第八章〜交差する視線〜

 

 

 

 

 

 

 

 

……。

…………。

――――東暦1991年2月4日午前6時。

「さっ、雄一。早く乗って」

「……」

好野に促された雄一は、無言で車の助手席に乗り込む。

その顔に表情はなく、色も普段の健康的な物ではなく酷く青白かった。

「ここから二つ程離れた町を手配したから。一時間もかからないと思うわ」

「……うん」

労わる様に好野が微笑みかけてくれたが、今はそれすらもが辛く感じる。

――……僕が斬ったんだ! 光美ちゃんを!!……僕が! 僕が!……あああっ!!

神連に戻ってきた彼は、満身創痍の身体で壊れたレコーダーの様に叫び続けた。

もう少しで犯す所だった『神龍』との『誓約』……そして何よりも、自分と親しい友達を自らが傷つけてしまった事。

いくら神士とはいえ、まだ年端もいかない子供である雄一にその事実を受け止めろというのは、余りにも酷であった。

――――……だから彼は、好野の提案で剣輪町を離れる事になった。

(これが……これが今の僕には、一番の選択なのかもしれない)

両腕に巻かれた包帯を見つめつつ、雄一はボンヤリと好野の言葉を思い返す。

自責の念に駆られ暴れていた自分を制し、神連特性の鎮静剤を打ちながら彼女が囁いた言葉を。

「今の貴方に必要なのは心の休息。気持ちを鎮める事よ。だから……暫く、この町とはお別れしましょう」

この町――剣輪町との別れ。それは雄一にとって、今までの思い出全てに別れを告げる事と同じと言ってよかった。

嫌だと思った。ただの逃げなのではないかとも思った。

それでも好野が暗に仄めかした危険性――罪悪感から来る精神崩壊の危険性を考えれば、雄一は彼女の案に従うのが一番と判断したのである。

――――少なくとも頭の中では……確かに。

「さて、それじゃ出発するわよ」

「……はい」

運転席に座った好野がエンジンを掛けるのと同時に、ふと雄一は自分の家を……自分の家だった住宅を見上げる。

神連の職員により家の中の荷物はすっかり運び出され、もうこの家には何も残っていない。――――唯一つ、思い出を除いては。

「っ……」

無意識に胸元の龍を握り締め、彼は頭を振った。――――……この龍も、何度捨ててしまおうと思った事だろうか?

だが、結局捨てる事は出来なかった。そもそも、そんな簡単に捨てられるのであれば、こんなにも苦しい思いは最初からしていない。

光美との思い出も何もかも捨て、何事も無かったかの様に振舞える様な器用な人間だったら、どんなに楽だったか……。

(……楽?)

雄一は、不意に浮かんだ自分の考えにゾッとする。

――――それが本当に楽だと言うのか? 光美を斬った事も、この辛辣な罪悪感も闇に葬り捨て、何も苦しまずに日々を過ごせる人間が?

(そんな……そんな人間になるぐらいだったら、死んだ方がマシだ!!)

彼が心の中でそう叫んだ時、車は既に走り出していた。

少しずつ遠ざかっていく見慣れた景色を窓から眺める雄一に、『神龍』が初めて聞く様なか細い声を掛ける。

〔なあ……雄一?〕

「……ん?」

〔その……すまなかった。これだけ、言わしてくれ〕

「ああ……」

恐らく、あの時自分がもっと早く止めていればと言いたいのだろう。

そんな『神龍』の気持ちを汲んだ雄一は、ほんの少しだけ気持ちが軽くなるのを感じながら、言葉を返した。

〔…………『神龍』のせいじゃないよ。けど……ありがとう〕

――――彼がそう言った時、元の家はすっかり見えなくなっていた。

……。

…………。

 

 

 

 

 

 

 

――――東暦2000年7月3日午後1時。

(……どういう組み合わせだよ、これは?)

呆然とその場に立ち尽くしながら、雄一は自分の目の前にいる二人の女性を凝視する。

戸惑いの色を秘めた瞳で、自分を真っ直ぐに見つめている光美。そして、そんな彼女に驚いた様な表情を向けている繚奈。

どちらも自分と深く関わりのある女性。その二人が揃って近くの喫茶店から出てきた事が、雄一は不思議で堪らなかった。

(何で……何でこの二人が……?)

悶々とした考えに沈みだした彼の耳に、先程よりもハッキリと光美の声が届く。

「ゆういっちゃん……ゆういっちゃんだよね……?」

「……」

彼女の視線に耐えられず、雄一は思わず視線を逸らした。先日とは違って、光美は自分が誰なのかを確実に理解している。

無理も無い。今日の雄一は先日とは違い私服。当然、トレードマークとも言うべきアクセサリーも身に付けていたのだから。

――――そう、かつて彼女から貰った青い龍のキーホルダーを。

「そうだよね……? そうでしょ!?」

次第に感情的になっていく光美の声を聞きながら、雄一はこの場から逃げ出したい衝動に駆られる。

しかし、そんな彼の心情とは裏腹に、身体はまるで言うことを聞かなかった。

――――さながら、昔の罪から逃れようとする自分を諫める様に。

〔雄一……〕

(……っ……そうだな)

