第三章〜邪龍の爪〜

 

 

 

 

 

……。

…………。

――――東暦1995年5月23日午後三時。

放課後を告げるチャイムが鳴り響き、とある教室は生徒達の喧騒に包まれていた。

「じゃあね皆、バイバ〜イ!」

「さてと、ゲーセンゲーセン」

「あ〜〜あ……今日も部活かあ……」

(……ん?)

彼方此方から聞こえるクラスメイトの声を目覚ましに、繚奈はゆっくりと眼を開けた。

「あふ……何? もうホームルーム終わったの?」

「そうだよ、繚奈。相変わらずホームルーム中はずっと寝てばっかりなんだから」

思わず声に出た彼女の独り言に、横から聞き慣れた声が返事をする。

繚奈が欠伸と共にそちらに振り返ると、そこには呆れ顔の親友が立っていた。

「ああ、光美……別にいいじゃない。ホームルームなんて、授業でもないんだし」

「まっ、確かにそうだけどさ。でも、ちゃんと起きといた方がいいと思うよ」

「大丈夫、大丈夫。全然、問題ないわ」

軽く手を振りながら席を立ち、繚奈は帰り支度を始める。

しかし、次の光美の言葉に、再び彼女に振り返った。

「ふ〜〜ん……じゃあ、別に言わなくても問題ないか」

「?……光美、何の事?」

「さっきのホームルームの事。私にとっては大問題な事だったから、教えてあげようかなって思ったんだけど……

 ホームルームなんか聞かなくても問題ない繚奈様には、教える必要も無いわよね〜?」

「ち……ちょっと待って、光美!」

少々澄まして明後日の方向を眺めている親友の肩に、繚奈は焦った声を上げつつ手を置く。

光美がこの様な仕草を見せた時はかなり危険な兆候であると、繚奈は重々知っていた。

「な、何の事なの? その……大問題な事って?」

「あ〜〜ら、ご心配なさらず。繚奈様には、些細な事でございますから」

「そ、そんな事言わないで! ね?」

冷や汗を流しながら懇願する繚奈に、光美は思わず噴き出した後、笑い混じりに口を開く。

「クスクス……ゴメンゴメン。ちょっと意地悪だったね。あのね、進路希望調査書の提出、今週末までに早めるんだってさ」

「え〜〜!? 今週末って、今日水曜日じゃない! 今日明日でアレ書かなきゃいけないの!?」

未だに全く手をつけておらず、完全に白紙状態である繚奈は悲鳴気味な叫びを上げる。

それに対して、光美が「まあまあ……」と宥めながら言った。

「今日明日あれば十分じゃない。繚奈も剣輪第一高校志望なんでしょ?」

「うん、まあ一応そのつもりだけど……志望動機とかが埋まらないのよ。『何となく』とかじゃ、駄目……よね?」

「流石に駄目だと思う」

「……やっぱり?」

繚奈は額に手を当て、深い溜息をついた。

これはやはり、嘘でも何でもいいから『それらしい』志望動機を書かねばなるまい。

(今日の夜に知恵を絞って考えなきゃいけないか……)

そんな事をボンヤリ思いつつ、彼女はふと光美に尋ねた。

「そうだ光美、今日はどうする? 久しぶりにゲームセンターでも寄ってく?」

「え? あ……ゴメン。ちょっと」

途端に光美は申し訳なさそうに眼を伏せる。

珍しい反応に、繚奈が軽く首を傾げながら口を開いた。

「あら? 何か用事でもあるの?」

「うん……そろそろ、髪の手入れしなきゃなって」

「髪の手入れ?」

「そっ。私……美容院苦手だから」

「っ……そっか、そうよね」

瞬間、繚奈の視線は無意識に光美の左頬へと移る。

――――あどけない顔には余りにも不似合いな、痛々しい大きな傷。

もう見慣れた物である繚奈は別段どうも思ってないが、やはり他人からは不審な眼で見られるのは明白だ。

ましてや、美容院などという容姿を美しくする場所に行くのには、悪い意味で目立ち過ぎる。

「本当にゴメン。また誘ってね」

「うん。……じゃ、途中まで一緒に帰ろ」

「了〜解」

……。

…………。

 

 

 

 

 

 

――――東暦2000年6月20日午前四時三十分。

〔……繚奈……繚奈!〕

「……っ!」

頭の中から聞こえた『邪龍』の声に、繚奈はハッと我に返り、瞳を開ける。

すると、そこに写ったのは見慣れた天井――神連の休憩室の天井だった。

(何だ、夢か……しかし妙にリアルな夢だったわ……最近会ってないけど、きっと元気だよね……光美は)

