第二十二章〜『傑作』の命〜
……。
…………。
――――東暦1994年6月19日午後1時。
「あら? 光美じゃない」
「あっ、繚奈!」
日曜日の昼過ぎ。
暇つぶしに刀廻町のショッピングモールを訪れていた繚奈は、思いもよらぬ光美との遭遇に眼を瞬かせた。
親友とも呼べる仲になって一年以上経つが、彼女がこんな人の多い所に居るのは珍しい。ましてや剣輪町ではなく刀廻町で会う事は、今回が初めてだった。
(意外ね。剣輪町から出る事は無いんだろうなって、勝手に思ってたけど……でも、平気なのかしら?)
無邪気な笑みを浮かべながら手を振ってこちらに駆けてくる光美と、そんな彼女を訝しげに眺める周囲の人々を交互に見やりつつ、繚奈は思う。
――――まだ自分も直視するのは躊躇われる、左頬の無残な傷。
悪い意味で眼を引くそれは、光美自身もかなり気にしている筈である。そして当然、周りの不躾な視線も好ましく思っていない筈だ。
こんな場所に来れば、嫌な気分になるのは明白だと、分からない訳ではないだろうに。
「……奈? 繚奈ってば!」
「え? あっ……ゴ、ゴメン、光美」
考えに沈んでいた繚奈は、いつの間にかすぐ傍までやってきていた光美に気づかず、間近で見た頬の傷に驚いて小さく悲鳴を上げる。
だが、慌てて彼女に向き直ると、苦笑いをしつつ謝罪の言葉を述べた。
「どうしたの? 何だかボンヤリしてたけど?」
「な、何でもないわ。それより光美、どうして此処に? お使い?」
光美の質問を誤魔化し、逆に尋ねた繚奈だったが、言った直後に己の愚かさに気づく。
(何を言ってんのよ、私!? 陽太さんや蛍子さんが、光美にお使いなんか頼むなんて有り得ないじゃない!)
光美の両親とは既に面識が有る。彼女の家に遊びに行った時に、何度か顔を合わせていた。
二人とも娘の事をこよなく愛していて、それ故に頬の傷の事は人一倍気にかけていた。そんな両親が、光美を晒し者にする様な真似をするとは思えない。
失言を悔む繚奈だったが、光美はそんな彼女に笑いながら答えた。
「う〜ん、まあお使いといえばお使いかな? ほら、今日って父の日でしょ? それでお母さんと折半して、お父さんへのプレゼントを買いに来たんだ」
「父の日?……ああ、そうだった……わね」
今日の日付を思い出しながら、繚奈は曖昧に頷いてみせる。正直、自分には全く縁の無い日であるから、尋ねられても正確かどうか分からないのだ。
父の日――文字通り父親に感謝する日。存命ならばプレゼントを贈ったりパーティを開いたり、他界しているのなら墓前に花を添える等、多くの子供が父親に何かをする日だ。
しかし繚奈は、これまで一度もそういった事をしていない。する必要も無いだろうし、する気にもなれなかったからだ。
(本当、どんな男だったのかしらね。今更別に知りたくもないけど)
僅かに残っている父親の記憶――思い出しただけで不愉快になる意味不明な怒声が蘇り、彼女は知れず奥歯を噛み締める。
何だって母親は、あんな男と結婚したのか?……不意にそんな疑問が浮かんだが、今となってはそれを尋ねる事は出来ない。
最近、徐々に記憶が薄れていくのを感じる程、母親は昔に他界してしまっているのだから。
「あれ?『そうだったわね』って……繚奈は、お父さんに何にもしないの?」
「……ええ。家、いないから」
「え?……っ! ゴ、ゴメン! 私、マズイ質問しちゃって……!」
「構わないわ。気にしないで」
オロオロし始めた光美を宥めながら、繚奈は彼女に家庭の事を何も話していなかった事を今更ながらに思い出す。
特に聞かれもしなかったし、こちらから言う必要は無いと、ずっとそう考えていた。それは今でも変わっていない。
絵に描いた様な理想の家庭――いまや希少とも呼べる程になっている幸せな家庭で育っている彼女に、自分の様なドス黒い家庭を知って欲しくはないのだ。
それは光美の為でもあり、同時に自分の為でもあった。……光美に知られた時、彼女に嫌われるのではないかと考えている、自分の。
(まあでも、もし聞かれたら……その時は……)
――正直に……話すべきかもね。
心の中でそう呟いた繚奈は、自分自身に驚く。――――こんな事を考える程に、いつの間にか光美に心を開いていたのだろうか?
