第二十六章〜長き日の終焉〜

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐあああっ!!」

隙を突かれた雄一は『新獣』に抱かれる様に捕まれ、ジワジワとその命を削り取られていた。

右肩に食い込んでいく鋭い牙に、そこから奔る激痛と溢れ出る血。それは猛獣が獲物を捕食する行為その物で、『神龍』はらしくもなく悲鳴交じりの声で相棒に向かって叫んだ。

〔ゆ、雄一! しっかりしろ!! 何とかして振り解け!!〕

「がっ……うううっ……!!」

しかし雄一は眼と瞑りながら苦しそうに唸るばかりで、痛みで身体を捩る事さえせずに『新獣』の餌となりつつある。

せめて神力がまだ十分残っているか、或いは『龍蒼丸』を手にしているかしていれば反撃の糸口を見つけられたのだが、どちらも叶わない今の状況はかなり絶望的だ。

『神龍』は焦る。これまでも雄一が死の淵に立たされる事は幾度となくあったが、これ程にマズイと思う時は無かった。

初めて心から戦慄した『神龍』は、相棒の悲鳴を聞きながら逡巡した。

〔くっ、こうなったら実態化するか……? いや、だが……そしたら、この建物は……!〕

そう、今現在考えられる手段はそれしかない。『神龍』が実体化すれば、少なくとも『新獣』を雄一から引き剥がす事は可能だろう。

だが大きな問題が有る。『神龍』は全長数十メートルにも及ぶ巨体なのだ。もし実体化すれば、この研究所を崩壊させてしまう事は明らかである。

それは即ち雄一を含め、この研究所内にいる者全てを巻き添えにしてしまう事を意味している。完全に本末転倒な結果しか見えないのだ。

〔雄一だけなら、何とか助けられるかもしんないが……これ以上、心の傷を負わせる訳には……〕

――――実の母。幼馴染。宿敵……そして今し方、半分だけ雄一と同じであると可能性を匂わせた神士。

三人の命と引き換えに彼を助けた所で、彼は少しも喜ばないだろう。自分を恨んでくれるならまだ良いが、彼の性格から考えて、誰も責めず一人で傷を抱えてしまう可能性が高い。

あの聖泉森での時の様な事は、もう『神龍』は勘弁だった。だからこそ悩み、答えが見つからない。――――今、一体どうすればいいのか……自分の成すべき事が。

「フフ、『覇王剣士』と言えども、人の最期とは呆気なく惨めな物だな。さて、これ以上苦しめるのは親として忍びない……やれ」

嘲笑と冷徹さの混じった声で、義長が『新獣』に命令する。すると次の瞬間、『新獣』の殺気が強まるのを『神龍』は感じ取った。

〔!?……っ、チキショウ!!〕

――――もう躊躇している時間は無い。全てを失ってしまうよりは、せめて救える命だけでも救いたい。

そう思った『神龍』は、実体化するべく意識を集中させる。だがその刹那、感じ慣れた気配に気づき、驚いて入り口のドアを見た。

〔っ、これは……『邪龍』!?〕

そんな『神龍』の問いに答える様にドアが開かれ、満身創痍の繚奈が『紅龍刃』を手に突撃してくる光景が、彼の眼に映った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――光美を悲しませる訳にはいかない。だから助ける。

部屋の中の光景を眼にした瞬間、繚奈を支配したのはそんな気持ちだった。

因縁の相手を拘束し、食らいつくそうとしている黒い獣。彼女は奴に向かって『紅龍刃』を振り上げると、躊躇い無く『瘴魔波刃撃』を放つ。

既に疲労しきっている今、その威力はベストの状態から程遠かったが、元より注意を逸らすのが目的だったが故、特に問題は無かった。

「グアアッ!?」

不意打ちに気づいた獣が自らに迫ってくる黒い波動に気づき、雄一を乱暴に振り飛ばしながらそれを凝視した。

「うあっ……」

苦しげに呻きながら雄一が尻餅をつき、同時に繚奈の耳に「ほう……」と微かに義長の呟きが聞こえる。

だが、今はどちらにも気を取られている訳にはいかない。彼女は意識して、紅い獣のみに全神経を集中した。

獣は身の危険を感じたのか、後方に飛び退き『瘴魔波刃撃』を回避する。しかしそれは、繚奈にとって計算通りの動きだった。

彼女はすぐさま先回りして獣の背中を取ると、頭部を『紅龍刃』で貫く。けれどもその際に伝わってきた感触を不思議に思い、眉を顰めて一瞬逡巡した。

(?……何、この手応え……?)

