第二十一章〜予期せぬ帰還〜

 

 

 

 

 

 

……。

…………。

――――東暦1985年5月29日午後3時。

「ねえねえ、よしのさん」

「ん、どうしたの?」

おやつを食べ終わり、お気にいりの玩具で遊んでいた雄一の声に、好野は読んでいた本から視線を上げつつ尋ねる。

すると彼は、可愛らしく小首を傾げながら言った。

「あのね、うんとね……ぼくのおとーさんとおかーさんって、どんなひとなの?」

「っ!?」

好野は思わず手にしていた本を床に落とす。そんな彼女の様子を見て、雄一は眼を丸くしながら叫んだ。

「うわっ!? ど、どうしたの、よしのさん?」

「あ……う、ううん。な、何でもないわよ雄一。ちょっと……ちょっと驚いただけだから」

忙しなく脈打つ心臓を鬱陶しく思いつつ、好野は無理に作った笑顔を雄一に向ける。

すると彼は、今度はとても心配そうな表情で口を開いた。

「よしのさん?」

「な、なあに、雄一?」

「どこかいたいの? あせいっぱいかいてるよ?」

「!……き、急に暑くなったなあって。ち、ちょっとエアコン入れましょうか」

好野はこれ以上、雄一の顔を見ていられなかった。

ぎこちなく立ち上がると壁に備え付けてあるエアコンのリモコンを取り、震える手でスイッチを押す。

エアコンから心地よい冷風が流れ始め、彼女の……そして雄一の髪を靡かせる。それに対して擽ったそうに笑いながら、彼は嬉しそうに声を上げた。

「うわあい、すずしいー!」

ひとしきり喜ぶと、雄一は再び玩具遊びに戻る。

子供らしい、一瞬の興味の移動。それによって救われた好野は、彼に気づかれない様に嘆息した。

(……油断してたわ。いきなりあんな事を聞かれるなんて……でも……)

――これからきっと……度々聞かれる様になるんでしょうね。

好野はチラリと雄一を見やるが、彼はもう彼女の存在を忘れてしまったらしく、遊びに夢中になっている。

恐らく、先程した質問の事も忘れているに違いない。それに対して安堵してしまう自身を、好野はとても不愉快に思った。

(やっぱり……寂しがるのかしらね)

後一年も経たない内に、雄一は小学校に入る。そして多くの子供達と、嫌でも関わっていく事になる。そうなれば、他人と自分が違う存在なのだと気づく事は明白だった。

――――世間の常識……両親の存在……そして、それが欠けている自分の異常性。それに気づいた時、彼は何を思うのだろうか?

好野はそんな事を考え、ズキズキと胸が痛むのを感じる。避けられないとは分かっていた。しかし、出来る限り避けたかった。

だから保育園にも幼稚園にも通わせず、近所の人達とも交流せず、一人きりで育ててきた。

けれども、それももう限界。流石に小学校にも通わせない訳にはいかない。そんな事をしたら、周囲から無遠慮な好奇の視線を集めるのは確実なのだから。

(上手くやっていければ良いんだけど……近い将来、『あの問題』も出てくるだろうし)

ふと好野の脳裏を、『ある物』が掠める。それはたった今、彼女が心の中で独白した『あの問題』というものに直結するものだった。

その問題が故、雄一は遅かれ早かれ普通の生活から道を外さなければならない。彼には申し訳ないが、それは彼が生まれた時から決められている事柄なのだ。

「……ごめんなさい」

「?……な〜に、よしのさん?」

「えっ?……あ……」

無意識に謝罪の言葉が漏れたらしい。キョトンとした表情でこちらを見ている雄一に、好野は慌てて我に返った。

「な、何でもないわ、気にしないで。それより雄一、今日の晩御飯は何が良い? そろそろ買い物に行こうと思ってるんだけど」

「カレーライス!」

満面の笑みで答えた雄一は、暫くして口の端から涎を垂らす。既に彼の意識は、夕飯時へと飛んでいるらしい。

それは本当に子ども特有の可愛らしさで、思わず好野は笑みを漏らした。同時に、少しばかり難しく考え過ぎていた自分を諫める。

(そうね。あれこれ考えたって仕方がない。生まれ方が違ったからって、この子はこの子じゃない。

勿論、何もかも普通って訳にはいかないだろうけど……それでも、この子を私は育てていく。そう、決めたんだから)

