私からだ。光美がいつも付けてるあの青いブレスレット……よもやとは思うが、お前が贈った物なのか?」
「……あれ……か」
「!」
繚奈が息を呑むのを感じ、雄一は彼女を真正面から見返す。
答えらしい答えは何一つ言っていないが、既に繚奈は十分に理解しているだろう。
そう判断した彼は、不思議そうに自分と彼女を交互に眺めている輝宏を一瞥した後、言った。
「今度は俺の番。あんた、彼女……光美ちゃんの友達なのか?」
「…………そうだと言ったら?」
「っ!」
繚奈の言葉に、雄一もまた息を呑む。
しかし、果たして何を感じたから息を呑んだのかは、彼自身にも分からなかった。
「「…………」」
雄一も繚奈もそれっきり黙り込み、輝宏もそんな二人に声を掛けずキョロキョロするばかり。
そんな重苦しい沈黙がいつまでも続くかと思われたが、思いがけないものでそれは破られた。
「こ、これは……!?」
「「!?」」
悲鳴じみた職員の声がかき消される程の大音量で、エマージェンシーが室内に響き渡る。
「!!……ふえっ……」
「あっ、輝宏……!」
「いっ!? や、やべ!」
それにビクッと驚き、瞬く間に涙を滲ませ始めた輝宏を見て、雄一は慌てて彼を繚奈に押し返しながら職員に尋ねた。
「な、何なんですかいきなり!?」
「好野さんの『OCWF』です!! 『OCWF』が作動しているんです!! 現在地の特定も可能ですので、スクリーンに出します!!」
慌てた様子で職員がキーボードを数度叩く。
するとエマージェンシーが鳴り止み、スクリーンに激しく点滅するポイントが出現した。
それが何処であるか判断した雄一は、大きく眼を見開きつつ叫ぶ。
「ここは……かなり前に廃棄されたラボか! なんで、こんな所に……!?」
「理由なら行った後で自ずと分かる。ともかく、そのラボに急ぐぞ!」
「あ、ああ!……って、あんた、その子はどうすんだ?」
冷静な口調で言った繚奈に相槌を打ちつつ、雄一は輝宏の顔を見やる。
すると彼女は、軽い溜息をついた後、苦々しく言った。
「さっきの人に頼むしかないだろう。……輝宏、ちょっとだけママは出掛けてくるけど、良い子で待っててね」
「え……あ……うん……」
「ほら、ママは大丈夫。ちゃんと戻ってくるから……ね?」
「……うん……」
呟きながら輝宏は何度も頷くが、その顔には不安と寂しさの表情が色濃く出てる。
繚奈が懸命にあやすものの、中々表情の晴れぬ輝宏を見かね、雄一は彼の顔を覗き込むと軽い笑みを浮かべた。
「心配すんなって。君のお母さんは、俺がしっかり守ってやるから!」
「え?」
雄一の言葉に、輝宏はキョトンとした表情で声を漏らす。それと殆ど同時に、繚奈がキッと雄一を睨んだ。
「お前……!……っ、輝宏、この人の言う事は聞かなくていいから……」
「うん!」
「!?……輝宏……」
「よしよし。んじゃ、すいませんが、後の事は頼みます」
元気良く頷いた輝宏を繚奈から抱き取り、雄一は職員の方に向き直る。
すると職員は心得たとばかりに立ち上がり、輝宏を受け取ると共にゆっくりと頷いた。
「はい。この子はきちんと担当の方に預けておきます。お二人は急いでラボに向かってください!」
「了解! さて、準備は大丈夫かい? 『幻妖剣士』さん?」
「こんな時に茶化すな!……そ、それじゃ輝宏、行ってくるからね」
「うん、まーま!……と……えっと……」
「ああ! 良い子にしてるんだぞ!」
名前が分からずに首を傾げて唸っていた輝宏に雄一がそう言うと、一瞬の間を置いて「うん!」と答えが返ってくる。
それを聞いた後、雄一と繚奈は素早く部屋を出て神連の出口へと走った。
「……やっぱり腑に落ちない」
「ん、どうした?」
神連の玄関を潜り抜け、上階――ゲームセンターへの階段を駆け上がりながら、雄一はポツリと呟いた繚奈に尋ねた。
「いや、どうして輝宏がお前にああも心を開いたのか……それが気になって……」
「ああ、それは……」
残り十数段という所まで来て、彼は暫し中空へと視線を向けて考える。
「あれじゃね? ほら、父親みたいに思ったとか、そんなの」
「っ!?」
刹那、繚奈が驚いた表情をこちらに向ける。
しかし彼女は特に何も言おうとはせず、雄一もそれ以上は何も言わずに会話は途切れた。
――――その後、雄一は繚奈に注意を向けていなかった為、気づかなかった。
ゲームセンター内に入り、電子音や人々の声が飛び交う中で、隣を走る彼女が「まさか……」と呟いたのを。