ボンヤリとそう考えながら、繚奈は欠伸交じりに『邪龍』に尋ねる。

「あふ……何? 『邪龍』?」

〔『何?』じゃないでしょう? 休憩などと言って熟睡している貴方を起こしただけです。……そろそろ帰るべきなのでは?〕

「え? あ、もうこんな時間!? 輝宏、泣いてないかしら……」

この前ようやく1歳の誕生日を迎えた息子は、起きる時間が不規則で明け方には目覚めている事も少なくない。

深夜の急な仕事を終えて、軽く疲れを取る為に休憩室にやってきたのだが、予想以上に疲れがたまっていたのか熟睡してしまっていた様だ。

ともあれ急いで家に帰らないと、輝宏がグズっていないとも限らない。

「早く帰らなきゃ……『邪龍』も、もう少し早く起こしてくれれば良かったのに」

〔……そうはいっても、貴方もかなり疲れていた様でしたから……出来るだけ、休ませた方が良いかと思いまして……〕

「あっ……そうね、ありがとう」

確かに『邪龍』の言う通り、今日は……というより最近は、かなりハードな日々が続いている。

額に手を当てて軽く溜息をつきながら、繚奈は事の発端の時を思い返した。

(……一体、何なの?……奴らは……?)

 

 

 

 

 

……。

…………。

――――東暦2000年6月17日午後四時。

「…………」

『神士』として任務を終えた繚奈は、薄暗い森の中を歩いていた。

「全く……麻薬の密売だの何だの……同じ神士として恥ずかしいわ」

先ほど捕らえた神士の事をぼやきながら、彼女は大きく溜息をつく。それに対して、『邪龍』が宥める様に言った。

〔善が有れば、悪が有る。それと同じですよ、繚奈。善い神士がいれば、悪い神士もいるものです〕

「……そして善い神がいれば、悪い神もいる……って事か」

『邪龍』の言葉の後を読み取り、繚奈はポツリと呟く。――……そうだ。神士……即ち人間だけを責めるのは間違いだ。

あの神士と神化している神もまた、悪しき存在であるのは間違いない。

そういう奴らに、この世界を脅かされない様に務める。それが、自分達『神士連合』に所属する者の使命であろう。

(でも、私達の場合は……それだけじゃないけどね……)

ふと『宿敵』の事を思い浮かべ、繚奈は無意識に携えていた『紅龍刃』を握り締める。

――自分と神化している『邪龍』と、あいつと神化している『神龍』の因縁。

当然、それは彼らと神化している自分達の因縁でもあると、彼女は強く意識していた。

(出会ってから結構経つけど……そろそろ、決着を付けないといけない頃合かしらね……)

『決着』……たった二文字のその言葉が意味する物を考え彼女は、一瞬後ろめたい気持ちになる。

――――いつからか、自分にこびりつく様になっていた血の色……そして香り。

いくら洗い流しても決して消えぬそれらは、繚奈の心に少なからず痛みを与えていた。

それが、更に繰り返される……否、繰り返さなければならないと思うと気分が沈むのは当然だろう。

(……まあ、今日はもうこの事を考えるのはやめようか。早く神連で事後処理を済ませて、帰りましょう)

家で待っている輝宏の顔を見れば、少しは気分も晴れるだろう。と、繚奈がそう思った時だった。

突然に『邪龍』が、鋭い声で短く叫び、彼女は驚いて立ち止まった。

〔っ!……繚奈!!〕

「えっ?……っ!?」

次の瞬間、首筋に冷たい物を感じた繚奈は、さっと後ろに振り返る。それと同時に、反射的に『紅龍刃』を鞘から抜き放った。

途端、甲高い金属音が森の中に響き渡る。

「くっ……貴様……!?」

「……ちっ、防いだか。一撃で仕留めるつもりだったのだが……流石は、と言っておこうか? 『幻妖剣士』」

「何……!?」

眼前まで迫っていた西洋刀を『紅龍刃』で受け止めながら、繚奈は突如現れた男を睨み付ける。

(こいつは!?……まるで気配を感じなかった……!)

後一歩『邪龍』が知らせてくれるのが遅れていたら、自分は確実に死を迎えていただろう。

気を抜いていたつもりはなかった。ただ純粋に、この男の気配の殺し方が秀逸だったのである。

更にもう一つ、彼女は困惑している事があった。

(っ!……重い……重過ぎる……これは一体……!?)