肉を貫いた感触は有る。だが、脳や頭蓋骨を貫いた感触が全く無いのだ。無論、それは動物として極めて不自然な事である。

この獣が『幻獣』でない事は、吹き出す大量の血が証明している。まさか血肉は有るが、骨や内臓が無いという生物という事なのだろうか? 

にわかには信じられない事だったが、ふと繚奈の脳裏に双慈との会話が蘇る。――――彼から聞かされた『新型の神獣』の話が。

(もしかして、こいつが?……っ!? な、何!?)

不意に獣の頭部を貫いている『紅龍刃』に、何かに纏わりつく感触が手に伝わってきた。それに対して反射的に『紅龍刃』引き抜こうとした繚奈だったが、まるでビクともしない。

焦りを覚え、乱暴に柄を引っ張る彼女の身が、突如として宙を舞う。頭部を貫かれたのにも拘らず絶命していなかった獣が、大きく頭を振った反動で繚奈を振り飛ばしたのだ。

「きゃああっっ!!」

〔り、繚奈!〕

珍しく狼狽えた調子の声で『邪龍』が叫ぶ。双慈との戦いでの傷がまるで癒えていない今の繚奈では、満足に受け身を取る事も出来ないと思ったからだ。

そんな『邪龍』の懸念は、すぐに現実の物となった。繚奈は勢いに耐えきれず、獣に突き刺したままの『紅龍刃』から手を放してしまい、そのままもんどり打って床に叩きつけられる。

弾みで彼女の懐から双慈の持っていた二つの神器が零れ落ち、それを眼にした義長が一瞬眉を顰めた後に口を開いた。

「む、それは……成程、双慈は敵わなかったのか。しかし、わざわざ来てくれたのは嬉しいが、もう満身創痍じゃないか繚奈君。

 それでは、こいつの相手は務まらないよ。残念だ。どうせなら万全の状態で私の『作品』の出来栄えを実感してもらいたかったが……」

「さ、作品?……何を言って……?」

思う様に身体が動かない中、何とか顔だけを起こした繚奈は、義長を見やる。そんな彼女に、奴は面倒だと言った表情を浮かべて見せた。

「ふう、また雄一君と同じ様に説明しなければならないか。私の作品である『新獣』と『新士』について」

「っ!……そうか、こいつが『新獣』……」

「うん? 何故その事を……そうか、双慈から聞き出したのだね? いかにもその通り。それは君達と神化している『旧式』の神に代わる存在。私が新たに世界に誕生させた『作品』だよ」

(……こいつ……!!)

如何にも誇らし気に語る義長に、繚奈は生理的不快感を覚える。

奴のした事を全て知っている訳では無い。だが双慈から聞かされた話が真実味を増した今、彼女は義長に対して激しい怒りを感じずにはいられなかった。

――――手前勝手に生命を弄び、道具の様に使い捨てる行為。

神士であると同時に一児の母である繚奈には、それは悪魔の所業と言っても差し支えなかった。

彼女は我武者羅に身体を動かして強引に立ち上がると、威嚇の姿勢を取っている『新獣』、次いで義長を睨みつけながら叫んだ。

「自らを創造神とでも名乗るつもりか!? バカげた事を! 貴様がやっている事は、生命に対しての冒涜だ!! 私は……私は決して許さない!!」

「…………」

繚奈の怒号を聞き終えた義長の顔から、一瞬全ての感情が消える。だが、それも束の間、奴は憤怒の色を露わにした顔で、吐き捨てる様に言った。 

「ちっ、やはりあの女の娘か。揃いも揃って私を侮辱して……」

(?……あの女の娘?……っ!?)