戸惑いは隠せなかったが、悪い事ではないと繚奈は思う。本当に、悪くないと。
「……で光美? プレゼントは決まったの? 何だったら、手伝うけど?」
「え、本当? 良かった! 実を言うと、やっぱり少し気になるのよね。その……えっと周りの人の……」
「分かってるわ。それじゃ、一緒に行きましょう。見当はつけてるの?」
「うん。ちょっと高いけど、腕時計にしようかなって。確か、あっちの方に……」
……。
…………。
「はあっっ!」
繚奈は叫びながら『紅龍刃』を振るい、少年へと迫る。しかし、彼へ斬りかかる寸前となった所で『鵺』の鳴き声が頭を締め付け、苦痛と同時に動きが鈍る。
その為、彼女の斬撃は虚しく空を斬り、逆に少年の斬撃が彼女へと襲いかかった。
『鵺』の神器であるダガーが的確に繚奈の喉元を狙い、辛うじてそれを避けた彼女の眼前に『爆狼』のクリスが迫りくる。
それを素早く『紅龍刃』で捌いた繚奈だったが、直後自分と少年の合間に起こった爆発に後方へと吹っ飛ばされた。
刹那、繚奈の全身に鋭い痛みが奔るが、彼女はいつもの様にそれを強引に押し殺す。そして先程の少年の様に宙返りをして着地すると、『紅龍刃』の鞘を彼に投げつけた。
予想外の攻撃だったのか、少年は僅かに苦しげな声を漏らしながら『鵺』のダガーでそれを弾く。繚奈はその隙を逃さずに突進すると、『紅龍刃』に神力を注ぎ込んだ。
――……殺れる!
確信した繚奈は、相手が子供であるという事実を強制的に排除し、戸惑う心を押し殺す。
一体どういった背景が有るのかはまだ不明だが、『二つの神器を扱える』等というイレギュラーな神士を生かしておいて良い筈がない。
上手く説明は出来ないが、その様な存在は必ず災いを招くだろう。ましてや『邪龍』の考え通り『造られた存在』なら尚更だ。
尋常ならざる速さで少年の懐へと飛び込んだ繚奈は、全霊の力を込めて『獣魔爪破斬』を放つ。
少年はそれを『爆狼』のクリスで捌こうとするが、彼女の斬撃の方が遥かに速い。結果防御は間に合わず、三つの剣閃が彼の左肩に食い込んだ。
次の瞬間、肉の斬れる音と真っ赤な液体が繚奈の耳と眼を刺激する。しかし、今にも『紅龍刃』が少年の左胸――心臓へと届こうとした矢先、またしても爆発が起こった。
「っ!?」
それは先程よりも小さな爆発だったが、直撃すれば殺傷力は十分に有る物だった。咄嗟に身を退きダメージを最小限に抑えた繚奈は、改めて少年の力量に驚く。
―――まさか、あの状況から反撃してくるとは……!
間合いが離れ、互いに睨み合う状況になった二人は暫し微動だにせず膠着を維持する。
繚奈の全身には爆傷による火傷や出血が、少年は左肩に出来た獣の爪痕の様な傷から血を流していた。
どちらも決して浅い傷ではないのだが、双方とも特にそれを気にしている様子は無い。その事がまた、繚奈を不思議がらせる。
(まるで私みたいに、この子……自分が傷ついても平気って感じで……死が怖くないの?)