雄一との生活を選んだ時の決意を思い出し、彼女は立ち上がる。そして出掛ける準備をしつつ、彼に声を掛けた。

「雄一、今日は一緒に行きましょうか? アイス買ってあげる」

「ほんと!? やったあ、いくいく!!」

……。

…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(完全に……狂ってるわね)

手を掴まれて引き摺られる様に歩きながら、好野は何処か冷めた眼で男の背中を見つめ、次いで悲しげに顔を俯かせた。

「研究成果をご覧に入れる」と言われて部屋を連れ出されてから、もうかなり歩き続けているが、まだ目的地へは辿り着かないらしい。

階段やエレベーターで忙しなく移動しつつ、その間に数えきれない程のセキュリティを解除してきた。いくら防衛の為とはいえ、それらはあまりにも過剰かつ非効率な物だ。

恐らく……いや、ほぼ間違いなく、眼前の男は正気を失くしているのだろう。自分も含めた研究者誰もが持つ危険性――飽くなき探求心と知的好奇心が暴走した結果である。

「……先生……」

様々な感情が胸元まで這い上がり、無意識に声が漏れてしまったが男には聞こえなかったらしい。

彼は相変わらず足早に通路を進み、時々立ち止まっては手早くセキュリティを解除し、また歩き出す。

――……一体どれだけの間、これが続くのだろう?

そんな疑問が好野の脳裏を過ぎった時だった。不意に男が立ち止まり、彼女の手を離す。驚いた好野が顔を上げると、そこに巨大な扉が有る事に気づいた。

周りにはこれまでの物よりも更に厳重なセキュリティの数々が設置されており、その部屋が重要な場所である事が窺える。

と、即座に『ある事』を察した好野は、硬い声で男に尋ねた。

「ここに有るんですね? 先生の研究成果が」

「ああ、そうだとも。さあ、見たまえ好野君! これぞ私が成しえた、神の御業だ!!」

男は興奮した口調で捲くし立てつつ、素早くセキュリティを解除していく。程なくして全てが解除され、扉が物々しい音と共に開かれた。

室内は暗闇だったが、すぐに男が中に入り照明を付ける。途端、室内はパッと明るくなり、同時に好野の眼に見覚えの有る物が飛び込んできた。

「っ!」

――――部屋の中央に置かれた、巨大な装置。内部に液体を湛えた、保存装置らしき物。

先程、モニターで雄一と光美を見た時に眼にした装置の大型タイプとも言うべきそれは、好野にとって忘れたくても忘れられない物だった。

「……『天上の庭』……!」

かつて自分が名付けた装置の名を、好野は呆然としつつ呟く。そして、誇らしげに装置を眺めている男に尋ねた。

「これに……どんな改良を加えたのですか?」

「フッ……流石に物分かりが良いな、君は。良かろう、ご説明するよ。人の力で神士や幻獣を生み出すという、神の御業をね」

 

 

 

 

 

 

 

少年が『爆狼』の神器と思われる赤黒いクリスで眼前の空間に十字を切り、次の瞬間にその軌跡を描く様に爆発が起こる。

それを避けるべく左右に飛び退いた繚奈と雄一だったが、直後聞こえてきた『鵺』の鳴き声に顔を歪めた。

「う……!」

「く……っと!?」

自然と二人に隙が生まれ、少年は二つの刃を手に凄まじい速さで雄一へと襲いかかる。辛うじて『龍蒼丸』を抜刀し斬撃を受け止めた雄一だったが、如何せん体勢が悪い。

更には光美を利き腕で抱えていた事も響き、彼はガクリと身を崩した。そんな雄一に、少年が例のクリスを振り被る。

(っ!)

繚奈はその光景を見て、戦慄を覚えた。雄一がやられそうになったからではない。彼に抱えられている光美が、間近に迫った死に対して表情を凍りつかせていたからだ。

彼女は反射的に『紅龍刃』を薙ぎ、『邪龍』の力が込められた黒い波動を少年に向けて放つ。

すぐにそれに気づいた少年が咄嗟にクリスで防御するが、そちらに気を取られているのを見逃さなかった雄一が彼を『龍蒼丸』で突き飛ばす。

「うぐ……!」

苦痛の声を上げながら少年は吹っ飛ぶが、空中でクルリと身を回転させ鮮やかに着地する。

明らかに常人とは思えないその動きに、繚奈は何か言い表せぬ嫌な感じを覚えた。

(この子、随分と戦いに慣れてるって感じね。それに、さっき私達に言った『旧式』って……)

〔繚奈! 今は考え事を……〕

(!……分かってるわ!)

