〜第二十四章〜牙を剥く雄一〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新しい生物? 『新獣』?……あの赤い獣達の同じって事か?」

1階の研究所に有った装置と、そこから出てきた獣達の事を思い出しつつ、雄一はそう呟く。

その言葉を、義長は質問と思ったらしい。頷きながら「そうとも」と言い、皮肉な笑いと共に続けた。

「尤もあれは、試作型。再生能力こそ完成していたが、まだ戦闘能力にかなり問題が残っていた。まあそれでも、君達を大いに苦戦させたのだ。

『神連での実験』に使った最初の試作型よりは、随分と実用的な性能が有ると分かったがね」

(!? そうか! あれは……!)

ハッとした雄一は、刀廻町の神連で戦った狼の姿をした獣達の事を思い出す。

――――斬られても再生し続けた、水で出来た幻獣……そう思っていた獣。

(やっぱりアイツらも、義長が造った獣だったんだな)

〔ああ。つまりあの事件は、『新獣』とやらの性能テストって所だろう。……とんでもない事をしやがるぜ〕

雄一の心の呟きに相槌を打ちながら、『神龍』が吐き捨てる様にそう言った。無論、雄一もそんな相棒と同じ気持ちになっている。

全く身勝手と称する他ない所業だ。これならば、神連を乗っ取る等と言った動機の方がまだマシだと思ってしまう。

何より、それをした人物――眼前にいる初老の男は、自分の父親……まだ確定した訳ではないと言え、そう名乗った奴なのだ。どうしたって、嫌悪と動揺が隠せない。

彼はそんな感情を懸命に抑えようとしつつ、低い声で義長に尋ねた。

「……『神連での実験』と言ったな? 職員の人達は、その『新獣』の犠牲にしたって事かよ?」

「それは正確ではないよ、雄一君。確かに実験に付き合ってもらったが、命まで取る気は無かった。……私はね」

「っ、まさか……!?」

義長の言外の意味を察し、雄一は無意識に声を上げる。次いでその真意を問い詰めようとした彼だったが、それよりも早く奴が答えた。

「その通り。君が捕らえた神士達が復讐とばかりに大暴れしたのだよ。全く、面倒な事をしてくれたものだ。

探し求めていた『鵺』の力と神器を持っていた者がいたから、特別に解放してやったと言うのに……おかげで後始末が大変だったよ、色々とね」

「!……やっぱり、お前が神連の人達を……!」

「だから違うと言っているだろう? 殺したのは、君が捕らえた神士達だよ。私の『新獣』はその痕跡を消しただけだ。……ん? ああ一人だけ私が自ら嗾けた娘がいたか。

 今にして思えば、些か私もどうかしてたな。あんな走り書きを見られただけで、何かが分かる訳もないのに。想定外の事に、らしくもなく焦ってしまったかな?」

「貴様!!……っ!?」

「グアアアッ!!」

心身共に深く傷ついたであろう、あの職員の女性を揶揄する義長の言葉に、雄一は反射的に奴に斬りかかろうとした。

しかし、そんな雄一の行動を察知したのか、獣が再び唸りを上げて彼に迫りくる。それに気づいた雄一は寸での所で回避し、義長から眼を離さないままに獣と間合いを離した。

すると獣は義長を守る様に奴の前に躍り出る。その様子を見た義長は、満足そうに小さく何度か頷いた後、感慨深く口を開いた。

「流石は完成型。主である私に迫る危機を瞬時に察知してくれた様だな。その様にプログラムするのには骨が折れたが、甲斐は十分有ったよ」

「プログラム? じゃあ、こいつは機械だってのか?」

尋ねた雄一に、義長は笑いながら答える。

「違うよ、雄一君。 言っただろう? 『新獣』だと。それは正真正銘、命を持った生物だよ。ただ私は、『主の身を守る』という『本能』をプログラムしたに過ぎない。

