第二十七章〜過去の清算〜

 

 

 

 

 

……。

…………。

――――東暦1999年3月26日午後1時。

コンコンと玄関のドアがノックされる音が聞こえ、繚奈は荷造りの手を止めた。同時に来客が誰かを瞬時に察し、会う約束をしていたかと記憶を巡らせる。

しかし、それも束の間、どうせ応じない理由等無いと思い直し、やや急いで玄関へと向かう。「ちょっと待って」と言いながらチェーンと鍵を外し、ドアを開けると予想通りの顔がそこには有った。

「光美じゃない。どうしたの? 今日は特に約束とかして……無かったわよね?」

言いかけながら自信が無くなっていくのに気付き、繚奈は少々不安そうに光美に尋ねる。すると光美は、はにかんだ笑みと共に頷いた。

「うん。ちょっと近くまで来る用事が有ったから、そのついでに寄っただけ。どう? 引っ越しの方は?」

「ええ、順調よ。そんなに大した荷物も無いしね」

繚奈はそう答えながら、軽く部屋内を指差してみせる。その先にはいくつかの段ボールと、荷造りされた家具が散乱していた。

その量は彼女が一人暮らしとはいえ、引っ越しの荷物としてはかなり少ない部類に入る。

お洒落に興味が無い為に衣類の量が然程でもなく、特に趣味も無く嗜好品の類も持っていない繚奈らしいと言えばらしいのだが。

「あ、本当……あれ? 電化製品とかは?」

「良い機会だから、処分して新しいのを買う事にしたのよ。そっちの方が、荷物も減って楽だしね。……あ、上がってく? お茶ぐらいしか無いけど」

「本当? じゃあ、お邪魔させて貰おうかしら。あ、お茶なら私が入れるから。繚奈は休んでて良いよ。身体に障るでしょ?」

まるで病人や怪我人を労わるかの様な光美の物言いに、繚奈は思わず苦笑する。気遣ってくれるのは嬉しいのだが、妙な恥ずかしさの方が上回る気がし、彼女は軽く手を振って見せた。

「大丈夫よ、光美。この時期はね、少しでも運動した方が良いんだから。お客様は、行儀良く待っててちょうだい」

「そうなの? じゃあ、お言葉に甘えるけど……気分が悪くなったりしたらすぐに言ってよ? いざとなったら、救急車を呼ぶから」

「もう、光美は心配性ね。大丈夫よ、大丈夫。ほら、上がって上がって」

心配で仕方が無いといった様子の光美を手招きし、部屋に上がらせる。と、その時、自分の腹部で動きが起こったのを感じ、思わず手を当てて軽く息を呑んだ。

それを見た光美が一瞬怪訝そうな顔をした後、すぐに表情を輝かせて「動いたの?」と尋ねてくる。つられる様に笑みを零した繚奈は、軽く頷いて見せる。

すると光美は、忙しなくこちらの顔を腹部に視線を行き来させながら、物言いたそうな顔を浮かべた。あまりにも分かりやすい彼女の挙動に、繚奈は穏やかな溜息と共に口を開いた。

「触ってみる?」

「っ……じゃあ、ちょっとだけ……あっ!」

光美が躊躇いながら繚奈の腹部に触れた途端、それが合図であったかの様にまた動きが起こる。驚いた光美が手を離し、繚奈は思わず吹き出してしまった。

「クスクス、そんなにビックリした?」

「そ、そりゃするわよ。……繚奈は慣れっこって感じね」

「まあね。勿論、最初は光美みたいな反応もしたけど……今は逆に動いてないと心配なぐらい」

「そっか……すっかり、お母さんだね、繚奈は」

「……上に『ダメな』がつくかもしれないけどね」

不意に繚奈は表情を曇らせる。

――――精子バンクを利用した、人工授精による妊娠。

本当なら、もう少し後――高校を卒業してから行う予定だったのだが、ある理由で既に今、自分は身重の身体となっている。

それは精子バンクの都合上、とでも言うべきか。希望であった『異常をもたらす遺伝子が一切無い』精子が、今の時期を逃すと当分は提供できないだろうと告げられたからだ。

どうやら繚奈が考えていた以上に、世の中にはシングルマザーを希望する女性が多いらしい。それ故、優秀なドナーの精子……即ち、優秀な子供となる可能性を秘めた精子は凄まじい需要性が有るらしかった。

無論、彼女もある程度その辺りの予想はしていたが、それはあくまで外見や学歴等……要するに能力の話だと思っていた。実際、そういった高い能力を持つドナーの精子に需要性が有るのも確かだった。

