第二十五章〜知られざる繋がり〜

 

 

 

 

 

「グガアアアァァッ!!」

義長の『新獣』が咆哮を上げ、雄一に襲いかかる。その動きはこれまでにも増して素早く、また無駄が無い。恐らく義長が、『ある程度本気を出させる』様にしたのだろう。

しかし、守らなければいけない対象が無くなり、肉体的にも精神的にも軽くなった雄一も負けていない。

『新獣』の動きを先読みした彼は、今までの様にギリギリではなく余裕を持って奴の突進を回避すると、蒼く輝く『龍蒼丸』を猛々しく振り下ろした。

「はああっっ!!」

「ウオオッ!?」

凄まじい速さの斬撃が『新獣』の胴体へと放たれる。しかし『新獣』は驚いた仕草を見せながらも機敏な動きで身を翻し、迫っていた剣閃から逃れようとした。

だが、その動きよりも『覇王剣士』の斬撃が勝る。『龍蒼丸』は『新獣』の回避を許す事無く、その身に刃を食い込ませた。

肉の割かれる感触が手を通して雄一に伝わり、一拍置いて激しい血飛沫が視界に広がる。その生々しい手応えに、一瞬だが彼は戸惑いを覚えた。

(っ!? こいつ……)

「ガルアアアァァッ!!」

「!!」

呆然としていた雄一の意識は、叫びと共に反撃に転じてきた『新獣』によって呼び戻される。

確かにダメージを与えた筈なのに、奴はまるで気にしていない様子で鋭い爪を振り翳し、雄一の心臓を抉り取ろうと迫った。

雄一は即座に驚愕から覚め、眼前にまで近づいていた爪を回避し、そのまま身を反転させて再び『新獣』に斬撃を見舞う。

今度は額を捕らえた『龍蒼丸』の刃が肉を割き、一条の赤い筋を生む。けれども奴は怯む事無く口を開けると、牙を剥き出しにして雄一を食い千切りにかかる。

咄嗟に雄一は片手を前に付きだすと、その掌から『神龍』の力による突風が巻き起こす。その反動を利用して『新獣』から間合いを離した彼は、困惑した様子で『神龍』に尋ねた。

(おい『神龍』! これは一体、どういう事だ!? 確かに俺の攻撃は当たってるのに、全然効いてないじゃねえか!!)

〔みたいだな。つまり……そういう事だ〕

(!? まさか……)

『神龍』の言わんとしている事を察し、雄一は息を呑む。そんな彼に『神龍』が重々しく言った。

〔それしか考えられないだろう。こいつはもう、奴の道具でしかないんだろうよ。……っ!? 見ろ、雄一!〕

(えっ?……!!)

驚いた調子の『神龍』の声に、雄一は『新獣』を凝視する。すると彼の眼に入ったのは、今しがた奴に刻み込んだばかり斬撃の痕が、瞬く間に塞がっていく様だった。

割けた肉が元通りに繋がり、流れ出ていた血もたちどころに止まる。その様を形容するに相応しい言葉を、彼は一つしか思いつかない。

「再生能力……!」

「ふっ、そんなに驚く事でもないだろう、雄一君? 私の『試作型』との戦いで、君は既にこの能力を見ている筈だ」

不意に飛んできた義長の嘲笑を含んだ言葉に、雄一は苛立ちを感じつつもあの赤い獣達の事を思い出す。

確かに今見ている光景は、奴らと戦った時に何度も見た物だ。しかし、決定的に違う所が二つ有る。それは斬った際の『感触』と『現象』だ。

あの赤い獣――義長の言葉を借りるなら『試作型』達を斬った際には、この『新獣』の様に肉を割く感触は伝わってこなかった。

そして血を流す様な事も、あの『試作型』達には無かった。だからこそ、雄一は奴らを『幻獣』だと考えたのである。

しかし、この『新獣』は違う。義長の言った通り、血の通った『生物』なのだ。――となれば……。

(いくら再生するったって、心臓か脳を破壊すれば仕留められる筈……だよな?)

