第五章〜再び絡み合う歯車〜

 

 

 

 

……。

…………。

――――東暦1991年2月4日午前2時。

「はあっ……はあっ……はあっ……」

真っ暗な森の中を歩きながら、雄一は苦しそうな息遣いを漏らす。

そしてついに、傍の大樹に倒れこむ様に寄り掛かってしまった彼を見て、『神龍』が心配そうに言った。

〔お、おい雄一……大丈夫なのか?〕

「はあっ、はあっ……ギ、ギリギリってとこかな? あんまり大丈夫じゃない……」

雄一がそう答えると同時に、彼の両手に握り締められていた『龍蒼丸』が地面に落ちる。

ガチャンと派手な音が響き、雄一は慌てて愛刀を拾おうと身を屈めるが、瞬間激しい眩暈に襲われた。

「う……」

〔っ、もういい雄一、暫く休め! そんな状態じゃ無理だ!〕

「で、出来れば、そうしたいけどさ……そうも言ってられないだろ?夜明けまでに片付けなきゃ……誰かが発見したりでもしたら大騒ぎになる」

〔それは……そうだが……〕

彼の返事に『神龍』は言葉を濁す。

しかし状況がどうであれ、これ以上雄一を戦わせるのは危険だという事は、誰の眼にも明らかだった。

――――幻獣の処理の為、森に向かえ。

丁度日付が変わる時刻に、神連から雄一に下った指令がそれである。

『幻獣』とは神や神士が生み出す偽りの生物の総称で、神連にとっても因縁の深い存在だ。

普通は生み出した主と行動を共にしてサポートする物なのだが、時に主と離れた場所に生み出され野生化する物もいる。

それは自我による物なのか、あるいは生み出した主の命令なのかは定かではないが、どのみち危険な存在である事に変わりはない。

神や神士には遠く及ばないとはいえ、一般の人々なら一瞬で殺める程度の力を、幻獣は持っているからだ。

(にしても……これほど大量の幻獣は初めてだ……どうなってんだよ……?)

既に四十、いや五十は斬ったであろう。それでもまだ、近くに幻獣の気配が感じられるのに、雄一は悪態をつく。

幻獣の処理はこれまで何度か経験したが、その時はせいぜい五、六匹。多くても十匹ぐらいであった。

それが今回はその数倍。これはよほど強力な神、または絶大な神力を持った神士が生み出した幻獣なのであろう。

「……ったく……何の目的で、こんな森に居るんだか!」

ヨロヨロと『龍蒼丸』を拾い上げた雄一は、幾分か落ち着いた息を吐きながら周囲に視線を飛ばす。

しかし、疲労が蓄積された眼は霞み、夜の森の暗闇も手伝って殆ど役に立たない。

(気配は微かにしか感じられないし、近くにはいないみたいけど……)

自分では幻獣の居場所を感知できないと悟った雄一は、『神龍』に尋ねた。

「ちっ、『神龍』……どこに幻獣がいるか分かる?」

〔ああ。ここから少し北東の方角に数匹の気配を感じる……まだ他にいるかも知れんがな〕

「そっか。よし、じゃあ行こう」

〔お、おい! 雄一!〕

覚束無い足取りで歩き出そうとした彼を、『神龍』は慌てて制す。

〔さっき言っただろう? そんな身体じゃ無理だ。だから少し休め! それくらいの時間はある!〕

「……休みたいさ、出来るなら……けど……」

雄一は苦しげな笑みを浮かべながら、『神龍』に言った。

「今ちょっとでも休んだら……もう動けなくなりそうなんだ。だから……分かって、『神龍』……」

〔……っ……全く。普段は怠け者の癖に、こういう時だけ無理すんだから、お前は〕

「ハハ……本当にね」

呆れを含んだ『神龍』の了承の言葉に、雄一は力無く笑い声を上げた。

しかしそれも束の間。彼はすぐに笑みを消して『龍蒼丸』を構えるが、その重量に思わず顔を顰める。

(く、重い……こりゃ本気でヤバイな、早いとこ片付けないと)

そう決意した雄一が、徐に北東の方角に歩き出そうとした時であった。

不意に近くの茂みが揺れる音がし、彼はハッとして音の方向に振り返る。

(っ!?……なんだ、新手の幻獣!?)