しかし、一番需要性が高かった精子は、繚奈の願う精子だったのである。当然と言えば当然だ。どんな母親だって、産んだ子供には健康でいて欲しいだろう。

一人のドナーから提供出来る精子の数には国の法律で制限が課せられており、またドナー自体の供給率も高いとは言えない為、そんな精子は競争率が激しいというのが現実であった。

重要な事を見落としていた繚奈は自分の浅はかさを悔んだ。けれども、まだ間に合うと言われ、それならばと決行に踏み切ったのが去年の初秋頃である。

人工授精自体は、全く問題が無く成功した。神士としての活動の方も、所属する刀廻町の神士連合は承諾してくれた。『邪龍』も、あまり良い顔はしないものの反対はしなかった。

問題は高校生活だった。元より大学に進学するつもりは無かったものの、やはり卒業まで後少しという時期に中退というのは、少々の躊躇いが有ったのだ。

暫く悩んだ繚奈だったが、結局高校には事情を伏せて中退する事を選んだ。全ては生まれてくる子供の為。少しでも負担を減らし、健やかに誕生してくれる事を願っての事である。

(だけど……本当にこれで良かったのかしら?)

後悔はしていないつもりだった。けれども、不安は常に絶えなかった。

―――神士として活動しつつ、母親を務める事が出来るだろうか? 父親がいないという事実が、子供にとって深い傷にならないだろうか?

どうしたって、そんな疑問が頭から離れる事は無く、それが時折彼女に弱音を吐かせる原因となる。先程光美に対して呟いた言葉も、それから来るものだった。

「繚奈」

少し強めの口調で名を呼ばれ、繚奈はハッとして光美を見る。すると、珍しく硬い表情をした彼女の顔が眼に入った。

「気持ちは分かるけど……なんて傲慢な事は言わないけどさ、あんまり暗くならない様にしなきゃ。でないと、きっと赤ちゃんに良くないわよ」

「っ……そう、よね」

光美の言う通りだ。妊娠中は出来る限り、ストレスやネガディブな思考は避けなければならない。そういった物が胎児に悪影響を及ぼすのは、科学的にも証明されている事だ。

分かっている。分かってはいるが、それでも時折心がそういた物に苛まされてしまう時がある。丁度、今の様にだ。

その度に繚奈は、誰かが声を掛けてくれる事がどれ程救いになるかを知る。同時に、そんな誰かが自分にいる事の尊さも。

「確かに、ちょっと暗くなってたかも……ありがとう、光美」

「な、何よ急にお礼なんて。あ、そうそう。赤ちゃんの事だけど、もうどっちか分かったの?」

照れを誤魔化す為か、光美は唐突に主語の無い質問をしてくる。だが繚奈は、彼女が何を尋ねているかをしっかりと汲み取り、小さく頷いて見せた。

「この前の検査で判別出来たわ。男の子だって」

「男の子かあ。名前はもう……って流石にまだよね」

「ううん、もう決めてあるわ」

「え、本当!? 何々? 何て名前?」

眼を輝かせて迫ってきた光美に、繚奈は少々たじろぐ。

「そ、そんなに興味有るの? 私の子供の名前?」

「当たり前でしょう? 親友の赤ちゃんなんだもん! 私も一杯可愛がってあげたいし」

「っ……そっか。そうよね……」

「?……繚奈?」

「あ……ゴメン、何でも無いわ。で、ええっと、この子の名前よね……」

不意に感じた胸の痛みを押し殺し、繚奈は慌てて笑みを浮かべながら腹部に両手をあてる。

そして、光美が変な疑問を持つ事を防ぐ為に、自分が考えた子供の名を素早く口にした。

「いくつか考えたんだけど、この子の名前は……」

……。

…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――東暦2000年7月14日午前10時。

「輝宏……っ!?」

息子の名を口にした繚奈は、その弾みで眼を覚ました。同時に自分が今まで夢を見ていた事を悟り、現実の自分が何処に居るのかを把握しようと意識する。

まず視界に入ったのは、真っ白な天井だった。次いで視線を下に向けてみると、自分が天井と同じく真っ白なシーツを被っている事に気づく。

それらから導き出された結論――此処が病院だという事を理解した彼女の耳に、二人の人間の声が飛び込んできた。

「! まーま!」

「繚奈? 気が付いた?」

「!……輝宏……光美……」

顔を横に向けてみると、不安の色を顔一杯に浮かべた輝宏と、彼を膝の上に乗せた光美の姿が眼に映る。

反射的に上半身を起こそうとした繚奈だったが、その途端激しい痛みを全身に感じて動作を中断すると苦しそうに呻いた。

「う……」

「まーま!」

「繚奈、無理しないで。酷い怪我なんだから」

「……みたいね……」

徐々に蘇る記憶を辿りながら、繚奈は頷く。同時に身体が疲労感と倦怠感覚え始め、彼女は何気なしに片腕を額に当てた。

――――神士なら誰しも一度は経験する、神力を酷使した際の悪状態。

そんな好まずとも慣れ親しんでいる苦痛に苛まされている繚奈に、彼女のパートナーが声を掛けた。

〔随分と深い眠りでしたね。まあ、ある意味当然とも言えますが〕

(……『邪龍』……)

傍らにいる二人に不審に思われない様に、繚奈は表情を変えぬまま、心の中で『邪龍』に尋ねる。

(私は、どれくらい眠ってたの?)