そうなのだ。生物である以上、急所が有るのは当然だし、そこを破壊されればいくら再生能力を有していたとしても意味を成さない筈である。

しかし、それでは『完成型であるこの獣は試作型よりも劣っている』という事になる。

何せ『試作型』の奴らは自分や繚奈がどれだけ斬りつけようと全く無意味で、真っ二つにされようとバラバラに切り刻まれようと、すぐに再生した連中だ。

そして、そんな奴らの事を義長は『再生能力は完璧だった』と評した。となれば、『完成型』である『新獣』にも同程度、或いはそれを上回る再生能力を持っていると考えるのが自然だ。

(……試しみる必要があるな)

逡巡していた思考を断ち切り、雄一は『龍蒼丸』を右肩の上で構える。そして腰を軽く引いた後、勢いをつけて『新獣』に突進した。

高速で放たれたその突きは、『新獣』の眉間を見事に貫くと噴水の様に鮮血を溢れ出させる。誰が見ても一目瞭然な致命傷。彼はそう考えた。

「っ!?……何!?」

けれども、その考えはアッサリと裏切られる。『新獣』はこれまでの攻撃と同様、全く効いていないかの如く唸りを上げると、接近していた雄一を引き裂こうと爪を振り上げた。

咄嗟に身を退こうとした彼だったが、『新獣』の額に突き刺したままの『龍蒼丸』を引き抜こうとした瞬間、違和感に気づく。

(く……何だ、『龍蒼丸』が!?)

突き刺す時は易々と通った筈の刀身が、どういう訳かいくら力を込めても抜ける気配が無い。完全に予想外且つ危機迫った事態に、雄一は戦慄する。

だが、状況はそんな彼に構う事無く進む。『新獣』の鋭い爪が眼前まで迫り、今にも身体に食いかからんとした所で、ようやく彼は答えを見つけた。

――――刀身から感じる、何かが蠢く様に纏わりついてくる感触。そして、それが次第に硬さへと変わっていく感触。

信じがたい現象では有ったが、今はその真偽を確かめている時間は無い。雄一は素早く『龍蒼丸』を強く握り直すと、猛々しく叫びながら引っ張った。

「うおおおっっ!!」

すると肉の引き千切れる音と共に『龍蒼丸』が『新獣』の額から引き抜かれる。だが力任せだったその行動は、彼に反動を与えて体制を崩させ、隙を見せる結果となる。

勿論、そんな状態で『新獣』の爪を躱せる訳が無い。苦肉の策として、彼は身を逸らす。それにより辛うじて心臓は守られたものの、数本の赤い筋が胸に刻まれ、血飛沫と激痛が彼を襲った。

思わず顔を歪めて呻き声を上げた雄一だったが、怯んでばかりもいられない。よろめきながらも両足に神力を集中させて床を蹴ると、彼は中空へと急上昇する。

「おやおや。まだ同じ過ちを繰り返す気かい?」

侮蔑的な、それでいて何処か楽しそうな義長の声が雄一の耳に届く。そして次の瞬間、彼の全身に衝撃が奔ったかたと思うと、瞬く間に急降下し始めた。

(痛っ!……やはり、こう来たか。だが!)

予想通りの展開に、雄一は身を捻ると独楽の様に回転しながら落下していく。そのまま両眼を光らせている『新獣』に迫ると、今にも飛び掛からんとしていた奴に左手の掌を突き出す。

無数の小粒氷がそこから発射され、『新獣』の眼へと襲いかかる。流石にこれは効き目が有ったのか、奴は両眼を閉じて苦しそうに頭を振る。

同時に雄一の自由を奪っていた衝撃が消え、彼は勢いだけが残った身体で『龍蒼丸』を振るい、『新獣』に斬撃を浴びせた。

先程のものよりも遥かに強烈だったその斬撃は、『新獣』の胴体を真っ二つに斬り裂く。夥しい血が一面に飛び散る中に着地した雄一は、続け様に『炎龍紅蓮斬』を放つ。

「はああっっ!!」

絶叫を合図に猛火が『龍蒼丸』から生まれ、瞬く間に『新獣』を包み込んでいく。傍から見れば、過剰とも言える追撃だった。

――――しかし、それも決定打にはなり得ていないと、雄一はすぐに悟るのであった。

 

 

 

 

 

 

「ウオオッッ!!」

「っ!……これもダメか」

暫しの間、燃える『新獣』を眺めていた雄一だったが、程無くして全身を震わせて炎を振り払った奴の姿に舌打ちする。

――――やはり、全く効き目が無い。刀も炎も通じないとは……!