雄一は歩みを止めると、限りなく小さい声で『神龍』に尋ねた。

「……『神龍』……何か感じた?」

〔いや……しかし今のこの状況じゃ、幻獣以外とは考えられないが……〕

「……だよな」

雄一が頷いた瞬間、再び茂みが揺れる。

間違いなく何かがいると判断した彼は、『龍蒼丸』を握り締めている両手に力を込め、ジリジリと音のした茂みに歩み寄りだした。

少しずつ少しずつ近づいていき、件の茂みに到達した彼は、ゆっくりと『龍蒼丸』を振り被る。

(今の僕に、長期戦は難しい……一撃で仕留めないと……)

そう思いつつ、霞んだ眼で目前の茂みをどうにか凝視する。

――――次にこの中の幻獣が動いた瞬間に……斬る。

雄一は息を止め、気配を殺しながら静かにその時を待った。

そしてその時は、案外早く訪れる。一、二分ほどの時が流れた頃だった。

(っ!……そこか!!)

今までよりも小さな……しかし確実に根源が分かる音が聞こえ、雄一はその音に向けて躊躇い無く刃を振り下ろす。

しかしその瞬間、何かに気づいた『神龍』が焦った様な叫び声を上げた。

〔っ!?……よせ雄一! 止めろ!!〕

(……えっ?)

何の事だか分からずに呆然としながらも、雄一は咄嗟に両腕の力を抜く。

しかし、一度振り下ろされた『龍蒼丸』の勢いが止る訳も無く、彼に何かを斬った音と感触が伝わる。

「っ……!?」

聞き慣れた斬撃音。それに一瞬遅れて、自分の頬に何か生暖かい物が付着するのを感じ、雄一は戦慄を覚えた。

――――わざわざ見なくたって分かる……これは……!

(血!? そんな……何で……!?)

幻獣は血を流す事が無い。厳密に言えば、文字通り『幻』である彼らに、血など元々無い存在しないのだ。

――――では、この血は……今、頬に付着している血は何なのだ?

(ま、まさか……?)

最悪の予感が頭を掠める雄一の耳を、聞き慣れた声が打つ。

「ゆう……いっ……ちゃん……?」

「……っ!?」

――――恐怖に震えているのが手に取る様に分かる少女の声……聞き間違える筈もない……この声は……。

……。

……………。

 

 

 

 

 

 

――――東暦2000年6月30日午前9時。

「だああっ!!??」

叫びながらベッドから飛び起きた雄一は、勢い余ってそのまま床へと転がり落ちる。

「……痛って〜」

〔お、おい大丈夫か?〕

「ああ、何とか……」

『神龍』の言葉に返事をしながら、彼はムクリと起き上がると無意識に呟いた。

「……夢か」

〔うん?〕

「い、いや、何でもない」

〔……そうか〕

そう言うと『神龍』は黙り込み、何も言ってこなかった。

尤も、もう何年もの付き合いだ。さっきの叫びと呟きで、何の事かと大体の見当はついているだろう。

(……ありがとう)