〔日数にして七日。ほぼ一週間丸々ですよ〕

(そんなにか……それだけ休んでてもこの状態って事は、相当無茶してしまったみたいね、私……! そう言えば……)

不意に繚奈は、自分と同じく此処にいる筈の三人の事を思い出し、軽く視線を彷徨わせる。

そんな彼女に『邪龍』は口を開きかけたが、それよりも先に光美が繚奈の求めている答えを言った。

「あっ、ゆういっちゃんと好野さん、それにあの男の子……双慈君だったよね? 三人なら一緒に出掛けてるわ」

「出掛けてる?」

「うん。行先は聞かなったけど、多分あの建物だと思う。…………『神士』としてのお仕事だって、好野さんが言ってたから」

「!」

長い間、光美の口から出る事を恐れていた言葉を聞き、繚奈は無意識に身体を強張らせる。だが同時に、今が時期なのだと自分の中の何かが訴えているのを感じた。

あの時――ラボの書斎で『終わったら全て話す』と約束した時から、分かっていた事だ。今まで彼女に黙っていた自分の正体、そして所業を打ち明けなければならない、と。

だがやはり、いざその時が来たかと思うと心が竦む。話したいのに上手く言葉が出てこない。

何も言わず、ただじっとこちらを見つめている光美から眼を逸らさないのがやっとの繚奈に、『邪龍』が諭す様に囁いた。

〔繚奈。上手く話そうと考えるから、言葉が出てこないのですよ〕

(え?)

〔拙くても構いません。ただ、貴女の本心を言葉にする……それで良いんです〕

(……『邪龍』……)

納得した繚奈は、一度眼を閉じて大きく深呼吸する。そして光美に向き直ると、徐に彼女の名を呟いた。

それを聞き、光美は何かを感じ取ったのだろう。一瞬ハッとした表情を見せた後、「ちょっと待って」と片手を出しながら立ち上がる。

思ってもみなかったその行動に、繚奈は虚を突かれた様な顔を浮かべた。そんな彼女に、光美は不意に視線を落とし、輝宏へと向けながら言う。

母親の無事を見て安心したのか、彼はいつの間にか安らかな寝息を立てていた。

「輝宏君には、まだ聞かせたくないんでしょ? 繚奈が寝ている間、ずっと面倒を見ててくれた人がいるから、その人に預けてくるわ」

「っ…………ありがとう」

「別にお礼を言われる様な事じゃないわ。……すぐに戻るから」

「ええ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………懐かしいわね。そう言えば、こんな物を書いてたわ」

自分が昔に付けた日記帳をパラパラと捲りながら、好野は呟いた。しかし、その言葉とは裏腹に表情は暗い。尤も書かれている内容が内容なのだから、当然と言えば当然の反応なのだが。

「そんなのが何で、引き出しの奥になんか置いてたんですか? 日記って、結構大事だと思うんですけど」

「あの時は、急いでたから。きっと、その為だと思うわ。……正直に言うと、あまり良く覚えていないの。あの時は出来る限りの資料を処分して、貴方を連れ出す事で一杯だったから」