不死身と評するしかない生命力に、正直彼は恐怖を覚える。牙や爪による攻撃、そしてあの眼から発せられる光による能力よりも、数段厄介な代物だ。

急所を狙って先程の突きでさえ無意味だった上、再生能力を利用して『龍蒼丸』を抜けなくさせようとまでしてきたのだ。

瞬時に肉が再生し、刀身に絡みついて硬化していった事を思い出した雄一の顔に、嫌な汗が浮かぶ。そして彼にはもう一つ引っ掛かる事が有った。

(どうなってんだよ、本当に。肉を貫く感触や斬る感触はしたし、血も出るってのに骨を砕く感触が全然しなかったぞ……?)

先程の攻撃で実感した、獣としては有り得ない生体構造。そんなバカげた事……と否定しかけた雄一の視線が、一瞬『天上の庭』に移る。

――――まさかこの『新獣』には血肉しか無いと言うのだろうか? そんな風に、義長はこの『新獣』を生み出しのか? もしや、脳や心臓と言った内臓も……?

様々な考えは憶測として、頭の中を駆け巡る。それに耐えきれなくなった彼は、藁にも縋る思いで相棒に尋ねた。

(『神龍』、奴から何か感じないのか?)

〔いや、それが……あの『天上の庭』から出て来た時から、ずっと探ってるんだけどよ。何か変なんだ〕

(変? どういう意味だ?)

〔ああ。『幻獣』の気配じゃなくて、『神』の気配……それも複数のを感じるんだ。まさかとは思うが、こいつ……っ! 雄一!〕

「グルアアッッ!!」

突如として『神龍』が鋭い声を飛ばしたとの殆ど同時に、『新獣』が吠えた。何か仕掛けてくると判断し、反射的にその場から飛び退いた雄一の眼に、驚愕の光景が映る。

今までたっていた場所が何の前触れも無く爆発したかと思うと、凄まじい熱風が襲ってきたのだ。咄嗟に片腕で顔を覆った雄一だったが、それは即ち視界が一瞬遮断してしまう事を意味する。

その隙を見逃してくれる程、『新獣』は優しい相手では無い。たじろいでいる雄一に向けて猛突進しつ、奴は彼の喉笛に襲いかかった。

体勢が悪く、回避は困難と判断した雄一は素早く峰打ちで『水龍氷蒼斬』を放ち、『新獣』を斬り上げる。相変わらず効果は無さそうだったものの、奴は吹っ飛ばされながらも氷塊と化して動きを止めた。

雄一はそれを追撃のチャンスと見て、再び突きの構えを取ると『新獣』の後を追う様に飛び上がる。そのまま身動き出来ない奴に向けて加速すると、胴体もろとも心臓部を貫いた。

しかし、その際に雄一に伝わってきた感触は、やはり肉を抉る物のみだった。勢い良く『新獣』の背中から突き出た彼は、唖然として氷塊となったままの奴を眺める。

(人工的に造られた生物だから場所を変えたって可能性も有るが、にしたって……っ!!)

突如として『新獣』を凍てつかせていた氷塊が砕け散り、奴は自由の身となる。飛行能力も兼ね備えているのか、『新獣』は身を反転させると突進してくる。

地上での動きと全く遜色ないその機敏さに、雄一は一瞬肝を冷やした。しかし、如何せん単純な攻撃。彼はとんぼ返りをして危なげなく回避すると、その勢いをつけたまま『龍蒼丸』を振るった。

刹那、その刀身から三日月状の蒼い波動が放たれ、奴の身体を切断する。二つに分かれて、自身から出た赤に塗れながら落下する『新獣』。それを見た義長が、感心した様子で声を漏らした。

「ほう、さっき見せてくれた物だね。斬撃を形とした……いや、違うな。恐らくはそれが、『神龍』本来の力という奴かね?」

(っ、一見で気づいたか。流石は……だな)

不本意ながら内心で舌を巻いた雄一は義長を一瞥し、改めて奴が優れた研究者で有る事を再確認する。

義長の言葉通り、今し方雄一が放ったのは『斬撃そのもの』では無い。自然界を総べる『神龍』だけが持つ『無』の属性――それを斬撃に乗せて放った物だった。

物理的な物では無い為、通常の手段で防ぐ術は無く、また『神』の力を用いて防がれた例もこれまで無い。少なくとも現在の雄一にとっては、防御不可能と認識している技である。