思わず深慮に陥りかけた所を『邪龍』に注意され、繚奈は舌打ちと共に我に返る。そして、横目でチラリと雄一と光美を見た。

(とにかく今は……光美をこの場から逃がすのが先ね)

先程の言葉からして、少年の狙いは自分と雄一であるのは間違いないだろうが、だからといって光美に危害を加えないという保証にはならない。

現に、今しがた彼女もろとも雄一を攻撃しようとした事からも考えて、戦闘力の無い光美がこの場にいるのは余りにも危険だ。

一刻も早く、彼女を此処から逃がさなければならない。――……しかし……。

(一人で逃がすのもマズイか。さっきの獣がもう出現しないとも限らないし……不安が残るけど、仕方ないか)

ある決心をした繚奈は再び牽制の波動を放ち、少年の注意をこちらに向けながら雄一と光美の前に躍り出た。

「!?……あんた……」

「り、繚奈?」

揃って呆けた表情を浮かべた二人に振り返りつつ、繚奈は鋭く雄一に向けて声を放つ。

「此処は私が引き受ける。お前は早く光美を安全な所へ!」

「え、あ……お、おう! 分かった!」

一瞬戸惑ったものの、雄一はすぐに繚奈に頷き返すと光美を抱き上げると出口へと走る。

繚奈はそんな二人を少年から守ろうと『紅龍刃』を構えたが、何故か彼は雄一達に手を出す気配は見せず、ただチラリと一瞥しただけだった。

(……?)

疑問に思った繚奈は、慎重に間合いを測りながら少年に尋ねる。

「目的はあの二人じゃなくて、私……という事か?」

「いえ、そうじゃありません。自身の性能を見せつけるって言われただけで、貴方達を倒せって言われた訳じゃないし、わざわざ追いかける必要もないですから」

「性能?」

〔繚奈。それは、あの二つの神器の事でしょう。そして恐らく、彼は……〕

(!……成程。つまり、この子は……)

『邪龍』の言葉の続きを素早く察し、繚奈は心の中で返事をした。

(さっきの獣達みたいに造られた存在。そういう事でしょ?)

〔ええ、あくまで私の考えですが。とにかく、気をつけなさい。二つの神器を使う……即ちそれは、二体の神の力を行使出来る事に等しいのですから〕

(……分かってる。子供相手に少し気は引けるけど、最悪手に掛ける事も覚悟してるわ)

〔……繚奈……〕

『邪龍』は何か言いたそうに複雑な感情を含んだ声で呟いたが、それきり何も言わずに黙り込む。

そんな『邪龍』に少し違和感を覚えた繚奈だったが、すぐに対峙している少年へと意識を向け、『紅龍刃』を強く握りしめた。

「さっきの立ち合いで、そちらの力量は凡そ理解している。悪いが、手加減する気はないぞ」

「光栄ですね。『幻妖剣士』に評価されるなんて。でもまあ、僕の方も……」

一瞬笑みを浮かべた少年だったが、すぐに鋭い顔つきになる。そして、両手の神器を器用に回転させながら前屈みの姿勢をとった。

「別に生かしておけとも言われてませんからね。死んでも恨まないでくださいよ」

「っ!」

言うが早いか、少年は俊敏な動きで繚奈に迫る。

それを見るや否や、彼女も持ち前の速さで駆けながら少年に突撃していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何……ですって?」

男の説明を聞き終えた好野は、愕然としながら呟く。

――――頭の中で何かがグルグルと回り始める。心臓が激しく脈打ち、喉がカラカラに乾くのを感じる。

思わずその場に崩れ落ちそうになる身体を必死に支えながら、彼女は男に向けて言った。

「どうして……どうしてですか!? どうして、そんな愚かな事を!?」

「愚か? 何を言うんだね、好野君? 私は神の御業を成しえたのだよ? 一体、何処は愚かだと……」

「何が神の御業ですか!!」

堪り兼ねた好野は、自分でも驚く程の大声を上げ、男の声を遮った。

「こんな……こんな事が許される訳がありません! 己の欲望の為に『神を造り上げる』等……悪魔の所業以外の何物でもありません!!」

激高して怒鳴った彼女だったが、男は特に気後れを感じた様子も無く、軽く口元に笑みを浮かべる。

「それを君が言えた事なのかね? これの元を造ったのは、他でもない君自身だろう?」

「っ!」

古傷を抉られ、好野は反射的に胸元を抑えて顔を俯かせる。

――そう、確かにそれは真実。でも……いえ、だからこそ……!