遠慮がちな『神龍』の声に、彼は観念した。どうせ、いつかは解決しなければならない事なのだ。

前回の様に、誤魔化せる状況でもない。腹を括るしかないだろう。

「光……っ……久しぶり……」

「……っ……!」

面と向って名前を言うのは憚られ、雄一がそう口にする。

その瞬間、光美はビクリと身体を震わせ、その様子を見た繚奈が、焦った様に口を開いた。

「ちょっ、どういう事よ!? そんな、何で……!!」

「むう……まーま、いたい、いたいよ……」

「え? あ、ゴ、ゴメン! 輝宏!!」

慌てて抱いていた男の子を、彼女はあやし始める。雄一はそれ見て、呟く様に言った。

「あんた、母親だったのかよ?」

「っ……だから、どうした? わざわざ、お前にいう事でもないだろう?」

瞬間、繚奈は見慣れた鋭利な視線を向けた。が、それを見た男の子が、恐怖から泣き始める。

「う、うわ〜〜ん! まーま、こわいよ〜〜〜!!」

「っ! あ、ちょ、ゴメンなさい輝宏! ほ、ほら、泣かない泣かない」

(……ったく!)

自分が知る彼女とは全く異なる目の前の彼女に、雄一は額に手を当てて俯いた。

今まで知らなかった『因縁』の相手の素顔。それを垣間見た彼は、これまでの繚奈との関わりを思い出して軽く眩暈を覚える。

(こんな小さい子供を持つ母親と刃を交えてたのか、俺は?)

考えただけで憂鬱になる。

唯でさえ、彼女との戦いは気乗りしないものであったというのに……こんな事実を知って、尚その感情は募った。

〔益々、戦いたくない相手になっちまったな……〕

(……ああ)

どうやら『神龍』も同じ思いを抱いたらしい。げんなりとしたその呟きに、雄一は心の中で返事をする。

(こりゃ、本気で戦わないで済む手段を考える必要が出てきたか……)

面倒事が更に面倒となった事実に、彼は頭が痛くなるのを感じた。

しかし、今はそんな面倒事よりも一段と厄介、且つ長い間抱えていた問題を清算しなければならない。

雄一は未だ呆然としている光美に向き直ると、懸命に言葉を探しつつ口を開いた。

「あ……えっと……その……あの時は……ゴメン」

こんな言葉で、償える筈が無い。それは彼も、重々承知していた。

――――自分が一体、彼女にどれだけの傷を負わせた事か……。

きっと光美は自分を恨んでいるだろう。それは致し方ない事だと、雄一は思っていた。

(どんな罵倒や暴言であろうとも、受け入れなきゃいけないよな)

そう考え、最低限の謝罪の言葉を口にした雄一であったが、光美はそんな彼に思いもよらぬ事を言った。

「何の事で……」

「えっ?」

「……何の事で、謝ってるの?」

「な、何の事って……そりゃあ……」

雄一は酷く困惑した。光美の言っている事の意味が分からない。

自分が彼女に謝らなければならない事など、一つしかないではないか。それが分らない訳ではあるまいに。

「決まってるだろ?……その頬の傷だよ」

失礼とは思いながらも、雄一はそう言うと光美の左頬を指差した。

その指先が示すのは、無残という言葉でしか表現できない程に大きく深い刀傷。自分の罪の証でもある傷だ。

当然、彼はその事についての謝罪を述べている。――――そんな分かりきっている事を、何故彼女は敢えて尋ねるのだろうか?

不思議に思う雄一だったが、直後の光美の言葉に思わず耳を疑った。

「そんな事……そんな事、謝ってくれなくてもいい」

「……えっ?」

――謝ってくれなくてもいい?……何を言っているんだ、一体!?

咄嗟に彼はそう言おうとしたが、彼女の紫の瞳に涙が滲んでいるのを見て思いとどまる。

「……あ……な……」

余りにも予想外の光美の言動に、しどろもどろなった雄一に、光美は僅かに嗚咽が混じった声で言った。

「こんな……こんな傷の事で、今更謝ってくれなくてもいいし、欲しくもない。それより……それよりも!」

段々と叫び声になっていく彼女に、雄一や繚奈は勿論、周りの人達も何事かと注目する。

しかし、光美はそんな事等お構いなしに、激しく頭を振りながら続けた。

「どうして、この前会った時に知らん振りしたの!? どうして……どうして九年前、何も言わないで転校しちゃったの!?」

「……それは……その……」

雄一は口篭る。返答のしようがなかった。

光美の問いに答えようとすれば、自然と自分が神士である事についても話さなければならないからだ。

そして……そんな現実離れした事をこの状況で話した所で、とても信じてもらえないだろう。

だから彼は、どうしようもない歯痒さを覚えながらも、ただ彼女に謝る他なかった。

「ゴメン……言えないんだ」

「っ!……ゆういっちゃんのバカ!!!」

――――罵倒と言うよりも、むしろ悲嘆に近い叫び。

そんな叫び声を上げた後、零れ落ちる涙を拭おうともせずに、光美は雄一に背を向けて駆け出した。

「!?……光美!?」

「っ、待ってくれ! 光……」

慌てた繚奈と雄一が、揃って光美を呼び止めようとしたが、それは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

「「!?」」

不意にけたたましい電子音が二つ、少々ずれながら雄一と繚奈の近くから聞こえてくる。

その電子音を聞いた途端、二人は反射的に表情を強張らせた。――この音は……!!