その言葉に引っ掛かりを覚えた繚奈だったが、次の瞬間、全身に強い衝撃を受けて前のめりに倒れ込む。

辛うじて両手をついて床に激突する事は免れたものの、まるで自身の周りの重力だけが急激に強くなった様で、疲労も手伝い一切の身動きが出来なくなってしまった。

一体何事かと思った繚奈が無意識に前方を見やると、不気味に両眼を光らせている『新獣』の姿が視界に入る。これが奴の仕業だと理解した刹那、ふと彼女にある記憶が蘇った。

(この感じ……あの時に戦った奴と似ている……!?)

――――半月程前、森の中で戦った正体不明……いや、今では義長の『作品』であったと理解できる神士。暫くの間、立て続けに現れた襲撃者達の一番手。

奴の西洋刀を受け止めた時、これと似た様な物に襲われたのを、繚奈は覚えている。強さの度合いは段違いであるが、『重さ』が襲ってくる点は全く同じだ。

しかし、その事について深く考えていられる状況では無かった。コツコツと靴を鳴らす音が耳に入り、繚奈はハッとして義長が自分に近づいてきている事に気づく。

奴はこちらへと歩を進める傍ら、床に落ちていた双慈の二つの神器を拾い上げる。そして、その一方――『鵺』の神器を軽く振るうと、繚奈の耳にあの不快な『鳴き声』が響いた。

「ぐ……そうか、貴様……自分自身も……」

「如何にも。尤も、私は双慈に比べれば明らかに失敗作……精々、君相手にテストをした、あの連中と同じくらいの性能しか無いがね」

「っ!!」

その義長の言葉に、繚奈はまたしても怒りを覚える。

あの連中は確かに敵だった。そして奴らが無理やり義長によって造りだされたのか、或いは自ら志願して『新士』とやらになったのかは分からない。

けれど、そんな事はどちらでも構わない。ただ人を、まるで作品の様に扱っている事……それが彼女の怒りに火を点けているのだった。

「貴様は本当に……人の命を何だと思って……ううっ!!」

「往生際は静黙な方が美しいよ、繚奈君」

更に増した衝撃の重さによって、宛ら罪人が許しを乞うかの如く頭を差し出した繚奈の目前で、義長が『鵺』の神器を振り上げる。

その様子を見た『邪龍』が、半ば悲鳴交じりの声で繚奈に向けて叫んだ。

〔危険です繚奈! 早く回避を!!〕

(……ゴメンなさい、『邪龍』……それは無理だわ)

繚奈は懺悔じみた口調で、パートナーに返事をする。

彼女とて『邪龍』に言われるまでもなく、このままでは殺されてしまう事は理解していた。

しかし『紅龍刃』も無く、身動きも封じられているこの状況で、回避も防御も出来る訳が無い。諦めは悪い方であるが、それにも限度と言う物が有る。

今の自分に出来る事は、精々最期に義長に一矢報いる事ぐらいだろう。そう判断した繚奈は、残っていた神力を右手に集中させた。

(何とか少しでもダメージを与えて……後は癪だけど、あいつに任せるしか……)

「さてと……それではお別れだ」

頭上高く掲げた『鵺』の神器を両手で握りしめ、義長が静かに呟く。

「さらばだ、繚奈君。私の作品でありながら私の作品を侮辱した事を、あの世で悔むのだね」

(……?)

意味不明な奴の言葉に、繚奈は呆然として動きを止める。そんな彼女に、無情にも『鵺』の神器が振り下ろされた。

刃が迫りくる最中、我に返った彼女だったが全てにおいてもう遅い。最期の抵抗もままならず、繚奈はただ自らを死へと導く一閃を凝視する。

――――……だが、正にその刃が視界一面を覆う刹那、見慣れた人影が彼女の眼に飛び込んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「っと……!」