「……そうですか」

呟きながら眼を伏せた雄一だったが、不意に鈍い頭痛を感じて軽く顔を歪ませる。日常生活には問題無いものの、まだまだ身体はベストの状態には程遠いみたいだ。

――――あの出来事から一瞬間。彼は余りにも色々な事が有り過ぎた、義長のラボの調査に立ち合っていた。

途切れている記憶の先――満身創痍で『天上の庭』を破壊し、あの黒い『新獣』を討った後の事は『神龍』から聞いている。

意識を取り戻した好野が光美から事情を聴き、セキュリティを解除して『天上の庭』が有った部屋へと入りこんだ。

どうやらそこは『天上の庭』以外にも、ラボ内に設置してある装置を制御するコンピュータが置かれていたらしい。

彼女はそれを解除……否、システムを全停止させて安全を作った後、とりあえず気を失っていた三人の応急措置を施そうとした。

その時に雄一が自分の端末を持っている事に気づき、すぐさまそれで外部との連絡を取って救護班を要請、無事全員を救出したのだそうだ。

好野の推測では、どうも義長は『OCWF』を自由に妨害、或いは作動させる電波をラボ中に流していたのではないかとの事である。

だから端末を手放していたのに『OCWF』が作動せず、また間を置いて突然作動し始めたのではないかと、四日後に目覚めた雄一は聞かされた。

その後、彼はすぐに剣輪町の神連で事のあらましを説明した。そして事態の重大さを察した神連がラボの調査を決定すると、彼はそれに立ち合う事を願い出たのである。

――――他でも無い自分もまた、この事件に大きく関わっているのだから。

「念の為に聞きますけど……」

「何?」

「全部、本当なんですよね? それに書かれている事は?」

軽く日記帳を指差しながら雄一が尋ねると、好野は酷く辛そうに息を吐いた後、低い声で「ええ」と答えた。

「間違いないわ。全て真実。……ゴメンなさい」

「別に良い……とはとても言えないけど、貴女を責める気は無いです。ただ……」

自分達の周囲で忙しなく動き回っている、神連の調査員達の喧騒を聞きつつ、彼は言った。

「出来る事なら、貴女から話して欲しかった。奴から聞かされるのでは無く、貴女の口から聞きたかったです」

「…………ゴメンなさい」

懺悔と贖罪の混じった言葉を背中で受けつつ、雄一は軽く眼を伏せる。そんな彼の耳に、淡々とした声が飛び込んできた。

「別にそこまで悲観にくれなくても良いと思うけどな。僕なんかよりは、よっぽど普通なんだし」

「!……双慈君!!」

いつの間にか場に加わっていた双慈に、好野は叱咤の声を飛ばす。すると彼は反射的に両眼を瞑り、軽く身を竦めてみせた。

次いで不満気な顔をしつつも「ごめんなさい」と好野に頭を下げると雄一に視線を向け、同じ様に頭を下げる。

それはごく普通の男の子そのもので、刀廻町の神連を襲撃し、光美と好野を拉致し、このラボで雄一や繚奈と刃を交え、更には義長を討った子供とは思えない。

〔憑き物が落ちた様……って言うんだっけか、こういうの?〕

(いや、少し違うと思うぞ。それは)

どうやら自分と同じ感想を抱いたらしい『神龍』の呟きに、雄一は頬を掻きつつ心の声で返事をする。

――――推測でしかないが、双慈は元々こんな風だったのかもしれない。或いは繚奈との戦いで、何か心境の変化が有ったのか。

(この辺はあの人から聞かなきゃ、何とも言えないな。しかし、『僕なんかよりは、よっぽど普通』か……確かにな)

自分や繚奈とは違う、新型の神士。義長の言葉だけでは不可解な所だらけだったが、双慈の証言やここ数日のラボの調査で発見された痕跡や資料によって、色々と解明されてきている。

『天上の庭』の改良を続け、優れた『神士』を生み出す事に執着していた義長は、やがて一つの結論に達した。

いくら『天上の庭』を用いて多量の神力を持つ人間を生み出した所で、『神』との邂逅の機会が無ければ単なる凡人に過ぎない。

そんな確率に頼った方法ではなく、もっと別の方法を……そんな考えの元に進められた奴の研究は、予想だにしていなかった事実の扉を開ける事になったのだ。

人間が血肉や臓器から構成され、それらもまた様々な成分から構成されているのと同じく、精神体である『神』にも『神』そのものを構成している成分というものが存在する。

尤も、今現在では『存在している』という事ぐらいしか研究者達の間でも判明しておらず、正体や名称も不明の状態だ。

義長はその『成分』を解明する事が『神士』を生み出す重要な手掛かりになるのではと考え、独自の研究を続けた。そして、誰も知り得なかった事実に辿り着いたのである。

神を構成する『成分』――奴はそれを『神素(しんそ)』と名付け、その『神素』こそが『人間』の『神力』と反応して力を生み出す源であると突き止めた。

つまり、一般に『神士』の優劣を決定する重要な要素として知られていた神と人間の相性とは、厳密に言えばこの『神素』と『神力』の相性を指していたのである。

人間が『神化』し『神士』となる事で力を得られ、元の『神』よりも強大な物となる可能性が高いのも、これが要因であったのだ。

果たしてこの事実が、神らの間で知り渡った常識であるのか否か……それは雄一には分からない。

ただ、少なくとも『神龍』は知らないと言っていたし、彼の話では『邪龍』ともそんな話をした事が無いらしかった。

もしかしたら神すら超越する何かが、この世の倫理を守る為に隠し続けてきた事なのかもしれない。

そんな逸脱した考えが浮かんでくる程の、禁断の事実。そう思わざるを得ない所業を、義長はしでかしたのである。

――――神と邂逅して『神化』せずとも、『神素』さえ有れば『神士』を生み出せる。それならば『神』から『神素』を抽出し、それを人工的に人間に与えれば良い。

そんな考えの元に生み出された……否、造り出された存在。それが双慈をはじめとする『新士』と呼ばれる人達だった。

(信仰心なんか大して持ってないが、冒涜と言うしかないよな。やっぱり)