 神の力を秘め、絶対なる服従性を持った生命体……それが私の造り上げた『新獣』だ」

「本能をプログラムしただと……? どういう事だ?」

「ふ、分かりきった事を聞くじゃないか」

「何!?……!」

小馬鹿にした口調の義長に、雄一はキッと奴を睨みつける。すると途端、『新獣』が身を低くして攻撃に転ずる様な体勢をとった。

ハッとして彼が『新獣』に眼を向けるが、襲いかかって来る気配はない。それでも気を緩めない様に『龍蒼丸』を握りしめ、光美を抱き直した雄一に、義長が言った。

「分かっただろう、雄一君。そいつは私に敵意を向ける対象を敵と見なす様に出来ている。今は『襲われない限り仕掛けるな』とプログラムしているが、それを解けば瞬時に君に襲いかかるぞ」

「くっ……」

『天上の庭』に手を添えつつ義長が言ったその言葉が、決してハッタリではないと察し、雄一は苛立たしく歯を噛み締めつつ『新獣』を睨みつけた。

対して『新獣』の方は、相変わらず攻撃の態勢を崩さぬままで微動だにしない。どうやら義長の言った『プログラム』とやらを忠実に守っている様だ。

それを理解した瞬間、彼はまたしても怒りを覚える。そして、その感情を隠そうともせずに、舌打ちと共に吐き捨てる様に言った。

「要するに、自分の思い通りに動く駒って訳か。そんな勝手な理由で生物を造りやがって……神にでも成ったつもりかよ!?」

「つもり、では無い。成ったのだよ、私は。新たなる『神』や『神士』を生み出す存在にね」

「っ……世迷い事を……!!」

「ふふ、何とでも言いたまえ。それはそうと、雄一君。君は自分の立場が分かっているのかな?」

「何?」

いきなりの質問に、雄一は虚を突かれた表情を浮かべる。すると義長は愉快そうに笑いながら『天上の庭』を操作した。

すると突然『新獣』が叫び、大地を蹴って中空へと舞い上がる。そして牙を剥き出しにしながら口を開けたかと思うと、その中に巨大な火球を作り出した。

(あ、あれは……!?)

〔っ! 雄一、気をつけろ! あれは単なる火の玉じゃねえ!!〕

(えっ?)

思わず『神龍』に聞き返した雄一だったが、直後に聞こえた轟音にハッとして意識を『新獣』へと戻す。

すると彼の眼に入ったのは、首を逸らし、今にも火球を放とうとしている『新獣』の姿だった。

雄一は素早く『龍蒼丸』を強く握り、迎撃しようと身構えたが、直後に放たれた火球の軌道を見て疑問を覚え、次いで焦りと恐怖を感じた。

(?……!! しまった! 奴の狙いは……!)

『新獣』の攻撃の意図を見抜いた彼は、咄嗟に『龍蒼丸』に神力を注ぎ込みつつ身を反転させ、自らの頭上を通過していった火球に『水龍氷蒼斬』を放つ。

勢いよく放たれた氷の斬撃は瞬く間に火球へと迫り、未だ気を失って倒れたままである好野にぶつかる直前で衝突した。

刹那、火球は氷塊へと姿を変えて勢いを失い、重力に従って床へと落ち、派手な音と共に砕け散る。最悪の事態を回避できた事に雄一は軽く安堵の溜息をついたが、すぐに視線を義長に向けた。

「貴様……!」

「お見事、よく狙いが君ではないと分かったね。実に的確な状況判断だったよ」

「そいつはどうも。……期待できそうかい?」

「ああ、勿論だ」

「……くっ……!」

義長の言葉の意味――自分が今置かれている立場を理解し、皮肉を義長に返した雄一だったが、あっさりと受け流されて苛立ちを覚える。

しかし内心では、相当緊迫した事態になっている事に冷や汗をかいていた。それは『神龍』も同様だったのだろう。焦りを含んだ声で、『神龍』が話しかけてきた。

〔ヤバイぞ、雄一。こいつ、俺達で遊んでやがる……〕

(ああ、『性能を試す』って言ってたしな。これもあの事件と同じく、『新獣』のテストなんだろう……ちっ!)