「!? お前……」

「……驚いたな。まだ動けたのかね?」

『鵺』の神器による一太刀を『龍蒼丸』で防いだ雄一に、義長は僅かに息を呑んだ仕草を見せる。そんな奴に対して、雄一は笑みを浮かべつつ言った。

「これでも、『覇王剣士』なんて大層な二つ名で呼ばれてる身なんでね! あの『新獣』共々、倒しきれてない俺から注意を逸らしたのは愚策だったな!!」

「ふむ、確かに。繚奈君の方に気を回しすぎていた様だな。まさか君が神器を拾っている事にすら気が付かなかったとは……だが、所詮は強がりではないかね、雄一君?」

「!? ぐ……」

義長がそう呟いた直後、不意に奴の握る『鵺』の神器に力が込められ、均衡状態であった鍔迫り合いの体勢が崩れる。

怪我の為に満足に力の出せない雄一の眼前に、二つの刃が徐々に迫ってくる。何とか押し返そうとするもままならず、彼は苦しそうに呻きながら片膝をついた。

悔しいが、義長の台詞は当たっている。唯でさえ神力の酷使により体調が最悪な上に、『新獣』のよって付けられた傷も全く癒えていないのだ。

しかし、それでもまだ身動きは出来る。だからこそ繚奈を守らなければならないと、雄一は必死になっているのである。

――――確かめた訳ではないが、自分と半分だけ……忌まわしい血ではあるが、同じ血を引いている可能性の有る彼女を。

「まあ良いだろう。我が子に引導を渡すのもまた、親としての務め。繚奈君共々、私が直々に人生の幕を下ろしてあげよう」

「だから……貴様が俺の親を名乗るなっ……ての!!」

「現実は受け入れるべきだよ、雄一君」

皮肉交じりに言った義長が、不意に『鵺』の神器から右手を離す。途端、その掌に黒球が出現したのを見て、雄一は肝を冷やした。

見覚えが有る。『新獣』と戦う前、奴が見せた『とある神の力』と説明した物だ。一瞬で壁を崩壊させたあの光景から考えて、かなりの威力が有ると見て間違いないだろう。

今の状態で直撃を貰えば致命傷になりかねない……そう判断して回避しようと雄一だったが、それよりも先に義長が動いた。

「お別れだ。中々有意義な実験だったよ、雄一君」

「……っ!!」

軽く引かれた奴の右手が押し出され、黒球が雄一に向けて放たれる。だがその刹那、彼の眼に思いがけない物が飛び込んできた。

「!?」

「がっ!?……なっ……!?」

義長の左胸から、見覚えの有る波状の刃が突き出し、噴出した奴の血が雄一の頬へと飛び散る。

一体何事かと眼を見開いた雄一の視界に、予想外の出来事に驚愕の色をありありと浮かべている義長の顔が映った。

致命傷を負った奴の右手から黒球が消え去り、左手から『鵺』の神器が零れ落ちる。反射的に雄一はそれを拾い上げると繚奈を庇いつつ後方へと飛びのいた。

そして彼は、義長を仕留めた張本人が誰かを知る。そう、あの二つの神器を持つ少年――義長が『双慈』と呼んでいた少年が、奴を不意打ちしたのだ。

まだ幼い少年が、初老の男に無表情で刃物を突き立てている光景は、何処か現実味が無く且つ凄惨足るものを感じさせる。

故には雄一は……恐らくは繚奈もだろう。二人から距離を離したはいいものの、それから動くも喋る事もせず、義長と双慈をボンヤリと眺めた。

「そ……双慈?……なん……の真似……だ……?」

「何故裏切った、とでも言いたいんですか? 僕は貴方の部下や手下になったつもりはないんですけどね、義長さん」

淡々とした口調で皮肉を返した双慈は、言い終えると同時に義長から刃――繚奈が落とし、義長が拾わなかった神器のクリスを抜き取る。