ふと遣る瀬無い気持ちに襲われた雄一は、気分が害した様子で自分達から離れて行こうとしている双慈を見やる。同時に昨日、彼が自嘲気味に言った言葉が蘇った。

――僕はあの人の傑作なんだってさ。尤も、それでも数ある作品の一つだったんだろうけど。

双慈の話によると、義長がどうやって『神』から『神素』を抽出して人間に与えたのか、具体的な方法までは知らないらしい。

彼が知っていたのは『天上の庭』を用いるという事だけ。曖昧ではあるが、雄一も奴から聞いた覚えのある事だけだった。

――『新士』を造り出す、それ自体は『神素』と『神力』の相性の考慮を除けば難しくないって言ってたよ。むしろあの人が気にしてたのは、造り上げた『新士』の完成度だったんだ。

神の力を使う事は出来ても、その実力は生粋の神士には到底及ばない者ばかり。そんな『失敗作』ばかりが続いたらしいが、義長はその理由に気づいていた。

奴の方法では、一体の『神』から抽出可能な『神素』の量は大したものでは無かったらしい。それが結果的に、不完全な力しか出せない原因となっていたのだ。

ならばと義長は、その差を埋めるべき考えを巡らせ、やがて解決策を見出した。

――――単体ではなく、複数の神から『神素』を抽出し、それらを纏めて一人の人間に与えれば……。

極めて単純ではあるが、同時に合理的とも呼べる方法。しかし、この方法にも、また大きな難題が生じた。『神素』と『神力』の相性の問題である。

一対一でさえ厄介だと言うのに、それが多対一になるのだ。当然と言えば当然であろう。

――だからあの人は、まず人間じゃなくて動物で試す事にしたんだ。動物に『神力』が有るかどうかは分からないみたいだったけど、人間より数の実験がしやすいからって。

この義長の行動が、思わぬ副産物を生み出した。そう、奴が『新獣』と呼んでいた獣達の誕生である。

そして、動物にも『神力』が存在し『傑作』となる可能性を秘めている事に気づいた義長は、『新士』と『新獣』両方の研究を並行して進めて行った。

難航していた『新士』とは違い、『新獣』の方は割合容易に事が進んだらしい。その事実は、あの赤い獣の大群が証明していた。

――……で、『新士』の方がようやく上手く行ったのは、つい最近。それは嬉しそうだったよ。

『鵺』と『爆狼』……国によっては『フェンリル』とも呼ばれる神。その二体の神と一人の少年の神力が、好相性であるという事実。

その事実と直面した義長によって造り出された『新士』――それが双慈であった。

(俺も人工的と言えば人工的だが、この子の方がずっとそうなんだよな。それに、あの人もまた……っ!?)

不意に物思いに耽っていた雄一だったが、突然双慈の身体がグラリと傾いたのを眼にし、慌てて彼に駆け寄る。

そしてよろめている双慈の身体を支えて顔を覗き込むと、そこには青ざめた表情が有った。

「大丈夫かい?」

「っ……当たり前だよ。ちょっとフラッとしただけ……あれ?」

言いながら雄一から離れた双慈は、次の瞬間まるで電源を切られた機械の様に崩れ落ちる。

驚いた雄一は再び手を差し伸べようとしたが、それよりも早くに彼の横からもう一つの手が双慈へと伸びた。

「全く、無茶して……る訳じゃないのよね。自分自身の事が分からないんだから」

「……そうですね」

無言になり、少々荒い呼吸を繰り返している双慈を、雄一と好野は複雑な表情で眺める。

――――これが自分の難点だと、彼は言っていた。

『神力』をどれだけ消耗したか、そしてどれだけ回復したかを、自身で一切感じ取る事が出来ない。

『神』の力を使う者として、ある意味致命的とも言える難点を、双慈は抱えているのだ。そしてそれは、『意図的』に義長が『調整』したのだと彼は言う。

果たしてそれが真実なのか。現時点では、誰にも知る術は無い。恐らく、それは双慈も分かっていたのだろう。だからこそ、彼はこう言ったのだ。

――あの『幻妖剣士』と戦った時に、初めて知ったんだ。だから、そう思うしかないよ。

怒りと悲しみの混じったその声を思い出し、雄一は不快さで瞳を閉じた。その横で、好野も苦しそうに眼を伏せる。

「きっと無意識の中で、強く憎んでいたのね。強く……強く……だから、あんな事を……」

「……ええ」

好野の切ない呟きに相槌を打った雄一は、自分でも不思議な程に心が痛んでいる事に気づく。

――――自分の父親が、一人の少年に殺された事に。その少年を含む、数多くの命を弄んでいた事に。そして……それらの事で、自分の母親が深く傷ついている事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………これが今まで光美に話してなかった、私の事」