『神龍』と会話しつつ、雄一は倒れている好野、そして自分にしがみつき震えている光美を順に一瞥する。

決して手抜きという訳は無かったが、今の『新獣』の攻撃は余りにもあからさま過ぎた。その気になれば、もっと不意をついた攻撃も出来ただろうに。

そして攻撃を回避されたと言うのに、あの満足そうな義長の言葉。――……間違いない。今の『新獣』の攻撃は、必死にさせる為のものだ。

狙いは言うまでも無く、存分に眼前の『新獣』の『性能』を確認する為だろう。それに気づいた雄一は、無意識に唇を噛む。

悔しい事だが、完全に義長の手の内で踊らされているのが現実だ。奴はきっと今の様に、『力をある程度抑えて』光美と好野の二人を『新獣』で襲わせ続けるだろう。

抱えている光美の方に気を回し続けていれば、倒れて無防備なままの好野に。逆に好野を守ろうと光美を一時的にでも自分から離せば、確実に彼女が狙われる。

だからと言って如何に雄一とて、二人の人間を抱えて戦える程の力は無い。まして相手は『神』でも『神士』でもない。得体の知れない『新獣』なのだ。ハンデが有って戦える相手ではない。

(……どうする? このままじゃ確実に、取り返しのつかない事になるぞ……!)

〔雄一〕

(!?……何だ?)

対策が見つからず、焦りばかりが募っていた雄一に『神龍』が殊更低い声を掛ける。

多少苛立った声で返事をした彼に、『神龍』は苦々しい口調で言った。

〔俺が考えるに、今から言う手段が現状では最良だと思う。……かなり危ういだろうがな〕

(え? どんな手段だ?)

「…………」

尋ねる雄一に、『神龍』は余程言いにくいのか暫し沈黙した後、訥々と自らの考えた手段を話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(………!? 『神龍』本気かよ!? それは相手が信用できるに値する場合の手段だろうが!!)

話を聞き終えた雄一は、思わず『神龍』に食って掛かる。『神龍』が話した事が、あまりにも無茶だと思ったからだ。

しかし『神龍』は苦々しい声で、雄一に反論する。

〔そんなの俺だって分かってる! だが、言っただろう!? このままじゃ、お前を含めた三人の内の誰かが絶対にやられるぞ!!〕

(け、けどよ……)

尚も躊躇う雄一だったが、状況は彼を待ってはくれない。

『新獣』が猛々しい咆哮を上げ、ハッとしてそちらに振り向いた雄一に、義長が愉快そうに口を開いた。

「さて、ではそろそろ本格的に始めようじゃないか。『実験』をね」

そう言いつつ、奴はまた『天上の庭』を操作する。恐らく『新獣』に、『今までよりも本気で攻撃する』といった類のプログラムを入力したのだろう。

雄一のそんな推測は、すぐに証明された。一瞬身を低くした『新獣』が、脱兎の勢いでこちらに迫ってくる。その動きは、明らかに先程までと比べて段違いだった。

慌てて彼は光美を強く抱き抱えると上空へと飛び上がり、『新獣』の突進を回避する。正直、好判断とは言えないものだ。もし奴の狙いがまた好野であったのなら、このままでは守り難い。

しかし幸いな事に、今の『新獣』の狙いは雄一と繚奈の様だ。上空へと逃れた二人を見上げると、怒りの形相を見せながら睨みつけてくる。

(よし、今なら……っ!?)

「きゃあっっ!!」

反撃に転ずる好機だと、雄一が『龍蒼丸』を振り上げた次の瞬間、『新獣』の両眼が不気味な光を放ったかと思うと、不意に全身を強い衝撃が襲った。

驚く雄一だったが、その間にも彼と光美はグングンと地上――待ち構えている『新獣』へと、まるで見えない力で引っ張られるかの様に急降下していく。

――――これも『新獣』の能力なのだろうか?