下手に聞いたりせずに、そっとしておいてくれる『神龍』の優しさに、雄一は感謝した。

「さてと……とりあえず、朝食にするか」

そう言いつつ手早く着替えを済ませた彼が部屋のドアを開けると、一階の方から微かな音が聞こえてくる。

どうも誰かが料理をしている様なその音に、雄一は一瞬眉を顰めたが、やがて「ああ」と小さく頷いた。

「あの人が来てるのか……そういや、久しぶりだな」

階段を下りるにつれ、次第に味噌汁や玉子焼きの香りが感じられる。

そして彼がキッチンを覗くと案の定、そこには見知った人物が立っていた。

「あら……お早う、雄一。良いタイミングね、そろそろ起こしに行こうと思ってたのよ」

「お早うございます、好野さん。相変わらず、手際いいですね」

「ふふ、ありがとう。あ、ご飯は自分で加減していれてね」

「はい」

武真好野――剣輪町神士連合に所属し、雄一のバックアップ等を担当する女性で、彼の養親でもある人物だ。

雄一が幼い頃は普通の親子の様に一緒に暮らしていたのだが、ここ数年はそれぞれの住居を構えて生活している。

それでも時々こうやって食事等の手伝いに来る事もあり、今の雄一にとって最も身近で親しい人物であった。

「最近はそんな大きな事件もないし、ちょっと退屈してるんじゃない?」

背中から好野の声が掛かり、ご飯を茶碗に盛っていた雄一は、ふと手を止める。

そして暫く考える様に天井を眺めた後、軽く笑いながら口を開いた。

「いや、そんな事ないですよ。元々、退屈な時間が好きな方だし。それに俺が退屈って事は、それだけ世の中が平穏なのを意味するんですから」

「あらあら、まるで世界の全ての神に関わる出来事を、自分一人で担当してるみたいな物言いね?」

「別にそうは思ってませんよ。けど、少なくともこの町……俺の周りは平和なのは確かでしょうに」

「クス……それはそうね」

そうこう話している内に朝食がテーブルに並べられる。

次いで食器の類を用意し始めた雄一に、先程より些か深刻そうな口調で好野が言った。

「ところで……雄一?」

「何ですか?」

「最近、どうなの?……あの娘は?」

「?……ああ……」

『あの娘』が誰を指しているのか一瞬分からなかったが彼だったが、すぐに合点がいって頷いてみせる。

「大人しいもんですよ。この間も顔合わせたんですけど、珍しい事に突っかかってこなかったし」

「この間って、何時の事?」

「例の強盗団の件で要請があった日ですよ。まあ、あっちも一仕事あった後みたいだったから、それだからかも知れませんけど……」

朝食に箸を付けながら言い淀んだ雄一に、好野は確認する様に尋ねた。

「何か、気になる事でもあるの?」

「ええ、まあ……」

雄一は朝食に箸を付けながら、数日前の繚奈の様子を思い返す。

(……『神龍』の話じゃ、『邪龍』も変だった様だし……本当に何があったんだ、あいつ?)

考えに耽り箸を止めた雄一に、好野が思い出した様に言った。

「あ、そうそう。雄一、悪いんだけど食べ終わったら神連まで来てくれる?」

「え?……ああ、いいですけど、何かあったんですか?」

「ううん。ちょっと上の方を手伝って欲しいの。バイトの子が、結構抜けちゃってるんですって」

「……成程、そっちですか」

『上の方』とは、地下に存在する剣輪町の神連の真上にある建造物――町に一つしかないゲームセンターの事だ。

神連が直接運営しているという訳ではないのだが、全くの無関係と言うわけでもない。

時折手が空いている神士が、正体を隠して従業員として手伝う事もあり、雄一もこれまで幾度となく経験していた。

「で、時間は半日? それとも終日?」

「出来れば夕方までお願いって」

「……了解」

そう言って承諾した雄一の頭から、今朝の夢の事はいつしか消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

――――東暦2000年6月30日午後6時。

「ハイハイ。もう六時だから、最後な」

一台の画面にかじりついている小学生達に、パンパンと軽く手を叩きながら雄一は声を掛ける。

その声に常連でもある子供達は、親しみを込めた口調で不満の言葉を返してきた。

「え〜〜? もうそんな時間?」

「もっと遊びたいよ。せっかく今日は宿題も少ないんだし」

「ねえ、お兄ちゃん。もうちょっとだけいいでしょ?」

「あ〜……悪いけど決まりだからさ。だから、また明日来てくれよ。な?」

――……やれやれ。こういうのは苦手だ。

数人の子供を宥めながら、彼は心の中で苦笑する。

機械の修理やその他雑用は全く苦にならないのだが、こういう遊び盛りである少年少女達の捌き方はどうにも不得手だ。

元々、自分は他人とのコミュニケーションは得意ではないし、何より彼らの『もっと遊びたい』という気持ちが良く分かる事も理由だった。

(日が長い時期は延ばしても良いと思うんだけどなあ、子供の入場時間)

雄一はそんな事を考えながら、悪戦苦闘しつつも子供達に帰る様にと説得し続ける。

やがて未だ不服そうではあったが、彼らは渋々と帰り支度をし始めた。

「はあ、仕方ないか」

「そうだね、帰ろう」

「あ、思い出した。確かさあ……」

あれこれ喋りながら出口へと向かっていく彼らを、雄一は軽く手を振って見送る。

しかし、ふと見慣れた子供達の中に一人知らない子供の姿があるのに気づき、僅かに眉を顰めた。

(……ん?)