「ちぃっ! こんな時に!」

苛立ち混じりに舌打ちをしつつ、雄一は急いで携帯を取り出す。

(神連からの緊急通信……しかも、こりゃ刀廻町のじゃねえか。こんな真っ昼間から、一体何があったってんだ!?)

募る焦燥感と共に回線を開くと、面識のある女性職員の声が飛び込んできた。

『ゆ、雄一さん! 雄一さん!! お、お願いです! 早く……!』

「っ!? 落ち着いてください! 何があったんですか!?」

切実に訴えて来るその声から、向こうが切迫した状況になっているのが嫌でも分かる。

雄一は事態を確認しようと言葉を返したが、次に瞬間劈く様な悲鳴が耳を打った。

『し、神連に……きゃああああっっ……!!』

「!!……くそ!」

耳障りなノイズしか聞こえてこなくなった携帯を閉じ、彼は冷や汗を浮かべる。

――神連に……。

その言葉で通信は途絶え、他に大した情報はなかったが、大方の予想は出来る。

恐らく何者かが神連に侵入し、一騒動を起こしたのだろう。――問題は、その『何者か』がどんな奴かだが……。

(神連には、最低でも常に一人は神士がいる筈。それなのに、わざわざ他の町の神連所属の俺に助けを求めてきたとなると……無事だといいが)

そんな風に不安な考えを巡らす雄一に、『神龍』が急かす様に声を掛ける。

〔雄一! かなりマズそうだ! 急ぐぞ!!〕

「ああ!」

頷いた彼は『龍蒼丸』を取りに行くべく、急いで自宅へと走り出す。

しかし、ものの数歩と進まぬ内に、背中から繚奈の声が掛かった。

「待て!」

「っ!? 何だよ、この緊急時に!?」

言いつつ振り向いた雄一の眼に、いつもの鋭い刃物を思わせる眼つきをした繚奈の姿が映る。

その腕の中で、男の子が怯えた表情で彼女を見上げていた。

「お前の通信も、刀廻町の神連からか?」

「ああ、そうだよ! 何だか分かんねえけど、とにかく緊急事態みたいだ。あんたもそれを受けたんなら急いで……」

「お前は行かなくてもいい! 私一人で何とかする! それより、お前は光美を追え!!」

「はあっ!? あんた、何を言って……」

「いいから追え!! いいな!?」

それだけ言うと繚奈は雄一に背を向け、男の子を抱いているのを感じさせない程の速さで走りだしていった。

言い返す暇も与えらず、その場に取り残されていた雄一は一瞬呆然としたが、すぐに我に返り、もういない彼女に舌打ちする。

「ちっ! 何とかするったって……あんたは公共機関使わなきゃ、刀廻町に行けないだろ!!」

彼女――繚奈と神化している『邪龍』の力は、この世界の裏に存在する魔界の力。

その強大な力を彼女は扱える訳だが、あくまで戦闘面でしかその力は発揮されず、普通の生活の中では何の意味も成さない。

対して雄一と神化している『神龍』の力は、この世界の自然を元とする力。

結構な神力を必要とするが、その気になれば自ら風を起こし、それに乗って空を翔る事も可能なのだ。

この剣輪町から刀廻町の神連に着くのが早いのはどちらか、比べるべくもないだろうに。

〔雄一! 彼女の言った事は気にするな。ここからじゃ俺達の方が、彼女達よりも早く着く! 事は一刻を争うんだ!!〕

「分かってる! とにかく大急ぎで、家に戻るぞ!!」

〔ああ!〕

『神龍』の頷きの声を聞くと同時に、雄一は勢い良く走り出した。

そのまま商店街を突っ切り、人気のない田んぼ道に差し掛かった所で、自分の両足に神力を集中させて力強く地面を蹴る。

瞬く間に飛翔した後、目立たぬ様に多少高度を取りつつ、彼は自宅へと急いだ。

(とにかく急がないと……!……あれは……)

ふと下界に視線を移した雄一は、がむしゃらに走っている光美の姿を見つける。

刹那、彼は胸激しい罪悪感により、胸に強い痛みを覚えた。

(っ……いや! 今はこの緊急事態を片付けるのが先だ。それが終わったら……終わったら……)

無意識に胸をかきむしりながら、雄一は無理やり光美から視線を外す。

(どうにか……話をして……そして……)

――……どうするのだ?

不意にそんな疑問が浮かび、思考の迷宮にズルズルと引き摺り込まれそうになった彼は、懸命に頭を振って我を保ちつつ、空を翔けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

inserted by FC2 system