名称は無い。幼い頃、『神龍』と共に様々な技を考案し、『神牙一閃流』なる流派の名まで思いついた彼だったが、この技だけには名を付けなかったからだ。

理由は至極単純。余りにも強力過ぎるが故、使う事に恐怖心を覚えたからだ。その恐怖心が故、滅多な事では使わないと童心ながらに決心したのである。

無論この技、ひいては『森羅滅刃』が彼の『誓約』に相反する物だというのも理由の一つであった。

――――だが、そんな禁忌としていた技でさえ『新獣』には通じていないという事実を、雄一は眼の当たりにする。

床へと落下した『新獣』の胴体が、またしても何事も無かった様に繋がり、復活した奴は唸り声を上げる。苛立たしく奥歯を噛み締めた雄一は、悪態をつきながら『神龍』に尋ねた。

(ちいっ、不死身かこいつは!? 『神龍』、さっき何か言いかけてたよな? 何か分かったのなら、教えてくれ)

〔いや、分かったと自信を持って言える程の事じゃないが……もしかしたら、こいつにはどんな攻撃したって無意味なのかもしれない。上手くは言えないが、狙うとしたら……〕

(?……そうか! あれだな!!)

『神龍』の言わんとしている事を先取りし、雄一は素早く『天上の庭』へと視線を移す。確かに、あの装置を破壊すれば『新獣』にとって不都合となる可能性は高い。

打開策の見つからない今の状態で、奴と戦っていても埒が明かない。そう思い、彼は迷う事無く『天上の庭』に向けて『龍蒼丸』を振り被った。

しかしその刹那、聞き覚えの有る不快音が襲いかかり、雄一は驚愕と苦痛で顔を歪める。――――そう、その不快音は間違いなく……。

(!?……『鵺』の鳴き声!? 何で……)

〔雄一!!〕

予想だにしていなかった出来事に動きを止めてしまった彼の耳に、切羽詰まった『神龍』の声が響く。

その声にハッと彼の眼に、『新獣』の口から発射された火球が迫る光景が映った。焦った雄一は回避を忘れ、『龍蒼丸』を盾にする。

炎を纏った斬撃ならいざ知らず、火球を刀で受け止めようとする等、決して適切な判断とは言い難い。事実、通常の『龍蒼丸』であったならば、何の意味も成さない行動だった。

けれども、『森羅滅刃』の状態である『龍蒼丸』なら話は別である。その蒼く輝く刀身に触れた途端、『新獣』の火球はまるで壁に阻まれたかの如く霧散した。

(くっ! 何とか防げたか……)

〔まだだ! 来るぞ!!〕

その『神龍』の言葉通り、消え失せた火球の陰に隠れる様にして『新獣』が雄一に迫った。とはいえ、相変わらずその動きは猪突猛進と言ってよく、素早いのは認めるが反応出来ない物では無い。

これまで通り回避した後に反撃しようと身構えた彼だったが、途端に再び『鵺』の鳴き声が頭に響き渡り、隙を作ってしまった。

「うっ……」

〔雄一!!〕

「グルアアアッッ!!」

雄一の様子に慌てた『神龍』が叫んだが、時既に遅し。雄叫びと共に突進してきた『新獣』が、その巨躯を雄一に激突させた。

胸部から腹部にかけて凄まじい衝撃と激痛が伝わり、彼は受け身を取る事も出来ずに天井へと吹っ飛ばされる。

その際に思わず雄一は『龍蒼丸』を手放してしまい、彼の手を離れた刀は輝きを失い、元の蒼い刃に戻ると金属音と共に床に落ちた。

(なっ!? どういう……う……)

予想だにしていなかった出来事に雄一は驚くが、直後に全身を疲労感が襲い、軽く眩暈を覚える。これまで何度も味わってきた、極端に神力を消耗した際の症状だ。

痛みと違って我慢の効かないそれに、雄一の意識は遠のいていく。そして彼は天井に背中から打ちつけられ、息を詰まらせた。

霞む意識の中、雄一は何とか体勢を立て直そうとしたが身体に力が入らず、一瞬の静止の後、重力に従って彼は落下していく。

そんな雄一の上空に『新獣』が移動し、止めとばかりに彼に向けて火球を発射する。とても避けられる状況ではなかった雄一は火球の直撃を受け、更に勢いをつけて床へと激突した。