精神的な痛みを堪えつつ、彼女は懸命に反論の言葉を探す。

そして、ようやくその言葉が見つかると徐に顔を上げ、男を見返しながら口を開いた。

「……そうですね。確かに、元凶は私という事になるのでしょう。それを否定する気はありません。でも……でも私は、自分の過ちに気づきました。

 そして、踏み止まったんです! 取り返しがつかなくなる前に。けど先生! 貴方は……!!」

叫び続ける好野の眼から、いつしか涙が流れ始めていた。

それはきっと、悲しみと絶望の表れ。尊敬していた人間が、堕ちる所まで堕ちてしまった事に対しての感情の表れだった。

「貴方は過ちに気づかなかった! 踏み止まらなかった! それが……それが私と貴方の違いです!」

「……フン……」

男は不愉快そうに好野から視線を外すと、『天上の庭』を見上げる。そして、大袈裟に溜息をつきながら言った。

「残念だな……時間が経てば、君もこれの素晴らしさを再認識してくれると思ったのだが」

「……それが、私を此処に連れてきた理由ですか?」

「そうだとも。しかし、今となっては……」

言葉を切り、男が好野を見る。その眼は刃の様に鋭く、また寒気を覚える程の殺気を放っていた。

その気迫に押された好野は息を呑みこみ、一歩後退りをする。強く両の拳を握りしめて身構えた彼女だったが、突然室内にアラームが鳴り響きたのに、思わず声を発した。

「な、何!?」

「これは……双慈の奴、どうしたというのだ?」

男は怪訝な表情を浮かべながら部屋の隅にあるコンピューターに近づき、手早くキーを叩く。

すると傍に有った大型なモニターが瞬き、赤い獣達に追われている雄一と繚奈の映像が映し出された。

先程の部屋で見た物かと思った好野だったが、酷似してはいるが細部が違う事からどうも違うらしい。直前のアラームの事も考えると、今現在の映像と見て間違いないだろう。

そう判断した彼女は、堪らなくなって叫んだ。

「雄一!! 光美ちゃん!! 先生……何故、あの二人を!?」

「双慈め、繚奈の方だけに構っているのか。……っ、待てよ……フフ、そうだ。丁度良い」

好野の問いには答えず、男は苦々しく吐き捨てる。しかしすぐさま笑みを漏らすと、コンピューターに備えられていた一際目立つスイッチを押した。

「な、何を!?」

「大した事ではないよ。まあ見ていたまえ」

「っ……」

答えをはぐらかされた繚奈は、苛立たしくモニターへと視線を向ける。

相変わらず二人は赤い獣に追われていたが、突然彼らの傍らの壁が割れ、通路の入り口らしく穴が現れる。

それを見た雄一は一瞬躊躇したものの、やがて迫りくる獣を一瞥した後、光美を抱えた状態でその中へと入って行った。

(あの通路……まさか!?)

――――この上ない戦慄を感じ、好野は二人の姿が消えたモニターを呆然と見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちっ! まだ追ってくるのか!!……? あれは……!」