同時に義長の身体がグラリと傾き、奴は前のめりに床へと倒れ込み、程無く動かなくなる。それを見て、ようやく我に返った雄一は、上擦った声で双慈に言った。

「き、君! 何を……」

「第一声がそれ? 助けてあげたんだから、まずは礼を言うのが筋じゃ……っ?」

鼻で笑いながら肩を竦めた双慈だったが、突然眼を閉じて口を半開きにしつつ、その場に膝をつく。

そのまま荒い呼吸を繰り返し始めた彼に、雄一は何が起こったのか理解できず言葉を失う。その傍らで、繚奈が焦った声を響かせた。

「っ、バカ……唯でさえ危険な状態だったのに、神器を使ったりするから!」

「危険な状態? それは……って、ヤバイ! まだ……ん?」

繚奈の言葉は気になったが、まだ『新獣』が残っている事を思い出した雄一は、慌てて奴が襲ってくると考えて『新獣』に注意を向ける。

しかし何故か奴は身動ぎ一つせず、たた静かに佇んでいるだけだった。不気味に光らせていた両眼も閉じられ、唸り声を上げて鋭い牙を見せていた口も塞がれている。

まるで動力を切られた機械の様なそれは、頭部に突き刺さったままの『紅龍刃』もあって異様と表す他無い。不安を覚えた雄一は、咄嗟に『神龍』に尋ねた。

(『神龍』……どうして奴は動かないんだ? それにさっきも……あの子に気が付かなかったのか? 『主の身を守る』とかいう『本能』をプログラムしたって話だっただろ?)

〔さてな。大体、それは義長から聞いただけで確かめた訳じゃないだろ? 全部が全部、本当だなんて保証は何処にも無い。思うに、あれは奴のハッタリだったんじゃないか?

 実際の所は、奴が死ぬと同時に活動を停止する様にプログラムされていたとか、いくらでも考えは浮かうぶ。とりあえず気は消えているし、安心して良いと俺は思うぞ〕

(っ……そうか)

『神龍』の判断は確かに妥当だと思った雄一は、曖昧に頷く。現に人形の様に動きを止めている『新獣』を見れば、そう考えても何ら不思議は無い。

けれども彼は、どうにも嫌な予感が頭から離れず、胸騒ぎを抑える事が出来ずにいた。

――――これで終わりでは無い。

言い表せない何かでそう感じた彼は、徐に自分と同じくらい傷だらけの繚奈に顔を向ける。

「とにかく、一刻も早く此処を出た方が良さそうだな」

「ああ。この『天上の庭』や、1階に有った機械……恐らくはあれも『天上の庭』の亜種だろう。あれの事は気がかりだが、破壊している体力も神力も無いしな。お前もそうだろう?」

同意を求められ、雄一は無言で頷く。正直、外傷はともかく身体の調子は彼女よりも遥かに悪いと彼は思っていた。

出来る事なら一刻でも早く休みたい。そんな気持ちを押し殺しながら、雄一はふと繚奈の言葉に引っ掛かりを覚え、彼女に尋ねた。

「?……あんた、何処で『天上の庭』の……ああ、そうか。その子に聞いたのか」

「そういう事だ。他にも色々な事が聞けたから、今後の対策も考えなければならない。面倒だろうが、すぐにまた忙しくなるぞ」

「っ、それはまた大変な事で。……動けるかい?」

「人の心配が出来る身か。お前よりはずっと楽だ」

どうやら相当苦しい表情をしていたらしい。繚奈は雄一の顔を眺めながらそう言うと、ボロボロの身体を引き摺る様にして『新獣』に歩み寄り、自らの神器である『紅龍刃』を抜き取る。

そんな繚奈の動作に対しても、『新獣』は反応する様子は無い。――――やはり『神龍』の言う通り、死んだと考えて良いのだろうか?