徐々に後ろへとたじろぐ繚奈の頬を、一筋の冷や汗が流れ落ちる。

目の前の男は痩躯な体格で、然程腕力に優れていると思えない。

しかし少しずつ、そして確実に自分へと迫り来る男の西洋刀から伝わる力は、凄まじい物であった。

――そう、とても並みの人間の物とは思えない程の……言うならば……。

ある結論に達した繚奈は、声高に叫んだ。

「……貴様、神士か!? いきなり襲ってくるとは、どういう了見だ!!」

「これから冥土へと旅立つ物に、わざわざ話す程の事でもない」

「っ!?」

男はポツリと言うと、不意に後方へと飛び退いて間合いを離す。

繚奈もそれに倣う様に距離を取り、態勢を立て直しつつ口を開いた。

「……解せんな」

「何がだ?」

「……見ず知らずの神士に命を狙われるのには慣れている。名誉欲しさに『幻妖剣士』の名を欲しがる輩はウジャウジャいるからな。

だが貴様からは、そういった欲望は感じられない。感じるのは……純粋なる殺気だけだ」

「……」

無言で、恐らく『神器』であろう西洋刀を構えた男に、繚奈は低い声で尋ねる。

「もう一度聞く……何が目的だ?」

「さっきも言った筈だ。話す必要はない」

「……そうか」

男の答えに、繚奈はただ一言そう呟くと、静かに『紅龍刃』を構えた。

「……行くぞ!」

一拍置いた後、彼女は素早く間合いをつめ、男へと斬りかかる。

その一連の動きは稲妻の様で、大抵の相手ならば見切る事もかなわない速さだ。

しかし男は、そんな繚奈の速さを上回る身のこなしで中空へと飛び上がると、微かな嘲笑を漏らす。

「ふっ……それで本気か? 『幻妖剣士』よ?」

「何っ!?」

繚奈がキッと頭上を睨み付けるのとほぼ同時に、男は落下の勢いを味方につけつつ、西洋刀を振り下ろす。

「……っ!……はあっ!!」

その斬撃を咄嗟に身を退く事で避けた繚奈は、着地際の隙が生じている『筈』の男に再度斬りかかった。

いかに修練を積もうとも決して消す事の出来ない隙――それが着地際の隙である。

それ故、彼女はこの一撃で勝負が決すると確信していた。だが、その考えはいとも容易く打ち砕かれる。

「……残念だったな」

「えっ……!?」

正に地に足が着く瞬間だった男は、重力を無視するかの如く宙へと舞い上がり、次いで凄まじい勢いで繚奈の右腕を擦れ違い様に切り裂いた。

「うっ……!」

〔っ……繚奈!〕

「大丈夫よ、『邪龍』……心配しないで」

飛び散り、頬に付着した血を軽く拭った繚奈に、男は勝利の笑みを含みながら口を開く。

「勝敗は決したな……利き腕をやられては、いかに『幻妖剣士』と言えど、満足に戦えまい?」

「……随分と、楽天的な考えだな」

少々呆れ気味に呟きつつ、繚奈は血が流れ落ち続ける右腕で再び『紅龍刃』を構えた。

それは己が傷ついた事など、まるで気にも留めていない様な振る舞いだが、無論そういう訳では実際ない。

いかに神士とて、彼女も生身の人間。血を流し続ければ死に至る、普通の肉体の持ち主だ。

だからこそ繚奈は戦いにおいて、受けた傷の事……そしてそこから来る痛みを極力押し殺す様に努めている。

――――傷や痛みは恐怖を生み、戦いを長引かせる。

それが彼女の……繚奈の考えであった。

(しかし、この男……そこらの三流神士じゃない……一体、何者?)

仕掛ける時を見計らいながら、繚奈はふと思う。

単純な神士としての力量は勿論だが、思わず背筋が冷たくなる様な鋭い殺気。

今までにも幾度となく神士と対峙する事はあったが、これほどまでに冷徹な気配を発する者は初めてだ。

(まあ、だからといって……むざむざ、やられるつもりはないけど……!!)