「どうしたんですか? 何だか驚いているみたいですけど?」
「っ!」
いつの間にか、感情が表に出ていたらしい。敵と戦っている時に素を露わにする等、普段の繚奈では有り得ない失態だ。
思わずハッとした表情と共に息を呑んだ彼女だったが、すぐに表情を消すと少年に尋ねる。
「思っていたよりもずっと強いな。どう考えても、普通の子供とは考えらない……一体、何者だ?」
「答えると思います?」
小バカにした様子で、少年はそう言う。予想通りの反応に、繚奈は「まさか」と無表情で返した。
しかし、次いで発した少年の発言に、またしても感情を露わにしてしまう。
「それにしても、随分と軽く見られたものですね。あんなに手加減された攻撃で、倒せると思ったんですか?」
「っ!?」
――手加減!?……そんな、私は別に……。
思わず反論しようとした繚奈だったが、それよりも早く『邪龍』が彼女に声を掛ける。
〔彼の言う通りですよ、繚奈。先程の攻撃……貴方は明らかに手心を加えていました〕
(なっ!? バカ言わないで! 私は全力で……)
〔いくら自分にそう言い聞かせても無駄ですよ。私はこうなる事を危惧していました。繚奈。貴方はこれまで、この様に幼い者と対峙した事は無いでしょう?〕
(そ、それは……)
確かに『神龍』の言う通りだった。彼女がこれまで戦ってきた相手は大人ばかりで、こんな子供を相手にした事は無い。
だが、だからと言って先刻の『獣魔爪破斬』を手加減して放った気は毛頭無い。尚も食い下がろうとした繚奈だったが、そんな彼女に『邪龍』は淡々と告げる。
〔貴方は一児の母。それ故、幼い者には無意識に情が湧いてしまうのでしょう。殺めるという行為等、出来る筈も有りません〕
(っ……)
繚奈は唇を噛み締める。確かに『邪龍』の言う通りだと思ったからだ。
複雑な表情で彼女が少年を見ると、彼は「どうしました?」と首を傾げてみせる。
両手の『神器』、そして左肩の傷さえ無ければ普通の少年らしきその様に、繚奈は胸が痛むのを感じながらも口を開いた。
「さっき、誰かに言われたとか口にしていたな。……義長にか?」
「だから、わざわざ答える訳ないでしょう?」
「……二つの神器を使える人間。さっきの獣と同じく、やはり義長に造られた存在と言う事か」
「っ!」
相変わらずの反応を返した少年に繚奈がそう言うと、彼は僅かに動揺の素振りを見せる。
そんな彼を見て、自身の考えが外れてはいないと判断した繚奈は、続け様に言った。
「言わば義長の息子と言った所……親の命には逆らえないという訳か」
「勝手な物言いはやめてください」
少年が初めて感情を含めた言葉を発し、同時に不愉快そうに顔を歪める。
それは、心底嫌な事を言われた時の表情。繚奈はかつて自分が、そんな表情だけを浮かべていた事を思い出した。
(もしかして、この子……)
〔繚奈!!〕
「っ!?」
ふと考えを巡らせた瞬間、『邪龍』の鋭い声が聞こえ、繚奈はハッとして少年の方を見やる。すると今にも彼が、自分に襲いかかって来るのが眼に入った。
だが、先刻までの攻撃とは違い感情が剥き出しのそれは、如何に速い攻撃と言えど回避するのは難しくない。
危なげなくクリスとダガーの連撃を躱した彼女は、敢えて反撃に転じる事無く少年との間合いを離した。
「……本当、どこまでも人を軽く見てるんだな」
そんな繚奈の行動を手加減と思ったらしい少年は、明確に苛立ちの表情を浮かべながら呟く。
そして次の瞬間、勢いよくクリスを振るい辺り一面に爆発を起こすと、吐き捨てる様に言った。
「どうせ見られてる訳でも無いんだ。もう遊ばない。さっさと死んでもらうよ」
「……」
一転して子供らしい言葉づかいになった少年を、繚奈は暫し黙って見つめる。やがて、そんな彼女を見かねた『邪龍』が、気遣う様に声を掛けた。
〔繚奈……来ますよ〕
(分かってる。安心して、『邪龍』……私は、負けないから)
答えながら、彼女はゆっくりと『紅龍刃』を構えた。
〔雄一!!〕
「っ!?」
呆然と装置を眺めていた雄一と、『神龍』の叫びに我に返ると義長の方に向き直った。
すると、奴の右手の中で小型の黒球が発生しているのが眼に入る。それに対して反応を示すよりも先に、義長はそれを右手で押し出す様にして放ってきた。
「きゃああっ!!」
「くっ!……!? 好野さん!!」
「!!……あ……」
咄嗟に光美を抱えつつ飛び退き回避した雄一だったが、まだ好野が居る事を思い出して彼女の方を凝視した。
しかし黒球は、好野に当たる直前で不自然に軌道を逸らし、彼女の横を通り抜け壁へと激突する。すると次の瞬間、激しい音と共に壁が崩壊した。
その際の衝撃によって好野は吹っ飛ばされ、慌てて雄一と光美は彼女の元へと走り寄る。
「好野さん! 好野さん! しっかりしてください!!」
「……っ……」
悲鳴交じりの声で呼びかける光美の横で、雄一は苦い表情をしつつ好野の容態を伺う。
どうやら気絶しているだけの様だが、これだけ光美が呼びかけているのに反応が無い所からして、回復には時間が掛かるだろう。
更に悪化した状況をどう打開しようかと思案する雄一に、『神龍』が早口で言った。
〔雄一! 戦えない人間が二人もいたんじゃマズイ。此処は一旦、奴の事は後回しにして逃げた方が良い〕
(ああ、分かってる。しかし、今のは一体……?)