悩む雄一を尻目に、彼女は『紅龍刃』を鞘に納める。そして今度は双慈に近づくと、忙しない呼吸を繰り返している彼を抱き上げた。

その行為に双慈は一瞬驚いた様子で眼を見開いたが、すぐに力無い笑みを浮かべる。そして苦しそうに口を開くと、声に成らぬ声を出した。

「あ……う……」

「っ、かなり容態が悪化しているな。まあ、あんなに神力を酷使すれば当然か」

「あんなに?」

「それも神連に戻ったら説明してやる。とにかく、私はこの子を運ぶ。光美とお前の養母さんは任せるが、構わないな?」

「……養母さん、か……」

「?……どうした?」

「えっ? あ、いや、何でも無い」

『養母』という言葉に無意識に反応してしまった雄一を、繚奈は怪訝そうな眼を向ける。しかし彼は軽く頭を振って誤魔化すと、倒れている義長へと歩み寄り、身を屈めた。

徐に手を伸ばし、脈を測る。すると予想通り、既に止まっていた。少なくとも肉体において、奴は普通の人間と変わらなかったに違いない。

先程までの尊大な態度とは裏腹な、あまりにも呆気ない最期。それは皮肉にも、奴自身が言っていた言葉通りの結末だった。

けれど雄一は、特に悲しいとは思わない。ただ胸の奥に大きな穴が空いた様な、虚無感を覚えるだけだった。

仮にも自分の父親……少なくとも、今はそう考えるしかない男の死ではあるが、実感がまるで無いからだろう。そんな彼だったが、ふと好野の事を考えると、申し訳ない気持ちになった。

―――あの日記の内容、そして義長の言葉は正しければ……彼女が一度でも愛した男の死体が、眼前に転がっているのだから。

(…………)

〔雄一。色々と辛いだろうが、今は早く……〕

(ああ、分かってる)

気遣う『神龍』の言葉に頷きつつ、雄一は『龍蒼丸』を鞘に仕舞う。が、ふとある疑問が脳裏に浮かび、出入り口へと歩き出していた繚奈を呼び止めた。

「なあ、ちょっといいか?」

「何だ? つまらない用なら後で……」

「いや、つまらなくは無いと思う。あんた一体、どうやって此処に入ったんだ? セキュリティは多分生きてたと思うが?」

その雄一の言葉に歩みを止めた繚奈は、少しだけ沈黙を保った後、僅かに彼へと顔を向けつつ淡々とした口調で答える。

「さてな。具体的には私にも分からない。ただ、お前と同じく掌を乗せたらドアが開いたんだ」

「っ! そうか。という事はやはり……」

「やはり?」

「……何でも無い。気にしないでくれ」

尋ねてきた繚奈に、雄一は呟く様な声でそう返す。それが今は最良だと思ったからだ。

好野の事とは違い彼女の事は、義長の言葉しか手掛かりが無い事。下手に言えば混乱を招くだけなのは眼に見えている。

いや、それ以前に、彼はこの事を話したくはなかった。理由は単純で、怖いからである。一体どういった反応を彼女がするのか、分からなくて怖いからだ。

眼を瞑ったままでいられる事柄では無い。それは理解できる。

――だが、それでも……いや、だからこそ、せめて今は話したくない。

悩み、暗くなる気持ちを抱えつつ、雄一は一瞬だけ眼を伏せた後、視線で繚奈に話が終わりだという事を告げる。

その合図はしっかりと伝わったらしく、彼女は再び出入り口へと歩き出す。その後を追って、雄一もまた歩き出した。

――――しかしその歩みを嫌でも止める出来事が、ほんの数秒後に彼らを襲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは全く突然の事だった。部屋中にけたたましい警告音が鳴り響き出し、雄一も繚奈も驚いてその場に立ち止まる。

反射的に周囲を見渡した二人は、すぐに発生源に気づいた。『天上の庭』が、いきなり暴走したかの様に稼働し始めたのである。

一体何が起こったのか分からずに呆然としていた雄一だったが、すぐにある考えに行き付き、義長の死体を凝視する。

――――まさか、自分の死と連動して何かを作動する様に……?

彼のそんな懸念は、『神龍』の切羽詰った叫び声で現実の物となった。

〔!!……ヤバい、雄一! 奴が……!〕

「っ!?」

焦りに焦った相棒の言葉は肝心な部分が抜けていたが、それでも雄一は内容を理解する。慌てて納刀していた『龍蒼丸』に手を掛けたが、それよりも早く事態が動いた。

彫像の様に沈黙していた『新獣』の眼が突如として開かれ、雄叫びを上げる。瞬く間に息を吹き返した奴は、大きく口を開くと、これまで以上に巨大な火球を放った。

赤黒い炎を纏った塊は雄一の真横を突っ切り、双慈を抱えたままの繚奈へと迫る。『紅龍刃』を納刀し、更には子供一人を運んでいる彼女が迅速な回避行動をとれるとは思えない。