心の中でそう言うと同時に、繚奈は素早く男に接近しながら、『紅龍刃』に神力を注ぎ込む。

そして、男の急所目掛けてし、横一文字に薙ぎ払った。しかし、その剣閃はまたしても空を斬る。

「何度やっても同じだ……そんなバカ正直な攻撃、俺には掠る事さえままならない」

「……くっ……!」

またしても想像以上の動きで避けられた繚奈は、続けざまに連撃を放つがどれも男には届かない。

舌打ちと共に彼女が一瞬動きを止めると、その隙を見逃さずに男が西洋刀を振り被りながら急迫した。

「終わりだ……『幻妖剣士』!」

「……それはこちらの台詞だ」

「っ?……何だと!?」

突然、不敵な発言をした繚奈を妙に思いながらも、男は西洋刀を彼女の脳天目掛けて振り下ろした。

次の瞬間、思わず耳を塞ぎたくなる様な肉が引き裂かれる音がし、眼を覆いたくなる程の量の血が辺りに飛び散る。

しかし、その血は頭を真っ二つにされる直前であった筈の繚奈の物ではなく、彼女に斬りかかっていた男の血であった。

「……がっ……な……っ!?」

「…………」

全身に無数の傷を負い、何が起こったのか理解できていない男に、繚奈は冷たい視線を向けた。

「その顔じゃ……『幻妖剣士』の剣術までは、知らなかった様だな」

「……どういう……事だ……?」

男は虫の息を吐きながら驚愕の表情をする。

そんな彼に背を向けた繚奈は、『紅龍刃』を納刀しながら訥々と話し出した。

「貴様はさっき私が攻撃を空振ったと思った様だが、それは違う。元から私は、貴様を狙ってはいなかったのだ」

――――そう。先刻の繚奈の斬撃は、ただ無意味に空を斬っていた訳ではない。

この世界に裏側にある、もう一つの世界――魔界へと斬撃を送り込んでいたのだ。

彼女と神化している『邪龍』は、その魔界を総べる神。

その『邪龍』の力を用いて繰り出される、二つの世界を自由自在に行き来する連続の刃。

それが繚奈の――『幻妖剣士』の剣術、『邪爪連殺流』であった。そして先程の技は、その基本となる技――『魔召連環斬』である。

「もう少し、私の事を調べておくべきだったな」

「……く……そ……っ!」

残った力を振り絞り、西洋刀を構えようとした男だったが、叶わずにその場に崩れ落ちる。

繚奈はそんな彼に、半ば哀れみの視線を向けながら口を開いた。

「恨むなよ。……仕掛けてきたのは、貴様が先だ」

「く……くくくく……」

「?……何が可笑しい?」

血の海に沈みながら笑い出した男に、繚奈は不振そうに眉を顰める。

そんな彼女に、男は息も絶え絶えに言った。

「……俺が死んでも……貴様の運命は変わらん……『覇王剣士』諸共……『あの方』に……」

「っ!?……貴様! 今、何て言った!!」

突然、宿命の相手の名が出された繚奈は、動揺しながら地に伏せる男に叫ぶ。

「答えろ! 『あの方』とは誰だ!?……『覇王剣士』と私に、何の関係があるんだ!?」

「…………」

その問いに答える声は、既に無かった。

既に男が事切れているのを察した彼女は、苛立たし気に舌打ちする。

「ちっ!……気に掛かる言葉を残す!!」

怒りを露にしながら神連に後始末の要請をし、繚奈はその場を後にした。

――――その胸に……たとえようの無い不安と不快を抱きながら……。

……。

…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――東暦2000年6月20日午前五時三十分。

「……四日で九人……か」

〔かなり多いですね。……何が目的なのか、皆目検討もつきません〕

自宅への帰路に就きながら、繚奈と『邪龍』はここ数日間を振り返る。

あの男以来、似たような連中が次々と彼女の命を狙ってきていた。

問い質しても決して理由は言わず、例え止めを刺さずとも自ら命を絶つ、徹底した暗殺者の振る舞い。

そんな連中に付け回される覚えは全く無いのだが、やはり気になるのは最初の男の言葉だった。

――……『覇王剣士』諸共……『あの方』に……。

「……っ……」

あの言葉がどうにも引っかかり、奴――雄一に出くわしても決着をつける気にならない。

別に奴の身を心配して等いないのだが、繚奈はこの件を片付けるまで、勝負は預けるつもりでいた。

「……別にいいよね? 『邪龍』?」

〔ええ。……構いませんよ、繚奈〕

そんな会話をしている内に、いつしか彼女達は自宅へと辿り着いていた。

(輝宏、静かに寝ててくれてると良いんだけど……)

淡い期待を抱く繚奈だったが、無情にもそれは玄関のドアを開けた瞬間に裏切られる。

「……えーーん!!……えーーーーんっっ!!!!」

「っ! 輝宏!?……どうしたの!? 輝宏!!」

彼女は大慌てで靴を脱ぎ、階段を駆け上って二階の寝室へと走る。

そして泣き声だけが響く寝室に辿り着くと、パチッと部屋の電気をつけた。

「輝宏!……大丈夫?」

「っく……うっ……まーま……」

涙と鼻水でグチャグチャの息子を抱き上げ、繚奈はあやす様にその身を揺すった。

「ほら、泣かない泣かない」

「……まーま……おはよう……したら……いない……こわい……」

「っ……ゴメンね。ちょっとだけ、お出かけしてたの。でも安心して。ママはちゃんとここに居るから」

「……ぐすっ……うん……すう……」

嗚咽交じりに頷いた輝宏は、暫くしてまた眠りに落ちていった。

安らかな寝息を立てる息子の温もりを感じながら、繚奈はそっと眼を閉じる。

(……何があっても……誰と戦う事になっても……私は死ぬ訳にはいかない……この子の為にも……!)

――人工受精……父親のいない子供……けれど、紛れも無い私の息子。

大切な存在を抱きつつ、繚奈もまた輝宏と同じ様に、静かに眠りへと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 


  

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