瞬間、火球が大爆発を起こし、爆炎と爆風が雄一を包み込む。やがてそれが収まった時、彼は全身に火傷を負い、衣服も含めてボロボロの状態になっていた。

〔だ、大丈夫か雄一!?〕

「ぐ……あ、ああ……」

必死に呼びかける『神龍』に、雄一はどうにか返事をする。だが正直に言えば、かなり危険な状態だった。

ダメージ自体は強打と爆傷で特に背中が痛むものの、確認してはいないが然程深刻そうでもない。むしろ問題は、神力の消耗による身体への悪影響だ。

その原因である少し離れた場所に落ちている『龍蒼丸』を眺めながら、彼はグラグラとする頭で考える。

(何で急に『森羅滅刃』が……手放しちまったからか?)

〔……多分な〕

自分に向けて呟いた雄一の心の声に、『神龍』が答える。

(た、多分って……『神龍』、それは……)

〔断定は出来ねえ。けどあれは、お前の神力を媒介としている技だ。手放しちまったら、自然と解除されちまうと考えても無理はない。……だいぶマズイのか?〕

(……っ……強がりたい所だがな。昔の聖泉森の時ぐらいかな?……こんな………フラフラするのは……)

両手を支えに雄一は何とか上半身を起こすが、それすらも覚束ない動きであった。

そんな雄一の前方に『新獣』が軽やかに着地し、身を低くした状態で彼を威嚇する。同時に、義長の声が響いた。

「ふむ、『天上の庭』を狙うとは良い判断だったが、私の作品の方が一枚上手だったみたいだね。さて、これで君の役目を終わりだ。後は『幻妖剣士』……繚奈君の方で試さなければね」

「っ!?」

突如として出来てきた因縁の相手の名に、雄一は義長を睨みつける。しかし二の句が継げず、奴を睨みつける事しか出来なかった。

「ん、どうしたのだね?……ああ、そうか。あの時は放心状態で聞こえていなかったのか。彼女もまた、君と同じく私の作品が越えなければならない存在だと」

「どういう……事だ?」

ヨロヨロと身を起こした雄一は、強烈な眩暈と頭痛に額を押さえながら義長に尋ねる。すると奴は、口の両端を釣り上げつつ言った。

「そうだな。冥土の土産に面白い事を聞かせてあげよう。君と彼女……繚奈君の『縁』についてね」

「縁? 『神龍』と神化した者と、『邪龍』と神化した者の宿縁の事か? そんなもん、今更聞かされるまでもない」

雄一がそう言い返すと、義長は軽く首を横に振る。

「その縁の事では無いよ。もっと昔から君達二人にある、もっと深い縁だよ」

「昔からある、もっと深い縁?」

「ああ。実は好野君は『天上の庭』と並行して、優れた神士を生み出す別の方法を試していた。私はその方法に独自の改良を加え、彼女にも内緒で密かに実行していたのだよ」

「別の方法?……っ! 『神の種』の応用プランとかいう奴か!!」

「ほう、それも日記に記されていたのかい? 御名答……と言いたい所だが、少し違うな。確かに好野君は、『天上の庭』を使わず『神の種』を管理する方法を研究していた。

私は彼女のその研究から、ある考えを生み出したのだよ。この私に様々な薬品を投与し、その状態で女性を交わる。

母体という不確定要素の塊、不安定な環境からくる突然変異による『神の種』の誕生を期待する……言うなれば、君の誕生と真逆の方法だね。

完全にギャンブルと言っていい方法だったが、期待値はそれなりに高かった筈だ。…………だのに、あの女は……」

「……あの女? 誰だ?」

誰を指す言葉か分からずに、雄一はポツリと呟く。好野の事かと思ったが、それにしては妙な言い回しだ。だから恐らく違う女性なのだろうと見当をつけ、彼は義長に問う。

しかし奴は答えず、不意に顔を歪ませると憎々し気に歯ぎしりをし始める。どうやら、余程忌々しい人物らしい。雄一がそう判断すると殆ど同時に、義長が再び話し始めた。

「あの女は事もあろうに私を……私の研究を侮辱した。『許される事じゃない』や『悪魔のする事だ』とね。だから私は、あいつに見切りをつけた。最早、利用価値が無かったからね。