そう思った雄一は『水龍氷蒼斬』を放とうとするが、既に火球は繚奈の眼前にまで迫っていた。

彼女が必死の形相で回避しようとしたが、やはり身体がついていかなったらしく、また双慈を庇った事も手伝ってか、直撃こそ免れたものの炎と熱風を浴びて苦痛の呻きを発しながら倒れ込む。

「あう……!」

「! 大丈夫か!?」

〔待て! 来るぞ!!〕

「!!」

心臓に冷や水を掛けられた様な気分になり、繚奈に駆け寄ろうとした雄一だったが、『神龍』の制止にハッとして意識を『新獣』に向ける。

すると奴は、今度はこちら目掛けて火球を放とうと大きく頭を振っていた。雄一は素早く『龍蒼丸』を抜刀して構えたが、そんな彼に『神龍』が叫ぶ。

〔雄一、奴に構うな! 早く『天上の庭』を……!!〕

(っ……悪い。そうだったな……!?……くっ!)

ほんの少しな会話だったが、『新獣』はその隙を見逃さず、雄一に向けて火球を放つ。

次の攻撃に備える為、出来る限り神力を消耗させたくなかった彼は、『水龍氷蒼斬』を放たず身を転がして火球を躱す。

直後、手で床を押して中空へと舞い上がると、雄一は『龍蒼丸』に神力を注ぎ込んだ。瞬間、猛烈な眩暈と頭痛、更には吐き気を感じたが、それらは強引に我慢する。

(ツケは後で払う! だから……もう少しだけ頑張ってくれ、俺の身体……!)

心の中でそう念じる彼の持つ『龍蒼丸』が、突如として稲光を帯び始める。派手な音と共にその稲光は次第に数を増していき、やがて放電現象の様な激しさとなった。

それを見た雄一は、準備が整った事を理解する。ふと『新獣』の方を一瞥すると、奴がこちらを睨みつけているのが眼に入った。恐らく、例の不気味な光による力を使おうとしているのだろう。