そんな締めの言葉で話を終えた繚奈は、光美の反応を待たずして視線を壁時計へと向ける。話し始めてから、凡そ一時間が経過していた。

その事実に、繚奈は少しだけ驚く。こんなにも時間が掛かるとは、思ってもみなかった。自分では、唯々過去に起こった出来事を並べ続けただけだったのだから。

「ねえ……繚奈」

「っ……何?」

不意に聞こえた光美の声に、繚奈は慌てて彼女に振り返る。すると光美は、酷く悲しそうな表情で眼を伏せていた。

その顔を見た途端、繚奈の胸に痛みが奔る。やはり言うべきではなかったか、という思いが心の中で膨らむが、彼女は懸命にそれを否定した。

――これは、私の罪なのだから。

もし、これで光美との縁が切れる事になったとしても、それが運命だと受け入れなければならない。とても辛く、悲しい事だけれど。

「昔さ、私に言ってくれた言葉を覚えてる?」

「……え?」

予想だにしていなかった光美の言葉に、繚奈は眼を瞬かせる。

「言ってくれた言葉?」

「うん。ほら、私達が高校一年の頃。あの頃は中学と違って、同級生に他の町からやってきた生徒もそこそこ多くて。私のこれに対してのからかいも、中学の時より酷かったでしょ?」

言いながら、光美は左頬の傷を指でなぞってみせた。

「些細な事で言い争いになると、決まって相手はこれについて口にして……勿論辛かったけど、何処かでこれが自然なんだろうなとも思ってた。

私だって、同級生にこんな傷が有る子がいたら軽蔑していたかもしれないし。だから、私が悪く言われるのは何とか耐えられた。けれど…………」

そこで彼女は再びゆっくりと眼を伏せ、やがて同じくらいの時間を掛けて眼を開ける。すると二つの瞳に、僅かだが涙が滲んでいた。

「私を庇ってくれた繚奈まで悪く言われるのは、すごく辛かった。『そんな子と友達でいるなんて、あんたも変人ね』とか、そんな酷い事を。だって、繚奈は何も悪くないんだもの。

 何で繚奈まで私のせいで悪く言われなきゃならないの?……そんな考えに押し潰されかけてて、ある日、貴女に言ったじゃない? 無理して私の事を庇わなくて良いって。

私とセットで扱われて、間違った評価をされなきゃならない義務なんか無いって。その後で、少しだけ怒った感じで私に言ってくれた言葉、覚えてない?」

「…………今、思い出したわ」

繚奈は納得がいった様子で、頷く。そう、確かにそんな事が有った。

丁度、夏休みに入る直前だったと記憶している。中学の時から取り決めの様になっている二人での下校。その時、光美が微笑みながら言った件の言葉に、自分は確かこう言った。

――変な気遣いしないで。別に私は無理してないわ。むしろ、無理してるのは光美でしょ? 

その途端、驚いた様子で口を半開きにして歩を止めた光美に、自分は更にこう続けた。

――自分のせいで私が傷ついてるって考えて、一人で抱えてドンドン自分を追いつめて……それじゃ、いつか必ず貴女は潰れちゃうわ。そんなの私、嫌だもの。

彼女の額を人差し指で軽く突きながら、笑みを浮かべてこう締め括った。

――だから、私に対して思う事が有ったなら、とりあえず私に言ってみて。多分それが、光美にとっても私にとっても、一番良い筈だから。

「こんな台詞だったわね」

「うん、そう。私、繚奈のあの言葉で、凄く心が軽くなった。そして繚奈は、本当に私の事を良く分かってくれてるんだなって嬉しくなったわ。だから……」

光美は険しい表情を作り、繚奈を見た。慣れてなさがありありと伝わる為、恐さは微塵も感じられなかったが、同時に彼女が強い意思を込めている事も伝わり、繚奈は無言で光美を見返す。