「おっと、もう少し逸らすべきだったか。困ったな。気を失われては、こちらとしても些か不都合なのだが」
「!!」
義長の言葉に、雄一は再び奴を見やる。咄嗟に光美と好野を庇う様に立ち塞がったが、義長はそんな彼を意にも介さずゆっくりと歩み寄ってきた。
「そう焦らなくていい、雄一君。わざわざ生まれ故郷へと舞い戻ってきたんだ。全てを知ってからでも遅くは無いだろう?」
「?……生まれ故郷? 何を……」
反論用とした雄一だったが、不意にこの研究所の入った時の事を思い出し、言葉を飲み込む。
(そう言えば、俺がセンサーに掌を置いたら、セキュリティが解除されて……)
あの時は特に気に留めなかった。しかし今、義長に言われた言葉――『生まれ故郷』という言葉を踏まえると、否が応でもある考えが脳裏を過ぎる。
(まさか……?)
半ば呆然としつつ、雄一は先程見た装置へと視線を移す。
――――確か義長は、これを見て『揺り籠』と言った……果たして、その意味は……?
〔雄一!!〕
「っ!?」
『神龍』の声に我へと返った雄一は、眼前に黒球が迫っているのに気づく。義長が放った物だ。
彼は反射的に光美を床に伏せさせ、自分も同じ様に身を屈める。そんな自分達の頭上を黒球が通過し、先刻と同じく壁に激突し崩壊させた。
〔何ボンヤリしてんだ!? 唯でさえヤバイ状況だってのに!!〕
「あ、ああ……」
叱責する『神龍』に曖昧に返事をしつつ身を起こすと、雄一は殆ど条件反射的に再度『龍蒼丸』の鞘に手を掛け、義長を睨む。
しかし、何かが抜刀しようとするその手を押しとどめていた。彼は無防備に立ったままの奴を攻撃する事も無く、動きを止める。そんな雄一に、義長は誇らし気に言った。
「素晴らしいだろう? 今のは、とある神の力。それを神器も無しに扱う事が出来る……君の様な『旧式』の神士には絶対に不可能な事だよ」
「『旧式』?……あの子もそんな事を言ってたな。どういう意味だ?」
「ほう、双慈から聞いたのか。ならば、ある程度は理解している筈だ。雄一君、彼とは多少なりとも戦ったのだろう? どうだったかね?」
双慈と言うのは、あの少年の名前だろう。
まるで自身が手掛けた作品の出来栄えを尋ねるかの様な義長の物言いに、雄一は知れず嫌悪感を覚える。そして、それは吐き捨てる様な口調となって表れた。
「やはり、あの子は……あんたが造り出したって事か?」
「その通り。傑作だっただろう? 二つの神器を扱える様に、『天上の庭』を改良するのは中々に難しかったが、その甲斐は有ったというものだ」
「『天上の庭』?」
「それって……あの日記帳に書いてた……?」
不意に光美が、雄一の背中越しに声を漏らす。すると、それを聞いた義長が、僅かに眉を顰めて彼女に向けた。
「日記帳? 何の事だね?」
「え? あ、その……」
「……さっき見つけた、書斎らしき部屋で見つけたのさ」
たじろぐ光美に代わって雄一が答えると、義長は「……ああ」と合点がいったかの様に頷く。
「成程。そう言えば、そんな物を書いていると言っていたな。しかし、忘れてたまま放置していたとは……あの時は、よっぽど焦っていた様だね」
義長はそう言いながら、ゆっくりと視線を気絶したままの好野へと向ける。その意味を察した雄一は、思わず息を呑んで彼女を見やり、次いで奴へと振り向いた。
「まさか、あれの持ち主って…………だとしたら、『先生』ってのは……」
「頭が回るじゃないか、雄一君」
嘲笑の笑みと共に賞賛の言葉を述べながら、義長は大仰に拍手をする。
「その通り。君達が見たという日記帳は好野君の物だよ。そして、そこに書かれていたであろう『先生』というのは、私だ」