そんな疑問が自然と頭に浮かんだが、それに気を取られている時間は無かった。体勢を崩し、身動きが取れない状態で落ちていく雄一の眼に、爪を振り翳す『新獣』の姿が映る。

回避しようとした身体を捩った彼だったが、何かの力で引っ張られている感覚は未だ抜けておらず、ロクに身動きが取れない。

(!!……くっ!)

最早回避は不可能だと悟った雄一は、せめてもの抵抗として光美を庇う様に体勢を入れ替える。

何とかそれを実行出来た直後、彼の片腕の上腕から肩にかけて『新獣』の爪が深く食い込み、血肉を飛び散らせながら引き裂いた。

「うぐ……!」

「あう!!」

そのまま雄一は床へと叩きつけられ、光美の体重分も加えた衝撃と腕の激痛に苦しむ。また光美の方も、雄一が庇ったとはいえ衝撃が無くなった訳ではなく、苦痛で顔を歪ませていた。

しかし、そんな二人に『新獣』は容赦なく襲いかかる。背筋が寒くなる様な凄まじい咆哮を上げた後、すぐ傍で倒れている二人に牙を剥き出しにして噛みつこうとしてきた。

「危ない!」

「きゃ……ゆ、ゆういっちゃん!」

いつの間にか身体の自由が戻っていた雄一は、素早く光美を抱き締めると身を転がして『新獣』の噛みつきを避ける。

そのまま暫く転がり続け、その勢いを利用して飛び起きた彼は、痛みからくる汗を流しながら傷ついた自分の腕を眺めた。

(ヤベ……結構なダメージだな)

〔雄一、大丈夫か!?」

(……致命傷じゃないさ)

焦った調子で尋ねてきた『神龍』に苦笑交じりに答えるが、半分以上は強がりだ。確かに致命傷ではないが無視できない傷である事は明白だし、それとは別に気がかりな事があったからである。

今の『新獣』の攻撃は、そのどちらも明らかに手を抜いていた物だった。

最初の引き裂きはこちらの身動きが取れなかった以上、その気になれば確実に仕留められた筈だし、噛みつきの方もわざわざ咆哮を上げるといった時間の猶予をこちらに与えている。

だがそれでも自分は、満足に回避する事も反撃する事も出来なかった。つまり、手加減されている上で尚も劣勢に立たされているという訳である。

(やっぱり、二人も守りながら戦える相手じゃない……だが『神龍』の言った事は、あまりにも………!)

苦悩する雄一だったが、心の奥底ではもう疾うに答えは出ていた。この状況では、『神龍』の言った手段を取るしかないのだと。

分かってはいるものの、どうしたって踏ん切りがつかない。いくら考えても、失敗する確率の方が遥かに高いとしか思えないからだ。

――――そう、奴と……『義長と交渉する』なんて手段は。

「どうした、雄一君? まだ私の『新獣』は、力の半分も出していないぞ。君の力だって、そんな物では無いだろう? 出し惜しみしている状況では無い筈だよ」

「ちっ……」

「ゆういっちゃん……怪我……」

雄一の腕から流れ出る血を眺めつつ、光美が弱々しい声で心配そうに呟く。それに対して小さく「平気さ」と返すと、彼は彼女の様子を窺った。

続く極限状態に多少は慣れたのか、今までの凍りついた表情は多少和らいでいる。相変わらず震えてはいたものの、先程までに比べればそれも小さなものになっている。

万全とは到底言えないが、呆然状態からは脱却していると判断した雄一は、そっと光美の手を自分から離して自力で立たせてみる。

すると彼女は特に驚く事もせず、すんなりと己の足で立つ。それを確認した雄一が思案するよりも先に、『神龍』が声を飛ばした。

〔雄一、どうやら彼女は大丈夫そうだ。心配なのは分かるが、俺の言った通りに……〕

(……分かった)