そのまま暫く沈黙が二人の空間を支配し、やがて表情と同じ様に慣れていない硬い声を作った光美によって破られる。

「今、あの言葉をそっくり繚奈に返すわ。……何で今まで言ってくれなかったの? 長い間、ずっと傷ついてたんでしょ? 無理してたんでしょ? なのに……何で!?」

最後の方は殆ど涙声になっていた光美の問いに、繚奈は罪悪感で押し潰されそうになりながら答える。

「ゴメン……なさい。ずっと、言わなきゃって思ってた。でも、言えなかった。……怖かったのよ。私の不注意で、陽太さんと蛍子さんが……」

「やめて!」

大声を出した光美が、首を激しく横に振った。その際に、いつの間にか溜まっていた涙が飛び散り、その内の一雫が繚奈の頬を濡らす。

「何でそんな風に考えるの!? 繚奈のせいじゃないでしょ!? 全部、その男の人が悪いんじゃない!! なのに、自分のせいだって決めつけて……まるっきり、あの時の私じゃない!」

「光美……」

「それで段々私と距離を置く様になったって……そっちの方が、ずっと私は辛いわ! それぐらいの事、繚奈なら分かってくれた筈でしょ……!?」

「っ!……ゴメンなさい、本当に。私……本当に……!」

泣き叫ぶ光美に手を伸ばして抱きしめながら、繚奈は何年振りかになる嗚咽を漏らした。

――――彼女を傷つけたくない。その思いが故にとった行動が、結果として彼女を傷つけていた。

本当は、少し考えれば分かる筈の事だった。けれど様々な負の感情が、自分をその考えから遠ざけていたのだろう。余りにも遠回りで、下手をすればもう交わる事さえ無かったのかもしれないのに。

そんな自分の愚かさを嘆くと同時に、光美の優しさに感謝した繚奈は、身体の痛みも忘れて彼女を抱きしめ続け、謝り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「光美……私を、許してくれる?」

幾許かの時間が過ぎ、少し平静さを取り戻した繚奈は、真っ直ぐに光美を見つめながら尋ねる。

すると彼女は、未だ流れ続ける涙を拭おうともせず首を横に振りながら「やめて」と言った後、こう続けた。

「許すとか、許さないとか、そんなの私はしたくない。さっきも言ったけど、お父さんとお母さんの事で、繚奈は何にも悪くないんだから。今日は繚奈が今まで私に秘密にしていた事を、私に話してくれた。