「!?……そんな! じゃあ好野さんは、貴方を……!?」
光美が信じられないといった悲痛な声を上げ、雄一は唇を噛み締めながら苦々しい表情で義長に確認した。
「っ……つまり、好野さんを此処に連れてきたのは、協力を強制する為って所か?」
「少し違うが、まあ外れてはいないな。何にせよ、好野君には私の研究成果を知る権利が有った。『神の種』の発見者も、『天上の庭』の開発者も、彼女なのだからね」
「っ!『神の種』……!!」
「そ、それって……!?」
その言葉に、雄一も繚奈も日記帳に書かれていた内容を思い出す。
――――『天上の庭』と同じく、一際眼を引いた……恐らくは、何かの研究サンプルを示す言葉。
(好野さんが……あんな物を……)
雄一は胸に刃物を突き刺されたかの様な感覚に陥ったが、何とか動揺を押し殺す。
しかし、それは光美には無理だった様だ。彼女は驚愕と混乱の色を濃くさせた表情で激しく首を横に振ると、後ろから雄一の肩を掴んで彼に詰め寄る。
「ど、どういう事なの、ゆういっちゃん!? 嘘でしょ!? だって、好野さんが……ゆういっちゃんの養母さんが、あんな事を……あの日記帳に書かれていた事をしてたなんて!」
「…………」
悲痛な光美な叫びに、雄一は何も返さない。いや、返せなかったと言う方が正しいか。何しろ、ショックが大きいのは明らかに彼の方なのだ。
いくら血の繋がりが無いと言えど、雄一にとって好野は母親以外の何者でも無かった。そんな彼女の思わぬ所業を受け入れるのは、容易な事では無かった。
そして、それは『神龍』も同じなのだろう。先程から、何も言っては来ない。直接的な関係こそ無いが、彼もまた長い間好野と近くに居たのだから、無理からぬ事だ。
――――だが……真実は更に続き、更なる衝撃を雄一へと与える。
光美の言葉を聞いた義長が再び眉を顰めた後、いきなり愉快そうに笑いだした。
「養母?……ククク……ハハハ……そうか、そうだったのか」
「?……何だ、突然?」
「ハハハハ……いや、失敬失敬。そうか養母か……今まで知らなかったよ」
そこまで言うと、義長は再び好野を見やる。今度はその意味が分からず問い質そうとした雄一だったが、それよりも早く奴はこちらに視線を向けてきた。
刹那、雄一は僅かに強張っていた表情を崩す。自分を見る義長の眼に、何処か歓喜の色が混じっている様に思えたからだ。
「武真雄一……剣輪町神士連合所属神士……神化している神は『神龍』……通称『覇王剣士』……」
突如として義長が雄一の経歴を読み上げ、光美が弾かれた様に身を竦める。
それを感じた雄一は彼女に振り返ろうとしたが、次の義長の思わせ振りな言葉に釣り込まれる。
「現在、存在が確認されている神士の中で指折りの強者……これ程までに輝かしい功績なのだ。何も嘘を教えず、誇らし気にして良いと思うのだがね」
「……?……」
「それとも、やはり後ろめたいものなのかな、女性としては? 『造った命』という物が?」
「……何を言ってるんだ?」
揶揄する様な言葉だったが、雄一には何の事か見当もつかない。
「もし私なら、大喜びで周囲に自慢するがね。苦労に苦労を重ねて完成した、最高傑作なのだから」
「っ……ああもうっ! 何だってんだよ!? もっと分かりやすく言え!!」
堪り兼ねた雄一は、激しく手を振り払いながら問い返す。意味不明な事なのにも拘らず、何故か義長の言葉は雄一の背中に嫌な汗を流させていた。
――――それが所謂直感で有った事を、彼はこの直後に知る事になる。
義長は笑みを返しながら、雄一の問いに答えた。