――――手荒く洗っているだけなのが良く分かる、無造作な髪型の黒髪。そして少し赤黒い肌の男の子。

別に他の子供達と何ら変わらない普通の男の子だが、雄一はどうもその子の事が気にかかった。

(知らない子だな……新しくあの子達の仲間に入ったのか?……それとも転校生?……けど、なんか引っかかるな。

見た目もスポーツ少年っぽいし……いや、それは関係ないか?)

彼はボンヤリと色々思考しながら、その男の子の後姿を眺める。

と、その時、不意に男の子がこちらに振り返った様に、雄一は感じた。

(っ!?)

途端、雄一の全身を嫌な悪寒が襲い、彼はギョッとして男の子を凝視する。

しかし、その子は何事もなかった様子で、周りの子供達と一緒も歩いていた。

(何だ、今の!?……あの子……)

神士としての経験から分かる。先程の悪寒は、殺気を感じた時の物だ。

――――では、あの男の子が自分に殺気を発したというのか?……まさか!……大体、何の為に?

「「「……お兄ちゃん、バイバ〜イ!!」」」

「っ……あ、ああ! 寄り道しない様にな!!」

「「「うん!!」」」

子供達の別れの挨拶に、我に返った雄一は慌てて返事をして見送る。

(……考えすぎ……か?)

見えなくなっていく子供達の背中を、彼は複雑な思いで眺めるが、結局先程の少年がこちらに視線を送る事はなかった。

――――……いや、そもそも本当にあの少年は、自分に眼を向けたのだろうか?

様々な考えが頭を巡り、軽く混乱を覚えた雄一は、眼を閉じつつ額に手を当てて神経を休ませる。

(俺一人じゃ、やっぱ分っかんねえな……『神龍』の奴がいたら、何か分かったんだろうけど)

今は『自分の中』にいない長年の相棒の姿を、彼はボンヤリと思い浮かべた。

現在、『神龍』は雄一の元を離れて、町の何処かで身を休めている。

別に眠るだけなら『彼の中』にいても全く問題ないのだが、『神龍』曰く「離れている方が気を使わなくていいから眠りやすい」らしい。

その為雄一は、神と離れて行動する事が神士にとって好ましくない行為だと知りつつも、時折今の様に『神龍』をリラックスさせていた。

(ま、別に急ぐ事もないだろう。あいつが帰ってきてから、話してみるか……)

「……えっ?……嘘、もしかして故障?」

(……うん?)

不意に遠くから女性の声が聞こえ、雄一が視線を移すと、UFOキャッチャーの前で立ち尽くしている長い黒髪の女性が眼に入る。

どうやらフィギュアを取ったのだが機械が止まってしまったらしく、両手をガラスに押し当ててガクリと項垂れている。

後ろ姿だけでは判別できないが、恐らく自分と同年代であろう。

しかし、その様子はまるで少女の様で、雄一は思わず笑みを零した。

(あんな時は店員呼べばいいのに。けどまっ、言いにくいって気持ちも分かるがな)

カツカツとやや意識して足音を立て、雄一は女性の元へと向かうが、向こうは気づく気配も無く同じ姿勢を維持している。

相当のショックだったんだなと考えつつ、彼は彼女の真後ろから声を掛けた。

「故障ですか?」

「っ!?……あ、は、はい!」

ビクリと驚き、女性がこちらに振り向く。そして、その顔が雄一の視界に入った刹那、時が止まった。

(……っ!?)

――――年頃の女性にしては珍しく何の化粧っ気もない、それでいた整った顔立ち。

しかし、雄一が呆然としたのは、彼女に見惚れた訳ではなかった。

――――左頬に奔る、痛々しく無残な傷跡。

それを眼にした彼の脳裏に幼き少女の姿が浮かび、眼前の女性と重なる。

(……まさか………そんな……)

――――今朝の悪夢が蘇る。罪悪感から来る激しい吐き気が、喉元へと駆け上がる。

「……光美……ちゃん……?」

 

 

 

 

――――二度と口にする事の無いと思っていた名前は、驚く程にすんなりと声になって漏れた。微かに……だが、ハッキリと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

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