 たった……たったそれだけの事。だから、何も変わらない。これからも今も、そしてこれからも、私達はずっと親友。……そうでしょ?」

「光美……っ、貴女は本当に………ゴメンなさい。それと、ありがとう」

感謝と感激で胸が一杯になった繚奈は、再び嗚咽を漏らしながら深々と頭を下げる。

光美はそんな彼女を見て、軽く泣き笑いの様な表情を浮かべた。そして「もう繚奈ってば」と言いつつ、呆れた様に嘆息する。

「今更、そんな他人行儀は無しよ。さっ、この話はもう御終い。そろそろ安静にしてなきゃ。傷に障るわよ」

労わる様に繚奈の両肩に手を置くと、光美はゆっくりと彼女をベッドに寝かせる。それを繚奈は、特に抵抗もせずに受け入れた。

正直に言えば痛みが消えてないとはいえ、もう傷等は全く気にもならなかったが、これ以上光美の意に背く様な事はしたくなかったのだ。

続いてシーツを被せられた時、光美は無意識に溜息をつく。それは、ずっと心に溜まっていた悪い物が取れた事による、安堵の溜息だった。

そんな繚奈を見た光美が、嬉しそうに呟く。

「何だか、安心したわ」

「安心?」

「うん。手遅れになる前に、ちゃんと話せて良かったって。ゆういっちゃんみたいに繚奈まで離れていったら、嫌だもん」

刹那、繚奈は身を強張らせる。同時に、何故今まで失念していたのだと己を悔んだ。

自分の正体や光美の両親の事については洗いざらい話した繚奈だったが、雄一との『因縁』についてだけは、まだ話していない。

彼女や奴の言動から凡その推測は出来たものの、迂闊に話せば、それこそ場合によっては両親の事以上に彼女を傷つけかねないと思ったからだ。

――――だから、まずは確認しておかなければならない。この親友と、あの『因縁』の相手との間柄を。

その答えによって自分の成すべき事は変わってくる。一旦は落ち着いた気持ちが再度昂ってくるのを感じながら、繚奈は光美に尋ねた。

「ねえ、光美。聞いていい?」

「ん? 何を?」

「その……あ、あいつとは話したの?」

名前を呼ぶのが憚られ、そんな曖昧な言い方になってしまったが、幸いにも光美には理解してもらえたらしい。

彼女は不意に寂しそうな表情になると、蚊の鳴く様な声で「ううん」と言った。

「ちょっとだけ言葉は交わしたけど……あっ、好野さんと双慈君の三人で出掛けるって、あれね。まだ、それだけ。それにしたって、殆どは好野さんと喋ってたし。

でも、それが終わったら、ちゃんと話してくれるって言ってたわ」

「そう……」

つまり、まだ光美は自分と奴の『因縁』については知らないという事だろう。

好都合だと思った繚奈は、少しだけ恥ずかしさを感じつつも、再度光美に尋ねる。

「で、まあ、それは本題じゃないんだけど……その……」

「?」

「光美は……えっと……あいつが……」

そんな風に何度か言い淀みを繰り返した繚奈だったが、やがて意を決した様に瞬きをすると言った。

「あいつが……好きなの?」

「!!」

次の瞬間、光美は見る見る内に頬を赤くし、そっと自分の右腕に有る青い石のブレスレットに手を添える。

余りにも分かりやすい反応だ。最早、わざわざ彼女の口から言葉を待つまでもない。

何から何まで自分が考えていた――危惧していた通りだと分かった繚奈は、軽く光美のブレスレットを指差しながら口を開いた。

「それは、あいつからのプレゼントなのね?」

「……うん。小学四年生の時にね、夏祭りでゆういっちゃんが買ってくれたんだ。一年前の夏祭りで私が買ってあげた、あの龍のキーホルダーのお返しにって」

「あれ、か」

合点がいった様子で、繚奈は呟く。

――――奴が、いつも肌身離さず首から下げていた青い龍。

直接尋ねる事は無かったが、それでも奴にとって大事な物だと薄々勘付いていた。まさか、自分のイヤリングと似通った物だとは予想外だったが。

「ゆういっちゃんとはね、小学校に入って少ししてから仲良くなったの。だから一応、幼馴染って言うのかな? 一緒にいて、とても楽しかった。でも……でも……」

「光美、もういいわ」

段々と声を沈ませていった彼女に、繚奈は元気づける様な笑みを向けた。そして虚を突かれた様にこちら見た光美に言う。

「大体の事情は分かったから。無理して辛い思い出を話す必要は無いわ」

「繚奈……」

「ふあ……それにしても随分と長い時間、話し込んだわね。少し疲れちゃった。ゴメン、光美。ちょっと眠るから、輝宏の事を頼める?」

「え? あ……う、うん」

芝居がかった欠伸をして見せると、光美は不思議そうな顔をしながらも頷いてくれた。

そんな彼女に礼を述べると、繚奈は徐に眼を閉じつつ口を開く。

「じゃあ、お願いね。輝宏の事だから、当分眠りっぱなしだと思うけど……もし起きたら、相手してあげて。今はちょっと、あの子の相手してあげられる体力は無いから」

「ええ、分かったわ。あ、着替えとかの貴女の私物は、そこのロッカーに入ってるから。それじゃ繚奈、お休みなさい」

「お休みなさい」

繚奈が返事をして暫くすると、光美がスリッパを鳴らしながら病室を出て行く音が聞こえてくる。

そして、彼女のスリッパの音が完全に聞こえなくなると、繚奈は再び眼を開けて上半身を起こした。

〔……行くのですね〕

「うん」

問いかけというよりは確認の言葉を掛けてきた『邪龍』に、繚奈は力強く頷いて見せる。

――――決着をつけなければならない。それで、全てを清算しなければならない。

義務感、というのだろうか? そんな強い気持ちが、彼女の心を埋め尽くしていた。

「ゴメンなさい、『邪龍』。でも……もう、こうする事しか出来ないのよ。ダメな神士よね、私」

〔いえ、そんな事はありません〕

「え?」

想定外の返事に驚いた繚奈に、『邪龍』は淡々としながらも何処か嬉しそうな口調で言葉を続ける。

〔実の所、少し前からボンヤリと思っていたのです。頑なに私達の因縁に従おうとする貴女を見て、これが本当に正しいのかと。ですから、貴女がそういう結論に達してくれて、正直ホッとしています〕

「……『邪龍』……」

〔さあ、行くなら早く行きましょう。もし見つかったら、また彼女や輝宏君に心配をかけてしまいますよ〕

「……ええ!」

パートナーの言葉に勇気づけられた繚奈は、ベッドから飛び降りて病室のロッカーを開ける。

光美の言った通り、そこには自分の衣服や私物、そして『紅龍刃』が置いてあった。彼女は素早く着替えを済ませると、愛刀を手に取って窓の傍へと歩み寄る。

そして音を立てない様にゆっくりと窓を開けると、重傷の身とは思えない程に軽やかな動作で飛び降り、病院を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

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