今までの物とは違い、キチンと照明が付けられた通路を走っていた雄一は、ふと前方に扉が有るのに気づく。

更に近づいていくと、どうやらそれはエレベーターらしい。最初の研究所に有った物と比べると小型の物で、細長いシャフトが上へと伸びていた。

「よし、あれに乗れば!!」

「グオオオオッ!!」

「ガルアアアッ!!」

「っ……ちいっ!」

しつこく追ってくる獣達に、雄一は『水龍氷蒼斬』を放った。

無数の氷が獣達を覆い、奴らを凍てつかせたものの、すぐさまそれは破られる。しかし、元より時間稼ぎの為の攻撃だったのだから、結果は上々だろう。

僅かながら猶予を作った雄一はエレベーター前に辿り着き、上向きの三角形のボタンを荒々しく叩く。すると幸いな事に、待つ事無くエレベーターのドアが開いた。

急いで中へと入った彼は、迫りくる赤い獣達を睨みつけながら『16』と記されたボタンを押す。間一髪の所でドアは閉まり、獣達の呻き声が徐々に下へと流れていった。

ようやく危機が去ったのを確認し、雄一は溜息と共に全身の力を抜いた。

「ふうっ……やれやれ、何とか助かったか」

〔安心するのはまだ早いぞ。見ろ、雄一。このエレベーター、16階へ向かってるぜ〕

「え? あ……」

『神龍』に言われて、彼は自分が押したボタンを凝視する。

無我夢中だった為、とりあえず最上階にあたるボタンを押したのだが、成程『神龍』の言う通り『16』のボタンが点灯している。

――――記憶が確かなら、研究所のエレベーターは15階が最上階だった筈である。となると、このエレベーターはそれよりも上の階へと向かっている事になる訳だが……。

「ね、ねえ? ゆういっちゃん……」

「ん? あ、どうした?」

遠慮がちな光美の声に、雄一は彼女を見やる。すると彼女は、仄かに頬を染めながら呟く様に言った。

「あ、あのさ……もう降ろしてくれても……大丈夫じゃない……かな?」

「へ?……あっ、わ、悪い」

ずっと光美を抱き上げたままであった事に今更ながら気づき、雄一は慌てて彼女を降ろす。

何となく気恥ずかしくなった彼は、そんな気持ちを光美に悟られない様にと心配そうな口調で彼女に安否を尋ねた。

「大丈夫? 怪我とかは?」

「ううん、平気。ゆういっちゃんが、しっかり守ってくれたから……ありがとう」

「っ……当たり前の事だよ。別に礼を言われる様な事じゃない」

はにかんだ笑顔で礼を言った光美に、雄一は胸が締め付けられる感じを覚えながら首を横に振る。

――――果たして自分に、彼女に礼を言われる資格が有るのか……?

過去の所業を思い出し、そんな自問自答をする彼だったが、不意に光美が心配そうに「でも……」と呟いたのに、ハッと我に返りつつ口を開いた。

「どうした? やっぱり、どこか痛いとか……?」

「違うの。その……繚奈は大丈夫かなって」

「ああ、彼女なら……」

大丈夫だ、と続けようとして、雄一は一瞬躊躇した。

あの少年――恐らくは二つの神器を手にしていた少年は、如何に繚奈であろうとも簡単に勝てる相手ではないだろう。

僅か数分の間、刃を交えただけであったが、それくらいの事は嫌でも雄一には分かった。

二つの神器を扱う……それは言い換えるなら、二体の神の力を使えると言っても過言では無いのだから。

(だけど……彼女だって、そう易々とやられはしないよな。それに、光美ちゃんを下手に不安がらせるのも何だし……)

そう判断した彼は、光美を元気づける様に笑顔を作りながら言った。

「……きっと大丈夫だ。彼女が強いって事、俺は良く知ってるから」

「っ……そっか。さっきも思ったけど、ゆういっちゃんと繚奈って、ずっと前から知り合いだったんだね」

「え? あ、いや、その……」

「ううん、何も言わなくても良いよ。今はそんな状況じゃないって事は分かってるから。後で……後で話してくれたら良いから」

「だ、だから、そうじゃなくて……」

〔雄一〕

何やら自分と繚奈を友人やパートナーの類と思っているらしい光美に、訂正をしようとした雄一だったが、そんな彼を『神龍』が溜息交じりに制する。

〔好意的に解釈してるんだ。何もわざわざ水を差す必要はねえだろ? そのままにしとけよ〕

(……分かった。しかし『神龍』、お前はどう考える? あの子みたいに、二つの神器を扱う事なんて出来るのか? それに、あの鵺の神器については……)

〔悪い。その辺りについてはてんで見当もつかないんだ。……この先に、何か手がかりでも有れば良いんだけどな〕

(そうか)