未だ不安だらけだが、雄一は『神龍』に了承の返事をする。そして、余裕の表情を浮かべている義長を睨みつけると、重々しく口を開いた。

「義長……一つだけ確認しておきたい」

「ん? 何だね?」

「お前の目的は、その『新獣』の強さを確かめる事で、間違いないんだな?」

「ああ、そうだ。私の傑作が『旧型』である君の性能を超えているかどうか。それを確かめたいのだよ」

「そうか。なら……」

言うなり雄一は、強く『龍蒼丸』を握りしめて神力を注ぎ込む。これまで何度もしてきた行為だが、今回は力の入れ方が違った。不意に『龍蒼丸』から蒼い光が発せられ、全体を覆った。

元々、蒼い刀身の『龍蒼丸』が更にその深みを増し、神秘的な印象を与える。だが、それとは裏腹に発せられる光は冷たく、研ぎ澄まされた鋭さを伴っていた。

そんな『龍蒼丸』を見て、光美が「きゃっ」と短い悲鳴を上げ、同時に義長が「ほう」と感嘆の溜息を漏らしつつ言う。

「記録に無い技だね。君のデータは一通り把握済みの筈だったのだが。一体それは何だい、雄一君?」

「……『森羅滅刃』……ま、そんなに大した技じゃない。俺が本気になった事を示す様なもんだ」

義長の質問に答えながら、雄一は蒼く輝く『龍蒼丸』の切っ先を奴に向けた。

『森羅滅刃』――己の神力を媒介として『龍蒼丸』に宿る力を全開放し、絶対の強度と斬れ味を保った状態にする技。

これだけだと『地龍金剛斬』と変わらないが、その実態は大きく違う。『地龍金剛斬』が刀身を鉱物粒子という物体で強化するのに対し、『森羅滅刃』は『龍蒼丸』その物を神力によって強化するのだ。

単純な斬れ味だけでなく刀の耐久度や『斬撃』その物も強化する事が出来る上、神や神士が用いる多種多様の特殊能力にも対応が可能となる。

雄一がこれまで神士として生きてきた中で、片手で数える程しか使っていない技だ。『宿敵』である繚奈との戦いの時でさえ、一度たりとて使用していない。

それもその筈、この技を使えば『人を殺さない』という彼の『誓約』を守る事は酷く難しいものになるからだ。

一度この状態になると、その名の通り万物を滅ぼす刀へと『龍蒼丸』は変貌してしまい、手加減が不可能になってしまう。

更に言えば、この『森羅滅刃』を解除するにも大量の神力が必要であり、一度発動してしまうと元の状態に戻るのは容易では無い。

故に雄一が過去にこの技を使ったのは、まだ幼く技量に乏しかった頃だけ。力押しという強引な方法でしか『神』を『神士』を倒す術を知らなかった頃だけだった。

何年振りの対面とも言える蒼く輝く『龍蒼丸』を突き出しつつ、彼は空いている方の手を光美の前で水平に構えると、義長に言った。

「お望み通り、お前の『実験』に付き合ってやるよ。だから、この二人……光美ちゃんと好野さんは、この部屋から出させてくれ。この状態じゃ、周りに危害を加えない様に戦うのは難しいんだ。