「そうだな、では単刀直入に言おう。好野君は君の養母じゃない。紛れもない、君の実の母親だよ」
「……えっ?」
雄一は驚いて、気絶したままの好野に眼を落とす。それに倣うかの様に、光美も彼女へと視線を向けた。
「尤も、彼女がその身を痛めて産み落とした訳では無いがね」
義長の言葉は続く。
「そうだ、確認の為に聞いておこう。雄一君、君は『神の種』や『天上の庭』について、何処まで知っているのだい? 好野君の日記帳には、何処まで書かれていたのだね?」
「ど、何処までって……単に、何かの研究サンプルが『神の種』で、それに使う装置が『天上の庭』だろうって事ぐらいしか……」
「そうか、つまりは殆ど知らない訳だね。ならば良い機会だ、一から説明してあげよう。君にも大いに関わる事だしね」
そこまで言うと奴は中空を見上げ、過去を懐かしむ様に眼を瞑りながら話し始めた。
「もう二十年以上も昔の事だ。私と好野君は、仲間達と日々この研究所……今よりも遥かに小さな物だったがね。其処で『神』や『神士』についての研究を行っていた。
今でも決して社会全体から受け入れられている存在ではないが、当時はより神に関わるもの……特に神士についての風当たりは強くてね。
忌み子、怪物、異常者……偶然にも神士になってしまった人間は、そんなカテゴリに分類され、蔑まされていた。
私の担当は、そんな差別を無くし、神士を公に認識された存在だと証明する事。そして好野君の担当は、どの様にして神が人間の前に現れ、神士が誕生するかという事だった」
取り立てて不穏な感じは無い、それどころか逆に有意義とさえ思える研究内容だ。
しかし雄一も光美も、そして『神龍』も、あの日記帳が義長の言葉と結びつき、嫌な予感が離れずにいた。
「あれは確か、夏の終わり頃だったかな……好野君が、世紀の大発見をしたのは」
「世紀の大発見?」
「そうとも。雄一君、君も流石に『神力』がどんな物であるかは知っているだろう?」
「……神の力を使うのに必要な力だろ。誰もが生まれた時から持っている、生涯において変動する事のない力。神士としての適正を測る指標の一つ……」
雄一が答えると、義長は満足そうに頷く。
「正解だ。ならば自然と分かるだろう? 多くの神力を持つ人間程、より強い神士に成る可能性が高い。つまり神力の量を調整出来れば、それはとても画期的な事だと」
「っ!」
〔ち、ちょっと待て! それって、まさか……〕
義長には聞こえないと分かっている筈なのに、不意に『神龍』が声を漏らす。それが何を意味するから瞬時に察した雄一だったが、頭も心も処理が追いつかず、ただ奴を睨みつけていた。
そんな彼の視線を受けて、義長は何度も小さく頷いて見せた。
「理解したようだね。その通り、好野君が発見したのはその方法だった。生まれた時から持っている力……ならばそれが人に備わるのは生まれる前ではないか?
彼女はそう思い、研究を重ねた。そして、それは当たっていた。まだ人間が人の形を成す前……そう受精卵の段階で神力の量が決定されている事を、好野君は突き止めたのだ。
それが分かれば、後は簡単な事だ。精子と卵子の配合、特殊な薬物の投与……様々な手を加え、『人工的』に多量な神士を持つ様に施した受精卵……それが『神の種』だよ。そして……」
喋りつづけながら、義長は徐に装置へと視線を移す。
「これが、その『神の種』を最高の状態で管理し、胎児から赤子までの成長を促進させる装置……『天上の庭』と好野君が名付けた物だ。
尤も、あれから私が色々と改良し更に多様な機能を備えたから、君が誕生した時の物よりも随分と進化しているがね」
「!?……な……に……?」
――どういう事だ?