『神龍』のボヤきに、雄一はエレベーターの階数表示を確認する。

どうやら、かなりゆっくりとしたスピードで上昇しているらしく、まだ表示されている階は『9』であった。

この調子だと16階に到着するまでには、まだ時間が掛かるだろう。彼は徐に光美の肩に手を置くと、驚いてこちらに振り向いた彼女に注意を促した。

「光美ちゃん。何が有るか分からないから、俺の傍から離れないでくれよ?」

「う、うん……分かった」

頷いた光美は、そっと雄一の後方に回る。そして、たどたどしい様子で彼の背中に手を当てた。

「こうしていても……良いかな?」

「ああ。それで、落ち着くなら」

雄一がそう言うと、光美は黙って頷く。そんな彼女を暫く見つめていた雄一だったが、やがて階数表示へと視線を向けると、『龍蒼丸』を強く握りしめた。

10、11、12と、エレベーターは少々じれったく感じる程の緩やかさで上昇していく。二人の額からは知れず汗が流れ、緊迫した空気が籠内を支配していた。

―――そして、時間にすれば一分足らず。しかし感覚的には数分にも思える時が流れた頃、ようやくエレベーターは最上階に到着した。

(着いたな……『神龍』、何か感じるか?)

〔いや、何も。とりあえず、何かが待ち構えているって可能性は無さそうだ。だがまあ、気を抜くなよ〕

(分かってる)

そんな風に雄一が『神龍』と会話している間に、ドアはゆっくりと開いていく。

けれども『神龍』の言葉通り敵の奇襲といったものは無く、不気味なまでの静寂さが其処には有った。

「……とりあえずは大丈夫そうか。よし、光美ちゃん、降りるよ」

「うん」

二人は慎重な足取りでエレベーターから降り、ガランとした通路を進む。

細長い通路は周囲に何の飾りも無く、また入口といったものの類も無い。ただただ、奥へと伸びているだけだ。

「「……」」

雄一と繚奈は互いに何も言葉を発する事無く、ゆっくりと通路を歩いていく。

そして暫く経った所で、雄一は見慣れた物を見つけた。下の階――1階のフロアに入る時に眼にしたセキュリティ付きのドアである。

「これは……」

彼は無意識に、前と同じくセンサーに掌を乗せてみる。すると思った通りシステムが作動し、程無くしてセキュリティが解除された。

「ゆういっちゃん、凄い」

光美がポツリと感嘆の呟きを漏らしたが、雄一はそれに対して何も返事をせず、左右に割れていくドアの先を睨む。

しかし、そのドアが開ききるとほぼ同時に中から飛び込んできた声に、彼は驚愕の表情を浮かべた。

「っ!?……雄一!! 光美ちゃん!!」

「え?……好野さん!?」

探していた人の声に、雄一は慌ててドアを潜り、一瞬遅れて光美も彼に続く。

部屋の中には1階で見た巨大な装置が有ったが、今はそれを気にしている場合ではない。二人は急いで声のした方向に走ると、そこには好野が何かに怯えた様子で突っ立っていた。

「好野さん! 大丈夫ですか!?」

「好野さん!!」

雄一と繚奈は各々好野へと声を飛ばす。するとは好野はそんな二人に向かって、悲鳴じみた声で叫んだ。

「来ちゃダメ!! 早く此処から逃げて!!」

「……えっ?」

その声に雄一は反射的に立ち止まったが、直後凄まじい殺気を感じて、光美を庇いながら装置の方を見やる。すると装置の影から、一人の壮年の男が現れた。

「!!……ようやくお出ましか」

現れた男――義長に、雄一は徐に『龍蒼丸』を構える。しかし義長はそれに臆する事無く、小さな笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。

「義長!!」

「やあ雄一君、よく来たね。……いや、『よく戻ってきた』と言った方が正確かな?」

「何?」

不自然な言い回しに、雄一は疑問の声を発する。その途端、『神龍』が鋭く声を上げた。

〔釣り込まれるな、雄一!〕

(っ! あ、ああ……)

相棒の言葉に雄一は我に返るが、そんな彼に義長は畳み掛ける様に言う。

「一人ゲストが居るのは何だが……せっかくの機会だ。ゆっくりとしていきたまえ」

「何を訳の分かんねえ事を! あんたの素性はまだ知らねえが、『鵺』の神器も持たないでどうする気だ!?」

「ご心配ありがとう。だが、それについては何の問題も無いのだよ。それより……見たまえ、雄一君」

言いながら義長は、装置を指差して見せた。雄一はそれに対して、今度は釣り込まれまいと彼を睨みつける。

――――しかし、次いで発せられた義長の言葉に、またしても我を忘れてしまった。

「懐かしいだろう?……自分の揺り籠は」

「……何……?」

思わず構えを解き、雄一は巨大な装置へと眼をやる。

すると何故か物言わぬその装置が、何かしら自分に語りかけている様な錯覚に陥った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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