 お前だって、俺には全力を出して欲しいんだろう? だったら……頼む」

「…………」

雄一の申し出に、義長は無言を貫きながら顎鬚を数度撫でる。奴がどう出てくるか読めない雄一は、ただジッとそれを睨みつける事しか出来なかった。

「ゆういっちゃん……」

か細く呟いた光美が、広げられた雄一の片手に両手を添える。すると、それが合図だったかの様に、義長が動いた。

ハッとして身構えた雄一だったが、奴は『天上の庭』を操作する事は無く、ましてや自ら襲いかかって来る事もせず、近くにあった別の装置へと手を伸ばす。

そしていくつかの操作を行うと、気づかぬ内に閉まっていた入り口のドアが音を立てて左右に割れていった。その様子を眺めながら、義長が口を開く。

「まあ、良かろう。君のその力は興味深い物だしね。とはいえ、このラボから逃げる事は不可能だよ。君達を追いかけ回した試作型の事を、忘れた訳ではあるまい?」

「分かってるさ。この部屋から出させてくれれば、俺はそれでいい」

「ふむ。散り際は一人である事を望むわけか。それはそれで趣きが有って良い」

皮肉と共に薄笑いを浮かべた義長が、今度は『天上の庭』を操作する。

すると『新獣』からフッと殺気が消え、驚いた雄一が僅かに身動ぎすると同時に、『新獣』は大きく跳躍すると義長の傍に着地した。

「さあ、退室するなら早くするんだね。私は気の長い方だが、こいつはそうでも無い。あまりモタモタシテいると、後で大暴れしかねないぞ」

「ち、最初から大暴れさせる気しか無いのに、よく言うぜ。……と、光美ちゃん」

軽く舌打ちしながら悪態をつくのもそこそこに、雄一は光美へと振り返る。その間も、『龍蒼丸』の切っ先を義長達から外す事は無い。

流石の彼も、奴の言葉を全て信用する程に楽観的では無いのだ。いつ『新獣』が襲ってきても反応できる様に神経を研ぎ澄ませつつ、彼は光美を促す。

「好野さんを担げるかい?」

「う、うん、多分……私、結構力は有るから……」

「そっか。なら早く此処から出るんだ。そして、出た所でジッとしている事。間違っても、エレベーターで下に降りちゃダメだ。まだ下には、あの化け物がいるだろうからな」

「……ゆういっちゃんは?」

不安を顔全体に滲ませながら、光美は震える声を漏らす。それは、既に彼女が自身の問いの答えを知っている事を意味していた。

ヒシヒシと伝わってくる彼女の心情をどうにか受け止めつつ、雄一はゆっくりと言葉を紡ぐ。

「あいつを倒したら、すぐに俺も此処から出るさ。だから、それまで待っててくれ」

「で、でも! ゆういっちゃん、怪我……」

「大丈夫。大丈夫だよ。もう……もう、あの時みたいに、突然いなくなったりはしない」

「……っ……」

雄一の言葉に、光美は暫らくジッと彼を見つめた後、静かに息を呑む。そして、ほんの少しだけ笑みを含んだ表情で呟く。

「分かったわ、信じる。……信じて、良いんだよね?」

「ああ」

力強く、雄一は光美に頷いてみせる。すると彼女も彼に頷き返すと、髪を靡かせながら倒れている好野の元へと駆け出す。

辿り着いた光美が好野の身を抱き起こし、片腕を上げさせてその下に自らの肩を滑り込ませる。

本人の言葉に偽りは無かった様で、彼女は軽々と好野を担ぎ上げて見せた。そのまま一歩一歩、なるべく好野に負担を掛けない足取りで、光美はドアへと歩いていく。

雄一はそんな彼女を視線の隅で確認しつつ、ただ静かに『龍蒼丸』を義長達に突き付けたまま、奴らを睨み続けていた。

やがて好野を担いだ光美が、ドアの向こう側へと辿り着く。その瞬間、義長の手が動いたかと思うと、再びドアが閉じられる。それを見届けた雄一に、『神龍』が声を掛けた。

〔雄一。とりあえず、これでこの場は大丈夫だ。後は手っ取り早く、こいつらを片づけて此処から脱出するぞ!〕

(……おうよ!)

心の中で『神龍』に相槌を打った雄一に、義長が口の両端を釣り上げて見せた。

「良かったのかね、雄一君?」

「何がだ?」

「せっかく良いムードだったのだ。愛の告白でもしておくべきだったのではないのかね?」

「……はっ、何を言うかと思えば!」

一笑に付した様子でそう言い放つと、雄一は蒼い光を纏った『龍蒼丸』を一振りする。

刹那、部屋の隅に有ったオブジェに一筋の剣閃が奔り、真っ二つに割れると音を立てて崩壊した。

それを見た義長が、驚きと喜びの混じった表情で「ほう」と息を吐く。そんな奴に鋭い視線を向けたまま、雄一は叫んだ。

「わざわざ、お前が心配する様な事じゃないんだよ! そんな事はな!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

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