だが彼は既にそれを妨害する術を知っている。素早く左手に神力を集中させ、『新獣』に向けて小粒氷の雨を見舞う。

直撃を受けた奴が両目を閉じたのを確認すると、すぐさま『天上の庭』へと急接近し、帯電した状態の『龍蒼丸』を振り翳した。

「はああっ!!」

――――『神牙一閃流・天龍雷鳴斬』

その名の通り稲妻の如き雷光を纏った一撃を放つ、雄一の技の中で、あの禁忌としている技を除けば『地龍金剛斬』に次ぎ殺傷力の高い技である。

無論、元から電撃に弱い機械の類を破壊する等、造作も無い事であった。

『天上の庭』に剣閃が刻み込まれ、そこから無数の電光が飛び散ると、やがて明らかにシステムに異常をきたしたであろう誤作動音が、周囲に響き渡る。

「やったか!?」

〔ああ。こっちは恐らくこれで……っ!?〕

「!! な、何だ……?」

『神龍』の言葉を遮る様に、突如として悍ましい鳴き声が雄一の耳を打つ。一瞬『鵺』の鳴き声かと思ったが、それとは違い、ハッキリと聞こえてくる方向が分かった。

そう、『新獣』の方からである。彼が『新獣』を見やると、今まで斬ろうが何をしようが平然としていた奴は、凄まじく苦しそうにのたうち回りながら鳴き声を上げ続けている。

――――やはり『神龍』の考え通り、『天上の庭』と『新獣』は密接な関係が有った様だ。

ボンヤリとそんな事を思いつつ、雄一は暫く『新獣』を眺める。奴の身体が次第に崩れていくのを眼にし、もう長くは無いだろうと判断したが故の事だった。

しかし直後、それが大きな過ちであった事に気づかされる。

それまでのたうち回るだけだった『新獣』が、少しでも苦しみを和らげようとしてか無茶苦茶に暴れ始めたのだ。

唖然とする雄一には眼もくれず、奴は突然走り出したかと思えば壁に頭をぶつけ、肉片と血を飛び散らせる。それに絶叫し、更に身体を崩れさせつつ口から火球を連続で放つ。

先程よりも幾分か小さくなっているとはいえ、未だに十分な破壊力を持っていた火球は、部屋内の彼方此方にぶつかると壁や床を破壊していく。

その矛先が倒れたままの繚奈と双慈へと向けられるのに、然程時間は掛からなかった。

「!!……ヤバイ!」

我に返り二人を助けようとした雄一だったが、既に『新獣』は火球を放つ体勢に入っている。

例え『水龍氷蒼斬』で放たれた火球を防いだ所で、二発、三発と続けられたら、こちらが持たないだろう。となれば方法は唯一つ。素早く奴を仕留める以外に無い。

けれども、いくら奴が瀕死の状態とはいえ、再生能力がまだ機能している可能性も否定できず、雄一は手段に迷った。

(どうする?……っ……ええい! もう時間が無い!!)

一瞬の逡巡を断ち切ると、雄一は『龍蒼丸』を強く握りしめる。すると刀身が蒼い光に包まれ出し、それを見た『神龍』が驚愕の声を上げた。

〔!? よせ、雄一! 今の状態で『森羅滅刃』は……!〕

(構ってられるか!!)

相棒の制止を一蹴し、彼は躊躇い無く『龍蒼丸』を両手で頭上に掲げると、益々悪化していく身体の不調を振り払うかの如く叫んだ。

「これで……終わってくれええ!!」

絶叫と共に振り下ろされた『龍蒼丸』から、三日月状の蒼い波動が放たれる。それは寸分の狂いも無く『新獣』へと迫り、正に奴が火球を放つ刹那、その胴体を切断した。

途端、『新獣』は耳を劈く程の声を上げる。それは今まで聞く事の無かった声――悲鳴だった。暫くの間、奴は……奴の上半身はそんな悲鳴を上げ続け、やがて動かなくなり沈黙する。

その様子を見た雄一は、今度こそ倒したのだと確信したが、それでも最悪の事を考えて数秒間『龍蒼丸』を構えた状態を維持していた。そんな彼に『神龍』が言う。

〔……大丈夫だ、雄一。奴からはもう、何も感じない〕

(本当か?)

〔ああ〕

(そうか。ふう、やっと終わった……っ!?)

〔!! 大丈夫か!?〕

(平気……とは言えないな)

安堵し、軽く息を吐いた瞬間、雄一は世界が歪む感覚に陥る。すぐに神力の酷使によるものだと気づいたが、だからといって事態が好転する訳でも無い。

彼は何とか地上へと降り立つと『森羅滅刃』を解除する。その際に生じた凄まじい倦怠感と熱に魘されながら、彼は身体を引き摺る様にして倒れている繚奈と双慈へと近寄った。

どうやら先程の『新獣』の攻撃で気を失ったらしく、揃って眼を閉じている。けれども微かにだが確かに聞こえてくる呼吸が、二人が生きている事を証明していた。

(良かった。最悪の事態は避けられ……!!)

急激に不快感が胸元から喉元へと這い上がってくるのに、雄一は慌てて口元を手で抑える。

そのままの状態で何度か激しく咳き込み、不意に治まった時に自らの掌を見ると、そこには真っ赤な血が付着していた。

初めての症状に、彼は自分が相当無理をした事を悟る。その瞬間に再び世界が歪み出し、もう限界が来たのだと理解した彼は、残った力で繚奈と双慈の上に倒れ込まない様に身体を動かした。

その間にも、徐々に意識は薄れていく。床へと身体を預ける僅かな時間の中で、雄一は最後に『神龍』に言った。

(悪い、『神龍』……当分、起きられそうにな……い……)

〔雄一! しっかりしろ! 雄…………〕

遠ざかっていく相棒の声を朧気と聞きながら、彼は無意識に眼を閉じる。直後、彼は全てが真っ暗になるを感じ、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――これが、後に『新神(しんじん)革命』と呼ばれる事件の、最重要記録である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

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