 産まれた娘にも興味は無かった。強奪して調査する事も考えたが、あいつの娘というだけで不愉快に感じたからね。……今にして思えば、これが大きな失策だった。

あれから『天上の庭』をいくら用いても『君達』程の素質を持つ受精卵は作れず、また私の方法でも優劣以前に死産や流産ばかり。やはりこういう物は、量より質だという事かな?」

「っ!……貴様!!」

言外に『あの女』が誰を指しているか、『産まれた娘』が誰を指しているか、そしてその二人を含めた多くの女性を蔑にしてきた事を理解し、雄一は激高する

しかし奴は全く動揺の素振りを見せず、労わる様に片手を胸の前で動かしながら口を開いた。

「雄一君、無理はしない方がいい。もう君も限界だろう? 親としての情けだ。大人しくしてれば、苦しまずに来世に送ってあげるよ」

「貴様が俺の親を名乗るな!」

「!!……ウガアアッッ!!」

絶叫した雄一に反応したかの様に、『新獣』は雄叫びを上げて彼に襲いかかる。ハッとした雄一は咄嗟に回避するが、その途端にまたしても眩暈と頭痛を感じて体勢を崩す。

だが当然、『新獣』の攻撃が止む筈が無い。『龍蒼丸』を手放し、神力の酷使による身体異常を起こしている彼は『神龍』の力を行使する事もままならず、辛うじて避け続けるしか術が無かった。

その間にも、身体の調子はドンドン悪化していく。全身に不快な熱が広がっていくのを感じながら、雄一は懸命に考える。

(悔しいけど奴の言う通り、そろそろ限界かな……だが、奴の言葉からして『天上の庭』を破壊さえすれば……うっ)

〔雄一〕

(止めないでくれよ、『神龍』?)

心の声に反応してきた相棒に、雄一は懇願めいた口調で返す。すると『神龍』は諦めの溜息と共に言った。

〔分かってるさ、伊達にお前の相棒やってる訳じゃないからな。だから助言する。あの機械がどんな構造をしてるかは不明だが、所詮機械は機械だ。……分かるな?〕

(……ああ! そうと分かれば早く『龍蒼丸』を取って……っ!?)

――――それは時間すればほんの刹那。『神龍』との会話に意識を回していた一瞬。ふと雄一が気づいた時、眼前に『新獣』の鋭い牙が迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「痛っ!!」

不意に右手首に痛みを感じた光美は、反射的に小さな悲鳴を上げながら眼を瞑った。

「な、何? 今の痛み?」

怪訝に思いながら彼女は眼を開け、自分の右手首を眺める。しかし、別段異常は見当たらない。ただいつもの様に、青い石のブレスレットが有るだけだ。

それでも光美は、何か言葉で言い表せない感情に襲われ、自身の宝物であるそれを見つめる。そして同時に、この宝物をくれた人物を頭に描いた。

(……ゆういっちゃん……)

心の中で呟いた後、彼女は徐に顔を動かして閉じられた頑強なドアに眼をやる。

その奥では恐らく、雄一とあの獣が戦いを繰り広げているのであろうが、此処には何の音も聞こえてこない。当然、中がどうなっているのかは皆目見当もつかない。

今の自分に出来る事は、ただ彼を信じる事だけ。それが分かるからこそ光美の不安は増加する一方で、彼女は無意識に青のブレスレットに手を添えると瞳を閉じて強く念じた。

(お願い、無事でいて。もう……もう急にいなくなるのは、絶対嫌だから……)

「雄……一……」

「っ……好野さん?」

不意に隣で横たわっている好野が声を漏らしたのに、光美は彼女の意識が戻ったのかと思い、問いかけてみる。

しかし好野は依然として苦しそうな表情のまま眼を閉じている。どうやら魘され声だったらしい。労わる様に彼女の額に手を掛け、光美はそこに滲んでいた汗を拭った。

「心配ですよね、実の息子なんですから……っ」

思わず呟いたその言葉の重みが、光美にズシリと圧し掛かる。

――――あの日記帳……あの初老の男性……神士……研究……『天上の庭』……『神の種』……。

正直、まだ殆ど信じきれない且つ分からない事だらけだ。そして知りたいと願う気持ちと、知りたくないと願う気持ちが交差している。

けれども、どちらにせよ変わらない気持ちが有る。雄一とも好野とも、もう離れたくないという気持ち。それだけは確かだった。

(大丈夫。きっと此処から出られる。そして、ゆういっちゃんとも好野さんとも色んな事が話せる……きっと……きっと)