尋ねようとした雄一だったが、その言葉は声にならなかった。
掠れ気味の声を漏らした彼に、義長は振り向く。その表情にはまた、僅かではあるが歓喜の色が有った。
「それにしても、あの時は驚いたものだ。まさか私と好野君の受精卵が、素晴らしい『神の種』に成るとは。そして、その『神の種』を僅か数日で赤子にまで成長させた、この『天上の庭』も……。
少しばかり嫉妬も覚えてしまったよ。私が個人で進めていた実験よりも遥かに速く、そして遥かに高い成果を上げてしまったのだから。とは言え、まさかここまでとは思わなかったよ。
数多の神の中でも最上位の力を持つ、『神龍』の力をも自在に使いこなせる程の神力の持ち主になるとはね」
〔!……嘘……だろ……?〕
「……っ……」
愕然とした『神龍』の声を聞きながら、雄一は眼前の男――遠回しに自分の父だと名乗った男を凝視する。その光景に、好野の幻影が浮かんで消えた。
彼は油の切れたブリキ人形の様に、ぎこちない動きで『天上の庭』を見やる。
(これから……俺は生まれた……)
――――物心がつく前に親から捨てられ、施設に居る所を好野に拾われた。
幼少の頃から、ずっと好野にそう言われ続け、自分は育てられてきた。実の親が気にならなかったと言えば嘘になる。しかし、特に不満や不安に思った事は無い。
自分にとって、好野が雄一の親。自分を産んだ両親は、何処か遠くで生きていればそれで構わない……少なくともここ数年は、ずっとそう思っていた。
(だが……だが……!)
あの日記帳の文面が、頭の中に蘇る。恐らく最後に日付であった『6月1日』以降に、義長は実験を強行したのだろう。
――でも、それは決してこんな形じゃない。こんな、こんな最悪の形なんかじゃ。
昔、好野に両親の事を尋ねた時、酷く狼狽したのを雄一は微かに覚えている。それはつまる所、そういう意味だったのだ。
――――実験サンプルとして、機械の中で人の形を成した命。……それが、自分。
強烈な不快感が込み上げてきた雄一だったが、義長はそんな彼に構わず話を続ける。
「だからこそ、惜しい事をしたと思っていた。あの時、好野君が君と共に行方をくらましたりしなければ、この改良した『天上の庭』でより強い神士に出来たのに……とね。
……よもや、その数年後、神士となって君が私の前に現れるとは、夢にも思わなかったよ」
義長の言葉で、雄一の記憶は十数年の時を遡る。初めて刀廻町に足を踏み入れ、そこの神連を訪れ、義長に会った日へと。
――君が……大人の神士でも持て余していた事件を解決した神士かね?
頭上遥か高くから見下ろす、眼鏡の奥からの鋭い眼光に、自分はやや物怖じしながらも挨拶をした。
――は、はい! 剣輪町神士連合所属、武真雄一です!
――……武真?
――え? あ、はい! 武器の武に、真実の真って書いて……。
――……そうか。
あの一瞬の義長の躊躇い。当時は理解できず、今になって分かった沈黙の意。
「一体、何を考えて好野君が君を神士として育てたのかは定かでは無いが……私にとっては好都合だった。
神士として着実に成長していく君、その君を超える『傑作』を世に生み出すという目標を持つ事が出来たのだからね。そして更に数年後に現れた、繚奈君も含めて……ね」
「!? 繚奈!? どうして貴方が繚奈の事を!?」
突然口に出された繚奈の名に、光美が困惑した様子で叫んだ。しかし、雄一はそんな彼女の声もロクに聞こえない。
完全に放心状態になった彼は、いつの間にか自分の手から『龍蒼丸』が滑り落ちている事に気づかず、唯々その場に立ち尽くしていた。
「どうして? 単純な理由だよ。彼女も雄一君と同様、私が造り出す『作品』が越えなければならない存在なのだからね」
「ゆういっちゃんと……同様……?」
「そうとも。さてと、話はそろそろ切り上げて……雄一君?」
名を呼ばれ、雄一は虚ろな眼で義長を見やる。そんな彼を暫し眺めた後、奴はゆっくりと『天上の庭』に歩み寄ると何かのスイッチを入れた。
瞬間、これまで沈黙を保っていた『天上の庭』が唸りを上げて動きだし、驚いた光美が雄一の肩を強く掴む。
「『新型』の神士である双慈と対をなす、私の傑作だ……せいぜい頑張って戦ってくれたまえ」
言いつつ義長が再びスイッチを入れると、『天上の庭』の蓋が開き、中から巨大な獣が飛び出してきた。