不安を紛らわす様に、光美は何度も心の中でそう唱える。瞳を閉じて両手を組み、神に祈りを捧げるかの様に。

すると突然、遠くの方から足音が聞こえてきた。彼女はその音に驚きと恐怖を感じ、眼を開けて細長い通路の奥に広がる闇を見やる。

一瞬、光美の脳裏にあの赤い獣の姿が過ぎったが、よく足音を聞いてみると、どうも違う様だ。

――――獣の四足歩行ではなく、人の二足歩行。それも一人ではなく、二人が走っているもの。

彼女は段々と近づいてくる足音から、それらの情報を読み取ると身体を強張らせる。

だが、それも束の間。光美はやにわに立ち上がると、好野を守る様に仁王立ちをして近づいてくる人達に対して身構えた。

(誰? 繚奈? でも……だとしたら、もう一人は?)

考えを巡らせる彼女の頬や背中に、冷たい汗が流れ、その間にも足音はドンドンと近づいてくる。

そして光美がその足音の人物を視界に捉えるよりも先に、闇の中から安堵を含んだ声が聞こえた。

「光美!! それに、あいつの養母さん……!」

「っ……繚奈! 良かった、無事……!?」

緊張の糸を解き、笑みを浮かべて歩を進めた光美だったが、すぐに表情を凍りつかせてその場に立ち尽くす。

――――全身から血を流し、傷だらけの状態の繚奈。その後ろから現れた、あの書斎で自分達を襲った、両手に刃物を携えた男の子。

異様ともいえるその光景に、光美は言葉を失った。

そんな彼女の驚きが、自分達の姿だと気づいたのであろう。繚奈は自らの全身を見回した後、光美に気まずそうな笑みと努めて明るい声を向けた。

「ゴ、ゴメン光美! 気持ち悪いよね、こんな恰好。それに……」

チラリと光美が男の子へと視線を向ける。すると彼は、無表情のままポツリと呟く。

「安心していいよ。もう貴女を襲う理由なんか無いから」

光美はその言葉が自分に向けられていると気づくのに、少々時間が掛かった。

思わず男の子と眼を合わせると、どうやら疑いの眼差しに映ったらしく、彼は気怠そうに「だから」と声を発した。

「そんな顔しなくたって、別に何も……」

「無理言わないの。あんたは二度も光美を襲ってるんだから、怖がって当然でしょ」

そっと男の子の頭に手を置きながら、繚奈が宥める様な口調で言う。それはまるで、彼女が自分の息子である輝宏に話しかけるような口調だと、光美は思った。

――――自分と雄一を逃がした後、この男の子と繚奈の間に何が有ったのか?

その事を尋ねようと口を開きかけた光美だったが、それよりも先に繚奈が口を開いた。

「光美、悪いけど詳しい話は後で。……双慈、あいつはこの中ね?」

「うん、間違いない。だけど、どうする気? ロックを破って強行突破っていうのは、あまり賢くない方法だと思うけど?」

双慈と呼ばれた男の子が尋ね返すと、繚奈は軽く舌打ちをして見せる。だがそれは、男の子に対しての不快感を示した物では無いらしい。

彼女は「分かってる」と答えながら彼の頭を撫でつつ、ドアに備えられているセキュリティセンサーを睨みつけた。

「これは……1階で見た物と同タイプだな。となると、あいつはこうやって……っ!?」

言いながら繚奈がセンサーに掌を乗せた刹那、システムが作動した。光美も覚えている。雄一が彼女と同じ行動をとった時、これと同じ事が起こったのを眼にしたのだ。

あの時と同じく驚いた彼女だったが、繚奈と双慈は自分以上に驚いたらしく、大きく眼を見開きながら僅かに身を後退させた。

だが次の瞬間には二人揃って我に返ると、繚奈は紅い刀を構えると同時に双慈に目配せを送る。すると彼は嫌そうに嘆息しつつも光美と好野に近づくと庇う様に手を広げた。

 

 

 

――――そしてドアが開ききった瞬間、弾丸の如き速さで繚奈が部屋の中に突っ込んでいくのが、光美の眼に焼き付けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

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